燃ゆる女の肖像
アマゾンプライムで鑑賞。18世紀のフランスを舞台に、望まぬ結婚を控えた貴族の令嬢と、彼女の肖像画を依頼された女性画家の間に生まれる切なく激しい恋を描いた物語。ストーリーも映像もすべてが洗練されて美しい。
18世紀のフランスは…マリー・アントワネットの時代?この時代に生きた女性たちの地位がどれほど現代とかけ離れて低いものだったか、それは想像に難くない。貴族の家柄に生まれた女性でさえ、結婚は家と家で決められ、拒むことも選ぶこともできない。この物語に登場する貴族の娘エロイーズも、はるか遠いイタリアの貴族に嫁ぐことが決められており、それは結婚を拒んで自殺した姉の代わりに急遽取りまとめられた縁談だった・・・。
姉が死んだら替わりに妹を・・・ってΣ(・□・;)戦国時代かよ!
で、この時代、外国に嫁ぐ場合は、結婚前に本人の肖像画を婚家に送る風習があったとか。写真がまだない時代だったからだよね。先方は花嫁より先に肖像画を目にして初めて妻の顔を知る・・・と。
再び・・・戦国時代かよ~~~~!!
相性も性格も容姿さえわからない相手との縁組なんて、そりゃ逃げたくもなるわな。エロイーズの姉はそれを苦にしてか遺書も残さず自殺をし、替わりを務めるために修道院から呼び戻されたエロイーズは、結婚のための肖像画を描かせることを拒んでいる。そこでエロイーズの母がエロイーズの「散歩友達」という名目で呼び寄せたのがマリアンヌ。彼女は実は女性画家。つまりマリアンヌは表向きはエロイーズと散歩する(自殺しないように見張る役目も)だけだが、その時に彼女を観察してこっそり肖像画を描くというミッションを与えられたのだ。(やるな母)
この時代に女性画家?のような自立した女性がいたのかと最初驚いたけど、このマリアンヌは父が画家で、その流れで自分も絵の道に進んだようだ。結婚する予定も願望もなく、エロイーズからみると「(人生を)選べるだけ幸せ」なのかもしれないが、冒頭、小舟に乗ってエロイーズの屋敷のある島までやってくるシーン、舟が大きく揺れて彼女の商売道具のカンヴァスが海に投げ出され、慌てたマリアンヌが海に飛び込んでカンヴァスを取りに行くのだが、一緒に乗っていた男性群は誰一人手を貸そうともしなかった。今の時代ならこんなにうら若く美しい女性の窮地には男たちはこぞって手を差し伸べそうなものだが、職業婦人に対する蔑視でもあったのだろうか。後日、マリアンヌが自作の絵を展覧会?で発表するときも、彼女は自分の名ではなく父親の名で出展しているが、それも女性名では出展できなかったからなのか・・・。
マリアンヌとエロイーズ。美しい二人の女性たち。初めは階級の違いや出会った状況のせいかぎこちなく堅苦しい雰囲気の二人だったが、マリアンヌの本当の役目をエロイーズが承知してからは、絵のモデルと画家という、いやでも見つめあう関係からか、二人は次第に親密さを増してゆく。エロイーズの母の伯爵夫人がパリに出かけてからは、孤島の閉ざされた館の中で召使のソフィーをも交えた三人の娘はまるで姉妹のように仲良く一緒に過ごす。
この作品、どのシーンもまるで絵画のようだが、特に夜の室内の場面が息をのむほど美しく味わいがある。計算しつくされた光と影。闇は深く、暖炉のほのかな明かりに照らし出される女性たちの顔はレンブラントの絵画を彷彿とさせる。
まるで聖画みたい。
この作品、最初から最後まで見事に男性が出てこない。いや、通りすがり程度の背景レベルで出るには出るけど、主要な人物はすべて女性だ。監督さんも女性だし、女性による女性のための女性たちの愛の物語なのかもしれない。18世紀のフランスの女性たち。抑圧され、地位も低く、時にその運命は過酷だったに違いない。しかし、彼女たちはそれぞれの人生を受け入れてなんと強くたくましく生きていることか。手に職を持って果敢に生きているマリアンヌもだけど、召使のソフィーもすごい。彼女は館で女3人で過ごす1週間の間に子供を堕胎するのだが、マリアンヌたちも慌ても騒ぎもせず協力する。誰の子?とか堕胎は駄目とか一切言わない。・・・・ということは、こういうことはよくあることだったのか、世間一般では。泣き言も言わず逆らいもせず、地に足をつけて生きていて、何より男性に頼ることも期待することもない女性たち。強いというより、そうして生きるしかなかったのかもしれない。
だから、互いの気持ちを確かめ合い、恋人同士になったマリアンヌとエロイーズも、この愛が成就するはずがないことは初めから百も承知。マリアンヌが館を去る時がすなわち永遠の別れになることは二人ともわかっていて、それに抗う手段も気持ちもない。「記念に」とマリアンヌは自分とエロイーズのそれぞれのデッサン画を描き残し、最後の別れの場面では、花嫁衣裳を身に着けたエロイーズが、立ち去るマリアンヌにオルフェウスの物語になぞらえて「振り返って」と懇願する。別れありきの関係なのだ、初めから。現代と違い、やり取りを続けることも不可能な時代、エロイーズは遠くイタリアへと嫁いでいくのだから。
そのまま終わるのかな、と思っていたら、数年後に二度、マリアンヌはエロイーズの近況に触れる機会を得る。ひとつは展覧会で彼女とその娘を描いた肖像画に遭遇したこと。そしてもうひとつはコンサート会場で遠目に。そしてそのどちらのシーンでも、エロイーズが今も変わらずマリアンヌを、彼女だけを愛していることが伝わってくる。もちろんマリアンヌもだけど。
生涯の相手、というのはいるものだな・・・と思った。たとえ結ばれなくても。同性であっても。とても切ないお話だけど、不思議に余韻は清々しい。二人の女性の愛や生き様が見事だったからだろうか。
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