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2017年2月15日 (水)

沈黙ーサイレンスー

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本日、劇場で観賞。
スコセッシ監督が忠実に映画化したと言われる遠藤周作氏の原作「沈黙」は未読である。江戸時代初期のキリシタン弾圧によるポルトガル司祭の棄教を通して,神と信仰の意義を描いた作品。

キリスト教の弾圧や迫害は,日本に限ったことではなく,ローマ帝国などでも行われてきた。キリスト教徒は政治的な権威よりも神に従うことを選ぶので,支配者には脅威の存在にもなりうるからだ。
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さらにキリスト教は厳格な一神教であり,「わたし(=イエス)を人の前で認める者はみな,わたしも天の父(=神)の前でその人を認めます。しかし,人の前でわたしを知らないと言うような者なら,わたしも天におられるわたしの父の前で,そんな者は知らないと言います。(マタイの福音書)」という聖書の教えゆえに,信徒は拷問にも死にも屈せず,信仰を表明しようとする。弾圧や迫害,すなわちこの世の試練の先に,信徒たちは「天の御国」を仰ぎ見,苦難も死もものともしない。

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この作品の中でも,「転ぶ」ことを拒んで死んでいく信徒や司祭たちが何人も登場する。ただ,司祭たちはともかく,貧しい村人たちはおそらくそこまで教義についての深い理解はなかっただろう。苛酷な重税による圧政のなか,まるで獣のように生きるだけの人生だった村人たちは,どうせ死ぬなら,崇高なもののために死にたい,という思いで死んでいったのかもしれない。

映像からは,村人たちの悲惨な生活の雰囲気が痛いほど伝わってくる。
苛酷な年貢にあえぐ最下層の虫けらのような生活の彼らにとって,痛みも苦しみもない「パライソ」に行けることは,命を捨てるに値することだったのだろうか。
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クリスチャンの家庭に生まれ育った私にとって,これは,最初から最後まで「自分だったらどうするか?」と問われ続けた作品だった。ローマ帝国や日本のキリシタン弾圧について思うときはいつも,「もし自分がその場にいたらどうするだろう?」と考えたものだけれど,この作品ほど,そのことについて深く考え込んだことはなかった。わたし自身の信仰は、これまで高揚と停滞を交互に繰り返しながら,それでも神の存在を疑ったことだけは今も昔もない。

わたしだったら,転ぶのか転ばないのか?どちらを選択してもなんと苦しいことだろう。殉教が神に喜ばれるものだとわかっていても,恐怖や苦しみに耐える力があるだろうか?
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悲しみと恐怖に慄きながらも,処刑される道を選んだイチゾウやモキチ。苦しみの無いパライソ(パラダイス)に希望を託して死んだモニカやジュアン。脅されても最後まで屈することなく雄々しく殉教していったガルペ神父。

そして,何度でも「転び」,その都度悔い改めて戻ってくるキチジロー。「転ぶ」ことによって人間の弱さや正直さを体現し,それでも神への思いも捨てがたく,何度でも臆面もなく悔い改めるキチジロー。彼が一番自分に近いかもしれないと思った。「こんな自分で申し訳ない」と悔いつつも,「こんな時代に生まれなかったら,いい信徒として死ねたのに,不公平だ。」とも言う彼の愚痴の,なんと正直に真理をついていることか。
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殉教する人間は強い。しかし,棄教するしかない弱い人間はどうすればいいのか。彼らはその弱さゆえに切り捨てられるのか。イエス・キリストは弱い彼らのためにも,いや,弱い彼らのためにこそ,十字架にかかられて死なれたのではないのか。なぜ神はここまで弱者を苦しめ,手をこまねいておられるのか。試練とともに逃れる道も備えてくださると,神は約束されたのではないのか。

神の重い沈黙が,信徒の信仰を失わせることは多々ある。日常茶飯事といってもいい。いつの時代にも,どんな場合でも。旧約聖書に登場する神は,洪水を起こし,海を分け,マナを降らして民を養い,預言者の口を借りて語る神だった。しかし,もはやそんな奇跡も派手な救出も神は行わない。この物語の中の神は,目を覆うばかりのむごたらしい弾圧から具体的な方法で信徒を助け出すことはない。
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肉体の責め苦はもちろんだが,精神的な責め苦の点でも,この弾圧は恐ろしいものだった。滅ばすのではなく,転向させるのが目的の弾圧は,ひとおもいに命を奪うことはせずに拷問によって,また自分以外の人を苦しめることによって時間をかけて棄教させようとする。実際に存在した「転びバテレン」のフェレイラ神父やロドリゴ神父。後半は,彼らの棄教のいきさつと心境がじっくりと描かれる。そして棄教してからの彼らが日本でどのような生涯を終えたかも。

原作を読んでないので,彼らの運命についてはどうなるのか最後まで目が離せなかった。そして神は最後まで沈黙されるのかどうかも。

神は語られた。いままさに踏み絵を踏まんとしたロドリゴの心の中で。そしてわたしは,それはロドリゴの苦しみ抜いた心から生まれた都合のいい妄想などではなく,真の神の言葉だと感じた。苦しむ民の命を救うために,ロドリゴ神父が「転ぶ」ことは,神父である彼にとっては,まさに殉教よりもはるかに犠牲的な「一番つらい愛の行為」であることを,誰よりも神が一番知っておられたと。
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この物語の中には,真の意味で「悪役」は出てこないような気がした。勧善懲悪のわかりやすい時代劇に登場するような憎々しい悪の権化は誰もいない。キリシタンを拷問したり殺したりする役人側の人間たちは,ただ淡々と仕事を遂行しているだけのように感じる。そして奉行の「井上さま」ですら・・・・キリシタンを苦しめたくて苦しめているのではなく,「仕方なく」「こんなことは嫌なこと」という意識を持っているのがよくわかる。「キリスト教は根付かない。この国は沼地だから。」といい,キリスト教を「醜女の深情け」と例える井上たちの説得は,彼らの立場からすれば「正しい」と感じた。

素晴らしい作品だ。作品の深さも,スケールも,役者の演技も。さすがスコセッシ監督,さすが遠藤周作,そして日本の俳優さんたちの健闘ぶりに大喝采を贈りたい。

最後に・・・・この作品を観終わったときに,沈黙する神・・・しかしともに苦しみを担ってくださる神について,クリスチャンの間ではよく知られている「あしあと(Footprints )」という詩が浮かんだ。作者はマーガレット・F・パワーズというアメリカ人女性である。
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夢の中で,作者はこれまでの人生を振り返る。すると,どの光景にも砂の上に自分と神の二人ぶんの足跡がならんでいるのに,人生の一番辛い時期だけ,神の足跡が消えて自分の足跡しかないことに気づく。彼女が神に「主よ,私が一番辛い時に,一番あなたを必要としていたときに,あなたはなぜわたしを捨てられたのですか。」と問う。神の答えは,「あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」というものだった・・・という内容の詩だ。

転向と悔い改めを繰り返し,そんな自分を恥じているキチジローや,棄教したのちはキリシタン取り締まりの任務にあたって生涯を終えたフェレイラ神父。日本人の妻をめとり,岡本三右衛門という日本名に改名して二度と信仰を口にせず死んだロドリゴ神父。殉教者として称えられるのではなく,「転びバテレン」と呼ばれ,棄教の手助けを仕事として生きねばならなかった彼らの払った犠牲も秘めた心境も神はすべてご存じで,彼らとともに,ある時は彼らを背負って歩まれたのだと思う。彼らがそれに気づいていてもいなくても

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信仰の在り方は様々である。もちろん,聖書の教えは揺るぐことなく存在し,神の救いは妥協を許さぬ面も持っている。神の厳しさと優しさは時には正反対のような性質にも見えるけれど,それでも確かにどちらも真実なのではないかと思う。

この作品は,もちろん原作小説もだけど・・・・様々な視点や立場から見たキリスト教徒や神について描かれていると思った。クリスチャンでも,そうでなくても,それぞれが心に迫るものがきっとある。私自身は,予想をはるかに超えて神を身近に感じた作品だった。

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コメント

クリスチャンでない者からすると、やはり農民にしても宣教師にしてもキリスト教の教えを本当に理解しているの?というツッコミが入っちゃうスキがかなり見え隠れするんですよね。
それこそ教義を理解せずにキリスト教にすがっているだけじゃないの?という点がちらほらと。
だからこそ、キチジローのような存在こそが実は教義を最も理解しているようにも見えてしまうのも事実。
素人目線だからこその発見もあるんだなと思えた作品でしたが、なるほど、クリスチャンの視点からのレビューもまた興味深くて面白く拝読させていただきましたよ。

にゃむばななさん

>教義を理解せずにキリスト教にすがっているだけじゃないの?という点がちらほらと。
そうですね。その点は原作にも書かれているように,農民たちは現世の生活が苛酷すぎて,天国に希望を持ったのかもしれませんね。暗闇の中にいて,初めて目にした光らしきものの正体を見極めることなくひたすらに縋りついたという雰囲気もあります。

また,今のクリスチャンのように聖書という教科書も一般信徒には伝えられてなかったし,そもそも伝えられても日本の農民は読むこともできませんし。彼らは日本の風土や伝来の宗教観から教義をかなり脳内変換していたと思います。

教義すら正しく知らないもののために命を捨てることの愚かさや,布教することの意味のなさは,本当によく描かれていたと思います。日本人なら特にここに共感しますよね。これをスコセッシ監督が描いてくれたというのはある意味凄いことですよね。

何度も転び,そのたびに戻ってくるキチジローには,一番共感しました。そんな信徒はたくさんおります。私も含めて。

こんばんは。
やはり多くの人が感情移入できるのはキチジローですよね。
キチジローは遠藤周作が自分の分身としているキャラクターで、彼の行動には作者自身の葛藤がそのまま出ているのだと思います。
原作に極めて忠実に作りながら、最後の部分で解釈を変えているあたり、スコセッシの葛藤も伝わってきました。

ノラネコさん

>キチジローは遠藤周作が自分の分身としているキャラクター

やはりそうなんですね,わたしも分身かもしれません。
殉教するほどの強さもないくせに,どうしても離れ切ることもできない,そんなキチジローの折々の行動は,どんなに卑怯に見えようとも,その時その時が真剣で真実なんですよね。人間なんて十人十色で信じるものも強さもそれぞれ違う。信仰の在り方も守り方もそれぞれだと思います。

ラストは小説未読のまま観ました。こちらが好きですね。スコセッシの願いや葛藤が現されているのでしょうね。

こんばんは。
先日はありがとうございました。
ななさんの記事を拝読しながら、映画のシーンのひとつひとつを思い出し、あらためていい作品だったなーと感動をかみしめています。

ななさんもおっしゃるように、人それぞれ、いろいろな立場からの信仰が描かれていましたが、どれが正しく、どれが間違っているということはないんだ、そうした優しさが、特に映画からは感じられたように思います。

日本人特有の宗教観への配慮もあるかもしれませんが、スコセッシ監督の愛を感じる作品でした。

ななさん、こんにちは!
最初の写真、とても素敵ね!
いままで、この画像は見たことなかったわ。
感想、すっごく読みたかったけど、ここは我慢。
見てから、ゆっくり読ませて頂きます^^
この映画、クリスチャンのななさんの感想が、すーっごく気になるところなのです^^
また、後になってしまうけれど、必ず舞い戻って来ますね♪

セレンディピティさん こんばんは
お越しいただいて嬉しいです。

>人それぞれ、いろいろな立場からの信仰が描かれていましたが、どれが正しく、どれが間違っているということはないんだ、そうした優しさが、特に映画からは感じられたように思います。

そうですね。キリスト教をどうとらえるか,時代背景もその国の事情も大きく影響してきますよね。真理とはいえ,全ての人に等しく受け入れられるものではありません。
神が愛なら,そしてすべての人の神なら,それぞれの事情を汲んでなお赦してほしいという思いが,原作者の遠藤周作自身にあったような気もします。

そして同じような葛藤を持つスコセッシ監督が,細やかな配慮で映画化してくれたことに感謝ですね。

latifaさん こんばんは!

> 最初の写真、とても素敵ね!
アメリカ版のポスターかな?海と空の感じと二人の神父がいいですね。テーマに合ってる・・・・

ぜひぜひご覧になってくださいね。
劇場で・・・が望ましいのだけどDVDでも何でも。
私はほんとならもう2回ほど劇場で観たいです。
時間がとてもなくて行けないけどね。
DVD早く出ないかしら・・・・
原作読んだ方なら,感動しますよ~~
原作をそのまま映像にしてくれたし,訴えたいこともきちんと描いてくれてた・・・・
遠藤周作氏もきっと大満足したと思います。ご存命なら。

はじめまして、浅野佑都と申します。
映画 「沈黙」を本日鑑賞してきて、ななさんのブログを拝読しました・・。

 プロフも拝見して、ななさんは、清楚で、とても可愛い人ですね。

映画レビューにも、すごく感銘したので、ぼくなりの感想、というより雑感を記しておきたい思いますので、斜め読みでけっこうですからどうぞ、長くなるのをお許しくださいね。

 スコセッシ監督が、今さらのように感ずる狐狸庵先生の沈黙をあえて今、世間に問うた"肝みたいなものは・・やっぱり911以降の世界で、異教徒たちの絶え間ない諍いが続いている現状を危惧したのでは・・と思うのですね・・。

 ななさんは日本で100人に一人もいないクリスチャンのご家庭で生まれ、ご自信も信仰されてますよね?

ぼく自身は、叔母がクリスチャンでして、ぼくも子供のころは教会に通い、ボーイスカウトにも入っていて、学校もミッションスクールでしたから、それなりにキリスト教にシンパシーは持っていましたが洗礼を授かるまでにはいたらず・・。
聖書も自分なりにかなり勉強しましたが・・。それでも、神様はいる、と確信だけはしています(あるいは宇宙の生命体みたいなものであっても)

そうでなければ 映画「羊たちの沈黙」に出てくる蛾の紋様を髑髏にするなんて、一体、誰がどんな力と思慮でそうさせたかなんて説明がつきません・。


 ななさんは、やはり、と言っていいのかどうか・・紆余曲折あっての現在の信心なのでしょうか?

ぼくは、誤解を恐れずに言えば、日本でキリスト教を信ずることは、「大リーグボール養成ギブス(ご存じないかも!)」をはめて日常生活をするようなものだと思うのです。

もちろん、今の時代に、イエズス会布教時のような弾圧はありません。

けれど、目に見えない弾圧(でなければ抵抗)~のようなもの は、あるんじゃないでしょうか?

世界において、一神教を信ずる人が、この国ほど少ない国は例がありません・
 
狐狸庵先生(遠藤周作)が、自身の分身に「この国は沼地のよう・・」と言わせたその沼地の正体は、日本人の持つ宗教観であり、ありていに言えば、日本人は宗教を「感じる」のであって、西洋人が信じるのとは違う、と思うからです。

日本人は、木々や虫の音に神的なものを感じますし、赤ちゃんや寝たきりの老人の笑みにも神が宿る、などと言いますね・・。

こういう、”宗教を信ずるより感じてしまう"日本人とこの国の風土は、そして、その抵抗は、キリスト教徒の方にとっては、底知れぬ得体の知れない沼地である・・と。

 お隣の韓国などと比べて、日本にキリスト教徒が圧倒的に少ない理由のひとつになるのではないでしょうか?

ぼくは、日本人がキリスト教に向かないとは思いません。この映画の時代には、それこそ導火線に走る火花のように信仰は広まりました。
この時代、困窮は関係ないでしょう・・世界のどの国も、それなりに貧しかったのですから。
(だからこそ、時の為政者は危機感をもったはずですね。)

 ぼくがボーイスカウトで知り合った、アメリカ、カナダ、オーストラリアの元ボーイ達とは、今でもメールでやり取りしますが、今も教会へ行っているのはほんのわずかです。
仕事、家族、・・それぞれの理由で、あるいは、理由を探して(教会へ)行かなくなっている・。

クリスチャンが圧倒的に多いかの国々においても、信仰とは、かくも厳しいものなのかと思います。
もちろん、彼らが、なにかのきっかけで戻ってくることも大いにありうるのですが・・。

 キリスト教に限らず、この国で、信心と向かい合う人たちは常に、心を大リーグボール養成ギブスでパワーアップしていて、それはどの国の信仰者と比べてもゆるぎない力だと思います。

 ぼくが、ななさんに対し、憧れとともに、恥ずかしさと申し訳なさと、幾許かの安堵感を抱いて見てしまうのは、転ぶ真似すらできなかった過去の自分を上書きしたくなるからです・・。


浅野さん こんばんは はじめまして

お越しいただきありがとうございます。
キリスト教をよく理解されている方から感想,嬉しく思います。そうですね。私は義理の祖父や伯父,従兄がプロテスタントの牧師です。ですからいわゆるクリスチャンホームの育ちです。生まれた時から,神のいる世界で生きてきていますね。現在も教会でオルガンの奉仕もしています。

>紆余曲折あっての現在の信心なのでしょうか?
わたしのようにクリスチャンホームに生まれたものは,最初から信仰する道が定められていたので,一度は神を離れてみたくなる時が来る者が多いかもです。自分で選んでクリスチャンになったのではないので,一度グレてみたくなるというか・・・そして改めて戻ってくることが多いです。やっぱり神が自分に必要であると再認識して。
いまは弾圧の時代ではないので,棄教するような過激な体験をするわけではなく,教会に通うよりはこの世の楽しみを優先したくなるとか,大きな試練にあって同じような神の沈黙を経験して一時期神から離れたくなるとか・・・・いわば小さく「転び」続けてそのたびに戻ってくる・・・まさにキチジローの心境ですね。命の危険がないだけで。

>世界において、一神教を信ずる人が、この国ほど少ない国は例がありません
そうなんですか。知りませんでしたが,なるほどなぁと思います。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教・・・・もともとは同じ神様なので当然ですが,厳格な一神教ですよね。日本は八百万の神の国ですから。日本人のDNAに,もうそういう感じ方が根付いてしまっていますよね。大自然の中にも神を感じる・・・それどころか鰻の頭も信心から,とはよく言ったものだと思います。

このような日本で、信仰告白をするということは,生き難い場面も確かにあります。「世と妥協してはいけない」と聖書にありますけどね。お葬式のお焼香シーンや氏神様のお祭りでの役目やその他もろもろ・・・・どこまで妥協するか信徒はみなそれぞれです。そんな時も小さな小さな踏み絵を踏みながら折り合いをつけて切り抜けていっているのかもしれませんね。

遠藤周作氏は,ご自身がこの国で信仰を持ちづつけることの困難さをよく理解しておられたのでしょうね。彼が生涯をかけて描きたかったテーマだったのかも。心の中で信じていれば,何をしても許されるのか・・・・動機が愛であれば自己犠牲であれば,神は赦してくださるのか・?弱いもののために死なれたキリストは,棄教者の弱さにもまた寄り添ってくださるのか?

わたしにはわかりません。聖職者であればもっと厳しい見方もしなければいけないのかもしれませんが,「転ぶ」ことの多い身としては,そんな時もともにいて,何度でも赦してくださる神の無限の愛は有り難いものなのです。

しかし神は沈黙されますよ…確かに。それは何度も何度も実感しました。試練の場面で何度も。神が困難な場面からいつでも祈りさえすれば助けてくださる存在ではないことはよく知っています。それでも,遠藤氏と同じように,私は神を忘れ去ることも離れ去ることもできないのです。そんなものです。

「この国にキリスト教は根付かない」と言ってた井上さんですが、確かに日本って宗教に関しては独特な風土ですよね。でも誰でも一度は「神様っているのかな?」と考えるだろうし、キリスト教を心から信じる人もいるわけで。300年後にようやく信教の自由が確立し、各地に教会が立ってる日本を見て、井上やロドリゴはどんなふうに感じるのかな、と思いました

SGAさん。

>誰でも一度は「神様っているのかな?」と考えるだろうし、キリスト教を心から信じる人もいるわけで。
そうですよね。原作にもしつこく繰り返されていた「この国には根付かない」「日本人はキリスト教を変えてしまう」というのは,この時代はともかく,現代は完全にあてはまるわけではないと思います。
あの時代は教科書である「聖書」そのものが伝来してなかったので,そりゃ曲解もされるし脳内変換もされたでしょうね。
料理だって,外国に伝来してからその国の好みに少しずつ変えられていきますよね。宗教もそんな面もあるかと。

信教の自由の時代はありがたいです。キリスト教徒は最近はずっと数は減ってきていますけどね。戦後に一時期リバイバルで爆発的に増えましたが・・・・・。

ななさん、やっとこの映画見れました!
安っぽさとかが全くなく、丁寧に作ってくれたんだなあーと感じました。
ストーリーはすでに知っていたこともあって、驚きとかは無かったのですが、やっと見れて満足です。

で、さすが、ななさん、クリスチャンならではの感想で、はっとさせられる部分があちこちありました。
一番つらい時に背負って・・っていうのは、初めて聞いたのですが、結構衝撃的でした。

それと、「こんな時代に生まれなかったら,いい信徒として死ねたのに,不公平だ。」ってセリフは、印象的でしたね。
このフレーズは、小説には、無かったんじゃないかな・・・?(もう記憶あやふやです)

latifa さん  リリースされましたね、やっと。
うちにも注文していたDVD届きました。
特典映像が楽しみですが、もったいなくてまだ観てません・・・・

>一番つらい時に背負って・・っていうのは、初めて聞いたのですが、結構衝撃的でした。
「あしあと」という詩で、クリスチャンの間ではけっこう有名な詩です。
神が沈黙している・・・それどころか不在に感じるときに
しみじみと慰められる詩なんですが
これ、メロディーも作曲されてて讃美歌にもなってます。
よく教会で歌われますね・・・・というか、そうでも思わなきゃやってられないですよね。

>「こんな時代に生まれなかったら,いい信徒として死ねたのに,不公平だ。」ってセリフは、
たしか小説にも似たようなセリフがあったような。
言ったのはキチジローだったか神父だったか忘れたけど、
それに近い意味の記述があったかも。


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