華麗なるギャツビー
原作も未読だし,レッドフォード主演のギャツビーも観ていない。あらすじも知らなかったし,そもそもなぜか私はこれまで,この作品の題名を「華麗なるギャッピー」だと勘違いして覚えていた。ギャッピーじゃなくてギャ「ツ」ビーだったのね・・・(汗)。
で,今回劇場鑑賞したディカプリオ版のギャツビー・・・・こんな切ないお話だったのか。冒頭はナレーションの多さや,きらびやかなだけの画面の展開に少々退屈したけど,すぐに物語にひきこまれ,それぞれ個性的なキャラ立ちが見事な名優陣の演技や,絢爛豪華で美しい映像に大満足できた。
物語の語り部をつとめるニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)の謎の隣人ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)は,宮殿のような豪邸で,毎夜派手なパーティを繰り広げていた。彼が何者でその財力がどこから来たのかいろいろと荒唐無稽な噂は絶えなかったが誰も真相を知る者はなく・・・・。
しかしニックは,やがてギャツビーが,過去に自分の親戚のデイジー(キャリー・マリガン)と愛を誓った仲であり,今は富豪の人妻となっている彼女のために,このような贅をこらしたパーティや社交生活を演出していたことを知る・・・・。
原題の「The Great 」=「華麗なる」もしくは「偉大なる」ギャツビーというのは,彼の金に糸目をつけない派手な生きざまを表現しているのかと思ったが,観終わって,ギャツビーの偉大さは,その純なところ,一途なところ,そして叶えたい夢に向かってどこまでも力を尽くしたところ・・・なのかもしれないと思った。
彼が実は極貧の出て,一人で運命を切り開いていったこと・・・ギャツビーはまだ一文無しの兵士の時に出会って愛し合った富裕層の娘デイジーにふさわしい自分になりたい・・・ただそれだけのために,彼女を喜ばせるためだけに,財を築き名をあげてきたのだ。
もうすでにデイジーと結婚したつもりでいたギャツビーが,彼女に見合う財産を築こうとしている間に,忘れ去られたと思い込んだデイジーは釣り合った階級のトムと結婚し,ギャツビーは彼女の邸宅の灯が対岸に見える豪邸から彼女に想いを寄せ続ける。彼女を取り戻すために・・・。ここらへんはちょっとストーカーが入っていると言えなくもないが,ニックのお膳立てで再会を果たしてからのギャツビーとデイジーの恋は再燃する。駆け落ちしたいと言うデイジーにギャツビーは,「僕が君のために築き上げたこの屋敷を去るのは意味がない。」といい,デイジーにトムとの離婚を迫る。
彼女を失ったという過去をなかったものにしたいギャツビーと,現実の生活を捨てる勇気のないデイジー。ギャツビーが純粋?すぎるのか,それともデイジーの愛がさほどのものではなかったのか・・・いややはり,決定的な温度差を生んだのは,目に見えない「階級」の壁なのか。デイジーの夫トムの挑発に乗って,我を忘れたギャツビーがつい紳士の仮面をかなぐり捨てて激高するシーンのデイジーの引きよう・・・・あれは実に印象的なシーンだった。(レオの名演技)
結局観終わってみれば,ギャツビー邸に訪れて彼をちやほやしていた取り巻きたちや,デイジー夫妻のなんと薄情で俗物なこと。デイジーの罪まで被ってこの世から哀れな退場をしたギャツビーの真実を,ニックだけが知っていて,回想記の題「ギャツビー」に「偉大な」を書き足すラストシーンは見事だと思った。ニックを演じたトビーは雰囲気も人柄もとてもしっくり合っていたし。
オールバックにすると,丸顔が際立つようになってしまったレオだけど,↑のシーンは前髪が額に落ちかかっていたので若々しかった。タイタニックの頃の美青年の面影はもうないけれど,やはりその演技や存在感はすごい。
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