あの日の声を探して
第84回アカデミー賞受賞作アーティストのミシェル・アザナビシウス監督が、チェチェンの紛争で両親と声を失った少年とEU職員の女性との交流を通して,戦争の悲惨さや人間の絆を描いたヒューマンドラマ。劇場で鑑賞。
チェチェン紛争とは,ロシア連邦内の一つの共和国チェチェンの分離独立運動のこと。独立を求めるチェチェンと,認めまいと鎮圧しようとするロシア側の紛争はチェチェン武装グループのテロ活動やロシアによるチェチェンへの空爆や民間人の虐殺を生み凄惨を極めた。この作品は1999年の第二次チェチェン紛争のさなかの物語である。
1999年のチェチェン。ロシア兵に両親が銃殺される場面を目撃したショックで声を失った9歳の少年ハジ。彼は逃げる途中に赤ん坊の弟を見知らぬ人の家の前に捨て,放浪するうちにフランスから調査に来たEU職員のキャロルに拾われる。 キャロルは、EUの人権委員会の仕事で,チェチェンの悲惨な実態を調査しているが,どのように声をあげて訴えようとも,彼女の努力は事態の実際の解決には結びつかない。
はじめは心を開かないハジに手を焼くキャロル。しかし,紛争の中で自身の無力さを痛感するキャロルは,自分にできることを模索するうちに,せめて自分に託されたハジだけでも守ろうと決意し,ハジもそんなキャロルに少しずつ心を開いていく。
キャロルを演じるのは「アーティスト」のヒロイン,ベレニス・ベジョ。ハジを演じたアブドゥル・カリム・ママツイエフと彼と生き別れた姉ライッサを演じたズフラ・ドゥイシュヴィリは,オーディションで選ばれた、撮影当時10歳と17歳のチェチェンの素人の子供たちだという。彼らの飾り気のない自然な演技,特にアマツイエフ少年の,悲しみをいっぱいたたえた素朴な表情には,何度も涙を誘われた。
想像を絶する残虐な行いが,幼い子供の運命までも翻弄するチェチェン紛争。やりきれない怒りや悲しみと共に,そんななかでもあきらめることなく肉親を捜し続ける子どもたちや,手を差し伸べる人とのあたたかい絆に救いを見いだそうとする人々の強さ。地上から,このような非道な行いが無くなることはないにしても,そんな中でもハジのように懸命に生きている命があり,非力であっても自分にできる精一杯のことをしようとするキャロルのような存在もいる・・・。この作品が秀逸なのは、チェチェン側のストーリーだけを描くのではなく、サイドストーリーに,ロシアの若者コーリャが,強制入隊によって冷酷な兵士に変えられていく悲劇をも並行して描いていることだ。
軽犯罪で警察に逮捕されたコーリャは,強制的に軍隊に送り込まれ,最初は辛い遺体処理の仕事をさせられる。先輩兵士や上官による暴力やいじめを受けるうち,ごくごく普通の若者にすぎなかった彼は良心や感性が麻痺していき,他の兵士同様に次第に「狂気の兵士」に変貌する。犯罪者を起用したロシアの傭兵たちの,チェチェンの民間人への行いは特に非道を極めたそうだが,そんな傭兵たちの残虐さがどのようにして作られていったのか,コーリャの物語を観ていると納得できてしまう。なんとも恐ろしいことだ。コーリャを演じたマキシム・エメリヤノフは,どこにでもいるようなありふれた風貌の,どちらかというと内気な雰囲気の若者。その彼が殺伐として暴力的な軍隊生活の中で,徐々に殺人マシーンへと変貌していく過程を,新人とは思えない演技で力強く演じている。
ラストでは,なぜコーリャの物語がハジやキャロルの物語と並行して語られているのか,その理由が明らかになる衝撃のシーンが用意されており,それまで親しみや共感を覚えながら見守っていたコーリャに対して,一気に冷水を浴びせられたような気持ちになった。いやはや,感動もさることながら,計算しつくされたすごい作品でもある。
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