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2017年3月の記事

2017年3月31日 (金)

エゴン・シーレ 死と乙女

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スキャンダラスな逸話と、挑発的な作品を残し、28歳という若さでこの世を去った20世紀初頭の天才画家エゴン・シーレ。彼を取り巻く女性たちと、その作品「死と乙女」にまつわるエピソードを描いた伝記映画。

 

映画の前後にいろいろシーレについてググってみたが、映画はほぼ彼の人生と女性たちとの関係を正しく描いていた。淡々と・・・といってもいいかもしれない。淡々となぞるだけでも面白いストーリーになるくらい、シーレの人生は奔放で非常識でスキャンダラスなものだったのだ。

 

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演じたノア・サーベトラの、まあ美しいこと!

これだけ美しくて天才ならば、なにをしても許されるだろうと思えるくらい。しかしそれにしてもシーレという男性の、エゴイストぶりとナルシストぶりは、友人なら即座に縁を切りたいレベル。

 

中産階級の家庭に生まれるも、梅毒で死んだ父親が証券を錯乱して燃やしてしまったために財を失い、16で美術アカデミーに入学するも、師事したい教師がいないと退学。妹のゲルティとの絆は近親相姦の香りが濃厚で、奔放な創作行動ゆえに近隣から白い目で見られ何度か引っ越しを余儀なくされる。

 

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彼の絵は名声を博し、個展も成功を収めるが、一方ではポルノだという批判も受け、未成年に対する誘拐と猥褻の容疑で逮捕されたことも。彼を支え続けた同棲相手のヴァリをあっさり捨てて、中産階級の娘エディットと結婚した時も、ヴァリとは一年に一度は会いたいと、愛人契約を結ぼうとする。なんと妻の姉アデーレとも、結婚前に関係があり、結婚相手もシーレは姉妹のどちらでもよかったみたいだし。

 

いや、こう書き出してみると、シーレはまさしく筋金入りのゲスだ。いったん関わったら最後、愛してしまったりしたら運のつきとしか言いようがない。シーレ自身はその折々は真剣に愛しているつもりでも、結果的には女性を利用し食い物にし、犠牲にしていることは間違いない。

 

劇中に登場するシーレと深く関わった女性は五人。

 

 

妹ゲルティ
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少女の時にシーレのヌードモデルをつとめる。シーレとは兄妹以上の絆がある。シーレの絵描き仲間と結婚して家庭を持つが、死の床の兄を最後まで看取る。

 

褐色のヌードモデル、モナ
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ストリップ劇場出身のモデル。シーレと恋人関係になるが、彼女自身も奔放だった。

 

彼のミューズ、ヴァリ
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クリムトのアトリエでシーレと出会う。シーレと4年間同棲し、モデルや助手をつとめ、シーレが逮捕拘留されたときも、傍を離れず支え続けたが、結婚相手には選ばれなかった。シーレからの愛人契約の話を断り、従軍看護婦に志願して猩紅熱で亡くなる。

 

妻のエディット
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シーレのアトリエの向かいに住んでいたことからシーレと知り合う。結婚後はヴァリとの仲を清算するよう夫に約束させ、結婚後も嫉妬に苦しめられる。シーレの子供を宿したままスペイン風邪で亡くなる。

 

妻の姉アデーレ
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シーレが妹エディットと結婚する以前にシーレと関係あり。絵のモデルにもなっている。しかしエディットが死んだ際に「彼は多くの女性を犠牲にした」とシーレに対する苦々しい思いを口にする。

 

28歳で死ぬまでの間に、こんなに多くの女性を虜にしたシーレ。しかし、彼が一番愛していたのは、自分自身と芸術だけであり、創作活動のために必要な役割を、彼女たちが分担させられたのではないかとすら思える。

 

彼は、妹ゲルティには、肉親ゆえに時には母のような包容力を求め、ヴァリにはモデルや助手や心の支えを求め、素姓のわからないヴァリではなく中産階級のエディットを妻にすることで、絵を描くための資金や世間からの信用を得ようとした。計算してやっているのではなく、ただ自分のことだけ考えて生きていた結果、こんな選択になってしまったのではないかしら。相手から奪うばかりで、相手の幸せは考えていないし。

 

死と乙女の中に描かれているのはヴァリ。
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これはシーレがヴァりを描いた最後の作品である。
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別れを告げられた彼女が、か細い腕ですがりついているのは、シーレ自身でもあるし、その後の彼女の運命を思えば、まさに死神にしがみついて共に冥府に堕ちていくようにも見える。体の線も表情もデフォルメされ、陰鬱で複雑な色調で彩られているにも関わらず、抱き合う両者が抱いている愛情が、見るものに伝わってくる。そして、その関係は祝福ではなく破滅に向かうものであることも。心をえぐられるような切なさと恐ろしさに満ちている絵だ。

 

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スペイン風邪で亡くなるときに、「君が必要なんだ」と囁いたシーレの脳裏に浮かんでいたのは、もうすでにこの世にいないヴァリだったのだろうか。

 

黒井千次氏より「永遠なる子供」と表されたエゴン・シーレ。彼が28歳という若さで世を去らなかったら、どれほど多くの名作がさらに生まれていただろうと惜しまれる。しかし彼に振り回され傷つけられた女性もきっと増えていただろうな・・・・。複雑な思いだ。

 

おまけ
シーレの風景画。彼は風景も多く描いているが、やはり暗い深みのある色調が見事で素晴らしい。
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この作品ではじめて知ったエゴン・シーレ。
彼の生き様はともかく、彼の絵は好きになった。

2017年3月29日 (水)

この世界の片隅に

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ブロガーさんたちの多くから、昨年の1位に選ばれ、観客動員数130万人を超えたこの作品が、ようやく隣県で上映されたので、わたしもすずさんに会いに行ってきた。

アニメとしても素晴らしいけど、何よりストーリーやテーマに感動。 涙と笑いと切なさと癒しと…あらゆる感動が散りばめられた傑作。そして余韻がすごい。心がどうしようもなく切なくて、でもあたたかくて・・・「生きる」ということについてしみじみと考えさせられ続けている。


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主人公のすずさんは、19の年に見初められて、それまで名も知らなかった呉の青年のもとに嫁ぐ。絵が得意で、優しくて、やや天然で、控えめなすずさんには、故郷の広島に初恋のほのかな思いを抱いた幼馴染もいたけれど、流されるままにお嫁に来て、それでも夫の周作さんに愛され、優しく温和な義両親にも大切にされる。気むずかしい義姉径子さんの小言に、時には円形脱毛症になったりもしながら、すずさんなりに健気に婚家で奮闘していく様子が、前半はほっこりと牧歌的なタッチで描かれる。

すずさんや姪の晴美ちゃんのセリフや表情が可愛らしく、すずさん役の、のんさんの声はおっとりと癒し系で、ほんわかとした優しさに満ちている。

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今から70年ほど前の大戦前後の日本。
描かれているのは、わたしの親世代が子供の頃の、ごく普通の人々の暮らしだ。

右から書かれた横文字の看板。着物姿の人々。
竈で炊かれるご飯や水桶で冷やされる西瓜やトマト。
洗濯板での洗濯や針仕事。家電の全くなかった時代の細々とした家事。

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それらがとても丁寧に描かれていて、体験したわけではない私でさえ、なぜか懐かしくて胸があつくなるのだから、 当時の生活を実際に体験した世代は、たまらない郷愁を感じると思う。ごく普通の市井の人々の、ささやかな日常の一コマ一コマは、見ているだけでも優しく豊かな気持ちになってくる。現代よりずっと物のない不便な時代の暮らしぶりであるというのに。時間の流れや人のやりとりがゆったりとしていて癒されるからだろうか。

そんなすずさんの慎ましい暮らしにも、
戦争の影は否応なしに忍び寄ってくる。

食料の配給や防空壕掘り、空襲警報、里の兄の戦死・・・・・。従順で我慢強く、おっとりとしたすずさんは、それまでの人生と同様に、戦時中の暮らしも淡々と受け入れてこなしていく。乏しい食料を工夫してカサ増ししたり、苦手なお裁縫の腕で着物をモンペに仕立てたり。
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すずさんだけでなく、この時代、誰もがそうだったんだと感じる。戦時中という非常時、命が脅かされ、物の無い厳しい時代に、すずさんのセリフを借りれば、「やさしくしぶとく強く」みんな生きていたのだ。

災難の中にも「無事だった」ことを少しでも探して、「・・・だから(まだ)よかった。」と言い合うポジティブ思考。そうでもしなければやっていけないのかもしれないけど、そうやって気持ちを光の方角に切り替えて、互いに励まし力づけあって、みんな肩を寄せ合って乗り越えてきたんだと思う。

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そして他の人々と同じように、戦争によって、すずさんも家族も大きな痛手を負う。時限爆弾の爆発に巻き込まれてすずさんは右手を失い、その右手をつないでいた姪の晴美は命を落とす。(この場面の描写は、アニメーションならではの映像で秀逸だ。)すずさんの故郷、広島は、終戦間近のあの夏の日に被曝し、すずさんの両親は帰らぬ人となってしまう。

それまで自分の気持ちや思いを、大好きな絵に託して表現していたすずさんが、右手を失い、もう絵が描けなくなってからは、自分の口で、言葉で自己主張や意思表示をするようになる。そして敗戦の日、玉音放送の後に、今まで穏やかだったすずさんが、はじめて大きな悲しみと怒りに突き動かされて慟哭する。戦争に勝つためにそれまで我慢してきたことや喪ったものを思って。

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この物語がしみじみ心に響くのは、そこで終わらず、その後のすずさんたちの生きる姿をも描いていることだ。敗戦後の焼け跡で、戦時中よりももっと逼迫した暮らしの中で、それでもすずさんも周囲の人々も、懸命に自分の居場所で生きていくのだ。

配給の列に並び、進駐軍の残飯雑炊に舌鼓を思わずうち、家では塩の足りない味気ない食事を囲む生活が、再び和やかにときおりユーモアも交えながら優しく描かれる。どんなときも取り乱さず温厚な義両親の笑顔も、以前のままだ。すずさんの家庭には、広島で母を喪った戦災孤児の幼女が新しく家族に加わることになり、すずさんの義姉は、しまっておいた晴美の服を行李から引っ張り出す・・・・。

人生は続くのだ。
誰にとっても。どんな悲劇の後にも。

エンドロールのアニメーションがいい。すずさんからお裁縫を習った養女の少女が作ったのか、義姉の径子さんとすずさんと三人がお揃いの服を着て幸せそうに笑っている。

戦争が与える様々な試練について描かれてはいるが、この物語はあからさまな反戦映画ではない。「戦争さえなければ・・・」というよりはむしろ、「戦争があったからこそ」「戦争があるにも関わらず」、強くやさしく、たくましかった人々の日常を描いた物語。だからたくさんの勇気や希望や癒しに溢れている。

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劇場で、先着順にいただいた絵葉書です。

今は戦時中でもなく、安全で物の豊かな時代だけど、戦中とはまた違う生きにくい問題もある。それでも、今、そばにいる大切なひとと、今自分にできることをしながら、精一杯生きていこうと思った。

2017年3月26日 (日)

土井善晴先生のハンバーグ

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一昨日、ドジなことに、前歯をぶつけて折ってしまいました

幸い、神経は無事だったようなので、慌てて駆け込んだ歯医者さんで、コンポレットレジンとかいうプラスチックを埋め込んで、もとのように治していただきましたが、やはりすぐに固いものを噛むのは怖いので、今夜はハンバーグです。もちろん土井善晴先生のレシピです。とっても大きくて、ふっくらジューシーなハンバーグ。

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このレシピでは、つなぎのパン粉に、生の食パンを使います。500グラムのお肉に食パン1枚(6枚切り)を使いますが、ちぎって牛乳に浸して柔らかくしてから加えます。この浸した食パンのおかげで、焼き上がりがとてもふっくらして柔らかいのです。

そのほかの材料は、普通のハンバーグと同じで、卵と炒めたみじん切りの玉ねぎ、ナツメグ、塩、こしょうです。ハンバーグのタネはかなり柔らかく大きいので、フライ返しなどに載せてフライパンに移そうとすると形が崩れてしまいます。オリーブ油をうすく塗った平皿にタネを乗せ、お皿を傾けてフライパンに滑らすように移します。
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油をお皿に塗っていたのでするりと上手く形も崩れずにフライパンに収まってくれます。あとは蓋をして、両面を中火→弱火で、じっくり焼いてできあがり。

ワインとケチャップとウスターソースと、隠し味の練り辛子を煮詰めたソースをかけると完成ですが、今日はあっさりとポン酢ソースにしました。

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かぼちゃのポタージュも作りました。

バターで炒めたかぼちゃと玉ねぎを、ローリエを入れたコンソメスープで柔らかく茹で、ミキサーにかけて牛乳を加えました。こちらはかぼちゃ本来の優しい甘さ。

なんだか、男子小学生が大喜びしそうなメニューになりましたが、歯には優しかったです。

ハンバーグのレシピは こちらの本から→ 土井善晴のレシピ100

2017年3月20日 (月)

ミッドナイト・スペシャル

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「ラビング 愛という名前のふたり」「MUD マッド」ジェフ・ニコルズ監督・脚本のSFスリラー。DVDで鑑賞。これ、日本では非公開だったのだろうか。新作コーナーからチョイスしてレンタル。消化不良のところもあったけど、全体としてはなかなか面白かった。

冒頭から始まるのは、緊迫感あふれる深夜の車での逃避行劇。

登場人物の背景の描写はほとんどない。逃げているのは、一人の少年とその保護者らしき二人の男性。少年は夜なのにゴーグルをつけ、さらに布をかぶっている。男性は一人は少年の父親で、もう一人は父親の知り合いで協力者らしい。TVのニュースによると、彼らは「誘拐犯」として指名手配されているが、これには政府機関が絡んでいるようで、彼らが追っているターゲットは、犯人の大人ではなくて、この少年のような感じがする。

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少年の名はアルトン。どうも超能力があるらしい。そして父親のロイを演じるのがマイケル・シャノン。父親の幼馴染で逃避行を助けて同行する役にザ・ギフトのジョエル・エドガートン(最近ほんとに活躍)。

さらに、少年アルトンは、政府機関だけでなく、「牧場」と呼ばれるカルト教団からも追われている。政府機関は、少年の能力を国家を脅かすものとして拘束・調査しようとしているみたいだし、カルト教団はやがて起こる世の終わり?から逃れる手段としてアルトンの能力を利用できると考えている・・・らしい。

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「・・・らしい。」とか、「・・・ようだ。」という書き方ばかりになって自分でも歯切れが悪いのだが、この作品、あえてそうしているのだとは思うけど、すべてにおいて説明不足なのだ。何もわからないまま逃避行を手に汗握りながら見守り続け、ストーリーが進むにつれて謎が解けていくかもという期待はみごとに裏切られた。その点はとても消化不良。

少年アルトンの能力。
それは「目から光を出す」「いろいろな交信ができる」「予知能力」「自分を監視している衛星を落とす」など、多岐にわたる・・・というか何でもありって感じもする。こんな人間がいたらそりゃ政府としては拘束していろいろ調べたくもなるだろう。カルト教団も、もともと少年の両親が所属していた集団らしいので、そりゃ少年の力に無関心でもいられないだろう。追われるのは仕方ない。

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出演陣はなにげに豪華で、少年の母親にキルステン・ダンストが、政府機関に雇われたNSAの専門家に、沈黙ーサイレンスーアダム・ドライバーが扮している。

アルトン少年には、決められた日時に行かなければならない場所があるらしい。政府に追われるのも大変だが、アルトン少年自身もなぜか体調がどんどん悪くなって弱ってきているし・・・・。そんな中で、彼の父親(マイケル・シャノン)と母親(キルステン)、ロイの友達(エドガートン)の三人は命をかけて少年を守りながら、その目的地までなんとかアルトンを届けようとする。

物騒な銃撃なんかに対抗しないで、話し合う余地って皆無だったのか?とか。そもそも宇宙人レベルの超能力を持ったこの少年が普通の地球人の夫婦からなぜどのようにして生まれたのか?とか。逃避行に至るまでどんな出来事があったのか、とか。頭のなかは疑問でいっぱい。そこ教えてほしい!という点が山のように出てくる。
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アルトン少年は可愛いです。ちょっとハリポタのダニエル君のようです。

で、この子が異次元の世界からこの地球に来たことと、最後に元の世界に帰っていっちゃったことは予想通りだった。そう、まるでこれは・・・・竹取物語のようだ。地球の両親はさしずめ、満月の夜に月に帰ったかぐや姫を見送る翁と媼のよう。

それならそれで、またまた疑問がいっぱい。

何しに来たの?この地球に。
ヒドゥンのように何か使命があったから送り込まれたの?
それともかぐや姫のように何かの罪を償うために一時的に追放された?
それともそれとも単なる実験かミステイク?
そして、なぜ彼らが両親に選ばれたの?なぜ?なぜ?なぜ?

などなど そこが知りたいのに~!ということばかり。

しかし、これだけ書き込み不足にも関わらず、この作品、なぜが退屈せずに面白く観れてしまうところが凄いかもしれない。わからないこといっぱいなのに、それをスルーしても一向に平気な不思議な魅力がある。最近の凝りまくりのSF作品に食傷気味なら、かえって新鮮かもしれない。書き込み不足のところは、それぞれが勝手に想像すればそれはそれでまた楽しいのかも。

春の味覚

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すっかり春めいて、菜の花の季節になりましたね。

菜の花は、大好きなお花のひとつです。

活け花にも料理にも使います。

まだ柔らかいつぼみを収穫してきました。

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春の息吹を感じます。今日はこの菜の花でふた品。

ひと品目は、カニカマと菜の花の和え物です。

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菜の花はさっと茹でたらアクぬきはせずに、ほろ苦さを残します。

味付けはシンプル。ポン酢しょうゆとマヨネーズ。これは少量。

隠し味に、粉末の昆布茶を少し。

菜の花のほろ苦さと、カニカマの風味が素敵なハーモニーを奏でます。

もうひと品は、春キャベツと菜の花とベーコンのパスタ。

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味付けは、すこしペペロンチーノ風に。

にんにく、鷹の爪、お醤油と 鶏ガラスープ。

旬の食材はやはり美味しいし、体にいいですよね。

やがて訪れる筍の季節も楽しみです。

田舎住まいならではの良さですね。

旬の野菜が新鮮なのは、ほんとうに感謝。

2017年3月18日 (土)

とろとろビーフシチュー

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お休み前のほっとする夜・・・・ビーフシチューを作りました。

牛肉はフライパンで表面を焼いて旨みを閉じ込めて鍋に移します。

再びきれいにしたフライパンで玉ねぎを炒め、

バターと小麦粉を加えてさらに炒めて

ケチャップを加えていりつけ、牛肉の入った鍋に移し赤ワインを。

そこに水とローリエを加えて、小一時間コトコト煮込みます。

私は,お手頃価格のボルドーワインを使います。(好み)

煮込んですぐは、ワインの味が勝っているのですが,

煮込むほどに肉と玉ねぎの旨みで深い味わいに。

人参やジャガイモは最初から一緒にせずに別茹でしておき

仕上げの15分前に入れて煮込みます。

ブロッコリーも別茹でで、盛り付ける際に加えます。

手間がかかるようで、そうでもありません。(時間と費用は少しかかる)

レシピは私の大好きな土井善晴先生の「お箸で食べる洋食」から。

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この本だけでなく,愛用しているのは「土井善晴のレシピ100」も。

土井先生のレシピはどれもシンプルなのにすごく美味しいのです。

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自分の感覚で作るものも多いけど,土井先生のレシピだけは

分量も手順もきっちり守って作ります。

先生のレシピで初めて作ったのはゴーヤチャンプルー。

ゴーヤが大嫌いな私がゴーヤ大好きになりました。

それ以来,土井先生のファンです。

特に絶品で家族にも好評なのは

上記のゴーヤチャンプルーの他にも,ぶりの照り焼き・ハンバーグ。

なすの田舎煮。 魚の煮つけ。酢豚。べーじゃが。タルタルサラダ。

ほんとうに 美味しいです。基本もしっかり書いてくださっていて

お料理が好きになりますよ。

2017年3月13日 (月)

卒業式の活け花

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久々に活け花の話題です・・・・・。

明日の卒業式のための活け花です。7点ほど活けました。春らしいカーネーションやチューリップ,木瓜,こでまりなど。

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これは,シンビジウムを贅沢に使いました。

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こちらの木瓜は,我が家の庭から。

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明日は,よい卒業式になりますように・・・・。

あ,明日はホワイトデーでもありますね。

友チョコのお返しに,アイスボックスクッキーを焼いてみました。

私は料理は好きですが,お菓子つくりはしません。(それより酒のつまみを作るタイプ)。でも,このクッキーだけは家族が大好物なので年に一度だけ作ります。

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アーモンドプードルを入れるのが好き。

市松模様とうずまきを作ったのですが,うずまきは綺麗に出ませんでした。

2017年3月11日 (土)

ザ・ギフト

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『パラノーマル・アクティビティ』シリーズのジェイソン・ブラム製作,俳優のジョエル・エドガートンが監督を務めたサイコスリラー。DVDで鑑賞。なかなか良くできた作品でした。サスペンスお好きならお勧めです。       

転居先で幸せな生活を送っている夫婦サイモン(ジェイソン・ベイトマン)とロビン(レベッカ・ホール)の前に、サイモンの高校時代の同級生だというゴード(ジョエル・エドガートン)が現れる。再会を祝いゴードは1本のワインをプレゼントし、その後もたびたび二人を訪ねては贈り物をし続ける。次第にその内容がエスカレートしていき、二人が違和感を抱くようになると、周囲で異変が生じ……。(シネマトゥディ)

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ジョエル・エドガートンといえば,武骨で男らしい兵士や騎士,といったキャラクターが私の中で定着している大物脇役俳優さんだけど,今回彼が初監督したのは,なかなか凝った上質のサスペンス。ほ~,こんな才能があったのかと改めて感心。

そして彼自身も,主人公夫妻にギフトを贈り続けるストーカーめいた重要な役で出演している。これがまた,これまでの彼のイメージと違って,根暗で冴えない雰囲気のキャラクター。たいしたカメレオン俳優さんだ。

で,この作品,かなり面白かった。題からして,裕福な若い夫婦に勝手に執着してストーカーまがいのことを続け,最後はその家庭を乗っ取ってしまう・・・・・というありがちなストーリーかと思ったら(それはそれで興味深いが),被害者だとばかり思っていた夫が,実は悪いやつで,これは復讐ものの一種だと気づいてから,ますます面白くなった。

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この物語,心理的にかなり怖いのだけど,流血騒ぎは一切ない。エドガートンの演じるゴードは,旧友夫妻にひたすら贈り物をするだけなのだ。最初はワイン,次に頼んでもないのに池の鯉・・・・というように頼んでもいないのにエスカレートしていく。そして,彼の真意が次第にわかってくるにつれて,次はどういう展開になるのか,その不穏さに目が離せなくなる。過去に二人の間にどんな因縁があったのか,徐々に明らかになっていく過程も面白い。

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なにも知らない美しい妻をレベッカ・ホールが演じている。彼女はなかなか美しく,好きな女優さんだ。プレステージや「暮れ逢い」などでクラシカルな衣装に身を包んだ彼女も美しいが,今作ではショートヘアにしていてそれもよく似合っていた。ゴードと夫の過去が明らかになるにつれて,どんどん夫への猜疑心や不信感を募らせていく役柄だ。

この作品,観終わってみたら,なんだか既視感が。なんだろう・・・と考えたら,あの衝撃的な韓国のパク・チャヌク監督の映画オールドボーイに少し似てるのだ。「オールドボーイ」をかなりソフトにした感じ。あそこまで驚愕のストーリーではないけれど,嘘には嘘を・・・というところや,復讐の手段が,相手の肉体ではなく精神にダメージを与え,しかもその苦しみは未来永劫続く・・・といった残酷なところも。

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ま,復讐された夫の方が,「自業自得」と思えるような人物で,何十年たっても,その性質は変わってなかったんだから,そこは「仕方ないじゃん」と思ったけれど,何の罪もない妻が可哀想かな・・・・巻き込まれて。

しかし,なんで「猿」なんでしょうか?置きものとかでもよく登場していたし,あの猿のお面。なにか意味があるんでしょうね。ゴードの言いたいことが。

初監督のエドガートン,天晴れでした!次回作にも期待したくなっちゃいました。

2017年3月 9日 (木)

ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ

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1920年代のニューヨーク。敏腕編集者パーキンズ(コリン・ファース)は、F・スコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイらの名著を世に送り出してきた。あるとき、彼は偶然手にした無名の作家トマス・ウルフ(ジュード・ロウ)の原稿を読んでいち早くその才能に気付く。パーキンズはウルフの陰になり日向になり支え続け……。(シネマ・トゥディ)

キングスマンではキレッキレの英国スパイを演じたコリン・ファースが,実在した名編集者を演じる。実話に基づくこの作品の見どころは,コリンの演じるマックス・パーキンズの人柄の魅力と,天才作家ウルフとの親子にも似たあたたかな絆。地味だけど,しみじみと心に残る良い作品だった。

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1920年というアナログな時代,出版社の編集者の仕事って,持ち込まれた作家の原稿(もちろん紙媒体)に目を通し,筆記で添削するという手間のかかるもの(当たり前だが)。パーキンズは,まだ世に出る前の小説家の才能を見抜く目をもち,それまでの編集者とは違って,作品を丁寧に読み込んで助言をする編集者だった。

ジュード・ロウが演じたトマス・ウルフは,自伝的作家で,独創性に富んだ叙情的な文章で綴られた彼の作品は,1920年代後半から1940年代当時のアメリカ文化や風俗を鮮やかに反映している。現在では日本ではあまり知名度は高くないが、存命中は広く知られた作家だったらしい。

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めちゃくちゃな構成と膨大な量ゆえに,出版社をたらいまわしにされていた彼の原稿に天才のひらめきを感じたパーキンズは,大胆な削除も含めた編集作業を行い,処女作「天使よ故郷を見よ」を世に送り出す。ウルフは,登場人物の心情や動作を全て文章にするので,(つまり推敲が出来ないタイプ?)記述の分量などバランス感覚を,パーキンズの編集が補い、ウルフはその点を非常に感謝していたという。

ウルフ自身は周囲に理解されにくく,人を振り回すタイプだったようだ。パーキンズは家族ぐるみで彼を受け入れ,息子を持たないパーキンズと,父を亡くしたウルフの間には,父子にも似た絆が生まれていた。

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「パーキンズなしでは書けない」と言われるのが嫌で,一度はパーキンズの元を去るウルフと,引き留めることはせずに見守るパーキンズ。ウルフが脳腫瘍であんなにはやく命を落とさなかったら,彼は果たしてパーキンズの編集なしでも傑作を生み出し続けることができたのだろうか。

死の床でウルフはパーキンズに宛てて感謝の手紙を書く。彼の死後にそれをオフィスで読むパーキンズが,室内でも脱ぐことがなかった帽子を取る場面は胸があつくなった。

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コリンが演じたパーキンズの,公私に渡って作家の面倒も見る懐の深さと思慮深さがいい。穏やかで,それでいて信念も持っていて。彼を慕い,恩人と思う作家はたくさんいたのではないだろうか。彼がいなかったら,フィッツジェラルドの「グレート・ギヤツビー」や,ヘミングウェイの「日はまた昇る」「誰がために鐘は鳴る」などの名作は,おそらく世に出てなかったことだろう。そう思うと,偉大な業績をなした編集者だったんだなと改めて思った。

2017年3月 5日 (日)

未来を花束にして

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本日鑑賞。
20世紀初頭の英国での,婦人参政権論者サフラジェットの活動を描いた作品。ロマンティックで洒落た邦題とは裏腹に重く暗く,考えさせられる内容だったが,女性なら観ておくべき作品だと感じた。もちろん男性にも観てほしいが。

主人公のモード・ワッツ(キャリー・マリガン)は,低賃金と劣悪な環境のもと,洗濯工場で働く平凡な女性で,夫のサリー(ベン・ウィショー)と幼い息子のジョージとともに,ささやかな家庭を築いていた。

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7歳の時から洗濯婦の仕事につき,女性の参政権など,「もともと無くて当たり前」だと疑問にも思わなかった彼女が,活動家のイーディス(ヘレナ・ボナム・カーター)との出会いや,議会の公聴会で友人の代わりに証言したことをきっかけに,運動にかかわっていくようになる。
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キャリー・マリガンは今作ではナチュラルメイク?すっぴん?とにかくアイメイクをほとんどしていないので,素朴であか抜けない感じ。(それでも十分可愛らしいが)でも,それがとても役の雰囲気に合っていた。子供の時からの働きづめの生活,男性よりも労働時間が長いのに男性よりも低賃金で,健康を損なう重労働に加えて工場長からのセクハラ・・・そんな待遇に慣れてしまっている忍耐強く悲しげな表情。そんな彼女が,公聴会での証言をきっかけに「もしかしたら,異なる生き方があるのかも・・・」と思うようになる。

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「もし,娘が生まれていたら,どんな人生かな?」と夫に問いかけたモード。その問いに対して事もなげに,「君と同じさ。」と答えた夫。女に生まれるということは,未来に何の可能性もないということ。自分の人生だけでなく,これから生まれる娘たちすべての人生も。もしかしたら,モードが集会やデモに参加しようと決意を固めたのはあの夫のセリフを聞いたときではないだろうか。
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サフラジェットの投石や爆破などのテロまがいの活動は,一見過激すぎて賛同しにくい面も確かにある。活動のリーダー,エメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)の「言葉ではなく行動で!」という主義は,同じサフラジェットの中でも賛否両論があったようだ。

しかし,何十年も穏便な方法で訴え続けても何も変わらなかった事実があるからこそ,過激な行動によって注目させるという手段を取ったのだろう。テロ活動なので当然活動家たちの払う代償も大きい。度重なる逮捕と投獄,警官からの暴力。そして獄中のハンガーストライキに対して取られる強制摂食。まさに命がけの運動だったのだ。
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モードもまた大きな犠牲を払う。夫から強制的に離縁されて家を身一つで追い出され,息子を取り上げられてしまうのだ。参政権と同じく,男性にしか認められていない親権。だのに,自分では育てられなくて息子を養子に出す夫。なんと理不尽なのかと思うけれど,夫もまた妻と同じ職場で雇われている身としては仕方がなかったのだろうか・・・・。「ママの名前はモード・ワッツ。いつか見つけに来てね。」と,モードが涙ながらに息子と別れる場面は辛かった。

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強い信念と長い年月と,大きな犠牲を払って勝ち取った権利。エンドロールで,各国で女性が参政権を勝ち取った年が表示されたけど,ごく最近やっと女性の権利が認められた国もあった。日本は戦後に与えられたものだから「勝ち取って」はないのかな・・・・。自爆テロのような方法はともかくとして,今は当たり前のように手にしている権利を,こんな風に命がけの運動で獲得してきたなんて,知らなかったし,知ることができてよかったと思う。

2017年3月 2日 (木)

沈黙 (原作小説) 感想

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スコセッシ監督の映画,沈黙ーサイレンスーとの出会いの方が先である。原作小説のほうは,テーマが「キリシタン宣教師の棄教」ということもあって,クリスチャンの端くれの身としては,なんとなく今まで敬遠してきた。今回,この原作を手に取った理由は,ひとえに映画に深く心を打たれたから。感動とも共感とも違う,この衝撃をなんと表現したらいいのか。私にとっては,「強烈すぎて忘れることができない」物語だった。

江戸時代初期のキリシタン弾圧の嵐のさなか,拷問に耐えきれず棄教した師フェレイラ神父の真実を確かめるため,長崎にたどり着いた,ポルトガルの若き宣教師ロドリゴ。彼がそこで体験したのは,想像を絶する苛烈な弾圧と,その中で極限まで苦しめられる弱き信徒たち,そして苦しむ彼らに対する神の恐ろしいまでの「沈黙」だった・・・・。

肉体の苦痛は,それが自分自身のものだけなら,もしかして耐えられることはあるだろう。しかし,他者の命が自分の意志にかかっているとしたら?そして肝心の神は沈黙している(ようにしか思えない)としたら?

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遠藤周作氏が,かくれキリシタンの取材で訪れたという黒崎教会

この小説では,ロドリゴの棄教は,不名誉でも不信仰でもなく,宣教師としての信念や栄誉を投げうってまで他者を救う自己犠牲と愛の行為であると描いている。そしてそれをイエス・キリストも赦し,望んだと・・・・。この点はキリスト教会はすんなりと共感はできないところだろうし,それは当たり前かもしれない。聖職者による踏み絵の行為を正当化したようなものだから,キリスト教会からの反発はしごくもっともなことである。

遠藤周作氏は、日本人とキリスト教の矛盾について生涯悩み続けた人だったと思う。日本という国でキリスト教が根付くことの難しさについては,この小説のなかでも,フェレイラ神父や,通辞や,井上筑後守の言葉を通して繰り返し繰り返し,語られているが,これがまた,説得力が半端ないのである。

Hi

日本は沼地のようなもので根が腐ってしまう・・・日本人はキリスト教の神を本来の姿から似ても似つかぬ得体のしれないものに変えてしまう・・・・日本にキリスト教が根付きにくいのは本当だと思う。どんな宗教も「そこそこ」しか浸透しないのが日本ではないかと実は思っている。それゆえに宗教による内戦や対立も他国よりは少ないのかもしれないが。


「沈黙」の物語の中で,ロドリゴ神父が出会った神は,「弱者の神」であり「共に歩む神」でもあった。その神は「わたしはお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ,お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ。」とロドリゴに語りかける。これを,作者の都合のよいように改変された神だと感じるキリスト者も多いと思う。日本では受容されにくいキリスト教の排他的で厳格な一面を和らげ,本来の教義を変えてしまったと。

弾圧の中では,心の中で信じてさえいれば,
信仰を表明しなくても許されるのか?
動機が愛や自己犠牲であれば,
踏み絵のような行為も神のみこころに叶うことなのか?
弱いもののために死なれたキリストは,
棄教者の弱さをも,非難することなく寄り添ってくださるのか?


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正直,わたしには,わからない。
いや,理屈では上記のことは「ダメ」なのだとは知っている。そう教わったから。聖書にも記されている。でも,この小説を読んで,そしてまたスコセッシ監督の映画を観て,理屈ではなく感覚的に,わたしもまたロドリゴが出会ったような神に心惹かれるものを感じたのかもしれない。このような神であれば,日本でも根付くことができたのではないかと。

映画の中でも原作の中でも,一番印象にのこる登場人物が「キチジロー」である。遠藤氏自身を投影したともいわれるキチジロー。弱者の代表のように何度もたやすく転び,それでも神の元から離れがたく,何度でも臆面もなく戻ってくるキチジロー。

わたしもこのキチジローの中に自分を見る。日常生活の中で,信仰と自己とどちらを優先するべきか,判断を迫られる時・・・試練の中でやはり神が沈黙しているとしか思えなくなったとき・・・・わたしも,繰り返し何度も,小さな踏み絵を踏み続けている自分を感じる時があるから。

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