奇跡のひと マリーとマルグリット
19世紀末,フランスに実在した,もうひとりのヘレン・ケラーの物語。
実話を基にしているが,ヘレン・ケラーとはちょっと違う感想を持った。三重苦の少女が教育の力で光を見出すという点は同じだけれど。感動のツボが少し異なるというか・・・・。
あらすじ:19世紀末、フランス・ポアティエ。聾・盲の少女たちを受け入れてきたラルネイ聖母学院に、ひとりの少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)がやってくる。マリーは生まれながらに目も耳も不自由で、一切教育を受けてこなかった。修道女のマルグリット(イザベル・カレ)は、心を閉ざし野生動物のように獰猛なマリーの教育係を買って出る。それは、魂と魂がぶつかり合うような激しい戦いの日々だった。(Movie Walker)
マリーを演じたアリアーナ・リヴォアールは一般公募した聾唖の少女で,今作が映画初出演だというから驚きだ。特に,教育を受ける以前の,さながら「狼少女」並みの野生児の演技は圧巻。そして彼女が教育によって言葉という光を得て以来,徐々に知性や愛らしさを身につけていく,その変化ぶりも素晴らしかった。
感動したシーンはいくつもある。
髪もとかざず、椅子にも座らず、襤褸をまとっていた彼女が,初めて髪を整え,修道院の制服に袖を通し,靴を履いた場面。マリーのお気に入りのナイフを使って,何度も根気よく「ナイフ」という手話を教え込もうとしたマルグリットが,精根尽きてあきらめかけたまさにその時,マリーが手話の持つ意味を理解した瞬間。まるで乾ききった大地に水が沁みこむかのように,貪欲に言葉を習得していくマリーの姿。マルグリットの連絡を受けて修道院を訪れた両親に,マリーが文字を綴ってみせる場面。
このあたりの感動は、ヘレンケラーの「奇跡の人」にも共通するものがあったような気がする。
それ以外にも,この作品は,映像や音が印象的だ。
自然に包まれた片田舎の修道院で視覚も聴覚も無い世界に生きているマリー。日差しの温もりや,頬に受ける風のそよぎや,手足に触れる水の冷たさや鼻腔に感じる草花の香り。彼女が匂いを嗅いだり触れたりして,その存在を感じ取ることができる自然界の様々なものが,この作品では,あたかもマリーの視点や感性から描かれているかのようだ。それがとても新鮮で心地いい。
そしてもう一つ,ヘレンケラーの場合とは違って,言葉の他にも,マルグリットがマリーに教えなければならなかった大切なものがあった。
それは「死による愛する者との別れ」。さらには,その「死」の向こうにも存在する,「希望」。肉体の滅びと,魂の永遠。この世ではもう会えなくなっても,思いはおそらく時を超えて,愛する者の心の中には生き続けるという真実。それは病のために死期の迫ったマルグリットが,取り残されるマリーのために,どうしても教えておかねばならないことだった。彼女がマルグリット亡き後も強く幸せに生き続けるために・・・そして院長に指摘された通り,マルグリット自身もまた,自分の死を受け入れるきっかけとして。
触って,匂いを嗅いで,物の存在を理解することを基本とするマリーにとって,目に見えない「死」という観念を教えるのはたやすいことではないだろう。ちょうど一足先に天に召されたシスターの葬儀と埋葬を通して,マルグリットはマリーに「人間の死」すなわち肉体の終焉を理解させる。そしてそれが誰にも等しく訪れるものであり,マルグリット本人も間もなくその「死」を迎えることも。混乱し,怒り,悲嘆に暮れるマリーだが,葛藤の後、彼女は、マルグリットとの避けることのできない別れを受け入れ,「死」の先にある希望にまで思いを馳せることができるようになるのだ。
ラストシーンは,秀逸。
マルグリットのお墓に花を供えるマリー。彼女は天に向かって美しい手話で話しかける。マルグリットへの,尽きることのない愛と感謝を。さらには彼女が自分に与えてくれた愛と献身と教育を,自分も後輩たちに継承していくことへの決意も。カメラはどんどん上空に上がってゆき,マリーを俯瞰するような映像になる。天の上から彼女を見守っている存在を表すかのように。女性の多い劇場の中に静かにすすり泣きが起こり,小鳥のさえずりをBGMに物語は幕を閉じる。
実話というのが,やはり素晴らしいと思う。障害について,教育について,人間の尊厳について,人を愛し慈しむことについて,そして死と永遠について・・・・様々な美しく貴重なことを感じさせてもらえる作品だった。
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