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2004年のハリウッド作品,セルラーの香港版リメイク。私はオリジナルも大好きで,(キム・ベイジンガーが好き)DVD持ってるが,このリメイク版はなんといっても,リウ・イエが誘拐犯の役で出てるので,リリースをとっても楽しみにしていた作品。
「ヒロインが突然誘拐され,いつ切れるかわからない電話ひとつが命綱」というユニークなストーリー設定と,先が見えず,息もつかせないハラハラの展開が魅力の持ち味は,オリジナルと同じだし,基本的にオリジナルのストーリー通りに進むので,そこに目新しい感動は感じなかったが,オリジナルを観てない方は,ストーリーそのものも,かなり楽しめるのではないかと。
もちろん香港ならではの背景設定(都市部ではなく,ススキ野原でのチェイサー,というのはやはり中国らしい)はあるし,キャラクターたちの個性もオリジナルとは違うところも多く,その点を比較しながら観るのも面白い。(個人的には,あの携帯の充電器を売った店員さんとのやりとりが,オリジナルよりこっちが気に入った。)また,ラストのクライマックスの迫力とスケールはこちらの方が盛り上がりが凄かったと思う。
ヒロインを助けるために奔走する主人公は,オリジナルでは,「あなたのその,いい加減なところがいやなの」と,恋人からフラれた青年で,元カノに頼まれたボランティアの仕事中に事件に巻き込まれるが,こちらの主人公は,妻に逃げられたうだつのあがらないサラリーマンで,ひとり息子を空港に見送りにいく途中,という設定。
オリジナルの主人公は「能天気系」のキャラだが,本作の主人公は「しょぼくれ系」といえるかも。それでも,ごく普通の地味で気弱なオジサンが,オタオタとパニクりながらも,怒涛のごとくふりかかるアクシデントや危機を,ほとんど気合いのみで切り抜けていく様子には実際感動する。演じるルイス・クーという俳優さん,初見だけど,ご本人はほんとは男前なんだろうな~と思うけど,どこにでもいそうな普通っぽさがとってもよかった。
そしてヒロインは,オリジナルのキム・ベイジンガーよりずっと若いシングルマザー(夫とは死別)のグレイス(バービー・スー)。彼女の子供も,オリジナルでは男の子だったがこちらは女の子。
壊れた電話機を修繕できた理由も,オリジナルのキムは高校の理科教師だったからだが,グレイスの場合はロボット設計家(ちょっと強引な設定?)。そして犯人に狙われる原因となったビデオを所有していたのは,オリジナルではヒロインの夫だが,本作では彼女の弟(この弟役もかなりのイケメン)。ヒロインとしては,私はやはりキムが好きかなぁ・・・やはり大女優の貫禄がある。
しかし,このリメイクでは,ヒロインを未亡人,ヒロインを助ける主人公をバツイチ(おまけに年齢も近い)と設定しているので,ラストには二人の間にロマンスが生まれる予感も匂わせて終わっているところが,オリジナルにはない心憎さだ。
そして誘拐犯のボスを演じたわれらがリウ・イエ。
いや~~,めちゃくちゃカッコよかったです,彼。
観るまでは,白髪頭(厳密にはブルーグレーっぽい?)の彼ってどうよ~,と危惧していたのだけど,黒いトレンチコート,黒いベレー帽,そしてグラサンがモデルのようにキマってて,登場人物の中では一番目立ってスタイリッシュ。
↑何気にお口の形も完璧
オリジナルのジェイソン・ステイサムよりずっとお洒落で(国際警察という設定だから?),そしてステイサムよりずっと非情な悪党っぽかった。
ブラッドブラザーズ~ではちょっと身についてないようにも見えた悪役が,今回はとてもキマっていたと思う。藍宇を演じた時は,キャラのせいかそれほど大柄に見えなかった彼だが,こんな役の時は,本来の背の高さや脚の長さ,シャープなお顔の骨格(特に横顔の美しさ)が際立つ。
私は以前,リウ・イエには悪役やってほしくないなぁ~,キャラじゃないなぁ~と思ってたけど,前言撤回,こんな悪役のリウ・イエなら,何度でも観たい!
いや~,彼になら,罵倒されても,殴られても,撃ち殺されても本望だわ~~。彼がルイス・クーに「分相応に生きろ,この馬鹿が」という台詞や表情,怖くって,でもカッコよくってぞくぞくした。
その演技力の凄さにも,今更ながら舌を巻いた。
だって,あの藍宇と同一人物だなんて,到底思えない。劇中,何度「アナタはほんとに,あのかわゆい藍宇なの?」と声に出してつぶやいたことか。ゆっくりとした憎々しげな台詞まわしも,狂気をはらんだ笑顔も,凄みを効かせたまなざしも,胡軍さんの演じるハントンに恋い焦がれて泣いていた純情青年とは,まったくの別人で。
それにしても,リウ・イエって,これも含めて,ラストに死んじゃう役が多いような。藍宇しかり,ブラッド・ブラザーズしかり,そしてアフター・ザ・レインしかり。あ,王妃の紋章も,プロミスも。(「私の中に誰かがいる」なんて,最初から死んでた)。まだ未見だけど,「南京!南京!」でもきっと死ぬ役なんだろうなぁ・・・・。(なんかフクザツ)まあ,そんな悲劇的なキャラがハマるといえばハマるのだけど。
別にリウ・イエやルイス・クーのファンでなくても,万人が十分に楽しめてお釣りのくる作品。オリジナルもリメイクも,それぞれのよさがあって,どちらも成功している作品だと思う。
大昔にビデオで観た記憶があるのだが・・・・その時は若くて,一応感動らしきものはしたし,凄く印象に残ってるシーンも多々あるのだけど,きっと完全にはこの作品を理解できてなかったように思う。今回,デ・ニーロ祭りで気合を入れて再見。
いや驚いた~,実は物語の中でも特に大事な,後半の記憶が全く飛んでたが,(それだけ前半の少年時代の場面の方が強烈だったのか,それとも後半は当時の私には難解だったのか?)・・・・・こんな深いお話だったのね。
今回あらためてその,練りに練られた脚本や,描かれた哀切きわまる物語に感銘。純文学のような芸術性の香り高い,紛れもない大傑作のひとつである。作品全体に漂う哀愁と情感は,もしかしたらゴッドファーザーより上かもしれない。
禁酒法時代のアメリカを舞台に描かれる,ユダヤ系マフィアの若者たちの一大叙事詩。物語は,ゲットーで過ごした「少年時代」,彼らがマフィアとして一旗あげるのに成功してゆく「壮年時代」,そして真実が明かされる「現代」の三つの時代を,行ったり来たりしながら進んでいく。
この作品,映像が,とにかく信じがたく美しいのだが,特に少年時代のクラシックなセビア色の街並みの美しさといったら!初見時も,上の画像の,巨大なブリッジを遠景に歩いてゆく彼らの映像とか,下の画像の,少女時代のデボラがバレエ・レッスンをする映像とかが,強烈に心に焼きついたものだ。
そして物語と一体になった,ノスタルジックで切ないモリコーネの音楽。パンフルートという葦笛の一種の楽器の枯れた調べや,オーケストラが奏でるアマポーラのメロディー。まさに,映像,音楽,俳優たちの演技,すべてが芸術品のような品格の輝きを放つ作品といえるだろう。
この物語のテーマは友情と裏切り。
デ・ニーロ演じるヌードルスと,ジェームズ・ウッズ演じるマックスの間の,少年時代から続く堅い絆。しかし,価値観と欲するものの違いから,二人の思いが徐々にズレてゆき,友として互いに慈しみあいながらも,悲劇的なラストへと繋がる哀しさ。
どちらがどちらを裏切ったのか,そしてその結果,裏切った方と,裏切られた方は,その後,どのような選択をしたのか,これはぜひ,ご自分の目で確かめてほしい。ラストは,ほんとうに何度観ても泣けてしまう。
このときのデ・ニーロ41歳。ギャングだからもちろん粗暴な面も持ちながら,懐の深い,なんとも魅力的な主人公を演じている。特に老け役の時の彼の自然さは特筆もの。なんでも,生え際の髪の毛を抜いてリアルさを出したとか。さすが,ここにもデ・ニーロ・アプローチが!)
そして,デ・ニーロ以上に難役だったかもしれないマックス役を演じた,ジェームズ・ウッズの繊細で的確な演技には唸った。彼の野望,彼の怒り,そして彼の哀しみ・・・・ヌードルスに見せる彼の複雑な感情・・・・それらを見事に演じていた。いやいや,マフィア姿のウッズってとってもカッコいい
もう一人,役者の中で忘れてはならないのが,ヌードルズの恋人デボラの少女時代を演じたジェニファー・コネリー。ストーリーは忘れても,当時の彼女の美しさだけは鮮明に覚えている。今のジェニファーももちろん十分美しいのだが,この作品の彼女は,まるで無垢で高慢な天使のような美しさだった。
4時間という長尺,そして最後まで観るやいなや,もう一度細部まで確認したくなって,再見したくなる作品。だから,時間と体力に余裕のある時にしかオススメできないが,これは映画界に燦然と輝く傑作だと太鼓判を捺したい。
本作が遺作となったレオーネ監督,まさにこれまでの彼の集大成とも呼ぶべき作品で,有終の美を飾ったと言えるだろう。
恋人を亡くした傷心のアロマテラピスト,アテナ(ケリー・チャン)のところに降りてきた,いや,正確には嵐の夜に落ちてきた彼は,折りたたみできる翼を持ち,愛を食べて生きているエンジェル。
大柄で,見ようによっては濃ゆい顔立ちの金城さんが,こんなに可愛く,ピュアな天使になれるとは。ほんとに抱きしめたいくらいラブリーな堕天使。
人間世界のことに疎いために見せるKYさも,初めて履いた靴が嬉しくて踊るつま先ダンスも,「おいしい水だね」と」とビールにハマるところも,初めのころのアテナのつっけんどんな対応に戸惑ったり寂しがったりする表情も,ふわふわの白い羽を広げて飛翔する姿も,とにかく可愛くて,可愛くて。
特にあの,クラブでの悩殺ダンスの時に見せるキュートな微笑みと腰のフリ!これは金城ファンにはたまらんでしょう。チャームポイントの小鹿の瞳が,今回は特にうるうると魅力的だ。後半は,天国に帰る直前に結ばれる彼とアテナとの叶わぬ恋が描かれ,切なさ全開だ。
お話はけっこう淡々としてて,そんなに深く考えずに,愛を求め,愛を与える金城エンジェルのいじらしさや可愛さとか,愛する人を失った悲しみに浸るケリー・チャンの美しさとか,ラストのちょっと洒落たオチとかに,うっとりと癒されればいい作品だと思う。そう,これって癒し系の物語だから。
リターナーのクールな金城さんも悶絶するくらい素敵だったけど,こちらの母性本能をくすぐられる超かわいらしい金城さんも捨てがたい。生身の人間とは思えないほど綺麗で,成人男子でここまで天使の羽が似合うというのは凄いよね。この年齢の金城さんにしかできない芸当だろう。
死神の精度でも思ったけど,きれいすぎるお顔とか,無国籍風の雰囲気とかも,こういったファンタジックなキャラによく合うのかもしれない。
これもまた,スコセッシ監督の昔の名作の一つ。これがまた毛色の変わったマフィアもので,たいそう面白かった。1990年製作,デ・ニーロ47才。
主役はレイ・リオッタ。彼が演じたのは,実在するギャングスター,ヘンリー・ヒル。11歳からマフィアの使い走りを始め,大統領よりワイズガイに憧れた男。この作品は,ルフトハンザ強奪事件で仲間を売り,現在は証人保護制度のもとにある彼の,自伝小説の映画化だ。
脇役級の俳優を主役に配し,マフィアの言わば下っ端たちの実態をモノローグつきでテンホ゜よく見せ,哀愁も悲壮感も排除した,リアルマフィアの日常が浮き彫りにされている点が,他のマフィアものとは一線を画するところだ。この作品のデ・ニーロは,つつましく脇役にまわり,ヘンリーと親しいギャングの一人を,押さえた存在感で好演している。
「グッドフェローズ」とは,「いい奴ら」という意味。ところが,映画が始まるやいなや,それってイヤミ?こいつらのどこがいい奴らなんだ?と言いたくなるくらい,見事に正反対の人間関係が描かれる。
裏切り,寝返り,喧嘩による逆ギレ・・・・さまざまな理由で,いとも簡単に殺したり殺されたりする世界,それがマフィアだということを,いやというほど見せつけているのに,味のあるモノローグと,絶妙なタイミングで挿入されるノリのいいロックミュージックのせいか,「それでもマフィアは癖になる」という痛快感さえ漂う。
ヘンリー(リオッタ),ジミー(デ・ニーロ),トミー(ジョー・ペシ)の3人。なんといってもクレイジーなキレる演技が絶品のペシ,凄む演技はさすがに怖いデ・ニーロ,そして3人の中では一番小心で,デリケートなところもあるヘンリーを好演していたリオッタ。
結局ジミーを売り,カリフォルニアに身を隠して暮らすことになるヘンリーだが,せっかく手に入れた堅気の人生を憂うモノローグがラストにあって,ニヤリとさせられる。その後に続くエンドロールは大音量でクレイジーな感じにアレンジされた「マイウェイ」。いやはや最後の最後まで,小粋というか突き抜けてるというか。
ゴッドファーザーなどとはまったく方向の違う,皮肉の効いたマフィア賛歌。これもまたマフィアものの傑作のひとつと言えるだろう。スコセッシ作品の中では,ディパーテッドよりこちらの方が,よほどオスカーにふさわしかったと思うのだが。
若き日のデ・ニーロ祭り 勝手に開催中!
1978年のアカデミー賞作品賞も取った,マイケル・チミノ監督の作品だ。デ・ニーロ35歳。
ディア・ハンターとはつまり,鹿撃ち仲間のこと。ロシア系アメリカ人の若者たちが,ベトナム戦争で受けた深いダメージを描いた,反戦と友情がテーマの,心に突き刺さる物語。
ラスト,いつまでも静かな涙が止まらなかった。翌日すぐにもう一度観て,今度はウィスキー片手に観たからか,さらに泣いた。遅れてきて出会った生涯の一本,と言えるくらい,これは,忘れ難く好きな作品になった。
ロシア移民の町,ペンシルヴェニア州クレアトン。ベトナム出征前夜のマイケル(デ・ニーロ)とニック(クリストファー・ウォーケン)とスティーヴン(ジョン・サベージ)の3人の若者たち。彼らと友人たちは,スティーヴンの婚礼の宴で陽気に踊り浮かれ,その翌日,ペンシルヴァニアの山深く,鹿狩りに出かける。
この映画,戦争シーンの前に,こんな穏やかで微笑ましい故郷のシーンが,なんと小一時間も続くのだが,私は冗長とは感じなかった。ロシア民謡の調べに合わせて披露される見事なダンスや,ロシアの伝統的な婚礼の様子,若者たちのそれぞれの個性などは,観てて少しも飽きなかった。
親分肌で度胸のあるマイケル。彼とは正反対に,華奢で陽気なニック。そしてやや気弱で繊細なスティーヴン。タクシードライバーでは,狂気に取りつかれていくキャラだったせいか,かなり痩せていたデ・ニーロが,2年後のこの作品では少しお肉をつけて,どっしりとした男らしい体格になっている。(しかし相変わらずカッコいい)
婚礼シーンの後には,なぜか夜の街をストリーキングしてゆく彼の姿も拝めます。
そして,驚いたのが,ニックを演じた若き日のクリストファー・ウォーケン!彼はこの役のために体重を落としていたらしいが,それにしてもため息がでるくらい,ほっそりと美しい。彼もこの時デ・ニーロと同じ35歳。(しかしずっと若く見えるが)
ミュージカルの舞台にも立っていたウォーケンの結婚式のダンスのステップは,際立って華麗。また,彼の許嫁のリンダを演じたメリル・ストリープが,細面で初々しく美しいのだ。
↑ストリーキング後のデ・ニーロと,追いかけてきたウォーケン
そして鹿狩りの後,画面は唐突にベトナムの戦場に切り替わる。それまで平穏な世界で笑っていた彼らの境遇が一転して天国から地獄へ,という,この対比が凄い。あの1時間もの前フリは,戦場の凄惨さ,残酷さを際立たせるための演出だったのだろう。
そして,すぐに彼らが捕虜になって,あの有名な血も凍るようなロシアン・ルーレットを強要されるシーン。・・・・この場面の残酷さと緊迫感はただものではなく,初見時はほんとに怖くて,まともに目を開けていられなかった。捕虜たちが恐怖に震えながらこめかみに押し当てた銃からいつ実弾が飛び出すか,心臓がバクバクしたものだ。
2度目からは,どうなるかわかっているので冷静に観れた,というか,このシーンのデ・ニーロ演じるマイケルの肝の据わりっぷりや,極限状態に置かれたサベージやウォーケンの演技の素晴らしさが観たくて,実は怖いけど何度も見たくなる場面である。
ベトナム兵が実際に捕虜にこんな残虐なことをしていたのかどうか,どこにも根拠はないし,この戦争では加害者の立場であるアメリカが,ベトナムを一方的な悪として描いているのはいけない,という批判も目にするが,この物語はアメリカ軍の立場ではなく,従軍したごく普通の若者たちの視点で描かれている。そしてこのルーレットシーンは,そんじょそこらの戦闘シーンよりずっと強烈に,彼らが体験した戦争の持つ常軌を逸した残虐さをよく表していると思う。
こんな状況でも諦めず,ニックたちを励ますマイケルの驚異的な肝力と運のよさで,何とか決死の脱出に成功し,生還できる3人だが,この時の体験が彼らに与えたダメージは想像を絶するものだった。
発狂寸前の恐怖を味わい,脱出の際に負った怪我が元で,両足を無くすスティーヴン。そしてロシアン・ルーレットの狂気から抜け出すことができなかったニックは,サイゴンに留まり,麻薬と死のゲームに耽溺する廃人同様になっていく。唯一,一番ダメージが少なく,元気で故郷に帰ってきたかのように見えるマイケルも,もはや鹿を撃てない精神状態になっていた。
やがてマイケルは,ニックを助けるためにサイゴンへ赴く。全財産を携え,命を賭けて。出征前にニックに約束した,「何があっても見捨てない」という約束を果たしに行くのだ。
ルーレットの場で向かい合って座った瞬間,再び蘇る,あの捕虜時代の悪夢。極限状態で対峙し,言葉を尽くして友の精神を支え,窮地を脱したあの時と同様に,マイケルは必死でニックに呼びかける。しかし,ニックの目はもはや正気を無くし,何の反応もしなかった。
友のために,ロシアン・ルーレットの引き金を自分に向けて引くマイケル。次の瞬間には死ぬかもしれない,その時にニックに向かって言う「愛してるよ」という言葉と,デ・ニーロの表情,そして一瞬だけ正気を取り戻したウォーケンの表情。
マイケルの男気と友情の篤さに泣いた。そして,救われなかったニックの哀れさと,彼の病んだ精神を思って泣いた。そして故郷にいる彼らを愛している仲間たちの哀しみを思って,また泣いた。
ラストの葬儀後のシーン。食事のセッティングを我先にと慌ただしく行う人々の,その無言の行為に隠された,言いようのない哀しみ。そしてあの「ゴッド・ブレス・アメリカ」の歌。
この時の歌を,「アメリカ賛歌」だと非難するのはちょっと違う,と感じた。傷ついた彼らの心にはおそらく,アメリカを誇る気持ちも,戦争を正当化しようとする思いもなかっただろう。
神よ,アメリカを祝福したまえ,愛するこの大地を。
かたわらに立ち,導きたまえ。
闇夜にあっても天の光で照らしたまえ・・・・
このときのこの歌は,讃美歌のように,あるいは鎮魂歌のように,大きな試練を体験したものたちによって,ひたすら神の救いと加護を求めて歌われたものだと思う。哀しみに満ちた彼らの静かな表情を見ながらそう思った。
ギター曲「カヴァティーナ」の心に沁み入る優しいメロディーとともに,幸せだった頃の彼らの笑顔が映し出されるエンドロール。ニックの無邪気な笑みが涙を誘う。
いやいやいやいや,(←壊れてる)何ですか~~,この,ただものではない完璧なキマり具合は!お顔もアクションも,スタイルもファッションも髪形(パープル&ウェーブ)も,最高にクールで麗しいじゃないですか。特に上の画像の黒革のロングジャケットを翻してアクションする彼のカッコよさときたら!いやもう,この彼のヴィジュアルだけでもう満足,そして悶絶。
・・・・で,気を取り直して物語その他。
金城さんさえ観れたら,お話なんかどうでもいいや,と思ってもいたが,これがどうして,なかなか面白い。いや,冷静に考えれば,ばかばかしい話なんだけど,SFってそんなもんだし,いろんな映画(ET,ターミネーター,マトリックスと,「時をかける少女」とか)のパクリというよりは,オマージュ的な要素もテンコ盛りだけど,それがかえって,「うまい!」と感心したりする,不思議な完成度の作品。
何となく未来からやってくる「リターナー」を金城さんが演じているのかと思ってたら,金城さんは純粋に現代人で,(大陸育ちの日本人という設定),時をさかのぼって戦士としてやってくるのは,鈴木杏ちゃんが演じるミリという少女。
金城さん演じるミヤモトは,ミリに協力して,未来の人類を救うために,二人だけでエイリアン奪還のミッションに挑戦する,というストーリー。
いやぁ,何度も言うようにちとアホらしいんですよ,ストーリーは。舞台が日本なので余計に嘘くさい。でも,登場人物たちの魅力と,よく出来たアクションシーン,宇宙人や宇宙船などのヴィジュアルの見事さ,そして要所要所に効いている,ほろりとさせる人間ドラマ。これらがなんだかとってもよくって,退屈しないのだ。
特にラストのあの,ミリの恩返しに対する感動は,最後に「やられた~~」と唸った。題名の「リターナー」の意味が効いてくる。最後の最後に,なかなか上手いなぁ。調べてみたら,監督さん,「ALWAYS 三丁目の夕日」の監督さんなのね,なるほど,こういう感動のさせ方は上手いわけだ。
ヒロイン・ミリがナイスバディのセクシーガールなんかではなく,男勝りの少女(ミヤモトに言わせれば「クソガキ」)なのが,超イケメンの金城さんとは,凹凸コンビになって,なかなかいい味。
最初は喧嘩したりウマが合わなかったりする,二人の間のやりとりも,掛け合い漫才のようで楽しめるし,中盤以降にだんだん,相棒としての絆や信頼が深まっていく様子もいい。アクションや銃撃場面はめちゃくちゃクールにキメルが,普段はけっこういい加減なヤツ,というミヤモトのキャラもいいし,鈴木杏ちゃんもとっても演技が上手い。
そして岸谷五朗の演じる悪の権化,溝口のキレっぷりもまた徹底していて,この作品の「あり得ないけど面白い」という雰囲気にはぴったり。(憎々しい役だけど,なんかこの岸谷さん,カッコよかったな),怪しげな調達婆さん,樹木希林の存在感も素晴らしい。
↑いーなぁ,こんな金城さんとのツーショット
まだ特典映像は未見だけど,これからゆっくり楽しむつもり~。これは買ってよかったなぁ,DVD。次回の金城さん作品は,「ラベンダー」です。
ああああ,私も,金城さんのゆでたアルデンテ食べて,彼の首にエレキバン貼りたいい~~~
「だからあれは,ゆで方だってば・・・」
1976年製作。アメリカン・ニューシネマの終焉期を飾るスコセッシ監督の名作。ロバート・デ・ニーロがあのゴットファーザーPARTⅡの二年後に主役を演じた作品だ。(当時33才)
ベトナム戦争の後遺症の影響で,犯罪や暴力,ドラッグで腐敗した当時のアメリカ社会。その中で孤独と焦燥感をつのらせ,静かな狂気にとらわれてゆく,一人のタクシードライバーの物語。
元海兵隊員トラヴィス(デ・ニーロ)は,ニューヨークの街をあてどもなく流すタクシードライバー。彼は,大都会にはびこる犯罪や悪に怒りを覚えると同時に,誰ともわかりあえず認めてもらえない,深い孤独や疎外感に苛まれている。
彼は,大統領候補の議員の事務所に勤める高嶺の花,ベッツィーに恋をするが,初めてのデートにポルノ映画をチョイスし,即効振られてしまう。そんな彼が議員襲撃という常軌を逸した計画にのめり込んでいったのは,生きる目的や使命が欲しかったせいもあるが,自分を失望させた世間への腹いせもあったのだろう。
自室でトレーニングに励み,マグナム銃を手に入れ,腕から飛び出すように改造し,鏡の前で独り言を言い,ポーズを決めるトラヴィスの目に宿るのは,社会をよくしたいという正義感ではなく,再び戦士になって何かを破壊したいと願う狂気だ。目的を見つけた彼の目には生き生きとした光が宿り,動作が自信に満ちてくる。
しかし,この時のデ・ニーロの,なんと哀しくもカッコよいこと!ほんとに若い。老成したキャラだったゴッドファーザーのヴィト役に比べて,このトラヴィス役の彼は,ちょっと疲れた感じのまだほんの青年。
冒頭のルームミラーに映し出される彼の目のアッブ。その傷ついたような寂しげなまなざしを見た瞬間から,感情移入がしにくいキャラであるにもかかわらず,彼の演じるトラヴィスにもう釘付け。
目論んだ議員暗殺は失敗し,その足で,やり場のないエネルギーを売春少女アイリス(14歳のジョディ・フォスター)への救出に向けるトラヴィス。アイリスを囲っていた売春組織の元締めたちを容赦なく殺戮し,気がついたときには,彼は少女を売春組織から救いだした英雄に祭り上げられていた。テロリストが一転してヒーローに。なんとも,皮肉な展開をトラヴィス本人はどう感じたのだろうか。
ラスト,まるで憑き物が落ちたかのような穏やかな表情で,再び街をタクシーで流すトラヴィス。しかし,その目に宿る孤独な光は,以前よりも深くなっているように感じた。彼の載った新聞記事を見て接触してきたベッツィーにも,トラヴィスはもはや心を開かず,料金ももらわずに走り去る。
トラヴィスが変えたかった社会は,結局何の変化もなく,
彼の孤独もまた,埋められることはない。
無数のイエローキャブが街を流してゆくラストの映像を見て,トラヴィスのように,心に孤独や闇を抱えたタクシードライバーは,他にもたくさん存在するのでは,と思った。そして,30年後の現代,アメリカだけでなく世界中で,社会に怒りを感じて狂気に走る,トラヴィス予備軍が増えてきているのではないか,と戦慄もするのだ。
しかしスコセッシも,昔の方が,ずっといい映画を撮っていたのね。
1969年製作。大阪万博の一年前か~~。もう40年も前の作品なんですね。主演,ダスティン・ホフマン&ミア・ファーロー,DVDリリースも昨年やっとという,アメリカン・ニューシネマ時代の小粋なラブストーリー。置いてくださっていたレンタル屋さん,感謝です。
お話はとってもシンプル。バーで意気投合し,男性のアパートで関係を持った男女の,一夜明けた翌日のお話。
この時代には,出会い系もワンナイト・スタンドの恋も,まだまだ一般化してなかったはず。まず肉体関係から始まった二人の関係は,恋愛にまで行きつくことができるのか?
ダスティン・ホフマンが若い!
あの名作,「卒業」が撮られた頃だもんね。とてもハンサム,というわけではないが,それでもやはり彼の存在感や演技のうまさは,このころからすごい。彼が演じた青年ジョンは,家具のデザイナーなので,物語の舞台となる彼のアパートの内装や家具も,とってもお洒落だ。
よく知らない相手と目覚める羽目になったふたり。
普通なら,さっさと女性が帰ってそれで終わり,なのだろうけど,この物語のふたりは,いっしょに朝食を取ったりレコードを聴いたりして,しばらく互いに相手の背景や動向を探り合う。
相手は既婚かそれとも未婚か?
異性関係は派手な方か?住所や職業は?
二人の内心の思いは,モノローグ(独白)や回想シーンとなって劇中に挿入される。相手に対する少々の警戒や,現在いるかもしれない恋人への嫉妬や詮索,自分の過去の恋愛との比較・・・・こういう場合の男の本音,女の本音,ちょっとした駆け引き,などが実に面白い。
ミア・ファーローのベリーショートと,スモック風のミニドレスや帽子,マフラーといったファッションが可愛い。「ローズマリーの赤ちゃん」の時の彼女を少し思いだす。ボーイッシュでキュートだ。40年前なのに少しも古さを感じさせないファッションは,現代でも通用しそう。(ミア以外の女性の髪形や服装は時代遅れに見えたが)
結局ラストに,やっと正式にカップル誕生,という段になって初めて名前を名乗り合うふたり。この作品の題が活きてくる瞬間だ。観終わって,とても爽快感。始まったばかりのふたりの恋を応援したくなる。
それにしても,やはりこの時代の映画はいい。
CG技術や御大層なドンデン返しなどなくても,よく練られた洒落た脚本と役者の確かな演技だけで勝負して,こんないい作品がたくさん作られていた時代なんだろうなぁ。
1995年製作の珠玉の名作。最近までまったく存在を知らなかったが,偶然レンタルショップのオススメ名作コーナーで見つけて,ハーヴェイ・カイテルもウィリアム・ハートも大好きなので借りてみた。
主役はカイテルだし,題はスモークだし,ジャケットのデザインは渋いし,何となくダークな社会派作品かと思っていたら,これがなかなかどうして,究極のやさしい癒し系物語だった。舞台はニューヨークの下町ブルックリン。煙草屋を営むオーギー・レン(カイテル)を巡る人たちのお話。
銀行強盗事件で妻を失った作家のポール(ハート)。家出の黒人少年ラシードと,彼が幼いときに蒸発した父親。オーギーの元恋人のルビーと,その娘でヤク中のフェリシティ。そして店主のオーギー自身も,決して波風のない人生を送ってきたわけではない。
そんな,ワケアリの人たちばかりの間で繰り広げられる物語はどれも,優しさとほろ苦さが同じくらい混じりあっている。彼らがそれぞれに背負っているささやかな重荷は,決してこの先も消えてなくなりはしないけれど,ほんの少しの思いやりのやり取りを生きる糧にして,彼らはこれからもまた,新たな一日を重ねていくのだろう。たとえどんなことが起ころうとも,人生はよどみなく続いて行くのだから。オーギーが毎朝決まった時刻に撮る街角の写真を見てそう思った。
劇中,ちょっとした事件やいざこざも起こるのだが,決して声高にも饒舌にもならず,まるで傍観者のような淡々とした語り口で進む物語は,派手な展開はないのに,優しく心に沁みてくる。
特にさりげなく描かれる家族の絆がいい。
ラシードとその父(フォレスト・ウィテカーが素晴らしい)との物語。そしてまた,オーギーとフェリシティ(アシュレイ・ジャドがこれまたいい。)の物語。
どちらも,親子の関係が今後よい方向へ進むのかどうかはわからないのだけど,みんな心の奥深くに,親や子への思慕の情を秘めているように感じられた。
そしてトリを飾るのは,オーギー自身のクリスマスのエピソード。盲目の老婆についた優しい嘘と,黙って騙されたふりをした老婆の話。社会の弱者やはぐれもの同士が,見知らぬ仲であるにも関わらず,互いを思いやってそして互いに癒される・・・・,人生の痛みを知る者にしか演じられない,即興のお芝居・・・・ちょっとO・ヘンリーの短編小説の,シニカルだけど優しい雰囲気を思い出した。
その話を聞くウィリアム・ハートの表情の優しさと,カイテルの恥ずかしそうな笑み。強面のカイテルに,こんなソフトな癒し系の笑顔ができるとは。
エンドロール中に映し出される,オーギーのクリスマスエピソードのモノクロ映像を眺めながら,しみじみと温かい気持ちになる名作。
クリスマスに観たい名作が,私の中でまたひとつ増えた。
実在した大富豪の女性,ドリス・デュークと彼女の執事だったバーナード・ラファティの物語を描いたアメリカのTVドラマ。主演がレイフ・ファインズとスーザン・サランドン。 ゴールデングローブのミニシリーズ/TV映画部門で作品賞や主演男優賞,女優賞も取ったらしい。孤独な女富豪がなぜ,ゲイの執事に多額の財産を遺したか?というお話だ。
ヒロインのドリスは,煙草王の娘で億万長者。やり手の事業家でもあり,大酒のみで気難しい女傑だ。そんな彼女が雇ったバーナードは,エリザベス・テイラーにも仕えていたことがあるというアイルランド系の執事。彼はゲイで,アルコール依存症だった過去もあるのだが,ドリスは彼が気に入って常に手元に置くようになり・・・・。
いやー,サランドンのドリスもよかったが,やはりゲイの執事を演じたレイフがよい!ゲイゆえの女性的な感性というか,かゆい所に手が届く細やかな気配りや,少々ねちっこいソフトな雰囲気や,気弱で憂鬱そうな優しい表情・・・・。使用人に対しても女の上司みたいに細かく指示を出し,その行きとどいた控え目な配慮はドリスに気に入られる(使用人たちからは,うっとおしがられていたと思うが。)
最初はいかにも執事,という服装(一番上の画像のような)だったが,次第にドリスと打ち解けた仲になると,ドリスの薦めもあって髪はポニーテイル,派手な柄物のシャツなども着るようになる。あ,女装シーンもちゃんとあります(下の画像)
女装レイフが美しい…といえるかどうかはさておき,表情や仕草は十分なまめかしかったレイフ。さすが役者だわ~。
しかし,昔のアルコール依存性がぶり返し,ドリス所有の高価な酒を山ほど盗み飲みしていたことが発覚するバーナード。一時は彼を遠ざけるドリスだが,彼女自身も病に倒れ,再びバーナードは彼女の世話をするために戻ってくる。
看護師も雇わずに自分一人でドリスの看病をするバーナードは,ドリスの身を案じる警察さえ遠ざけようとする。そんなこんなで,実在のドリスがバーナードに遺産を遺して亡くなったときは,実際,殺人説まで出たらしい。
しかし,このドラマでレイフが演じたバーナードは,そんなヨコシマな下心の持ち主には見えない。たしかに,レイフが表現してみせたバーナードというキャラは,優しさや繊細さと共に,意志薄弱さや,多少のずるさという人間的な弱さも持っていたが,「あなたの望みはなに?」と聞くドリスに「私の望みは奥様のお世話です」と答えた彼の言葉に嘘はなかったと思う。
ただし,実在したバーナードの本心はどうだったのか疑いも残るが。(この物語は,実話とは同じ部分もあれば,異なる部分もありますと,最初に監督が断っている。ちなみの実在のバーナードは太ったやや強面のオジサンである。レイフと違ってかなり胡散臭そうに見えるのである。)
しかし,少なくとも,このドラマの,バーナードとドリスとの絆は,純粋なもののように思えた。もちろん,バーナードがゲイであるからして,二人の間に恋愛感情や関係はない。その代わりに,二人の間には,互いへの理解と思いやりがあったと思う。
バーナードとドリスに共通する点は,二人とも個性的で孤独だということ。幼いときから大金持ちで,若いときに肉親を亡くしているドリスは,お金の力で人を意のままにできても,無心で無欲の愛情や友情とは無縁だったろう。そしてまた,内向的なゲイのバーナードも,家族も友人も持たず,自分を理解してくれる相手なしでこれまでやってきただろう。
そんな二人の間には,主従関係を越えた友情や信頼が生まれていたと思うし,レイフとスーザンがとにかく名演技を披露していて,二人の心情だの性格だの,細かいところまで手に取るように伝わってきた。クスリと笑える要素も満載だが,しんみりした思いに浸ることもできて,ゴールデングローブ賞も納得の秀作ドラマだ。
とくにレイフファンは必見の作品。
いろんな作品の中でも,私は,気弱で悶々とした役の彼が好きなので,このレイフはツボ。勝ち気なヒロインと気弱なレイフ,という取り合わせは相性がよく,大好きなオスカーとルシンダを思い出した。
母が観たいというのでお付き合いで鑑賞。
別に,「寅さん」シリーズのファンではないわたし。劇場はやはり,中高年以上の年齢のお客さんで満員。始まってすぐに「ああ,懐かしい」とか「わかるわかる」とでも言いたげな,共感のこもった笑い声や,隣席との楽しげなささやき声が溢れる。(自分もそれにしっかり参加していたが)
そして鶴瓶さん演じる鉄郎が,ホスピスで息を引き取るラストは,会場のあちこちからすすり泣きが・・・・。(わたしももちろん,ちょっと泣けた)
しかし,この作品は確実に観る世代を選ぶ作品だと思う。
物語の舞台や人物像,セリフや行動から受ける雰囲気は,どう考えても,私の子供の頃の時代のものだった。つまり,昭和40年~50年頃みたいな。そして吉永小百合さんの演じた美しく健気な姉・吟子の立ち居振る舞いや言葉使いは,その時代よりもまだ一世代前の,そう,戦時中に家庭を守った「大和撫子」の香りがする。
吉永さんは,どの作品でもこんな雰囲気なのだが(今更イメチェンもできまい),きっとこのあたりに,時代錯誤の居心地悪さを感じる方もおられるかも。
若い世代の観客の方なら,蒼井優ちゃんの演じた娘の小春や,加瀬亮さんの演じた恋人の青年との間の,丁寧で節度のある台詞や雰囲気にも,「変なの・・・」と違和感を覚えるかもしれないが,その点は私は大丈夫だった。自分が若かった時の若者たちが,自分も含めてこんな感じだったから。
若すぎる世代には「ダサイ」作品かもしれない。つまり登場人物の,なじみのない古くさい価値観や言葉遣いがひっかかって,作品にひたれない恐れがある。そこは惜しいなぁ,と思うけれど描かれているテーマは普遍的でシンプル。題は「おとうと」とあるが,別に姉弟関係だけに限らず,これは「困りもの」のトラブルメーカーを抱えた家族の,葛藤と愛の優しい物語だ。
手のかかる子ほどかわいい。
面倒を起こすたびに放りだしたくなるけど
それでも見放せない母心のような愛。
そして,面倒をかける方も
わかっちゃいるけどやめられない,変われない・・・
それでもやっぱり心の中では後悔し,
肉親の愛を求めている。
そんな人間の,弱さや優しさや強さが散りばめられた,劇的な感動はないけれど,静かに心に沁みてくるような素敵な作品だったと思う。
鶴瓶さんはシリアスな演技も上手いけど,こういう「壊れキャラ」はまさにハマり役で,少しオーバーアクション気味なところもかえってよかったと思う。泥酔して姪の結婚式をぶち壊す大騒動をやらかしたり,借金を姉に肩代わりしてもらったり,ほんとに迷惑この上ない行いをするのだけど,姉の怒りをなんとかなだめようと,人懐こくおどけてみせたり,また反対に責められるとキレてみたり。鉄郎というキャラをまことに生き生きと体現していたと思う。
吉永さんは申し分なく若く美しかったが,東京でも下町の商店街に,あんな雰囲気の女性が生息しているのは実はあり得ないと思う。まるで人間界に舞い降りた天女のような非現実さ。顔立ちの美しさだけではなく,気品がありすぎる雰囲気は,やはり下町の空気の中では浮いている。
話す時の口角の上げ方からして完璧に洗練されているのだ。この上なく庶民的で身近な物語を描きながら,ヒロインの女優がまったく庶民的に見えないのは,やっぱりなんか違和感はある。
困りものの弟とは対照的な優等生キャラを演出しているのだろうけど,別に彼女のタイプでなくても,もっとさばさばした男勝りのキャラ(例えば若いときの賠償美津子さんみたいな)の方が下町には合っていたような気もした。
一緒に観た母に「吉永小百合さんっていつも同じタイプの役だね」と言うと,「そりゃあんな顔に生まれついたら,ああいう役しか似合わんでしょうが」とあっさり返されてしまった。ごもっとも。
個人的には加藤治子さんの演技がツボ。
そして中居くんの友情出演も楽しかった。ほんの一瞬の役なので,あやうく登場を見逃しそうになったが。
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