最後の決闘裁判
アマゾンプライムで鑑賞。監督がリドリー・スコット。出演がマット・デイモンとベン・アフレック、アダム・ドライバーという名優ぞろい。史劇には定評のあるリドリー・スコットだから面白くないはずはない!しかしこの作品、確かに戦闘シーンや決闘シーンは見事だが、それ以外に心理的なサスペンスともいえる面白さがあり、二度繰り返して鑑賞してしまった。
舞台は1380年代のフランス。ノルマンディーの騎士ジャン・カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友であるジャック・ル・グリ(アダム・ドライヴァー)から強姦されたと訴える。しかし事件の目撃者はおらず、ル・グリは無罪を主張し、領主のピエール伯(ベン・アフレック)も彼を擁護する。カルージュは国王シャルルに上訴し、ル・グリとカルージュは決闘によって決着をつける「決闘裁判」を行うことになる・・・というあらすじだ。
裁判の決着を決闘でつけるというなんとも仰天で野蛮な制度だ。この場合、裁きを神に委ねるという言い分らしい。そもそも女性の人権が確立されてなかった時代。強姦された妻本人が訴えることは認められておらず、妻の夫が「所有権の侵害」とやらで相手を訴えなければならないというから二重に驚きだ。おまけに訴えた夫が決闘に負けた場合、妻は偽証罪で火あぶりになるという、トンデモナイ制度なのだ。だから強姦された女性(けっこう日常茶飯事だったらしい)は泣き寝入りが当たり前で、訴えたマルグリットは自分の意志と根性を持った強い女性だったのだと思わされる。
この作品、リドリー・スコット監督だから代表作の「グラディエーター」のように「不遇の憂き目にあった主人公が大活劇の末にみごと勧善懲悪!」という痛快な史劇に仕上がっているのかと思いきや、確かに訴えたカルージュが勝利するのだけど、勧善懲悪とは全く目指す方向が違った物語となっていた。非常に複雑でモヤモヤする心理劇になっていて、そこがこの作品の一押しポイントだと思う。
物語は3部構成になっていて、第一部は「マルグリットの夫カルージュの真実」、第二部は「訴えられたル・グリの真実」、そして第三部は「マルグリットの本人の真実」となっている。そして第三部のマルグリットの真実こそが「真相」であると考えられるので、第一部と第二部はカルージュとル・グリの「自分に都合のよいように解釈したり捻じ曲げたりした」主張ということになる。これが面白い。
いや、二人ともおそらく嘘を言っているつもりはないのだろう。カルージュもル・グリもどちらも「自分がこう記憶している」「自分がこう思いこんだ」ことを主張しているのだ。そして、同じ出来事でも主観が違うとこうも違う場面になるのか・・と驚愕。人はみな誰しも自分に都合のいいように記憶を塗り替えてしまうものだということがよくわかる。自分が相手に与えた失言や暴挙は忘れたりささいなことになったりし、相手から受けた侮辱などは記憶の中で膨れ上がって定着する。
特に興味深かった場面は・・・
①カルージュとル・グリの宴会?での和解のシーン
どちらが先に「王の僕(しもべ)に敵意なし」という和解の言葉をかけたか?つまりどちらが先に歩み寄れる度量をもっていたか?カルージュもル・グリもどちらも自分から先に声をかけたことになっていた。そしてその場にいたマルグリットの記憶では(これが真実)なんと和解の言葉をかけたのは二人ではなく、背後で見守っていた友人だった。いや~面白い。カルージュもル・グリもどちらも記憶や主張を自分に都合よく修正している。
②カルージュの妻への態度
カルージュの記憶の中では、彼はいつも妻に優しい笑顔を向ける良き夫として描かれている。妻に「愛しい人」と呼びかけ、戦いから帰還してきたときは真っ先に妻を抱擁し、強姦されたと打ち明けられたときはル・グリに激しい怒りを表しつつも、妻には「守れなくてすまなかった。」とあくまでも優しい。
ところが同じ場面をマルグリットの視点からたどると、全く違うのだ。マルグリットの記憶の中の夫は、婚礼の席で妻の持参金を厳しくチェックし、戦いからの帰還のシーンでは妻のドレスが気に入らなくて彼女を黙殺し、強姦打ち明けシーンでは妻の首を絞めんばかりに激高し、極めつけに「あいつをお前の最後の男にするものか。」と彼女に迫っているのだ。おそらくこちらが真実だろうから、マルグリットにとってカルージュは優しくもないし良い夫でもなかったようだ。
妻は夫から愛されていると感じていないのに夫は妻を愛しているつもりだったので、このようなはっきりとした認識の違いが生まれているのか・・・。これって今の時代でも起こりうることだよね。
③強姦シーンでのやり取り
館に一人で留守番していたマルグリットを不意打ちで訪れ、彼女を寝室まで追いつめて襲うル・グリ。この場面は同じセリフと同じいきさつなのにル・グリとマルグリットの認識がはっきりと違う。ル・グリの記憶の中ではマルグリットは「やめて、帰って」と口では言いつつ、表情やしぐさではまんざらでもないように描かれている。寝室へ移動するときも彼女の足取りはやや速足でまるで誘導しているかのよう。拒否するそぶりもあまり本気でないみたいな・・・。
ところがマルグリットの記憶の中では(やはりこちらが真実)彼女ははっきりと彼を拒絶し、寝室へと逃げ込む場面も全力で逃走しているし、本気で嫌がっているのである。日ごろから色男で女性にもてるル・グリが、マルグリットに好かれていると思いあがったゆえの思い込みから生じた記憶の温度差なのだろう。
・・・と、今作はこのようにまるで黒澤監督の「羅生門」のように、互いに食い違う証言が交錯する大変興味深くモヤモヤする作品となっている。とはいえ、決闘シーンはさすがにリドリー・スコット監督らしい大迫力で見ごたえがあった。
それにしても。三人の主要男優陣、マット・デイモンとベン・アフレックとアダム・ドライヴァー、みんな大好きな俳優さんなのだけど、役の上では全員が嫌な奴だった・・・。^_^;
●マットが演じるカルージュは短気で頑固でなりふり構わず自分の権利を強く主張するモラハラ夫。
●アダムが演じるル・グリは知的でカッコいいのだが女にだらしない色男。
●ベンが演じるピエール伯は軽佻浮薄にしかみえないし・・・。
まさかまさかこの三人がこんな女性の敵のようなキャラを演じるとは、想定外すぎて、実はカルージュは本当はいいやつだったというオチでも用意されているのかと、かすかな期待を持ち続けていたけれど、やっぱり最後の最後まで嫌な奴だった。あはは。
なので勝利を勝ち取った決闘の場面でも当然のカタルシスはなく、マルグリットとの心からの抱擁もなく。そもそもこの決闘も、妻の名誉のためというより、己の意地からル・グリ憎さのあまり挑んだようなものだったし、負けたら妻も火あぶりになることを卑劣にも当の妻には隠していたし。
それでもこんなキャラを演じた三人は、やはり名優だなぁと感嘆した。三部構成で同じ場面を二度三度演じることもあったわけだが、特にマットは表情や仕草を巧みに演じ分けていたのが、何よりすごいと思った。
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