カテゴリー「映画 わ行」の9件の記事

2017年5月 8日 (月)

「わたしは、ダニエル・ブレイク」

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ケン・ローチ監督が、英国の緊縮財政によって切り捨てられる弱者の姿を、怒りを込めて描いた作品。淡々とした語り口ながら、ずっしりとした見ごたえがあった。観終わったときには、自国のことではないにせよ、やり場のない怒りがこみあげてきた。こんなこと、間違っている・・・ゆるされてはいけないことだ。

主人公のダニエルはニューカッスルに住む59歳の大工。心臓疾患のためにドクターストップを受けているにもかかわらず、「就労可能」と判断される。不服申し立てをしたくても、そこにたどり着くまでに、さらに複雑な手続きの壁に阻まれてしまう。

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一方、ロンドンからニューカッスルに越してきたシングルマザーのケイティは、職安での面接の時間に遅れただけで給付金が受けられなくなり、職探しもままならないまま、二人の子供を抱えてフードバンクに頼らざるを得なくなる。

職安で門前払いを受けるケイティ母子を見て義憤にかられるダニエル。彼は、暖房の切られたケイティの家の窓に緩衝材を貼って暖を取る方法を教えたり、部屋に飾るモビールをプレゼントしたり、ケイティの家族をことあるごとに応援し、寄り添っていく。
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生活保護の不正受給に対しては、いい気持ちはもちろんしないけれど、英国のように、弱者を容赦なく切り捨て、彼らの尊厳まで奪うのは、あまりにもひどい。人はみな生まれながらにして幸せになる権利を有しているというのに

犯罪を犯したわけでもなく、怠慢でもなく、真面目に誠実に税金を納めて生きてきた人々だ。病気や事故やその他の事情で働けなくなったのに、簡単な質問のやり取りだけで「就労可能」と宣告される。そして彼らは、煩雑で困難な手続きに疲弊して、抗議することも諦めてしまう・・・・・。

最後まで尊厳を失わず、抗議しようとしたダニエル。彼の残した「私は、犬でもなく、登録番号でもなく、一人の人間だ。」という言葉は、まさに今、英国で緊縮財政に命を削られている人々の心の叫びなのだろう。

2013年1月26日 (土)

私が、生きる肌

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あなたは,これを愛と呼べるか・・・・

皆さんの2012年度のベスト作品にランキングされていたのでDVDで鑑賞。凄いですね,この作品。こんなストーリーだったとは・・・・。ありえない設定と,予測のつかない展開,そしてアルモドバル監督特有の,美しく妖しい映像美・・・・ヒロイン(エレナ・アナヤ)のまるで人間離れした硬質な肌や肢体の美しさ・・・いろいろと見どころ満載の作品だった。


画期的な人口皮膚の開発に従事していた天才的な形成外科医ロベル(アントニオ・バンデラス)が行った復讐劇。それは復讐と同時に,事故で喪った愛妻の「完璧な肌」を創造したいという実験のためでもあった・・・。

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亡き妻への執着や復讐心のために,道徳心も神を畏れる心も亡くし,禁断の実験に没頭する主人公の医師ロベルと,誰も想像できないような数奇な運命をたどるヒロイン,ベラ。そして綿密な準備と執念で着実に計画を進めるうちに,ロベルの心に芽生える新しい愛・・・・。これは果たして許され,受け入れられる愛なのか?

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ロベルの取った復讐の方法が,通常では考えられないほど常軌を逸しているところは,作品の方向や雰囲気はまったく違うけど,韓国映画のオールドボーイのような衝撃的な面白さがあった。

ロベルによって創り上げられていく「完璧な美女」は誰だったのか・・・それが明らかになる中盤から後は,「いったいこのお話はどういうふうにケリがつくのだろう?」と戦慄を覚えつつ画面から目が離せなかった。
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観終わったあと,すぐにもう一度最初から見直したくなる作品。ベラの台詞や仕草,そこに秘められた本当の感情を,冒頭から再度じっくりと確認したくなるのだ。ストーリーの面白さから言うと,一級品の作品。好き嫌いは分かれるかな?私はかなり好きかも。

2010年4月 3日 (土)

私の中のあなた

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DVDで鑑賞~。
こういう,パステル風味の家族感動物語はやや苦手な私だが,これはベタかと思いきや,中盤にちょっとしたひねりもあって,とってもよくできた作品だった。

白血病の姉ケイトのドナーとして,遺伝子操作によってこの世に生を受けた妹アナ(アビゲイル・ブレスリン)が,姉への臓器提供を拒否して両親を訴える物語。
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前半部分は実のところ,少々イラツキながら観た。キャメロン・ディアスの演じる母サラの価値観や性格に,軽く違和感を感じてしまったせいだ。そもそも,病気の子供のドナー目的で子供を作る,という発想には,正直ついていけない部分もある。

誰かのドナーになって身体を提供する,という行為は,やはり本人の意思があってこそのものだと思うのに,それ目的の人間を作る,などという非人権的なことがあっていいのか,と思うし,そんな過酷な運命を同じわが子に背負わせる,という選択は,親としてできるものだろうか。もしできたとしても,ドナー役の子供が自我の目覚めとともに,いろいろな思いを持つようになったとき,親子の間に生じる不協和音は避けられないのでは?とも思う。
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だから,両親に対して訴えを起こしたアナの気持ちはとてもよく理解できた。姉に対する愛情の有無とは関係なく,自分の身を守りたいという欲求は誰しも持つものだし,それが自然だとも思うから。

アナの立場や気持ちを理解してくれたパパや,黙って見守っていたお兄ちゃんに比べて,母親のサラはいかにも自己中心的(=ケイトの命を救うことが最優先で後はみんな二の次)に思えた。

何があってもあきらめない,どうしても自分の子供を救いたい,そのために自分もすべてを犠牲にしてきたのだから,という気持ちはわからないでもないが,彼女に対しては,「忘れられがちなお兄ちゃんや,自分の身体を姉に提供すべく運命づけられたアナもまた,アナタの子供なのに!」という苛立ちがこみあげてきて仕方がなかったのだ。弁護士でもあったサラは,ケイトを死から救う,という闘いに何が何でも勝ちたくて,意地になっている面もあるのでは?と思った。

と,途中まで多少嫌気もさしながら観ていたのだけど,中盤あたりに「ある真実」が明かされてからは,素直に感動しながら観ることができた。

ケイト,アナ,そしてお兄ちゃん・・・・フィッツジェラルド家の子供たちの優しさと強さは凄い。生まれた時から一緒に試練に耐えてきただけあって,なんて精神的に大人なんだろう・・・とそっちに感動。みんないじらしくて,健気で,そして現実をちゃんと受け入れてて。
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死が身近に迫ってきたとき,それが自分に対してであっても,愛する肉親に対してであっても,最初はもちろんなかなか受け入れがたいだろう。特にわが子の死は到底受け入れ難く,親としては諦めることなど不可能だと思うけど,この物語のような場合は,「受け入れる」ということもまた大切なのかな,と思った。

自分のためにも,家族のためにも,それが癒しにつながるのであれば,「受け入れる」勇気もまた必要な場合があるのかもしれない。母親の背中をまるで自分の方が保護者であるかのように,優しく背後から抱き締めて慰めるケイトの姿に目がしらが熱くなった。

家族とは,そして人生と死とは・・・いろんなことが詰まっている感動作だと思う。主演のアビゲイルちゃんは名子役だけど,だんだん女の子らしく綺麗にもなってきて,今後も活躍が楽しみだ。

2010年2月22日 (月)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

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大昔にビデオで観た記憶があるのだが・・・・その時は若くて,一応感動らしきものはしたし,凄く印象に残ってるシーンも多々あるのだけど,きっと完全にはこの作品を理解できてなかったように思う。今回,デ・ニーロ祭りで気合を入れて再見。

いや驚いた~,実は物語の中でも特に大事な,後半の記憶が全く飛んでたが,(それだけ前半の少年時代の場面の方が強烈だったのか,それとも後半は当時の私には難解だったのか?)・・・・・こんな深いお話だったのね。
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今回あらためてその,練りに練られた脚本や,描かれた哀切きわまる物語に感銘。純文学のような芸術性の香り高い,紛れもない大傑作のひとつである。作品全体に漂う哀愁と情感は,もしかしたらゴッドファーザーより上かもしれない。
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禁酒法時代のアメリカを舞台に描かれる,ユダヤ系マフィアの若者たちの一大叙事詩。物語は,ゲットーで過ごした「少年時代」,彼らがマフィアとして一旗あげるのに成功してゆく「壮年時代」,そして真実が明かされる「現代」の三つの時代を,行ったり来たりしながら進んでいく。

この作品,映像が,とにかく信じがたく美しいのだが,特に少年時代のクラシックなセビア色の街並みの美しさといったら!初見時も,上の画像の,巨大なブリッジを遠景に歩いてゆく彼らの映像とか,下の画像の,少女時代のデボラがバレエ・レッスンをする映像とかが,強烈に心に焼きついたものだ。
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そして物語と一体になった,ノスタルジックで切ないモリコーネの音楽パンフルートという葦笛の一種の楽器の枯れた調べや,オーケストラが奏でるアマポーラのメロディー。まさに,映像,音楽,俳優たちの演技,すべてが芸術品のような品格の輝きを放つ作品といえるだろう。

この物語のテーマは友情と裏切り
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デ・ニーロ演じるヌードルスと,ジェームズ・ウッズ演じるマックス
の間の,少年時代から続く堅い絆。しかし,価値観と欲するものの違いから,二人の思いが徐々にズレてゆき,友として互いに慈しみあいながらも,悲劇的なラストへと繋がる哀しさ。

どちらがどちらを裏切ったのか,そしてその結果,裏切った方と,裏切られた方は,その後,どのような選択をしたのか,これはぜひ,ご自分の目で確かめてほしい。ラストは,ほんとうに何度観ても泣けてしまう。
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このときのデ・ニーロ41歳。ギャングだからもちろん粗暴な面も持ちながら,懐の深い,なんとも魅力的な主人公を演じている。特に老け役の時の彼の自然さは特筆もの。なんでも,生え際の髪の毛を抜いてリアルさを出したとか。さすが,ここにもデ・ニーロ・アプローチが!)
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そして,デ・ニーロ以上に難役だったかもしれないマックス役を演じた,ジェームズ・ウッズの繊細で的確な演技には唸った。彼の野望,彼の怒り,そして彼の哀しみ・・・・ヌードルスに見せる彼の複雑な感情・・・・それらを見事に演じていた。いやいや,マフィア姿のウッズってとってもカッコいい
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もう一人,役者の中で忘れてはならないのが,ヌードルズの恋人デボラの少女時代を演じたジェニファー・コネリー。ストーリーは忘れても,当時の彼女の美しさだけは鮮明に覚えている。今のジェニファーももちろん十分美しいのだが,この作品の彼女は,まるで無垢で高慢な天使のような美しさだった。
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4時間という長尺,そして最後まで観るやいなや,もう一度細部まで確認したくなって,再見したくなる作品。だから,時間と体力に余裕のある時にしかオススメできないが,これは映画界に燦然と輝く傑作だと太鼓判を捺したい。

本作が遺作となったレオーネ監督,まさにこれまでの彼の集大成とも呼ぶべき作品で,有終の美を飾ったと言えるだろう。

 

2009年6月 7日 (日)

わが教え子、ヒトラー

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この話は真実だ。
しかし“真実すぎる”ため
歴史の本には出てこない。

ヒトラーを題材にした作品は,正統派のものから,ヒトラーの贋札ワルキューレといった,変わった切り口のものまでいろいろと製作され続けているが,この作品は,ヒトラーには演説を指導した教師がいたという史実を下敷きにしたドイツの映画作品。(原題はMein Führer – Die wirklich wahrste Wahrheit über Adolf Hitler)あの,善き人のためのソナタウルリッヒ・ミューエさんの遺作でもある。
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あらすじ:
敗戦が濃厚になりつつある1944年12月のドイツ。ヒトラー(ヘルゲ・シュナイダー)は病気とうつですっかりやる気をなくし、公の場を避けて引きこもる始末だった。そんな中、ユダヤ人の元演劇教授アドルフ・グリュンバウム(ウルリッヒ・ミューエ)は収容所から総統官邸に呼び寄せられ、ヒトラーに力強いスピーチを指導するよう命じられる。(シネマトゥデイ)

↑の,ドイツ版のポスターの雰囲気からもわかるように,これはれっきとしたコメディである。だから,「この話は真実だ」という映画冒頭に出てくるテロップも,あまり本気にしてはいけないヒトラーの演説を指導した人間がいた,という点だけが史実らしい。
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この作品の変わってるところ・・・というか,面白い点は,こういったヒトラー題材のコメディを撮ったのがユダヤ人の監督(ダニー・レヴィだということ。自虐ネタをも上手く料理するユダヤのジョークの精神がうかがえる作品で,ヒューマンドラマ・・・・というのとはちょっと違うと思う。しかしながらラストの展開などは,ヒューマン的な感動も,隠し味的にピリッと効いていたような。

コメディではあるけど,おバカ映画の雰囲気はなく,知的なブラックユーモアという感じが,いかにもユダヤのジョークっぽかった。
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なんせ,ヒトラーにジャージを着せちゃうんだから・・・・

この作品に描かれているヒトラー像は,独裁者というよりは,弱みや悩みを持った,同情したくなるような人物だ。ユダヤ人がヒトラーを描くとしたら,とことん冷徹なキャラに描きそうなものだが,そして実際に今までのホロコーストものは,そういう観点から描かれていたのだが,レヴィ監督の描くヒトラーは,人間くさく,そしてちょっと情けなくて,親近感すら覚える。

彼をパロディネタにして溜飲を下げたかったのではなく,ラストの演説シーンを観ればわかるように,ヒトラーを「癒しの必要な孤独な人間」だとして描いている。決して必要以上に「よく」描いているわけではないが,「彼がこうなるには,原因があった」ということを言いたかったような気がした。
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そして,収容所から連れてこられ,有無を言わさずヒトラーの演説教師を務めさせされるユダヤ人教授を演じた,ウルリッヒ・ミューエ。私は彼の,知性と物哀しさと優しさが程よくミックスされたキャラクターが大好きだ。(と言いつつ,彼の作品は三つしか観てないが)

教授の立場は複雑だ。
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同胞たちは今でもナチスに苦しめられてる真っ最中だし,自分もいつどんなことで風向きが変わって殺されるかわからない。ヒトラーへの怖れと憎悪。「殺せるものなら殺したい」という使命感。

しかし,個人レッスンを重ねるうちに,教授のヒトラーに対する気持ちは少しずつ変わっていく。とくにヒトラーから,幼少時代のトラウマを聞かされてからは。そういう,微妙な心の揺れを,絶妙な表情の演技で見せるミューエさんは,やっぱり名優だった。(過去形で書かねばならないのが寂しい。)また,優しいお顔からは想像できないくらい,彼の声が朗々として張りがあるのにも驚いた。
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ヒトラー以外のナチスの描き方は,もうこれは風刺たっぷりで笑えるシーンが満載だ。なんとなくお笑い芸人の雰囲気があるゲッペルズとか,妙なギブスを嵌めて腕を固定してるヒムラーとか。

一番可笑しいのは,習慣化されて,まったく心のこもってない「お座なり」ハイル・ヒトラー・リレーのシーン。声を出して笑っちゃうくらい可笑しかった。
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映画のラストの演説シーン。
ミューエさん演じる教授の顔に浮かぶ,
莞爾とした微笑み。


「善き人~」の時のラストも,彼の輝くような微笑みで幕を閉じたことを思い出しながら,エンドロールのコミカルな曲を聴きつつ,ホロリとしてしまった。
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「史実と違う!」という点が全く気にならない方には,ぜひ観ていただきたい異色のナチス映画。クスクス笑えて,最後に思いがけずホロリとさせられる・・・・・。何よりも,これをユダヤ人の監督が撮った,という点に,ユダヤ民族の持つ「精神的な余裕」やいい意味での「したたかさ」を感じる。

もっとも,これはあくまでも,大部分がフィクションであることは肝に銘じる必要があるかも。実際のヒトラーがこんなキャラだったと価値観を変える必要は・・・きっとないだろう。

 

2009年3月20日 (金)

ワルキューレ

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・・・・それは女神の名を冠したミッション。

・・・・実話好き,歴史もの好きの私としては,もうそれだけで鑑賞意欲は最高潮に達する。首謀者のひとりで,のちに「ヒトラーに対する抵抗運動の英雄」と讃えられたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を,トム・クルーズが演じると聞けば,封切り日にいそいそと劇場へかけつけた。

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↑シュタウフェンベルク大佐

ワルキューレ作戦って,暗殺計画そのものを指すのではなく,ヒトラーの危機管理オペレーションのことだったのね。クーデター発生時に備えて,ヒトラーが作らせておいたもので,シュタフェンベルグ大佐たちは,ヒトラー暗殺後にそれをうまく利用して,政府転覆を図ろうとしたんだって。ヒトラーを殺しても,それだけではナチを潰すことはできないと考えた彼らは,暗殺を親衛隊のクーデターに見せかけてワルキューレ作戦を始動させ,国家予備軍を動かしてベルリンを制圧し,親衛隊やヒトラー勢力を一掃しようという大胆不敵な計画を立てたのね。

いやまず,ヒトラー政権に楯突くナチの将校たちが存在した,というだけで感動した!ドイツじゃみんな知ってることなんだろうけど,哀しいかな,私は勉強不足で全く知らなかった・・・
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ドイツの軍人なら,みんなヒトラーに忠誠を誓っていたと思っていただけに,彼らの中にも,ヒトラー政権打倒のために命を懸けた人々が存在したということを知っただけでも,この映画は私にとって一見の価値があった。

有名な史実だけに,さまざまな憶測や思い入れも多いこの事件を,監督は奇をてらうことなく,できるだけ事実に忠実に描いていて,トムもいつものオーラを抑えめにして手堅く演じていたような印象を受けて好感が持てた。

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考えてみれば,シュタウフェンベルグ大佐たちのレジスタンス運動は,1944年7月。その当時,すでに衰退の兆しを見せていたヒトラー政権。(事実,そのわずか9ヶ月後の1945年4月30日には,連合軍との戦いに敗れたヒトラーは自殺している。)

つまり,彼らのレジスタンス運動がなくても,ヒトラーは滅ぶ運命にはあったわけで,彼らの中にはそれを予見していたものもいたかもしれない。しかし,「打倒ヒトラーを,連合軍まかせにせずに,自分たちの手で反旗を翻したい」,と強く願った彼らの心意気や祖国愛には感動を覚えた。

「ヒトラーだけがドイツ人ではない」ということを世に知らしめたい・・・・計画の画策に関わっていたトレスコウ少将(ケネス・ブラナー)の言葉である。

レジスタンス運動の陣営の顔ぶれは,名優ぞろいだった。
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シュタウフェンベルグ大佐が仲間に入る以前から,何度もヒトラーの暗殺計画を実行しようとしてきたトレスコウ少将を演じたケネス・ブラナーの他にも,ベルリンの国内予備軍副司令官で,ワルキューレ作戦発動の責任を負ったオルブリヒト将軍にビル・ナイ。早くからヒトラーと対立して辞任していた元陸軍参謀総長のルートヴィヒ・ベック役にテレンス・スタンプ

そして,そのほかにも,シュタウフェンベルグらの計画に感づいていながら,自分の利益になる方につこうと日和見を決めこんでいたフロム将軍役にトム・ウィルキンソン。ワルキューレ作戦が発動された地点ではレジスタンス側に操られていたけれど,途中でヒトラーの生存の知らせを受け,一転してレジスタンス鎮圧側にまわったレーマー少佐にトーマス・クレッチマン。

・・・・そして,シュタウフェンベルグの妻ニーナ役には,ブラック・ブックでヒロインを演じたカリス・ファン・ハウテン
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特に,トーマス・クレッチマンの少佐の身ごなしはカッコよかった!ナチの軍服って,着るだけでそれらしく見せてしまえる並々ならぬパワーがあるけど,それでも軍服が一番颯爽と似合っていたのは,やはりドイツ人であるこのひと。「戦場のピアニスト」での気品あふれる軍服姿を懐かしく思いだした。

それにしても,この作戦が失敗した理由って・・・・
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だったなぁ。

暗殺が失敗したのは,運が悪かったとしか言いようのない面もあるけど。会議の時間が早まったために2個仕掛ける筈の爆弾が1個しかできなかったこととか,殺傷力の強い窓無しの部屋ではなく,窓の開いた部屋に会議場所が変更になったこととか,爆弾入りの鞄の位置を動かされたこととか・・・・爆発にも関わらず,軽傷ですんだヒトラーの悪運の強さ!まさに「悪魔の加護を受けている」としか思えない。
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そして,暗殺失敗後,ワルキューレ発動から鎮圧されるまでのレジスタンス側の動きは・・・はっきりいって足並みがそろわなくてグダグダだった。ヒトラーの死亡をはっきりと確かめずに「成功した!」と伝え続けた(そう信じてたのだから仕様がないが)シュタウフェンベルグ大佐。その他にも,肝心な時に優柔不断になる者あり,その反対にしびれを切らして見切り発進する者あり・・・・。情報戦での敗北も決定的な打撃につながった。

結局彼らは一網打尽に逮捕され,シュタウフェンベルグとオルブリヒト将軍を含む4名は即決裁判で銃殺される。(そのほかのメンバーも自決したり,後日処刑された。)銃殺シーンでのオルブリヒト将軍の気弱な一面に涙を誘われたり,「ドイツ万歳!」と叫んで死んでいったシュタウフェンベルグの姿に胸が熱くなったり・・・・。そうそう,彼の副官のヘフテン中尉(ジェイミー・パーカー)がシュタウフェンベルグに発せられた銃弾の前に身を挺して,彼を庇うようにして死んでいったシーンが切なかった・・・・。
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シュタウフェンベルグ大佐・・・・この,ドイツの良心であり,英雄である人物をハリウッドが映画化することに関しては,(特にトムが彼を演じることに関して)本国のドイツや大佐の遺族の間ではいろいろ物議をかもしたそうだ。確かに,ドイツの方がこれを観ると苦言を呈したくなる点もあるかもしれない。登場人物みんな英語でしゃべってるし。

でも,ドイツ人でない私は,今まで知らなかった史実を教えてもらえてとてもありがたかったし,登場人物それぞれの葛藤や緊張感が手に取るように伝わってきたこの作品は,とても見ごたえのあるものだったと思う。
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・・・・ただし,鑑賞前に史実や人物をちょっと下調べして行った方が楽しめるかもしれない。ドイツの名前ってやたら長くって混乱する。

2008年12月29日 (月)

ワールド・オブ・ライズ

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いやー,まいった。いかにも密度の濃い,見事な作品だ。
リドリー・スコットらしい,ずっしりとした重い手ごたえを感じる作品。対テロという使い古されたテーマだけど,実際に現地で繰り広げられる緊迫感あふれる情報戦が息詰まるほどにスリリング。

フィクションだけど絵空事ではない」とプロローグで語られているように,実際に今現在もこういうことが行われているのか。・・・・戦慄
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主要登場人物は3人の男。
現地で実際に命を張って潜入するエージェント,フェリス。安全な本国から携帯一本で指令を飛ばす,彼の上司ホフマン。そして,現地で絶大な力を持つヨルダン情報局の「王」ハニ・サラーム。テロ防止という目的は同じでも,三人の考え方や価値観は全く違う。

アラブの言葉を自在にあやつり,現地の人々の暮らしにも溶け込んでいるフェリスは,実際に身の危険を犯しながら最前線で行動する男だ。信念だけでなく,人を愛する優しい心も持ち合わせている熱い男を,髪を黒く染め,顎髭をたくわえたレオが,幾度も満身創痍になりながら最高にカッコよく演じている。

一方,ラッセル・クロウが演じるホフマンは,アラブ世界を蔑視する考えといい,自らの手を汚さずに命令だけするところといい,まるでアメリカの傲慢を象徴するようなキャラだ。
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彼は自分は安全な場所にいながら,子供の世話やスーパーでの買い物の最中に,携帯から冷酷な指令を事もなげに飛ばす。目的のために捨て駒となる,現地アラブ人の命などなんとも思わない。メタボ気味の体型も含めて,とってもイヤな感じの狸オヤジなのだが,「ラッセルだし,そのうち何かいいところを見せてくれるんだろうな~?」と期待してたにもかかわらず,・・・・ラストまでイヤな狸オヤジのままだった。

「俺だけを信用しろ」と大きなことを言ったわりには,フェリス救出に関しては,みごと敵に「煙に巻かれて」しまうし。CIAの誇る上空からのハイテク監視システムも,あの時は何の役にも立たなかった。・・・・しかしこういう嫌味なキャラをさらりと演じてしまうラッセルって,やっぱり凄い。(しかしファンとしては,体型はもとに戻してほしい。)
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そして,最後のひとり,ヨルダン情報局のハニ。
彼が取る情報収集の方法は,CIAとは正反対の,アラブ流の仁義に訴えるやり方。目的のためにはやはり冷徹な面もあり,「嘘は嫌いだ」とフェリスを牽制しておきながら,自分は一番大きな嘘を仕掛けてくる。しかし,鑑賞後に思い返してみれば,このハニが一番カッコよく思えた。

原題の「BODY OF LIES 」は,「嘘の塊」くらいの意味だという。キャッチコピーの「どちらの嘘が世界を救うか」というのは,ちょっと違うような気もする。

「世界を救う嘘」という言葉は,カタルシスを予感させるが,この作品からそんなものは感じられなかった。むしろ,「終わりのないイタチごっこ」を見せられ,「手段を選ばないところはCIAもテロリストと同じ」という,虚しい疲労感が残る。確かに狙ったテログループはラストに逮捕されたけれど,フェリスが受けたダメージは,以後の任務を放棄させるほど大きかった。

テロ対策は,今後も解決を見ない問題だと思うし,実際に,こんな壮絶な情報戦が繰り広げられているのだろう。ラッセルが体現して見せた「傲慢なアメリカ」が心に残る。

2008年12月 6日 (土)

私は貝になりたい

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フランキー堺さん主演のオリジナルドラマは,中学生のとき,ハイライトシーンをテレビでちらりと見た記憶がある。(たしか懐かしの名作ドラマとかいう特集で)そのときに感じた,やりきれないほどの重さ,暗さ,そして哀しさは鮮明に覚えていて,フランキーさんの「生まれ変わったら私は貝になりたい」という声は,今でも脳裏に焼きついている。だから,リメイク版も,ぜひとも劇場で見たいと思っていた。

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2時間半の長尺な物語にもかかわらず,すっかり物語に引き込まれて,長さはあまり感じなかった。中居くんも仲間さんも,ともに素晴らしい演技で,その健気な夫婦愛や,ひたむきに生きようとする姿には,何度も泣かされた。

しかし,こうしてリメイク版を今見返してみても,怒りや哀しみをどこへ持っていけばよいのかわからないくらい,残酷で理不尽な物語である。
戦争によってひき起こされる悲劇を描いた物語は,文学,映画を問わずたくさん接してきたが,これはそのなかでも,やや異色ともいえる,「戦犯の悲劇」にスポットを当てた物語だ。
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主人公の豊松の不運さには言葉もない。
貧しくて,足も不自由で,それでも愛妻の房江と子供と,ささやかな人生を懸命に生きていた彼が,なぜこんな目に合わなくてはいけないのか?彼が法廷で断罪されたのは,捕虜の処刑。軍のトップから順送りに降りてきた命令。最終的には,部隊でもっとも「愚図」だと上官からにらまれていた,豊松と滝田の二人が実行命令を受ける。

法廷で,「捕虜を殺した」ことの責任や,そのときの気持ちをしつこく問いただされても,豊松は「上官の命令には絶対服従だから」「われわれ兵士は牛や馬と同じ」と訴えるしかない。しかし,そのような,「個」を全く抹殺した日本の軍国主義が,アメリカ側にわかってもらえるはずもなく,直接手を下したということで,豊松は直属の上官よりも重い極刑を言い渡される。
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妻,房江の必死の署名集めも,冷たく拒否する人もたくさんいて,やりきれない思いになった。豊松のような,不当に過酷な刑を科せられた戦犯者のことを,当時,同じ日本人なのに知らない人の方が多い・・・というのもまた,激しく疑問を感じたことの一つ。

・・・敗戦後の混乱の中では,戦争が個々に残した爪痕はあまりに大きく,また生きていくのに精いっぱいで,他人のことなど構っていられなかったためか?それともやはり国民も「戦犯」という言葉を聞くだけで,当時の人々は拒絶反応を起こしてしまったのか?

それでも,200名の署名が集まり,もしかして希望が・・・・と誰しも(観客も)思っていた矢先に,いきなりの処刑執行命令。「助かる」と確信していただけに,一転して奈落の底につきおとされた豊松の茫然自失ぶりはものすごかった。ここ,中居くんの演技の正念場・・・・というか,うつろなまなざしと憔悴した様子は,鬼気迫るものがあって,鳥肌がたった。

事前にオリジナルの筋書きを知っている人は,この物語のキモである「私は貝になりたい」というセリフが,ハッピーエンドでは決して出てこない言葉だと承知して観ているから,ラストの衝撃も心の準備はできている。しかし,何の予備知識もなく観た人にとっては,もしかしたら到底受け入れがたいほど,ラストはむごい結末だ。
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心に焼きついて離れない豊松の遺書
こんなにも深く考えさせられる哀しい遺書を,私は他に知らない。「もう人間には生まれ変わりたくない」とまで豊松に言わしめた深い絶望と悲嘆。

気安く慰めの言葉などかけられない・・・・ただ一緒に泣く
しかない・・・。そう感じるほど重い,重い,救いようのない絶望が,豊松の一句一句から,ひしひしと伝わってくる。

オリジナルのフランキー堺さんのあの声も心に沁みたが,中居くんのやさしい囁くような声もまた,涙なしには聞けなかった。
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途中で草彅くんが出てきたのは(友情出演?)嬉しいおまけ。けっこう印象に残る美味しい役だったのでは?同じ戦犯でありながらも,悟りと静謐の境地に達している青年役の彼がつぶやく,「いやな時代に生きて,いやなことをしたものです・・・」というセリフもまた,心に残った。

そして,軍のトップで,「全責任は私にある」と毅然と言いきった矢野中将を演じた,石坂浩二さんの風格はさすが!だった。・・・・・名作のリメイク,ということでいろいろ危惧はあったけど,とても感動できる,そして考えさせられるよい作品なので,ぜひ一人でも多くの方に観てほしい。(←関係者ではありません( ̄▽ ̄)

2008年6月 5日 (木)

ONCE ダブリンの街角で

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音楽が好きなので(声楽とピアノを少しやります)劇場で鑑賞する予定だったのだけど,直前に観た「ラスト、コーション」に圧倒されて,この作品は鑑賞予定を撤回して帰宅し,DVDになってからやっと観た。

いや,観たというよりは「聴いた」という作品ですね,コレは。

主人公はダブリンの街で,家業を手伝いながらプロのミュージシャンを夢見る,ひとりの男性。おんぼろギターを街角でかき鳴らし,自作の曲を歌う日々。・・・そしてそこへ現れたのが,花売りなどで生計をたてているチェコ移民の女性。彼女はピアノの才能があり,彼の曲を一緒に演奏することになる・・・・。

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これは,音楽を通して互いに惹かれあった,ひと組の男女の物語。そして非常にシンプルで,かつ,もどかしい恋物語。二人には「音楽」という固い絆が暗黙のうちにあったはずなのに,男性は夢に向かって歩み始め,女性の方は現実を捨てることができなかった。結局,彼二人の歩む道は,一度は交錯しても,再び離れてゆく。

彼らが惹かれあった理由って,すごくよくわかる。
音楽好き同士」,特に演奏を趣味とするもの同士の間には,言葉では言い表せない共通の言語というか,インスピレーションが存在すると思う。たとえ相手のことをよく知らなくても,とにかく,いっしょに演奏して,心地よいハーモニーが生まれた瞬間,彼らは「瞬時に心が通じ合う」のだ。

大好きなものを共有するときの,一体感や高揚感
のせいかもしれない。それって,お互い顔も知らないのに,共通の趣味で結びついてる私たちブロガーの間の絆にも言えることだけど。

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特に彼らは楽器だけでなく,歌もまたデュエットしていた。
異性とのデュエットって,私も体験があるけど,互いの声を寄り添わせようとするから,いやでも魂が共鳴するし,共鳴しない相手とは,美しいハーモニーは生まれない
恋人や夫婦や親友や兄弟・・・そんなパートナーとのデュエットは最高だし,息がぴったり合えば合うほど,互いの間の一体感は誰も割って入れないものとなる。

このふたりの関係は最後までプラトニックであったけど,互いの気持ちは痛いほど画面から,そして彼らの奏でる音楽から伝わってきた。女性に家庭があったこと・・・。それが一番の壁になっていたが,二人ともあえてそれを乗り越えようとはしなかった。それは彼ら二人の,素朴でシャイな人柄にもよるところは大きいと思う。
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それでも,あれでよかったのだろう。ふたりの関係は。
たとえ一緒の人生を歩まなくても,ふたりの間には,妙なるハーモニーを奏でた曲の数々があったのだから・・・。それは誰にも邪魔されることのない,二人だけの世界だったのだから。そのハーモニーは,これからも互いの心の中に生き続けるだろうから。

さりげなくて,つつましやかで,とってもいとおしい物語。
挿入された曲はすべて,彼らの恋の物語のようにシンプルで,素直で,優しい。超低予算の小品でありながら,多くの映画ファン,音楽ファンに愛された作品だそうだが,私もまた,これは大好きな1本になった。

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