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2023年1月の記事

2023年1月31日 (火)

ラーゲリより愛を込めて

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映画館で鑑賞。いつも新作は何の予備知識も入れずに観に行く。この作品もそうしたのだけど、なんと中盤から後半にかけて、慌ててバッグからハンカチを引っ張り出すはめに。涙腺が固いのか、滅多に泣かない私が、十数年ぶりに映画で泣いた。・・・・いや、これもう反則だろ。絶対泣くよこのシーン、と心でつぶやいたのはもちろん、山本さんの遺書を家族の前で涙ながらそらんじる仲間たちのシーンだ。特に、母を喪った無念さと悲しみを抱えた松田(松坂桃李)が、自分の母と山本さんの母(市毛良枝)を重ね合わせて涙する場面は心の中で号泣した。実話なんですね、これ。
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↑ 山本幡男さんご本人

終戦後にソ連に抑留された人たちのこんなにも長い理不尽な苦しみ。
希望を捨てずに待ち続ける家族の想い。
絶望と怒りと苦難しかない収容所生活の中で
山本さんが仲間たちに与え続けた希望と生きる力。

まさに暗闇の中に灯を灯し続けた山本幡男さん。なぜ彼にそんなことができたのか、たとえばナチの収容所でも同じように愛と希望を説き、しまいには自分の命までも仲間に与えた人物としてコルベ神父が有名だけど、山本さんは宗教による希望や博愛精神を持っていたわけではなかった。彼を支え、仲間たちに生きる意欲をもたらしたものは、彼の思想や人柄や深い教養から来たものであり、映画にはくわしく描かれてなかったけれど、彼は自暴自棄になりがちな仲間たちのために、「故国を忘れないように」と日本語の素晴らしさを伝える句会や文芸誌発行を収容所内で行ったという。

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山本さん以外で主要な役割を占める4人の捕虜たち。松田研三(松坂桃李)、相沢光男(桐谷健太)、原幸彦(安田顕)、新谷健雄(中島健人)は皆、実は映画オリジナルのキャラクターだという。しかし全くのフィクションかというとそうではなく、多くの捕虜たちのさまざまなエピソードの集合体としてこの4人は存在するのだそうだ。祖国に老いた母を残してきた者や身重の妻を残してきた者。捕虜になる前は上官だったものや一兵卒だった者。それどころか兵士ですらなかった不運な者など、実際に様々な事情やトラウマを抱えた捕虜たちがいたことだろう。

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今年は日本でも大寒波の冬。零下数度でも寒くてたまらないと感じるのに、酷寒のソ連での収容所生活は暖房どころか窓ガラスすら破れた小屋での生活で、多くの捕虜が寒さと飢えで命を落としたことだろう。いつ帰れるか…果たして本当に帰れるのか・・・それまで生きることができるのか。帰国の望みが絶たれるたびに、彼らの心は絶望の中に沈んでいったに違いない。そんな中で山本さんが仲間たちに与え続けた優しさと希望への不屈の精神。「心の中の想いや記憶は奪えない。」という信念は、のちに山本さんの遺書を仲間たちが遺族に届ける手段として、まさに発揮されることになる。

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終息の見込めない疫病と蔓延る犯罪。深刻化する貧困。重税。年々ひどくなる災害。今の日本はどんどん暗くなっていくばかりに感じられ、未来に希望が見えないと感じる理由が多いけれど、この映画を観て少し心が晴れた。どんな境遇に置かれたとしても、人は心の持ちようや信念で、こんなにも強く優しくなれるんだと知ることができたから。

仲間を励まし続けた山本さんは家族のもとへ帰ることができなくて、どんなに無念だったかと思うけど、彼の勇気や愛が没後70年もの歳月を経て映画となり、現代の私たちのもとに届いたことに感謝したい。

2023年1月 2日 (月)

コロナ闘病記

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2023年 あけましておめでとうございます。

コロナ禍に突入してはや3年・・・。どこかでまさか自分はかからないだろうという、何の根拠もない自信があった私ですが、この年の暮れについにコロナに罹患してしまいました。世間はオミクロン株の第8波まっさかり。接触感染どころか空気感染するというこのウィルスは重症化こそ少ないものの、恐るべき感染力でいつだれがどこでかかってもおかしくない状態。

そんな中で私が発症したのは12月19日のことでした。正確にはその前日の夜から何となく喉が痛いような違和感を感じていましたが、19日の朝になってはっきりと喉の痛みと声の嗄れを感じました。発熱はありません。オミクロンは発症までが2~3日と短いらしいので、感染したのは15~17日あたりでしょうか。

いつどこで誰からなんて、もはや考えても仕方がないですがいくつか心当たりが。
①骨折と低血糖によるせん妄で母が入院し、総合病院に出入りしていた。
②職場でちらほら流行し始めていた。
③3年ぶりに大阪から姉が帰省していた。(これは後に検査した姉が陰性だったので除外)
④スーパー等の買い物(激込み)

19日の朝に声嗄れと喉の痛みが強くなり午後から倦怠感も出たので抗原検査を行いました。
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無料検査をしてくれる薬局で受け、15分後には「陽性です。県のフォローアップセンターに陽性者登録を申請してください。」と言われ、キットの陽性写真をスマホで撮影。陽性登録するときの証明になるそうです。65歳未満で基礎疾患もない私のような者は保健所に伝える必要もなくフォローアップセンターで陽性と診断されたら希望すれば支援物資の配布やパルスオキシメーターの貸し出し等をしてもらえるということで、あとは自宅で市販薬を飲んで療養よろしくね、とのこと。

保健所業務や医療の逼迫を防ぐための措置とはいえ、この扱い(市販薬で自宅療養)で症状がキツかったらかなり不安だろうなと思いましたね。幸い私は発熱もなく息も苦しくなく、軽症であることはわかっていたのでパルスオキシメーターの貸し出しも支援物資も申し込まず、電話による健康診断だけ申し込みました。同居家族は高齢の両親のみ。88歳の母は入院中で在宅していないので安心ですが、90歳の父がいます。症状は出てないけど、炊事は私がしてるので感染の恐れは大です。ただ、普段から寝起きは別棟だしトイレも別だしお風呂も私が最後に入っていました。父は翌日指定された病院で濃厚接触者のPCR検査を受け、幸いにも陰性でした。やはりトイレやお風呂が別だったことと、食事中も無口な父はほとんどしゃべらなかったので黙食ができていたせいかと思われます。

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陽性と診断されてすぐにドラッグストアで市販薬を買い込み療養に入りました。陽性者は7日間の療養を経て社会復帰できますが、10日間くらいは大事をとって他者に感染させないように気をつけなければいけません。軽症ではありましたが喉の痛みと咳は「ただの風邪」レベルではなくとてもキツかったですね。

1日目・・・微熱。激しい喉の痛み。倦怠感。
2日目・・・同上。
3日目・・・平熱。さらに激しい喉の痛み。咳。嗅覚が消える。
4日目・・・平熱。焼けつくような喉の痛み。激しい咳。嗅覚戻らず。
5日目・・・平熱。喉の痛みは和らぐ。激しい咳。嗅覚少し戻る。味覚が少し変化する。
6日目・・・平熱。喉の痛み消える。痰がからむ。咳も減る。鼻血。血痰(鼻血が混じった?)
7日目・・・平熱。咳が止まる。痰が残った感じ。嗅覚戻る。味覚はまだおかしい。
8日目・・・平熱。咳無し。痰はまだ少し残る。味覚だいぶ戻る。倦怠感は少し残る。

9日目から買い出しなどの最小限の外出に出るようになりました。倦怠感と痰が残る後遺症が心配ですし、体力が落ちて半日動くと半日は寝るといった生活が今も続いています。亜鉛のサプリを買って早めに飲み始めたせいか味覚障害は完治しました。年末年始で仕事も休めたことが助かりましたが4日からはまた出勤なのでしっかり体力を戻したいです。
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療養期に無理をしたり、回復に適さない食生活をしたりすると後から後遺症がガツンとくるそうなので、今も食生活には気をつかっています。免疫を上げる食材をとり、アルコールや甘いものや脂っこいものは避けています。ファンケルさんのケールのポタージュは美味しくてお勧めですよ~~~。

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