不滅の恋/ベートーヴェン
1994年の作品・・・・ご存じだろうか?
耳が不自由という致命的なハンディにもかかわらず,その才能によって「楽聖」と呼ばれるほどの偉業を後世に残した音楽家ベートーヴェン。情熱的で恋も多かったが,生涯を独身で通した彼の死後に,見つかった三通の恋文。それは,ベートーヴェンから,名前の明かされていない「不滅の恋人」に宛てたものだった。この女性が一体誰だったのか,今なお世界中の研究者たちが論争を繰り広げているという。
この作品は,そんなベートーヴェンの秘められた恋について,大胆な仮説をもとに製作された芸術の香り高いミステリー・ロマン。天才でありながら,その反面,不運で孤独でもあったベートーヴェンの生涯を回想しつつ,彼の不滅の恋人とはいったい誰だったのかという謎解きの面白さも盛り込んだ作品だ。ベートーヴェンを演じたのは,レオンやダークナイトのゲイリー・オールドマン。
登場する主な女性たちは三人だ。ベートーヴェンにピアノを教授され,婚約の話まで出ていたという貴族の令嬢ジュリエッタ(ヴァレリア・ゴリノ)と,ベートーヴェンのパトロンの役割も果たしたエルデーティー伯爵夫人(イザベラ・ロッセリーニ)。そしてベートーヴェンの弟の妻のヨハンナ(ヨハンナ・テア・スーグ)
ベートーヴェンの死後に見つかった遺書には「すべての財産を我が不滅の恋人に譲る」と書かれていた。彼の弟子のアントン・シンドラーは,残された恋文を手に,「不滅の恋人は誰だったのか」と調査を開始する。
シンドラーの調査が進むにつれて,ベートーヴェンの恋愛遍歴が明らかになるともに,彼の歩んだ波乱の人生もまた少しずつ露わにになっていく。難聴のハンディに苦しみ,様々な確執を抱えた肉親に対し,屈折した愛情を抱いていたベートーヴェン。時に正直すぎ,時に情熱的すぎるゆえに,その傲慢不遜さが敵を作り,人々から疎まれることもあったベートーヴェン。彼の不器用な生き様が,数々の名曲をバックに次第に浮き彫りにされてくる・・・・。
恋文が書かれたとき,恋人はボヘミア地方の温泉地カールスバードのホテルで,ベートーヴェンと忍び逢う約束をして彼の到着を待っている状態だったらしい。悪路のために到着が遅れたベートーヴェンが手紙でホテルの恋人に,「待っていてほしい」と切々と訴えているのだが,その文面からは,二人が道ならぬ関係にあり,恋の成就のためには何らかの障害を抱えていたことがわかる。以下に少し抜粋してみる。(本文はもっともっと長い。)
私の天使,私のすべて,私自身よ。――きょうはほんの一筆だけ,しかも鉛筆で(あなたの鉛筆で)――明日までは,私の居場所ははっきり決まらないのです。こんなことで,なんという時間の無駄づかい――やむをえないこととはいえ,この深い悲しみはなぜなのでしょう――私たちの愛は,犠牲によってしか、すべてを求めないことでしか,成り立たないのでしょうか。あなたが完全に私のものでなく,私が完全にあなたのものでないことを,あなたは変えられるのですか。
もし私たちが完全に結ばれていれば,あなたも私もこうした苦しみを,それほど感じなくてすんだでしょう。・・・・(中略)・・・私たちはまもなく会えるのです。きょうもまた,この二,三日,自分の生活について考えたことをあなたにお伝えできない――私たちの心がいつも互いに緊密であれば,そんなことはどうでもいいのですが。胸がいっぱいです。あなたに話すことがありすぎて――ああ――ことばなど何の役にも立たないと思うときがあります――元気を出して――私の忠実な唯一の宝,私のすべてでいてください,あなたにとって私がそうであるように。
あなたがどんなに私を愛していようと――でも私はそれ以上にあなたを愛している――私からけっして逃げないで――おやすみ――私も湯治客らしく寝に行かねばなりません――ああ神よ――こんなにも親密で!こんなにも遠い!私たちの愛こそは,天の殿堂そのものではないだろうか――そしてまた,天の砦のように堅固ではないだろうか。――
わが不滅の恋人よ,運命が私たちの願いをかなえてくれるのを待ちながら,心は喜びにみたされたり,また悲しみに沈んだりしています――完全にあなたといっしょか,あるいはまったくそうでないか,いずれかでしか私は生きられない。・・・・(中略)・・・・おお神よ,これほど愛しているのに,なぜ離れていなければならないのでしょう。
天使よ,いま郵便が毎日出ることを知りました――この手紙をあなたが早く受け取れるように,封をしなければなりません――心をしずめてください,いっしょに暮らすという私たちの目的は,私たちの現状をよく考えることによってしか遂げられないのです――心をしずめてください――愛してほしい――きょうも――きのうも――どんなにあなたへの憧れに涙したことか――あなたを――あなたを――私のいのち――私のすべて――お元気で――おお――私を愛し続けてください――あなたの恋人の忠実な心を,けっして誤解しないで。
『ベートーヴェン不滅の恋人』青山やよひ(河出文庫)より
なんという,切なく情熱的な文面。
こんな手紙が書ける人だったのか,ベートーヴェンは。
そしてまた,こんなにも狂おしい想いを
その胸に秘めることができる人間だったのか。
彼の作曲する音楽は,当時の社会では「官能的すぎて不道徳」だという理由で,未成年には聴かせないように,とさえ言われていたそうだ。今聞くと「どこがそんなに不道徳?」と思うけれど,爽やかな宮廷音楽に慣れた当時の人々の耳には,彼の曲の中に迸る激しい感情が,とても刺激的だったのか?ベートーヴェンは決してハンサムではなかったけれど,たいそう表情豊かな男性だったらしい。武骨な容貌とは裏腹に,女性を虜にするような,激しいパッションを持つタイプだったのだろう。
終盤になって,ようやく観客にも明かされる恋人の正体。
彼ら二人は,なぜ結ばれなかったのか。
なぜあの恋文は,ベートーヴェンの手元に戻ってきていたのか。
そしてベートーヴェンがなぜあんなにも,
甥のカールに激しく執着し,深く溺愛したのか。
明らかになった真相は,あまりにも切ない。
運命のいたずらとしか思えない「すれ違い」や「思い込み」ゆえに,互いに「見捨てられた」と勘違いしてしまった恋人たち。そしておそらく,どちらも激しい気性とプライドの持ち主だったために,誤解を解くきっかけも求めないまま,恋人たちの愛は憎しみに形を変えて生き続け,それでもベートーヴェンの方は,やはり終生彼女を忘れることができなかったのだろう・・・・。
演じたゲイリー・オールドマンの芸達者ぶりには,今更ながら脱帽させられる。どんな役にも全身全霊でなりきれるし,キレた悪役もこなせる人だが,彼はピアノも弾けるのだ。(もちろんベートーヴェンの曲を弾くのだから,特訓はしたらしい) 若き日のベートーヴェンの情熱と愛,失望や怒り,老いたベートーヴェンの孤独や後見人となった甥のカールへの慈しみと哀しみ・・・・様々な感情をゲイリーは見事に演じていた。
古い作品だ。DVDもレンタル店にはあまり見かけないと思う。でも音楽好き,オールドマン好き,悲恋もの好きな私にはツボにはまる作品。ちなみにこの作品中に出てくるベートーヴェンの曲の中で一番私が好きなのは,交響曲第7番の第2楽章(落下の王国の主題曲にもなった舞踏の権化ともよばれる曲)である。あの旋律の規則正しい重厚さ,込められた哀しみと,そこはかとなく漂う不穏さ・・・が何とも言えず好き。
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» ベートーヴェン 実らぬ恋 [想い出 散歩道 夜空のオリオン]
ベートーヴェンは恐ろしく(異性に対し)情熱的な人だったようだ。ピアノ曲のメロデイがそうではないか、という解説を、仲道郁代(ピアニスト)の本で読んだ。その情熱さゆえ、受けた傷は深い。ベートーヴェンが愛した女性達と手紙http://www.freude.or.jp/?page_id=888不滅の恋/ベートーヴェンhttp://kimageru-cinema.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-685d.htmlベートーヴェンをめぐる女性たちhttp://www.h2.... [続きを読む]
こちらにも~。
この作品、懐かしいです。
ポスターになっている、このベートーベンが
ピアノに耳をつけて鼓膜の振動で
音を感じながら弾くシーン、最初に
観たときは鳥肌が立ちました。
今もって、あの楽譜の謎の走り書きは
未解読らしいですが、それをうまく利用した
ストーリーでしたよね。
またこういう歴史的作品、制作してほしいものです^^
投稿: JoJo | 2011年12月 3日 (土) 22時25分
JOJOさん こんばんは!
こちらにもありがとう~~
これご覧になったのですね。
私は劇場では観ていないけど
ビデオ時代に何度レンタルしたことか。
ロマンチックな物語ですよね。
不滅の恋人が本当に彼女だったかは怪しいですけど
でもこうあってほしい,と思うほど切ない真相でした。
音楽家とか作家とか画家とかを題材にした映画大好きです。
音楽家では個人的にショパンとサンドの恋物語が好きなのですが
昨年の春に公開されたショパンの映画は
残念ながら不評だったみたいですね。
この秋に公開された「ゲーテの恋」はよかったそうで
はやくDVDにならないかなぁ・・・観たいです。
「終着駅トルストイ最後の旅」もよさそうですね。
音楽家ものでは「アマデウス」も傑作ですよね。
画家が題材の作品は
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が一番好きです。
投稿: なな | 2011年12月 3日 (土) 23時52分
素晴らしい作品ですね。
ピアノに耳を付けて弾くシーンが曲との相乗感を伴ってグッときます。
特にラストが感動的で胸にこみ上げるものがあります。
いつの間にか泣いていました。
芸術家は変人が多いと聞きます。
しかし、だからこそ素晴らしい作品を生み出すことができるのでしょう。
凡人にはない才能を持つが故の非常識な言動も頷けます。
映画のBGMで流れたベートーベンの音楽には熱いものを感じます。
この映画の脚本はドラマチックで素敵だと思います。
投稿: るんるん | 2016年3月11日 (金) 16時55分
るんるんさん コメントありがとうございます。
最近,この作品のブルーレイを買い足しました。
一生大切に観続けたい作品の一つです。
>芸術家は変人が多いと聞きます。
>しかし、だからこそ素晴らしい作品を生み出すことができるのでしょう。
おっしゃる通りだと思います。
ベートーベンの他にも天才といわれた芸術家・・・モーツァルトやゴッホなどなど
よき家庭人だったり,常識人だったり・・・ではなく,孤独で奇行の目立つ天才も多いですよね。
そこらへんが凡人とは違うところなのでしょうね。
この映画はストーリーもよいですがそれぞれのシーンで使われるベートーベンの音楽が
とても効果的で心に迫ってきましたよね。
投稿: なな | 2016年3月13日 (日) 20時14分