
第63回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞,および第83回アカデミー賞外国語映画賞フランス代表作。
アルジェリア内戦時代の1996年に起きた,武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐及び殺害事件を元に製作された作品。

実際に誘拐された修道士たちが生活していた修道院は,アトラス山脈の山間のチビリヌというところにあり,宗教を超えて貧しい人々に尽くす修道士たちは,地元のイスラム教の人々にも頼りにされ,慕われていた。
1996年当時のアルジェリアは,武装イスラム集団とアルジェリア軍との内戦のただなかにあり,3月26日の夜,モロッコからやってきた1人の修道士を加えた9人が就寝中に武装グループに襲われ,9人のうちの7人が誘拐された。そして同年の5月23日に武装イスラム集団は修道士たちを殺害したという声明を出し,同30日に政府はメディア近くの路上で,修道士たちの遺体が発見されたと発表した。

犯人集団や誘拐からの経過,遺体発見の事実などに関しては実は謎が多いとされているこの事件だけれど,映画化に当たり,9人の修道士たちのプロフィールや修道院での役割,テロ集団の脅威に対する見解や態度などは,おそらくできるだけ事実に忠実に描かれていたのだろうと思われる。
それぞれ味のある修道士立ちの中でも,特にリーダーであるクリスチャンと,外科医でもあったリュックの存在感が大きい。

襲撃される前に脱出して祖国フランスに帰るチャンスはいくらでもあったのに,結局は「あえて」危険な地に留まり,命を落とすことになった修道士たち。彼らは留まることを強制されたわけではなく,メンバー全員による討議や思索を繰り返したのちに,結局最後は全員一致で「逃げない」選択をしたのだ。
映画の中心に描かれているのは,結論に達するまでの,それぞれの修道士の思惑や葛藤である。

「むざむざ死にたくない」と,修道院を捨てることを主張するもの,「しばらく考えたい」というもの,「自分たちを頼っている地元の人々を見捨ててはいけない,とどまるべきだ。」というもの・・・彼らの葛藤する思いはそれぞれがもっともで,正直で。それでも最後には「逃げても平安はない」という結論に皆が達するのだ。
ミッションという映画を思い出しながら,私は,彼らが取った道は「殉教」というよりは「殉職」に近いものなのかもしれないと思った。私はクリスチャンなので,「信仰を捨てろ」という要求を拒否して死を選ぶ殉職者の選択は理解できる面もある。しかし,この修道士たちが危険な地を捨てなかったのは,信仰を守るためというよりは,自分たちに託された使命(=現地の貧しい人々を助ける)を全うするためだったのではないかと思う。

テロリストの脅威にひるみそうになる心を強く保つために,彼らがどれほどの勇気と平安を,祈りや讃美によって神から受けつつ,「逃げたくなる自分」と戦ったか・・・また異なる宗教の人たちや,テロリストにまで彼らが注いだ慈愛の心など・・・まさに「最後の晩餐」ともいえる食卓で,「白鳥の湖」のBGMをバックに映し出される彼ら一人一人の表情・・・そこには,死を覚悟した哀しみはあったが,同時に,迷いのない静けさがあり・・・互に愛情を込めて見交わす眼差しの優しさには,人を超越した崇高な輝きさえ感じた。
ラストはテロリストたちに囚われ,雪山の中を死に向かって黙々と歩いていく憔悴した修道士たちの映像が映し出される。そしておそらくリーダーのクリスチャンの遺言であろう手紙には,自分の命を奪う敵を友と呼び,「いつか天国で再会できるように」と書かれていた。

神々と男たちというタイトル。
神々とは,キリスト教の神とイスラム教の神を指しているのだろうか。そしてそれぞれの神を信じるゆえに,闘わざるを得なかった男たち。片方は暴力や殺戮によって,そしてまた片方は無抵抗と曲げない信念を武器にして。このような史実があったことを,そしてその中で生き,また死んでいった人たちのことを…そして今も続いていて,おそらく世の終わりまで絶えることがないだろう,宗教が基になった戦争や紛争の事など,いろいろと考えさせられる作品だった。
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