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2009年8月の記事

2009年8月28日 (金)

96時間

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父の愛が,
パリの街を暴走する。

元CIAの工作員が,パリで誘拐された愛娘を単独で救出する,ノンストップ・タイムリミット・アクション!

あらすじ: 17歳のアメリカ人少女キム(マギー・グレイス)が、初めての海外旅行で訪れたパリで何者かに誘拐される。その事件のさなかにキムと携帯電話で話していた父ブライアン(リーアム・ニーソン)は、自らの手で犯人たちから娘を奪還しようと決意。アルバニア系の人身売買組織だと判明した犯人一味のもとへ単身で乗り込む。(シネマトゥディ)
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これ,いい!
従来の救出アクションにはない,パンチの効いた魅力がある!
なにがいいかって,とにかく主人公であるブライアンのキャラが素敵なのだけど,彼の一番の魅力って,やはり「意外性」だろうか?

公式サイトの宣伝文句にも,父の激変を目撃せよ!というのがあるが,まさにその通りで,冒頭から20分くらいまでは,温厚で娘にデレデレのただの親父にしか見えなかったブライアンが,事件が起こり,娘の救出に乗り出してからは,人が変ったように精悍な一匹狼のような活躍を見せる。

ブライアンが犯人に電話で宣言した,「俺には闇のキャリアで身につけた,特殊な能力がある。お前らが恐れる能力だ。娘を返すなら見逃してやる。だが返さないなら,お前を探し,お前を追い詰め,そしてお前を殺す。」という台詞を聞いた時は,ハッタリかましてる~,と思ったもんだが,(だってそんなに万能な人間に見えなかった・・・)いやいやそこから先の彼の暴走ぶりはその台詞の通りだった・・・そしてその無限にも見える特殊能力も!
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瞬時に発揮される正確な分析力や観察力,そして判断力はまるでジェイソン・ボーンのようで,電光石火の戦闘力や殺傷力は,スティーブン・セガールも顔負けで。「娘を救うためならエッフェル塔でも壊す」という台詞も「彼なら本気でやりかねん・・・」と思えるほど。

特に,最初からいかにも強面の俳優さんではなく,柔和な雰囲気のリーアム・ニーソンが豹変するわけだから,すごいインパクトがあって面白いのだ。前半と後半はまるで別人を観ているようだ。

父の執念と怒りは凄まじい。
救出のためなら,何人でも殺す。どんな手も使う。
「そこまでやるか?」と,目を背けたくなるような残虐で非道なことだって,あのいつもは笑顔の優しいニーソンが,「時間がないんだ!」と鬼のような形相で何のためらいもなくやってのける。

彼はアクション俳優ではなかったはずだが,とにかく身体が大きいので,アクションが映えまくるのだ。私はこの意外性に痺れた。
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そして,娘が無事に救出されると,再び,優しくってちょっとシャイでくたびれた感じの親父に戻るブライアン・・・・。この二面性がたまりません。もちろん今回の件で彼のことを一番見直した,というか惚れなおしたのは,助けてもらった娘のキムだろうと思うけれど。

パワフルで爽快な作品だ。全米でヒットしたのも納得。リュック・ベッソン・ワールドの若くない一匹狼の男ってやっぱり最高にカッコいい!新境地を開いたリーアム・ニーソンにも拍手!

2009年8月25日 (火)

G.I.ジョー

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この戦い,かなり刺激的

あまり好きなジャンルの作品ではなかったが・・・。
はい,そうです。お察しの通り
ビョンホンさん目当ての観賞です。
しかし…始まってみると…
何なんだ~!
こ,この
突き抜けた面白さはっ!
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もともとはアニメというか,アメリカの男子向けのリカちゃん人形みたいなもんが生みの親らしい?そうでしょうね~,なるほど,あり得ないほど,馬鹿カッコいいヒーローぞろいなわけだ。動くフィギュアの実写版?これ,男の子は好きだろうなぁ~~~。

もちろん,お話は薄いです。
観た後に「あ~,面白かったぁ」以外のものは残らないかも。しかし,これはストーリーや世界観よりも,映像やキャラの実写を純粋に楽しめればそれでよい作品なのだろうと思う。2時間の間,「うぉぉぉ」と画面に意識を集中し,日ごろのチマチマしたストレスをスカッと吹き飛ばせればそれでハッピーという作品だった。私にとっては。
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悪役(コブラ)と
正義の役(G.I. ジョー)の見分けがはっきりついて,
悪役の狙いはお約束どおり世界制覇で,
切り札となる最強の兵器ナノマイトの威力は絶大で,
主人公の兵士と敵の女戦士の間には
ほどよくロマンスもあって・・・・

シンプルで
すっごくわかりやすい!
おかげで思う存分映像に集中できた。

地上最強のエキスパートチームであるG.I.ジョーの不死身ぶりは凄い。わたしゃ,爆発や衝突満載の戦闘シーンっていつも爆睡する癖があるのだけど,この作品に限っては,変わった武器や闘い方がこれでもかと出てくるので,まったく退屈しなかった。特にあのロボットスーツみたいなもんは楽しかった~~~!お気に入り。
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で,お目当てのビョン様は・・・・あれれ?悪役なんだぁ。
でもカッコいいから,許す。ぞくぞくするほどカッコよかったから。でもあの怪傑黒頭巾の白バージョンみたいなコスチューム・・・武器も手裏剣って・・・・一応,彼は日本人の設定なのか?日本の回想シーンなんて,日本も中国も韓国もみーんなごちゃまぜのヘンなアジアになってたけど・・・ま,あれも御愛嬌かな。
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忍者スタイルでない時も白ずくめの衣装で,私は今までは黒を着たビョンホンさんが一番好きだったけど,白もなかなか・・・いいじゃん!

血も涙もない冷酷キャラなのだが,「君に触れたら殺すと言っただろう?グサッ!)」 なんて台詞,ちょっと言われてみたかったりして。彼とスネークアイズとの死闘シーンは,わかっちゃいるけど,どうしても彼の方を応援してしまったわ。
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ラストはもちろん,これからシリーズ化されることが予想できる終わり方だったけど・・・・(あの大統領,不気味~~)でもビョンホンさんはもう次回作には出ないだろうから,(生き返らしてくれないかしら?)きっと続編は観ないかも・・・・・えへへ。なんか壊れたレビューですみません。

ダウト~あるカトリック学校で~

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1960年代のカトリック系の学校を舞台に,人間の猜疑心をテーマに繰り広げられる心理サスペンス・ドラマ。

ストーリーは地味でラストも歯切れの悪いものではあるが,何と言ってもメリル・ストリープやフィリップ・シーモア・ホフマンの白熱した演技合戦は見どころだった。
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あらすじ:
1964年、ブロンクスのカトリック系教会学校。校長でシスターのアロイシス(メリル・ストリープ)は、厳格な人物で生徒に恐れられていた。ある日、人望のあるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)が一人の黒人の男子生徒に特別な感情を持っているのではないかと疑念を抱くが……。

アメリカが変わろうとしていた1964年。ニューヨークのブロンクスにある聖ニコラス・スクール。この物語の核となる3人の聖職者は,シスター・アロイシスシスター・ジェイムス,そしてフリン神父
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厳格で高潔,何よりも保守的で戒律を重んじる
信仰を持つ校長,シスター・アロイシスとは正反対に,革新的で開放的な思想を持つフリン神父。そしてその両者の間で揺れるシスター・ジェイムスは,新任のフレッシュな歴史教師だ。

ひとくちに聖職者といっても,その価値観や信仰のありようはまことに千差万別だ・・・・とこの作品を観てつくづく思った。キリスト教精神とは・・・・そりゃさまざまな面があるのだけど,シスター・アロイシスは「寛容」「赦し」「慈愛」よりも,「正義」や「断罪」のほうにはっきりと重きを置いている。正義を行うためなら神から遠ざかることになろうとも厭わない,という確固たる信念のもと,疑わしきは罰する,という極端な行動を取る。
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一方,疑惑を持たれるフリン神父のほうは,進歩的で享楽的で,柔軟な信仰の持ち主として描かれている。しかし・・・・人望と同時に,疑惑を持たれても仕方がないような胡散臭さも持ち合わせている。(ホフマンが演じたから余計にそう感じたのか?)アロイシスの疑惑が当たっていたのかどうか,物語はラストになっても明かされることはない。この点はすっきりしないが,真偽を正すことがこの物語のテーマではないので,これでいいのだろう。

この物語のテーマはあくまで,
人間の心を果てしなく支配する疑惑
なのだ。

聖職者でありながら神の教えよりも己の疑惑の方に固執するアロイシスと,同じく聖職者でありながら,とんでもない疑惑を持たれてしまうフリン神父。・・・考えてみればどちらにも人間の弱さが見える。カトリック学校が舞台ではあっても,描かれているのは信仰とはそんなに関係なく,あくまでも人間の物語なのだ。
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シスター・アロイシスが発信した疑惑に,強く心を揺さぶられる若いシスター・ジェイムス。疑惑の真偽をめぐって,彼女は両者の間に立って迷い悩む。もとはと言えば,彼女の言葉がきっかけになって表面化した疑惑ではあるけれど,アロイシスによって問題がどんどん大きくなってくると,生まれつき善意のひとである純なジェイムスにとって,それは重すぎる悩みとなっただろう。エイミー・アダムスの繊細な演技が光る。
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そしてまた,アロイシスに呼びつけられたミラー夫人(ヴィオラ・デイビス)の心情や台詞にも心を打たれた。彼女は言う。「疑惑が本当だとしても,フリン神父には感謝している。息子には気にかけてくれる人が必要だ,自分は息子の側に立ってくれる人間の味方をする」と。過ちを正すことだけに固執するシスターに対して,彼女はひるむことなく息子のために「思いやり」を要求したのだと思う。

それにしても,メリルの演じたシスター・アロイシスの強烈さ。何があのように彼女を「まずはじめに疑惑ありき」のようなものの見方をする人間にしてしまったのか?
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たしかに横暴で,容赦なく人を裁く冷たい人間ではあるが,視力の弱った老シスターをさりげなく気遣う優しさも持ち合わせ,結婚していた過去があり,「大罪の懺悔」も体験しているというシスター・アロイシス・・・・ものすごく複雑で奥の深いキャラクターだ。

そしてラストの彼女の涙。
彼女は自分の非をちゃんとわかっていたし,それに苦しめられてもいたのだ,ということがわかる。でも,その生き方を変えることはおそらく・・・不可能なのだろう,ということも。

自由自在なメリルの顔面演技に圧倒され,登場人物が折りに触れて発する深遠な台詞に翻弄され・・・・なんだかとっても頭を使いながら観た作品だった。(もちろん素晴らしい作品ではあるが・・・ハッキリ言って疲れた~

2009年8月17日 (月)

ディア・ドクター

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その嘘は,罪ですか?

物語は,僻村の医師である伊野(笑福亭鶴瓶)の突然の失踪事件で幕を開ける。3年半の間,村人から「神様」とまで崇められ,絶大な信頼を受けていた彼が何故?・・・・・・。現在と過去を行きつ戻りつするストーリーは,次第に伊野の秘密を明らかにしてゆくのだが。

ネタバレしてます・・・というよりは,ここから先は,読めばどうしてもネタが推察できてしまうので,未見の方はご注意ください。
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ゆれるを観た時も感じたけど,西川美和監督の作品って,人間の内面をほんとに深くえぐって見せてくれる。「善人の中に潜む罪」だとか,「内面を隠して生きてきた人の正体」とか・・・・。当然,観る側としては,「苦さ」や「痛さ」「やりきれなさ」を味わうことになる。

それでもラストには,雨上がりにうっすらと差す薄日のような「デリケートな癒し」の場面を用意してくれているので,なんとも形容のしようのない余韻が強烈に残るのだ。・・・・これも,そんな作品だった。

鑑賞後に,うーーん,と考え込まざるをえない作品。
辛いような,腹ただしいような,それでもやっぱりほっと安堵するような・・・・自分の中でせめぎ合う矛盾した感情は,きっとそのまま,「伊野」という主人公に対する思いなのだろう,と思う。
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彼が大それた嘘つきであるのは,動かしようのない事実。しかし,彼が患者に親身に向き合い,彼らの役に立ち続けたことも,また事実だし,ハッタリをかます大胆さを持っていたのも事実なら,
患者の心にまで配慮する細やかな優しさを持っていたのも,事実なのだ。


幸運やまぐれ当たりや,看護師の大竹に助けられながら,ばれるタイミングを失った嘘は,もはや真実に近いものとなり,きっと伊野は後戻りできなくなっていたのだろう。

伊野のついた嘘を断罪できるか,どうか・・・?
その答えは観客に委ねられているが,私の中で明確な答えは出なかった。嘘つき=悪人」だという図式が,伊野の場合は成立しないのだ。理屈ではなく,感情でそう感じるのだ。
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ささやかにやっていくつもりだった嘘の生活が,意に反してどんどん派手なものとなり,崇拝者に囲まれる生活。毎日休む間もなく必要とされ,賞賛や感謝を受ける生活は,伊野にとって心地いいものだったのか?いや決してそうではなく,彼は内心,引き際を探していたのではないかと感じた。

そしてそんな伊野と接した人々の気持ちの変化。これもまたある意味ショックだった。あんなに・・・手のひらを返すかなぁ?正体を知った後に?・・・・もし自分が彼の世話になった患者なら?いや,やっぱり刑事の手前,ああいう発言をするのかもしれない。それに,「信じてたのに裏切られた」という腹立ちも感じるだろう。
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そんな中で,彼の嘘を最初から見抜いていた製薬会社の斎門(香川照之)の,伊野への理解の深さを鮮やかに表現して見せた喫茶店でのシーンには唸った。ああいう行動や台詞を入れる西川監督の頭のよさには凄いものを感じるし,香川さんの無駄がない的確な演技がまた最高で!

そして,もうひとり特筆すべきは,八千草薫さんの,さすがの存在感。伊野の嘘を知ったときの彼女の心境は,実際のところ,どうだったのだろう。刑事にはあんな否定的なことを言ったけれど,彼から受けた恩をもすっかり忘れ去ってしまったのだろうか?

その疑問の答えは,ラストの彼女の微笑みに隠されているのだろう。その解釈はまだできないでいる私だけれど・・・・。私的には,彼女は伊野を赦した,と受け取りたい。
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伊野はこの後,どう生きていくのだろう?
どちらにしても,医療に関わる場所にいたい,という彼の思いを感じるラストシーンだったようにも思えた。

監督の人間理解の深さに唸り,そしてそんなデリケートな感情を台詞ではなく表情や仕草だけで見事に表現した俳優陣の並外れた演技力にも唸り・・・・,とにかくお腹一杯になった作品だった。

それにしても,伊野を演じた鶴瓶はつくづくハマリ役だったと思う。お釈迦さまのような笑顔の中で時々見せる「笑ってない目」が・・・伊野のキャラクターをよく表していた。

2009年8月10日 (月)

HACHI 約束の犬

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化粧が取れるほど泣いた…。
泣けるとは聞いていたけど,これほどとは。


近くでは吹替え版しかやってなくて,雷雨の中を隣県まで行って字幕版を観てきた。やはりリチャード・ギア本人の声を聞きたくて。北大路さんだと,どうしてもCMの「お父さん犬」の声のイメージがあって,ハチがしゃべってるみたいに錯覚しそうだったから。

忠犬ハチ公。
主人亡き後も,何年も駅で帰りを待ち続けたこの犬の物語は,渋谷駅前の銅像とともに,日本人なら誰でも知っている。これをハリウッドでリメイクって?と一抹の不安もあったけれど,さすがラッセ・ハルストレム監督リチャード・ギア!
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舞台をアメリカに移し,登場人物もアメリカ人に変えつつも,主役のハチはちゃんと日本の誇りである秋田犬という設定で,秋田犬の魅力的な特質を余すところなく描いてくれていた。

私は猫派なんで,あまり犬のことは知らなくて,この映画を観るまでは,実は秋田犬と柴犬の区別もついてなかった。恥ずかしながら忠犬ハチ公が秋田犬だってことも知らなかった・・・・・もっとも映画では子役(?)のハチは柴犬だったけど。

成人?した秋田犬は,やはり威厳に満ちて,王者のような風格がある。足の長いこと!その顔は正面から見ると意外と丸顔で,愛嬌のある瞳をしている。そして何より,秋田犬ならではの賢さ,人に媚びない誇り高さ,忠誠心など,その性格もまた高潔なものを感じる。
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子犬時代のハチとリチャード・ギアとの触れ合いの場面は,犬も飼い主もひたすら可愛らしく,観てるこちらも頬が緩みっぱなし。ギアはほんとに犬好きなんだと思う。ほとんど自分も犬と一体化して遊んだりキスしたり,一つ皿から一緒にポップコーンを食べたり。(ああいうことは,さすがに自分には無理

そしてまた,ハチ役の犬が子役?の犬も大人役の犬も,ちゃんと立派な演技をしている。それも仕草だけでなく,目の演技まで!こんなに表情豊かな演技のできる犬を観たことがない。
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甘える目,訴える目,哀しげな目,
そして駅から出てくる人々の中に教授を探すときのひたむきな目!

このハチの目の表情にどれだけ泣かされたことか。

画面は時折,モノクロのハンディカメラの映像に切り替わり,ハチから見た世界を映し出す。この「ハチ目線」の映像とハチの表情の演技で,台詞などなくても(なくて当たり前だが)ハチの心情が伝わってきて,ああ,主役はギアじゃなくて,この犬なんだなぁということを改めて実感した。
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物語の中盤にさしかかり,ギアが「帰らぬ人」となる日の朝,本能でそれを察して必死で止めようとするハチの行動,特にボール遊びの場面は目頭が熱くなった。

・・・・そしてもうそこからラストまでは,
絶え間ない涙,涙,涙。

別に「泣かそう」と,これ見よがしな演出があるわけではない。物語はあくまでも淡々と,駅で待ち続けるハチの日常を映し出すだけなのに,なんでこんなに涙が後から後から湧いて出るのか。

毎日五時の列車の到着を待つハチ。
帰ってこない主人をひたすら待ち続けるハチ。
春も,夏も,秋も,そして冬も。
10年もの歳月が巡る間,来る日も来る日も
駅の出口をじっと見つめ続けるハチ。

こんないじらしい姿を見せられて,どうして泣かずにいられようか。
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この映画での教授とハチとの絆は,「主従関係」というよりは強い愛情で結ばれているように描かれている。10年間待ち続けるハチの目には,姿を消した恋人を恋い焦がれるような切なさがある。

大好きな教授に,何としても,もう一度逢いたい。
ここで待っていさえすれば,必ずいつかは逢える。
もう一度逢えなければ,生きている甲斐がない。
だから待ち続ける,あきらめずに。


思えば,ハチは,その一生の大半を待つことに費やしたことになる。この健気さ,一途さには,人間は到底かなわない。人間は愛する能力はあっても,雑念やこの世のしがらみに邪魔されて,こんなふうにまっすぐに,すべてを注ぎこんで愛したりはできない。
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そして晩年になったハチの,あのよぼよぼとした姿 (この老け演技がまた絶妙)を思うと・・・・いかん!また泣けてきた。

ラストは哀しい物語なのに,
ハッピーエンドの優しい香りも漂う。

天国に召されるハチの心に浮かぶ,教授との再会シーン。
ギアとハチが互いに駆け寄って,文字通り「抱擁」しているかのようなあのシーンは,号泣しつつも,やっぱり「よかったね,ハチ…」とあたたかい祝福の思いに満たされるから。
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こんな風に,哀しさと優しさが絶妙にミックスされた物語をさりげなく語るのは,ラッセ監督の真骨頂。そしてまた,愛犬家でもあるという監督の犬への愛情が詰まった作品にも思えた。

エンドロールで語られる実話のハチ公のエピソードを見ていると,秋田犬を生んだ我が国がちょっと誇らしくなった。

2009年8月 6日 (木)

レスラー

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人生は過酷である,ゆえに美しい。

遅ればせながら公開してもらえたのでとりあえず鑑賞・・・・。ミッキー・ロークに関して私が観た作品と言えば,その昔彼が聖人を演じた「フランチェスコ」に感心した覚えがある・・・くらいかな?あと,「シン・シティ」での怪演にも強い印象を受けたけど。

あらすじ:
かつては人気を極めたものの今では落ち目のレスラー、ランディ(ミッキー・ローク)。ある日、ステロイドの副作用のために心臓発作を起こし、レスラー生命を絶たれてしまう。家族とはうまくいかずストリッパーのキャシディ(マリサ・トメイ)にも振られ、孤独に打ちひしがれる中で、ランディは再びリングに上がる決意をする。
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ありきたりの,老レスラーの再起物語かしらと,軽い気持ちで観たけど,鑑賞後にはこの作品の持つまっすぐなパワーに圧倒されていた。

かつてリング上で栄光をつかみ,落ち目になった今でも,パフォーマンスたっぷりの派手な八百長(?)試合を演じて,従来のファンを楽しませていたランディ。何でもありの大立ち回りの試合後は,いつも満身創痍のランディ。疎遠になってる一人娘と関係の修復を試みても,やっぱり彼女から幻滅されて去られてしまうランディ。シャワーキャップを被ってお惣菜売り場で慣れない店員の仕事をやってみても,最後にはキレて投げ出すランディ。
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これは一芸に秀でている,というよりは「自分にはこれしかない」という人生を貫き通した不器用な男の物語なんだろう。レスラーというのは,一生続けられる仕事ではない。年を取り,身体がきかなくなると辞めなければいけない仕事だ。しかし,彼は,その時が来ても,器用に方向転換ができなかった。彼の人生にはレスリングしかなかったから。家庭も,家族も,恋人も,彼は中途半端にしか持てなかった。なんて孤独なんだろう・・・と思う。

ランディのことを,彼が劇中で言っていた「クズみたいな男」とまでは思わないけど,確かに社会人として,また家庭人としては決して褒められた人間じゃない。(特に女性目線から見ると。)
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しかし,ランディを演じるミッキーの魅力と存在感の大きさといったらどうだろう!
どちらかというと淡々と進む,ひとりのレスリング馬鹿の地味な物語なのに,ミッキーの邪気のないくたびれた表情や,使いこんだ古木のような隆々とした身体から目が離せない。ミッキー・ロークという俳優の生き様と,ランディの生き様がリンクして見える。これ以上の適役はないだろうと唸らされるキャスティング。

ラスト,ランディは自分にとって唯一無二の存在だったレスリングと心中したのかもしれない・・・と思った。ファンの声援がこだまするリングの上こそが,唯一彼の生きる場所であり,死に場所でもあったから。

その潔さや悲壮さに感動しながらも,なんと不器用で,愚かな選択!と女性の私はちらりと思う。しかし・・・きっと男性陣の感想はまた違うんじゃないかな?ランディの生き方に共鳴するものは多々あるんじゃないかと思う。
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とにかくミッキー・ロークの演技に乾杯!
・・・そんな映画だ。必見。

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