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2013年9月17日 (火)

「許されざる者」

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1992年のイーストウッド主演の「許されざる者」を,舞台を明治初期の北海道に移し,主役を,かつて「人斬り十兵衛」という名でおそれられた,幕府の残党,釜田十兵衛(渡辺謙)という設定にしてリメイクした作品。公開前から何かと話題を呼んでいたので,連休に劇場に行ってきた。オリジナルも観ていたし,昔から謙さんは好きなもので・・・・。

明治政府が幕開けしたばかりの蝦夷地。開墾を待つ広大な未開の地と苛酷な大自然。その地には,政府軍に追われた幕府の残党や,和人に虐げられるアイヌたちの試練があった。
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政府軍の追っ手から逃げる途中も,大勢の人間をその手にかけてきた十兵衛は,アイヌの女性を妻にして荒野にささやかな所帯を持って以来,「二度と人を殺さない」という,亡き妻との誓いを守ってきた。そんな彼が旧友の馬場金吾(柄本明)に誘われ,二人の子供との生活を守るために,賞金稼ぎに身を投じる。

狙う相手は,彼からすれば何の縁も恨みもない二人の男。彼ら(のうちの一人)が,開墾地の女郎宿で,一人の女郎に腹を立て,その顔を切り刻んだにもかかわらず,警察が彼らを「馬6頭差し出す」だけの罰しかを下さなかったのを怒った女郎たちが,自腹で彼らの首に賞金を懸けたのだった。
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もう二度と人を斬らないと誓った十兵衛だが,二人の子供に冬を越させるだけの報酬を得るために,「ついてきてくれるだけでいいから」という金吾の頼みを受けるのだが・・・。

オリジナルに描かれていた,過去に罪を背負ったわけあり主人公と,その周囲の虐げられた立場の人々,法の側にあるはずの者たちによって行われる非道な行い,そして背景となる荒野・・・・などの諸要素が,この邦画リメイクでは,19世紀末の北海道の苛酷な自然や,日本ならではの、アイヌや幕末の落ち武者の悲哀に置き換えられて描かれている。そして主人公の十兵衛は,オリジナルのウィリアム・マニー同様,単なる勧善懲悪のヒーローとしては描かれていない。
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彼に殺される人々は,生かしておくと世界を滅ぼしてしまうほどのレベルの極悪な存在には描かれていない。賞金を懸けられた二人の男(兄弟)は,小心者で,女郎を傷つけた兄の方は歪んだ性格の持ち主にも思えるが,巻き添えを喰った弟はむしろ善人であり,殺されたのは災難としかいいようがない。

また,最終的に十兵衛に仇と見なされる警察署長の大石一蔵(佐藤浩市)は,確かに目的のためには卑劣な手段を選ばない冷酷で残虐でいやらしいキャラクターだが,その行動の目的は,私腹を肥やすためではなく,あくまでも法の代理人としての自分の勤めの遂行であることに変わりはない。
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一度は罪から足を洗ったはずの十兵衛だが,彼らを殺すことで再び罪に手を染める。それは,自分の子供たちを守るために,また,友の無念を晴らすために彼が「やむを得ず」行った選択だった。

ラストの殺戮シーンは,それまでずっと「大人しかった」十兵衛が,堪えに堪えた末にその力を解き放ったようにも思えて,ある意味「待ってました!」という爽快感も感じたのだが,やはり法の番人たちを殺した罪ゆえに追われる身となった彼は,最愛の子供たちを五郎たちに託し,「許されざる者」として,姿を消す。その背中にアウトローの悲哀が漂っているところは,オリジナルと同じだった・・・・。
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罪を背負って生きる人生・・・しかし,法を犯すのが罪なのは間違いないとはいえ,そこまで追い込まれる人々のそれぞれの事情を考える時,また,法の側にいながらも,人を痛めつけ虐げることが許される者たちが確かに存在することも考える時・・・・罪とは一体なんなのだろう?どんな場合も決して許されないものなのだろうか?と思ってしまう。もちろん無法地帯があっては困るし,その時代時代で基準となる価値観や法律は必要なものだけど,愚かしく弱い人間たちの,陥りがちな悲劇や過ちを思うとき,一律に裁くことや報復することの難しさを痛感する・・・。
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それにしても,謙さん 見事でした!
苦渋の選択だった「賞金稼ぎの旅」のときは一貫して暗く沈痛な表情で,どんなに痛めつけられても無抵抗だった十兵衛が,「大石を殺る」と決意して女郎屋に乗り込むときの,それまでの彼とはまるで別人のような,凄味を帯びた精悍な表情・・・・あまりのカッコよさに,そしてその鬼気迫る気迫に,場内には一気に水を打ったような緊張感が張り詰めましたよ~~。それまで長いことこのシーンを待たされたから余計に。

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コメント

タイトルの「許されざる者」とは一体誰のことを指しているのでしょう。

・賞金を懸けられ殺された、女郎の顔を切り刻んだ開拓団の兄弟か

・馬場金吾(柄本 明)を店先に吊るした置き屋の亭主か

・権力を思うままにしている大石一蔵(佐藤浩市)か

・人斬りをしないと誓い、また人斬りをした鎌田十兵衛(渡辺 謙)か

・きっかけはささいなこと、お客の一物が小さいと笑った女郎(娼婦)には罪は無いのか。

タイトルが「許されざる者」或いは「者たち」であるかもしれませんが、
誰かを指しているのかよく判らない。
「者たち」であるとすれば誰にも正義は無く、存在する事が自体が罪であり、言い換えれば何をしても強者は正義と言うことになります。

タイトルの「許されざる者」とは一体誰のことを指しているのでしょう。

seiji さん コメントありがとうございます。

>タイトルの「許されざる者」とは一体誰のことを指しているのでしょう。
難しい問いですね。
答えはそれぞれの解釈次第なのかもしれませんね。
オリジナルでも,善人と悪人は紙一重というか,状況次第でどちらにも転ぶというか・・・そんなテーマが隠れていたように感じました。ラストまで観て,だれが「許されざる者」なのかは,観客に任せるというような・・・。
法的には,十兵衛は罪人として追われるのですから,彼が「許されざる者」の一人であることは間違いないのですが,さて道義的には・・・どうでしょうね。
人を蔑み,暴力をふるうこと・・・命を代償に求めるほどに相手に復讐心を募らせること,権力をかさにきて非道な行いで己の力を見せつけることに快感を覚えること・・・・それらのどれもが,道義的には罪であるのかもしれません。人間って,生まれ持っているような気がしますよ。誰しも,弱さや愚かさや罪を犯す可能性は。だからこそ,「許されざる者」は一人には限定できないし,もしかして主観的で流動的にもなるものかもしれませんね。わたしにもわかりませんか・・・・。

「許されざる者それは自分自身である」という自覚の元に
みなが一様に生きていれば回避できる問題ばかりなのではないでしょうか?

常に自分と向き合い、
この行動は果たして正しいものか?
強者にへりくだったものではないか?
弱者をいたぶっているものではないか?

自分を安全地帯に置き他人を見下ろし、さげすみ
自己満足に生きる
それこそが「許されざる者」の生き方のような感じがします

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