誰もがそれを知っている
結婚してアルゼンチンで暮らしていたヒロインのラウラ(ペネロペ・クルス)は、妹アナの結婚式に参加するために10代の娘イレーネと幼い息子ディエゴを連れ、故郷のスペインの小さな村に帰ってくる。 老父や姉夫婦、幼なじみで元恋人のパコ(ハビエル・バルデム)夫婦や友人たちも交えて、盛大な結婚披露パーティが夜を徹して繰り広げられたが、そのパーティの最中にイレーネが誘拐される事件が起きる。犯人から莫大な身代金を要求するメールは、なぜか母親のラウラだけでなく、パコの妻ベアのもとにも送られてくる・・・・・。監督は、イラン映画の巨匠アスガル・ファルハーディー。ごく普通の日常生活の中で起こる「ある事件」をきっかけに明るみに出される登場人物たちの秘めた感情を濃密に描いた作品が多いが、この作品もそんな感じの傑作だった。
誘拐事件という事件を中心に物語は進んでいくが、犯人探しがテーマはない。犯人は終盤になって解決の前に観客に明らかにされるし、警察は最後まで実際に介入することなく、イレーネも無事に戻ってくる。なぜなら犯人は身内であり、到底払えないほどの莫大な身代金は、パコが自身の葡萄農園を売って工面したからだ。なぜ、イレーネにとって「母の幼馴染」でしかないパコがそこまで犠牲を払ったのか?このあたりで観客も想像がつくけれど、イレーネは実はパコの娘だったのだ。そしてそれこそが「誰もがそれを知って」いたいわば公然の秘密だったのだが、皮肉なことに当人のパコとその妻だけは、誘拐事件をきっかけにラウラから打ち明けられるまでその事実を知らなかった。なんとラウラの夫までもが知っていたというのに。
パコに対する村人たちやラウラの親族たちの秘めた気持ち。パコがラウラ一家の使用人の息子であり、彼の葡萄園ももともとはラウラの家の所有だったという事実。それに対するラウラの父の恨みがましい思い。実の父親のパコが農園さえ売れば莫大な身代金を工面できるという理由で誘拐されたイレーネ。そしてイレーネの出生の秘密を知る人間は誰かというと、それこそ「誰もがそれを知っている」のだ。
誘拐事件をきっかけに明るみに出される公然の秘密や、登場人物それぞれの猜疑心や嫉妬心など負の思惑。それらが二転三転してどんどん煮詰まっていく様は何とも言いようがなく不穏な緊張感に満ちて、最後まで目が離せない。一番の貧乏くじを引いたのは誰だったのか?事件は解決してもイレーネの心にいったん生じた疑惑や、ラウラが夫に対して抱いた不信感や怒りは、きっとこれからもひと悶着を生みそうだ。農園も妻も失ったけれど、もしかしたらラウラの心を取り戻したかもしれないパコはこれからどう生きるのだろう。そしてあの姉夫婦一家。何事もないときはそれぞれにこやかに穏やかに心を隠して生きていても、兄弟でも身内でも、いや、近親者ゆえに実は心に黒い感情を秘めているものなのかもしれない。できればずっとお互いに見たくないし見せたくない感情を。
極上の心理サスペンス。ただし余韻の深い「イヤミス」である。
最近のコメント