花様年華
おそらく,映画史上,もっとも抑制された濃密なエロスの漂う作品のひとつ。私は確かこれで,トニー・レオンのファンになった。
舞台は1962年の香港。
それぞれの配偶者に浮気をされていたことを知った,隣同士の部屋に住む男と女。互いに強く惹かれ合いながらも,どうしても一線を越えることができない,大人の男女の恋物語を,トニー・レオンとマギー・チャンが演じた。
この作品,ベッドシーンはおろか,キスシーンすらないのに,秘めた恋情が醸し出す官能は,めまいを誘うほどに匂い立つ。髪をぴしりとポマードで固めたトニーがまとうスーツと,後頭部を高く結いあげた髪型のマギーの着る,美しいチャイナドレス。・・・・一分の隙もない二人の服装は,まるで一時の激情に流されまいとする,彼らのストイックで強い意志を表わしているかのようだ。
この時代の香港の住宅事情はよくわからないのだけど,二人はアパートというより,下宿屋,という感じの建物に間借りしているので,親密になれば,大家の婦人をはじめ,他の隣人などの大勢の人目につく。彼らは,トニーが小説を書くために借りた部屋で逢引するが,夫や妻のように,簡単に不倫関係を結ぶことはできない。
・・・・・握り合う手と手。・・・抱きしめる背中。涙と告白。
しかし,そこから先には一歩も進めないふたり。
大人であるからこそ,
感情に身をまかせることができない辛さを感じる。
カメラは二人のやりとりと表情を追い続け,徐々に高まってゆく互いを欲する思いは,いつ飽和状態に達して弾けてもおかしくはない。しかし,・・・やはり彼らは踏みとどまるのだ。赴任先のシンガポールへ,「一緒に来ないか」と彼女を誘うトニー。マギーの「一緒に行くわ」という答えは,彼女の心の中でだけ,そっと呟かれる。
この物語のトニー・レオンの雰囲気ってすごく好きだ。
物腰が柔らかで,想いを胸に秘めている男。漂うストイックな哀愁。優しさと痛みが交錯する表情が,何ともいえない。こういう知的で,奥ゆかしくて,どこか「耐えている」男って理想なんだけど。
妻に浮気され,愛した女性とは結ばれず・・・・情けないといえばそうなのだけど,トニーは不思議とこんな役がよく似合う。こんなに物静かで優しく,手のかからない夫なのに,なぜに妻は浮気なんか・・・・しかし,こんな夫だからこそ,裏切られるのもまた,世の常なのかも。
カンボジアの朽ちた寺院で,
秘めた思いを壁の穴に向かってささやくトニー。
いったい彼は,どんな台詞を,どんな思いで口にしたのだろう。
そして同じように心に焼き付いて離れないのは,成熟した女性のたおやかな美しさを満喫させてくれる,マギー・チャンのチャイナドレス姿。幅広のカラーに包まれた,白鳥のようにすんなりと伸びた首と,しなやかな二の腕。鎧をまとったような硬さを感じさせつつも,夫に裏切られた哀しみからか,時折はっとするほど,無防備な弱さを見せ,そのギャップがとても危うい色気を醸し出すマギー。
彼女が,美しい柳腰を優雅に揺らしながら,
狭い通路を歩くシーン。
朱色と黒,グリーンが多く使われた画面。
夜更けの街頭の裸電球を,激しい飛沫で濡らす雨。
物陰にひっそりと,無言で寄り添う男と女。
トニーのくゆらせる煙草から,ゆらゆらとたちのぼる
絹のような紫煙までが,なまめかしい。
・・・・そう,すべてが官能的でたまらなく美しい作品だ。
まさにこれは,
大人のための極上のラブストーリー。
特典ディスクのメイキングを観たら,トニーとマギーが一線を越えちゃうバージョンもあったことがわかって軽く衝撃を受けた。・・・・・よかったぁ。そのバージョンが使われなくて。この作品の魅力って,やっぱり大人のプラトニックラブゆえ生まれるエロスにあると思うから。カーウァイ監督,思い切ってバッサリとカットするなんて,やっぱ凄い。・・・・トニーとマギーが下着姿で踊るシーンは,かわいくて素敵ではあったけど。
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ななさん、こんばんはー。
わかります、わかります!私もこの作品でトニーのファンになりましたよ!トニーの煙草の煙が立ち上っていくシーンの美しさにやられました。
この作品のマギー・チャンも美しいですよね。チャイナドレスがよく似合っていて。この映画を観るまで私の中のマギー・チャンのイメージって、ジャッキー・チェンの映画でいつも悪者にさらわれ「ジャッキィー!」って叫んでるイメージだったんですよね(爆)。
投稿: mayumi | 2008年12月11日 (木) 23時11分
mayumiさん こんばんは
コメント嬉しいです~!
私はトニーの作品,確かこれの前に
「恋する惑星」を観ていた記憶があるのですが
そのときはそんなにぴんとこなくて・・・
この「花様年華」のオトナなトニーにノックアウトされましたわ。
そのあと,「ブエノスアイレス」や「インファナル」を観て
ますます好きになりましたね。
マギーはジャッキーの映画でのキャラは観たことがなくて
「宋家の三姉妹」が初見だったかな?
私の中ではいつも彼女は知的な美女だったわけですが
この「花様年華」の彼女はまさに咲き誇る花のような美しさでしたね。
投稿: なな | 2008年12月12日 (金) 21時26分
こんにちは!
なつかしい映画だなあ。
このときはトニー・レオンのことまったく知らなくて・・・
大人過ぎる内容に、あまり覚えてないのよ^^;
私が子供だったのかも・・うぅぅ
マギー・チャンのチャイナドレス姿が印象に残ってます。
あと街角の風景ね、
投稿: アイマック | 2008年12月13日 (土) 15時34分
アイマックさん こんばんは!
なつかしい・・・でもまだ8年前の作品ですよ~
私もでも8年前はトニーのことほとんど知らなかった・・・
>大人過ぎる内容に、あまり覚えてないのよ^^;
そうそう,こんな大人でムーディな恋をしてみたいと思いました。
これのトニーのような雰囲気の男性って
個人的にはすごく理想なんですよ。寡黙で優しいタイプね~
街角の風景もなんとも言えませんよね
石造りで,夜で,おまけに雨が降ってて・・・
ううう,たまりませんわ。音楽もね~。
投稿: なな | 2008年12月13日 (土) 20時01分
こんばんは♪
官能的なシーンがないのに、それ以上の色香が漂う作品でしたね。
ななさんが挙げてくださったマギーの百合柄ドレスとカーテンの写真、
私はまさにあの色彩の調和に見とれてしまいました。
何度か観たら芸術的な広がりも、もっと楽しめそう。
そうそう、こんなに素敵な二人なのに、なぜ配偶者に裏切られることになったのでしょう。
トニーを裏切るなんてとんでもない女だ!(笑)
2人が結ばれるバージョンがあるとは驚きです。
やはり、なくてよかったですね。
(でもちょっと観たいのも本心:笑)
投稿: 孔雀の森 | 2010年4月20日 (火) 19時10分
孔雀の森さん こんばんは
触れなば落ちん風情というのが
これほどまでに官能的だとは。
同じ物語を西洋で作っても
ここまでのエロスは出なかったでしょう。
やはりそこらは
東洋の男女のたおやかな色気の賜物でもあります。
>2人が結ばれるバージョンがあるとは驚きです。
そうなんですよ~
特典ディスクにそんな未公開シーンが。
でもカットして正解でした。
プラトニックだからこその切なさと色気ですものね,この作品は。
投稿: なな | 2010年4月21日 (水) 00時31分
この映画 トニーみたさに見ました。恋する惑星 悲情城市で彼のファンになりました。このトニーも本当に素敵でした。マギーと一緒にいてるシーンが本当に絵になっている 大人の色香がプンプン 後もう少し ギリギリの所でお互いを踏み留めてるのが 反対にセクシャルでしたね。
投稿: ニャ~ | 2011年3月 1日 (火) 02時03分
ニャ~さん こちらにもありがとう~
これも大大好きな作品です!
ホントに私はこれでトニーに出会ったので・・・
もうもうひとめ惚れ状態でした。
大人の男の哀愁や色気を演じさせたら
彼に敵う男優さんって
そんなにいないんじゃないかな~~
この物語,ストーリー設定も粋だし
音楽もとっても洒落てて傑作だと思いましたね。
でも一番の勝因はやっぱりキャスティングかな?
トニーとマギーって大人の恋愛には最高の組み合わせ!
投稿: なな | 2011年3月 1日 (火) 02時56分
今日は、全国的に暑くなりましたね。
体に変調をきたさないように注意しないと・・。
ななさんも、ゴールデンウィーク中に体調を崩されなかったようで安堵しています・・。
>アン・アーチャー
ガーン!(笑)
「ショート・カッツ」というオムニバス映画や「危険な情事」で、何度も観た好きなタイプの女優さんなのに・・。若いころの彼女は、ななさんと面差しが似ていますね。
エラそうに記しておいて、「恋におちて」の女優さんと同じだと、頭の中で上書きしていたとは赤面です・・。
ななさんは気遣って、似ていると書かれたけれど、似てないし(笑)
わが灰色の脳細胞も衰えたり!
閑話休題
この作品のテーマは「すれ違う人」ですね・・。
ウォン・カーウァイは、あまりにも耽美的過ぎて、ぼくにとっては些か苦手な監督でして、この作品の続編とされる、出なくてもよかった木村拓也がトニーと競演した「2046」は、映画館を出てからずうっと頭の中に?マークが飛び交ってましたよ(笑)
でも、この映画は完璧で文句のつけようがない・・。
ぼくは、コン・リーがずっと好きなので、ヒロインのマギー・チャンは、ぼくはあまりタイプではないのですが、この作品の彼女は素晴らしいですね。
トニーとコン・リー作品では「愛のエロス」(こちらも60年代が舞台)という短編もよかったです。
物語は、実に単純。
アパートの部屋が隣同士になった2組の夫婦の夫と妻が不倫をしている。
その片方同士の妻と夫が同病相憐れむというかシノゴノしている内に抜き差しならないお気持ちになってしまう・・・
最大の鍵は“一線を越えない”。
バービー人形のように、30着以上も着替えをしたマギーと並んで歩くとよくわかる、トニー・レオンの、大してない上背も
ハンサムな彼の醸し出す男の色気の前では何の障害にもならない。
2人の住むアパートの全体像がまったく伏せられて話は展開する。
これはもちろんカーウァイ独特のこだわり美意識そのもの。
彼らがどんな造りの建物に暮しているのかは
うっすらとしかわからない仕掛けになっている。
まるでシネスコの大きな画面が一昔前のTVサイズに映されて
いるかのようなギツギツの映像。
人と人がやっとすれ違えられるだけの狭い廊下、階段、奥まった厨房。
女主人がマージャンを楽しんでいるあの部屋はいったいどの位置なのか・・・
観せない。
把握させない。
不倫をしている男女の顔も意図して観せない。
ギリギリまで削られたせりふ・。
台本なしで仕事をするカーウァイは主人公たちの恋を、執拗なほどに抑えに抑えて描き込む。
甘美なロマンスをあっさりとすり抜けた、そこには哀しみに彩られた諦めがあるだけ。
その閉塞感で息苦しさを覚えたころ、絶妙な呼吸で流れ出る音楽と完璧なスローモーション。
ナット・キングコールの甘い歌声にのせて優雅に踊る。
はじめて外界の空気にふれる弱ゝしい蝶のように、
久しく囚われていた罪びとのように、アンコールワットの
遺跡のあの場所に、彼の“告白”を完遂させるために、
あの解放のために、あの厳粛なラストのために、
カーウァイは妖しくぼくたちに魔法をかけた・・・。
久々の鑑賞にも色あせない”切なさ”の魔力が、サラマンドラの粉のようにふりかけられた映画でした。
投稿: 浅野佑都 | 2017年5月19日 (金) 19時37分
浅野さん
この監督の作品ではこれが私的には一番好きです。
コン・リーさんも若いころはもちろん、年を重ねても味わいのあるいい役を演じておられますね。
投稿: なな | 2017年5月20日 (土) 11時13分