「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」
戦争映画というと,どうしても製作国側からの視点だけで描きがちだが,イーストウッド監督は,「硫黄島の激戦」を,アメリカと日本の両方の視点から描き,これまでにない素晴らしい二部作を世に送り出してくれたと思う。
実は「硫黄島〜」の方はとっくに観ていたが,「父親〜」の方は最近になってやっと観たのだ。そして,これは二つでひとつの作品・・・つまり両方を観て初めて,あの戦史に残る硫黄島の戦いについて本当に理解することができるのだ,と思った。イーストウッド監督の描きたかった反戦の思いも,両作品を観ることで,よりはっきりと伝わってきたように思う。
日本人でありながら,これまで,教科書で習ったことも教えたこともなかった硫黄島の戦い。ほんと,知らなかったことが恥ずかしい。
この島が日米双方にとって戦局を左右する重要な島であったこと,アメリカ側は当初この戦いを,わずか5日間で終わらせるつもりだったのに,日本軍は大本営からの援軍皆無の孤立した状態で,なんと30日間以上も持ちこたえたこと,そしてまた,太平洋戦争後期の上陸戦での米軍の損害が日本軍を上回った稀有な戦いであったこと・・・・これは絶対に記憶に止め,後世に語り継がれなくてはいけない戦いだと思う。
日本軍を指揮した上官たち。
全長28キロにも及ぶ坑道からの攻防戦を指揮し,無駄な玉砕を禁じて兵士たちを最後まで戦いぬかせた栗林中将(渡辺謙)や,捕虜となった敵兵を看護させたバロン西こと,西竹一中佐(伊原剛志)。そして,一兵卒の立場から観た硫黄島の戦い,という意味で重要な役回りを演じる主人公の西郷青年(二宮和也)と,もと憲兵の清水(加瀬亮)。
二宮和也は,まるで現代の若者があの時代にタイムトリップしたかのように,喋り方も表情も現代っ子のままで(軍服姿は誰よりもあの時代の兵士っぽく似合っていたが)初めは「あんな雰囲気の兵隊があの時代にいるわけないじゃん」と違和感があったのだけど,坑道堀りに明け暮れる毎日に愚痴をこぼし,「生きて帰りたい」と願う西郷の姿は,ある意味,日本の兵士たちの戦争に対する本音の代弁者として監督がわざと演出したものなのかもしれない。それでも二宮和也の演技・・・特に彼が声もなく涙を流すシーンは心を打たれた。(二宮くんは演技,ほんとに上手い)
そして,憲兵を首になって硫黄島に配属された青年,清水を演じた加瀬亮。人より少し優しく繊細な心を持っていたがために,憲兵が勤まらず,この硫黄島の戦いでも悲運な運命を辿ることになる彼はほんとに可哀そうな役だ。傷ついた米兵の母親からの手紙を読んで,アメリカ人も自分たちと同じ心を持っていると気づき,投降を決心した彼が辿った運命はあまりにも哀しく,救いがなかった。
私はこの作品で加瀬さんを知り,続いて「それでもボクはやってない」への鑑賞意欲をそそられた。それにしても,大日本帝国時代の憲兵の横暴とその被害者について外国人のイーストウッドが描くとは驚きである!
日本軍もアメリカ軍も,想像を絶する苦戦を強いられた硫黄島の戦い。「父親たちの~」と合わせて観てみると,日本軍とアメリカ軍の精神面での違いが浮き彫りにされていて興味深い。
戦場に赴く前のアメリカ軍の青年兵士たちの様子。無邪気にカードに興じたり,仲間と冗談を言い合ったり,恋人を偲ぶ音楽に耳を傾けたり・・・彼らも,そしてもちろん彼らの上官たちも,「生きて祖国に帰る」ことを望み,そしてその望みが当然のものと考えられている世界。
一方,日本軍の方は,初めから生きて本土に帰れるとは思っていない。栗林の「生きて祖国の土を踏むことはないと覚悟せよ」という言葉の重み。日本軍に漂うく悲壮感と緊迫感は,米軍のそれとはまるっきり質が違う。
あの,手榴弾による自決シーンの壮絶さ。兵士たちの顔に浮かぶのは恐怖と哀しみ以外の何物でもなかったが,それでも彼らは上官の命令に従い,日ごろ教えられた通りの手順で次々と自決してゆく。個人の命よりも何よりも,お国のため,という思想が優先されたこの時代の先人たちの強さと潔さを,哀しんでよいのか,誇ってよいのかわからない・・・こんな思想が間違っていることだけは確かで,何処へ向けたらよいのかわからない怒りを強烈に感じた。
援軍も弾薬も送らず,「潔く散れ」と指示してきた大本営。「悠久の大義に行くべし」とは綺麗な言葉だが,結局は彼らに「死ね」と命じたのと同じである。
しかし,日本軍の抵抗に1カ月あまりも苦しめられたアメリカ軍の兵士たちもまた,この戦いでそれぞれ心に深い傷を負ったのだ,ということが,「父親たち~」を観るとわかる。
どこから弾が飛んでくるかわからない恐怖の中を上陸し,次々と倒れるアメリカの兵士たち。物語は,その中で必死に衛生兵として自分の務めを果たすドグ(ライアン・フィリップ)を中心に描かれている。つかまって日本軍の坑道内で惨殺された親友。あろうことか,味方の誤射によって命を落とす上官。
やがて,6人の兵士が擂鉢山に星条旗を立てる瞬間の写真が祖国の新聞に掲載され,映っていた兵士たちは英雄として祭り上げられる。長引く戦争に嫌気がさし、国庫も空で,これ以上戦争を続けるのが困難になっていた当時のアメリカにとって,彼らの擂鉢山の写真は,国民の士気を鼓舞する格好の材料となった。
6人のうち3人はすでに戦死し,戦いのトラウマも癒えないうちに国民の前でポーズを取り,戦時国債キャンペーンのツアーに駆りだされるドグたちの内心の苦悩。たまたまその場にいて旗を立てたにすぎない自分たちだけが,英雄扱いされることに対する自責の念。戦争をビジネスととらえている事業家たち。国家のために,ドグたちは,従軍した者にしかわからないトラウマを押し隠して,笑顔でツアーをやりぬく。
戦争とは,どの国でも,そしていつの時代でも,国家が兵士たちに多大な犠牲を強いるものなのだ,ということを改めて感じた2作品。どちらも戦争で傷つく名もない兵士たちのそれぞれの哀しみが描かれていて,イーストウッドの反戦への思いが伝わってきた。死んでゆく兵士たちには,どんな大義名分もヒロイズムもなく,ただただ理不尽な痛みと哀しみがあるだけなのだ。その痛みは,戦勝国の兵士とて変わらない。
同じ監督が敵対する二つの国の視点から作品を撮る・・・・という離れ業。アメリカ人でありながら,製作に当たって,完全に中立の視点を貫き通したイーストウッドは凄いと思った。
私がより感動したのはやはり,「硫黄島からの手紙」の方だが,実際は映画で描かれているよりも,もっともっと凄惨な状態で戦い,散っていった英霊たちに心からの追悼と感謝の祈りを捧げたい。
最近のコメント