カテゴリー「映画 た行」の64件の記事

2021年12月 4日 (土)

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

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ダニエル・ボンド最後の作品ということで、劇場で観てきました。

あらすじ;諜報(ちょうほう)員の仕事から離れて、リタイア後の生活の場をジャマイカに移した007ことジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、平穏な毎日を過ごしていた。ある日、旧友のCIAエージェント、フェリックス・ライターが訪ねてくる。彼から誘拐された科学者の救出を頼まれたボンドは、そのミッションを引き受ける。 (シネマトゥディ) 

今回の敵役は、ボヘミアン・ラプソディのフレディ・マーキュリー役で有名なラミ・マレック。毒物や細菌兵器を操り世界征服を企もうとする狂気を秘めた悪の権化を、不気味に冷徹に演じ切っていました。

結論から言うと、私はこのシリーズの中で一番好きです。年齢を超えた胸のすくようなアクションの切れも感嘆ものでしたが、守るべき家族ができたボンドの感情の動きが素晴らしく、人間臭くて共感しまくりでした。

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ヴェスパーとの辛い思い出を乗り越え、マドレーヌと出会い、娘の存在を知ってようやく平穏な人生を手に入れかけたボンド。それなのに・・・それなのに。そしてラストは泣いてしまいました。最後のダニエル・ボンド。本当に最後になってしまったのですね。ネタバレになるので詳しくは書きませんが・・・。これは「愛の物語」だとは前評判で聞いていましたが、ほんとうにそうでした。愛する女性とわが子への永遠の想いが最後に込められていました。

ダニエル・クレイグさん 長い間お疲れ様でした。強いだけでなくセクシーで人間味があって、本当に魅力的な007でした。

2019年9月15日 (日)

誰もがそれを知っている

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結婚してアルゼンチンで暮らしていたヒロインのラウラ(ペネロペ・クルス)は、妹アナの結婚式に参加するために10代の娘イレーネと幼い息子ディエゴを連れ、故郷のスペインの小さな村に帰ってくる。 老父や姉夫婦、幼なじみで元恋人のパコ(ハビエル・バルデム)夫婦や友人たちも交えて、盛大な結婚披露パーティが夜を徹して繰り広げられたが、そのパーティの最中にイレーネが誘拐される事件が起きる。犯人から莫大な身代金を要求するメールは、なぜか母親のラウラだけでなく、パコの妻ベアのもとにも送られてくる・・・・・。監督は、イラン映画の巨匠アスガル・ファルハーディー。ごく普通の日常生活の中で起こる「ある事件」をきっかけに明るみに出される登場人物たちの秘めた感情を濃密に描いた作品が多いが、この作品もそんな感じの傑作だった。

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誘拐事件という事件を中心に物語は進んでいくが、犯人探しがテーマはない。犯人は終盤になって解決の前に観客に明らかにされるし、警察は最後まで実際に介入することなく、イレーネも無事に戻ってくる。なぜなら犯人は身内であり、到底払えないほどの莫大な身代金は、パコが自身の葡萄農園を売って工面したからだ。なぜ、イレーネにとって「母の幼馴染」でしかないパコがそこまで犠牲を払ったのか?このあたりで観客も想像がつくけれど、イレーネは実はパコの娘だったのだ。そしてそれこそが「誰もがそれを知って」いたいわば公然の秘密だったのだが、皮肉なことに当人のパコとその妻だけは、誘拐事件をきっかけにラウラから打ち明けられるまでその事実を知らなかった。なんとラウラの夫までもが知っていたというのに。

パコに対する村人たちやラウラの親族たちの秘めた気持ち。パコがラウラ一家の使用人の息子であり、彼の葡萄園ももともとはラウラの家の所有だったという事実。それに対するラウラの父の恨みがましい思い。実の父親のパコが農園さえ売れば莫大な身代金を工面できるという理由で誘拐されたイレーネ。そしてイレーネの出生の秘密を知る人間は誰かというと、それこそ「誰もがそれを知っている」のだ。
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誘拐事件をきっかけに明るみに出される公然の秘密や、登場人物それぞれの猜疑心や嫉妬心など負の思惑。それらが二転三転してどんどん煮詰まっていく様は何とも言いようがなく不穏な緊張感に満ちて、最後まで目が離せない。一番の貧乏くじを引いたのは誰だったのか?事件は解決してもイレーネの心にいったん生じた疑惑や、ラウラが夫に対して抱いた不信感や怒りは、きっとこれからもひと悶着を生みそうだ。農園も妻も失ったけれど、もしかしたらラウラの心を取り戻したかもしれないパコはこれからどう生きるのだろう。そしてあの姉夫婦一家。何事もないときはそれぞれにこやかに穏やかに心を隠して生きていても、兄弟でも身内でも、いや、近親者ゆえに実は心に黒い感情を秘めているものなのかもしれない。できればずっとお互いに見たくないし見せたくない感情を。

極上の心理サスペンス。ただし余韻の深い「イヤミス」である。

2019年8月 7日 (水)

魂のゆくえ

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とてもスピリチュアルで地味な作品だが、クリスチャンの立場で観ると深く考えさせられることばかりだった。

主人公のトラー(イーサン・ホーク)は、ニューヨークにある小さな教会「ファースト・リフォームド」の牧師。彼は息子をイラク戦争に送り出して喪い、それがもとで妻にも去られるという過去の傷がある。ある日彼は、信徒のメアリー(アマンダ・セイフライド)から、夫マイケルについて相談を受ける。環境活動家のマイケルは環境が破壊された地球の未来を悲観し、メアリーに妊娠している我が子を産むべきではないと主張していた。トラーは出産を受け入れるようにマイケルを説得するが、マイケルの考えに次第に賛同の思いを抱くようになる。

そうこうしているうちにマイケルは自殺し、トラーはメアリーの依頼でマイケルが納屋に隠していた自爆ベストを預かることになる。マイケルの葬儀で環境問題に関するメッセージを発した件で教会から咎めと忠告を受けたトラーは、教会が環境汚染の元凶である大企業から多大な支援を受けていたことを知る。苦悩と葛藤の末に、トラーは教会の記念式典の朝、ガウンの下に密かにマイケルの自爆ベストを着こむのだが・・・・

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トラーは、信条に反することに対して苦悩し、その矛盾に絶望し、自分も教会も破壊することで抗議のメッセージを届けたかったのだろうか。日記はつけているけれど、式典の席で自爆しようとした彼の決意を詳細に語る台詞はないので、彼の表情や行動から推し量るしかない。メアリーに惹かれていることも、一人の時は酒浸りになっている理由も、彼の口からは何も語られないけれど、神を信じてはいても、彼の内心が平安や幸せに満たされてはおらず、怒りや疑問が次第に広がってきていることは切々と伝わってくる。

天地創造のあの7日間、神が作った世界は美しく完全ですべて「よかった」はずなのに、被造物である人間が、神の創造物をここまで破壊してよいものだろうか。それは罪であるし冒涜だとトラーは主張する。それに反して、終末へと世界は確実に向かうことは神の御計画でもあり、人間がそれに加担するのも神の御心であると教会は言う。果たしてどちらが正しいのか。私は鑑賞中にずっとこのことを考えていた。環境問題だけではない。戦争や犯罪や病気や災害をも、なぜ神は野放しにされているのか。このような疑問から神に躓き、信仰を失うクリスチャンのなんと多いことか。

終わりの日には確かに世界は破滅へと向かう。神は人の心を支配されることはあえてなさらず、罪や悲しみは満ちるのを放任しておられるように感じる。それを許せないと感じるか、みこころだからと受け入れるか。環境破壊問題が切実になってきた今日だからこそ強烈なメッセージを語りかけてくる作品だった。

トラーが自爆を中止したのは、来ないばずだったメアリーが式典に来たから。そしてそれにトラーが気づいたから。そこに神の憐れみとみこころを私は感じた。この二人は今後どうなるのだろう・・・。

2017年9月17日 (日)

ダンケルク

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クリストファー・ノーラン監督が,第二次大戦中のダンケルクの大撤退作戦(ダイナモ作戦)を、空、陸、海の3つの視点で描いた戦争映画。劇場で鑑賞。

映画つぐないにも描かれていた、ダンケルクの場面。海岸で祖国への船を待っている負傷し疲弊した兵士たちの姿や、連れて行けないためか、射殺される軍馬たちのシーンが切なく心に残っている。しかし、ダンケルク撤退の詳しい背景を知らなかった私は、なんとなく、これを、終戦間際に行われた単なる移送みたいに勝手に思っていた。戦いが一段落したから海を渡って祖国へ帰るのに、船の調達が間に合わなくて待たされてるだけ~・・・・みたいな。

今回、この作品を観る前に、ダイナモ作戦についてググったり、
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BBCのドラマ映画「ダンケルク 完全版 DVD BOX 史上最大の撤退作戦・奇跡の10日間」を観たりして、しっかり予習したら・・・・・。                                                                                          

この撤退って、もの~~~すごく苛酷で、どえらい大作戦だったんですね。(←無知)まさに、絶体絶命の状況での、死に物狂いの救出劇だったわけ。

1939年のポーランド侵攻以来、、電撃戦を展開してきた無敵のドイツ軍。あっという間にフランスのダンケルクまで追い詰められて逃げ場を失ったイギリスの海外派遣軍。彼らの救出に向かった船舶は、駆逐艦や大型船だけでなく、貨物船、漁船、遊覧船、ヨット、はしけなどのあらゆる民間の船が含まれていたというから凄い。

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撤退を妨げようと、空からも海からも陸からも、
執拗な攻撃を仕掛けてくるドイツ軍。

陸ではじりじりと包囲網を狭めてくるドイツ軍を防衛線で食い止めようとするフランス軍。そして撤退行動を阻害するドイツ空軍の攻撃の阻止に奮闘するのは、英国空軍が誇る戦闘機スピットファイア。しかし、やっと乗り込んだ駆逐艦も、出港してすぐにドイツの魚雷や爆撃に沈められ、海に投げ出される兵士たち。救う方も救われる方も、一刻を争う過酷な救出劇が繰り広げられるのだ。

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生き残れ!

生き残れ!
生き残れ!

全編を通して悲痛な叫びがこだまするような、そんな手に汗を握るサバイバル作品。「どうやって撮ったんだろう?」と観客を唸らせる迫真の映像はさすがノーラン監督。そして、「とにかくどんな手段を使っても逃げたい」という、恐怖とパニックに支配された兵士たち

欺いてまでイギリス軍の中に紛れ込もうとするフランスの兵士や、定員オーバーの船から「お前が降りろ」「お前こそ」と諍いを始める場面は、正直かっこいいものじゃないけれど、ダンケルクの撤退には、若くて未熟な兵士もたくさんいたということだから、実際はそんな感じだったのだろう。ノーラン監督も、そのあたりを考慮したのか、浜辺の場面の俳優には若手で無名の俳優を起用している。

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主演の一人である二等兵トミーを演じたフィン・ホワイトヘッドは、オーディションで抜擢された。イケメンなのだけど、どこにでもいそうな雰囲気もあり、必死に生きのびようとする迫真の演技がリアルでいい。襲い掛かる難関を次々にクリアして先に進むには、生きたいという本能に突き動かされて最後までとにかく諦めないこと、これに尽きるのかもしれない。
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一方、救出に当たる英国空軍兵士や、現場で指揮を執る軍人、命を張って救出に向かった一般船の船長などは、やはり使命と責任をもって任務に臨んでいるせいか、かっこよく描かれていて、演じるのもケネス・ブラナーとかトム・ハーディとか、マーク・ライナンスなどのベテラン名優。ノーラン監督作品には常連となっているキリアン・マーフィは友情出演みたいな感じだけど。もう一人の常連、マイケル・ケインは英国空軍の隊長で声のみの出演。
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この、英国空軍の活躍と貢献は大きかったらしい。彼らが空で身を挺して支援してくれなかったら、あれほど多くの人数を救うことはできなかったのではないかとも言われている。

ダンケルクの撤退で、トミーのような兵士たちの使命は、逃げること、生きのびること、だった。疲れ切った帰還兵で溢れる駅で、出迎える人たちに「生き残っただけだ。(何も偉くない)」と自嘲気味に呟く兵士に「(それで)十分だ」という答えが返ってきた場面が印象的だった。

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その言葉通り、ダンケルクの撤退は、大きな犠牲も伴ったが、人的資源の保全という意味では大きな成功を収め、生還した兵士や軍人の多くは、後の中東などでの戦線で戦力となり、連合国を勝利に導いている。また、撤退には民間人も命がけで協力したことはイギリス人の心に刻まれ、“ダンケルクスピリット”(イギリス国民が団結して逆境を克服しなければならないという時に使うフレーズ)の合言葉は、今日でも継承されているという。

余談だけど、予習で観たBBCの「ダンケルク~」(上記)は、ドキュメンタリーとドラマを織り交ぜた内容で、作戦の背景やフランス軍サイドの事情や、撤退できなかった人たち(自力で移動できないから残された負傷者とか、海岸にたどり着くまでにドイツ軍の捕虜になって殺された小隊とか、最後まで残って敵軍を食い止める役を担った兵士とか、病院船の申請をし続けながら野戦病院に残った外科医とか)のことも詳しく描かれていた。そして、この史上最大の撤退作戦の成功のいくらかは、フランスの犠牲のもとに成り立っていたことも。こちらもあわせて観るとなかなか感慨深いものがあるかもしれない。

2017年3月 2日 (木)

沈黙 (原作小説) 感想

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スコセッシ監督の映画,沈黙ーサイレンスーとの出会いの方が先である。原作小説のほうは,テーマが「キリシタン宣教師の棄教」ということもあって,クリスチャンの端くれの身としては,なんとなく今まで敬遠してきた。今回,この原作を手に取った理由は,ひとえに映画に深く心を打たれたから。感動とも共感とも違う,この衝撃をなんと表現したらいいのか。私にとっては,「強烈すぎて忘れることができない」物語だった。

江戸時代初期のキリシタン弾圧の嵐のさなか,拷問に耐えきれず棄教した師フェレイラ神父の真実を確かめるため,長崎にたどり着いた,ポルトガルの若き宣教師ロドリゴ。彼がそこで体験したのは,想像を絶する苛烈な弾圧と,その中で極限まで苦しめられる弱き信徒たち,そして苦しむ彼らに対する神の恐ろしいまでの「沈黙」だった・・・・。

肉体の苦痛は,それが自分自身のものだけなら,もしかして耐えられることはあるだろう。しかし,他者の命が自分の意志にかかっているとしたら?そして肝心の神は沈黙している(ようにしか思えない)としたら?

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遠藤周作氏が,かくれキリシタンの取材で訪れたという黒崎教会

この小説では,ロドリゴの棄教は,不名誉でも不信仰でもなく,宣教師としての信念や栄誉を投げうってまで他者を救う自己犠牲と愛の行為であると描いている。そしてそれをイエス・キリストも赦し,望んだと・・・・。この点はキリスト教会はすんなりと共感はできないところだろうし,それは当たり前かもしれない。聖職者による踏み絵の行為を正当化したようなものだから,キリスト教会からの反発はしごくもっともなことである。

遠藤周作氏は、日本人とキリスト教の矛盾について生涯悩み続けた人だったと思う。日本という国でキリスト教が根付くことの難しさについては,この小説のなかでも,フェレイラ神父や,通辞や,井上筑後守の言葉を通して繰り返し繰り返し,語られているが,これがまた,説得力が半端ないのである。

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日本は沼地のようなもので根が腐ってしまう・・・日本人はキリスト教の神を本来の姿から似ても似つかぬ得体のしれないものに変えてしまう・・・・日本にキリスト教が根付きにくいのは本当だと思う。どんな宗教も「そこそこ」しか浸透しないのが日本ではないかと実は思っている。それゆえに宗教による内戦や対立も他国よりは少ないのかもしれないが。


「沈黙」の物語の中で,ロドリゴ神父が出会った神は,「弱者の神」であり「共に歩む神」でもあった。その神は「わたしはお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ,お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」とロドリゴに語りかける。これを,作者の都合のよいように改変された神だと感じるキリスト者も多いと思う。日本では受容されにくいキリスト教の排他的で厳格な一面を和らげ,本来の教義を変えてしまったと。

弾圧の中では,心の中で信じてさえいれば,
信仰を表明しなくても許されるのか?
動機が愛や自己犠牲であれば,
踏み絵のような行為も神のみこころに叶うことなのか?
弱いもののために死なれたキリストは,
棄教者の弱さをも,非難することなく寄り添ってくださるのか?


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正直,わたしには,わからない。
いや,理屈では上記のことは「ダメ」なのだとは知っている。そう教わったから。聖書にも記されている。でも,この小説を読んで,そしてまたスコセッシ監督の映画を観て,理屈ではなく感覚的に,わたしもまたロドリゴが出会ったような神に心惹かれるものを感じたのかもしれない。このような神であれば,日本でも根付くことができたのではないかと。

映画の中でも原作の中でも,一番印象にのこる登場人物が「キチジロー」である。遠藤氏自身を投影したともいわれるキチジロー。弱者の代表のように何度もたやすく転び,それでも神の元から離れがたく,何度でも臆面もなく戻ってくるキチジロー。

わたしもこのキチジローの中に自分を見る。日常生活の中で,信仰と自己とどちらを優先するべきか,判断を迫られる時・・・試練の中でやはり神が沈黙しているとしか思えなくなったとき・・・・わたしも,繰り返し何度も,小さな踏み絵を踏み続けている自分を感じる時があるから。

2017年2月15日 (水)

沈黙ーサイレンスー

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本日、劇場で観賞。
スコセッシ監督が忠実に映画化したと言われる遠藤周作氏の原作「沈黙」は未読である。江戸時代初期のキリシタン弾圧によるポルトガル司祭の棄教を通して,神と信仰の意義を描いた作品。

キリスト教の弾圧や迫害は,日本に限ったことではなく,ローマ帝国などでも行われてきた。キリスト教徒は政治的な権威よりも神に従うことを選ぶので,支配者には脅威の存在にもなりうるからだ。
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さらにキリスト教は厳格な一神教であり,「わたし(=イエス)を人の前で認める者はみな,わたしも天の父(=神)の前でその人を認めます。しかし,人の前でわたしを知らないと言うような者なら,わたしも天におられるわたしの父の前で,そんな者は知らないと言います。(マタイの福音書)」という聖書の教えゆえに,信徒は拷問にも死にも屈せず,信仰を表明しようとする。弾圧や迫害,すなわちこの世の試練の先に,信徒たちは「天の御国」を仰ぎ見,苦難も死もものともしない。

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この作品の中でも,「転ぶ」ことを拒んで死んでいく信徒や司祭たちが何人も登場する。ただ,司祭たちはともかく,貧しい村人たちはおそらくそこまで教義についての深い理解はなかっただろう。苛酷な重税による圧政のなか,まるで獣のように生きるだけの人生だった村人たちは,どうせ死ぬなら,崇高なもののために死にたい,という思いで死んでいったのかもしれない。

映像からは,村人たちの悲惨な生活の雰囲気が痛いほど伝わってくる。
苛酷な年貢にあえぐ最下層の虫けらのような生活の彼らにとって,痛みも苦しみもない「パライソ」に行けることは,命を捨てるに値することだったのだろうか。
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クリスチャンの家庭に生まれ育った私にとって,これは,最初から最後まで「自分だったらどうするか?」と問われ続けた作品だった。ローマ帝国や日本のキリシタン弾圧について思うときはいつも,「もし自分がその場にいたらどうするだろう?」と考えたものだけれど,この作品ほど,そのことについて深く考え込んだことはなかった。わたし自身の信仰は、これまで高揚と停滞を交互に繰り返しながら,それでも神の存在を疑ったことだけは今も昔もない。

わたしだったら,転ぶのか転ばないのか?どちらを選択してもなんと苦しいことだろう。殉教が神に喜ばれるものだとわかっていても,恐怖や苦しみに耐える力があるだろうか?
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悲しみと恐怖に慄きながらも,処刑される道を選んだイチゾウやモキチ。苦しみの無いパライソ(パラダイス)に希望を託して死んだモニカやジュアン。脅されても最後まで屈することなく雄々しく殉教していったガルペ神父。

そして,何度でも「転び」,その都度悔い改めて戻ってくるキチジロー。「転ぶ」ことによって人間の弱さや正直さを体現し,それでも神への思いも捨てがたく,何度でも臆面もなく悔い改めるキチジロー。彼が一番自分に近いかもしれないと思った。「こんな自分で申し訳ない」と悔いつつも,「こんな時代に生まれなかったら,いい信徒として死ねたのに,不公平だ。」とも言う彼の愚痴の,なんと正直に真理をついていることか。
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殉教する人間は強い。しかし,棄教するしかない弱い人間はどうすればいいのか。彼らはその弱さゆえに切り捨てられるのか。イエス・キリストは弱い彼らのためにも,いや,弱い彼らのためにこそ,十字架にかかられて死なれたのではないのか。なぜ神はここまで弱者を苦しめ,手をこまねいておられるのか。試練とともに逃れる道も備えてくださると,神は約束されたのではないのか。

神の重い沈黙が,信徒の信仰を失わせることは多々ある。日常茶飯事といってもいい。いつの時代にも,どんな場合でも。旧約聖書に登場する神は,洪水を起こし,海を分け,マナを降らして民を養い,預言者の口を借りて語る神だった。しかし,もはやそんな奇跡も派手な救出も神は行わない。この物語の中の神は,目を覆うばかりのむごたらしい弾圧から具体的な方法で信徒を助け出すことはない。
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肉体の責め苦はもちろんだが,精神的な責め苦の点でも,この弾圧は恐ろしいものだった。滅ばすのではなく,転向させるのが目的の弾圧は,ひとおもいに命を奪うことはせずに拷問によって,また自分以外の人を苦しめることによって時間をかけて棄教させようとする。実際に存在した「転びバテレン」のフェレイラ神父やロドリゴ神父。後半は,彼らの棄教のいきさつと心境がじっくりと描かれる。そして棄教してからの彼らが日本でどのような生涯を終えたかも。

原作を読んでないので,彼らの運命についてはどうなるのか最後まで目が離せなかった。そして神は最後まで沈黙されるのかどうかも。

神は語られた。いままさに踏み絵を踏まんとしたロドリゴの心の中で。そしてわたしは,それはロドリゴの苦しみ抜いた心から生まれた都合のいい妄想などではなく,真の神の言葉だと感じた。苦しむ民の命を救うために,ロドリゴ神父が「転ぶ」ことは,神父である彼にとっては,まさに殉教よりもはるかに犠牲的な「一番つらい愛の行為」であることを,誰よりも神が一番知っておられたと。
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この物語の中には,真の意味で「悪役」は出てこないような気がした。勧善懲悪のわかりやすい時代劇に登場するような憎々しい悪の権化は誰もいない。キリシタンを拷問したり殺したりする役人側の人間たちは,ただ淡々と仕事を遂行しているだけのように感じる。そして奉行の「井上さま」ですら・・・・キリシタンを苦しめたくて苦しめているのではなく,「仕方なく」「こんなことは嫌なこと」という意識を持っているのがよくわかる。「キリスト教は根付かない。この国は沼地だから。」といい,キリスト教を「醜女の深情け」と例える井上たちの説得は,彼らの立場からすれば「正しい」と感じた。

素晴らしい作品だ。作品の深さも,スケールも,役者の演技も。さすがスコセッシ監督,さすが遠藤周作,そして日本の俳優さんたちの健闘ぶりに大喝采を贈りたい。

最後に・・・・この作品を観終わったときに,沈黙する神・・・しかしともに苦しみを担ってくださる神について,クリスチャンの間ではよく知られている「あしあと(Footprints )」という詩が浮かんだ。作者はマーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性である。
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夢の中で,作者はこれまでの人生を振り返る。すると,どの光景にも砂の上に自分と神の二人ぶんの足跡がならんでいるのに,人生の一番辛い時期だけ,神の足跡が消えて自分の足跡しかないことに気づく。彼女が神に「主よ,私が一番辛い時に,一番あなたを必要としていたときに,あなたはなぜわたしを捨てられたのですか。」と問う。神の答えは,「あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」というものだった・・・という内容の詩だ。

転向と悔い改めを繰り返し,そんな自分を恥じているキチジローや,棄教したのちはキリシタン取り締まりの任務にあたって生涯を終えたフェレイラ神父。日本人の妻をめとり,岡本三右衛門という日本名に改名して二度と信仰を口にせず死んだロドリゴ神父。殉教者として称えられるのではなく,「転びバテレン」と呼ばれ,棄教の手助けを仕事として生きねばならなかった彼らの払った犠牲も秘めた心境も神はすべてご存じで,彼らとともに,ある時は彼らを背負って歩まれたのだと思う。彼らがそれに気づいていてもいなくても

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信仰の在り方は様々である。もちろん,聖書の教えは揺るぐことなく存在し,神の救いは妥協を許さぬ面も持っている。神の厳しさと優しさは時には正反対のような性質にも見えるけれど,それでも確かにどちらも真実なのではないかと思う。

この作品は,もちろん原作小説もだけど・・・・様々な視点や立場から見たキリスト教徒や神について描かれていると思った。クリスチャンでも,そうでなくても,それぞれが心に迫るものがきっとある。私自身は,予想をはるかに超えて神を身近に感じた作品だった。

2016年10月20日 (木)

追憶の森

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マシュー・マコノヒー&渡辺謙共演。ガス・ヴァン・サント監督が,青木ヶ原樹海を舞台に描いたミステリードラマ。妻を亡くし,失意のうちに自殺するため青木ヶ原へやって来たアメリカ人男性アーサー(マコノヒー)。彼は樹海の中で日本人男性タクミ(渡辺)と出会い,サバイバル体験を経て,打ち明け話をするようになるのだが・・・・・。

俳優さんに惹かれてDVDを鑑賞。

聞けばカンヌでは大不評だったというこの作品。
描かれているテーマ(死生観?)が欧米では理解されにくかったのかな?でも,日本人にとっては,けっこう心を打たれる物語かもしれない。青木ヶ原樹海が自殺の名所であることは日本人ならよく知っていることだし,死後の魂とか死者からのメッセージとか,日本人が共感できそうなテーマが全編に漂う物語だから。
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最愛のひとを突然亡くし,そしてその相手に対して沢山伝え残したことがあったとしたら・・・・・?先延ばしにしてきた贖罪や和解に向き合うことなく唐突に相手を喪ってしまったら・・・・?残されたものの後悔と悲しみはいかばかりかと思う。

マコノヒーの演じる主人公のアーサーは大学教授。妻のジョーン(ナオミ・ワッツ)は,数年前のアーサーの浮気以来アルコール依存になっていて夫婦は些細なことでも感情がすれ違う生活を送っていた。そんな中,ジョーンが脳腫瘍に冒されていることがわかる。手術の成功をきっかけに夫婦の絆を取り戻したと思った矢先,皮肉にも転院先に搬送される救急車の事故でジョーンはあっけなく亡くなってしまう。それもアーサーの目の前で。
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一流の俳優陣による細やかな演技と,それぞれの存在感に圧倒される。カメレオン俳優マコノヒーはアウトローも宇宙飛行士もエイズ患者もやさぐれ刑事も敏腕弁護士役ももなんでもこなすが,今作では繊細で知的なキャラで,やはり男前だなぁ・・・・このひとは。

そして日本が誇る名優,渡辺謙さん。樹海の中にふらふらと現れたときから謎めいたキャラクターで、「一体何者・・・?」と思いつつ観ていたが,焚火を前に亡き妻への思いを打ち明けるアーサーを見つめる彼のまなざしや涙(この表情が上手い!)を見て,「もしかしたらこの人は実は・・・なんじゃ?」と感じるものがあった。
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終盤になって彼の正体?が推測できる場面やキーワードがたくさん出てきて、やっぱりねと納得。

焚火での会話の中でも,特に心に残っているものは,アーサーと妻のすれ違いについてのエピソード。相手に対する愛情を素直に出せなくなっていた二人は,ちょっとした気遣い(夫が妻の紅茶を補充するとか妻が夫のシャツをきれいにするとか)も,それとははっきりわからないように行った・・・というところだ。感謝するのもされるのも厭だから,という理由で。二人の間の溝がよくわかるエピソード。そして,実は二人とも相手を愛していたんだということもよくわかるエピソード。
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感謝も謝罪も,今となってはすべて手遅れ。アーサーは連れ添ってきた妻の好きな色や季節すら知らなかった自分に気づき,それを聞き出そうとしたまさにそのときに起こった事故で妻は帰らぬ人となり,もはや永久に答えを知ることはないと嘆く。

相手が伴侶でなくても親子や恋人でも,喪った相手に対してこのような慙愧の思いを抱いて苦しむことってけっこうあるんじゃないかと思う。やり残したこと,言えなかった思い,実現しなかった和解や,もっと理解したかったのに十分でなかった相手のことなど・・・いろいろと。

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そんなとき,あの世(天国でもいいけど)に旅立った相手から,こちらの悲しみや愛情を受け止めてくれるメッセージがなんらかの形で届けられたら・・・それはなんという慰めだろうかと思う。残されたものの生きる力になるし,死はすべての終わりではなく魂はいつまでも一緒にいるのだと信じられる。

淡々とした語り口のなかにもラストにしみじみとしたあたたかい余韻の残る作品。まさに癒しと再生の物語だ。日本人なら観て損はないかも。

2015年12月26日 (土)

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ダニエル・ボンド4作目。冬休みに入ったのでやっと劇場鑑賞。監督は前作と同じくサム・メンデス。

今回の作品は,これまでの集大成というか,カジノ・ロワイヤル以降に出てきたボンドの敵たち(ル・シッフルやシルヴァなどなど)を操っていた総元締めの悪の組織スペクターと,ボンドとの闘い。今までの相手もそれぞれ相当手ごわかったのに,彼らのボスってどんだけ強烈な奴なんだ?と思っていたら,リーダーのフランツ・オーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)は,ボンドの生い立ちに深く関係した因縁の人物で,ボンドに個人的な恨みも抱いていた・・・とう設定。ここまで話が拡がると,悪党が回想シーンも含めて勢ぞろいゆえ,お腹いっぱいて胸やけしそう・・・・・。というわたしの個人的な感想は置いといて。

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今作のボンド・ガールはモニカ・ベルッチレア・セドゥのお二人。

年齢を重ねて貫禄十分のゴージャスなモニカ。あの年齢であのスタイル。さすがにボンドとの絡みは最初だけだったが,背中の美しさに目を見張った。

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そして中盤からずっとボンドと行動を共にするセドゥは,最後はボンドと恋仲になるという設定だ。(やっぱり若い娘の方がいいものね。)

スカイフォールに登場した上司のM(レイフ・ファインズ)と,開発?部門専門のQ(ベン・ウィショー)の活躍が今回はぐっと多くて嬉しかったかな。どちらも大好きなので。特にQの役割やキャラはお気に入り。
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最後に特にツボにはまった面白い会話は・・・・

ボンドがQが009のために開発したアストンマーチン・DB10を,勝手に持ち出してテヴェレ川に沈めてしまったことについてQに謝った時のQの返答
「かまいませんよ。所詮5億5000万ほど(だったかな?)の車です。」(すげ・・・・)

それと,MとCの対決場面での会話もふるっている。

C;「MはMoronic(間抜け)Mなんだな。」
M;「Cは
Careless(不注意)のCだ。」(・・・・・子どもの口喧嘩みたい。笑えたけど。)
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2013年1月10日 (木)

007 スカイフォール

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年明けに鑑賞!今年の第一作目は大当たり。
さすがみなさんが揃ってベスト作品に選ばれているだけある傑作だった。007シリーズって、私は,ダニエル・ボンドになってからしか観てないから,私の中では三作目なのだけど,このスカイフォールが一番よかった。

面白かったのも勿論だけど,なにより私にとっては,粗筋が一番わかりやすかったのだ。(←これ案外重要。)カジノロワイヤルでは,肝心のカジノゲームのルールがイマイチわからんかったので緊張感が中途半端になっちゃったし,二作目の慰めの報酬も,始まってすぐにボンドがどんな理由で誰を追っかけているのかわからなくなって,派手なカーチェイスやバトルシーンでは,集中力が途切れて意識が飛んでた(寝てたみたい)。
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しかし今作では,最後まで集中力も理解力も途切れることなく・・・・。すでに三作目となったこのダニエル・ボンドシリーズ,マンネリ化を打破するためか,原点に帰ったような手堅い面白さを漂わせつつ、すでに初老の域に差し掛かった?ようなダニエル・ボンドが,自らの生い立ちやトラウマと対峙したり,仕事を続けるかリタイアするか葛藤したり,冷戦の遺物であるスパイ作戦そのものに生き残る意義はあるのか問われたりと,深みもばっちり盛り込まれていて、サム・メンデス監督上手い!

今回の敵で元工作員のシルヴァの目的は世界征服などではなく、ひたすら元上司Mに対する逆恨みの怨念を晴らすこと。それはそれで怖いのだが,ハビエル・バルデムのソフトな物腰と囁くような優しい声音が,不気味すぎ。いやはやこの方の非道で執念深くて病んだ悪役ぶり,そのキャラが醸し出す怖さは,ノーカントリーの最強の殺し屋シガーを思い出した。
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そして今作でも若い綺麗どころの女優さんも出てはいたけど,今回の陰のボンドガールはジュディ・デンチ演じるMだったような・・・・・。シルヴァに付け狙われ,それでも微動だにしない信念と,ボンドはじめとする部下たちにも相変わらず容赦ないリーダーシップを取り続ける鉄の女上司M。彼女とボンドとの間には,不祥の息子とスパルタ母さんのような,厳しくも実は強固な信頼関係と絆があるようだ。
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あと,オタク青年っぽい新任の兵器開発課長・Qがとても個性的で,どっかで見た俳優さんだな~と思ってたらパフュームの殺人鬼ベン・ウィショーだった。この人も好きな俳優さんだ。

しかしなんといっても嬉しかったのが,ジュディ・デンチなき後の後任Mが,レイフ・ファインズだったこと!これは俄然,次作も観たくなってきた~~~
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やっぱり渋くって素敵

2012年9月29日 (土)

ドライヴ

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第64回カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。DVDで鑑賞。
シンプルだけど最高にクールな作品!
私はライアン・ゴズリングの寡黙なカッコよさにハマってしまったけど,作品自体は,絶対男性受けするだろうな~~~,と思った。というか,この作品の醍醐味はやっぱり男性にしかわからんのじゃなかろうか?女性でもフィルム・ノワール色の濃いバイオレンスやサスペンスが好きなら(=それはわたし)ハマるかも。
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ジェイムズ・サリスの原作を,デンマーク出身の新鋭ニコラス・ウィンディング・レフン監督が映画化。天才的なドライヴィング・テクニックを持ち,昼は自動車修理工と映画のスタント,夜は強盗の逃がし屋をしている主人公(ゴズリング)。

この主人公,名前すらなく,役名は「ドライヴァー」なのだが,とにかく寡黙。家族も友人もなく,もの静かでとても他人に害など与えそうもない,そして感情の高揚も乱れもまったく起こりそうもない・・・そんな表情の彼なのだが,冒頭の「逃がし」のカーチェイスの場面から,もうすでに「コイツ,ただものではない」と雰囲気が。派手な場面ではないのだが,無駄がなく,何が起こっても冷静で的確な判断と行動をする彼からは,静かで確かな凄味が感じられて・・・「なんなの?このひと・・・」と画面に釘付け。
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そんな彼が,同じアパートに住む服役中の夫を持つ人妻アイリーン(キャリー・マリガン)に恋をした時から,歯車が狂っていく・・・いや,本来の彼の別の面が出てきた,というべきか。アイリーンやその息子に対する彼の接し方は,あくまでもプラトニックでシャイで優しく,他の人には決してみせない笑顔さえみせる。しかし,アイリーンの夫が巻き込まれたマフィアとのトラブルから,彼女と息子にも危害が及びそうになったとき,ドライヴァーは驚愕の変貌をとげる。

いや,寡黙で静謐・・・というのはそんなに変わらない。その「寡黙さ」「冷静さ」を依然として保ったまま,顔色一つ変えずに敵をつぎつぎと情け容赦なく倒していく様子が異様に凄いのだ。
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いくら愛するひとを守るために,とはいえ,その徹底ぶり,迷いのなさをみると,もともと壊れている人間なんじゃないだろうか?眠っていた彼のサディスティックでバイオレンスを好む本能が覚醒されただけでは?とすら思ってしまう。後半の殺戮シーンはかなりグロイのでそっちが苦手な人は注意が必要。

エレベーターの中のシーン・・・・ アイリーンをかばい,口づけするときのドライヴァーの仕草のなんと優しく繊細なこと。そして次の瞬間に彼は同じエレベーター内の敵を無残に蹴り殺すのだが・・・とても同一人物とは思えないこの落差には,アイリーンでなくても誰でもショックを受けるだろう。
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それでも,なんだろうな・・・やはり主人公に対して抱く,憐みのような,エールを送りたくなるような不思議な肩入れの気持ちは。本来は善人であるのに,感情面で人とは違う病んだものを抱えている主人公の孤独さと,そんな彼の一途な恋心が切なくて,心惹かれてしまうのだろうか。

ライアン・ゴズリングの作品はラースと、その彼女くらいしかじっくり観ていない。ハンサムだと思ったことは今までなかったけど,この作品の彼はとても素敵です。まさにカメレオン俳優で,ちょっと,いや,かなーり変わった主人公を演じさせたらピカイチだと思う。

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