« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »
先週、劇場で鑑賞。カンヌでパルムドールを獲っただけあって、樹木希林さんやリリー・フランキーさん、安藤サクラさんたち演技派の俳優陣による熟練した演技と、重く切ないテーマに深い感動を覚えることができた。素晴らしい作品だ。
演技もよかったが、取り上げられている社会問題が、現代の日本が抱えている実は切実なものばかり。高齢者所在不明問題、実の親によるネグレクト、JKの風俗店バイトなどなど、実際に救済の手が回りかねている社会問題で、いわば日本の「暗部」「恥部」といっても過言ではない。
東京の下町に暮らす、柴田一家。
年金暮らしの祖母と日雇い仕事の父。クリーニング店のパートの母と、風俗店で働く母の妹。そして、学校にも行かず、スーパーで父から万引きを指南されている少年。社会の底辺で生きているような、殺伐とした暮らしぶりなのに家族の会話や表情は飄々として明るい。しかし、物語が進むにつれて、何の説明もなしに始まったこの「家族」のメンバーが、実は全員、血のつながっていない他人の集まりであることがわかってくる。
途中で家族に加わった幼い女児以外の他のメンバーが、いったい過去に何を抱えていて、どんなきっかけと理由で柴田家の一員になったのか、最後まで詳しくは語られない。しかし、誰もが実の家族には恵まれなかったり、築くことができなかったり・・・という事情を抱えていたんだろうなという想像はつく。
家族を作りそこねた者たちによる疑似家族。彼らは、その日その日は楽しく気楽に生きているようだが、実際は犯罪に片足を突っ込んでいたり、就学できてなかったり、というさまざまな問題を見てみぬふりをしているに過ぎない。それはまるで、この作品に描かれている社会問題を、政府が、社会が、見てみぬふりをして先送りしているのと同じなのかもしれない。
この家族は、祖母の死と、祥太がおこしたある行動がきっかけで、崩壊に向けて動き出すことになる。崩壊というよりは「解散」かもしれない。
それぞれ「本来の」アイデンティティに戻って生きていくことになった彼らの、これからはどうなるのだろうか。少なくとも、祥太少年は柴田家と訣別し、前を向いて歩いていくだろう。それと対照的に、虐待する実の親のもとに戻された少女ゆりの、ベランダから何かをじっと見つめる瞳が切なかった。
最近のコメント