ジョーカー
本当の悪魔は笑顔の中にいる。
バットマンの宿敵であるジョーカーの誕生秘話。
わたしはノーラン監督のダークナイトで初めてジョーカーを知り、ヒース・レジャーの鬼気迫る怪演を観て、まさにジョーカー=モンスターなみの悪役だというイメージを持っていた。彼は人の心を弄び、善を悪に転じさせることに邪悪な喜びを見出している「狂った犯罪者」なのだと思っていた。生まれつきの悪魔、カリスマ的な悪の権化なのだと。しかし、この物語の主人公であり、後にジョーカーとなる男アーサーは、そんな既存のイメージとは全く違った哀しくも孤独な男だった。
精神を病んだ母を持ち、自分も「おかしくもないのに笑ってしまう」という病気を持つ、いわば社会的弱者の立場に生まれ育ったアーサー。ゴッサムシティの貧しいアパート。寝付いた母の看護をしながら、「人々に笑いを届けたい」というささやかな願いを胸に大道芸人として生きている心優しいアーサー。それなのに彼は人々から時には愚弄され、努力は裏目に出て失意と孤独を味わい続ける。
不運だから、人から避けられるから、馬鹿にされたから、陥れられたから、努力しても全く報われないから・・そんなことの連続が必ず犯罪者を生むわけではない。そんな理由はもちろん免罪符にはならない。アーサーが失意と怒りと絶望の果てに、恐るべき怪物ジョーカーに変貌したのは、許されることではない。しかし、ここに描かれたジョーカー(アーサー)には、つい応援したくなるような、肩入れしたくなるような、そんな思いを抱いてしまう。
格差社会が際立ち、下層の人々の不満や怒りが蓄積する殺伐としたゴッサム・シティだからこそ、アーサーはジョーカーへと変貌を遂げたのかもしれない。彼の登場をまるでヒーローのように歓迎した市民たちの存在。そして、ホアキン・フェニックスの渾身の演技は、私がこれまで抱いていた「ジョーカー=悪の権化」というイメージを根底から変えてしまった。善良な人間はいかにして反社会的な存在になりうるか?理不尽に殴られ続け、夢のすべてが砕け散ってしまったら、そしてそれに加えて狂気や病んだ精神が加わったら。恐るべきケミストリーが起こるさまを、ホアキンは見事に演じきったと思う。
孤独の中でうずくまるアーサー。
哄笑するアーサー。
号泣するアーサー。
そのすべてから目が離せなかった。悲しすぎて、切なすぎて。
ヒース・レジャーの演じたジョーカーも、私の中では突き抜けていたけれど、ホアキンの演じたジョーカー(いや、アーサーというべきか)は全く違う凄さをもって、強烈に心に刻まれた。またひとつ、忘れえない傑作に出会えた。
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