カテゴリー「映画 ら行」の13件の記事

ラスベガスをぶっつぶせ

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ストーリー:
マサチューセッツ工科大学の学生ベン(ジム・スタージェス)はある日、並外れた数学的資質を教授(ケヴィン・スペイシー)に見込まれ、ブラックジャックの必勝法を編み出した天才学生チームに誘われる。チームに参加した彼は仲間たちと日夜トレーニングを重ね、卓越した頭脳とチームワークを駆使してラスベガス攻略に挑む。(シネマトゥディ)

いかにも痛快そうな邦題。「オーシャンズ・シリーズ」っぽいテイストかな~?と期待していたが・・・

これが案外,教訓じみた,若者の成長物語の要素もあったのが意外だった。
ま,あんなやり方がまかり通ったまま終わると,世の中はアタマのいいもん勝ち!というオチになって,ちと後味が悪いかもしれないよね。
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あらすじを詳しくバラすと反則なので,全体から受けた印象を羅列すると・・・。

私は自分が完全な文系で,その反動のように数字オンチなので,ベンみたいな数字の天才が,まぶしくて仕方がない。(何せ,私の一番苦手な教科は,数学と物理と化学だったから・・・)

だから,歩く計算機のようなベンの頭の中がどうなってるのか,のぞいてみたい気がする・・・。アタマの中をきっといつも数式が飛び交ってるんだろうな・・・それも整然と。

最初はどちらかというと,地味でモッサリしたガリ勉生にしか見えなかったベンが,ラスベガスで成功をおさめ,自信と富を手にしていくうちに,どんどんあか抜けて,モデルのようにかっこよく変貌していくのを見るのは,確かに痛快だった。
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しかしなぁ,彼らが自分の武器である「数学の才能」を駆使して,あのような不正(違法ではないらしいが,不正には変わりはない)をしたのは,若者特有の向こう見ずな腕試し&肝試しとして,「大目に見てあげようかな?」と思わなくもなかったけど,彼らをある意味食い物にしていた「やくざの元締め」みたいな教授はいただけない。

ベンたちが何の良心の呵責もなく,かせいだ大金を湯水のように使って放蕩三昧を繰り広げるシーンは,さすがにか~るくムカツいたりしたのだけど・・・

そうこうするうちに,くだんの教授は「いただけない」どころか,人間的に判断してとんでもない悪党だってことがわかり・・・
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いや~~,ケビン・スペイシー(結構好き),こんなヤなやつの役なのか?と途中でびっくりした。画面に乗り込んで一発殴りたくなるような,ほんとにいやなヤローだよ。

でも,ベンたちにとって順風満帆だった物語が一気に暗転し始めたとき,心の中で「ほ~~ら,言わんこっちゃない。バチが当たったぁ~~」と叫んだ観客は,きっと私だけではあるまい・・・・。

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数学の天才って,こんなこともできるんだぁ・・・と,目からウロコの作品でもあり,同時にやっぱり真面目に地道にまっとうに生きていくのが何より・・・と妙に納得できた作品でもあった。最後まで先の読めないストーリー展開は面白かったなぁ。

主演のベン・スタージェス君は,最初はそういいと思わなかったけど,中盤あたりからどんどん洗練されて,なかなかよかった。「可愛いかっこいい」タイプですね。濃いまつ毛にふちどられた黒い瞳がキュートだ。トムクルをかわいくした感じかな~~?要チェック!heart04

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ロンリーハート

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1940年代のアメリカで,実際にあった連続殺人「ロンリーハート事件」の映画化。
・・・・・私の好きな題材であるし,俳優さんもいいので,DVDリリースを楽しみにしていた作品だ。

あらすじ 1951年3月8日。ニューヨークのシンシン刑務所で、アメリカを震撼(しんかん)させた凶悪な殺人犯、レイモンド・フェルナンデス(ジャレッド・レト)とその恋人マーサ・ベック(サルマ・ハエック)の死刑が執行されようとしていた。しかし、彼らを逮捕した張本人であるエルマー・C・ロビンソン刑事(ジョン・トラヴォルタ)は、浮かない顔で執行を見つめていた。・・・・・(シネマトゥデイ)

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このような凶悪犯罪を,カップルでやり続けるというのは,珍しいような気がする。
レイとマーサ。彼ら二人が出会わなければ,このようなおぞましい犯罪は,スタートしてなかったかもしれない。

寂しい戦争未亡人をひっかけて,財産を奪う,結婚詐欺師のレイ。
おそらく根っからの小悪党なんだろうけど,マーサと組むまでは,彼は殺人者ではなかった。騙した女性を惨殺するようになったのは,マーサがレイと女性の関係を激しく嫉妬したからだ。

・・・・このあたりの心理は,常人には理解できないし,もちろんしたくもない。

最初の殺人のシーン,行為中の二人に忍び寄って,女性の頭を背後から殺す場面は凄かった。

「愛しているから,殺した」
「人殺しをするほど人を愛したことがある?」

逮捕されたマーサがロビンソン刑事に言うが,それはちょっと違うんじゃないかなぁ。
愛ではなくて,狂気じみたエゴイズムにすぎないのではないか?

この二人はどちらもどうしようもない人間だけど,レイよりマーサのほうが,より邪悪で激しくてクレイジーなものを持っていたように感じる。きっと,そうならざるを得ない生育暦があるのかもしれないが・・・・。

サルマ・ハエックは情熱的な役が多い女優さんだけど,こんな筋金入りの悪女を演じる彼女は初めて。もちろん,すごくハマってました。
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そして,レイを演じたジャレッド・レト。
『アレキサンダー』で,コリンの恋人役を演じたときの優しい感じが記憶にあったので,殺人犯の役など似合わないというイメージを持っていたのだが・・・・・ところがどうして,彼はソフトでお洒落な雰囲気の詐欺師と,冷酷な殺人者の二つの顔を持つレイを,うまく演じていた。

それにしても,up の画像のように,美しい前髪を持っている彼が,この役のためにわざわざ前髪をゴッソリ引っこ抜かれて(痛そう!)サザエさんの波平みたいな禿げ頭にしたそうだ!実在のレイがそんな頭だったからだが・・・・・。
凄い!役のためにそこまでやるか?監督さんも,はじめから毛の薄い俳優さんを起用してあげればよかったのにね。(○ュード・ロウとかさ)
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彼らを執念で追い続け,死刑をも見届けるロビンソン刑事。
実は彼は,監督さんのお祖父さんに当たるそうだ。なるほど,この作品にかけた監督さんの思い入れは並々ならぬものがあったに違いない。

・・・・にしても,トラヴォルタってこんなに太ってたっけ・・・・?pig

ロンリーハートという題は,被害にあった女たちが,戦争未亡人やオールドミスなど「寂しい女たち」だったからだが,レイとマーサの深い闇のような孤独をも指しているのだろう。

他人とは分かり合えない,似たもの同士の彼らが出会って,互いのありのままを受け入れ,愛し合った。しかし,それはゆがんだ愛であり,この二人は,社会に害をなす,世にもおぞましい取り合わせであったと思う。

極悪な犯罪者の心理は,理解できないものが多いけれど,この事件の犯人たちの動機は,今まで観たものの中でも,最も共感できなかったかなぁ。・・・・・

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ラスト、コーション/原作の世界

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アン・リー監督作品ラスト、コーションの原作者は,張愛玲(アイリーン・チャン)という上海生まれの女流作家である。この映画の日本公開がきっかけで,「色・戒」(ラスト、コーション)を含んだ彼女の短編集が,初めて日本で翻訳されたそうだ。(集英社文庫。定価495円)

そう,あの重厚で濃密な「ラスト、コーション」の原作は,文庫本にしてわずか50ページほどの短編なのだ。
映画化されるにあたっては,原作にはない,多くの付け加えられたストーリーや,人物像への深い書き込みがあったようである。

原作も映画も,ともにイー家で婦人たちが優雅にマージャンに興じているシーンから始まる。女流作家だけあって,女性の容姿や,衣装の描写はさすがにきめ細やかだ。たとえば,チアチーについては,「・・・薄化粧のなかで,入念に彫刻されたような薄い唇には,そこだけルージュがきらきらと光って,赤いしずくがしたたり落ちてくるようになまめかしい・・・」とある。
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その後,映画はクライマックスの宝石店のシーンに至るまでの間,チアチーの回想シーンなどに多くの時間を割き,彼女が愛国劇に出演していた学生時代から,イーの愛人となって命がけのスパイ活動をするようになるまでの道のりや、彼女を取り巻く人間模様を丁寧に描いている。

しかし,原作のほうは,この後すぐに宝石店の「逃げて!」(原作では『早く行って!』だが)のシーンになり,その場面にのみスポットを当てていた。(もちろんそこに至るまでの過去のいきさつも,ところどころ,必要最小限に,散りばめられてはいるけれど,)

原作の登場人物と,映画の登場人物は,少し雰囲気が違っている。
チアチーはそんなに大差がないように思えたが,イーは,『ネズミを思い起こさせる顔』の小男となっていて,老獪で油断のならない男,という印象が強い。この映画のトニーは,それまでのイメージとは別人のように「嫌な奴」という雰囲気を漂わせていたが,なるほど,あれは原作にかなり忠実だったわけである。
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一番原作と違うのは,活動のリーダー,ユイミンの描き方
彼のキャラクターや,物語への絡み方は原作ではとても記述が少ない。
ほとんど名前だけの登場人物に近いのだ。
映画では,彼とチアチーの間にはプラトニックな恋心が互いに存在していた設定になっていて,愛する女性に危険な任務を負わせるユイミンの鬱屈した感情や,チアチーの揺れる思いなども感じ取れる演出がされていて,物語に切ない奥行きを与えていた。

そして,一番気になった,チアチーを処刑したイーの気持ちは・・・・。
これも,原作と映画では,少し色合いが違うように思えた。

私は映画を観て,このときのイーの複雑でつらい気持ちをいろいろと想像して,切なさに胸を締め付けられたものだが,原作のイーからは,「ふてぶてしさ」や「安堵感」のようなものも感じられて,「えー?」と思ってしまった。

だって,映画のトニーの演技からは,そんな雰囲気は微塵も感じられなかったから。
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「計画は,実に綿密,周到だった。ただ,美人が急遽,計画を変え,この俺を逃がしてくれた。彼女はやはり俺を心底,愛していたんだ。・・・(中略)・・・・
彼女は死ぬ前に,きっと俺を憎んだに違いない。だが,『毒なき者,男にあらず』だ。このような男でなければ,彼女だって愛してくれなかったはずだ。
・・・・(中略)・・・・彼女の影が永遠に俺の傍にいてくれて,慰めてくれるだろう。彼女は俺を恨んだに違いない。俺に対する感情が最後にいかに強烈にどのようになっても,それはどうでもいい。ただ感情があったことは間違いないのだ。
二人は原始的な猟師と獲物の関係,虎と虎の手先の関係,究極の専有関係に他ならなかったのだ。
彼女が生きていれば俺のもので,死ねばその亡霊も俺のものだ。(原作より引用)


どうです?この強烈な独白。
このような愛し方で満足する,イーという男。

これを,もし台詞でそのまま語られたら,映画の印象はまた違っていただろう。

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リー監督は,確かに二人の間の『猟師と獲物のような,究極の専有関係』を,あの過激な性愛描写で,しっかりと表現してみせたのかもしれない。
しかし,ラストの悲劇に対する,ふたりの感情の解釈や脚色は,リー監督独特の,切ない味付けが,ふんだんになされていたように思う。

監督や俳優の力量で,映画は,原作を素晴らしく底上げし,何重にも深みを増したものに仕上げているように感じた。

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ラスト、コーション

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第64回ヴェネチア国際映画祭で,金獅子賞を受賞したアン・リー監督作品。
1942年の,日本占領下の上海を舞台に描かれる,抗日運動に身を投じる女スパイ、ワン・チアチー(タン・ウェイ)と、特務機関のリーダー,イー(トニー・レオン)との禁断のラブ・サスペンス。

女スパイが暗殺目的で仕掛ける恋という,緊迫したストーリーなのに,ラストに近づくにつれ次第に涙腺が緩み,鑑賞後は胸をかきむしられるような重い切なさが押し寄せてきた。私はBBM(ブロークバック・マウンテン)を劇場で観ていないが,もし観ていたら,これとよく似た余韻を感じたかも知れないと思う。
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歴史背景を詳しく知らないのだが,トニーが演じたイーは,当時の日本占領下の上海で,抗日分子を捕らえては殺害していた冷酷非道な男。実年齢(45歳)より若々しくみえるトニーは,この作品では老けメイクをしたらしい。

・・・・この作品のトニーは,それまでの出演作の彼と違って,不気味で冷ややかで,得体の知れない恐ろしい雰囲気を纏っている。仕事柄,いつ命を狙われるかわからない彼のまなざしは,人の心を見透かすように,暗くて抜け目が無い。

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一方,チアチーを演じたタン・ウェイは,ファム・ファタールというイメージの麗人ではなく,羽二重モチにお雛様の目鼻をくっつけたような,どちらかというと愛くるしい顔立ち。そんな楚々としたところが,スパイに見えなくて,疑り深いイーも騙されたのだろうか。笑顔はあどけない童顔の彼女だが,ここぞというときは,どきりとするくらい妖艶なまなざしをイーに見せる。

この二人の性描写の激しさは,「ポルノでもないのに,なぜそこまで描く必要があるのだろう?」と観る前は疑問に思っていた。文字通り,目のやり場に困って,しかたなく二人の表情ばかり見ていた私だが,「イーはなんて痛ましく,苦しそうな表情をするのだろう」と感じた。
そこには「恍惚」とか「快感」とか「陶酔」とかいうものは少しも感じられない

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重い使命を帯びて,死と隣りあわせの殺伐とした人生を送っている孤独な男は,このような愛し方をするのだろうか。まるで心の中に溜め込んだ負のパワーを,激情とともに相手にすべてぶちまけ,破壊したがっているみたいだ。

・・・・そして,それに応える彼女もまた,愛の場面の一瞬一瞬が,命を削るような真剣勝負だったろう。ほんの少しでも疑われたら,自分の命はない。この二人の愛し合うシーンは,とても過激ではあるのだけど,エロティックというよりは,まるで命がけの闘いのような緊迫したものを感じる。

リー監督だから,この作品もまた,台詞で気持ちを説明することは,勿論ない。俳優の仕草や表情から,観客はその心境を,まるで行間を読むように推し量らねばならない。

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チアチーの歌に,涙するイーの表情。
時折ふっと,彼女にだけ見せる,柔らかなまなざし。
そして愛の証のあの指輪。


・・・・・彼は確かに彼女を信じ,心から愛するようになっていたのだろう。
しかしチアチーは?彼女は目的遂行のために,憎い敵に近づいているわけだから,はじめは彼に対して憎しみや恐れしか抱いてなかったはず。
しかし,いざ決行というその大事なときになって,彼女は・・・・。(すいません,ここからネタバレします。そうしないと感想が書けないので)

イーに「逃げて」と告げて彼の命を救うことは,すなわち自分の死と仲間への裏切りに繋がる。彼女にそこまでさせたのは,やはり彼への愛だろう。それも,自分を捨てて省みないほどの強い,深い愛だ。
いったい彼女はなぜ,イーを愛するようになったのか?
そして,いつからイーを愛し始めたのだろう。

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・・・・あの「逃げて!」は,観客にはずいぶん唐突に思えたけれど,もしかしたら彼女自身も予測せず本能的に口をついて出た言葉で,彼女はそのとき初めて彼を愛していることに気づいたのではないか?あの瞬間まで,彼女はちゃんと計画を実行するつもりだったはずだ。

彼女の口から出た「逃げて!」という言葉。
それは,その瞬間まで彼女が心の中に自分でも自覚せずに封印していた,彼への発作的な愛の告白だったのではないか。ちょうど,BBMのイニスが,ジャックとの最初の別れのあと,意味もわからず嘔吐したように,彼女もまた,理性よりも愛の本能に突き動かされたのではないか。

彼女が彼を愛した理由・・・・それは語られていないけれど,彼女が訓練を受けた筋金入りのスパイではなく,とくに愛に関しては初心な娘であったことを考えると,激しすぎる彼との刹那的な行為や,彼女にだけ見せる彼の優しさや愛情に触れるうちに,自分でも気づかないうちに彼を愛するようになったとしても不思議ではない。
・・・・・むしろ愛さないほうが不自然なくらい,身も心も一体感を感じる関係だったのだ,と思う。
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しかし,その愛に気づいたところで,この二人には決して未来はない。彼が死ぬか,彼女が死ぬか・・・・。どちらかが死ぬしか,道のない絶望的な関係だからだ。それも,ただの死ではない。相手から殺される,という死に方である。

・・・・殺される方も,生き残る方もともに地獄。ともに哀れだ。 しかしおそらく,相手の死を命じ,生き残るほうがずっとずっと辛いだろう。
そしてその運命を引き受けたのはイーだった・・・・・。
彼女が処刑されるそのとき,イーはどんな気持ちだったろう。もちろんここでイーに説明的な台詞を言わすような野暮なことは,リー監督はしない。

ただ,ラストシーン,明かりを消したチアチーの部屋で,トニーが見せた表情がすべてを物語っている。あの涙,まるで子供のように無防備に悲しみをさらけ出した顔
普段はうまくあしらっている妻にさえ,取り繕うことができないほどの,深すぎる彼の哀しみ。
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愛する女性に騙されていた・・・・ということよりも,彼にとって耐え難いのは「彼女もまた彼を愛してくれていた」という事実かもしれない。そして仲間を裏切ってまで彼を救おうとした彼女を,自分が処刑せねばならなかったことも・・・・。

この救いのなさ,「一体彼らはどうすればよかったのか?」と繰り返し問うてみても,所詮出ない答え。ひたひたと押し寄せてくる哀しい余韻・・・・・これらはすべてBBMで感じた懐かしい痛みだった。
ああ,やはり,リー監督だなぁ,やってくれましたなぁと当分どっぷりと余韻にひたりそうな予感がする。

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リトル・ダンサー

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イギリス北部の貧しい炭鉱町に住む11歳の少年が,クラシック・バレエに夢中になり、「男がバレエなんて!」という家族の反対や逆境を乗り越えて,ダンサーになりたいという夢を叶える,爽やかなサクセスストーリー。   

ジャンパーグリフィン役で,結構渋く成長したジェイミー・ベルを見て,久しぶりに彼の初々しいデビュー作を観たくなった。で,久々の再見の感想だけど,やっぱりデビュー時の彼は可愛いし,演技の才能も,このころから確かなものを感じるなぁ。
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この手の夢を叶えるサクセスストーリーは,ありがちで,大したひねりもないけれど,この作品の最大の魅力になってるのは,ジェイミーが演じたビリー少年のキャラクター。

ボクシング教室に通う(というか,父親に通わされている)ビリー。
彼は,たまたま同じ場所でやっていた,ウィルキンソン先生のバレエ教室の練習風景に心惹かれて,父には内緒で弟子入りする。
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「男の子なのにバレエが好きな自分」に対する戸惑いや,チュチュを纏った少女たちにひとり混じって練習するバツの悪さは,当然感じただろう。それでも「バレエが好き」という思いに突き動かされている,一途で不器用なビリー少年の,「切なげな しかめっ面」が何ともいじらしくて好きだ。

ロイヤル・バレエ・スクールのオーディションの時とか,合格通知の結果を家族に知らせるときとか,普通なら笑顔になるべき場面でも,感極まったビリー少年の顔は,やっぱり泣き出しそうな,しかめっ面だった。

そして彼のダンスは,華麗なテクニックこそないけれど,内側に秘めた情熱があふれ出てスパークしているような,熱いものを感じさせる。

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愛すべきキャラはビリー少年だけではない。
妻に先立たれた寂しさを押し隠してストに明け暮れ,
子どもの前では肩肘張って生きている,頑固親父のパパ。
「プロのダンサーになるのが夢だった」という痴呆症の始まった祖母。
ぶっきらぼうで乱暴だけど,心の中ではビリーを愛している兄のトニー。
内向的で女装趣味のある,ビリーの親友のマイケル。
こんな田舎町で,細々とダンス教室を開いているウィルキンソン先生。
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彼らはみな,見方によっては、そこはかとなく,人生の「負け組」の雰囲気を漂わせている。しかし世渡りは下手でも,彼らなりに,懸命に生きている姿は微笑ましく,応援したくなる。

死んだ母からビリーに当てた手紙とか,親友マイケルとの友情とか,心暖まるエピソードはたくさんあるけど,やはり一番ぐっと来るのは,一徹なパパのビリーへの思いだ。
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最初は「バレエなんてとんでもない」と,力ずくでやめさせようとしていたパパ。
でも,息子の才能に気づいてからは,己の節を曲げ,
スト破りをしてまで,ビリーの夢を叶えてやりたいと願うようになるパパ。

故郷ダーラムを一歩も出たことがないのに,
オーディションの付き添いのためロンドンに行き,
審査員の前でも内心の気後れを見せまいと,昂然と頭を上げ,胸を張るパパ。
合格通知がくると,飛ぶようにパブに駆けてゆき,全身で喜びを表現するパパ。
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・・・・彼の生き方もまた,息子のビリーと同じように,不器用でまっすぐだ。

そしてやはり一番の感動シーンはラスト
パパがトニーといっしょに,成長したビリーの「白鳥の湖」の初公演を見にゆくところ。昔よりちょっと年をとったパパと,そんなパパを引率する役目のトニー。
客席にはビリーの親友のマイケルの姿もあった。
幕が上がり,目くるめくライトの中を,美しい鳥のように力強く飛翔するビリーの姿と,それを目をうるませ、息を呑んで見つめるパパの顔・・・・。
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パパたちに負けないくらい,ビリーの成長を見守ってきた私たち観客にとっても,
最高のラスト。何度見ても,必ず心があったかくなる,素敵な作品だ。

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ライラの冒険 黄金の羅針盤

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何の因果か,子連れでもないのに 吹替版で観た。ひとえに上映時間の関係。主役のライラちゃんの台詞まわしが,やや好みじゃなかったけど,吹替版って案外お話が,わかりやすくなるもんだね。場内は女の子連れのご夫婦ばかりだった。

さて物語は・・・
“オックスフォード”の寄宿生である12歳のライラ・ベラクア(ダコタ・ブルー・リチャーズ)は、一心同体の守護精霊“ダイモン”という動物といつも行動をともにしていた。そんな不思議な世界で、謎の組織に子どもたちが誘拐される事件が続発、親友を誘拐されたライラは自ら捜索に乗り出す。(シネマトゥデイ)

この物語は三部作らしい。
「黄金の羅針盤」は、全三作から成る物語の最初の部分をなしている。
この第一作の舞台は、われわれの世界と似た世界であるが
多くの点で異なる。
第二作の舞台は、われわれが知っている世界である。
第三作は、各世界間を移動する。
                    
― 原作「黄金の羅針盤」より―
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今作はその第一作目なので全体の序章というか,主要人物の顔見せのような雰囲気だった。

一番魅力を感じたのは、この物語の持つ独特の不思議な世界観だ。ライラの住む世界は我々の住んでいる世界とよく似ているが異なるパラレルワールドで,そこでは人間の魂は肉体の外に住み,動物の精霊ダイモンの形を取っているそうな。

何とユニークな考え方!
じっさい,劇中の登場人物の誰もが,ダイモンである虫やら動物やらを必ず連れているのが妙に楽しい。あるじ同士が険悪なムードになると,ダイモン同士も睨み合ったり取っ組み合ったりして面白いし,かわいい。
自分の生きている世界とよく似たパラレル・ワールドでは,こんなふうに誰もがダイモンと行動を共にしていると想像すると,オトナの私でも,何か わくわくするような・・・・。(え,しませんか?sweat01) 

Img_snowleopard 公式サイトで、自分のダイモンが何か判定してみたら,何と嬉しいことにアスリエル卿(ダニエル・クレイグ)と同じユキヒョウだった。このダイモン判定,そのときの気分で若干結果が異なるので,再度行ってみたら,今度はジャッカルだった・・・・。
ま,どちらも喧嘩は強そうだ。ちなみに私の干支はトラ。これも喧嘩が強そうだ。しかし,肉食動物ばっか・・・だから私は肉が好きなのか?

パラレルワールドの不思議はもちろんこれだけでなく,謎のカルト集団マジステリアムの存在とか,子供をさらう誘拐団ゴブラーとか,オーソリティとか,宇宙の裂け目から降り注ぐダストだとか,「???」と首をかしげたくなるもののオンパレードなのだが,なにぶん今回は前述したとおり顔見世だけに留まり,謎の解明は次回作以降になりそうだ。

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主人公のライラは,お人形のような美少女ではなく,表情によっては,意地悪で強情そうにも見えるなぁ~と思ったが,劇中でよろい熊の王様やコールター夫人を騙したり,けっこうしたたかで気が強く大胆なキャラだった。真実を教えてくれるという羅針盤を読み解く能力を持ち,ひるまずに子供たちを救うために活躍したライラが,次回作ではどんな冒険をするのか,今から楽しみ。

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また,謎めいた悪女コールター夫人を演じたニコール・キッドマンの美しいこと!肌なんてまるでセルロイドのお人形のよう。顔立ちも,(これは実際に人間なのか?CGじゃないのか?)と思うくらい完璧な美しさ。彼女の秘密も,またその悪のパワーがより発揮されるのも,次回なのかしら・・・?

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そしてライラの叔父を演じたダニエル・クレイグ。今回はほんとに人物紹介のために登場,という感じだったけど,物語の鍵を握る最重要人物であることは間違いない。探険家,学者,戦士,というだけあって,知的でダンディでとっても素敵だった。heart04

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魔女族の女王セラフィナを演じたのはエヴァ・グリーン。・・・・この人も綺麗~~。魔女は箒に乗ってやってくるお婆さんのイメージがあったのだけど,この映画の魔女は,暗い天空を音もなく優雅に舞いながら敵に向かって矢を放つ,美しい天女の軍勢のよう。このセラフィナも,次回でも世界をマジステリアムの陰謀から救うためにライラの側に立って活躍するのかしら?しかし,ダニエルと共演すると,どうしても007を思い出す。

鑑賞しおわって,うまく次回作への期待につなげたなぁ,と感心した。大人でも,話の展開や出てくる聞き慣れない言葉に首をかしげながら鑑賞したので,子供はもっとストーリーはわからないかも,と思ったが,子供にとっては,細かいことはわからなくても,ハラハラドキドキできる十分楽しい物語なのかもしれない。・・・・動物たくさん出てくるし。

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鎧(よろい)を着た熊
,という発想もまた楽しかったなぁ。(ぬいぐるみ,ほしい)

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ラブソングができるまで

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何を隠そう,私はかつて ヒュー・グラントの熱烈なファンだったことがある。(過去形)「モーリス」の輝くばかりの美青年だった頃から始まって,「ノッテイング・ヒルの恋人」のあたりまでの期間。(つまり彼の若い頃)エリート英国紳士らしい,上品な雰囲気や、優しげなタレ目に萌えていた。
そんな彼がいつのまにか,ロマンティック・コメディ専門になっちゃってからは,時たまヒット作が出る都度,その存在を思い出す程度になっていたけれど。(ごめん,ヒュー様)コメディアンとしてのヒューも,素敵だとは思っていたけどね。で,ほんとに久々にヒューの作品をじっくり観たのだけど,この「ラブソングができるまで」はなかなか楽しい,素敵な作品だった。

ヒューが演じるのは,80年代に大ヒットしたグループPOPのメンバーだったアレックス。グループが解散して久しい今現在,彼は遊園地や同窓会のイベントに呼ばれるぐらいの、鳴かず飛ばずの状態だったが、ある日カリスマ歌手のコーラから新曲製作の依頼があり・・・・。
その曲の作詞を担当することになったのが、アレックスの家に植木の世話に通ってきたソフィー(ドリュー・バリモア)。作詞は初めての彼女と,落ち目の歌手アレックスが,二人三脚で「愛に戻る道」の曲作りに取りかかる。


もちろん,歌って踊るヒューが,この作品の一番の見所。 ピアノ演奏も披露しているが,歌もダンスもピアノも,ヒューは初挑戦で,この映画のために特訓したらしい。しかし,初心者とは思えないくらい,歌の方は見事である。
Cap044 大体,この方は,もともとの声が綺麗なのだ。響きが甘くて優しくて,バラードなんかに向いている声。「モーリス」の中で,彼がケンブリッジ大学の池をボートに乗って,学友と一緒に賛美歌を口ずさむシーンがあるけど,その時一瞬だけ聞けた歌声が,綺麗なテノールだったので,きっと歌はうまいのだろうと思ってたけど,予想をはるかに上回る上手さだった。
ダンスの方は,さすがのヒュー様も若くないので,「股関節は大丈夫?」といらぬ心配もしてしまったが。

そして,ドリュー・バリモア。・・・・彼女,ちょっと見ない間(私がね)に痩せて綺麗になって,とてもチャーミングだった。ファッションもとても素敵。

ロマコメの帝王ヒューと,天性のコメディアンヌのドリュー
の掛けあいは、間の取り方や表情が絶妙で、息もぴったり。二人ともきっとすごく楽しんで演じたんだろうな,と感じた。

脇を固めるキャラもなかなか魅力的で,コーラ役のヘイリー・ベネットがとてもセクシーで可愛い。歌もダンスも素晴らしいし。彼女の舞台の怪しげな東洋ムードも胡散臭さがかえって面白かった。さすがに,あの巨大な大仏には笑ったけど。それとドリューの豪快な姉さん(クリステン・ジョンストン)も,何げに魅力的なキャラだ。痩身サロンか何かを経営してるのに、全然痩せてなかったし。 (説得力なし)
Haleybennett
お話じたいはそんなに目新しくはないのだけど,二人の間に恋が芽生え,意見の対立から気まずくなる後半,ストーリーはきっちりと程よく盛り上がって,ラストは ほのぼのハッピーエンド。全体として,とても爽やかな後味の佳作に仕上がっていた。
愛に戻る道」の曲も,シンプルだけどとてもいい曲だったな~~。

だけど,この映画の邦題,「ラブソングができるまで」って・・・・。ひねりも何もない,まんまの題ですねー。もっとシャレた題は思いつかなかったのかな?Maurice_2 

←おまけ

 モーリスのヒュー様
 なんて,美しい・・・・。

 この映画,何十回観たことか。

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リトル・チルドレン

Cap123 DVDで鑑賞。不思議な映画だった・・・・。等身大の登場人物たちの,誰もがみんな少しずつ愚かで,好きになれないキャラなのに,何故かそれぞれに感情移入もできてしまう・・・・彼らの過ちや愚かさを高見の見物としてとらえることはできず,「自分も,もしかしたら・・・」と思えてしまう,だけどやっぱり,あんな生き方はしちゃいけないと最後には思える,反面教師のような物語だった。

これって,テーマは人間の愚かさ?

主人公のサラ(ケイト・ウィンスレット)は郊外に住む平凡な主婦。彼女は娘を遊ばせに立ち寄る公園で出会った主夫ブラッドと,不倫の関係になる。日々の生活に,倦怠と漠然とした不満を抱いていた彼女。彼女は,母親であるのに,娘より自分の感情を微妙に優先させる傾向のある,精神的に少し幼い人間として描かれている。
Cap119 不倫相手のブラッドは,司法試験の勉強をするために,家にいて子守なんかさせられてる主夫。妻(ジェニファー・コネリー)は申し分なく美しく,おまけにキャリアウーマン。悪気はまったくないのだが,「今年こそ合格してね!」と事あるごとに夫を励まし,それが夫のプレッシャーになっていることに気がついていない。ブラッドがサラにひかれたのは何故なのか?なかなか受からない司法試験と妻の期待から生じるストレスのなせる技かもしれない。
Cap127 まあ、ブラッドというキャラは,お人好しだけど思慮が足りないというか,サラとの駈け落ちに行く途中でスケボー少年の誘いにあっさり乗って,あんなことになっちゃうような、言わば考え無し人間に見える。

いずれにしても、人間の犯す過ちへの誘惑とは,ほんの些細なことがきっかけになって、その人の心の隙間,というか弱いところに忍び込むものかもしれない。

そして,この作品のサイドストーリーのように織り込まれているのが,小児性愛者で,服役経験のあるロニーを巡る物語だ。舞台は子どもの多い閑静な住宅街。出所してきた彼を,周辺の住人たちは,忌み嫌い,警戒するが,子を持つ親の反応としては当たり前かもしれない。彼がプールに姿を現したとたん,まるでジョーズでも出現したように,子どもたちを避難させる親たちの反応は,さすがに気の毒な気もしたが,私もそこにいたら,きっと皆と同じ反応を示していただろうなぁ。

そんなロニーを執拗に攻撃する元警官ラリーも,自分の過去の失敗(子供を誤射した)の埋め合わせに、ロニー排斥に力を入れてるみたいに見えて、彼の行動もまた痛い。

まるでモンスターのように見られていたロニーだけど、サラの駈け落ちに歯止めをかけるきっかけを作ったのは,何とロニーだった。彼が,母を亡くして嘆き悲しむ姿をみて、サラは自分にとって本当に大切なものが何であるかに気づくことができたのだろうか。ロニーの心の中の母への思慕が,サラに家族の絆の大切さを思い起こさせたのかもしれない。
Cap124 この物語の登場人物を見ていると,完全な悪人も善人もいなくって,人ってみんな、勝手だったり,弱かったり,愚かだったり,もし全能者の目から見たら,みんなそんなに大差ない小さな子供のようなものではないかと思えてくる。

アメリカン・ビューティを思い出させる,人間観察ドラマ。辛辣で、滑稽で、可笑しさと哀しさの入り混じった物語。ラストには救いもあるので,ほのかな爽やかさや,あたたかさも感じることができた。

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ロード・オブ・ドッグタウン

Wall03_1024x768 1975年,アメリカ西海岸,ヴェニスビーチ周辺,通称ドッグタウンで,スケートボードに明け暮れる3人の少年たち,トニー,ステイシー,ジェイ。彼らはその後,70年代のエクストリーム・スポーツの先駆者となる。これは、そんな彼らの青春を綴った自伝的な物語だ。
Wall04_1024x768_4この時代って,そういえば長髪の時代だった。(私は覚えてませんけど,さすがに この時代の事までは。) ジェイたちスケボー狂いの少年たちは,毎日勉強もせずに,サーフィンやスケートボードに夢中。車の迷惑も考えず,風を切って道路を疾走しては,スピードとスリルを満喫し,塀や車を乗り越えて,仲間と荒業を競い合う。

主人公の3人の少年たちは,それぞれが個性的かつ魅力的だ。
奔放でワルだけど,母子家庭ゆえに母親思いのジェイ。(レオ似)
スケートの腕は一番だけど,やや傲慢で出世欲も強いトニー。
そしてまじめで努力家の,優等生タイプのステイシー

Wall05_1024x768_2スケボーのシーンとぴったりマッチしている,アップテンポの音楽は,スピード感と爽快な気分を盛り上げる。よその家の空のプールに忍び込み、垂直跳びを練習するジェイたち。家人に見つかると,我先にと逃げ出す彼らを,「もー,しょうがないわねー,アンタたち!」と思いつつ,華麗なターンやジャンプに見入ってしまう。青春の真っ只中の彼ら。誰の人生にも一度は必ず訪れる、傷つきやすく、同時に恐れを知らない日々に、持てるエネルギーのすべてをスケボーに注ぎ込む彼らが眩しい。Wall06_1024x768_2

そして、彼らがたむろしていたサーフ・ショップのオーナーで,少年たちを集めてスケボー・チーム「Z-BOYS」を結成したのが,スキップ(ヒース・レジャー)。
このスキップとやら,凄腕のサーファーとして,少年たちの憧れの存在だったらしいのだが,何せ,服装も立ち居振る舞いも,なにやらアヤシく,イカレ親父っぽいのである。「なんつー取り合わせ!」と目をむくような派手な色彩の悪趣味な服を着て,(なぜか似合うけど)血中をアルコールが抜けたことがないような感じで,しゃべり方もヘランヘランして,「これは誰?」とわが目を疑った。

Cap055_3 ・・・・またこれまでとは全然,別人のヒースを見つけた感じ。この方,作品ごとに見かけもまったく別人になれるのね。彼の怪演は,異彩を放っていて,その飄々とした、ややクレイジーにも見える生き方は、ある意味,主演の3人より目立っていたように思う。   こんなオヤジ→

スケボーチームを結成して,少年たちを大会に出場させ,世に出るきっかけを作ったのは,このスキップなのだが,トニーを先頭に、少年たちは名声や富につられて,他のボードメーカーたちに引き抜かれて,スキップのもとから次々に去っていく。それを素直に喜べずに,癇癪を起こして暴れたりする,スキップのへタレぶりが,可笑しくも可愛かったりする。(へタレ男演じるの上手い)
Cap093 それでも物語のラスト近く、橋の焼け跡で,「出ていってすまなかった」と謝るジェイに,「いいってことよ」と、不器用に微笑んでみせるスキップ。トレードマークのサングラスを外した瞳に,うっすらと淋しさと優しさをにじませて。やはり演技がうまいなぁ,ヒース。しかし,彼ってこんなに歯並び悪かったっけ?いつもより口元がブサイクなんですけど。それに若干,腹も出ているような。気のせいかしら?
Cap064俺たちは、これから20年間、夏休みが続くんだぜ」と言ったジェイの言葉。しかし、スキップの元を巣立ってから、彼ら三人の進む道と目指す方向は、バラバラになる。
押しも押されぬ名声を得,得意の絶頂で目を殴られて怪我を負うトニー。
思うように売り出してくれないボードメーカーに苛立ち,空しさを噛み締めるジェイ。
そして誠実に道を固めてゆく,理性派のステイシー。

栄光や挫折を経て,互いに生まれる反目やライバル意識
無心に技を競い合ったドッグタウンでの日々が、遥かかなたに思えた頃,かつての仲間シドが脳腫瘍に倒れ,彼を見舞うジェイ。そこに,大会出場をキャンセルしたステイシーが現れ,トニーもまた。
Wall02_1024x768
シドの家のプールで,昔のように三人で滑走するラストシーン。まるで原点に帰ったかのように,生き生きと輝く彼らの顔と,美しいフォームに目頭が熱くなった。

スケボーが好きな人,うら若いイケメンが大勢見たい人,そしてヒース・ファンには,ぜひ お薦めの作品です。

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ロック・ユー!

Cap463 ヒース・レジャーの作品の中では,
ブロークバックマウンテンの次に好きなのが このロック・ユー!
ブロークバック〜よりずっと前に,レンタルで観てからのお気に入り。
物語の舞台は中世。騎士になりたいという夢をもった一人の男が,
身分を詐称して馬上槍試合に出場し,見事試合を勝ち進んで
高貴な姫の愛と 騎士の身分をも勝ち取るという
キュートな立身出世物語。(まあ,半分は御伽話に近い)
Cap455 この物語の見どころは,
 ① 馬上槍試合の 迫力
 ② 中世の物語とロック・ミュージックを掛け合わせた斬新さ
 ③ ヒース・レジャーの魅力
 ④ ボール・ベタニーの名演技

ではないかと,わたくし的には思っている。
で,私が今回一番強調したいのは,もちろんヒース・レジャーの魅力!
ブロークバックにはまって以来,
ヒース=イニスのイメージが私の中で定着してしまっていたけど,
今回またこれを見返してみて,画面に向かって叫んでしまった。
Cap450 やっぱりヒースって 美しい~! (このときはもっと若いし)
それにスタイルと姿勢がいい〜!(イニス=前かがみ)
おまけに,ダンスもうま〜い。(イニス=不器用)
で,やっぱ女性愛せるのねー(イニス=・・・・・)
まあ,姫役の女優さんは,スタイルはともかく 
お顔の方は「なぜにこの方?」とやや不満だったんだけど。
もっと綺麗な方,芸能界にいっぱいいらっしゃるのに・・・。
Cap410         この姫,髪型もアヤシイ・・・。
ダンスのシーンでは,ヒースが群衆の中でも ひときわ背が高くって
踊りも優雅でセクシー ターンする足さばき,すっと伸びた背筋
おおお~洗練されてる!この人って,本当はこんなに華があったんだ
ブロークバックの後に見たから,余計にそう思って,涙がでそう。
(もちろん,不器用で無口なイニスも 大好きだけどね。)
Cap441 さて,お次はポール・ベタニー。彼は文筆家のチョーサーの役で
ヒースたち一行と共に 槍試合選手権の旅に同行し
ヒースの紋章官を務めるのだけど,その口上が何とも素晴らしい
美辞麗句を自在に操り,にわか騎士のためにでっちあげた功績を
大げさな抑揚と身振りで,立て板に水とまくし立てる。
私はこのシーンが好きで,ここだけ何度も巻き戻して観た。
Cap403 ポール・ベタニーのルックスには私は萌えないけれど,演技には萌える
新しい役を演じる度に、全く違った顔を見せてくれるから,この人。
(一番好きなのは,マスター&コマンダーの船医マチュリンの役。)
この作品、お話は別にひねりがあるわけじゃないし,
姫の顔がいまいちとか,「飢えてるんだよ!」という相棒の従者が
その割りにはコロコロに太ってるとか,ヒースの新しい鎧のロゴが
ナイキとそっくりだとか
,いろいろ楽しい突っ込みどころもあるけど
登場人物が敵役のアダマー伯も含めて,みんな魅力的(姫以外は)だし
テンポはいいし,とてもキュートで鑑賞後に心地よい余韻の残る佳作です。

あーそれにしても,ヒース,素敵♪だった。若いしね,この頃(しつこい)
今も もちろん素敵・・・ですよ。Heath_ledger_07






・・・・オマケ

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リプリー

Cap015 言わずと知れたあの名作太陽がいっぱいのハリウッドリメイク版。

グッド・シェパード
を観て、マット・デイモンの作品が観たくなり,これを思い出した。秘密を抱えた,裏のある男を演じさせたら右に出るもののないマット。彼の作品の中でも、私はこれが一番好きかもしれない。アラン・ドロンが演じた,悪の香り漂う美しいトム・リプリーの印象が強烈すぎて,地味顔のマット・デイモンはミスキャストだと言われもした作品である。

しかし,「太陽がいっぱい」のトムと、この「リプリー」のトムとでは,人物像がまるで違うしテーマも違う別物となっているので,比較しないで観る方がいいのかも。Cap005_2 これは,貧しい青年トム・リプリーが,いかにして犯罪者になったかという,哀しく救いのない物語だ。ドロンの演じたトムが,富豪の息子ディッキーを殺したのは,激しい嫉妬や歪んだ野望のためだった。しかしマットの演じたトムは,もっと繊細で,複雑な人物として描かれている。

ディッキーとの出逢い
。これがすべての始まりだった。

Cap006
金持ちの御曹司のディッキーは,まばゆいばかりの美しさと,どんな人をも 一瞬で虜にするほどの,明るく生き生きとした太陽のような魅力を持つ人間だった。

ディッキー役のジュード・ロウは,この作品では ことに美しく,金持ち人間特有の,華麗で,やや傲慢な魅力をふんだんに漂わせている。突然目の前に現れたトムを,まるで旧知の親友のように大切にするディッキー。ディッキーの魅力と,上流社会の華やかな生活に酔うトム。彼は,ディッキーの好意が,金持ち特有の一時の気まぐれであり,飽きると途端に冷めてしまうものだと知りもせずに,有頂天になる。

ディッキーに対して友情を超えた憧れを抱き,彼とともに生きる人生までを夢見るトム。このときの彼は,ディッキーのことを,紛れもなく愛していたのであって,傷つけたいとか,殺したいなどとは,夢にも思っていなかったろう。
Cap027 しかし,アメリカから,傍若無人の友人フレディが現れてからは,トムに飽き始めたディッキーは,次第に彼を疎ましがるようになり・・・・。
君は退屈だ。まるで寄生虫だ。もううんざりなんだよ。

愛を拒絶され,侮辱されて,我を忘れたトムは,思わずディッキーにオールを振り上げる。その後,ディッキーの反撃を過剰防衛するような形で,第一の殺人が起こる。茫然自失状態で,ディッキーの亡骸を抱きしめるトム。
Cap023 この殺人の原因が,憎しみではないところが,オリジナルと大きく異なる。

これは拒絶された愛が引き起こした悲劇に他ならない。

しかし,その後の彼の行動は,紛れもなく犯罪の様相を帯びてくる。ディッキーになりすまし,彼の財産を使って優雅な暮らしを始めるトム。これも,オリジナルと違って,最初から意図していた行動ではなく,ホテルのフロントマンが,彼をディッキーと間違えたことが,きっかけになる。

ここで,彼のその後の犯罪行動を決定づけたのが,タイトルにもなっているリプリーの才能。その才能とはつまり,人真似,サインの偽造,嘘をつくこと。・・・こんな呪われた才能を持ってなければ,その後の犯罪は起こらなかったろう。不幸なことに,彼にはその才能があり,運もまた,彼にことごとく味方した。
トム・リプリー。彼はなぜ,ディッキーになりたいと思ったのだろう。
一度垣間見た,裕福な暮らしの味が,忘れがたかったのか。
もちろんそれもあっただろうけれど。

・・・彼は自分のアイデンティティーを変えたかったのではないか。

トム・リプリーとしての自分を受け入れ,肯定することができなかったのだ。
トムの歩んできた道は,孤独で惨めな,まるで影のような人生。
一方ディッキーのそれは,燦々と輝く光のような人生だ。
トムはどんな代価をはらっても,光になり代わりたいと切望した影だったのか。

Cap039
第二の殺人は,第一の殺人の発覚を防ぐために行い,
こうしてトムは,つぎつぎと嘘と犯罪を重ねてゆく。
もはや後戻りはできないと悟ったときに,思いがけず彼に訪れた愛

彼をトム・リプリーとして愛してくれる,ピーターとの心癒される関係。

過去を消したい。秘密を隠した地下室の鍵を誰かに預けたい・・・。
ピーターの優しさに触れたトムは,いつしか叶うことのない望みを抱く。これまでの二度の殺人は,彼にとって幸運なことに発覚せず,ディッキーの自殺偽装も成功したトムは,今度こそトム・リプリーとしてピーターと生きる決心をしたその矢先に・・・・。

第三の殺人が一番痛ましかった。
まるで運命の裁きのように,彼は再び,自分の犯罪隠匿のために,ピーターを手にかける道を選ぶのだ。決行する前に,ピーターに尋ねるトム。
トム・リプリーのいい所を言ってくれないか?」
トムの様子に戸惑いながらも,ピーターは驚くほど沢山のトムの長所を挙げてゆく。
「トムは才能豊かだ,トムは優しい,トムは美しい。」・・・・。そして彼は言葉を続ける。
「悪夢にうなされるトムが可哀想だ。秘密をうちあけてほしい」と。

何という,哀しい皮肉だろう。
ピーターのように,ありのままのトムを愛してくれた人は今までいなかった。
もし,ディッキーより先に,ピーターと出逢っていたら
トムの人生は,全く別のものになっていたかもしれない。
むせび泣きながらピーターの首を絞めるトムが,あまりにも哀れだった。
Cap045トム・リプリー。何と愚かな,そして何と哀しい人間だろう。
たった一人で船室に座るラストシーンの彼の瞳の暗さ。
その姿は,秘密を封印した地下室の中で 悪魔と二人きりで,
底知れぬ闇を見つめているかのようだった。
Cap048
彼がピアノで奏でていた哀愁ただよう曲は「カインのための子守歌
カインは,旧約聖書の創世記に登場する,人類初の殺人犯である。
彼は,自分の捧げものが,神に受け入れられなかったという理由で,神に受け入れられた弟アベルを,妬みから打ち殺してしまう。そのためにカインはその地を追われ,呪われた放浪の旅を科せられる。トムもまた,その生涯を,呪われた孤独な犯罪者として生きていくのだろうな。

オリジナルの「太陽がいっぱい」は,紛れもなく傑作なのであるが,私はこの「リプリー」の方が好きだ。そしてまた,「ボーン・シリーズ」のマットもよいが,私にとっては,やはり一番心を揺り動かされるのは,このトムを演じたマットである。

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ロング・エンゲージメント(ギャスパーのみに注目編)

Cap067 にわかギャスパー・ウリエルファンの私としては,この作品,
今回はギャスパーのみに注目して感想を書くことに決めたので,
偏っているとは思うけれど,お許しを。

このロング・エンゲージメントは、セバスチャン・ジャプリゾ原作の,どちらかというとサスペンス色の強い戦争小説の映画化。
舞台は第一次世界大戦中のフランス。足の不自由なヒロイン,マチルドが,戦犯として処刑されたという許婚の生存を信じ、愛と執念で事実を調査し,彼の消息を探し続けるという物語である。
ヒロインの少女マチルドオドレイ・トトゥ。
そして彼女の婚約者の青年マネクを演じたのが,我らが(我らって誰だ?)ギャスパー・ウリエル
Cap077_2
マネクは、マチルドとは幼なじみで,足の不自由な彼女をおぶって灯台のてっぺんに登ったりと,まことに素朴でピュアな青年だ。なんか,マネクはほとんど台詞はなくて,いかにも「アメリ」の監督の作らしい,やたらナレーションが多く,おとぎ話のような 不思議な世界観のなかで,ギャスパーはひたすら優しく 誠実に微笑んでいた。

私は,この映画の前に 「かげろう」 記事はこちら を観ていたが,「かげろう」の,感化院から脱走してきた危険な香りのする青年イヴァンと,このいかにも純朴なマネクを同一人物が演じているとは,最後まで気づかなかった。
Cap070_3
見終わって,DVDも返却してだいぶたってから「あれ?あのマネクって,もしかしてイヴァン?」と気がついて,わざわざレンタルショップで,「かげろう」とこの作品のキャスト名を確かめた。
へ〜,やっぱり同じヒトが演じてたんだー。雰囲気ぜんぜん違うじゃん。
目の表情がね,全然別人なの。イヴァンの時の,突き刺すような鋭さが全く無くて,マネクの時には,何とも柔らかい,優しい無垢なまなざしなの。ほほう,この青年,若いのにしっかりした演技力があるなあ・・・と感心し,私のお気に入り名簿に登録させていただいたのが数年前。
そして今年,ハンニバル・ライジング記事はこちらの彼の演技を観て,またまた〜」と唸ることしきり。一作ごとに別人になれるなんて,このヒト,ただものじゃないわ。
Cap082
この作品のマネクは,結構可哀想な役で,過酷な塹壕戦をメインとした
第一次大戦で,目の前の戦友が爆撃で吹き飛ばされるのを体験したショックで,一時的に精神に異常をきたし,兵役免除の目的で,自分で自分の指を撃つ。そしてそれがばれて,同じような試みをした兵士と共に,戦犯として処刑されることになる。

その処刑の方法が残酷で卑怯だ。

つまり,軍は彼らを中間地帯と呼ばれる 敵の攻撃にさらされる場所にわざと置き去りにするのである。 敵に射撃されるか,飢え死するか凍えて死ぬか。どちらにしても彼らは
死の恐怖にさらされる時間が長引けば長引くほど,想像を絶する苦痛を味わうだろう。
その恐怖はマネクから記憶を奪い,マチルドが長い長い旅路の果てにやっと彼を捜し当てた時は,彼は記憶を失っていた。

台詞の少ない彼が最も多くしゃべったのが ラストのマチルドとの再会シーン。
何もかも忘れたマネクにとって,マチルドは初対面のはずなのに,不思議な懐かしさと心地よさを感じたのか,マチルダのふいの出現を訝しがることもなく,マネクは彼女におだやかに微笑みかける。

静寂と陽光に満たされた美しい庭で
マチルドとマネクは,
ここからまた新たなスタートが始まる
のだという,あたたかな予感をも感じさせてくれる素敵なラストだった。そして私もまた,マチルドと同じように,マネクをずっと見つめ続けていたかった・・・。
Cap086
それにしても オドレイの演じたマチルドの愛に対する一途さや頑固さは
相手がこのマネクだったからこそと十分感じさせてくれるほど
ギャスパーの演技は 印象的で,存在感があった。

かげろうのイヴァンの痛々しいほどのワイルドな魅力。
この作品のマネクのガラスのような繊細さ。
そして,ハンニバル・ライジングでのあの激しくも美しい狂気。

その美しい顔の下にいくつもの顔を持っているかのようなギャスパー。

・・・次回作では,果たしてどんな顔を見せてくれるのだろう。
待ち遠しい。