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2009年1月の記事

2009年1月29日 (木)

芙蓉鎮

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かなりの旧作なのだけど(1987年製作),初めてビデオをレンタルして観たときの衝撃と感動は今でも鮮明に覚えている。文化大革命の悲劇を,庶民の立場から描いた,中国映画の大傑作である。

芙蓉鎮というのは,町の名前で,日本語にすると,「芙蓉町」という意味だろうか。中国南部,湖南省の「王村」がロケ地として選ばれ,映画がヒットしてからは観光地となっているそうな。ヒロインの胡玉音(フー・ユィイン)米豆腐の店を営んでいたが,この米豆腐は,米の産地である湖南省では,広く親しまれてきた食べ物らしい。
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胡玉音が作る米豆腐の美味しそうなこと!
冒頭,彼女が夫と二人で,夜更けに米をひき臼で挽いている映像から始まるが,そうやって丹精してこしらえた米豆腐を,大鍋で火を通し,ラー油や薬味やタレを回しかけて客に供していた。さっぱりした麻婆豆腐のような感じだろうか?一度食してみたいものである。

物語の始まりは,文革が始まる少し前の1963年。
胡玉音の米豆腐屋は,味がよいのと,愛嬌たっぷりの彼女の接待で,大変繁盛していた。隣の国営食堂を任されている政治工作班の李国香(リー・クォシャン)は,男性に人気のある玉音に対して女性としての嫉妬も抱いていて,班長に昇格すると,店が繁盛し,家も新築した玉音をブルジョア分子として糾弾する。
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やがて玉音の新築の店も貯金も,みな没収され,夫は命を奪われる。1966年に文革が始まると,「新富農」に認定され,「人民の敵」となった玉音は,強制労働として,右派分子の秦書田(チン・シユーティエン)という若者といっしょに,早朝の道路掃除を科せられる。

文革の理不尽さと狂気,
それは,いつわが身に降りかかってくるかわからない。

これは,嵐が過ぎ去るのをひたすら耐え忍ぶしかなかった,当時の庶民たちの苦悩を,玉音という一人の女性の受けた艱難を通して描いた物語だ。
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文革って,乱暴な言い方だけど,国家規模のイジメ合戦のようだ。資本主義を徹底して糾弾し,格差撤廃を目指すという名目は立派だが,ちょっと人より目立ったり,商才に長けていたり,学があったりしたら,容赦なく目をつけ叩き潰す。昨日まで味方だと思っていた相手からも,いつ裏切られるかわからないし,権力を握る人間も,何と浮き沈みが激しいことか。
翻弄される人間の弱さと,耐え抜く人間の強さ。
・・・・人間の赤裸々な部分が,いやでもさらけ出される。

ヒロインの玉音の試練は果てしがない。
彼女の言葉を借りれば,「石臼が磨り減り,鍋底に穴が空くくらい働いて」つかんだ店の成功や新築の家。人を搾取したわけでもなく,身を粉にして,まっとうに働いてきた人間が「罪びと」として裁かれるとは,何という社会だろう。

一方,玉音と一緒に道路清掃を科せられていた秦書田は,文革が起こる前は県の文化会館館長をつとめていたインテリで,文革の間は自分の才能を隠し,ひたすらに嵐が過ぎ去るのを待っている,柔軟で強い精神を持った男だ。

一緒に強制労働をするうちに,心を通わせ合うようになった二人の間には,恋が芽生え,子供ができたことをきっかけに,ささやかな結婚式をあげる。しかしその結婚が李国香の逆鱗に触れ,なんと二人は逮捕されて,書田は懲役10年,玉音は懲役3年(妊娠中なので執行猶予つき)の刑を受ける。この理不尽さには私も怒り心頭になった!いったい,どこまで苦しめたら気が済むと言うのだろう!
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土砂降りの雨の中,街頭に立たされて刑を言い渡される二人を,さすがに痛ましげに眺める町の人々。身重の玉音を残していく書田が,「生き抜け。ブタのように生き抜け。牛馬となっても生き抜け。」という血を吐くような台詞は,心をえぐる。

身重の身体で道路清掃を続ける玉音は,やがて男の子を産み,乳飲み子を背中にくくりつけて労働を続け・・・・その子が母と一緒に小さな手に箒を持って清掃の手伝いをするようになっても,それでも夫は帰ってこず・・・・。

1977年に文革はようやく終結を迎え,多くの人々が名誉回復をした。玉音も家や財産を返してもらったが,夫の書田が解放されて帰ってきたのは,1979年になってからだった。
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ようやく果たした親子の対面。玉音の髪にも,書田の髪にも白いものが混じっていた。ほんとによくぞ耐え抜いた,生き抜いた・・・と思う。しかし,この時代,文革によって彼らのような辛酸をなめさせられた人々は,どれほどたくさんいたことだろうか。彼らの心の傷は今も決して癒えていないに違いない。

可愛くて,気丈なヒロインの玉音を演じたのは,当時の中国の名女優,劉暁慶(リウ・シャオチン)。そして書田を演じたのは,後に「紅いコーリャン」で名演技を見せる,姜文(チアン・ウェン)。この二人の演技が素晴らしい。
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再び芙蓉町のもとの家で,米豆腐屋を再開した玉音夫婦。15年前と同じように店は繁盛を見せ,芙蓉町にもやっと平穏な日々が帰ってきたかのよう。しかし,そこへかつて二人を苦しめた,元紅衞兵の王秋赦(ワン・チウシャー)が,今は見る影もなく精神を病んで姿を現す。彼は破れたドラを叩きながら,「政治運動が始まるぞ!」と叫ぶ。町の人々はそんな彼を不安そうに見送る・・・という場面で物語は幕を閉じる。その後に起こる天安門事件などを示唆するような余韻を残す幕切れだ。

今ではDVDを目にすることも難しい作品かもしれないが,機会があれば是非ご覧になっていただきたい傑作。文革について予備知識ゼロでも物語に引き込まれ,心を激しく揺すぶられることは請け合いだ。

2009年1月26日 (月)

胡同(フートン)の理髪師

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これは・・・・いい作品だ。ほんとに,しみじみといい作品。
淡々と地味に流れる映像の中に,
人生の全てがある・・・
そんな作品だ。

物語は,現代の北京。舞台となる胡同(フートン)とは,北京特有の古い路地のこと。そこには,中庭の周りに平屋の建物を配した「四合院」という中国古来の家屋が建ち並び,一つの四合院に数世帯の庶民が雑居している。この胡同,近年の再開発の波に呑まれて,次々と解体され,近代的なビル群に建て替えられているという・・・。

物語の主人公は,この胡同で理髪師を営む,93歳のチン老人。演じたのは実際に理髪師で93歳のチン・クイさん。まさに,世界最年長のアマチュア俳優の起用だが,このクイさんの雰囲気や顔だちが実に素朴でいい。刻まれた皺や穏やかな表情に,彼自身の人生の軌跡が現れていて,特に意識して役作りをせずとも,素のままでオッケーだったのではないだろうか。
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その他にも,胡同に登場するチンさんの顧客の老人たちも,素人を多く起用し,モツ鍋屋のチャンさんを演じたチャン・ヤオシンも,実際にモツ鍋をやってるという。この作品全体に流れる,まるでドキュメンタリーのようなリアリティは,彼ら素人俳優の,普段の自分をそのまま出した自然な演技によるところが大きいのだろう。

オリンピックを目前にして,
解体のために立ち退きを迫られている胡同。

物語は,チン老人の日常生活を淡々と丁寧に追っていく。
ただそれだけなのだが,胡同に住む市井の人々のつつましい暮らしぶりや,チン老人の誠実な人柄に惹きこまれて,退屈することはなかった。それほど,このチン老人は味わい深いキャラなのだ。

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チン老人は,毎日5分遅れる年代物の振り子時計を,時計屋の主人に「いよいよ動かなくなるまで修理は待ちましょう」と言われて,大切に使っている。時計が朝の6時を打つと,寝台から起き上がるチン老人。彼の一日は規則正しく始まる。
鏡を前にして,おもむろに総入れ歯を装着し,なんとその入れ歯が入っていた水で整髪するチン老人。・・・・・この後,その水を飲みやしないかとちょっとひやひやした。

チン老人は,自分の家で散髪するだけでなく,自転車に乗って出張散髪にも出向く。顧客は老人ばかり。チンさんの確かな職人芸と,親切で生真面目な人柄は,皆から絶大な信頼を得ている。

それでも,一人,またひとりと,チン老人のなじみ客や友人はこの世を去っていく。それを見送りながら,「こぎれいに逝きたい」という望みを持ち,ひとりで遺影や死装束の準備をするチン老人。そして夜更けにひっそりと,故人略歴を自分でテープに録音したりする。彼の口から,若いころは武術家や京劇の役者を目指したこともあったこと,妻は二人いたこと,不肖の息子かいること・・・など生きてきた軌跡が訥々と語られる。・・・・けっこういろいろあったんだ。だのに,現在のチン老人の表情は,どこまでも穏やかだ。
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いつ死んでもおかしくない年まで生きて,
この年になれば,毎日を精一杯生きるだけ」というチン老人。

遠からず訪れる死や,古きよきものが失われつつある世の中。
それら全てを黙って受け入れて,これまで通りにこつこつと,毎日を大切に生きている・・・・・。受け入れてはいるが,流されてはいない。自分の信念というものもちゃんと持っている。
そんなチン老人を観ているこちらは,哀しいような,あたたかいような,なんとも言えない感情に満たされるのだ。


それにしても,中国映画に人間を描かせたら,なんと奥の深いこと。特に雑草のように健気に生き抜く庶民を描いた作品は,スルメ烏賊のように,噛めば噛むほどに味わいが増す。一度この味を知ったら,中国映画が忘れられなくなること請け合いだ。
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そして,この作品で初めて知った胡同(フートン)で暮らす人々の,全く昔ながらの生活の様子。古びた瓦屋根や,野菜が積まれた中庭。狭い石畳の路地を,荷車や自転車で行きかう人々。遠景の高層ビルや,自動車が疾走する高速道路などと見比べると,両者が同じ町,同じ時代に共存しているとは,とても思えない。チン老人が金持ちの息子に引き取られた馴染み客に呼ばれて,そんなビル群の中を車に乗せられていくシーンがあるが,チン老人だけ,過去から現代にタイムスリップしてきた人のように見えたほど。

よその国の経済成長や開発にあれこれモノ申す気はさらさらないが,開発と引き換えに,古くからの北京の町並みの代表である胡同が消えてしまうのは,なんと勿体ないことだろうか。

2009年1月24日 (土)

ラッキーナンバー7

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2006年製作のこの作品,豪華キャストに惹かれて,リリースされてすぐにDVDで鑑賞したけど,記事はアップしてなかった。久々に観たらやっぱり最高に面白くて。

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最初は唐突な殺人とか,登場人物の人間関係がつかみにくくて,ちょっと戸惑うけれど,テンポ良く進んでいくので,物語に置いて行かれることもない。

人違いされた哀れな青年の,巻き込まれ型のクライム・サスペンスかと思いきや,・・・違った。これは,どんでん返しものに分類されるサスペンス。この手の映画に目の肥えた方なら,オチはけっこう早い段階に読めるかもしれないので,ラストのどんでん返しで「おおお~」とはならないかも。 

しかし,この作品の魅力は,オチがわかったときの衝撃度で計るものではないと思う。ある程度,予想可能なネタだし,ラストで一気にネタをばらすのではなく,物語中盤から少しずつ小出しにばらしていってくれる。「もしかして・・・?」と思わせておいて,最後の20分くらいで,全てのネタを完全にばらしきってくれる。

この映画,そのラストでのネタばらしの「見せ方」がいいのだ!テンポよく一気に,それまでにあちこちに提示されていた伏線を,余すところなく明らかにしてくれるのだが、その「見せ方」がすごくわかりやすい。観客の頭のなかで,「ああ,あれがこうなってああなって,あのときのこれは,こういうことだったのか!」と,順序よくパズルのピースがカチカチと音たててはまっていけるように,見せる順番や間の取り方を計算しつくしている。
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すべての謎がきれいに残さずとけて,
ハイ,ゲームオーバー!

これは気持ちよかったー。
消化不良もおこさず,爽快な気分になった。

俳優陣は一流。脚本のすばらしさで出演をOKした大物もいるとか。なるほど,この脚本なら納得だ。

対立するギャングのボス,キングスレーとフリーマンの対決のシーンは圧巻だが,撮影の日は,オフのスタッフも全員,二人の演技を見学にきたそうな。当然ですな。

そして,主演のジョシュ・ハートネットは,これまで素朴なあんちゃん役が多かったけど,いつのまにか味のある,いい俳優に成長してきましたねえ。前半のちょっとトボケた感じの不運な青年の雰囲気もよかったが,後半にガラリと雰囲気を変えてからの彼のカッコよかったこと!
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そしてブルース・ウィリス!
この作品では,「寡黙でミステリアスな殺し屋」やってます。ダイ・ハードのマクレーンとは雰囲気が別人。知的でクールで凄みがある。殺しまくるのは同じだけど。最後に美味しいところ全部持っていくような,そんな粋なキャラだ。
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この作品,部屋の調度類や壁紙などもスタイリッシュだし,主人公やヒロインのファッションもお洒落,そしてシーンシーンにぴったりな音楽もとてもいい!エンドロールの「カンザスシティ・シャッフル」最高にしびれる。歌詞になにか意味はあるのかな?「みんなが右向く時に左を向く」って,ウィリス演じる殺し屋グッドキャットが昔,雇い主の命令に背いて取ったあの行動のことなのか?

2009年1月21日 (水)

一周忌

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彼が去って,はや1年が過ぎた。
明日は一周忌。
もうこの世にいない彼に,また逢いたい一念で
出演作品のスクリーンを追い続けたこの1年。

作品を観るたびに
スクリーンに鮮やかによみがえる,彼の笑顔,彼の声。
不器用なイニスの,遠慮がちな微笑みや
悪魔の化身のようなジョーカーの笑い声。

彼が演技に注いだ熱い情熱や,その際立った才能。
まさしく,名優として名をなし,
世界から称賛を受けるべきひとだった。 
あんなにも早く,天に召されさえしなければ・・・・。

ヒース・レジャー。
2008年1月22日逝去。享年28歳。

2009年1月19日 (月)

天上の恋人

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引き続きリウ・イエの出演作品ということで鑑賞。
舞台は,山の郵便配達の時のような,中国の山岳地帯。そこで暮らす耳の不自由な青年と,口のきけない少女との純愛物語。

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リウ・イエの演じたチャークァンの素朴さも心に残るが,ヒロインのユイチェンを演じたドン・ジェの可憐さには目を見張るものがある。シンプルなお下げ髪に,透き通るようにみずみずしい肌。口のきけない少女,という設定なので台詞はもちろんないが,素直でしとやかなその表情が,なんともいえず美しい。

一方,リウ・イエの演じたチャークァンは,幼少時に爆破事故で耳が不自由になった青年だが,その天真爛漫すぎる表情や,不器用そうな動作を見る限りでは,知的にもなんらかの軽いハンディキャップがあるような感じも受けた。彼の笑顔は,無邪気そのもので,一点の曇りもない。
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リウ・イエの屈託のない笑顔には,いつもひきつけられるが,どの作品でも同じ笑い方をしているか,というとそうでもなく,演技派の彼は,役柄によって微妙に笑顔を変えているように思う。藍宇の時の無垢な笑顔も心に沁みたが,このチャークァンの笑顔は,それ以上に開けっぴろげで,まるで幼児のように純粋だ。

物語に描かれている恋は,両思いではなく片思いばかり。
チャークァンのチェー・リンへの想い。
そしてユイチェンのチャークァンへの想い。

恋する相手は自分の方を見てくれず,別のひとを想っている。チャークァンが,健気なユイチャンを振り向けばよいのに・・・・お似合いの二人だと思うだけに,もどかしくて切ない時間が過ぎてゆく。
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この物語のもう一つの主役である,中国の山村。
「天上の恋人」という題が示すように,そこは限りなく空に近い辺境の村。雲でさえ遥か眼下に横たわる,まるで空中に浮かんでいるかのような村。そこに暮らす人々の,つつましい自給自足の生活ぶりは,私たち日本人が,もはや失ってしまった素朴さや豊かさに満ちている。
ユイチェンの土間での炊事風景。
クジで当たったという自転車を,宝物にするチャークァン。
大嵐のあとの,壊れた屋根を一家総出で修理する風景。


とりわけ心に残ったのが,チャークァン父子とユイチェンの3人が,チェー・リンの家に求婚に行き,中庭で求婚の歌を朗々と歌う場面だ。

山歌」というのだろうか?中国の伝統的な歌のようだが,その素朴で伸びやかな調べと,独特の節回しは心地よく,姿を見せないチェー・リンの耳に届けとばかりに,懸命に声を張り上げるチャークァンとその父。傍らで鼓を打って伴奏するユイチェンの姿は胸を打つ。・・・結局,彼らの願いは叶わなかったわけだが。
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やがてチェー・リンが恋人の子供を身ごもっていることを知って傷つき,チャークァンは一時姿を隠してしまう。服に「チャークァン(を探しています)」と大きく書き,彼を探して歩くユイチェン。再び村に帰ってきたチャークァンは,ユイチェンの美しさに初めて目を止める・・・・。ようやく二人の間に何かが起こりそうな予感に,思わず胸が高鳴る。

しかし,チャークァンがチェー・リンを肩車して、楽しそうに金木犀を取っている光景を目にしたユイチェンは,二人が結ばれることを願いながら,黙って自分は村を去る決意をする。
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ユイチェンはここで身を引いてしまって終わるのかな?と思いながら観ていたら,その後になんとも荒唐無稽なラストが待ち受けていた!・・・・・こんな展開とは!いやはや。
いきなり邪魔者は,メアリー・ポピンズ状態で彼らの前から去ってしまい・・・・

すごいなぁ,よく考えついたなぁ,こんなラスト。
この作品のラストが評判悪いのは聞いていたけど,なるほど。それまで,地味だけどほのぼのと地に足がついた純愛ストーリーだったのが,一気に妙なファンタジーになってしまったかも。

このラストだけは,どうにも褒めようがない気もするのだけど,物語の雰囲気や主演の二人のみずみずしい演技はとてもよかった。

しかし,あのままユイチェンが身を引く,というラストにしてもよかったような気も。悲恋ではあるけど,その方が自然だ。

2009年1月17日 (土)

12人の怒れる男

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1957年製作の密室映画の金字塔「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督)のロシア版リメイク作品。監督はニキータ・ミハルコフ。ヴェネチア国際映画祭で特別獅子賞を受賞し,アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた作品だ。

私はオリジナルのファンである。
ルメット版の映画はもちろん,1997年にTV映画としてジャック・レモン主演で製作された「12人の怒れる男 評決の行方」もビデオで観た。「映画は脚本が命」という証明のような素晴らしい作品だと思う。(邦題のセンスもいい。)

で,今回舞台をロシアに設定してリメイクされたこの作品も興味しんしんで,DVDリリースを待ちかねてレンタルしたのだが,オリジナルの脚本に骨子は忠実でありながら,現代ロシアの問題を随所に盛り込んだ,たいへん面白く見ごたえのある作品になっていて,世界的にも高い評価を受けたのは納得。

この物語は,義理の父親殺しの罪に問われている少年の裁判で,12人の陪審員たちが評決を出すまでの物語だ。当初は圧倒的に有罪に傾いていた陪審員たちが,たったひとりの陪審員の,「無罪では?」という意見を皮切りに,さまざまな議論を戦わせる。

物語が,討議が行われている一室のみでほとんど進行する密室劇にもかかわらず,次第に白熱する議論や,その中で徐々に浮かび上がってくる12人それぞれの人生の軌跡や価値観,シーソーゲームのように二転三転する評決の行方など,最後まで緊迫した展開から目が離せない。
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オリジナルでは,被告はスラム街に住む少年だったが,このロシア版ではチェチェン人の孤児が,ロシア人の義父を殺害した,という設定だ。まさに現代ロシアの内情を如実に反映している。陪審員として登場した12人の男たちの全員が恰幅のよい,垢ぬけないおっさんである(慣れるまで見分けるのに苦労した)ことも,そして討議の会場が裁判所の隣の小学校の体育館であることも,スマートだったオリジナルと比べて,なんだかロシアっぽい。

この12人の陪審員が物語の進行につれて,それぞれ自論や自分の体験をかわるがわる述べるのだが,それらがいちいち圧巻だ。・・・・どの人も,すごく芝居ががった身振り手振りで力説する。彼らが語る話のなんとまあ濃いこと!「怒れる男」という物語だが,オリジナルと比べて,怒り方の迫力のあること!激昂した彼らの口から唾が飛ぶのが,何度も映像に映るほど。なるほど,これがロシア人気質というものだろうか?

そして彼らの語る事柄から,次第に浮き彫りにされてくる,現代ロシアならではのいろいろな問題・・・・多民族国家ゆえの偏見の存在や,多様な価値観による混乱,新体制への不満などが,非常に鋭く,そしてまたわかりやすく描かれていて興味深い。ここらへんは,オリジナルよりずっと奥の深いものを秘めていて,単なるサスペンスではなく,重厚な社会派ドラマのようだ。それにしても12人全員,みごとにキャラが立っていた。おそらく演じたのは,ロシア映画界の名優ぞろいなんだろう。

特に印象に残った陪審員は・・・・
12_cast_img1 陪審員①
一番最初に少年の無実を主張した人。過去にどん底を味わった体験を持ち,つねに冷静に物事を判断しようとしていた。

12_cast_img4 陪審員④
ユダヤ人で,思慮深い。二番目に無実を主張する。彼の父親のエピソードは興味深かったなぁ。仰天するような展開になるたびに,「面白い」と合いの手を入れていた。

12_cast_img5 陪審員⑤
素朴で粗野で,人の意見に左右されやすい人のよい人物。彼がオーバーな身振り手振りを交えて叔父の話をしながら,目薬みたいな薬を,最初は鼻に点し,次に目に点し,最後に両耳にまで点した時は(同じ薬を!何なんだ,あの薬)驚いた。

12_cast_img7 陪審員⑦
被告の少年と同じカフカス出身の外科医。苦労してロシアの医大を出た。チェチェン人を蔑視する考えには強い反発を示す。彼が中盤に披露した,ナイフを自在に操る技は超カッコイイ!

12_cast_img3 陪審員③
少年の有罪を最も強く主張していた人物。外国人にたいする偏見が強く,闘争的な性格。しかし最後に彼が意見を変えたときに語った息子との確執のエピソードには心を打たれた・・・。丹波哲郎にちょっと似てた。

12_cast_img2 陪審員②
討議の司会を務める元軍人。冷静で口数少なく皆をまとめていたが,終盤になってにわかに強烈な存在感を示す役。演じるのはこの作品の監督ミハルコフ。

この作品,ラストの結末は,なんとオリジナルとは違う味付けがなされていたことにも驚いたが,その理由も,現代の世相を反映しているといえる。

いやはや,感動したし,圧倒されたし,すごく面白くて,固唾を呑んで展開を見守ってしまった。オリジナルのファンの方にも,オリジナルを知らない方も,お勧めできる素晴らしいリメイクだと思う。

2009年1月13日 (火)

THE PROMISE/無極

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これは,公開当時に劇場で鑑賞したけど,あまりにも予想していた作風と違うことにがっかりして,セシリア・チャンの人間凧のシーンで,それ以上我慢できなくなって,劇場を途中で出た記念すべき作品である。(口直しに観たのが「フライト・プラン」。こっちもイマイチだったけど。)・・・なのに鬼狼(雪国の刺客)を演じたリウ・イエ君のファンになってから,このたび鑑賞しなおし,そのうえDVDを購入までしてしまった・・・・。(単純)
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いや〜,あらためて見直してみても,作品全体に対する困惑感というか・・・感動していいものやら笑っていいものやら判断がつきかねる,あの妙な感覚は同じだったんだけどね。これが,さらばわが愛/覇王別姫チェン・カイコー監督作品だと思うから余計に,困惑感がつのるのかもしれないけど。(どうしちゃったん?とか)

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コメディではもちろんないのだけど,笑えるシーンは,大いに笑った方が楽しめる作品だ。「大まじめに演技してる役者さんに悪い」などという遠慮は,この際無用。
仮装大賞のような衣装や髪型,真田さんがコマのように回転する戦闘シーン,いくらなんでもやりすぎの胴上げシーン,チャン・ドンゴンの猪走り,セシリアの人間凧,ニコラスの指差し棒。そして饅頭の恨み(なんというくだらね~理由)・・・・・挙げればキリがないくらい楽しいではないか。

しかしもちろん見どころがないわけではなく,映像の色彩感覚は,さすがチェン・カイコー監督ならではのものだ。彼の作品の赤の美しさには毎度,息を呑む。
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そしてキャラに関して言えば,ニコラス・ツェーの演じた北の侯爵さまは,映画史上でも「最も美しい悪役」のひとりではないだろうか。小憎たらしいにもかかわらず,見とれてしまうほどの美しさ。白皙の額にハラリとかかる,ふた筋の黒髪。その邪悪で妖しい眼差しには,ついくらくらとしてしまう・・・・。とは言え,あの金の指さし棒や,人を信じれなくなった理由などを考えると,笑えるキャラであることには間違いないのだが。(指差し棒が折れて狼狽する様子はかなり笑えた)

三人の男の運命をも惑わす「傾城」を演じたセシリア・チャン
絶世の美女という役柄だが,美しさはともかく,あの意地悪そうな雰囲気はどうにかならなかったものか・・・・・?彼女をひたすら愛した真田さんやドンゴンさんが哀れに思えるくらい・・・性格に魅力がない。まあ,ラストは彼女に同情もしたけど。
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チャン・ドンゴンの演じた奴隷は,素朴で純情で,自己犠牲をいとわないキャラ。最後の場面の彼の決断は泣ける。しかし,その場面よりも何よりも,この物語の彼の見所はやはり,あの,お粗末CGによる,ばびゅーん という「走り」!  ご主人様を背負ってどこまでも,風よりも光よりも速く,走る走る、走る・・・・。大真面目なシーンなのに,やはり笑えてしまうところが少し悲しい。

そう言えば,私が公開時にこの作品を観に行った目的は,ドンゴンさん目当てだった。あの頃彼のファンだったから。涙をいっぱいたたえたドンゴンさんの瞳の美しさには,今でも胸がキュンとなるよ・・・。

はじめはエロくて嫌な奴だが,後半からは,初めて女性を愛した男の切なさが全開の大将軍を演じた真田さん。美女に骨抜きにされた彼がまとう桃色の花柄模様の着物は,観てて気恥ずかしいほどだが,完璧な中国語を操るところはさすがプロだ。
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そして哀しすぎる宿命を背負った,
黒衣の刺客を演じたリウ・イエ

脇役ではありながら,その哀れさゆえに強烈な印象を残すキャラだ。苦痛に満ちた表情ばかりで痛々しかった彼が,最後に黒衣を脱ぎ捨てる決心をし,「自分に申し訳ないことをした」と言う時,初めてその表情が,まるで灯がともるように明るくなる,あの場面は胸が詰まる。
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↑素顔はこんな人

ストーリーそのものは,運命?それがどうしたって?あはは・・・・ψ(`∇´)ψという点もあるけど,今回再見してみてなかなか楽しかった~。劇場を退出したのは早計に過ぎたかしらん?これ,大画面で観る方がいい作品だよね・・・・?いや,大画面だと,やっぱりCGのお粗末さが目につきすぎるかな?

  

2009年1月 9日 (金)

トウキョウソナタ

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ボクんち 不協和音・・・・
カンヌ 国際映画祭「ある視点」部門で,審査員賞を取った作品ということで,ミニシアターにて鑑賞。家族とは?人生とは?といろいろ考えさせられる秀作だった。

香川照之さんがお父さんを,小泉今日子さんがお母さんを演じる,中流家庭の崩壊と再生の物語。まず最初に驚いたのが,冒頭のお父さんのリストラシーン。それに続く,長蛇の列のハローワークや,公園での失業者対象の炊き出しのシーン。この作品が製作されたときは,まだ今ほど深刻な金融危機は起こってなかっただろうに,まるでこの年末の光景をそのまま映し出しているようで,観ていてとてもリアルで,辛いものがあった。

この,お父さんのリストラを契機に始まる
佐々木家の崩壊。

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父親の権威に固執するお父さん
お父さんが箸をつけるまでは,誰も食べることができない食事風景には驚いた。当然リストラされたことも,家族に言えないお父さんは,息子たちのやりたいことを,ことごとく反対して父親の権威をふりかざそうとする。

いまどき珍しいくらい良妻賢母なお母さん。
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鞄を片手に夫を玄関まで見送り,家事も文句一つ言わずにきっちりこなし,どんなときも穏やかに家族と接する,理想的なお母さん。彼女は夫のリストラを知りつつも,それを夫に言わない。夫が実質のない「父親の権威」にすがりついていることも,息子たちの心が父親から離れていることもうすうす感づいていながら,まるで,なすすべのない傍観者のように,家族を見守るしかないお母さん。冷静なようでいて,実は家族の中で一番ストレスを抱え込んでいるのは彼女かもしれない。

そしてふたりの息子たち
突然アメリカの軍隊に入隊すると言い出す長男の貴と,反対する親に内緒で,ピアノ教室に通う次男の健二。反抗的というほどでもないが,けっこう好き勝手にやってるように見える長男に比べて,次男はトラブルを恐れるあまり,心を閉ざしがちなタイプのように見える。

物語の前半は,この家族の日常が丁寧に描かれる。
家族であるのに本当のことが言えないもどかしさや,実はみんながバラバラの方向に向いている危うさ。
淡々とした描写であるのに目が離せない。それは,それぞれの抱えている「家族ならでは」の問題に,自分も大なり小なり共感できる要素があって,なんとも言えない切なさがこみあげるからかもしれない。「うんうん,そういうことって,あるよね・・・」とたびたび頷きたくなってしまうほどに。

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しかし,中盤になってこの作品は,いきなりがらっと様相を変える。
それまでじわじわと崩れ始めていた佐々木家が,なんとハリケーンに襲われるみたいに,一気に崩壊の危機を迎えるのだ。

強盗の人質になって逃避行するお母さん。
大金を拾ったものの,走って走って車にはねられるお父さん。
プチ家出の真似事をして警察に拘留される次男。


・・・・どれもありえない展開。
それも三つの事件がいっぺんに起こるってあまりにも非現実的・・・。渡米して留守の長男を除いた三人は,思い思いの方向へと暴走する。まあ,抱えていたストレスの大きさを考えると,お母さんの,まるで人が変わったかのようなヤケクソぶりは,十分納得できたけど。ちょっとやそっとのことでは動じない冷静さも,今まで自分の感情を抑え続けてきた鍛練(?)の賜物かもしれない。

あとで知ったが,この監督さんは,ホラー作品お得意だそうで,いきなり予測のつかない展開を繰り出すやり方は,まさにホラー作品の常套手段なのかもしれない。再生のためには,一度とにかく破天荒にぶっ壊す必要があったのか?

そして一夜明けて・・・彼らはヨレヨレになりながらも,なんとか家に戻ってくる。三つの事件から三人ともが,ともかく無事に生還してきたのが,素直に「よかった」と思えた。涙ながらの告白シーンも感動の抱擁シーンもなく,(お互いにどこにいたの?とか問い質す気力もないのかも)再び淡々と食卓に向かう彼ら。まるで荒療治の後に憑き物が落ちたかのようだ。「帰る場所はやはりここしかないのだ」という思いを,三人三様に抱いたのだろうか。
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ラストの次男のピアノ演奏のシーン。
試験会場に冴え冴えと響き渡る,ドビュッシーの「月の光」が心に沁みる。その目に涙を浮かべるお父さんは,反対していた次男の音楽学校への進学を,今では応援する気持ちになっている。寄り添うお母さんの優しい顔には,以前のような諦めの表情は見られない。そして物語は静かに幕を閉じる。

綻びや,つまずきのない人生はなく,何の悩みのない家庭もきっと存在しないだろう。・・・・それでも,たとえどんな状況からでも,その気になれば,ささやかな再スタートは可能なのかもしれないと,そんなことを感じさせてくれる物語だった。

名優,香川照之さんの上手さは言うまでもないが,普通の主婦をじっくりと演じた小泉今日子さんも素晴らしかった。そして,次男を演じた井之脇海くんがこれまたいい。成長すれば,椎名桔平さんみたいにカッコよくなりそうな,雰囲気のある少年だった。

あ,最後に,まるで友情出演のような役所さん!
・・・・あんな役だけど,妙にハマってました~。

2009年1月 6日 (火)

K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝

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新春の劇場鑑賞映画第一弾に,明るく痛快なこの作品を選んで,やはり正解!お正月そうそう爽やかな笑いをいっぱいもらえた。

あらすじ: 極端な格差社会の架空の都市“帝都”では、富裕層のみを狙い、美術品や骨董品を鮮やかに盗み出す“K-20”こと怪人二十面相が世間を騒がせていた。ある日、サーカスの曲芸師・遠藤平吉(金城武)は、財閥令嬢・葉子(松たか子)と名探偵・明智小五郎(仲村トオル)との結納の儀に潜入して写真を撮ってくる依頼を引き受ける。(シネマトゥデイ)
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まんまと罠に落ちて二十面相の濡れ衣を着せられてしまう平吉が,身の潔白を証明しようと本物の二十面相相手に奮闘し,最後には・・・・という和製バットマンのような物語だった。

アメコミヒーローものの香りがするだけあって,アクション等は劇画チックな面もあり,全体的にとても軽妙な冒険活劇に仕上がってる。舞台は日本のようであって現実の日本でない架空の都市で,そこでは第二次世界大戦は避けられ,未だに階級による格差が存在している・・・という独特な世界観だ。

風俗は昭和20年代くらい?「ALWAYS 三丁目の夕日」のスタッフが手掛けたという映像は,美しくノスタルジックだ。冒頭にこの世界観の説明がテロップで流れた地点で,スッと肩の力が抜けた。もう最初から,お伽噺を楽しもうというワクワクする気分が生まれる。
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はからずも二十面相と対決する羽目になる平吉。
演じる金城さんの天然キャラが今回もいい味を出して,「悩めるヒーロー」ではあるのだけれど,そんなに悲壮感は漂わず,自然体で軽やかでトボケた感じが可笑しくて魅力的。

彼が泥棒修行の指南本に従って,障害物を飛び越えたり乗り越えたりして,「街中を直線に走る」シーンは大好き。上手くできたときの「すごい!俺!」と無邪気に喜ぶ金城さん,もとい平吉ってなんてカワイイ!

あと,平吉はサーカス時代から白鳩を可愛がってて手元に置いてるのだけど,これはどうしたってレッドクリフ孔明を思い出してしまった。ラストはレッドクリフのように大空に鳩を飛ばしたりして・・・・。(医者の扮装をした平吉が鳩に聴診器当ててるシーンは可愛かった)
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とにかくこの作品の素晴らしいところは,思い切った映像や世界観もだけど,魅力的なキャラクターにもあると思う。ヒロインの羽柴葉子を演じた,松たか子さんもとってもキュートだ。お嬢様キャラの多い彼女は,私にとってどちらかというと苦手な女優さんだったけど,この作品の彼女のコメディアンヌぶりはよかった。明智を悩殺しようとソファに横たわるシーンの可愛らしさは必見。

平吉とコンビを組む相棒の源治役の國村隼さんもいい!しがない泥棒風情にしては,何でも出来すぎだけど,平吉のために仕掛けの小道具を作るところとか,バットマンのモーガン・フリーマンやマイケル・ケインの役どころのようだ。平吉との掛け合い漫才のようなやりとりも随所で笑える。
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二十面相の狙いとして登場するニコラ・テスラの装置プレステージでも出てたな~)も,バカバカしさといい,スケールの大きさといい,この物語にはぴったりだった。

二十面相の正体は・・・・私は途中で小林少年が怪しい!とか本気で思っていた。だって,あの子,いかにも胡散臭かったですよ~,表情が。・・・・でも違ったけど。

アクションも邦画としてはかなり見ごたえあり!金城さん,どこまで自力でやったのかな?まさか全部じゃないよね。絶対当たる筈の弾が当たらないのはあり得ん!とかいうつっこみは置いといて,とにかく凄くかっこよかった。普段の平吉の優しさや天然さとのギャップがいいね~。

私は本来はこのジャンル(アメコミとか冒険活劇)は,あんまり優先しては観ない。この手を観るのは,主演俳優が好きなときだけに限られるのだ。でも最近は,思わぬイケメン俳優さんがアメコミに出てくれるので(ノートンとか),彼らにつられて観る機会が多くなってきて,守備範囲が広がったのは喜ばしい限りである。 今回はもちろん金城さん目当てに観たが,彼だけでなく,いろんな面でとても楽しい二時間半を過ごせて,得した気分になった~。
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おまけ画像
クリックすると大きく表示されるよん

2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとう!

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2009年も,当ブログをよろしくお願いいたします。
映画好きな方,猫好きな方,
どんどん楽しくおしゃべりしましょうね!

ちなみに・・・・今年の私の新年のちかい
いつも笑顔 です!
最近,険しい顔ばかりしている自分に反省。
気がつくといつの間にか,口角が下がってる!
昨年後半,個人的にかなり大変なことが
いろいろと重なったせいもありますが。

こんな不機嫌そうな顔を見せられる他人もイヤだろうな~と。
内心はともあれ,顔だけでも微笑む習慣をつけたいですね~。

心は表情のあとからついてくる場合もありますし。
周囲の方に不快感を与えない自分でありたいです(難しい!)
とりあえず笑顔,笑顔!ストレス解消の秘訣ですね。
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今年は暖かいお正月。

みなさま
楽しい休日をお過ごしください。

今年もよい年でありますように!

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