母なる証明
凄い作品だ。(韓国映画の場合,開口一番は,この言葉しか出てこないことが多い。)あらゆる予想を覆す衝撃の展開と,見方によっては複数の解釈を許す描き方は,見終わった後に強烈な余韻を残し,場面場面での母と息子の表情が繰り返し脳裏に浮かんで消えなかった。
完全ネタばれ記事です。未見の方はご注意ください。
薬草店で生計をたてている母と,知的障害のあるひとり息子トジュン。息子の障害のゆえか,それとも母ひとり子ひとりという家族構成のためか,母の息子に対する愛情や干渉は,少し異常か?と思えるほどに強い。そしてそんなある日,二人の住む町で,女子高校生が撲殺されるという事件が起き,トジュンは容疑者として拘留される。母は全力を尽くして息子の無実を証明するために奔走するのだが・・・・。
母親が息子の冤罪を晴らすサスペンスものと思いきや,そんな生易しい物語ではなかった。母の愛の強さとともに,その恐ろしさや狂気,エゴを正面から見据えて見事に描き切った作品。母性の持つ自己犠牲の崇高さと,それと相反する,自己中心的な醜さ。そのどちらの面も,容赦なく陽のもとにさらけ出され,鑑賞後はあまりにも強烈な余韻に言葉を失う。母とはなんと強く,そして哀しいものなのか・・・・。
物語が進んでいくにつれて,観客が大きな衝撃を受ける場面が少なくとも二つある。ひとつは,トジュンの障害が,母親のせいであるという事実。5歳のトジュンと無理心中を図った母が飲ませた農薬入りの栄養ドリンクがもとで,トジュンは障害を負う身になったらしい。まるで瞬間健忘症のように,何もかもすぐに忘れてしまい,何かのきっかけでひょっこり記憶がよみがえることもあるトジュンが,面会室のなかで,「母さん,俺を殺そうとしただろ?」と聞くシーンの恐ろしさと哀しさ。
そして,もうひとつの衝撃は,実はトジュンが事件の真犯人だった,ということがわかるシーン。目撃者の廃品回収業の老人の話を聞いた母親は,とっさにその老人を手にかけてしまう。そして証拠隠滅のために老人の小屋に火を放つ。
息子のためならどんなことでもやってのける母親という生き物・・・・。目撃者を消し,新たに逮捕された容疑者が天涯孤独の障害者の青年であることを知ると,良心の呵責を覚えながらもやはり安堵の涙を流す母親。人としての道を踏み外すことも厭わないほどの彼女の母性は,美しい,というレベルではなく,やはり恐ろしいと形容した方がぴったりくる。
そして,母親の行為にもまして,鑑賞後にじんわりと鳥肌がたつくらい怖かったのが,トジュンの真実。これには二通りの解釈ができる,というところが怖い。
一体トジュンはどこまで本当に無垢なのか?
殺人は故意にやったことではないとしても,そして当初はそれを本当に忘れていて,無実を主張していたとしても,実は彼は途中から記憶が蘇ってきていたのではないか?自分が犯人であることを思い出した時にわざと黙っていて,彼は上手く母親を操ったのではなかったか?
5歳の時の出来事を思い出したときに感じた,母親への憎悪。自分を一度殺そうとした母の愛情を試すために,トジュンは目撃者の老人の話を持ち出して,母親が彼を消すことを期待してはいなかったか?母親の無理心中事件の後遺症で自分がこんな障害を持ってしまったことに対する,償いを母に求めていなかったか?
そしてトジュンの思惑どおりに,母親はその行いで自分の母性を証明してみせたのではなかったか?だからこそ,彼はわざと釈放後にあの老人の家の焼け跡に行き,無邪気そうな顔をして,母の遺留品をこっそり持ち帰り,後に母にそれを渡して,彼女の犯行を知っていることを暗に伝えたのではなかったか?
食卓でトジュンが母に語った「犯人が屋上に遺体を運んだ理由」。あれは一見,犯人の気持ちを想像して言ってるように聞こえるが,その実,真実を知っている母親に,トジュン自身が犯行を犯したときの心境の説明をしているかのようにも思えた。彼はそれをすべてわかって言っているのだとも感じた。
トジュンを演じたウォンビンの,みごとに弛緩した表情・・・その感情を消したまなざしは,どんな風にも取れて,余計に想像が膨らむのだ。
と,このようにどこまでも負の想像ができてしまう,この作品の見せ方には,恐るべしとしか言いようがない。母親と子供の間の絆や愛情という,本来なら,理屈抜きに崇高で普遍的で美しく語られるべきものを,このように描かれると,まるで底知れない闇を覗きこむような気持ちになる。そう,それがありえない話ではないと思えるから余計に。
それに,トジュンの真実がどちらであっても,母親の苦悩は同じくらい深刻だ。もし上記の想像が当たっていれば,母親はこれまでひたすら無垢だと信じて庇護してきた息子の中にまったく違った人間を見ることになり,信頼関係もこれまでのようにはいかなくなるだろう。
そしてまた,上記の想像が全く当たってなくて,あくまでもトジュンは無垢であり,自分のしたことを忘れていて無実だと思い込んでいたとしても,彼がいつ本当のことを思い出して喋りだすかもしれない恐怖と,母はこれからずっと闘い続けることになるだろう。
そう,どちらにしても,母親は忘却のツボに自ら鍼を打ち,すべてを忘れて踊るしかなかったのだ・・・・。息子の罪も,自分の罪も記憶の中から消し去って,これからも息子を護って生きていくしかない。そしてもしかしたら,彼女はそれをそんなに不幸と感じるわけでもなく,母親というものは,そんな道でも腹を括って潔く受け入れてしまうものなのかもしれない。特にこの物語の母親は,トジュンを見捨てることだけは,これからも決してできないに違いない。愛情ゆえ・・・・という理由だけでなく,「共犯者」としても。
おしまいに・・・。
劇中では粗末な服をだらしなく着て,しじゅうトロンとした表情だったウォンビン。ご本人はやっぱりこんなにも麗しくて。それにしても,彼がここまで演技派とは思わなかった。素晴らしい復帰作に惜しみない拍手を贈りたい。
韓国映画の描く負の世界はすさまじい。
その見せ方は,オブラートにも包まず,目を背けることも許さない容赦のなさがあり,それでも作品が傑作となるのは,おそらくそこに描かれる負の世界に,誰もが人間として共感できる部分があるからだろう。特にこれまで韓国の辿ってきた過酷な歴史を思うと,韓国の人たちはおぞましいもの,過酷なものをも,しっかりと直視したり,伝えたりできる強さがあるように思えてならない。・・・・日本人にはまだまだ理解ができない部分ではあるが。
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