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2009年5月の記事

2009年5月31日 (日)

デビルズ・バックボーン

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解説:
『ブレイド2』や超大作『ヘルボーイ』の成功でハリウッドでも注目を集めるメキシコの異才、ギレルモ・デル・トロ監督がスペインに招かれて撮ったホラー映画。激情型の男を演じたスペインのビッグスター、『オープン・ユア・アイズ』のエドゥアルド・ノリエガや、新星フェルナンド・ティエルブの熱演も見ものだ。ヨーロッパの血塗られた歴史と風土に培われた、怨念のすさまじさが霊を生息させ、さらに恐怖の結末を招く。(シネマトゥデイ)

ギレルモ・デル・トロ監督は私はホラー限定で好きだけど,最初に観たのはこの作品だった。おどろおどろしい題名ではあるけど,実はこの「デビルズ・バックボーン(悪魔の背骨)」というしろものは,そんなにストーリー上,重要な役割はしていない。なんでこんな題なのかいささか不思議である。
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物語の舞台は,内戦時代のスペイン。内戦で両親を失い,人里離れた荒野の真ん中のサンタ・ルチア孤児院にやってきたカルロス少年は,そこでサンティという名の少年の幽霊を目にするようになる・・・・。

パンズ・ラビリンスの原点のような雰囲気を持つこの作品,陰惨な時代背景ゆえか,陽光のあふれる昼間のシーンでも,まるで真夜中のような不気味な暗さが漂っている。
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もと共和党の闘士だった義足の女院長先生。
地下の不気味な貯水槽と,
中庭に落下したまま放置されている不発弾。
隠し事や悪事をいっぱい抱えていそうな,胡散臭い男前の管理人。
生薬として売られる,胎児漬けのラム酒。
(うげー( ̄Д ̄;;)。
・・・それを飲む老医師カサレス。(ぎょえぇぇ!((゚゚дд゚゚ ))!!。
このラム酒漬けの胎児の背骨を,デビルズ・バックボーンと呼ぶらしい。

いやはや,これだけ揃うと,別に幽霊が出なくても,
十分に気色の悪い孤児院・・・であると思うが。

そしてサンティ少年の幽霊は・・・・・・こんな感じ。
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けっこう・・・いやかなり怖いかも。
このサンティくんのヴィジュアルは。
さすが,「異形のもの」のヴィジュアルには,こだわりのある監督らしいと思った。このサンティ少年の霊は何を訴えたいのか・・・彼は繰り返し,カルロスの前に現れ,「大勢死ぬぞ」というセリフを囁く。

しかし,この物語の中で,本当に怖いものとして描かれているのは,実は幽霊ではなくて人間だ。

物語の後半,孤児院の少年や教師たちは命の危険にさらされ,物語は俄然,ホラーからサスペンス・アクション風に面白くなってくるが,敵はなんと反乱軍ではなく,戦争によって良心が冒されてしまった「身内の人間」だった。
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エドゥアルド・ノリエガ
が演じた,管理人のハシント
思わず見とれてしまうくらい,ワイルドでセクシーだが,これがとんでもない極悪人で。目的のためには,恩人だろうが恋人だろうが,子供だろうが平気で殺してしまうような男なのである。

しかし,彼がこんな冷酷な人間になったのも,内戦で家族を失って愛のない少年時代を過ごしたからであり,彼もまたこの時代の犠牲者なのかもしれない。
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デル・トロ監督のホラーは,こんな風に,理不尽で不幸な目に合う子どもたちが主役になることが多いし,ラストに用意されている救いや癒しも,この世的なものではないことが多いけれど,この作品はラストに現実的な救いがあると言えるだろう。

カルロスを中心とする生き残った少年たちは,勇敢にもハシントと闘うのだが,少年たちに手を貸すのが,サンティ少年と・・・もうひとり,「あるひとの幽霊」が登場する。このシーンはちょっと感動するかもしれない。少なくとも私はじーんとした。
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作品の題名だけ見るとオカルトもののようだけど,これは幽霊の因果応報の物語である。因果応報の物語って,たとえ怖くてもやっぱりカタルシスが漂うものだ。それに,ただ怖いだけでなく,立派なヒューマンドラマとしても観ることができる作品だと思う。

怖いのが絶対にダメ・・・というひとにはお勧めしないが,ものすごく怖いわけではないし,味わいと余韻のあるホラーが好きな方には,太鼓判を捺せる作品である。

私はこの作品では,幽霊よりも,人間の邪悪さや,それを生み出した「内戦」という時代背景の方がよほど怖く感じられた。

2009年5月28日 (木)

エグザイル/絆

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解説:
香港映画界が誇るヒットメーカー、ジョニー・トーが監督を務めた、裏社会に生きる男たちの友情とロマンを描いたノワール・アクション。因縁の再会を果たしたマフィアの仲間たちが、ボスの追っ手から逃れるべく激しいガン・アクションを繰り広げる。アンソニー・ウォン、ラム・シュー、サイモン・ヤムといった、ジョニー・トー監督作品ではおなじみの役者たちが集結。緊迫感あふれるシーンの中でときおり見せる、男同士の純粋でユーモラスなやり取りにも胸が熱くなる。(シネマトゥデイ)

聞くところによると,これ,脚本も,出演者への演技の注文も無いに等しく,ほとんど役者のアドリブで撮った作品らしい。・・・・なんでも,トー監督の,大作の後の息抜き作品だそうで。(信じれん・・・Σ( ̄ロ ̄lll))
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なのにこの魅力と来たら!
とにかくカッコいい男たちのてんこ盛り!
月並みな褒め言葉だけど,その一言に尽きる作品だ。

舞台は,中国返還前夜の,ポルトガル領マカオ。
もちろん脚本がないに等しいので,人物の背景の掘り下げは浅い。互いの過去のいきさつなんぞ,五人の男は幼馴染みで,その中のひとりで妻子持ちの男が,ボスに歯向かって逃げていたが,また舞い戻ってきた,ということくらいしか設定されてない。
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そんな書き込み不足な背景にもかかわらず,五人の男たちのキャラが燦然と輝いているのが素晴らしい。みんなそこそこいいオッサンで,服装も洗練されていないのだけど,五人とも表情や間の取り方,アクションも含めたそれぞれの動きが,何とも絵になるのだ。わたしはアンソニー・ウォンしか知らなかったが,それぞれが違ったセクシーさを持っている。
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聞けば皆さん,ジョニー・トー監督作品の常連だそうで,顔を合わせれば,アドリブでもなんでも,阿吽(あうん)の呼吸で,演技ができるのかもしれない。どの俳優さんの動きも,みんな無駄がなく,そして美しいったらない。
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痺れるくらいスタイリッシュな銃撃シーン。

特に室内での乱れ撃ちの場面は圧巻だ。
銃弾にはためくカーテンや,宙を舞う空き缶など,小物の使い方も心憎い。最後の銃撃戦の,天井から俯瞰するようなショットは,まるで美しい群舞のようにさえ見える。思わず「うわぁー,綺麗」とため息がでるほどに。

絶妙な間合いで訪れる,これらの最高の銃撃シーンに見とれて,少しオーバーアクション気味に思える演技や,都合のよすぎる薄いストーリーなどの粗は,そんなに気にならなかった。
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エキゾチックなギターの音色や,哀愁ただよう鈴の音を使ったBGM
も洒落ていて素敵だった。人間ドラマよりアクションのほうが際立っている作品ではあるけれど,五人の男たちの熱い友情には,やはり感動もできたし・・・・・。

生(き)のウィスキーを瓶ごとラッパ飲み,回し飲みする彼ら・・・最後の最後までカッコよかったなぁ・・・・しかし,あの風俗嬢のラストの行動は,まさに漁夫の利だね・・・。
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2009年5月27日 (水)

グエムルー漢江の怪物ー

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いつか感想を書きたいと思いながらも,今日まで延ばし延ばしになってしまった作品。DVDは持ってはいないけど,もう何回レンタルして観返したことか。それくらい,私にとっては惹きつけられる作品だ。

あらすじ: ソウルを流れる大河の漢江(ハンガン)に、謎の怪物“グエムル”が現れ、次々と人を襲う。河川敷で売店を営むパク家の長男カンドゥ(ソン・ガンホ)の中学生の娘、ヒョンソ(コ・アソン)も怪物にさらわれてしまう。カンドゥは妹ナムジュ(ペ・ドゥナ)らとともに病院に隔離されていたが、携帯電話に娘からの連絡が入ったことから一家で脱出を試みるが……。(シネマトゥデイ)

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韓国では記録的なヒットを記録したが,日本では賛否両論で,「否」の方が多かったのじゃなかろうか。きっとこれは国民性の違いなんだろうなぁ,と思う。

韓国映画びいきの自分でも,「あれ?この表現や演出って,日本じゃブーイングかも?」と思うシーンがけっこうあった。特に深刻なシーンの合間に散りばめられた「笑いを取る」シーン。

・・・・正直,
日本人はこんなところで笑いたくはないだろう。
深刻な気分に水を差されるような興ざめな気持ちになる。でも,韓国映画では,けっこう「泣き」のシーンと「笑い」のシーンが隣り合わせに出てくることが多くて,これは韓国特有の感性なのだろう。
同じアジア人種で,顔こそよく似ているものの,日本人と韓国人の喜怒哀楽のスイッチは,かなりズレている・・・と改めて感心する。
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あと,怪物の大きさや容貌が怖くないとか期待外れだった,というかたもいらっしゃったと思うが,私はこの怪物,けっこう好きだ。なんというか,天を突くような巨大な怪獣よりも,これくらいの手頃な大きさ(恐竜サイズ?)の怪物に追っかけられる方が,リアルで怖いような気がする。事実,怪物が初めて登場するシーンは,とてもインパクトがあった。まるで走る魚拓のような怪物が,防波堤の上をすごい速さで,迫ってくるあの場面は忘れられない。
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それに,どっちにしてもこれは,怪獣を見せたかった作品ではなく,怪物は「庶民の生命を理不尽に脅かすもの」の象徴であり,社会を風刺した映画なんだろうな,と感じていた。そこらへん,日本も含めた他国の支配や,南北分断,軍事政権時代などで苦労してきた韓国の国民にしかわからない理解のツボがあり,だからあんなにヒットしたのだろう。韓国では,一見平和に思える現代でも,いつ何時どんな不穏な政情になるかわからない,という緊迫感が,国民の意識の底にはあるのではないかと思う。

この物語の中では,アメリカは無論のこと,自国の政府の対応も全くの「役立たず」あるいは「悪者」として描かれているが,それはきっと,韓国を操ってきた外国や,軍事政権時代に庶民を苦しめた自国政府への抗議が込められているのだろうか?
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だから結局,国民は政府にも警察や軍隊にも頼ることができず,頼みの綱は「家族の絆」のみ・・・・なのだろうか。そしてその家族を,スーパーマンのようにカッコいい能力を持つ存在として描かず,その反対にヘマばかりする,どこか抜けたキャラクターに設定しているのも,「実際に怪物に遭遇したら,みんなこんなもんなんだ」というリアリティを感じさせる。

韓国の観客たちは,やることなすことすべて裏目に出るカンドゥ一家の孤軍奮闘ぶりを,ハラハラしたりくすくす笑ったりしながら見守りながら,彼ら一家の受けた受難に対して,何か共感するものを感じるのかもしれない。
結局さらわれた娘が生還できなかったのも,誰の手も借りずに家族の手で復讐を成し遂げたことも,何かを象徴しているかのようだ。
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情けないけど,一生懸命な「庶民のお父ちゃん」を演じさせたら右に出る者のいないソン・ガンホ。まったく似合わない金髪に染めた彼のカッコ悪さが,今回もなんと魅力的なことか。

殺人の追憶の監督さんの作品だから,この作品にも,何気に同じ俳優さんが出ている。カンドゥの弟ナミル役は,最有力の容疑者だった青年を演じたパク・ヘイル。(今回,雰囲気が全く別人!)・・・・その他にも,「殺人の追憶」でガンホに取り調べられた容疑者役の俳優さんが何人もチョイ役で顔を見せていた。

一家が逃避行をするときのBGMが「蒲田行進曲」のようなおどけた曲(エンドロールにも流れる)で,お気に入り。
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2009年5月23日 (土)

永遠のこどもたち

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ラストの展開で,こんなに号泣した作品は久しぶりだった。

バッドエンドとも,ハッピーエンドともいえるラスト。
そこからうける感動は半端ではなく,
胸をかきむしられるくらい哀しいのに,
限りなく癒されている自分がそこにいて・・・。

DVDで観て正解だった。だって,劇場鑑賞してたら,たぶん大泣きして,化粧がひどいことになってただろうから・・・・。
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スペインのホラー作品はダークだけど,なんともいえない美しい雰囲気があって大好きだ。これはパンズ・ラビリンスギレルモ・デル・トロをプロデューサーに迎え製作された作品なので期待も高まる。監督はこれが初の長編映画だというJ・A・バヨーナだが,ミュージックビデオなどの製作を手掛けてきただけに,映像がとても美しかった。

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いわくつきの,もと孤児院で起こる不思議な現象と,子どもの神かくし事件・・・

中盤までは単なる幽霊話のような雰囲気で物語は進むが,デル・トロの世界はいつも単なるホラーでは終わらず,その中に深い人間ドラマが描かれている。

シモンはどこへ消えたのか?
彼を連れ去ったのは,
この建物に住みついている子どもたちの霊なのか?
ラウラの前に現れたベニグナと名乗る怪しげな老婆の正体は?

失踪から半年たっても行方の知れない息子を案じるあまり,霊媒師の助けを借りるラウラ。そして,明かされる,孤児院での起きた忌まわしい事件。
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女霊媒師を演じたのは,ジェラルディン・チャップリン。あのチャップリンの娘さんだそうで・・・。あまり・・・というか全然似てないですね,お父様と。

霊なんてバカバカしい!と言う警察や夫に耳もかさず,「2日間,一人だけにして」と夫を説き伏せたラウラは,孤児院内を自分の子ども時代と同じように模様替えし,当時の職員の服を着て,子どもたちの霊を呼ぼうとする。そして現れた彼らに導かれるままに,ラウラが知ったシモンの失踪の真相とは・・・・
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それは,あまりにも酷すぎる真相だった・・・・とくにラウラにとっては。
ネタばれになるのでもちろん言わないけど,母親として,こんな衝撃的で残酷な事実ってあるだろうか,と観ているこちらもその救いのなさに呆然とした。

しかし・・・しかし・・・・その後には,もっと途方もなく心を揺すぶられる展開が待っていた。物語は終わる・・・・この世の観点からすれば,これ以上ないほどの悲劇で幕を閉じる。それでも「この世」という縛りに囚われずに考えれば,これは幸福なラストだ。

幸せは現世にしか存在せず,死は「不幸なこと」「無念なこと」であるという価値観の枠から踏み出してみれば,どのような形でも,愛する相手と一緒にいられる,ということはやはり幸せなことなのではないか。
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死を超えてまで,ともにいたいという強い願い・・・
やはりそれは母親の子に対する愛情のなせるわざだろう。

ラストシーンに同居している,強烈な悲哀と幸福感。
ラウラにとっても,余命の短いシモンにとっても,そしてまたあの「こどもたち」にとっても,これが一番よかったのだと,不思議と思えてくる。すべてはこうなる運命だったのかもしれないとさえ思えるのだ。
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ラウラが成人してから孤児院を買い取ったことも,そこでシモンがトマスたちと知り合ったことも,・・・・そしてシモンのあの悲劇さえ,すべては最善に働いたのだとすら信じたくなるほどの,不思議な安堵感に満たされるラスト。

ひとの強い思いや願いは,ときには時空や生死をも超えて,成就されることを乞い願うものだろうか。もし願いが叶うものならば,黄泉の世界へ行くことさえ厭わぬほどに。

ラストに無人の屋敷の中で,ラウラの夫が妻子を思って見せた涙ながらの微笑み。妻の心情を理解しているからこそ,あんな表情ができたのだろう。
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確かにホラーであるが,ホラーとひとくくりにするには,あまりにも勿体ない素晴らしい人間ドラマでもある。そして美しい霊的な物語でもある。スペインの作品には,このような深みのある哀切なホラーが多いような気がする。死後の世界や霊を,単なる恐怖の対象ととらえずに,そこに希望や幸福まで見るのは,やはりスペインという国の宗教的,歴史的な背景が影響しているのだろうか。

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そういえば,ギレルモ・デル・トロ監督が,スペイン内戦時代の孤児院のお話を描いたデビルズ・バックボーンもまた,ホラーでありながら,幽霊に感情移入してしまうような独特の深みと魅力を持った作品だった。 

2009年5月21日 (木)

ミッション

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約20年前の,古い作品だけどご存知だろうか。1986年製作。当時,カンヌでパルムドールを取った作品だ。作中で使われた,ガブリエルのオーボエという美しいモリコーネの曲と,冒頭の,十字架に磔にされた宣教師が滝壺にむかって落ちてゆく,衝撃的な映像が有名だ
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ミッションとは,この映画では,イエズス会が16世紀から18世紀の間に,南米に作った先住民のための伝道村のこと。これは,イグアスの滝の上流に住む,インディオのグァラニー族に対して命懸けの布教と啓蒙を行い,彼らを虐殺しようとしたスペイン・ポルトガル連合軍と闘って果てるイエズス会の修道士たちのお話で,史実(1753年に始まるグァラニー戦争のこと)に基づいている。

しかしテーマは宗教というよりはむしろ,南米の先住民たちへの,非人道的な植民地政策を告発した作品である。

今も残るグアラニーのイエズス会伝道所群
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当時,スペインやポルトガルにとって,奴隷狩りの対象でしかなかった先住民のインディオたちに文明や学問の光をもたらし,作物を作ることを教え,立派に整備されたプランテーションともいえる見事な伝道村を,いくつも作ったイエズス会の活動は,彼ら支配層にとっては,利害が対立するゆえに,非常に疎ましいものとなっていた。

くわしい歴史背景は省略するが,そんなわけでガブリエル神父(ジェレミー・アイアンズ)がイグアスの滝の上流に築いた,地上の楽園のようなミッションは立ち退きを迫られ,イエズス会の本部からも「引き揚げよ」との命令が出されるのだが,グァラニー族を愛する伝道士たちは,彼らといっしょに抵抗する道を選ぶ。

対照的に描かれているのが,アイアンズが演じるガブリエル神父と,デ・ニーロが演じるメンドーサ。
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自分の部下(冒頭の滝壺のシーン)を殺したグァラニー族に伝道するために,単身イグアスの滝の絶壁をよじ登り,音楽で彼らの心を解きほぐす,愛と忍耐の化身のようなガブリエル神父。
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ジェレミーの慈愛にあふれる静かな表情には、最初から最後まで癒されっぱなしだった。


そして,もとは強欲な奴隷商人だったのに,決闘で実弟を殺してしまった罪の意識から改心し,イエズス会に入門したメンドーサ。
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改心する前は,冷血で凶暴な面構えだった彼が,改心してからグァラニーの子供たちに見せる笑顔の,何と温かで優しいこと!デ・ニーロの存在感の強烈さは,この作品でも健在だ。

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改心した奴隷商人
と聞くと,私はいつもアメイジング・グレイスという讃美歌を思い浮かべる。

アメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)
なんと甘美な調べ。
こんなにも汚れはてた私にさえも 注がれるとは。
かつて道に迷っていた私は 今は見出され
隠されていた真理を 今は見ている。


この有名な美しい讃美歌の作者は,もと奴隷商人で,船が遭難したことがきっかけで改心したジョン・ニュートンだ。のちに牧師となった彼が過去の罪を悔い,罪深い自分さえも救う神の恩寵を讃えた歌である。
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私の中でデ・ニーロの演じるメンドーサは,ついついこのニュートンと重なってしまう。特に,今まで自分が苦しめてきたグァラニー族から赦しを得た時の,彼の号泣する姿がアメイジング・グレイスの歌詞と重なってみえるのだ。

一転して神に仕える生活を送っていたメンドーサ。グァラニー族の危機を前にした時,傭兵の経験もある彼は服従の誓いを捨て,一度捨てたはずの剣を再び取る決心をする。

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そしてガブリエル以外の二人の神父(その中の一人はなんと若い時のリーアム・ニーソン!)もいっしょに闘う道を選ぶ。「殺すな」という神の教えには反するけれど,彼らはそうやってグァラニーの人々への愛を示した。それは,ある意味では,信仰」よりも尊いと聖書にしるされている「愛」の行動だったと思う。
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「神は愛なのだから」と最後までメンドーサの選択を諫めながらも,決して村を去ろうとはせず,無抵抗な女子供と一緒に讃美歌の中,十字架を掲げて静かに死んでいったガブリエル神父の,何ものにも動じない姿もまた強烈に心に残る。

先住民たちを蹂躙した侵略者たちの欲と非情さ。
そして,対極にある修道士たちの,愛と勇気の気高さ。
密林のしたたるような緑の中を,まるで空高く飛翔するように
ゆるやかに,のびやかに,
澄み切った音色で流れるオーボエの調べ。


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目を覆いたくなるような悲劇を描きながらも,なんと美しく,壮大な物語だろうと思う。・・・それはきっと,殉教したイエズス会の神父たちの愛や,彼らを慕うグァラニーの人々の心が見せる輝きであり,感動なのだろう。

いつまでも残るのは,
信仰と,希望と,愛。
その中で最も優れているのは,
愛です。(聖書より)

特典ディスクも見ごたえあり。
あの,「どこから見ても完璧なインディオ」に見えたグァラニーの人々を演じたのは,コロンビアの川辺の少数民族,ワナナ族のみなさんだそうだ。これまでの生涯で映画なぞ目にしたこともなかった彼らの出演のおかげで,作品はリアルさを増した。その雰囲気や表情からにじみ出る,純粋さや誇り高さは,彼らにしか絶対に出せなかったと思う。

2009年5月16日 (土)

天使と悪魔

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私はキリスト教徒だけど,ダン・ブラウンの愛読者だ。そしてこの二つは,割り切ってしまえば意外と両立するものである。

キリスト教界からは「冒涜」という批判もされたダ・ヴィンチ・コード も,フィクションと割り切って面白く楽しめたし,なによりこの作者の宗教や芸術や歴史などの膨大な薀蓄(うんちく)がすごく面白い!私は個人的には,ダン・ブラウンは,キリスト教を批判する作家ではなく,宗教全般に造詣の深い作家だと思っている。
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この「天使と悪魔」は,多くの方がおっしゃってるように,ダ・ヴィンチより面白い物語だと思う。ダ・ヴィンチコードは,キリスト教文化が浸透していない日本では,難解なわりにあのオチは,「だからどうなの?」と受け止められがちだが,「天使と悪魔」は,キリスト教の知識がなくても展開はわかりやすいし,アクションも多くて楽しめる要素がたくさんだ。

ま,この作家の作品の映画化は,とにかく原作の情報量が半端でないので,2時間強の映画に詰め込めば,どうしても 駆け足作品に仕上がるのは宿命みたいなもので,そこに目くじらを立ててもしかたない。
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ストーリーをシンプルかつスピーディーにするために,映画では原作を変えたり端折ったりしている部分もあったが,変え方も巧くて,違和感は感じなかった。むしろ原作を出来るだけ忠実に詰め込みすぎたため,エンタメからは遠ざかった「ダ・ヴィンチ~」に比べると,天晴れな脚色と言えるのではないだろうか?
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あの膨大な情報量の原作を映画にまとめる時,これ以上は削れない,というぎりぎりの線を残しながら上手くエンタメ作品に仕上げたあたり,私は原作ファンとしてはその健闘を高く評価したいと思う。

前回では髪型がビミョーだったハンクスも,今回はそんなことなかった。ものすごい勢いで謎解きが展開するのでかなり早口になっていたけど。ヒロインのヴィットリアも,原作のイメージ通りのイタリア美人という感じで嬉しかった。
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今回の対決は,カトリックの総本山のヴァチカン VS いにしえの科学者たちの秘密結社イルミナティ!古来より,バチカンから迫害を受けてきたイルミナティが,次期教皇の有力候補である4人の枢機卿たちを誘拐・殺害し,ヴァチカンに反物質という強力な爆弾を仕掛ける,というもの。

次期教皇選挙=コンクラーベの最中に誘拐された枢機卿たちは,科学の四大元素である土・空気・火・水にゆかりのある名所で殺されてゆく。
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阻止のために奔走するラングドン教授が追いかける手がかりは,ガリレオの文書とベルニーニの建造物。殺人予告,殺害場所探しのための暗号解読,爆発までのタイムリミット。今回のラングドンも息つく間もなく頭脳も体力もフル回転だ。もっとも,原作に比べると映画版はこれでもまだアクションは減らされてた・・・・ハンクスももう若くないから,思いやり脚色なのかも。(原作の,あの空中ダイブはいくらなんでも無理よね・・・)

この物語で初めて耳にした反物質というしろもの。何でも核兵器なみの破壊力を持つらしいのだが,つい先日放送された「世界ふしぎ発見」で,実際にスイスのセルンで研究されてると知って驚いた!なんだかいきなり物語が現実味を帯びてきたような。
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そして,この物語のキーマンになるカメルレンゴ(=教皇の侍従)を演じるユアン・マクレガー。原作のイメージとユアンがマッチするかどうか懸念もあったが,さすが器用な役者さんだ。今回の彼は,表情から物腰から声に至るまで,物静かで敬虔な聖職者そのもの。全身から癒しのオーラが・・・・

しかし,原作で物語に深みと余韻を与えていた彼の生い立ちの部分がカットされていたのは,やはり残念だったかな。あそこは意外と物語の見せ場なんだけどなぁ・・・・
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いつものことながら,舞台となった教会や広場が,実際に映像化されるのを観るのは楽しい。サン・ピエトロ広場や,サンタンジェロ城,システィナ礼拝堂は実際に行ったことがあるけど,その他の教会や噴水は初めて目にした。もし今度ローマに行ける機会があれば,(ないような気もするが)その他の場所にもぜひ行ってみたいものだ。
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おしまいに・・・・まったくの余談ではあるがひとこと。
原作を読んだ地点でも,映画を鑑賞後も感じたことだが,私も,宗教と科学は決して敵対するものではないと思っている。

私の父親は,文系の私とは違って中学校の理科の教師で,同時にキリスト教会の長老もしていたが,宇宙や自然の神秘に触れるほどに,その中に創造主のみわざを感じると言っていた。その整然とした法則があまりに完璧で美しいので,偶然にできたものとはとても思えないと。創造主の存在なくては説明のつかないほどに,宇宙や自然の調和は完璧であると。その完璧さを証明するために,科学は存在するのかもしれないと。
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宗教と科学・・・・
この両者は相反するものではなく,科学を極めることによって神に到達する科学者もいることだろう。そう,十二使徒のひとりであるルカも医者だった。ラストシーンで,シュトラウス枢機卿がラングドンに語る台詞が心に残った。

2009年5月10日 (日)

ヒート

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白昼のL.A.にこだまする銃撃のシンフォニー!

うーん,やはりさすがマイケル・マン!
極上の男のドラマに熱く痺れっぱなしの三時間だった。

凄腕の犯罪グループのボス,ニールを演じたデ・ニーロと,
彼らを追い詰めるやり手の警部ヴィンセントを演じたパチーノ
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二人とも,実際にモデルとなった人物がいた。ニールのモデルとなった強盗は,名前まで同じだ。ヴィンセントのモデルはマイケル・マンの友人である元シカゴ警官だそうで,これは監督の長年にわたる膨大なリサーチによって生まれた物語である。

追うものと追われるもの同士でありながら,ニールとヴィンセントは,強い信念とプロ意識,抱えている孤独などが,よく似ている。
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そういえばマイケル・マンは,よく二人の男の対決を描くが,登場するのは皆,自分の仕事に厳しいプロ意識を持っている熱い男たちばかりだ。

その仕事はデカだったり,殺し屋だったり,タクシードライバーだったり,TVプロデューサーだったりするけど,傾ける情熱と,譲れない信条には共通するものを感じ,そこに監督特有の美学を見ることができる。コラテラルしかり,インサイダーしかり。
Cap132
デ・ニーロの演じるニールは,30秒フラットですぐに高飛び出来るように,身辺を身軽にするよう,己を厳しく律している男。したがって,家族を持たず,人と面倒な絆を結ばない。情が薄いのではなく,大切な相手とのしがらみが足枷になるのを恐れて,孤高の生き方を選んでいるのだ。「自分への掟だ。それに耐えられなきゃ,他の生き方を探すことだ。」と言うニール。

「仕事」をするときの,妥協のない冷徹さとは裏腹に,プライベートな場面で恋人に見せる優しさや,少し哀しげな表情のデ・ニーロを見ていると,彼が悪党であっても,共感せずにはいられないような魅力を感じる。
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一方,パチーノの演じるヴィンセントは,一度食いついた獲物はとことん追い続ける男で,仕事にのめりこむあまり,何度も家庭を崩壊させている。仕事に賭ける情熱や執念はまるで炎のようで,どんな事態に陥っても瞬時に下す判断と指揮には,いささかも迷いがない。

この,二人の喫茶店での対面シーンは名場面だ。
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逮捕するためではなく,「相手を知るために」ニールをお茶に誘うヴィンセント。(この対面も,モデルとなった二人の間で,実際に似たようなことがあったそうである。)そしてそこで敵同士にもかかわらず,互いに共鳴するものを感じ取り,相手に共感や尊敬の念,ひいては友情のような感情を抱く二人。
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会話している間,パチーノもデ・ニーロも,相手から目をそらしたり,見つめたりをくりかえしながら,時折ふっとその目元や口元に,相手に対してかすかに優しい表情が浮かぶあたり,さすがに非常に上手い。それでも,別れ際には,「いざというときは容赦なくお前を倒す」というセリフをお互いに宣告する二人。

似た魂を持ってはいても,タイプの異なるニールとヴィンセント。
冷静で寡黙なニールを「静」だとすると,
常にハイテンションを保っているヴィンセントは「動」。

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ゴッドファーザーの時と比べると,年を重ねた分,ますます貫禄と深みを増したデ・ニーロとパチーノ。この作品では,お互いに喰い合うことなく,まさに互いに最高の演技を引き出し合ったのではないかと思えるほど,どちらも素晴らしい。

そしてあの,映画史に残る,白昼の銃撃戦の迫力!
大音響の銃声は,高層ビルにこだまして物凄い反響音を呼ぶ。市街が一瞬にして戦場と化すあの場面はまさに鳥肌モノ。
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俳優たちは刑事班と強盗班に分けられ,それぞれ異なるカリキュラムで,実弾による射撃訓練を3か月みっちり受けたそうだ。その成果が十二分に発揮され,あのようなリアルで迫力のある銃撃戦の場面を生んだのだろう。

また,この物語に出てくる女性たちもまた,出番は少ないながら印象的な役柄ばかりだ。特に「家族を持たない」主義のニールが,初めて「一緒に生きたい」という気持ちを起こさせたイーディ。ニールは彼女と一緒に高飛びを計画し,新しい人生をスタートさせるつもりにまでなっていたのに・・・・。
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また,仕事面では凄腕でも,家庭人としてはヘタレのクリス(ヴァル・キルマー)の妻を演じたアシュレイ・ジャドの演技も光っていた。普段は夫に愛想を尽かしていた彼女が,張り込んでいる警察の存在を,わずかな手の動きで夫に知らせるシーンは秀逸だ。

ラストは・・・やはりニールとヴィンセントの一騎打ちは避けられず・・・。最期にかわすセリフと,握り合う手,パチーノの目にうっすらと浮かぶ涙が心を打つ。その瞬間に,二人とも相手を認め合ったのだろう。自分たちは似た者同士だ,もしかしたら唯一この世でわかり合える相手なのかもしれないと。
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泥棒と警官が共感し,互いに認め合う・・・・この一見あり得ない複雑なテーマが,この作品の大きな魅力となっている。3時間弱の長い映画だが,男たちの駆け引きや対決から目が離せず,緊張感は途切れることがない。ガン・アクションももちろん見どころだが,人間ドラマもまた素晴らしい。個性的な登場人物も,一人ひとり丁寧に作りこまれているので物語に深みがある。
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とにかく,
男と生まれたからには,
ぜひ一度は 観ていただきたい作品。

男でない私でも,この熱くもあり,クールでもある物語にはすっかり魅せられてしまった。傑作!

2009年5月 4日 (月)

宮廷画家ゴヤは見た

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絵筆が暴く,愛の裏側ー
2枚の肖像画に描かれた少女と神父の
数奇な運命とは?


アマデウスミロス・フォアマン監督の,文芸歴史サスペンス。
今回の舞台は,18世紀の激動のスペイン。
ハビエル・バルデムがてっきりゴヤの役かと勘違いしていたら,彼は神父ロレンソの役だった。ま,この物語のゴヤはあくまでも「目撃者」かつ「語り部」の役割であり,ほんとうの主役はロレンソのようなものだから,そのキャスティングでよかったのだろう。
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ゴヤが描いた2枚の肖像画・・・・
天使のように清らかな乙女イネスと,
威厳に満ちたロレンソ神父。

この二人に起こった出来事とは・・・・。

しかし,観終わってみると,これは二人の恋愛がテーマの映画ではなく,もちろんゴヤの伝記映画でもなく,カトリック教会の異端審問の現実を暴いた作品だった。ゴヤが「見続けた」のは,異端審問の嵐に翻弄されて人生をズタズタにされたイネスの生涯だったのだ。

ある日突然,些細なことがきっかけで,隠れユダヤ教徒の疑いをかけられて拘束されたイネス。拷問にかけられ,自白させられた彼女は,その後なんと15年間も牢内に囚われの身となる。
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彼女の父トマスが,娘を救うために,神父のロレンソを自宅に招いて行った,「拷問による自白の信憑性を確かめる実験」には言葉を失った。娘を思う父親の強い気持ちに心を打たれるとともに,審問の理不尽さを見事に証明してみせたことに感心した。

しかしそこまでしても,イネスの解放はおろか,教会はロレンソまで葬り去ろうとする。どんなことがあっても,信条を曲げようとはしなかった当時のカトリック教会には,激しい怒りを覚える。
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この物語に,美しく崇高な愛なぞは存在しない。


とりわけロレンソは信念に生きる男ではあったが,愛に生きる人物ではなかった。彼がイネスにしたことは愛情からではなく欲望からのものだろうし,彼女が彼の娘を産んだことを知ってからも,保身のためか事実を闇に葬ることに汲汲としていたように思う。
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一方,哀れなイネスはロレンソを愛したのか?

もちろん愛したかもしれない。しかし,あんな極限状態の中で,唯一すがるしかなかった相手に対する選択肢のない行動とその後の執着を,愛と呼ぶのはあまりにも酷い。彼女の獄中での15年間を支え続けたのは,ロレンソに対する愛情より,引き離された娘への狂おしいまでの母性愛だったろう。
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ロレンソを演じたハビエルは,己の信念のためには,他のものを攻撃,排斥することに何の躊躇も感じない憎々しいキャラクターを貫録たっぷりに演じている。最初は神父として異端審問の指揮を取ったのに,イネスの件で教会を追われてからは,フランス革命の思想に心酔し,教会を糾弾する側になって実権を手にするロレンソ。しかし,彼もまたフランスの勢力が英国軍に追われると,今度は責めを負う立場へと転落し,悲惨な最期を遂げたのは自業自得というべきだろう。

処刑される彼の姿を,群衆にまぎれて冷静にスケッチするゴヤの射るようなまなざし。彼は,ロレンソがイネス母娘にした仕打ちを思い返していたのだろうか・・・。

ナタリー・ポートマンの演技は圧巻だ。
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少女時代の美しさもまた光り輝いていたが,長い獄中生活から解放されたときの,見る影もなくボロボロになった姿が凄かった。(一瞬,ナタリーだとわからなかった)あんな容貌になり果てるなんて,彼女の獄中での15年間を想像すると可哀想で可哀想で,心が痛む。

ラストシーンで,ロレンソの遺骸について歩くイネス。

彼女の心は,とうに壊れてしまっている。拾った赤子をわが子と思い抱きしめて,息絶えたロレンソの手を握り,ようやくこれで家族が揃ったとでも言いたげな,幸せそうな彼女の姿と,その後ろをやはり彼女を見守りながら歩いていくゴヤ。やりきれないほど哀愁の漂うラストだけど,イネスの心だけでも平安を取り戻したのが,せめてもの救いだろうか。
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なんとも壮絶で,理不尽で,哀しい物語である。

登場人物のだれもが,大なり小なり悲惨な運命をたどる物語かもしれない。・・・そんな時代だったと言ってしまえばそれまでだけれど,監督はこの時代のスペインの悲劇をありのままに描きたかったのだろうか?ゴヤという一人の証人の目を通して。

そしてこれは,「アマデウス」で,あの神童モーツァルトを,大胆にも「いけすかない性格」のキャラとして描いてみせたフォアマンらしい,残酷さや辛辣さも備えた作品かもしれない。(ラストシーンの子供たちの場違いに明るい歌声を聴いて思った。)
しかし今回もまた,歴史上の出来事を通して,人間の心に潜む闇や,弱さ,哀しさ等を,重厚に描いているのが見事だ。
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映像や音楽の格調高さも素晴らしく,
ゴヤが作品(特に版画)を製作するシーンなどもリアルに描写されているので,絵画に関心のあるかたは,そちらの面でも興味深く楽しめると思う。

じっくりと,何度も観直したい作品のひとつだ。

2009年5月 3日 (日)

彼が二度愛したS

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シャレた邦題と,豪華キャストに惹かれてDVDで鑑賞。

あらすじニューヨークの孤独な会計士ジョナサン(ユアン・マクレガー)は、ある日ハンサムな弁護士のワイアット(ヒュー・ジャックマン)と出会い、身分の高い人たちのためだけに存在する秘密クラブに誘われる。そこでジョナサンは女性たちとの情事にのめり込んでいくが、そんな中ミステリアスな美女(ミシェル・ウィリアムズ)と知り合い……。(シネマトゥデイ)
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主要キャストの三人がみな,
「らしくない」キャラを演じていたのが新鮮。

七三分けの髪と眼鏡で,地味な会計士を演じたユアン
弁護士で実は悪党という嫌な役のヒュー・ジャックマン
ファム・ファタールを演じたミシェル・ウィリアムズ

三人とも器用な役者さんだから,それなりにハマっていたのはさすがだ。特にブロークバックマウンテンでもっさりした主婦を演じたミシェルは,今作では別人のような妖しい雰囲気をまとっていた。
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もちろん彼女は正統派の美人ではないので,クールビューティというよりはブリジット・バルドー系?キュートさも漂う雰囲気が,女慣れしていない会計士の心を虜にしたのだろう。

お話はまるで火サスのようで,ヒューの演じる詐欺師が,真面目で面白みのない人生を送っていた会計士を騙して大金をせしめようとたくらむ物語だ。ありがちな動機,ありがちな犯人像,ありがちな共犯者とありがちなラスト・・・・目新しい点は特には見当たらないので,サスペンス通には物足らなく感じる作品かも。
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私はストーリーが平凡でも,地味オーラをまとった素朴なユアンや,楽しんで悪役を演じているようなヒューが堪能できたのでそれで満足したけど。・・・・終盤近く,会計士になりすますためにヒューまでが七三分けとダサ眼鏡ルックを披露してくれる。

映像は洗練されていて美しい。
あと,お金持ち御用達の秘密クラブの会員女性に,シャーロット・ランプリングマギー・Qがチョイ役で!なんと豪勢な。特に「ウォール街の美女」を演じたシャーロット・ランプリングの存在感と貫録は必見。マギーも美しかったし。
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凝ったサスペンスやどんでん返しを期待せずに,俳優さんを楽しむ目的で観ればそう失望もしないかも。サスペンス要素に期待すると拍子抜けするかもしれない。

それにしても,もうすぐ封切られる天使と悪魔でカメルレンゴを演じるユアンの演技が楽しみだー。(結局ソレが言いたかったのか,自分。)

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