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2013年8月22日 (木)

嘆きのピエタ

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キム・ギドク作品は,観るのにいつも相当な覚悟が要る・・・・。

人の心の中の,またはこの世の中の,醜悪なものや罪深いものや,やりきれないほどの哀しみを,目を覆いたくなるほどに生々しく,同時に切なく描いてくれるから。その後味は強烈過ぎて,できれば観たくはないのだが,対峙したくもないのだが,それでも鑑賞後はやっぱり観てよかったと思える・・・そんな作品を撮る監督さんなのだ,私にとっては。

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ピエタとは,十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの姿。母の愛の象徴である。しかしこの作品のポスターの中で,腕に抱かれている主人公ガンドは,キリストとは似ても似つかぬ極悪な人間・・・・血も涙もない借金取りで,多くの人間を自殺に追い込み「悪魔」と憎まれ罵られてきた男である。また彼を抱いている母ミソンもまた,ネタバレになるが実は彼の母ではない。

生まれたときから天涯孤独で,肉親からの愛を知らないガンド。高利貸しの取り立て屋をしている彼は,到底返すことのできない債務者たちを事故に見せかけて障害者にし,その保険金で,膨れ上がった借金をチャラにする。手や足を失った債務者は,借金はチャラになっても,その後の生活が成り立たなくなって自殺するものも・・・・。
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債務者は皆,自転車操業を余儀なくされているに違いない零細家内工業の経営者たち。彼らは,ひと月で利子が10倍にも膨れ上がる借金を,返せないとわかっていても借りないわけにはいかないほどの貧困にあえぐ最下層の労務者たちだ。そんな彼らの弱みに付け込み,「どうか1週間待ってくれ」という彼らの必死の懇願にも眉ひとつ動かすことなく,彼らの手を工場の機械に巻き込ませたり屋上から突き落としたりするガンド。

鶏を一羽をまるごと捌いて煮る彼の夕食。トイレには鶏の内臓が片づけられるないまま散らばっている殺伐とした暮らし。ガンドの表情からは痛みも,憐みも,怖れも,何も感じ取ることはできない。時折浮かぶのは,債務者に向けた怒りや侮蔑の表情のみ。あたたかい人間らしい感情がすっぽり抜け落ちてしまったような,いや,もともと持ち合わせていないかのような,そんなガンドは確かに「悪魔」と」よばれるにふさわしい人間だった。
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そんなガンドの元に「あなたを捨ててごめんなさい。」と名乗る中年女性が突如姿を現し,執拗につきまとう。最初は相手にしなかったり,彼女を試すために残酷な仕打ちをしかけるガンドだが,やがてその女性,ミソンを実母として受け入れるようになる・・・・。

はじめて目にするガンドの微笑み。ミソンが涙ながらに歌う子守唄。まるで赤子の様にミソンに寄り添って眠ろうとするガンド。彼の心が少しずつ変わってくるさまは,取り立てに行った時の債務者に対する態度にも微妙に表れ始め,やがて彼はこの仕事から足を洗おうと決心するまでになる。そして彼は言うのだ。「もう一人では生きられない・・・・」と。
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ガンドがそれまでの30年の生涯で,ただの一度も味わったことのなかったもの。それは自分がどんなことをしても,そのまま受け入れ愛してくれる母親の存在初めて手にした「母の存在」が彼に与えた影響は強烈であり,ミソンを失うことはもはやガンドには耐え難いものとなっていく。ひとが母親を慕い,母親から庇護されたいと思う願いはまことに本能的なものであり,理屈抜きに誰もが生まれつき備えているのだと思わされる。たとえ「悪魔」に成長した男の心にさえも,その本能はあったのだ。

愛する者,守りたい者ができたガンドにとって,債務者からの恨みを買って当たり前の稼業を続けることはもうできなかった。彼は,ミソンに危害が及ぶのではないかと怖れるようになるのだが・・・・・。しかし,ミソンがガンドに近づいてきたのは,ある重大な理由があった。
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ミソンは実はガンドの母親ではなく,彼女がガンドの前で流す涙も,編んでいるセーターもガンドのためではなかった。二転三転するストーリー展開の中で,常識では考えられないような驚愕の復讐劇が着実に進められていく。

しかし,ミステリアスで残酷な物語の,あらすじそのものから片時も目が離せないのは勿論だけど,観終わってみると,これはやはり,まぎれもなく,母の愛と贖罪の物語だった。ミソンがまさに目的を達成しようとしたとき気づいた,ガンドに対する憐みの感情。芽生えるはずのない相手,受ける値打ちのない相手にすら生じる母性の不思議と底知れぬ可能性。
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そしてガンドもまた,ミソンが彼の母ではなく,何のために彼に近づいてきたのか理解したあとでも,彼女を母と慕う気持ちを変えることができなかったのだ。ガンドのために編まれたのではなかったセーターを奪い,ミソンの亡骸に添い寝をし,さらにそのセーターを己の死に装束にするガンド。

このセーターは,赤と白の二色で編まれているけれど,キリスト教では「赤」は贖罪のためにイエスが流した血の色を表し,「白」はその血によって罪が洗い清められ雪のように真っ白になった状態を表す。赦されるべき罪人のガンドにこそ,このセーターはふさわしかったのかもしれない。

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偽りだったとはいえ,ガンドに与えられた母の愛は,彼にはじめて自分の罪を悔いる感情を呼び覚ました。また,彼は,ミソンを探してかつて痛めつけた債務者のもとを回る度に彼らから凄まじい怨念のこもった憎悪を投げかけられ,自分のしたことを思い知る。ミソンを失った彼はもはや生きる望みもなく,その絶望と贖罪の気持ちは,彼にラストの壮絶な行動を取らせる。

彼を贖罪に導いた母の愛。キリスト教では,神が罪人を赦す愛は,無償という点で,母の愛にもたとえられることがある。ラストの夜明けのトラックのシーンは,残酷で心が痛むのだが,それでもそこに静謐さや美しさが漂っているのはなぜだろう。彼の贖罪する姿を静かに俯瞰している神の視点を私が感じるからだろうか。 

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コメント

ななさん、こんにちは。コメント&TBありがとうございました。
これ、劇場でご覧になったのでしょうか? もうDVDになっているのかな?
久々に、ギドク爆弾が炸裂した作品でしたね。
「復讐」を企てたはずの「母」が、新たな母性に目覚めるところは衝撃的でした。
3人で横たわるシーンは、強烈過ぎて目に焼き付いています。
(正直、あのシーン以降の流れは忘れてました^^;)
これからも、ギドクにしか撮れない映画を見せて欲しいですね♪

真紅さま こんばんは

劇場で観ました。まだやっていたんですよ~ 遅ればせながら。
宣伝を見てなんのためらいもなく観に行きました。
ちょうど時間があったことも感謝です。
母性って凄いですよね・・・・いくらなんでも息子の仇に母性が目覚めるなんて
普通はありえませんもの。
この相手を選ばず生じる愛や憐みが「母性」なのかもしれませんが。
「嘆きのピエタ」でもありますが「憐みのピエタ」でもあったと思います。
3人で横たわる姿とラストのトラックが夜明けの道路を延々と血痕を残しながら走っていくシーン・・・・
あまりに衝撃すぎて,でもどちらもガンドの気持ちを思ったら
涙があふれてしまいました。


こんにちは。
この作品の背景になっている、「自営業者が息詰まる」現象って、韓国では少なくはないらしいんだそうです。
ただ、借金のカタに、あそこまでするのかまではわかりませんけどね。

そのこともそうですし、母の復讐もそうなんですが、言われてみれば「あり」なのかもと思わせてしまうのは韓国ならではのようにも思えるんです。
人間の心の闇に忠実な、とでも言えばいいのでしょうか。

rose_chocolatさん こんばんは
>「自営業者が息詰まる」現象って、韓国では少なくはないらしいんだそうです。
そうなんですね。そしてガンドのような違法な血も涙もない取り立ても
けっこうありがちな国のような気もしますね…悲惨だ。

>人間の心の闇に忠実な、とでも言えばいいのでしょうか。
感情や行動そのものも同じアジア人でも日本人にはない濃さと激しさがあるのでしょうけど,映像でここまで描くか?と言うくらいタブーを冒してくれますよね・・韓国映画。
まあ,その強烈さがやみつきになっている点もあります…私には。

せっかくTB、コメントいただいたのに、とんと遅くなってすいません。
実は身近でとんでもないことが起こって、第三者の無関係な人間でありがら、ショックを受けてしまいました。
殺人事件。。。
こんなことが身近で起こるなんて、思いもしなかったのですが、被害者も、哀しいことに加害者も身近な人間だったという悲惨さ。
テレビでは、毎日のように起こる事件がこんな近くで起こるなんて。。。。です。

しばし、考え込んでしまいましたが、人間の闇というか、奥底に秘めるどろどろの精神について考え込んでしまいました。
絶対に可哀そうなのは被害者の親御さん。(当然知り合い)
毎日、泣いて暮らしてるそうで。。。そして思っていたのが、そんなに恨まれるようなことを自分の息子がしたのかもしれないという贖罪の思い。
毎日、そればっかりを思ってたそうで。
そして悲しいことに同級生が犯人として捕まりました。
ただの思い込みと、妬みがそうさせたみたいです。
でも、そこまでさせてしまう人間の残酷さと、思ったのがなぜか無邪気さです。
ガンドがやってきたことは非道だけど、人間だからやれる、どっかに邪気のなさを感じました。それが一番怖い。
犯人は捕まりましたが、何にもすっきりしません。みんなどよーーんとしたままです。
加害者の家族のことも考え込んでしまいます。
まったくもう・・・の事件に、ギドクの痛烈な表現。
人間って、本当に厄介な生き物ですね。

余計な事ばかり書いてすいませんでした。読み流してください。

sakuraiさん こんばんは

私の方こそすっかり返信が遅れてしまってごめんなさいね。
とんでもなく深刻な出来事に遭遇されたのですね。
まさに人間の業や罪,弱さ・・・などを体現するような出来事だったのかもしれませんね。

その後,少しは落ち着かれましたでしょうか・・・・
当事者の方々は,まだまだ茫然自失の域から脱することはできていないかもしれませんね。
人間の可能性や精神の美しさ,力強さって,
どんなことも可能にするほどのパワフルさを感じることもあるのですが
その反面,人間の弱さや愚かしさや脆さに対しても,
どんなこともありだし、誰にでも降りかかるものではないかと常々思ってしまいます。
何が正解かわからない・・・そしてどう変化するか予測もつかない・・・
だからこそ人間は,人生は面白くもあり恐ろしくもあるものだと思っています。
この映画もそんな人間のとんでもない一面をあぶりだしてくれた作品かもしれませんね。
ギドク作品ですからとくにね・・・。

どうか一日でも早く関係者の方々の心に少しでも何らかの形でも
癒しが訪れますように・・・・。

ななさん、こんばんは♪お久しぶりです。
この作品、近場の劇場に来たので観てきました。
ちょうど心が弱っている時期で、予備知識もあったことから
こんなときにこういうものは大丈夫だろうか、と
心配したのですが、かえって元気になってしまいました。
ギドクマジックにやられてしまったかしら…。
さて、ななさんが書いていらっしゃるキリスト教における赤と白の意味や、
贖罪に導く母の愛についての解釈、とてもよくわかりました。
あのポスターの意味が、今になってようやく理解できた感じです。
(理解とか、わかった、というのはおこがましい気もしますが)
やはり観てよかったです!!

孔雀の森さん こんばんは!

>こんなときにこういうものは大丈夫だろうか、と
>心配したのですが、かえって元気になってしまいました。
おおお,それは凄い!
わたしも元気になったというのではないのですが
やはり「こんな凄いもの見せてもらって得したなぁ」という
なんというか達成感や爽快感はありましたね~~
ギドクマジックなんでしょうかね,これも。

>キリスト教における赤と白の意味や、・・・
キリスト教では贖罪の血の赤,罪をあらわす黒,そして罪ゆるされた無垢な状態の白・・は重要な色なのです。
過去に教会の日曜学校の先生をしていたときに
子どもたちに黒→赤→白の順に色画用紙のフラッシュカードを見せて
「墨より黒い罪の心もイエス様の赤い血潮で雪よりも白くなる」と教えていました。
それであの紅白のセーターを見たときにそう思ったのかもしれません。

ななさん、こんにちは!
今年一発目は、これでした^^
いやー、やっぱりギドク、凄かったです!
最近のギドク作品は、あまりガツンと来るのがなくて、寂しい気持ちだったけれど、久々のヒット♪
嬉しかったです。

ななさんは劇場に見に行かれていたんですね。
>赤と白の二色で編まれているけれど,キリスト教では「赤」は贖罪のためにイエスが流した血の色を表し,「白」はその血によって罪が洗い清められ雪のように真っ白になった状態を表す。

おおおーーーーー!
さすが、ななさん。
こういう意味合いは全く知りませんでした。
こちらで知ることが出来て、良かったです。ありがとう!

latifaさん こんばんは

ごらんになったのですね~ それも今年の第1作とは!
久々のギドク作品,完全復活作でしたよね。

劇場で観ましたがその後のランチは食欲がなかったですねぇ。
いろいろ重たいものが胸に詰まっちゃって。
でもそれでも観れてよかった満足の作品でした。

ギドクさんが牧師あがりということで,彼の作品の中に
どうしてもキリスト教のメッセージ(かなり彼によってねじ曲がったり色づけはされていますが)を探してしまいます。
彼の作品をみんな観たわけではないですがどの作品にも共通して「罪」というものは描かれているような気がします。ま・・・人間の闇や業を描けばどうしてもそこには人間の「罪」が出てくるわけですが,ギドクさんの作品の中にはどこかに俯瞰する神の視点も見えるようなきがして・・・。

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