ディア・ドクター
物語は,僻村の医師である伊野(笑福亭鶴瓶)の突然の失踪事件で幕を開ける。3年半の間,村人から「神様」とまで崇められ,絶大な信頼を受けていた彼が何故?・・・・・・。現在と過去を行きつ戻りつするストーリーは,次第に伊野の秘密を明らかにしてゆくのだが。
ネタバレしてます・・・というよりは,ここから先は,読めばどうしてもネタが推察できてしまうので,未見の方はご注意ください。
ゆれるを観た時も感じたけど,西川美和監督の作品って,人間の内面をほんとに深くえぐって見せてくれる。「善人の中に潜む罪」だとか,「内面を隠して生きてきた人の正体」とか・・・・。当然,観る側としては,「苦さ」や「痛さ」「やりきれなさ」を味わうことになる。
それでもラストには,雨上がりにうっすらと差す薄日のような「デリケートな癒し」の場面を用意してくれているので,なんとも形容のしようのない余韻が強烈に残るのだ。・・・・これも,そんな作品だった。
鑑賞後に,うーーん,と考え込まざるをえない作品。
辛いような,腹ただしいような,それでもやっぱりほっと安堵するような・・・・自分の中でせめぎ合う矛盾した感情は,きっとそのまま,「伊野」という主人公に対する思いなのだろう,と思う。
彼が大それた嘘つきであるのは,動かしようのない事実。しかし,彼が患者に親身に向き合い,彼らの役に立ち続けたことも,また事実だし,ハッタリをかます大胆さを持っていたのも事実なら,患者の心にまで配慮する細やかな優しさを持っていたのも,事実なのだ。
幸運やまぐれ当たりや,看護師の大竹に助けられながら,ばれるタイミングを失った嘘は,もはや真実に近いものとなり,きっと伊野は後戻りできなくなっていたのだろう。
伊野のついた嘘を断罪できるか,どうか・・・?
その答えは観客に委ねられているが,私の中で明確な答えは出なかった。嘘つき=悪人」だという図式が,伊野の場合は成立しないのだ。理屈ではなく,感情でそう感じるのだ。
ささやかにやっていくつもりだった嘘の生活が,意に反してどんどん派手なものとなり,崇拝者に囲まれる生活。毎日休む間もなく必要とされ,賞賛や感謝を受ける生活は,伊野にとって心地いいものだったのか?いや決してそうではなく,彼は内心,引き際を探していたのではないかと感じた。
そしてそんな伊野と接した人々の気持ちの変化。これもまたある意味ショックだった。あんなに・・・手のひらを返すかなぁ?正体を知った後に?・・・・もし自分が彼の世話になった患者なら?いや,やっぱり刑事の手前,ああいう発言をするのかもしれない。それに,「信じてたのに裏切られた」という腹立ちも感じるだろう。
そんな中で,彼の嘘を最初から見抜いていた製薬会社の斎門(香川照之)の,伊野への理解の深さを鮮やかに表現して見せた喫茶店でのシーンには唸った。ああいう行動や台詞を入れる西川監督の頭のよさには凄いものを感じるし,香川さんの無駄がない的確な演技がまた最高で!
そして,もうひとり特筆すべきは,八千草薫さんの,さすがの存在感。伊野の嘘を知ったときの彼女の心境は,実際のところ,どうだったのだろう。刑事にはあんな否定的なことを言ったけれど,彼から受けた恩をもすっかり忘れ去ってしまったのだろうか?
その疑問の答えは,ラストの彼女の微笑みに隠されているのだろう。その解釈はまだできないでいる私だけれど・・・・。私的には,彼女は伊野を赦した,と受け取りたい。
伊野はこの後,どう生きていくのだろう?
どちらにしても,医療に関わる場所にいたい,という彼の思いを感じるラストシーンだったようにも思えた。
監督の人間理解の深さに唸り,そしてそんなデリケートな感情を台詞ではなく表情や仕草だけで見事に表現した俳優陣の並外れた演技力にも唸り・・・・,とにかくお腹一杯になった作品だった。
それにしても,伊野を演じた鶴瓶はつくづくハマリ役だったと思う。お釈迦さまのような笑顔の中で時々見せる「笑ってない目」が・・・伊野のキャラクターをよく表していた。
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9月28日 ディア・ドクター
TBアドレス
http://trb.ameba.jp/servlet/TBInterface/hum09041/11027357876/209a30b5
LIMIT OF LOVE 海猿&ベスト・キッド&
死刑台のエレベーター&十三人の ... [続きを読む]
ななさん、こんばんわ!
この映画、いい映画ですよね。
観ている間は、苦しくて、泣けないし、すっきりもしないし、もんもんとしてしまいました。
観終わってから、しばらくこの映画の事ばかり考えていました。気がつくと考えている・・・って感じでした。
伊野さんはどうすればよかったんだろう。・・・とか。
ただ、みんなのためにつくしてくれる善人ってわけじゃない。
年間の報酬がびっくりする額だった。
それは許せないかも・・・とか。
西川監督ってすごい人ですよね。その上、とびっきりの美人なんですから。
「ディア・ドクター」の記事と、この映画と同名の短編の入った西川美和さんの本「きのうの神さま」の記事の二つ、トラックバックさせていただきました。
投稿: むぎむぎ♪ | 2009年8月18日 (火) 00時51分
こんにちは。
自分は、この作品を観たあと、「きのうの神さま」も読みました。
その中に「ディア・ドクター」が入っているのですが、映画とは内容がまるっきり違うんです。
でも、なんとなく、背景が見えたような気がします。
個人的には、西川監督は、素晴らしいと思います。
人間の心の中を突いてくるところは、特に、良いですね。
人間と言うものは、言動と心は必ず一致しているものではない・・・ というところを突いてくるので、痛くもあるんでしょう。
投稿: 亮 | 2009年8月23日 (日) 08時43分
むぎむぎさん,コメントとTBたくさんありがとうございました~
西川監督は,ほんとに才色兼備を絵に描いたような方ですね。
それもとっつきにくい感じじゃなくて,可愛らしい感じの方で
とっても魅力的ですね。
彼女の外見から受けるイメージと,彼女の作品の雰囲気のギャップがこれまた驚きです。
すごく深くて老成した作品をおつくりになるので・・・・。
彼女の作品に接すると,人間の多面性や善悪の判断について
いろいろ既成の価値観を揺さぶられることが多いです。
だから悶々としてしまうんですよね・・・・
おそらく気がつかない方が気楽に過ごせるようなことを
これでもか!と鋭く毎回えぐって見せてくれます。
人間の愚かさや弱さや,罪・・・という目を背けたいことを鋭く描きながら
人間の再生能力や繊細な優しさもまた最後に匂わせてくれる・・・。
これからもこの監督さんの作品からは目が離せません。
投稿: なな | 2009年8月23日 (日) 19時34分
亮さん こんばんは
わたしは「きのうの神様」は未読なんですよ~
映画と原作は違っているのですか?興味津津です。
また書店で探して読んでみたいです。
>言動と心は必ず一致しているものではない・・・ というところを突いてくるので、痛くもあるんでしょう。
人間は複雑な生き物なんだなぁ・・・とか
他者と関わって生きるって単純ではないなぁ・・・とか
いろいろと「痛い」共感が得られる作品が多いですね,西川監督は。
なんだか個人的におつきあいがあれば
心の中を見透かされそうな,そんな感じもします・・・(笑)
投稿: なな | 2009年8月23日 (日) 19時52分
ななさん、こんばんわ。
伊野は悪人ではないけれども、じゃあ善人か?というとそれも違う気がします。
人間とは矛盾した要素を抱えている、ということをよく表現していると思います。
本物、偽者の概念もまたしかり。
正義と悪、本物と偽者など物事を単純に○×で分けてしまう考え方に
疑問を投げかけている作品だと感じました。
投稿: moviepad | 2009年8月24日 (月) 22時56分
喫茶店のシーンはこの映画を一言で言い表すようなシーンでしたね。
許される嘘、許されるべき嘘、許されない嘘。
どれが一番人を幸せにするのか。
本当に難しいものです。
投稿: にゃむばなな | 2009年8月25日 (火) 20時31分
うんうん、あの香川さんの喫茶店のシーン、椅子ごと倒れるあそこは、説得力がありながらもさらりとした、なんとも鮮やかな場面でしたね!
本当にこういうシーンを特別劇的にせずに演出できる監督さんは凄いと思います。
伊野はななさんのおっしゃる通り、引き際を探していたのでしょうね。病院のエレベーターで彼が佇むシーンは忘れがたいです。
ラストも人によって解釈が異なるだろうなあ…という感じで。
『ゆれる』の香川さんの笑顔とともに、今回のあの二人の笑みにもつくづく考えさせられました。たしかな答えは出ないのですが、その直前に刑事に伊野が捕まらなかったシチュエーションを含めて考えると、わたしにはハッピーエンドに思えます。やっぱりかづ子は伊野を許してますよね?
投稿: リュカ | 2009年8月25日 (火) 21時50分
moviepadさん こんばんは
人間って誰しも,善と悪の両面を持っているものですよね。
たいていの人間は,そのどちらかの面が強く出てて
悪が強い人は悪人,善が強い人は善人
どちらもはっきりしない人は凡人とレッテルが貼られやすいのかもしれません。
伊野の場合は,犯罪になるほどの「悪」と人命を助けるほどの「善」が共存していたわけで
そりゃ判断つきにくい複雑なキャラですよね。
そのひとをどうとらえるか・・・結局は接した人間がそれぞれ決めることなのかも知れません。
投稿: なな | 2009年8月26日 (水) 00時22分
にゃむばななさん こちらにもありがとう。
喫茶店のシーンはとても印象的で
あんなふうにサラリと演じた香川さんの才能のすごさを
あらためて感じてしまいました。
>許される嘘、許されるべき嘘、許されない嘘。
>どれが一番人を幸せにするのか。
相手に益をもたらすのなら「許される嘘」と言えるのかなぁ?
よくわかりません・・・こればっかりはケースバイケースではないでしょうか。
投稿: なな | 2009年8月26日 (水) 19時21分
リュカさん こんばんは
いろいろと考えさせられる作品でしたね。
西川監督の作品はみなそうなのですが・・・・。
伊野は確かに嘘つきだけど,まぐれあたりの治療がみんなに絶賛されても
嬉しそうと言うよりは後ろめたそうな表情でしたよね。
いつかはこんな生活をやめたいと思っていたのでしょう。
ある程度お金を稼いだらやめるつもりだったのが
頼りにされすぎて引き際を失ってしまったのかもしれませんね。
エレベーターの前で逡巡する伊野の姿が印象的でした。
わたしもこれはほろ苦いハッピーエンドなのだと思っています。
「ゆれる」でのラストシーンでも感じたことですが
いろいろあっても,やっぱり絆は切れないというか
心は繋がってたんだ・・・という安堵感のようなものを感じました。
投稿: なな | 2009年8月26日 (水) 20時51分
無資格での医療行為は誰がなんと言おうと「悪」です。
でも適当なエピソードを二つ三つ交えることで、いとも簡単に美談の感動物語になり得ちゃうんですよね。
ところがこの作品は違います。この作品が心にしっかり残るのは、西川監督がそんな安易な作り方をしなかったからでしょう。
刑事に接する村の人たちの態度や言動に、いろんな解釈ができるのも面白いですね。
私はけっして“手のひらを返した”わけではないと思ってます。
投稿: SOAR | 2009年8月31日 (月) 23時28分
いろいろ考えさせられる作品です。
それは、単純に善悪で決められない世の中そのものであり、
人によって意見が様々に分かれるところがまたおもしろい。
伊野のついた嘘をめぐって、
人間の優しさと怖さが入り混じって描かれる様は、監督の技量を実感します。
投稿: クラム | 2009年9月 1日 (火) 00時27分
SOARさん,こんばんは
>無資格での医療行為は誰がなんと言おうと「悪」です。
おっしゃるとおりです。法律に違反するわけですから。
それでもそれを単純に「悪」と思えない設定を投げかけた西川監督の
深い人間考察には考えさせられました。
単なる薄っぺらな「美談」なんかとはまったく違う,奥の深さを感じましたね。
投稿: なな | 2009年9月 3日 (木) 23時03分
クラムさん こんばんは
>単純に善悪で決められない世の中そのものであり、・・・・
善悪の価値観が揺らぐのはほんとうは困ることなんですが
置かれた状況によって
また,人間本来の複雑さのせいで,実は揺らぐのが当たり前なのかもしれません。
西川監督の作品は,いつもそのことにつて深く考えさせられますよね。
次回はどんな作品を我々観客にぶつけてくるか
楽しみでもあり,怖くもあります。
投稿: なな | 2009年9月 3日 (木) 23時06分
ななさん、こんにちは!
>彼は内心,引き際を探していたのではないかと感じた。
私も!そう思いました。
だからあの八千草さんの事件をきっかけに、出て行っちゃったのかな・・・って思ったりもしました。
ななさんのレビュー、やっぱりすごく読み応えがあるというか、そうそう!そうだよね~!と、すごい反応しながら拝見しました☆
ところで、2009年に観たお気に入り旧作DVD! の方も楽しく見せてもらいましたよ~。
キッズリターンや、金城君や、去年、ななさんちでアップされていた映画が抜粋されていましたね。
PS ななさん、スキーウェア姿、とっても綺麗^^
投稿: latifa | 2010年1月17日 (日) 11時18分
latifaさん こんばんはー
「ゆれる」の西川監督の作品,さすがの人間描写で,こちらも「ゆれる」と同様,鑑賞後に悶々と後をひく作品でしたね。彼女の映画を観ると,「人間って善人の部分も悪人の部分も持っている,複雑な存在だなぁ」といつも感じてしまいます。普段は気がつかない人間の本質に気付かせてもらえる物語が多いですね・・・・。お若いのにとても老成した考え方を持っている希有な監督さんだと思います。
>2009年に観たお気に入り旧作DVD
「キッズ・リターン」はlatifaさんのオススメでしたね~!素敵な作品を紹介していただいてありがとう~。
>スキーウェア姿・・・・
いちおうスキー場ですが,私は運動音痴なので(汗)スキーはやりませんでした。ついていっただけ~~なんですよ。休憩所でビール飲んでたわ~~。でも南国育ちなので雪山の景色を見たり触れたりするだけでも楽しかったー。来年は滑ろうと思います。
投稿: なな | 2010年1月17日 (日) 19時52分