最近のトラックバック

MY FAVORITE BLOG

BBM関連写真集

  • 自分の中の感情に・・・
    ブロークバックマウンテンの名シーンの数々です。

カテゴリー「映画 か行」の56件の記事

2017年3月29日 (水)

この世界の片隅に

10001165
ブロガーさんたちの多くから、昨年の1位に選ばれ、観客動員数130万人を超えたこの作品が、ようやく隣県で上映されたので、わたしもすずさんに会いに行ってきた。

アニメとしても素晴らしいけど、何よりストーリーやテーマに感動。 涙と笑いと切なさと癒しと…あらゆる感動が散りばめられた傑作。そして余韻がすごい。心がどうしようもなく切なくて、でもあたたかくて・・・「生きる」ということについてしみじみと考えさせられ続けている。


20161112165308
主人公のすずさんは、19の年に見初められて、それまで名も知らなかった呉の青年のもとに嫁ぐ。絵が得意で、優しくて、やや天然で、控えめなすずさんには、故郷の広島に初恋のほのかな思いを抱いた幼馴染もいたけれど、流されるままにお嫁に来て、それでも夫の周作さんに愛され、優しく温和な義両親にも大切にされる。気むずかしい義姉径子さんの小言に、時には円形脱毛症になったりもしながら、すずさんなりに健気に婚家で奮闘していく様子が、前半はほっこりと牧歌的なタッチで描かれる。

すずさんや姪の晴美ちゃんのセリフや表情が可愛らしく、すずさん役の、のんさんの声はおっとりと癒し系で、ほんわかとした優しさに満ちている。

700x377xkonosekaino_jpg_pagespeed_i
今から70年ほど前の大戦前後の日本。
描かれているのは、わたしの親世代が子供の頃の、ごく普通の人々の暮らしだ。

右から書かれた横文字の看板。着物姿の人々。
竈で炊かれるご飯や水桶で冷やされる西瓜やトマト。
洗濯板での洗濯や針仕事。家電の全くなかった時代の細々とした家事。

Ed2bcb38s_3
それらがとても丁寧に描かれていて、体験したわけではない私でさえ、なぜか懐かしくて胸があつくなるのだから、 当時の生活を実際に体験した世代は、たまらない郷愁を感じると思う。ごく普通の市井の人々の、ささやかな日常の一コマ一コマは、見ているだけでも優しく豊かな気持ちになってくる。現代よりずっと物のない不便な時代の暮らしぶりであるというのに。時間の流れや人のやりとりがゆったりとしていて癒されるからだろうか。

そんなすずさんの慎ましい暮らしにも、
戦争の影は否応なしに忍び寄ってくる。

食料の配給や防空壕掘り、空襲警報、里の兄の戦死・・・・・。従順で我慢強く、おっとりとしたすずさんは、それまでの人生と同様に、戦時中の暮らしも淡々と受け入れてこなしていく。乏しい食料を工夫してカサ増ししたり、苦手なお裁縫の腕で着物をモンペに仕立てたり。
Dc40b97d

すずさんだけでなく、この時代、誰もがそうだったんだと感じる。戦時中という非常時、命が脅かされ、物の無い厳しい時代に、すずさんのセリフを借りれば、「やさしくしぶとく強く」みんな生きていたのだ。

災難の中にも「無事だった」ことを少しでも探して、「・・・だから(まだ)よかった。」と言い合うポジティブ思考。そうでもしなければやっていけないのかもしれないけど、そうやって気持ちを光の方角に切り替えて、互いに励まし力づけあって、みんな肩を寄せ合って乗り越えてきたんだと思う。

Img58104f4c48d6a_xl
そして他の人々と同じように、戦争によって、すずさんも家族も大きな痛手を負う。時限爆弾の爆発に巻き込まれてすずさんは右手を失い、その右手をつないでいた姪の晴美は命を落とす。(この場面の描写は、アニメーションならではの映像で秀逸だ。)すずさんの故郷、広島は、終戦間近のあの夏の日に被曝し、すずさんの両親は帰らぬ人となってしまう。

それまで自分の気持ちや思いを、大好きな絵に託して表現していたすずさんが、右手を失い、もう絵が描けなくなってからは、自分の口で、言葉で自己主張や意思表示をするようになる。そして敗戦の日、玉音放送の後に、今まで穏やかだったすずさんが、はじめて大きな悲しみと怒りに突き動かされて慟哭する。戦争に勝つためにそれまで我慢してきたことや喪ったものを思って。

Photo
この物語がしみじみ心に響くのは、そこで終わらず、その後のすずさんたちの生きる姿をも描いていることだ。敗戦後の焼け跡で、戦時中よりももっと逼迫した暮らしの中で、それでもすずさんも周囲の人々も、懸命に自分の居場所で生きていくのだ。

配給の列に並び、進駐軍の残飯雑炊に舌鼓を思わずうち、家では塩の足りない味気ない食事を囲む生活が、再び和やかにときおりユーモアも交えながら優しく描かれる。どんなときも取り乱さず温厚な義両親の笑顔も、以前のままだ。すずさんの家庭には、広島で母を喪った戦災孤児の幼女が新しく家族に加わることになり、すずさんの義姉は、しまっておいた晴美の服を行李から引っ張り出す・・・・。

人生は続くのだ。
誰にとっても。どんな悲劇の後にも。

エンドロールのアニメーションがいい。すずさんからお裁縫を習った養女の少女が作ったのか、義姉の径子さんとすずさんと三人がお揃いの服を着て幸せそうに笑っている。

戦争が与える様々な試練について描かれてはいるが、この物語はあからさまな反戦映画ではない。「戦争さえなければ・・・」というよりはむしろ、「戦争があったからこそ」「戦争があるにも関わらず」、強くやさしく、たくましかった人々の日常を描いた物語。だからたくさんの勇気や希望や癒しに溢れている。

2017032721250000
劇場で、先着順にいただいた絵葉書です。

今は戦時中でもなく、安全で物の豊かな時代だけど、戦中とはまた違う生きにくい問題もある。それでも、今、そばにいる大切なひとと、今自分にできることをしながら、精一杯生きていこうと思った。

2016年6月14日 (火)

キャロル

201604062049591a7
このうえもなく美しく
このうえもなく不幸なひと,キャロル。
あなたが わたしを変えた。

1952年のニューヨークを舞台に,富豪の人妻・キャロルと、デパートの玩具売場の売り子テレーズの間に芽生えた愛の行方を描いた物語。原作は「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス。主演のケイト・ブランシェットも助演のルーニー・マーラも,ともにオスカーにノミネートされ,カンヌではルーニー・マーラが女優賞を獲得した。
Carolfilm
ストーリーは比較的シンプル。階層も生活背景も年代も違う二人の女性が,出会いとともに互いに惹かれ合い,逃避行の後に世間の目や社会の制裁に負けて一時的に別れるが,やはり想いは変えることができず,共に生きていく選択をする・・・という女性同士のラブストーリーである。

Carolmovie_addkate_021
1950年代というと,あのブロークバック・マウンテンの物語よりまだ前の時代だ。ワイオミングのような閉鎖的な田舎ではなくニューヨークが舞台だったとしても,同性愛に対する風当たりはすさまじいものがあっただろう。女性どうしが惹かれあうという感覚は私には全くわからない世界ではあるけれど,出会いのデパートの場面で,お互いがそれぞれ相手の魅力に惹かれたのもごく自然に思えた。

それくらい,キャロルもテレーズも魅力的だった。
111915carolcostumes1
102592_s3
ケイト・ブランシェットのゴージャスで知的な美しさは,スタイルといいファッションといい神々しいほどだ。そしてルーニー・マーラのお人形のような可憐でイノセントな魅力。それぞれの美は正反対かもしれないが,二人揃うとなんと絵になることか。
Carolmovie_addkate_044
Carolmovie_addkate_007
1950年代のファッションもニューヨークの街並みも,背後に流れる音楽も,ため息がでるほど美しく雰囲気があった。ただただうっとりと見惚れながらスクリーンを眺めた118分・・・・。いつまでも美しい二人を見ていたいと思わせる時間だった。

ケイト・ブランシェット・・・・このひとはいったいどこまで美しくなれるのだろうと,新しい作品が公開されるたびにいつも驚嘆する。顔立ちやスタイルだけでなく,立ち居振る舞いや雰囲気のすべてが。
Carolmovie862x528_3

ルーニー・マーラが演じるテレーズの可愛らしさとピュアな美しさ。キャロルが一時的に去ってしまった後のテレーズが流す涙を見て,本気で,深くキャロルを愛してしまっていたんだな・・・と胸が痛くなるほど。このあたりはブロークバックマウンテンよりもむしろ藍宇を思い出した。二人の間の経済格差や年齢差や,一度別れたあと,また元に戻るところなんかが。
Cbq8ncluyaak7ui
ひとを愛する感情って,本当に不思議だと思った。
愛する相手は計算づくでは選べない。燃え上がるのも冷めるのも,自分の意志ではコントロールできない。相手が既婚者であろうと,住む世界が天と地ほどに違いがあろうと,年齢も性別も超えて・・・・ひとたび生まれてしまったら,もうどうしようもないのが愛なのかもしれない。
CarolrooneymaraE382ade383a3efbc96
そして,誰もが自分の愛に忠実に生きることを選択できるわけではない。いろいろな理由で,一番愛する相手を諦める人生を送っている人も多いのだ。諦めた愛に対する憧憬や慙愧の想いはなかなか消えるものではない。時には一生,その人の心の奥に消えずに残る場合もあるだろう。

テレーズとキャロルは当時の社会からは後ろ指を指されながらも,互いの愛に忠実に生きていく道を最後には選んだ。離婚する夫のもとに愛娘を残してきているキャロルと,これからどのような人生も選べるうら若い年齢のテレーズ。茨の道には違いないだろうけれど,自分の感情に正直に生きて行ってほしいと願った。

2015年9月18日 (金)

奇跡のひと マリーとマルグリット

Marie_heurtin_postr_2

19世紀末,フランスに実在した,もうひとりのヘレン・ケラーの物語。
実話を基にしているが,ヘレン・ケラーとはちょっと違う感想を持った。三重苦の少女が教育の力で光を見出すという点は同じだけれど。感動のツボが少し異なるというか・・・・。

あらすじ:19世紀末、フランス・ポアティエ。聾・盲の少女たちを受け入れてきたラルネイ聖母学院に、ひとりの少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)がやってくる。マリーは生まれながらに目も耳も不自由で、一切教育を受けてこなかった。修道女のマルグリット(イザベル・カレ)は、心を閉ざし野生動物のように獰猛なマリーの教育係を買って出る。それは、魂と魂がぶつかり合うような激しい戦いの日々だった。(Movie Walker)

5e7d1marieheurtin2_2
マリーを演じたアリアーナ・リヴォアールは一般公募した聾唖の少女で,今作が映画初出演だというから驚きだ。特に,教育を受ける以前の,さながら「狼少女」並みの野生児の演技は圧巻。そして彼女が教育によって言葉という光を得て以来,徐々に知性や愛らしさを身につけていく,その変化ぶりも素晴らしかった。

感動したシーンはいくつもある。

髪もとかざず、椅子にも座らず、襤褸をまとっていた彼女が,初めて髪を整え,修道院の制服に袖を通し,靴を履いた場面。マリーのお気に入りのナイフを使って,何度も根気よく「ナイフ」という手話を教え込もうとしたマルグリットが,精根尽きてあきらめかけたまさにその時,マリーが手話の持つ意味を理解した瞬間。まるで乾ききった大地に水が沁みこむかのように,貪欲に言葉を習得していくマリーの姿。マルグリットの連絡を受けて修道院を訪れた両親に,マリーが文字を綴ってみせる場面。

このあたりの感動は、ヘレンケラーの「奇跡の人」にも共通するものがあったような気がする。
Hnwdi
それ以外にも,この作品は,映像や音が印象的だ。
自然に包まれた片田舎の修道院で視覚も聴覚も無い世界に生きているマリー。日差しの温もりや,頬に受ける風のそよぎや,手足に触れる水の冷たさや鼻腔に感じる草花の香り。彼女が匂いを嗅いだり触れたりして,その存在を感じ取ることができる自然界の様々なものが,この作品では,あたかもマリーの視点や感性から描かれているかのようだ。それがとても新鮮で心地いい。
Marie_heurtin
そしてもう一つ,ヘレンケラーの場合とは違って,言葉の他にも,マルグリットがマリーに教えなければならなかった大切なものがあった。

それは「死による愛する者との別れ」。さらには,その「死」の向こうにも存在する,「希望」。肉体の滅びと,魂の永遠。この世ではもう会えなくなっても,思いはおそらく時を超えて,愛する者の心の中には生き続けるという真実。それは病のために死期の迫ったマルグリットが,取り残されるマリーのために,どうしても教えておかねばならないことだった。彼女がマルグリット亡き後も強く幸せに生き続けるために・・・そして院長に指摘された通り,マルグリット自身もまた,自分の死を受け入れるきっかけとして。
Cea8dmarie8
触って,匂いを嗅いで,物の存在を理解することを基本とするマリーにとって,目に見えない「死」という観念を教えるのはたやすいことではないだろう。ちょうど一足先に天に召されたシスターの葬儀と埋葬を通して,マルグリットはマリーに「人間の死」すなわち肉体の終焉を理解させる。そしてそれが誰にも等しく訪れるものであり,マルグリット本人も間もなくその「死」を迎えることも。混乱し,怒り,悲嘆に暮れるマリーだが,葛藤の後、彼女は、マルグリットとの避けることのできない別れを受け入れ,「死」の先にある希望にまで思いを馳せることができるようになるのだ。

ラストシーンは,秀逸。
マルグリットのお墓に花を供えるマリー。彼女は天に向かって美しい手話で話しかける。マルグリットへの,尽きることのない愛と感謝を。さらには彼女が自分に与えてくれた愛と献身と教育を,自分も後輩たちに継承していくことへの決意も。カメラはどんどん上空に上がってゆき,マリーを俯瞰するような映像になる。天の上から彼女を見守っている存在を表すかのように。女性の多い劇場の中に静かにすすり泣きが起こり,小鳥のさえずりをBGMに物語は幕を閉じる。
Photo
実話というのが,やはり素晴らしいと思う。障害について,教育について,人間の尊厳について,人を愛し慈しむことについて,そして死と永遠について・・・・様々な美しく貴重なことを感じさせてもらえる作品だった。

2014年12月30日 (火)

ゴーン・ガール

Newimage46
大好きなデヴィッド・フィンチャー監督の最新作ということで,劇場で観てまいりました。

「ゴーン・ガール」=「失踪女性」でいいのかな?タイトル通り,結婚5周年を迎えた記念日に突如姿を消した妻(ロザムンド・パイク)を捜す夫(ベン・アフレック)が,警察やメディアに翻弄されたあげくに殺人犯の疑いまでかけられてしまうサスペンス作品。

いや~~ ある意味ホラーな作品でございました。怖い怖いsweat01
ネタバレ禁止なので詳しく書けないけど,これだけは。消えた妻は被害者ではなく,すべては彼女の茶番劇。それも失踪の目的は,結婚当初の期待を裏切って職を失い若い娘と浮気までしたヘタレ夫への復讐・・・・この展開は,なんとなく見る前からバリバリに予想はついた。
Sddefault_convert_20141212193933
妻が怪しいってことだけは最初から読めるんだけど,ではこの作品の見どころは?というととにかくロザムンド・パイク演じる妻のエイミーの悪女ぶりの凄さかな。ここまでやるか~~って感じで目が離せない。そしてそれがことごとく成功するし,彼女の仕業を見破れた人物がいたとしても手も足もでない展開に。

結婚は人生の墓場であるとか,女は怖いとか,そんな単純な話じゃない。

この作品を観たら結婚が怖くなるとか,そんなことはない。だって彼女のような女性は・・・・滅多にお目にかかれるものじゃないから。こんな相手を配偶者に選んでしまった場合はものすごく運が悪いとしかいいようがない。心の中ではみんな「私はこの結婚に失敗した。私の人生をどーしてくれるの!」とたとえモヤモヤしたとしても,実際にここまでの行動には移さないし,何よりも普通の人間は家庭を築いた相手に対して愛は消えても「情」くらいは持っているだろうから。

大丈夫,こんな命も危うくなるような,重い人間不信になるような結婚は普通はみなさん体験はされないでしょう。妻が、もしくは夫がありえないくらい冷血で,悪事の計画をパーフェクトにたてることができるくらい頭脳明晰でないと、起こらないでしょう。こんな事件は。
Gonegirl03
この物語のエイミーは,恐ろしいほどに,いや天晴れなくらい自己中で,他人はみんな自分のために存在していると信じて行動し,邪魔になったり自分の不利益になったりする相手は容赦なく制裁したり廃棄したり・・・・こんなヒロイン,どこかで観たことがあるなぁと考えたてみたら,ニコール・キッドマン主演の誘う女のヒロインがよく似たキャラだった。

ニコールが演じたヒロインも自己顕示欲が強く自分大好きな女性で,夫はそのための道具でしかなかったような・・・・。完璧な人生を演じることが人生の目的って・・・・。もっとも「誘う女」のヒロインは最後に恨みを買った誰かに消されてしまうのだけど,この作品ではエイミーは勝利者として幕を閉じる。いや~~,いつか天罰が下れよ!angryって誰もがラストには思ったと思う。

Newimage54
可哀想な夫役のベン・アフレック・・・・。キャスティングを見たとき,フィンチャーのサスペンス作品にベン・アフレック?うーんなんか違和感・・・と思っていたが,鑑賞後の今は彼でビンゴ!だったのだと感じる。お人好しで凡庸で,あがきつつもエイミーの張り巡らされた蜘蛛の巣から逃れることができない夫の雰囲気が・・・・これがブラピやトム・クルーズならしっくりこないだろうし。(ベン・アフレックさんは俳優さんとして大好きですが)

これ以上は詳しく書けないけど,とにかく長尺の作品にも関わらず,想定外の展開から目が離せないのでとても面白かった。しかし鑑賞後の余韻はあまり心地いいものではありません。この監督はそういう、消化不良でイヤーな気持ちになる作品多いですが・・・ゾディアックとかセブンとか。でも傑作だとは思いました。ロザムンド・パイクの背筋も凍る悪女ぶりは一見の価値あり!勧善懲悪やハッピーエンドが好きな方にはおすすめしません。

 

2014年5月 7日 (水)

鑑定士と顔のない依頼人

16
劇場で一度観て,後日リピートしてしまった作品。この作品,最期のオチまで観てしまうと,もう一度それを知ったうえで再見したくなる・・・・初見時に感じた,それぞれの登場人物の言動が,二度目はまったく違ったふうに見えてくるのが面白かった。私のようなリピーターは結構たくさんいらしたそうである。

あらすじ: 天才的な審美眼を誇る美術鑑定士ヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、資産家の両親が遺(のこ)した美術品を査定してほしいという依頼を受ける。屋敷を訪ねるも依頼人の女性クレア(シルヴィア・フークス)は決して姿を現さず不信感を抱くヴァージルだったが、歴史的価値を持つ美術品の一部を見つける。その調査と共に依頼人の身辺を探る彼は……。(シネマトゥディ)
Elfilm_comthebestoffer290847
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品の中では,散りばめられた謎や人間の欺瞞や残酷さは,題名のない子守唄と似た香りがする。美しい映像や流れるようなモリコーネの音楽にうっとりとはするが,後味はシニカルで暗く,切ない。個人的にはこの切なさ,やりきれなさが好きではあるが。

天才鑑定士ヴァ―ジルが,図らずものめり込んでしまった,まさかの「老いらくの恋」それも生まれて初めての恋。しかしそれは,彼が密かに収集してきた膨大な肖像画のコレクションを狙ってしかけられた,まさに「壮大な」詐欺事件だった・・・・。(ネタバレすみません)
13

変人で気難しく,人との接触を嫌うヴァ―ジルの心に密やかに確実に入り込んでいく謎の美女クレア。「広場恐怖症」という名目で,中盤まで姿を見せない彼女は「怪しい・・・この女性」と最初からマークできたけど,終盤になって「え~,あの人もこの人もグルだったの?」と驚かされる。なんて手の込んだ,そして大がかりな詐欺なんだ!とヴァ―ジル同様,唖然としてしまった。しかし,それほどまでの手間や準備を費やしても価値があるくらい,盗み取られたヴァ―ジルのコレクションの総額はたいしたものだったのだろうとも予想がつく。・・・・こりゃショックだただろうなぁ。気の毒なんて言葉では言い表せない。

Elfilm_comthebestoffer290852
人生の最後に想定外の恋に落ちてしまったがために,これまで築き上げてきたものすべてが根こそぎ奪い取られて腑抜けのようになってしまうヴァ―ジル。しかし,警察に行く決心もつかず,「何が起こってもあなたを愛してるわ」というクレアの言葉を反芻し,ラストシーンのカフェで彼女を待ち続けるヴァ―ジルの姿をみて,彼が一番失って辛かったものは,コレクションではなく愛するクレアの存在だったのだろうなぁ,と感じた。

人を愛することなく人生を終えるはずだった彼が,それがたとえ仕組まれたものであっても「愛する」体験をしたことは,彼にとってはよかったのだろうか・・・?彼はこれからもクレアを恨むことは出来ず,いつまでも彼女に恋い焦がれながら彼女を想いつづけて生きるのだろうか。彼女にいつか再会でき,彼女からの謝罪の言葉を聞き,彼女に赦しの言葉をかける場面を夢見て生きるのだろうか?それは彼女を知らない人生よりは,彼にとって豊かなものであると言えるのだろうか?

いろいろ考えさせられる余韻のあるラスト。しかし皮肉で残酷な物語であることは間違いがない。愛もまた偽れる・・・作中の台詞がずっしりと胸にこたえた。

2013年11月 4日 (月)

凶悪

18b760bb2d5dae5df367d1543aaaa7d6_2
この作品の原作は,去年,九州の旅先で,新幹線の待ち時間に,キオスクの書店で買って読もうとした・・・・が,胸が悪くなるような殺人の描写と,おまけにこれが実話だという衝撃からか,最後まで読まずに放り出してしまっていた。

この原作がまさかの映画化?おまけにこれがかなりの傑作だという。あの「先生」役に,「そして父になる」ではなんとも人の好い父親役を演じたのを観たばかりのリリー・フランキーを持ってくるとは!これは観なければ・・・と遅ればせながらまだやっている劇場へ。ミニシアターはメンズデーだったせいか,それともこの作品の性質上か,男性(それも中年以降の)のお客さんが大半でもちろんカップル客などは皆無。まあ,当たり前か。
80131
あらすじ: ある日、ジャーナリストの藤井(山田孝之)は、死刑囚の須藤(ピエール瀧)が書いた手紙を持って刑務所に面会に訪れる。須藤の話の内容は、自らの余罪を告白すると同時に、仲間内では先生と呼ばれていた全ての事件の首謀者である男(リリー・フランキー)の罪を告発する衝撃的なものだった。藤井は上司の忠告も無視して事件にのめり込み始め……。(シネマトゥディ)

冒頭からぶつけられる残酷な殺人場面にはやくも緊迫感が・・・・。まるで韓国映画のような骨太な残虐さ・・・・日常生活の延長にあるようなシーンも多いのでリアルさにかえって血の凍る思いがする。2時間を超える鑑賞時間,全編を通してたっぷりと,人間のさまざまな罪や悪を見せつけれた気がする・・・・・繰り広げられる犯罪や人間の脆さや邪悪さにぞっとしつつ,呆れつつ,そしてそれでもなお,観るべき作品なのかもしれないな・・・と思った。
20130929215844
まるで狂犬のような獰猛さでなんの迷いもなく人を殺す須藤と,そんな須藤を利用して土地持ちの孤独な老人や借金まみれで家族からも厄介者扱いされている老人をいとも簡単に殺す計画を立て,殺害の場面では嬉々として最後の仕上げに加わる「先生」こと,不動産ブローカーの木村孝雄。もちろん,このふたりの恐ろしさ,罪深さは言うまでもない。

この二人は,生まれつき良心などひとかけらも持ち合わせていないように見える。しかし彼らの恐ろしいところは,殺人をしていない時は普通の感情を持つ人間にも見えるところだ。ヤクザの須藤の方が,一見逆上型の危険人物に見えるが,穏やかそうな表情の木村の方が,金儲けのためだけではなく,殺人そのものを楽しんでいる分,心底恐ろしい悪魔に感じた。こんな悪魔が普段は普通の顔をして私たちの隣に生活していたら・・・・いや,これは紛れもなく実話なのだと思うと,なんとも肝が冷える思いがする。
News_large_kyouaku_photo3
しかし,この作品は,この二人以外にも,「殺意」という魔物に魅入られてしまう,それこそ「ごく普通の人々の心に潜む悪」をも描いている。電気屋の老人の殺人を依頼する家族や,義母の介護と夫への苛立ちに疲れ果て「死んだひとなんてどうでもいい。」「お義母さんが死ねばいいと思う」という台詞を夫にぶつける藤井の妻(池脇千鶴)や,ひいてはその妻に「(この事件の追跡は)楽しかったんでしょ?」と言われて何も言い返せなかった藤井自身の心の闇など・・・・

極悪人ではないにしても,人間誰もが,弱さや自己中心的な「他人はどうなってもいい」という思いを持ち,それはある意味生存本能のようなもので,ひとつ歯車が狂えば,あるいはひとつスイッチが入ってしまえば・・・・誰もが邪魔な他者に「殺意」を持ってしまう可能性はあり・・・・機会と必要性と需要と…その他もろもろの条件が揃えば,実際に殺人を犯す可能性はあるということだ。
79695
藤井の記事による告発で,保険金目当ての殺人事件だけでも立件され,逮捕された先生は一生檻の中から出られない。藤井はこれからも先生の余罪を調査し続けていくと宣言する・・・悪魔のような危険な人物はもう社会に放たれることはない。しかし,なんだろう,このカタルシスの無さ,重苦しさ・・・・軽い吐き気を覚えるほどの救いのなさは。

従犯とはいえ,何人もの人を虫けらのように殺した須藤が,告発記事を書かせた動機は復讐だけではなく,自分の罪状を軽くするためだったこと,そしてそんな須藤が「キリスト教に入信したから罪を償って生きたい」と法廷でのうのうと宣言したことや,藤井に面会した先生が,藤井に・・・いやあれは観客に向かってなのか,「あんたにも殺意はあるだろう」という意味の台詞を吐いたこと・・・すべてが不快であり,それでもどうしようもないことであり,なんの解決も望めないことだからかもしれない。

Tky201309200240
リリー・フランキーさんは多才なマルチタレント,ピエール瀧さんはミュージシャンが本業でおふたりとも役者は本業ではない。それなのに何なんだ,この鬼気迫る名演技は。いわゆる「折り紙つきの悪役俳優」ではなく,全く普通のむしろ善人の風貌を持つこの二人を起用したことで,この作品は余計にリアリティが増したような気がする。

強烈に後味は悪く,気分は重くなるが,傑作だ。人間の持つ「原罪」のようなものを感じさせられた。恐ろしい・・・・

2013年7月22日 (月)

風立ちぬ

10b914_2

ジブリ作品は苦手だった私が予告編を観て「これなら観たい」と,劇場に足を運んだ作品。とてもよかった。素直に,感動できた・・・・。従来のジブリ作品がお好きな方なら賛否両論分かれても仕方がないようなまさに「大人むけ」の,ある意味「地味」かもしれないジブリ作品。

実在したふたりの人物・・・・ゼロ戦の設計者堀越二郎の半生に,作家堀辰雄の小説や結核で亡くなった恋人のエピソードを加えて作られたストーリー。大正から昭和の激動の時代の中を,夢をあきらめることなく,ひたむきにまっすぐに生きた主人公の生き様が描かれていた。
398325da95a3f74b73c940eb3b8b46ca
堀越二郎さんのことは,この作品で初めて存在を知った。堀辰雄さんの小説は,中学時代にいくつか読んだことがある。この映画のヒロイン里見菜緒子のキャラクターや行動から,堀さんの小説「風立ちぬ」に登場する療養中の婚約者の女性や,「菜緒子」のヒロインの女性を思い出した。

美しいもの、純粋なものがいっぱい詰まった映画だった。
Bmhwu4ocuaae54r
関東大震災や不況,そしてそれに続く世界大戦の影・・・・

現代もけっして生き易い時代だとは思えなくなっている昨今ではあるものの,やはりこの物語の背景となった1920年代は,現代よりはるかに生き辛く,明日の命さえもままならない時代だったんだなと思った。菜緒子のかかった結核だって,この時代だったからこそ,死に至る病だったわけで。

そんな時代を恨むことなく,「美しい飛行機を作りたい」という,少年時代の夢からかたときも目を離さず,いつも感謝や希望を失わずにまっすぐに生きた主人公の二郎の姿に,なんともいえない爽やかでそして芯の通ったものを感じる。この時代とは別の意味で,終末観ただよう現代に観るからこそ,宮崎監督が描いてくれた二郎の生き方は,すごく心に響いてくる。
792230205
ヒロインの菜緒子との恋も,夫婦間の愛も,お互いを思いやる優しさも,そして添い遂げられなかった哀しさも・・・何度も目頭があつくなった。すべてがひたむきで・・・美しいのだ。

二郎の声を演じた庵野さんに違和感ありというレビューも目にしたけれど,たしかに最初だけは「あれ?」と私も思ったけど,二郎の飄々とした物に動じない,そしてナイーブでもあるキャラクターには彼の声がとてもしっくりきているのではないかと思った。

生きねば・・・・どんな時代でも,どんな人生でも。誰しも持っている,ささやかな夢や,守りたいものを大切にして。人生の折り返し地点をとうに過ぎ,どちらかというと,人生の仕舞い支度をそろそろ考えなければならないこの年になってもあらためて,素直にそう感じることができた。

2013年6月25日 (火)

華麗なるギャツビー

Thegreatgatsby2013moviebannerposter
原作も未読だし,レッドフォード主演のギャツビーも観ていない。あらすじも知らなかったし,そもそもなぜか私はこれまで,この作品の題名を「華麗なるギャッピー」だと勘違いして覚えていた。ギャッピーじゃなくてギャ「ツ」ビーだったのね・・・(汗)。

で,今回劇場鑑賞したディカプリオ版のギャツビー・・・・こんな切ないお話だったのか。冒頭はナレーションの多さや,きらびやかなだけの画面の展開に少々退屈したけど,すぐに物語にひきこまれ,それぞれ個性的なキャラ立ちが見事な名優陣の演技や,絢爛豪華で美しい映像に大満足できた。

Gg29869r
物語の語り部をつとめるニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)の謎の隣人ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)は,宮殿のような豪邸で,毎夜派手なパーティを繰り広げていた。彼が何者でその財力がどこから来たのかいろいろと荒唐無稽な噂は絶えなかったが誰も真相を知る者はなく・・・・。

しかしニックは,やがてギャツビーが,過去に自分の親戚のデイジー(キャリー・マリガン)と愛を誓った仲であり,今は富豪の人妻となっている彼女のために,このような贅をこらしたパーティや社交生活を演出していたことを知る・・・・。
Gg12703
原題の「The Great 」=「華麗なる」もしくは「偉大なる」ギャツビーというのは,彼の金に糸目をつけない派手な生きざまを表現しているのかと思ったが,観終わって,ギャツビーの偉大さは,その純なところ,一途なところ,そして叶えたい夢に向かってどこまでも力を尽くしたところ・・・なのかもしれないと思った。

彼が実は極貧の出て,一人で運命を切り開いていったこと・・・ギャツビーはまだ一文無しの兵士の時に出会って愛し合った富裕層の娘デイジーにふさわしい自分になりたい・・・ただそれだけのために,彼女を喜ばせるためだけに,財を築き名をあげてきたのだ。
1

もうすでにデイジーと結婚したつもりでいたギャツビーが,彼女に見合う財産を築こうとしている間に,忘れ去られたと思い込んだデイジーは釣り合った階級のトムと結婚し,ギャツビーは彼女の邸宅の灯が対岸に見える豪邸から彼女に想いを寄せ続ける。彼女を取り戻すために・・・。ここらへんはちょっとストーカーが入っていると言えなくもないが,ニックのお膳立てで再会を果たしてからのギャツビーとデイジーの恋は再燃する。駆け落ちしたいと言うデイジーにギャツビーは,「僕が君のために築き上げたこの屋敷を去るのは意味がない。」といい,デイジーにトムとの離婚を迫る。
56
彼女を失ったという過去をなかったものにしたいギャツビーと,現実の生活を捨てる勇気のないデイジー。ギャツビーが純粋?すぎるのか,それともデイジーの愛がさほどのものではなかったのか・・・いややはり,決定的な温度差を生んだのは,目に見えない「階級」の壁なのか。デイジーの夫トムの挑発に乗って,我を忘れたギャツビーがつい紳士の仮面をかなぐり捨てて激高するシーンのデイジーの引きよう・・・・あれは実に印象的なシーンだった。(レオの名演技)
38
結局観終わってみれば,ギャツビー邸に訪れて彼をちやほやしていた取り巻きたちや,デイジー夫妻のなんと薄情で俗物なこと。デイジーの罪まで被ってこの世から哀れな退場をしたギャツビーの真実を,ニックだけが知っていて,回想記の題「ギャツビー」に「偉大な」を書き足すラストシーンは見事だと思った。ニックを演じたトビーは雰囲気も人柄もとてもしっくり合っていたし。
Gg08419
オールバックにすると,丸顔が際立つようになってしまったレオだけど,↑のシーンは前髪が額に落ちかかっていたので若々しかった。タイタニックの頃の美青年の面影はもうないけれど,やはりその演技や存在感はすごい。

2011年12月 5日 (月)

黄色い星の子供たち

Cap135_2
ナチス・ドイツ時代のフランス,親独政策をとったヴィシー政権のもと,1942年に起きたヴェル・ディヴ事件(ユダヤ人大量検挙事件)について,生存者の証言を基に製作された真実の物語。自由と啓蒙,人権を謳ってきたフランスが,自国に住むユダヤ人をドイツに引き渡し死に至らしめたこの出来事を,フランス政府は1995年まで,「ヴィシー政権はフランスではない」として長い間責任を認めようとしなかったという。
Cap146
ヴィシー政権時代,ユダヤ人に関する法の制定などによって,身分や権利を剥奪されつつあったフランス国内のユダヤ人たち。1942年7月16日,パリに住んでいたユダヤ人13000人が一斉検挙された。ドイツは当初30000人の検挙を指示していたが,それに抵抗した一部の官僚や警察官たち,当日ユダヤ人たちを匿った一般市民が大勢いたので,予定していた数には至らなかったという。
Cap143
検挙後のユダヤ人たちのうち,子供連れの家族約8000人は,一時的にヴェル・ディヴ(冬季屋内競輪場)に収容される。その後彼らは,フランス国内のドランシーなどの収容所に送られ,成人男子,成人女子,子供の順にドイツへと移送され,絶滅収容所で殺害されることになる。検挙された13000人のうち,生存者は400人だったという。
Cap138

親とともに一斉検挙され,ヴェル・ディヴで飢えと渇きや病気に苦しみ,収容所ではひととき家族と共に過ごせても,その後唐突に親と引き離され,子供たちだけで収容所に取り残されたのち,何もわからないまま死の旅へと連れ去られていった子供たち。

一時的に送り込まれた収容所でも,「まだ,フランスに居るから大丈夫だ。まだ家族一緒にいられる・・・」とフランスを信じようとしたユダヤ人たち。政府がどんなに恐ろしい計画を持っていたか,その時はまだ知る由も無く。
Cap148_2
「逃げて,生きると約束して」と言い残した母の言葉を守って移送前に脱出し,生き残った少年ジョー・ヴァイスマン。検挙から収容所生活までをジョーとともに過ごした親友のシモン・ジグレールと弟のノエル(ノノ)。特に幼いノノの無邪気さと天使のような可愛らしさ。母の死も自分の運命も理解できないノノの無垢な瞳に何度泣かされたことか。
Cap139
最後に子供たちがようやく移送されることになった日,死の収容所へと自分を連れていくトラックに向かって,「ママに会える!」と一番先に駆けていくノノの姿には哀れで涙が止まらなかった。
Cap169
当時のフランス政府の犯した取り返しのつかない大罪。何の罪もない自国民(中にはフランスのために戦った軍人のユダヤ人も多くいたのに)を,死刑執行人に引き渡すような無慈悲な真似だ。こんな事件があったことを,詳細に世界に知らしめてくれただけでも,この作品の意義は大きいと思う。恥ずかしながら私もまったく知らなかった。ヴィシー政権がナチスに協力したことは何となく知っていたけれど。
Cap149
それでも看護婦のアネットをはじめとする,勇気ある人々の行いにもまた,感動させられる作品だ。検挙の日にユダヤ人を匿った多くのパリ市民。通行証を偽造して渡してくれる職人。ドイツ兵に逆らってまでヴェル・ディヴのユダヤ人たちに水を与えた消防士たち。元ジャーナリストのボッシュ監督は,この映画で,ヴィシー政権の罪とともに,ユダヤ人を最後まで守ろうとした勇敢なフランス国民の存在も伝えたかったのでは,と思う。
Cap179
女性監督ならではの感性なのだろうか,登場する子供たちのいじらしさや愛らしさは格別で,こちらもついつい母親目線で鑑賞してしまう。こんな子供たちに苦しみを与えるなんて「仕事だから」と,当時の政府側の人間は冷徹に割り切れたのだろうか・・・・・。戦争が彼らの良心を麻痺させてしまったのだろうけれど。
Cap168_2
突然,強制的に引き離される親と子・・・・
この世にこれ以上の悲劇があるだろうか。
幼い子供にとっては,またその母親にとっては,それは死をも超える痛みだろう。それぞれのシーンでの,子供たちの訴えるようなやるせないまなざしが,いつまでも心に焼き付いて忘れられない。

2011年11月 6日 (日)

神々と男たち

Small_536256
第63回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞,および第83回アカデミー賞外国語映画賞フランス代表作。

アルジェリア内戦時代の1996年に起きた,武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐及び殺害事件を元に製作された作品。
Small_500861
実際に誘拐された修道士たちが生活していた修道院は,アトラス山脈の山間のチビリヌというところにあり,宗教を超えて貧しい人々に尽くす修道士たちは,地元のイスラム教の人々にも頼りにされ,慕われていた。

1996年当時のアルジェリアは,武装イスラム集団とアルジェリア軍との内戦のただなかにあり,3月26日の夜,モロッコからやってきた1人の修道士を加えた9人が就寝中に武装グループに襲われ,9人のうちの7人が誘拐された。そして同年の5月23日に武装イスラム集団は修道士たちを殺害したという声明を出し,同30日に政府はメディア近くの路上で,修道士たちの遺体が発見されたと発表した。
4637_29537
犯人集団や誘拐からの経過,遺体発見の事実などに関しては実は謎が多いとされているこの事件だけれど,映画化に当たり,9人の修道士たちのプロフィールや修道院での役割,テロ集団の脅威に対する見解や態度などは,おそらくできるだけ事実に忠実に描かれていたのだろうと思われる。

それぞれ味のある修道士立ちの中でも,特にリーダーであるクリスチャンと,外科医でもあったリュックの存在感が大きい。
4637_31682
襲撃される前に脱出して祖国フランスに帰るチャンスはいくらでもあったのに,結局は「あえて」危険な地に留まり,命を落とすことになった修道士たち。彼らは留まることを強制されたわけではなく,メンバー全員による討議や思索を繰り返したのちに,結局最後は全員一致で「逃げない」選択をしたのだ。

映画の中心に描かれているのは,結論に達するまでの,それぞれの修道士の思惑や葛藤である。
Des_hommes_et_des_dieux_1274267462_
「むざむざ死にたくない」と,修道院を捨てることを主張するもの,「しばらく考えたい」というもの,「自分たちを頼っている地元の人々を見捨ててはいけない,とどまるべきだ。」というもの・・・彼らの葛藤する思いはそれぞれがもっともで,正直で。それでも最後には「逃げても平安はない」という結論に皆が達するのだ。

ミッションという映画を思い出しながら,私は,彼らが取った道は「殉教」というよりは「殉職」に近いものなのかもしれないと思った。私はクリスチャンなので,「信仰を捨てろ」という要求を拒否して死を選ぶ殉職者の選択は理解できる面もある。しかし,この修道士たちが危険な地を捨てなかったのは,信仰を守るためというよりは,自分たちに託された使命(=現地の貧しい人々を助ける)を全うするためだったのではないかと思う。
Deshommesetdesdieux316558limagine
テロリストの脅威にひるみそうになる心を強く保つために,彼らがどれほどの勇気と平安を,祈りや讃美によって神から受けつつ,「逃げたくなる自分」と戦ったか・・・また異なる宗教の人たちや,テロリストにまで彼らが注いだ慈愛の心など・・・まさに「最後の晩餐」ともいえる食卓で,「白鳥の湖」のBGMをバックに映し出される彼ら一人一人の表情・・・そこには,死を覚悟した哀しみはあったが,同時に,迷いのない静けさがあり・・・互に愛情を込めて見交わす眼差しの優しさには,人を超越した崇高な輝きさえ感じた。

ラストはテロリストたちに囚われ,雪山の中を死に向かって黙々と歩いていく憔悴した修道士たちの映像が映し出される。そしておそらくリーダーのクリスチャンの遺言であろう手紙には,自分の命を奪う敵を友と呼び,「いつか天国で再会できるように」と書かれていた。
Micheallonsdalesabrinaouazani_jpg_5
神々と男たちというタイトル。
神々とは,キリスト教の神とイスラム教の神を指しているのだろうか。そしてそれぞれの神を信じるゆえに,闘わざるを得なかった男たち。片方は暴力や殺戮によって,そしてまた片方は無抵抗と曲げない信念を武器にして。このような史実があったことを,そしてその中で生き,また死んでいった人たちのことを…そして今も続いていて,おそらく世の終わりまで絶えることがないだろう,宗教が基になった戦争や紛争の事など,いろいろと考えさせられる作品だった。

より以前の記事一覧