福田村事件
封切り初日の9月1日に香川県高松市のソレイユで鑑賞。
いつもはまばらな劇場が、なんと年配のお客さんたちで賑わっていた。関東大震災記念日だし、映画で描かれた実話の被害者が香川県出身だということもあったのだろうか。私は隣県の徳島からの鑑賞だったが、同じ四国人として、やはり何と言うかこの事件の被害者たちには一種の思い入れがあった。役者さんたちが喋る讃岐弁は阿波弁と共通する言葉もあり、懐かしさを感じた。その讃岐弁が福田村で全く通じなかったことが原因で、悲劇が起こるのではあるが……。行商人一行が虐殺される場面では劇場のあちこちからすすり泣きが起こった。
関東大震災のとき、朝鮮人がデマにより大虐殺されたという事実は歴史で少し学んだ記憶がある。しかし、聞き慣れない方言が原因で朝鮮人と間違えられて殺された日本人がいたことは全く知らなかった。被差別部落者で行商人という、社会的弱者の立場にあった被害者遺族が泣き寝入りしたため、事件そのものが世間に語り継がれることなく「無かったもの」として消えてしまっていたのだ。この事実を映像化することによって100年たった現在、世に知らしめた監督や、出演した俳優陣、そしてクラファンで制作を支えた一般の方々の功績は大きいと感じた。
本作品は見事の一言に尽きる。
とにかく、作品が私たちに問いかけてくる問題の深さと多さに圧倒され続けた2時間だった。この事件は非常時の人間の集団心理や、軍国主義や階層社会や、様々なものが絡み合って生まれた犯罪であり、二度と同じようなことを繰り返してはならない過ちだと感じた。
加害者となった村人たちはみんな、ごく普通の人たちであり、世が平穏で情報が偏ったり隠蔽や捏造されなかったなら、あのような残虐な行為をおそらく行わずにすんだはずなのだ。軍部の台頭や朝鮮人に対する弾圧や差別という背景ももちろん大きいが、震災とデマの恐怖が人々を団結させ、異分子を排除しないと自分たちがやられる、という集団ヒステリーを生んだ。
しかしこの悲劇は果たして時代のせいだけだと言えるだろうか。確かに、「讃岐弁が他の地方では通じなかった」という現象は、情報の行き来がなかったあの時代のせいかもしれない。しかし、ネットやSNSで情報が溢れかえる現代もまた、誤った情報を意図的に拡散できる可能性は十分あるし、人々は竹槍を持って押し寄せる代わりに、ネット上での炎上や誹謗中傷という方法で、匿名で個人を攻撃できるようになった。
思い起こせば、コロナ禍初期に起こった感染者に対する過剰な警戒や非難も、ある意味「非常事態に起きやすい集団ヒステリー」ではないだろうか。100年前のこの事件から私たちは、条件さえ揃えば人が誰しも陥りやすい過ちについて学ぶことができるのかもしれない。人は集団に帰属しないと生きられないけれど、集団の中でも個人としての意見や価値観を持ち、必要ならそれを主張すること、そして他人の意見にも冷静に耳を傾けることが大切であると強く感じた。
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