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2011年11月の記事

2011年11月27日 (日)

秋の八十八か所

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今年は紅葉をゆっくり観に行く暇がなくて・・・・。
それで自宅より車で半時間ほどの距離にある隣県の大窪寺 に行ってまいりました。ここは四国八十八か所霊場の最後,八十八番目の札所で,「結願所」だそうです。お遍路さんが旅の終わりに杖や菅笠をおさめるお寺でもあります。
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私はクリスチャンなので,参拝の気持ちは全く持たず,純粋に歴史的な興味と紅葉を楽しむためにのみ訪れました。あいにくお天気が悪かったので,色づいた紅葉が青空に映える様子は見られませんでしたが・・・・。それに境内の大銀杏は,もうあらかた葉を落としておりました。
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それでも楓の鮮やかな赤色は見事でした。
ここの名物は「打ち込みうどん」。みそ仕立ての鍋焼きうどんのようなもので,ごぼうや大根などのお野菜がたっぷり入った体のあったまるおうどんです。
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鐘つき堂の背景の山には,ススキが盛りでした・・・・。

20年ほど前にも来た覚えがあるのですが,その時と比べて,打ち込みうどんとかが,TVでも紹介されたせいか,土産物屋や食堂が大きく改装されて,参拝客も大勢でにぎわっていました。
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まさに山寺の深まる秋・・・という感じ。
帰りの車中からは,遍路姿の旅人の姿も見かけました。

2011年11月24日 (木)

ひまわり

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まだ映画ファンでなかった思春期の頃に,テレビの洋画劇場で観た。大人の恋愛の機微も戦争の悲哀も何も知らなかったにもかかわらず,なぜか号泣してしまった作品。人生の深みも痛みも,狂おしい恋も未体験の青少年をも,泣かせてしまうこの名画の魅力は,確かにただものではない・・・。
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戦争によって引き裂かれたイタリアの夫婦の哀しい物語。

ナポリの海岸で激しい恋に落ちた配管工のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)とお針子のジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)。第二次世界大戦が勃発し,12日間の新婚休暇後,狂人のふりをして兵役を逃れようとしたアントニオの努力も虚しく,彼はロシア戦線に駆り出されてしまう。
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終戦後も戦場から帰らず,消息を絶ったアントニオの生存を信じて,ジョヴァンナははるばるロシアまで赴く。しかしようやく探し当てた夫は,酷寒の戦場で生死の境をさまよう体験で記憶を無くし,命の恩人のロシア娘と結婚し,可愛い子供までもうけていた。傷心を抱えて逃げるようにイタリアに帰ったジョヴァンナのもとに,数年後に今度は記憶を取り戻したアントニオが訪れるが,ジョヴァンナには既に新しいパートナーと子供がいた…。
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当時初めて観たときは,マストロヤンニはただのおっさんに見えたし,ソフィア・ローレンは,すぐにけんか腰に怒鳴る,こわいオバサンにしか見えなかった。その上,お話が半分しか記憶に無く,後半の,アントニオがジョヴァンナに逢いに行くシーンからエンドロールまでは,全く覚えていない。この作品は,ロシアの田舎駅での別離のシーンで完結していたと,長い間記憶違いをしていた私は、残りの場面は眠っていたのだろうか?

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・・・・それはさておき,そんな浅い理解力しかなかった小娘の私でも,あのドラマティックで哀愁溢れるテーマソングを背景に,駅で二人が別れるシーンでは涙が止まらなかった。そしてあの,風に揺らぐ地平線まで続く一面のひまわり畑。愛し合っているのに添い遂げられなかったアントニオとジョヴァンナ,ふたりの運命を根こそぎ変えてしまった戦争,彼らを縛る現在の家族としがらみ・・・・・
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誰が悪いわけでもなく,すべての幸せを破壊したのは戦争。どんなに理不尽で苦しくても,どうしようもないことってあるのだな・・・と,私に初めて教えてくれた恋愛映画が,これだったような気がする。嵐の夜のジョヴァンナのアパートでの再会シーンで,彼からの新婚のプレゼントだったイヤリングをつけて迎えるジョヴァンナと,遅すぎたロシア土産の襟巻を渡すアントニオの,口には出せないそれぞれの想いが切なかった。

口に出せない思いを残して二人が駅で別れていくシーンは二つある。ひとつはロシアの片田舎の駅,そしてもうひとつはミラノ駅。
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汽車で去っていくのは,ロシアの場面ではジョヴァンナで,ミラノ駅ではアントニオだ。いたたまれない気持ちで汽車に飛び乗るジョヴァンナを,アントニオが唖然と見つめるロシアのシーンも,胸がつぶれそうな思いになったが,ラストのミラノ駅で,万感の思いを秘めつつも静かに別れていくシーンは,これが本当にふたりの生涯の別れとなると思うだけにやるせなさは言いようもない。
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汽車の窓からジョヴァンナを見つめるアントニオの痛切な表情。二人の視線はしっかりと絡み合ったまま,やがて汽車が動き出すと同時に感極まったように号泣するジョヴァンナに,こちらもいつ観ても号泣してしまう。
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※卵24個を使って作るスパニッシュ風のオムレツのシーンも初見時から覚えていた。え~,あんな作り方のオムレツもあるんだ!と印象的だったから。今では私も時々このオムレツを作る。卵は6個くらいしか使わないが・・・中にポテトや玉ねぎ,ベーコンなども入れて。映画と同じようにフライパンにお皿でふたをしてひっくり返す。食べるたびにこの映画を思い出す・・・・。
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2011年11月12日 (土)

ヤコブへの手紙

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第82回アカデミー賞外国語映画部門フィンランド代表作品。その他,各国でたくさんの賞を受賞し,小品ながら多くの人の心に静かな感動を与えた作品。DVDで鑑賞。

・・・・ほんとに静謐な作品だ。BGMは,まるで雨垂れのようにひそやかなピアノ曲のみ。そして主要登場人物は3人だけ。引退した盲目の牧師ヤコブと,恩赦によって12年ぶりに社会復帰した元終身刑囚のレイラ。そしてヤコブ牧師に手紙を届ける郵便配達の男。
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ヤコブ牧師の手紙の代読と代筆を頼まれて牧師館に住み込んだレイラ。服役していた12年間,誰とも交流を断っていた彼女は,恩赦を喜ぶ様子もなく,他にいくあてもないので仕方なく・・・という雰囲気だ。彼女が終身刑に服することになった罪とはいったい何なのか?盲目の牧師にはじめは戸惑いを感じながらも,彼女はやはり牧師館でも全く心を許さず,無愛想でふてぶてしくさえ見える態度を取り続ける。
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レイラの仕事は,ヤコブ牧師宛に毎日届く「牧師への相談の」手紙を読み上げ,牧師が返事に語る聖句や祈りの言葉を牧師に代わって書くことだった。「悩みのある人は祈りを必要としている」と穏やかにレイラに語るヤコブ牧師と,それを「くだらない・・・」と言わんばかりの表情であしらうレイラ。

レイラのような孤独な人こそが,ヤコブの祈りや神の救済を必要としているはずなのに,この無関心さ,傲慢さは何だろう・・・と思いつつ,いやいや彼女のように深すぎる傷と荒んだ心を抱えた人間は,ヤコブ牧師のように純粋すぎる善人には,かえって反発しか感じないのかもしれない,とも思った。

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レイラから見れば,ヤコブの行為は,ただの気休め,自己満足,のように最初は映っていたのだろう。祈ることが何の問題解決になるのか?辛酸をなめてきた彼女には,そう思えても仕方がなかったかもしれない。

聖書の言葉をすべてそらんじていて,常連の差出人の悩みをいつも心に留めているヤコブ牧師。DV夫に悩む婦人の生活と逃亡を助けるために,自分の全財産をその婦人に与えたヤコブは,単に「祈るだけ」の人ではなく,「愛の行い」をもすることができる人だった。返してもらうことを微塵も期待せずに全財産を「必要としているのは私ではなく彼女だったから」と与えることができるヤコブの行動にレイラは内心ひどく驚く。
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ある日,配達人とレイラとの間に諍いが生じたことをきっかけにか,突然ヤコブ牧師への手紙が全く届かなくなる・・・・。本当に途絶えたのか,それとも配達人の陰謀か,それはさだかには語られないのだが,とにかく手紙が来ないことで,ヤコブはすっかり意気消沈してしまい,そんな彼をレイラは冷ややかな目で見てしまう。

人々のために祈ることが使命と思っていたのに。神はもう私を必要としていないのだ。」とうなだれる牧師に,「だったら祈らなければいい。自分のために祈っていただけでしょ。」と言い放ったレイラは,一度牧師のもとを去ろうとするが,どこへ行くあてもない自分の現実を思い知らされ呆然とする。
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そしてまた,ヤコブ牧師も悟る・・・・手紙を受け取り祈ることは,今まで人々のためだと思ってきたけれど,神が自分のために与えてくださっていたのだ,いうことを。返事を書き祈る行為によって,ヤコブ自身が,慰めや生き甲斐を感じ,これまで生かされていたことを。

神は確かにヤコブのような人間を通して,救いや慰めのわざを行われる。そしてその恵みや癒しは,対象者だけでなく,用いられる人間にも与えられるものなのだ。
手紙が届かなくなり,自分の存在価値を無くしたように落ち込んでいたヤコブは,そのことに思い至ったときに神の前にへりくだり,それまでの神の恵みを感謝したのだろう。
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そんなヤコブを見るうちに,レイラの頑なな心も,いつしかヤコブ牧師に近付いてゆき・・・・彼女が手紙の代読を装って,ヤコブに自分の身の上と犯した罪を語るあのクライマックスシーン・・・・,「私の罪は許されますか?」と涙とともに問うレイラに対して,ヤコブにあらかじめ備えられていた「答え」。それがわかったとき,何とも言えない感動が静かに,しかし圧倒的に迫ってきた。

人にはできないが,神にはできる。
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レイラが重荷を下ろすことと,ヤコブがその生涯の終わりに彼女を助けて,彼自身も大きな喜びを得ること・・・・すべては神の恩寵と計画のもとにあり,彼ら二人は互いに慰めを与え合うようにと,あらかじめ神に導かれていたのだと思えてならなかった。

フィンランドの役者さんにはもちろん面識はないけれど,レイラ役の女優さんもヤコブ役の男優さんも何とも味のある繊細な名演技だった。また,一見地味なように見える映像も,室内の静物や自然の映像がすごく美しく,芸術的にも感じた。
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私のようなクリスチャンにはもちろんどストライクの感動の作品。しかし,クリスチャンでなくてもしみじみと優しい気持ちになれる作品だと思う。

2011年11月 8日 (火)

言えない秘密

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DVDで鑑賞,もう数年前の作品だそうだけど,リリースがかなり遅れたみたい。「言えない秘密」という邦題に,ミステリアスな魅力を感じて借りてみた。監督も脚本も主演も音楽も担当しているジェイ・チョウの,その才能と感性の並々ならぬ豊かさにまず驚く。
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ピアニストとして作曲家として,また歌手として,これほどまでに素晴らしいとは。特にピアノの演奏は神業だ。ピアノ対決の場面のジェイの演奏は何度観ても鳥肌もの。

舞台はノスタルジックな建物の音楽学校。ある日,ピアノの音色に惹かれて旧校舎を訪れたシャンルン(ジェイ・チョウ)は,謎めいた美少女シャオユー(グイ・ルンメイ)と出会う。
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惹かれあう二人・・・彼らの恋を見ていると,自分の体験してきた,思春期のピュアなときめきや切なさを思い出す。恋人たちの自転車の二人乗りのシーンは,大学時代の自分の恋の思い出とリンクする部分もあって。

爽やかに軽やかに,恋物語は進行するが,幸せそうなのにその陰に哀しみを宿しているシャオユーの表情がずっと気がかりで,「言えない秘密」っていったいなんなんだろう?と思っていると,中盤を過ぎたころに一気に物語はミステリアスな急展開に。
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どんな秘密かはネタバレになるので言わないけれど,そんなに予測不可能なものではなかった…私には。それでも秘密が明らかになるにつれて,それまでの不可解なシーンがみんな見事に辻褄が合っていくし,やはり一緒には生きることができない運命の恋人たち,という点はとても切なくて,けっこう他にも似たようなラブストーリーはあるのだけれど,キーとなるのが,「あるピアノ曲の演奏」だったりするところなどが独創的で素敵だ。

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「愛してる・・・・あなたは私を愛してる?」という文字。
そしてすべてを理解したシャンルンが
シャオユーのために取ったラストの行動。

ファンタジーではあるけれど,
これは,とても素敵な切ないラブストーリー。

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挿入されている音楽がクラシック風のも,現代風のもみんな素敵だ。(ほとんどジェイの作曲?)
彼の作品は王妃の紋章グリーン・ホーネットしか見てなくて,もっぱらスポーツ万能の面しか知らなかったのだけど,こんなにも繊細で芸術豊かな彼の才能の一面に,また感動した。世の中には天からニ物も三物も,いやもっともっとたくさんの賜物を与えられている人がいるんだね。

音楽とラブストーリーの好きな方に特にお勧めの,
珠玉のような愛すべき作品。

2011年11月 6日 (日)

神々と男たち

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第63回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞,および第83回アカデミー賞外国語映画賞フランス代表作。

アルジェリア内戦時代の1996年に起きた,武装イスラム集団によるフランス人修道士の誘拐及び殺害事件を元に製作された作品。
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実際に誘拐された修道士たちが生活していた修道院は,アトラス山脈の山間のチビリヌというところにあり,宗教を超えて貧しい人々に尽くす修道士たちは,地元のイスラム教の人々にも頼りにされ,慕われていた。

1996年当時のアルジェリアは,武装イスラム集団とアルジェリア軍との内戦のただなかにあり,3月26日の夜,モロッコからやってきた1人の修道士を加えた9人が就寝中に武装グループに襲われ,9人のうちの7人が誘拐された。そして同年の5月23日に武装イスラム集団は修道士たちを殺害したという声明を出し,同30日に政府はメディア近くの路上で,修道士たちの遺体が発見されたと発表した。
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犯人集団や誘拐からの経過,遺体発見の事実などに関しては実は謎が多いとされているこの事件だけれど,映画化に当たり,9人の修道士たちのプロフィールや修道院での役割,テロ集団の脅威に対する見解や態度などは,おそらくできるだけ事実に忠実に描かれていたのだろうと思われる。

それぞれ味のある修道士立ちの中でも,特にリーダーであるクリスチャンと,外科医でもあったリュックの存在感が大きい。
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襲撃される前に脱出して祖国フランスに帰るチャンスはいくらでもあったのに,結局は「あえて」危険な地に留まり,命を落とすことになった修道士たち。彼らは留まることを強制されたわけではなく,メンバー全員による討議や思索を繰り返したのちに,結局最後は全員一致で「逃げない」選択をしたのだ。

映画の中心に描かれているのは,結論に達するまでの,それぞれの修道士の思惑や葛藤である。
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「むざむざ死にたくない」と,修道院を捨てることを主張するもの,「しばらく考えたい」というもの,「自分たちを頼っている地元の人々を見捨ててはいけない,とどまるべきだ。」というもの・・・彼らの葛藤する思いはそれぞれがもっともで,正直で。それでも最後には「逃げても平安はない」という結論に皆が達するのだ。

ミッションという映画を思い出しながら,私は,彼らが取った道は「殉教」というよりは「殉職」に近いものなのかもしれないと思った。私はクリスチャンなので,「信仰を捨てろ」という要求を拒否して死を選ぶ殉職者の選択は理解できる面もある。しかし,この修道士たちが危険な地を捨てなかったのは,信仰を守るためというよりは,自分たちに託された使命(=現地の貧しい人々を助ける)を全うするためだったのではないかと思う。
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テロリストの脅威にひるみそうになる心を強く保つために,彼らがどれほどの勇気と平安を,祈りや讃美によって神から受けつつ,「逃げたくなる自分」と戦ったか・・・また異なる宗教の人たちや,テロリストにまで彼らが注いだ慈愛の心など・・・まさに「最後の晩餐」ともいえる食卓で,「白鳥の湖」のBGMをバックに映し出される彼ら一人一人の表情・・・そこには,死を覚悟した哀しみはあったが,同時に,迷いのない静けさがあり・・・互に愛情を込めて見交わす眼差しの優しさには,人を超越した崇高な輝きさえ感じた。

ラストはテロリストたちに囚われ,雪山の中を死に向かって黙々と歩いていく憔悴した修道士たちの映像が映し出される。そしておそらくリーダーのクリスチャンの遺言であろう手紙には,自分の命を奪う敵を友と呼び,「いつか天国で再会できるように」と書かれていた。
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神々と男たちというタイトル。
神々とは,キリスト教の神とイスラム教の神を指しているのだろうか。そしてそれぞれの神を信じるゆえに,闘わざるを得なかった男たち。片方は暴力や殺戮によって,そしてまた片方は無抵抗と曲げない信念を武器にして。このような史実があったことを,そしてその中で生き,また死んでいった人たちのことを…そして今も続いていて,おそらく世の終わりまで絶えることがないだろう,宗教が基になった戦争や紛争の事など,いろいろと考えさせられる作品だった。

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