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2021年1月31日 (日)

在りし日の歌

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「在りし日の歌」とは日本では「蛍の光」としてよく知られているあの曲だ。かつては卒業式の定番曲だったが、歌詞が時代にそぐわなくなって久しく、最近ではもっぱらデパートの閉店の曲としての知名度のほうが高いかも。日本ではこの曲を聞くと「別れ」をイメージするけれど、原曲は「友を懐かしむ」歌詞であるらしい。

市井の名もない人々が主役の大河ドラマのようなこの作品。中心となるのは二組の夫婦。同じ工場の同僚であり、同じ誕生日の息子を持つヤオジュンとリーユン夫婦と、インミンとハイイエン夫婦。彼らはお互いの息子の義理の父母の契りを交わし、息子たちはまるで兄弟のように一緒に育ったのだが・・・。歯車が狂い始めるのは、ヤオジュンとリーユンに第二子が出来、工場の責任者であるハイイエンの強い勧めで堕胎を余儀なくされてからだ。リーユンは二度と妊娠できない体になり、その後、あろうことか一粒種の息子シンを水の事故で失ってしまう。傷心のヤオジュン夫妻は住み慣れた故郷から逃げるように去り、誰も知らない海辺の町に移り住む。そこで養子を迎えた夫妻は、喪った息子と同じ名前をつけて育てるが、思春期になった義理の息子は反抗し、家出してしまう。
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ヤオジュンとリーユン夫妻の悲しみは自身の「子ども」との縁のなさ。考えてみればこの夫婦には4人の子供を持つ機会があったのに、誰一人手元に残らず、ことごとく失われていく。一人目は水の事故で死んだ最愛の息子シン。二人目は堕胎によって生まれることもかなわなかった第二子。三人目は家出した義理の息子。そして4人目は義理親子の契りを結んだハイイエン夫婦の息子ハオ。ハイイエンがリーユンに堕胎を強いたことと、シンを喪った事故の責任がハオにあったことから、彼らはすっかり疎遠になってしまったのだ。

それでもヤオジュンもリーユンも悲しみながらも誰をも責めない。自らの運命を受け入れ、互いに寄り添って生きていく。年月を重ねるごとに、時代や政策に翻弄され、失い続けた悲しみや痛みは、確かに彼らを疲弊させるけれども、自棄になることも自らを過剰に憐れむこともなく、毎日を静かに忍耐強く生きていく。

 時系列をあえてバラバラにしているこの作品。大きな感動は終盤になって訪れる。死の床にあるハイイエンの懇願で、夫妻は何十年ぶりかの帰郷を果たすのだが、そこで再会したハオからシンの死について懺悔を受ける。しかし、夫妻はすでにそのことをハオの父、インミンから聞いて知っていて、ハオを赦していた。もしかしたら、夫妻が逃げるように故郷を去ったのは、もちろんシンを喪った悲しみもあっただろうけれど、自分たちが近くに居続けたらハオを苦しめてしまうと思ったからではないのか。ハオもまた自分たちの「義理の息子」だったのだから。もしそうだとしたら、この二人はなんと優しく強い人間だろう。

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ハオの子供を「おばあちゃんよ。」と嬉しそうに抱く年老いたリーユン。そのときヤオジュンのもとには家出した義理の息子から携帯電話がかかってきていた。恋人をつれて帰ってくるという。長年の苦労が、忍従が、晩年になってようやく報われるのかもしれない。しかし、たとえそうでなくても、長い年月を共に生きてきたこの夫婦の絆や穏やかさは、盤石のものとしてそこにあり続けるのだろう。

生きていくこと。ただ、それだけがどんなにか辛い時もあるかもしれない。それは誰にでも起こりうること。それでも人生は続き、大切なひとの存在は生きるうえでの支えとなる。人生は時には苛酷で残酷なものだけど、その中で精一杯生き抜こうとする人たちの姿は強く美しい。そんなことを教えてもらえる物語だった。

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