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カテゴリー「映画 や行」の12件の記事

2016年2月19日 (金)

雪の轍

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愛すること,赦すこと
もがきながらも探し続ける魂の雪解け

トルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督による,カッパドキアを舞台にした対話中心の重厚なヒューマンドラマ。退屈かな?と思いながらDVD鑑賞したら,3時間を超える長尺にも関わらず,最後まで見入ってしまった。やはりカンヌでパルムドールを受賞しただけのことはある。

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カッパドキアで洞窟ホテルを営むアイドゥン(ハルク・ビルギネル)は、地元の名士。ホテルの他にも所有している店舗や家の管理は弁護士や使用人に任せ,自らは地元新聞にエッセイを掲載し,いずれは自分の体験を活かした本の執筆を目指している。彼の若く美しい妻ニハル(メリサ・ソゼン)は裕福な夫に養われる無為な生活の中で唯一,夫の資産をあてにした慈善活動を生き甲斐にして暮らしている。そして彼らの家には,離婚して実家に帰ってきている妹のネジラ(デメット・アクバァ)も同居していた。
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平穏に過ぎていくかのように見える日々。
しかし,アイドゥンが貸していた家の家賃を滞納したイスマイル一家との確執をきっかけに,彼ら家族の間には波風が立ち始める。家具を差し押さえられ,アイドゥンに反発するイスマイル(ネジャット・イシレル)と彼の息子。実際にとり立てたり差し押さえたりする行動は人まかせのせいか,彼らには無関心に近い傲慢な感情を持つアイドゥン。そんな彼の行動さらには彼の文才までを批判し始める妹のネジラ。それどころか,妻のニハルもまた,これまでの「籠の鳥状態」の鬱憤を夫にぶつけ始め,夫婦の間には溝が深まっていく。

アイドゥン対ネジラ。そしてアイドゥン対ニハル。ニハル対ネジラ。
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この三人の口論は,誰もが互いに決して譲らず歩み寄らず,「そこまで言うか」と呆れるくらい,相手の弱いところを延々と攻撃し続ける。日本人なら,ここまで相手を言葉だけで追い詰めたりはしないだろうと思われるストレートさと執拗さ。そして,勝ち負けの決まらない口論や対話を通して,登場人物それぞれが抱えている問題や暗部が露わにされていく。・・・・一言でいえば「あなたのそういうところが我慢できない」「お前こそ何様だ」という本音を相手にぶつけ始めたというところだろうか。閉ざされた空間での自我のぶつかり合いが醸し出す緊張感は半端ない。

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相手を攻撃し,弱いところを突く手段は何も言葉だけとは限らない。イスマイル親子のアイドゥン夫婦に対する無言の抗議や拒絶もなかなかなものだ。息子は投石や批判的なまなざしによって。そして父親のイスマイルは,ニハルから施された札束を彼女の眼の前で暖炉に投げ込む(これは強烈)という行為によって。

互いに衝突と非難を繰り返す人々。

富める者と貧しいもの,老いたものと若い者,
財力のある男性と,養われるだけの女性,
そして神を信じるものと信じないもの・・・・


彼らの間に横たわる溝や恨みが消えることはないのだろうか。
この物語には,善人も悪人も存在せず,誰もが持ち合わせている弱さや浅ましさが,置かれた立場によって生じたにすぎないかのように思える。結局人間とは,立場の違う者どうしが完全に理解し合うことができない生き物なのだろうか。相容れない孤独さを抱えて生きるしかないのか。家族であってもかつて愛し合った相手であっても・・・・。

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いやいや,きっと普段はみんな本音の一番きついところは隠して,互いに折り合いをつけながら共存しているはずなのだ。それを可能にするのが,人間の理性だったり常識だったり,相手への思いやりや愛情だったり,微妙な力関係だったりするのではないか。そして人間は複雑な生き物だから,同じ相手に対して愛情も憎しみも同時に抱くこともできる。自分と近い関係であればあるほど,逃れられないゆえに,相手に愛情と憎しみという相反する感情を抱く場合もあるだろう。常日頃言いたいことを我慢している関係ならなおさら。

この物語では,凍てついた冬のカッパドキアを舞台に,図らずもむき出しの本音が露呈された人たちの争いをあえて描いたのかもしれない。観ているこちらは,心がキリキリと痛むけれど,ここまで歯に衣を着せないやり取りを「わかる…一度でいいから言ってみたい、わたしも」と共感してしまう部分もある。チェーホフの短編が基になっているそうなのでそちらも読んでみたいような・・・・。
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人間関係のはっきりとした修復は最後まで描かれないけれど,ラストでほんの少し,雪解けの兆しのような場面が見られることが,救いになっている。アイドゥン夫婦の間には,これから少しでも互いに思いやりや歩み寄りが見られるようになるのだろうか。

人間について,人生について嫌でも考えさせられる哲学的な作品だ。・・・ただただ深い。

2013年9月17日 (火)

「許されざる者」

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1992年のイーストウッド主演の「許されざる者」を,舞台を明治初期の北海道に移し,主役を,かつて「人斬り十兵衛」という名でおそれられた,幕府の残党,釜田十兵衛(渡辺謙)という設定にしてリメイクした作品。公開前から何かと話題を呼んでいたので,連休に劇場に行ってきた。オリジナルも観ていたし,昔から謙さんは好きなもので・・・・。

明治政府が幕開けしたばかりの蝦夷地。開墾を待つ広大な未開の地と苛酷な大自然。その地には,政府軍に追われた幕府の残党や,和人に虐げられるアイヌたちの試練があった。
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政府軍の追っ手から逃げる途中も,大勢の人間をその手にかけてきた十兵衛は,アイヌの女性を妻にして荒野にささやかな所帯を持って以来,「二度と人を殺さない」という,亡き妻との誓いを守ってきた。そんな彼が旧友の馬場金吾(柄本明)に誘われ,二人の子供との生活を守るために,賞金稼ぎに身を投じる。

狙う相手は,彼からすれば何の縁も恨みもない二人の男。彼ら(のうちの一人)が,開墾地の女郎宿で,一人の女郎に腹を立て,その顔を切り刻んだにもかかわらず,警察が彼らを「馬6頭差し出す」だけの罰しかを下さなかったのを怒った女郎たちが,自腹で彼らの首に賞金を懸けたのだった。
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もう二度と人を斬らないと誓った十兵衛だが,二人の子供に冬を越させるだけの報酬を得るために,「ついてきてくれるだけでいいから」という金吾の頼みを受けるのだが・・・。

オリジナルに描かれていた,過去に罪を背負ったわけあり主人公と,その周囲の虐げられた立場の人々,法の側にあるはずの者たちによって行われる非道な行い,そして背景となる荒野・・・・などの諸要素が,この邦画リメイクでは,19世紀末の北海道の苛酷な自然や,日本ならではの、アイヌや幕末の落ち武者の悲哀に置き換えられて描かれている。そして主人公の十兵衛は,オリジナルのウィリアム・マニー同様,単なる勧善懲悪のヒーローとしては描かれていない。
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彼に殺される人々は,生かしておくと世界を滅ぼしてしまうほどのレベルの極悪な存在には描かれていない。賞金を懸けられた二人の男(兄弟)は,小心者で,女郎を傷つけた兄の方は歪んだ性格の持ち主にも思えるが,巻き添えを喰った弟はむしろ善人であり,殺されたのは災難としかいいようがない。

また,最終的に十兵衛に仇と見なされる警察署長の大石一蔵(佐藤浩市)は,確かに目的のためには卑劣な手段を選ばない冷酷で残虐でいやらしいキャラクターだが,その行動の目的は,私腹を肥やすためではなく,あくまでも法の代理人としての自分の勤めの遂行であることに変わりはない。
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一度は罪から足を洗ったはずの十兵衛だが,彼らを殺すことで再び罪に手を染める。それは,自分の子供たちを守るために,また,友の無念を晴らすために彼が「やむを得ず」行った選択だった。

ラストの殺戮シーンは,それまでずっと「大人しかった」十兵衛が,堪えに堪えた末にその力を解き放ったようにも思えて,ある意味「待ってました!」という爽快感も感じたのだが,やはり法の番人たちを殺した罪ゆえに追われる身となった彼は,最愛の子供たちを五郎たちに託し,「許されざる者」として,姿を消す。その背中にアウトローの悲哀が漂っているところは,オリジナルと同じだった・・・・。
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罪を背負って生きる人生・・・しかし,法を犯すのが罪なのは間違いないとはいえ,そこまで追い込まれる人々のそれぞれの事情を考える時,また,法の側にいながらも,人を痛めつけ虐げることが許される者たちが確かに存在することも考える時・・・・罪とは一体なんなのだろう?どんな場合も決して許されないものなのだろうか?と思ってしまう。もちろん無法地帯があっては困るし,その時代時代で基準となる価値観や法律は必要なものだけど,愚かしく弱い人間たちの,陥りがちな悲劇や過ちを思うとき,一律に裁くことや報復することの難しさを痛感する・・・。
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それにしても,謙さん 見事でした!
苦渋の選択だった「賞金稼ぎの旅」のときは一貫して暗く沈痛な表情で,どんなに痛めつけられても無抵抗だった十兵衛が,「大石を殺る」と決意して女郎屋に乗り込むときの,それまでの彼とはまるで別人のような,凄味を帯びた精悍な表情・・・・あまりのカッコよさに,そしてその鬼気迫る気迫に,場内には一気に水を打ったような緊張感が張り詰めましたよ~~。それまで長いことこのシーンを待たされたから余計に。

2011年11月12日 (土)

ヤコブへの手紙

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第82回アカデミー賞外国語映画部門フィンランド代表作品。その他,各国でたくさんの賞を受賞し,小品ながら多くの人の心に静かな感動を与えた作品。DVDで鑑賞。

・・・・ほんとに静謐な作品だ。BGMは,まるで雨垂れのようにひそやかなピアノ曲のみ。そして主要登場人物は3人だけ。引退した盲目の牧師ヤコブと,恩赦によって12年ぶりに社会復帰した元終身刑囚のレイラ。そしてヤコブ牧師に手紙を届ける郵便配達の男。
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ヤコブ牧師の手紙の代読と代筆を頼まれて牧師館に住み込んだレイラ。服役していた12年間,誰とも交流を断っていた彼女は,恩赦を喜ぶ様子もなく,他にいくあてもないので仕方なく・・・という雰囲気だ。彼女が終身刑に服することになった罪とはいったい何なのか?盲目の牧師にはじめは戸惑いを感じながらも,彼女はやはり牧師館でも全く心を許さず,無愛想でふてぶてしくさえ見える態度を取り続ける。
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レイラの仕事は,ヤコブ牧師宛に毎日届く「牧師への相談の」手紙を読み上げ,牧師が返事に語る聖句や祈りの言葉を牧師に代わって書くことだった。「悩みのある人は祈りを必要としている」と穏やかにレイラに語るヤコブ牧師と,それを「くだらない・・・」と言わんばかりの表情であしらうレイラ。

レイラのような孤独な人こそが,ヤコブの祈りや神の救済を必要としているはずなのに,この無関心さ,傲慢さは何だろう・・・と思いつつ,いやいや彼女のように深すぎる傷と荒んだ心を抱えた人間は,ヤコブ牧師のように純粋すぎる善人には,かえって反発しか感じないのかもしれない,とも思った。

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レイラから見れば,ヤコブの行為は,ただの気休め,自己満足,のように最初は映っていたのだろう。祈ることが何の問題解決になるのか?辛酸をなめてきた彼女には,そう思えても仕方がなかったかもしれない。

聖書の言葉をすべてそらんじていて,常連の差出人の悩みをいつも心に留めているヤコブ牧師。DV夫に悩む婦人の生活と逃亡を助けるために,自分の全財産をその婦人に与えたヤコブは,単に「祈るだけ」の人ではなく,「愛の行い」をもすることができる人だった。返してもらうことを微塵も期待せずに全財産を「必要としているのは私ではなく彼女だったから」と与えることができるヤコブの行動にレイラは内心ひどく驚く。
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ある日,配達人とレイラとの間に諍いが生じたことをきっかけにか,突然ヤコブ牧師への手紙が全く届かなくなる・・・・。本当に途絶えたのか,それとも配達人の陰謀か,それはさだかには語られないのだが,とにかく手紙が来ないことで,ヤコブはすっかり意気消沈してしまい,そんな彼をレイラは冷ややかな目で見てしまう。

人々のために祈ることが使命と思っていたのに。神はもう私を必要としていないのだ。」とうなだれる牧師に,「だったら祈らなければいい。自分のために祈っていただけでしょ。」と言い放ったレイラは,一度牧師のもとを去ろうとするが,どこへ行くあてもない自分の現実を思い知らされ呆然とする。
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そしてまた,ヤコブ牧師も悟る・・・・手紙を受け取り祈ることは,今まで人々のためだと思ってきたけれど,神が自分のために与えてくださっていたのだ,いうことを。返事を書き祈る行為によって,ヤコブ自身が,慰めや生き甲斐を感じ,これまで生かされていたことを。

神は確かにヤコブのような人間を通して,救いや慰めのわざを行われる。そしてその恵みや癒しは,対象者だけでなく,用いられる人間にも与えられるものなのだ。
手紙が届かなくなり,自分の存在価値を無くしたように落ち込んでいたヤコブは,そのことに思い至ったときに神の前にへりくだり,それまでの神の恵みを感謝したのだろう。
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そんなヤコブを見るうちに,レイラの頑なな心も,いつしかヤコブ牧師に近付いてゆき・・・・彼女が手紙の代読を装って,ヤコブに自分の身の上と犯した罪を語るあのクライマックスシーン・・・・,「私の罪は許されますか?」と涙とともに問うレイラに対して,ヤコブにあらかじめ備えられていた「答え」。それがわかったとき,何とも言えない感動が静かに,しかし圧倒的に迫ってきた。

人にはできないが,神にはできる。
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レイラが重荷を下ろすことと,ヤコブがその生涯の終わりに彼女を助けて,彼自身も大きな喜びを得ること・・・・すべては神の恩寵と計画のもとにあり,彼ら二人は互いに慰めを与え合うようにと,あらかじめ神に導かれていたのだと思えてならなかった。

フィンランドの役者さんにはもちろん面識はないけれど,レイラ役の女優さんもヤコブ役の男優さんも何とも味のある繊細な名演技だった。また,一見地味なように見える映像も,室内の静物や自然の映像がすごく美しく,芸術的にも感じた。
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私のようなクリスチャンにはもちろんどストライクの感動の作品。しかし,クリスチャンでなくてもしみじみと優しい気持ちになれる作品だと思う。

2011年10月30日 (日)

八日目の蟬

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優しかったお母さんは
私を誘拐した人でした。

先に原作を読んでいた…やりきれないほどに重く哀しく,それなのに心を惹き付けられてやまない物語。母性を持っている私たち女性にとってこの作品は,やはり心深く訴えられるものがあるのかもしれない。

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不実な愛人の秋山との子供を堕胎したことが原因で,不妊となってしまったヒロインの野々宮希和子。同時期に夫の子を身籠っていた秋山の妻から,「子供を堕ろしたあんたなんか,空っぽのがらんどう」と侮辱された彼女は,秋山夫婦の赤ちゃんを一目見たさに留守宅に忍び込み,衝動的に赤ん坊を誘拐してしまう。希和子は子供に「薫」と名付け,自分の子供として育てながら4年間の逃避行を続けるのだけれど・・・・。

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愛人に捨てられ,その妻に罵倒され,不妊の哀しみを抱えて罪を犯した希和子・・・実の両親の「敵」とも言える人間を母と慕って4歳まで育てられたのちに唐突に両親のもとに返された恵理菜(薫)・・・・そしてこの世で一番憎い女に幼少期を育てられた我が子との関係構築に苦しむ秋山の妻…

それぞれの「抱えた」というか「与え合った」とも言える心の傷は,どれも癒されようもないくらい複雑で深い。特に希和子と成長した恵理菜の心情は,原作に詳しく綴られていて,どうしようもなくやるせない思いになる。

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逃亡劇のさなか,希和子が味わい続けた不安と願い・・・それは「一日でも多くこの子の母として生きられますように」というものだった。誘拐という彼女の犯した犯罪は,もちろん弁護の余地のないものであるのに,エンジェルホームや小豆島で「薫」の母として懸命に生きる彼女や,屈託なく彼女を慕う「薫」の姿を見ると,ついつい「このまま逃げ切って・・・」という気持ちが起こってくる。

別れを覚悟して島の写真館で親子の写真を撮るシーンや,フェリーでの希和子と薫の別れのシーンは,永作博美さんの名演のせいでもあるけれど,泣けて泣けて・・・・。
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誘拐犯の元から返ってきた我が子を迎える父母と,それまで母と思っていた人や慣れ親しんだ世界から突然引き離された子供が,新しく築く家庭の難しさ・・・・

特に誘拐犯が夫の愛人だったなんて,実の母親からすれば,どんなにか苦しかっただろうし,なかなか自分になつこうとしない我が子や「諸悪の元凶の」夫に,ヒステリックな怒りをぶつけたくもなるだろう。

家族の誰もがお互いにわだかまりを抱き,心から打ち解けることも甘えることもできなかったに違いない。元通りになるにはあまりにも深い痛手を希和子はこの家庭に与えたわけだけど,元はと言えばやはり愛人を作った夫が一番悪いのかもしれない。
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そんな家庭で少女期から育った恵理菜(井上真央)は,実の母の苦しみやいらだちに自分が責められているかのような思いを抱き,希和子への過去の慕情を,憎しみや無関心に変換して封印することで,自分を保つようになったのだろうか。

誰にも心を開かず誰にも真意を言わず・・・,そんな恵理菜が自分も妻子のある男性との子供を産もうと決心し「母」になるために過去とちゃんと向き合おうとするところから,少しずつ「再生」への光が差してくる・・・・。
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同じくエンジェルホームで育ったためにトラウマを抱えている千草(小池栄子=彼女の演技も素晴らしい!)と一緒に向かうホーム跡や小豆島。蘇る幼少期の思い出と,母と慕っていた希和子の顔や仕草の数々。原作には書かれてない島の写真館でのエピソードが感動的だった。封印していた心を解き放ち,両親や希和子への思いを素直に口に出せた恵理菜の姿に,かすかな救いや癒しの光を感じることができた。

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八日目の蟬…印象的なタイトルである。

仲間と一緒に七日目に死ぬことが叶わず,生き残ってしまった孤独な蟬。つまり,何らかの理由で,世間から逸脱してしまった哀しみを持つ存在。それでも,「八日目の蟬は,確かに哀しいけれど,他の蝉が見れなかったものが見れる,そしてそれは,そんなに悪いものではないかもしれない」という言葉に,トラウマや孤独の中でも,しっかりと生きていこうとする女性の強さのようなものを見たような気がした。哀しみや弱さを抱えつつも,やはり「生む」性ゆえのしなやかな強さなのだろうか。

2008年10月21日 (火)

容疑者Xの献身

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TVドラマの「探偵ガリレオ」シリーズは未見だ。
しかし,原作である東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」は,話題作だったので一読している。(詳しいところは忘れてしまっていたが,愛する女性のために完全犯罪を実行した天才数学者の物語・・・ということは記憶していた。) 原作では,小太りでまったく冴えない男・・・という数学者「石神」を,ハンサムな堤さんが演じると聞いて俄然興味が湧いてきて・・・。

あらすじ: 惨殺死体が発見され、新人女性刑事・内海(柴咲コウ)は先輩と事件の捜査に乗り出す。捜査を進めていくうちに、被害者の元妻の隣人である石神(堤真一)が、ガリレオこと物理学者・湯川(福山雅治)の大学時代の友人であることが判明。内海から事件の相談を受けた湯川は、石神が事件の裏にいるのではないかと推理するが……。(シネマトゥデイ)
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いや~何てったって,堤さんの変貌ぶりに驚いた。
原作を読めば読むほど,「もう,堤さんじゃ,ルックスの点だけでミスキャストでしょう!」と懸念していたのだが。・・・・だって石神がこの犯罪を犯したのは,隣人のシングルマザー,花岡靖子(松雪康子)への崇高と言えるほどの片思いのゆえなのだ。そして,そんな一途な秘めた愛を抱く根暗な数学者は,断じてハンサムであってはならないからだ。・・・・全身から「モテないオーラ」がぷんぷんと匂ってくるような人物でなければいけないはず・・・。

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しかし,この作品の石神を演じた堤さん・・・・見事にご自分のイケメン・オーラを消すことに成功されていた!その立派な体格なんかはどう変えようもないのだけど,背中の丸め方,洋服のちょっとだらしない着方,とぼとぼとした歩き方・・・そして何より,その自信のなさそうな,無気力そうな表情と,聞いてる方が思わずイラつく,辛気くさいしゃべり方・・・な,なんて地味なんだ!
そして,どうしたんですかぁ~,その目?と聞きたくなるくらい,なぜか始終腫れぼったい瞼(泣きはらした後みたいに・・・・)いやはや,クライマーズ・ハイの,あの精悍な堤さんとはまるで別人で。

佇んでいるだけでファッションモデルのように麗しい福山さんと並ぶと,まさにその「冴えない」「不器用な」「孤独な」「変人の」キャラが際立っていた。いや~,この堤さんを見れただけでも,この作品を観てよかったと思った。
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この作品の見どころって,石神の仕掛ける,完全犯罪のなぞ解きだけではない。天才物理学者である湯川と,天才数学者である石神の知恵比べも面白いし,友人を追いつめなければいけない湯川の,内心の苦悩や葛藤など,心理的なドラマも深いものがある。・・・そして何といっても鑑賞後に,心に強烈に訴えかけてくるのは,それほどまで犠牲を払った石神の「靖子に対する思いの深さだろう・・・。

なぜ石神は,靖子のためにそこまですることができたのか?
彼女とその娘は,孤独で潤いのない石神の人生に
いったい何をもたらしてくれたのか?


ラスト近くの彼の号泣シーンは圧巻だ。


顔をくしゃくしゃにゆがめて,声を振り絞って慟哭する堤さん
を,ぜひしっかりと観てほしい。数学しかこの世に持っていなかった孤独な男が,生まれて初めて抱いた「愛する対象」を,どんなにいとおしく思い,生きがいにしてきたか。靖子たち母娘の幸福こそが,彼の生きる目的だったということが,堤さんの狂おしい泣き顔から切々と伝わってくる。

TVシリーズはもっと軽妙なテイストらしいが,この映画版は原作の持つ雰囲気に忠実に,真摯な人間ドラマに仕上がっていたようだ。TVシリーズを観たことがない私は比べることができないけど。

2008年10月13日 (月)

欲望の翼

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香港を舞台に繰り広げられる,若者たちの切ない群像劇
ウォン・カーウァイ監督の花様年華」「2046」へと続く,60年代3部作への序章となる作品。

もう今では決して実現しないだろう超豪華な出演陣。
主人公のヨディにレスリー・チャン
彼に翻弄される二人の女性にマギー・チャンカリーナ・ラウ
彼女たちに恋する青年にアンディ・ラウと,ジャッキー・チュン
ラストシーンだけに登場するギャンブラーにトニー・レオン
まあ,よくもこれだけ揃ったもんだ。
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青春群像劇,と言っても,この作品のDVDのジャケットのデザインのように,皆で一堂に会して,ワイワイガヤガヤとストーリーが進行するわけではない。5人の青年達の物語は,それぞれが1対1で進行し,誰もが叶わぬ思いを相手に対して抱いている。

核となるのはレスリーが演じたヨディの物語。
その頽廃的で妖しい魅力と気障な台詞で,女性の心を虜にするヨディ。しかし彼は,養子という生い立ちゆえか,傷つきやすい心を内に秘め,相手と真剣な愛情関係を結ぶことができない。彼を愛した女性たち・・・サッカースタジアムで働く堅実なスー(マギー・チャン)と,奔放な踊り子のミミ(カリーナ・ラウ)は,少し関係が深まると彼から捨てられる羽目になる。
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ヨディは女性の立場から見れば,ほんとに薄情でとんでもない色男なんだけど,レスリーが演じるこのヨディの魅力ときたら・・・・!
けだるく横柄な雰囲気とは裏腹に,哀しみや寂しさを滲ませたまなざし。そして,女心をわしづかみにする殺し文句の数々・・・・。彼の魅力,というか魔力に逆らえる女性なんていないのではないか?

ランニングにトランクス姿で,チャチャチャを踊る彼の,まあ色っぽいこと。レスリーの踊りは,ブエノスアイレスのしなやかなタンゴや,さらばわが愛の華麗な京劇でも見惚れてしまったが,この「トランクスでチャチャチャ」も,とってもキュートだった。

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ヨディを愛するスーとミミ。
彼女たちは捨てられても,なかなかヨディを思いきることができない。しかし,ヨディは,誰に愛を返すこともなく,自分を捨てた生母を探し求めている。・・・・そしてスーに恋心を抱く警官のタイド(アンディ・ラウ)と,ミミに焦がれているサブ(ジャッキー・チュン)。彼らの一方通行の想いもまた,相手に届くことはない。

劇中の誰もが,誰かに恋い焦がれていながら,その愛はみんな片思いで,報われることがない,というのがじれったく,切ない。生母を捜し当てたヨディもまた,彼女に会ってもらえない。傷ついた心を隠して,振り返ることなく歩いてゆくヨディの背中に漂う怒りと哀しみがやるせない。
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スーに恋する警官タイドを演じたアンディ・ラウ。
ヨディとは正反対のようなストイックなキャラで,夜の街を警らする彼は,傷心のスーに控えめに優しく手を差し伸べる。「話したくなったら,この時間に公衆電話に電話して」とスーに言うタイド。・・・・しかしスーが彼に電話をしたとき,タイドは警官をやめて船乗りになっていた。・・・ここでもまたすれ違い,ああ・・・。

制服姿のアンディは,帽子の影になって顔の下半分しか見えないことが多かった。彼の唇の形が完璧だってこと,改めて気づいた。(口角の上がり具合kissmarkを見よ!)そしてその声が意外に甘くてきれいなことも。
船乗りになった彼は,フィリピンで偶然ヨディを助ける羽目になり,行きがかり上,彼の死をも見届ける。ヨディに振り回されながらも,さりげなく彼の生き方をいさめるようなことも言い,それでも最後まで彼を見捨てずに傍にとどまるのである。(涙が出るほどいい人だ・・・このタイド)

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しかし・・・愛し,愛されることって,
なんて難しいんだろう・・・・。
どうして,愛しても甲斐のない相手に,
惹かれてしまうんだろう・・・。

ひとは,結びつくよりも,
すれ違い,傷つけあうことの方が多いのだろうか。

生母に捨てられた,というトラウマから,愛に臆病になっていたヨディが好んで話す,のない鳥の話。その生涯を通して飛び続け,疲れたら風の中で眠り,地上に降りるのは死ぬときだけ」という鳥の話は,ヨディ自身の,安らぎのない人生を象徴しているようで哀しい。彼が汽車の中で撃たれて息を引き取るときの,「鳥は最初から死んでいたんだ・・・」という言葉は,何を表わしていたのだろう。

それまで,おそらく大勢の人を傷つけて生きてきただろうヨディ。それでも憎み切ることができない,不思議な哀れさと魅力を持つヨディ。彼がたったひとりで逝くことなく,その臨終の場に,誠実なタイドがいてくれたことが,せめてもの救いのように,私には思えた。
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そして,なぜか最後のシーンに
唐突に登場するトニー・レオン。

身を屈めないと頭が天井につきそうな部屋のなかで,宵闇の中,出勤前の身支度をする彼。何の台詞も説明もないのだが,彼のさりげない仕草の全てが,なんだかやけに格好いい。 最後に,窓の外にポイと無造作に煙草を投げ捨てて部屋の灯りを消す仕草までが,惚れぼれするくらい,キマっていた。
これは続編へつなぐつもりだったのか・・・意味深なシーンである。たったこれだけの登場で,意味不明であるにも関わらず,仕上げに極上のひと筆が加筆されたような感じを与えるのは,さすがトニー・レオンのオーラのなせるわざだろうか。

全編を通して,香港の,そしてフィリピンの,むせかえるような湿度を感じる映画だ。登場人物の汗や吐息や,土砂降りの雨や,黒々と濡れた夜の舗道・・・・。ラテン・ミュージックの哀切な調べ・・・・。

そしてそれぞれに孤独を抱えた若者たちの危うさ・・・・。彼らの誰もが魅力的で,いとおしく思えてならなかった。

評判通りの傑作・・・たまらなく心に焼きつく作品である。

2008年10月 1日 (水)

山の郵便配達

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藍宇リィウ・イエの,映画初出演の作品ということで鑑賞。
1999年に中国金鶏賞を取った,地味だけど静かな感動の余韻がいつまでも後を引く作品だ。 原題は,「あの山 あの人 あの犬」だそうだが,確かに深く険しい山峡の風景と,そこに生きる素朴な郵便配達の父子,そして彼らの愛犬の,三者が主役の物語だった。

舞台は,80年初頭の中国・湖南省西部の山間地帯。

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引退する父の仕事を受け継ぐ息子の,初仕事につきそう父。一度の配達に,なんと二泊三日を要する過酷な道中,ずっと留守がちだった父に,それまでよそよそしい思いを抱いていた息子は,次第に父の寡黙で真実味あふれる生き方や,仕事への思い,家族への思いを感じ取るようになる・・・・。

この映画って,キャストの役名がない。「父」「息子」「母」・・・という具合だ。犬だけは「次男坊」という名前をもらってるけど。ストーリーもシンプルそのもので,彼ら父子の,二泊三日の郵便配達の様子を,淡々と映し出す・・ただそれだけだ。
・・・・それだけなのに,なぜ,こんなにも,
何でもないシーンまでが
しみじみと心に響くのだろうか。

父役のトン・ルゥジョンは,
素朴でいかにも普通の枯れた父親,という感じ。
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息子と初めて二人きりの旅に出た
彼の様々な思い。


知らぬ間にたくましく成長した息子の姿に感慨を深め,かつて自分が肩車した息子に,今度は自分が背負われて川を渡る時,その背でこっそりと涙を流す父。・・・そして,生涯かけて自分が全うしてきた仕事を,心残すことなく,確かに息子に伝えたい,という思い。
折にふれて息子に注がれる,父のまなざしの静かな優しさ。
家族に対しても,仕事に対しても,深い愛情を抱いてきたことが感じられる。

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そして息子役のリィウ・イエこれがデビュー作だという彼は,このときはまだ,中央演劇学院の学生だったそうで。

彼の演じた「息子」は,藍宇(ランユー)とはまったく別人の,いかにも純朴な,土臭さと瑞々しさが共存してるような青年なのだけれど,はにかんだような笑顔の可愛らしさは,やはりこのひとの最大のチャームポイント。黙っていると憂い顔ともいえる彼が,ぱっと屈託なく笑う時,その顔に陽がさしたかのような明るさが広がる。

それに藍宇のときは,相方の胡軍(フー・ジュン)さんも背が高かったからそんなに気付かなかったけど,この作品で小柄な「父親」と並ぶと,その背の高さが際立つ。(東洋人ばなれした足の長さだ・・・いや中国の男性は足が長いのか???)

親には孝を尽くす・・・というお国柄のせいか,それとも,もともと優しい気立てのせいなのか,父に親しみは抱いてなくても,従順に従い,時折気遣いも見せる息子。しかし父の愛を確信したことがなかった彼は,これまで一度も「父さん」と呼んだことはなかった。

その彼が,自分が誕生した時のエピソードを父から聞かされ(このエピソードがまた心に沁みる)ごく自然に「父さん・・・」と呼ぶようになる。

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そして,ある意味,主役級の存在感のある犬の「次男坊」

もう,この犬がめちゃくちゃ・・・いい!
なんとも健気で,お利口で・・・(この役を演じた犬も演技派だ)
一人っ子政策のせいだろうか,犬に「次男坊」と名付けるのも,飼い主の家族のお茶目さと,犬への深い愛情が感じられる。

父の仕事の完璧な相棒として,郵便配達には欠かせぬ存在になっていた次男坊。息子が一人で初仕事に出かけようとした朝,次男坊は息子についてゆこうとしなかった。まだ,彼を一人前の郵便配達と認めてなかったのだ。それで父が仕方なく息子と一緒に行くことになったのだけど。

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しかし,父子の「引き継ぎ」の旅をしっかり見届けた次男坊は,次回からは一人で仕事に行く息子についてゆく。
このときの犬の演技(?)が素晴らしい。
今度こそ見送りにまわった父親に向かって,一度は名残惜しげに駆け戻ってくる次男坊。しかし父に背を押され,意を決したかのように,遠ざかる息子を追って一目散に走ってゆく。・・・・これからは息子の道中を助けるために。

父の思いを受け止めて,しっかりした足取りで出発する息子。
そのお伴をする次男坊と,その後ろ姿をいつまでも見送る父。
父の気持ち,息子の気持ち,犬の気持ち・・・・
そのどれに思いをはせても,切ないような優しいような,
なんとも言えない思いがこみあげてきたラストだった。

2008年9月13日 (土)

ゆれる

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あの橋を渡るまでは 兄弟でした・・・・。

鑑賞中,何度も鳥肌がたった。
香川照之と,オダギリジョーの,息詰まるような演技バトル。作品中に描かれる,人間の心の中に秘められた深い謎と闇。・・・・間違いなく,これまで観た中でも最高と思える邦画のひとつ。

兄弟間に存在するライバル意識や嫉妬心は,やっかいなものだ。特に同性の二人兄弟の間のそれは。

私は女二人きりの姉妹で,おまけに年子だったので,「兄弟姉妹は,ライバル」というのは,よくわかる。きょうだいって,小さい頃は,お揃いの服を着せられたりして,親からも公平に扱われるのに慣れている。しかし成長するにつれて,それぞれ進む道によって,きょうだいでも人生の明暗が分かれることもある。

・・・・きょうだいの場合,相手に自分よりはるかに優位に立たれることは,赤の他人にそうされるより,悔しさが大きい場合もあるかもしれない。だって,「同等のはず」という思い込みが心のどこかにあるからだ,きょうだいの場合は。

田舎に住んでて,両親の世話や家の後継ぎを一手に引き受けるのは,今の時代は「貧乏くじ」という場合もあるだろう。男兄弟なら長男の役目。女姉妹の場合,私の周囲(立派な田舎です)では,上の娘から順に嫁いでしまって,残された末娘が田舎に残って両親の世話をする場合も多い。

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この物語の主人公である兄弟,稔と猛・・・・・。

田舎で家業のガソリンスタンドを継ぎ,父親と二人暮らしをしている,朴訥で優しい兄。東京でカメラマンとして活躍している,奔放で気ままな弟。

吊り橋での転落事故の犯人として逮捕されてから,それまでひたすら優しく人当たりのよかった兄が,少しずつその本心,というか,それまでのたまりにたまった鬱憤を弟にさらけ出すようになる。それは,ハンサムで女性にもてて,何のしがらみもなく,都会生活を謳歌している弟に対する嫉妬や,損な役回りを演じていることへの積年の恨みのようなものか・・・・。

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面会室での,兄弟のシーン。

彼が弟に対して,「実はどんな思いを抱いていたのか」告白する口調は,時には激しく,時にはぞっとするほど冷たい。もはや習慣となってしまっている作り笑いが突然こわばり,憤怒の形相にと豹変する,香川照之の演技は,見事としかいいようがなく,兄の豹変ぶりと,その本音を知って,激しく動揺するオダギリジョーの繊細な表情の演技からもまた,目が離せない。

いったい,あの吊り橋の上で,
ほんとうは何があったのか?

兄はわざと弟を暗示にかけて,有罪の決め手となる偽証をさせたのか?弟に「助けられる」ことを厭うほど,兄の恨みは深かったのか?それとも暗示をかけることで,弟を試したのだろうか?「弟は他人との関係が希薄で自己中心的な人間で,それゆえに他者との記憶が不確実である」ということを,証明したかったのか?

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最後の法廷で,証言した弟を見つめる兄の何とも言えない冷ややかな目つきを,一体どう解釈すればよいのだろう。

真実は,まさに藪の中。
解釈は,観客に完全に委ねられている感じだ。ラストがハッピーエンドなのかどうかさえ,感じ方は人それぞれだろう。「本音」というハンマーで粉々に叩き壊された兄弟の絆は,今度こそ,ゼロから築き直すことができるのだろうか?


「ゆれて」
いたのは,吊り橋だけではなかった。
登場人物の心,観客の心,
事件の真相,兄弟の絆・・・・


この世には,確実で不動だと言えるものは一つもないと思えるくらい,全てのものが,哀しいくらいにゆれていた。

2008年9月 9日 (火)

やわらかい手

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面白かったし,感動もしたし,元気ももらえる作品。
お勧めです。

どうみても,ごく普通の,冴えない初老の主婦マギー。
ぬいぐるみのような体型と,堪え忍んでいるような,地味で控えめな雰囲気。ハローワークでは,「あなたの年齢での就職は無理!」と,無惨に断言された彼女が,最愛の孫の治療費のために,藁にもすがる思いでくぐった「性風俗」の店。

イギリスのコメディーは「弱者の開き直りによる奮闘物語」を描くのがとってもうまい。その奮闘ぶりは,どれも奇想天外な設定で,ラストは爽快なハッピーエンドに終わる。たとえば「フル・モンティ」とか,「カレンダーガールズ」とか「キンキーブーツ」とか・・・・。

このやわらかい手は,少し暗めの印象を受けるが,それでも主人公のマギーが,思いがけずに飛び込んだ性産業界で思わぬ成功をおさめ,次第に人間としても女性としても,したたかに輝きを増してゆく過程を観るのは,気持ちが晴れ晴れするものだった。

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それにしても,この作品の見どころのひとつには,彼女が売れっ子になった「客を手だけで絶頂に導く」という仕事があると思う。「日本式」だ,とオーナーのミキは自慢していたが,・・・・・・ホントにあれって日本にもあるの?

壁を隔てた客にとっては,若さも容姿も必要なく,一番重要なのは「手」の滑らかさや柔らかさとそのタッチ。そう,マギーは「ゴッドハンド」の持ち主だったのだ。

愛する者のために腹をくくった人間ほど
強いものはない。

しかし彼女は本来,芯に強さを秘めていた女性だと思う。最初こそ,怯えたり躊躇したりしたけれど,開き直るのも順応するのも早かった。誇りとユーモアを失わず,やがては自分の仕事を,隠すことも恥じることもなくなってゆく・・・・。
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マギーが,今まで自分を見下してあれこれと詮索してきた友人たちに,仕事のことを告げて胸を張り,友人たちの反応を面白がるシーンは何とも小気味がいいし,彼女の生きざまにオーナーが次第に惹かれてゆく姿も,味わい深い。それまでマギーに冷たかった嫁が,真実を知って初めて彼女に感謝するシーンもまた心に沁みる・・・・。

設定の特異さと「怖いもの見たさ」にも近い好奇心の赴くままに,ストーリーを追いかけてゆくと,何とも心地よく程よい感動が待っていた・・・・そんな感じの名品だ。女性には特にオススメ。

2008年6月13日 (金)

4分間のピアニスト

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なんとも,洒落た・・・というか意味ありげな,センスのよい邦題だ。加えて,手錠につながれたヒロインの後姿のポスターに,ひどく興味をそそられる。

あらすじ: 80歳になるトラウデ(モニカ・ブライブトロイ)は、60年以上女子刑務所でピアノを教えている。彼女は何年も貯金して新しいピアノを購入するが運送に失敗し、その責任を追及される。早急に彼女のピアノレッスンを受ける生徒を探す必要に迫られたトラウデは、刑務所内でジェニー(ハンナー・ヘルツシュプルング)という逸材と出会う。(シネマトゥデイ)

これは,二人の女性トラウデ・クリューガー先生と女囚ジェニーの,音楽をめぐる,闘いと絆の物語だ。
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たぐいまれなピアノの才能を持ちながら,,殺人の罪で服役中のジェニー。過去に,同性の恋人をナチに処刑された,重い秘密をもつクリューガー先生。閉ざされた塀の中で出会った二人の女性は,どちらも一筋縄ではいかない過去を持ち,他人と妥協も打ち解けもせず,最初から激しく反発しあう。

この二人に共通するものは
音楽に対する情熱のみ。

幼少のときからコンクールに数多く出場した経験のあるジェニー。しかし,彼女は,自分のなかに,激しく躍動する音楽をもっていた。「低俗な音楽はやめて」と,クラシックしか認めないクリューガー先生。

「低俗?でもこれは私の音楽よ。」
二人の心は近づいたと思うと,
すぐまた離れることを繰り返す。


内にためこんだ怒りを,ときに驚くほど激しく爆発させるジェニー。それは他者に対する自暴自棄な暴力となり,そんな彼女に戸惑いや怒りも感じるクリューガー先生。
Cap017
いつも自分の周囲に目に見えないバリヤーをはって,心の中に他人を入り込ませないように生きているようにみえる,クリューガー先生。前かがみの足取りや,深く刻まれた皺や時にその口を衝いて出る,他者への痛烈な皮肉・・・。顔の皺と同じように,彼女の人生に深く刻まれた傷跡とはどんなものだったのか・・・・。

それでも,二人をつなぐ,一見もろそうに見える絆は切れることはない。誰も理解してくれなくても,たとえ塀の中に囚われていても,自分の内に溢れだす「音楽」から逃げることができないジェニーと,そんなジェニーに「あなたの使命は演奏することよ」という確固たる信念で臨む先生との絆。

Cap007
先生の言いつけを守って,練習に励み,クラシックを見事に演奏してコンクールを勝ち抜くジェニー。でも,そんな彼女に刑務所内の女囚や看守からの嫌がらせや妨害は繰り返され・・・

いろんな難関を超えて,ついにジェニーは4分間だけ,オペラ座のコンクールで演奏することを許される。演奏を終えると,再び手錠が彼女を待っている。

そして,いよいよ運命の4分間,
彼女が弾いた曲は・・・・・。


出だしだけは,それまで彼女が練習を積んできたメロディーが美しく流れたが,その後,ジェニーは仰天するような,激しい即興曲を弾き始めたのだ!抑え込まれていた彼女の心,彼女の人生に対する怒りを,根こそぎぶつけるような演奏法で。
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この4分間の演奏は圧巻!だった。
まさにおきて破りの演奏の仕方とパフォーマンス。しかし,その中にたぎる嵐のような情熱が,聴衆の心を強く揺さぶり,演奏終了後は,会場は一瞬の沈黙ののちに,割れるような拍手に包まれる。

ジェニーの眼は,まっさきに恩師クリューガー先生の顔を探していた。「クラシックしか認めない」点では決して譲らなかった師が,今の自分の演奏を聴いて,どういう感想を持ったか,きっと彼女は知りたかったのだと思う。

そしてジェニーの目に映ったのは・・・涙ぐみながら,心からの拍手を送っている先生の姿だった。先生は,きっとこのとき悟ったのだろう。ジェニーの天賦の才は,楽譜通りに巧みに演奏することではなく,「創り出す」才能なのだと
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恩師の目に浮かぶ涙と賞賛の表情を目にして,ジェニーはやっと自分がほんとうに理解してもらえたことを確信したのか・・・彼女もまた,先生に向って,うっすらと満足げな微笑みを浮かべる。

二人の女の心が
まさに本当に繋がったこの瞬間・・・・
ジェニーの手には,かちりと手錠がかけられ,
物語は幕を閉じた。

二人の女性の過去や抱えているトラウマをもっとわかりやすく描いてほしかった気もするが・・・この作品の主演ふたりの女優の火花を散らすような真剣勝負は見ごたえがあり,特に新人のハンナー・ヘルツシュプルングの,追い詰められた手負いの獣のような演技は,素晴らしかった。

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