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2008年10月の記事

2008年10月31日 (金)

譜めくりの女

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とても静かに進行する復讐劇。
ヒステリックに相手を面罵するシーンも,流血の惨事もないのに,物語の底に一貫して流れる,復讐者の女性の秘められた怨念と,復讐への強靭な意志に,じんわりと鳥肌がたつ。いやー,怖い物語だ。でもこういう話,かなり好きだな…。

Cap012
主演の二人の女優さんの演技が素晴らしい。
静謐きわまる心理劇ゆえ,役者の演技力が頼りの作品なのだけど,復讐されるアリアーヌを演じたカトリーヌ・フロと,復讐するメラニーを演じたデボラ・フランソワの,表情の細やかな動きのひとつひとつから目が離せなかった。


特に興味を引かれるのは,メラニーのキャラクター。
彼女の復讐の動機を思うとき,「たったあれだけのことをそんなに激しく根に持つなんて!」と,誰しも違和感を覚えるのではないか?夢を断念させられた,といっても,また次のチャンスをつかめばよかったのに・・・と,何だか逆恨みのようにも思えてしまう彼女の発想と,その執念は,単に「一途」だとか「完璧主義」だとかいう言葉では片付けられない,不気味さがある。
Cap017
しかし,考えてみれば,この物語の真の怖さはそこにあるのかも。復讐されるアリアーヌの方は,もはや記憶にもとどめていないほどの,些細な出来事。それをここまで恨みぬいた人間がいて,何年も後に思いもよらない方法で復讐される・・・という設定は,平穏な日常にぽっかりと空いた落とし穴のようで怖い。

Cap002
きっかけになった出来事を忘れている,というか,少女だったメラニーにダメージを与えたという自覚すらなかったアリアーヌは,最後まで,自分が「復讐された」のだとさえ,気づかなかっただろう。彼女は,信頼しきっていたメラニーに裏切られた結果,夫の信頼までなくしてしまう,という手ひどい痛手を受けるわけだけど,それがメラニーの復讐だったとは想像もつかなかったのではないか?

それにしても,メラニーのとった方法って,心理的に相手にダメージを与えるには,最も効果的なやり方だ。信頼させて,かけがえのない存在になっておいてからおもむろに裏切る・・・。これほど残酷な手段はないのではないか?

メラニーがアリアーヌの夫の弁護士事務所に,実習生として入ったのも,彼ら夫婦の息子の子守りを買って出たのも,すべて冷静に計算してやったこと・・・。精神的に不安定なアリアーヌがメラニーに依存するようになり,ついには同性愛的な愛情を抱くようになることまでは,メラニーも計算しなかったと思うけど,結果的にアリアーヌの愛情は,メラニーの復讐を,より完璧なものへと導くのだ。
Cap029
どんな場面でも本心を見せず,あくまでもクールなメラニー。その謎めいたほほえみの下に,冷たい復讐の炎を燃やしている彼女は,決してあきらめず,意思を曲げることはない。
・・・・しかし,この執念と集中力と努力を,再度ピアニストにチャレンジするために使った方が,どんなにか有意義な人生を送れただろうにと思うのは,私だけだろうか?

完全な「道化」役を演じてしまい,最後に失神するほど心に深い傷を負うアリアーヌが哀れだ。復讐ものは,普通は復讐する方に感情移入して観ることが多いので,鑑賞後は,大なり小なり達成感が味わえるものだが,この作品はメラニーの恨みそのものに「?」な点もあったので,カタルシスはなし。・・・・さりとて,復讐されたアリアーヌに対しても,「気の毒に・・・」とか「いい気味」とか思えるわけでもなく。なんとも不思議な余韻が残った。

監督さんは音楽家だとか。常人とは異なる研ぎ澄まされた感性や情感・・・は芸術家特有のものだろうか。心の琴線にしのびやかに触れてくる物語だ。・・・それも触れられると痛みを感じる琴線に。

2008年10月27日 (月)

砂の器

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初めて観たのはリバイバル上映の時かな?劇場で,確か同じ松本清張さんの「天城越え」とセットだった・・・。それから何度,ビデオやDVDで観たことか。もう34年前の作品なのに,何度観ても,ラスト30分で号泣してしまう・・・。未だに,これを上回る感動を与えてくれる邦画に出会ったことがない。

解説:  ある日、国鉄蒲田操車場構内で他殺死体が発見された。被害者の身許が分らず、捜査は難航した。が、事件を担当した警視庁刑事・今西と西蒲田署刑事・吉村は地道な聞き込みの結果、事件前夜、被害者と酒を飲んでいた若い男の存在に行き当たる。今西と吉村の2人は東北なまりの“カメダ”という言葉を数少ない手掛かりに、男の行方を追う。・・・・(allcinema ONLINE)
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事件発生は昭和46年という設定。(万国博覧会の頃か)パソコンも携帯もない時代の警察の捜査が,いかに地道に足を使って,こつこつと進められていたのかがよくわかる。丹波哲郎が演じた今西刑事は,犯罪の動機解明のために,日本中を東奔西走する。

まず被害者の身元を明らかにするために,バーで話していたという「東北弁のカメダ」だけを頼りに秋田の羽後亀田まで聞き込みに。被害者が三木謙一だと判明してからは,彼が20年前に巡査として奉職していた,出雲地方の亀嵩や,旅行先の伊勢へ飛ぶ。(いや,飛ぶという表現は適切ではない。飛行機は使わずにローカル線で行くのだから)

そして捜査線上に容疑者が浮かんでからは,彼の過去を調べるために山中温泉や大阪へと。松本清張氏の原作は,この今西の一進一退する捜査によって,徐々に薄紙が剥がれるように,事件の全貌が明らかになっていく過程が,とても丁寧に描写されていて,たいへん読み応えがあった。特に東北弁に酷似した音韻が出雲地方でも使われる・・・という発見の箇所は,読んでいるこちらも少なからず興奮したものだ。
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原作は,確か映画より先に中学生の時に読んでいた。小説などあまり読まないバリバリの理系の父親が(理科の教師),「これは面白いから」と言って勧めてくれたのだ。父親のものだった「砂の器」はもうページも黄ばんでいたけど,夢中で読みふけり,それ以降私は松本清張氏の推理小説のファンになった。

映画でも,原作の緻密な捜査過程は,ある程度の省略はあっても,できるだけわかりやすく映像化してくれていたが,原作にはない映画の圧倒的な魅力は,何と言っても,美しく哀しくドラマティックな映像と音楽が一体化したラストの30分だろう。
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捜査会議と,犯人の演奏会と,父子の放浪の追憶シーン。・・・重厚で哀切な「宿命」の曲をバックに,この三つのシーンが絶妙に絡みあって迫ってくる,あの30分は,日本映画史上に残る名場面だと思う。

捜査会議の席上で今西刑事の口から語られる犯人の過去と,演奏会で「宿命」を奏でる犯人の脳裏に走馬灯のように浮かぶ過去・・・。それは,なんと悲惨で,言いようのないほど苛酷な過去だったろう。

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冷酷で自分勝手な殺人事件には違いないが,犯人の辿ってきた,凄まじいまでに哀れな幼少時の体験と,恩人を殺害しなければならなかったその事情・・・・とりわけ父子の絆を引き裂いた根強い偏見や差別を思うと,何ともやるせなく哀しい。

この父子の放浪シーンは,原作にはわずか数行しか触れられてないにも関わらず,ここの描写にすべてのエネルギーをつぎこんだ,野村監督はじめ製作陣の慧眼は,見事というほかないだろう。

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現代の日本には最早残っていないのでは,と思えるほど美しい,ひなびた田舎の四季折々の景色が心に沁みる。したたるような新緑のあふれる山道を,咲き誇る梅の林の合間を,そして寒風すさぶ荒涼とした砂浜の上を・・・・,遍路姿で寄り添って,とぼとぼと歩く哀れな父子連れの姿。思い返す度に涙がこみ上げてくる。

老練な中にも,人情にあつい今西刑事を演じた丹波哲郎さんはじめ,加藤剛さん,緒形拳さんらの名演にも唸らされる。特に父親役の加藤嘉さんには泣かされた。
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そしてまた脇役陣の豪華なこと!笠智衆さん,渥美清さん,菅井きんさん,・・・中には今はもう故人となられた方もおられるけど,これだけの名優が一堂に会するとは,何と贅沢なことか。この作品を見直すたびに,30年も前に,これだけの名作を世に送り出した日本映画界を誇らしく思うのだ。

2008年10月26日 (日)

ハンティング・パーティ ーCIAの陰謀ー

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実話ベースだと聞いてたし,背景にボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争があるし,もっと重い感じの,シリアスな社会派作品かと思っていたら・・・。

サイモン(リチャード・ギア)
が狙う,「とびきりの大物」フォックスとは,スレブレニツァの虐殺や,民族浄化を指揮したラドヴァン・カラジッチがモデルだそうで。かつては花形リポーター,今は落ちぶれて見る影もない彼は,再起を果たしたいという願いと,私的な復讐の意味もあって,無謀にもフォックス逮捕を目指す。

彼の仲間はかつての相棒カメラマン,ダック(テレンス)と新米プロデューサーの若者ベン(アイゼンバーク)。彼らは,半信半疑でサイモンに振り回されつつも,中盤からは本腰を入れてフォックス追跡の珍道中をともにする。

そう,「珍道中」と書いたとおり,彼らの追跡劇は,かなり笑えるジョークが散りばめられていて,シリアスなテーマ(訴えたいことはきちんとシリアスだ,一応)にも関わらずこの作品,軽妙なエンタメ作品になっているのだ。

野放しの一級戦犯の存在」という深刻な問題を扱いながらも,まじめなのか,ふざけているのか,・・・製作の意図について迷ってしまうような作品。痛快アクションも冒頭シーンだけで,予告編で期待したようなジャーナリスト離れした鮮やかな活劇を,彼らが見せてくれるわけでもない。(ここが一番肩すかし)
彼らはCIAと間違えられたり,謎の情報源とこっそり接触したり,拉致されたりと危険な目に会いまくるのだが,すべて「運のよさ」だけを武器に切り抜けていくのだから。
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それでも,実際にカラジッチを追ったレポーターの実話をもとにしてるから,ところどころに真実が入ってる,という構成が面白い。エンドロール前に出てくる「劇中のコレとコレはホントのことだから!」という種明かしに「へ~!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ」と驚く。

しかし,CIAも国連警察も捕まえられなかった(というかその気がない?)フォックスを,彼ら3人が首尾よく捕獲できるはずはないのだか,そこらへんは「現代の神話だよん」とうまく煙に巻いて,フィクションであることを匂わせながらも,それでも極悪戦犯のその後の処置なぞは,胸がすくような場面でもある。(目には目を!という悲願も入ってる?)・・・・でも調べてみたら,カラジッチは実際に,この夏めでたく逮捕されたらしいけどホントかな?

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中年の域を超えたリチャード・ギア。「最後の初恋」なぞで,まだまだラブロマンスの主役も張れる面も備えながら,こういう
崩れた役もしっくりハマるようになってきた。肩の力が抜けた感じで,いいなぁ~。この作品では彼のお尻が拝めます。

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そして,ほとんど主役と言っても過言ではないくらい,存在感のあるテレンス・ハワード。・・・この作品ではやけに若々しくカッコいいです。相変わらず瞳で語るいい演技をしていて,素晴らしい役者さんだな~。それにあんなに足が長いとはびっくり!

深刻すぎず,おちゃらけすぎず・・・締めるところとゆるめるところのさじ加減が,絶妙で,楽しく見ながらも,今まで知らなかった「国際社会のとんでもない本音と建前」についても知ることができる作品・・・かな?

2008年10月22日 (水)

アイアンマン

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遅ればせながら,観てきました。
ダークナイトでこの夏はお腹いっぱいになったから,アメコミヒーローものは,もういいや~,とも思っていたのだが・・・。でも,このアイアンマンは,従来のアメコミ・ヒーローとはちょっと一味違う面白さがあった。

予告編を観たときに,鋼鉄製の鎧みたいなのを着るだけでスーパーマンのように闘えるなんて嘘っぽ~い!と醒めた目でみていたのだが,主人公のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)が,兵器製造企業のCEOで,天才的な武器発明家である,という設定を知ると「それならアリかも・・・」と思った。

それに,彼がパワードスーツを作るきっかけになったのも,遊び半分でも何でもなく,アフガンで武装勢力に襲撃されて捕虜生活を強いられたから・・・というのも気に入った。その後の彼の転身ぶりもまた潔い。武器製造をきっぱりとやめ,単身で正義のために闘う・・・という姿勢が。

従来のアメコミ・ヒーローにありがちな迷いや苦悩なんか微塵も感じられないトニー・スタークの腹の据わり具合は,観ていて心地いいが,それはやはり彼が,海千山千のオヤジ世代だからか?パワードスーツを作り上げていく過程,そしてそれを試運転する過程は,こちらもワクワク・・・。
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観るまでは「ロバート・ダウニー・Jrがアメコミって?」といささか懸念もしていたが,オヤジのしたたかさと,少年の向こう見ずさを兼ね備えた雰囲気の彼は,まことに このトニー・スタークというヒーローにぴったりだった。
うん,このトニー,とってもイケル!

そして完成したパワードスーツを装着してデビューしたアイアンマンは!とにかく,バビューン!とマッハの速さで打ち上げ花火のように飛ぶアイアンマンの雄姿は「爽快!」としか言うほかない。なんだか思わず拍手したくなるじゃないか!ヒーローも,特殊能力などない普通の人間(発明の才能は天才だけど)で,敵もモンスターじゃなくってテロリスト・・・というのもリアルというか等身大というか・・・応援にも気合いが入るというものである。
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スーツも単なる鎧ではなく,全身が最先端の兵器であるわけだから,ハンド・パワーのように手をかざすだけでドカーン!と敵を爆破できちゃったり,観てる方は楽しくてしかたがない。・・・軍事用語やロボットや兵器について,オタク的な知識があれば,もっともっと楽しめただろう。私は劇中で言ってる専門用語がほとんどわからなかったなぁ・・・。

ところで,残念なことに,私はこの作品,なんとラストまで観ていないのである。鑑賞中にいきなり急用が入って,泣く泣く劇場を後にしたわけで・・・。アイアンマンが初仕事を終えて帰途につく途中,軍用機の追撃を振り切った・・・という場面から先は未見。(それでもずうずうしく記事をアップしてるけど)
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う~む,惜しいなぁ,きっとこの後に,アイアンマンのダイナミックな闘いのシーンが満載だったと思うのに・・・。再度劇場へ行くパワーも暇もないので,あとのシーンは,DVDで観るしかない。

・・・・そんなわけで妙に尻切れトンボな記事になってしまいました。 お話は最後まで観てませんが,とにかくアイアンマン(=トニー・スターク)が魅力的だったので,それだけでも伝えたくて・・・・。

2008年10月21日 (火)

容疑者Xの献身

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TVドラマの「探偵ガリレオ」シリーズは未見だ。
しかし,原作である東野圭吾さんの「容疑者Xの献身」は,話題作だったので一読している。(詳しいところは忘れてしまっていたが,愛する女性のために完全犯罪を実行した天才数学者の物語・・・ということは記憶していた。) 原作では,小太りでまったく冴えない男・・・という数学者「石神」を,ハンサムな堤さんが演じると聞いて俄然興味が湧いてきて・・・。

あらすじ: 惨殺死体が発見され、新人女性刑事・内海(柴咲コウ)は先輩と事件の捜査に乗り出す。捜査を進めていくうちに、被害者の元妻の隣人である石神(堤真一)が、ガリレオこと物理学者・湯川(福山雅治)の大学時代の友人であることが判明。内海から事件の相談を受けた湯川は、石神が事件の裏にいるのではないかと推理するが……。(シネマトゥデイ)
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いや~何てったって,堤さんの変貌ぶりに驚いた。
原作を読めば読むほど,「もう,堤さんじゃ,ルックスの点だけでミスキャストでしょう!」と懸念していたのだが。・・・・だって石神がこの犯罪を犯したのは,隣人のシングルマザー,花岡靖子(松雪康子)への崇高と言えるほどの片思いのゆえなのだ。そして,そんな一途な秘めた愛を抱く根暗な数学者は,断じてハンサムであってはならないからだ。・・・・全身から「モテないオーラ」がぷんぷんと匂ってくるような人物でなければいけないはず・・・。

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しかし,この作品の石神を演じた堤さん・・・・見事にご自分のイケメン・オーラを消すことに成功されていた!その立派な体格なんかはどう変えようもないのだけど,背中の丸め方,洋服のちょっとだらしない着方,とぼとぼとした歩き方・・・そして何より,その自信のなさそうな,無気力そうな表情と,聞いてる方が思わずイラつく,辛気くさいしゃべり方・・・な,なんて地味なんだ!
そして,どうしたんですかぁ~,その目?と聞きたくなるくらい,なぜか始終腫れぼったい瞼(泣きはらした後みたいに・・・・)いやはや,クライマーズ・ハイの,あの精悍な堤さんとはまるで別人で。

佇んでいるだけでファッションモデルのように麗しい福山さんと並ぶと,まさにその「冴えない」「不器用な」「孤独な」「変人の」キャラが際立っていた。いや~,この堤さんを見れただけでも,この作品を観てよかったと思った。
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この作品の見どころって,石神の仕掛ける,完全犯罪のなぞ解きだけではない。天才物理学者である湯川と,天才数学者である石神の知恵比べも面白いし,友人を追いつめなければいけない湯川の,内心の苦悩や葛藤など,心理的なドラマも深いものがある。・・・そして何といっても鑑賞後に,心に強烈に訴えかけてくるのは,それほどまで犠牲を払った石神の「靖子に対する思いの深さだろう・・・。

なぜ石神は,靖子のためにそこまですることができたのか?
彼女とその娘は,孤独で潤いのない石神の人生に
いったい何をもたらしてくれたのか?


ラスト近くの彼の号泣シーンは圧巻だ。


顔をくしゃくしゃにゆがめて,声を振り絞って慟哭する堤さん
を,ぜひしっかりと観てほしい。数学しかこの世に持っていなかった孤独な男が,生まれて初めて抱いた「愛する対象」を,どんなにいとおしく思い,生きがいにしてきたか。靖子たち母娘の幸福こそが,彼の生きる目的だったということが,堤さんの狂おしい泣き顔から切々と伝わってくる。

TVシリーズはもっと軽妙なテイストらしいが,この映画版は原作の持つ雰囲気に忠実に,真摯な人間ドラマに仕上がっていたようだ。TVシリーズを観たことがない私は比べることができないけど。

2008年10月20日 (月)

イーグル・アイ

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全人類67億人
選ばれたのはたった2人
生き延びるには、従うしかない

一面識もない男女が,突然巻き込まれる迫力たっぷりのアクション・スリラー。原案はスティーヴン・スピルバーグ,主演は注目していたシャイア・ラブーフとくれば,何があっても劇場で観ようと決めていた。

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つっこみどころも多いので,何も考えずに観た方が楽しめるという,他の方のレビューを事前に読んでいたのだけど,結構考えながら観てしまった。謎や伏線が多く,登場人物も目まぐるしく出てくるので,話についていくためには考えざるを得なかったのだけど。・・・派手なアクションも楽しまなければならないし。とにかく,「仕掛人は何者?目的は?」「なぜこの2人が選ばれたの?」という疑問だけで最後まで面白く観ることはできたかな?

ある日いきなり始動する,謎の電話による一方的な指令。
ジェリーは身の危険にさらされて,またレイチェルは愛する息子を殺すと脅されて,考える間も与えられずにノンストップのサバイバルゲームの渦中に放り込まれる。彼らの行動をどこから観ているのか?信号や,電光掲示板や携帯を自在に操るアリアという謎の女の能力は,まるで上空から俯瞰する神のようで,二転三転する怒濤の展開からは,片時も目が離せない。ええ~?Σ(゚д゚;)なんであんなこともできるの~???って,驚愕と得体のしれない恐怖を感じっぱなし。
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ジェリーがなぜ選ばれたか?という疑問を解決する鍵は,つい先日事故死した彼の双子の兄が握っているらしいという予想はつくし,黒幕は,国家レベルの人口知能みたいなもんなのかな,というのも誰もが先読みできる展開だ。アリアなるもののところに二人がたどり着いたとき,一応「彼女は,彼らに何をさせたかったのか?」という疑問はきれいに解けるが,その後も手に汗握るシーンは,ラストまで続く。

アリアの正体や目的がわかった地点でんな,あほな!Σ( ̄ロ ̄lll)と呆れずに,これは半分SFが入ってる物語だと頭を切り換えた方が楽しめるだろう。

それにしても,選ばれたこの二人,なんだかんだパニクりながらもすごい順応力ではないか!アクションにしてもカーチェイスにしても,二人の息のあったチームプレイにしても,FBIに雇ってもらえそうなレベルのことをやってのけるんだから。・・・・あの,ブリーフケースを奪うシーンは,いくらなんでもあそこまで素人はやれんだろ~って。並みの一般人なら,物語の最初のあたりで,もう死んでるに違いない。まあ,アリアも,彼らのデータを逐一把握してるので,そういう能力を秘めている人間を選んだのだろうけど。
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シャイア君は,ますます面長になって,今回も「わけわからんうちに騒動に巻き込まれる」役柄を演じていた。彼の眼が好き~~ 可愛いカッコいいです。・・・完全な美形とはもちろん違うんだけど。お髭は,ない方がいいとも思うけど,エリートの双子の兄(髭なし)と区別するためだろうか・・・?

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ヒロインのミシェル・モナハン・・・。ものすごい美人顔というわけではなく,庶民的な感じもするが,何気に大作に出ている彼女・・・・。スタイルがとってもいい!シャイア君と二人で並んだシーンでは,彼女の方が足が長かったような。

最初から最後まで,謎とアクションでたっぷり楽しませてくれる,間違いなく一流の「娯楽大作」です。まあ,予告を見て,違う方向を期待して鑑賞されると,もしかして「あれぇ~?」と思われるかもしれませんね。・・・・それにしても,ハイテク時代には,こんなふうに個人の情報が何でもかんでも把握されちゃうこともアリってのは・・・もしそれが本当に可能なら,怖いことですよね。
特に,電話の盗聴なんて・・・カンベンしてよ~っ!て感じですね( ̄○ ̄;)! まあ,日本ではここまでは無理なのはわかってるけど。

2008年10月18日 (土)

殺人の追憶

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オールドボーイと並んで私の中では,
大傑作韓国映画のひとつ。

この作品は1986年から1991年にかけて,韓国の華城市近辺の小さな村で起こった9件の連続殺人事件(事件数は10件,うち殺人未遂に終わったものが1件)をもとにしている。被害者の女性は中学生から70歳の老婆にまで及び,殺害状況の残虐性や異常性は,韓国全土を震撼させた。捜査動員数は,警察・機動隊合わせ約167万名,容疑者及び捜査対象者は21000名余りに及んだが,それをあざ笑うかのように犯行は続けられ,犯人は未だ逮捕されないまま,2006年4月2日をもって,すべての事件の時効が成立している。

未解決事件の実話がベースなので,謎解きが目的の物語ではない。刑事ものではあるが,サスペンスやアクションに重点が置かれてはおらず,重く深い人間ドラマとして,ずっしりとした見応えがあるところは,ゾディアックに似ている。

のどかで何の変哲もない鄙びた農村に降ってわいた猟奇殺人事件。この事件が人々に与えたダメージは計り知れない。次々と餌食になる被害者たちと,犯人に翻弄されて精神を病んでゆく刑事たち,そして過酷な取り調べを受けて人生が狂ってゆく容疑者たち・・・・。
事件に翻弄された全ての人々の苦悩や恐怖を,
この作品はじっくりと,そして強烈に描いていた。
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犯人の狡猾さもさることながら,時代背景もまた,事件を迷宮入りにした原因を作ったのかもしれない。軍事独裁政権による,言論や情報の規制。暴力的な取り調べや自白の強要がまかり通っていた警察。

地元の田舎刑事パク(ソン・ガンホ)とソウルから派遣されてきた若いソ刑事(キム・サンギョン)の捜査方針は,最初は対照的だった。直観に頼り,地道で強引な捜査をするパク刑事たちとは正反対に,「書類は嘘をつかない」と主張し,暴力まがいの取り調べを冷やかな目で眺めていたソ刑事。・・・・しかし,闇と泥沼の中で,顔の見えない悪魔をひたすら追いかけているような闘いが長く続くうちに,憔悴したソ刑事の心も,少しずつ壊れてゆく。
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「今度こそ」と確信があった容疑者の青年が,DNA鑑定の結果シロだとわかったとき,それまでは「書類は嘘をつかない」という信条だったはずの彼が,激昂のあまり無実の容疑者に銃を向ける,あのトンネルのシーン。制裁を加えるべき犯人は今回もまた目の前にいない・・・しかし犯人に対する憎しみや怒り,悔しさといった執念がすでに「狂気」の域に達していた彼は,その矛先を誰かに向けずにはおれなかったのだろうか。

冒頭とラストの黄金色の水田のシーン以外は,全編にわたってまるでモノクロのように色を抑えた暗い映像で雨のシーンも多く,事件にふさわしい陰鬱な雰囲気が漂うが,ところどころにユーモアも散りばめられている。
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俳優陣の演技はいつものことながら,流石と唸る他はない。
特に,こういった社会派の韓国映画には欠かせない名優ソン・ガンホさん。鈍重な田舎刑事の雰囲気を出すために10kg体重を増やした,という彼の細かい表情の動き(特に目の表情)が素晴らしい。

ラストのあの印象的な,田んぼの畦道のシーン。
この,仕上げのラストシーンは,つくづく見事だ。

女の子の話を聞いたパク刑事のなんとも言えない表情が忘れられない。今もどこかに「普通の顔をして」生きている犯人のリアルな息遣いを感じさせる,心底恐ろしいシーンではないだろうか。
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ポン・ジュノ監督
って若いけれどすごい才能を持った監督さんだと思う。
日本では賛否両論の,「グエムル漢江の怪物」も,私は傑作だと思ってるし。

2008年10月15日 (水)

ヒドゥン

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オーランド・ブルームじゃないですよ・・・この方はカイル・マクラクラン。これは20年も前の作品だけど,一時期,よくTVの洋画劇場で放送されていた,エイリアン系のB級映画の至宝とも言える作品。たしか,ビデオでもさんざんレンタルしたものだけど,最近DVDを見つけたのでつい購入してしまった。何年かぶりに観てみたら,やっぱりとってもおもしろかった。

97分という時間の中に, SF・ホラー・アクションのすべてが詰まっていて,息もつかせぬスピードで面白く,わかりやすく見せてくれる。冒頭からラストまで,とにかく見事に中だるみは全くナシ。
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これは,一言で言えば,
地球にやってきたエイリアン同士の死闘の物語

ある日突然,善良な人物が,殺人や強盗を行う凶悪犯に変貌するという事件が,ロスで発生。実はこれは,その人の体内に寄生した悪玉エイリアンの仕業。寄生された宿主(やどぬし)の身体が痛んだり死んだりすると,エイリアンは次の宿主へと移動し,再び犯罪を繰り返す。その悪玉エイリアンを追っかけて,同じく地球にやってきた善玉エイリアン。彼は故郷の星で,悪玉エイリアンに妻子を殺されたという因縁を持ち,FBIのロイド・ギャラガーと名乗る美青年(マクラクラン)の身体に寄生してロス市警に入り込み,ベック刑事(マイケル・ヌーリー)と一緒に事件の捜査に当たるのだが・・・・。
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これは,悪玉エイリアンが次の宿主に移っているところ。
口から口へって言うのがキモイ。このエイリアンを倒すには,この体外に出た「移動」の瞬間に,ロイド持参の武器(オカリナみたいな形状の)から出る特殊光線を浴びせるしかないのだけど,ロイドが駆け付けた時は既に次の宿主に移動していることが多いので,なかなか倒せないのだ。 

この悪玉エイリアン,フェラーリとロックが好きで,寄生された宿主はフェラーリを次々に盗んだり,レコード店で殺人をしたりする。(追っかける善玉エイリアン=ロイドの車もポルシェだったけど)・・・エイリアンにも趣味と個性があるのが面白い。宿主もあるときはストリッパー,その次は犬,そして警官,政治家・・・と,リレー式にどんどん変わってゆくのがスリリング。
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魅力的なのが,善玉エイリアンが寄生したロイドのキャラ。
「実は地球人ではない」彼の,クールきわまる無表情。まるでエリートサラリーマンのようなスーツ姿で,髪の毛一筋も乱すことなく,常に冷静に敵を追う。めちゃめちゃ容姿端麗な彼の,全身から漂う「なんだか異質」な雰囲気がたまらない。
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そして,クールな彼がときたま見せる,微妙な感情が,これまたいいのだ。まるでマネキン人形のように無機質なロイドの顔に浮かぶ困惑,哀愁,憂鬱・・・といった表情。「地球人」の相棒ベック刑事との,最初の頃の,まったく噛み合わないやりとりの可笑しさや,次第に芽生えてゆく友情,ベックの家族を見て自分の亡き妻子に思いを馳せるところ・・・などなど。地球の習慣に慣れてない彼が,ベック家のディナーを食べるときの不慣れな様子や,発泡剤の飲み方がわからなかったシーンもなんだか可愛くて好きだ。
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ラストは,凶弾に倒れたベックの瀕死の身体に,自分の生命を吹き込むロイド・・・。続編を予想させるような終わり方で,実際これの続編はたしか製作されたと思うが,これほどヒットはしなかったと思う。(私は未見)

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いやはや,贅肉の全くない,完成度の高い面白い作品!
20年たった今見直しても,色あせないスリルが味わえるのはすごいと思う。

2008年10月13日 (月)

欲望の翼

 

 

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香港を舞台に繰り広げられる,若者たちの切ない群像劇
ウォン・カーウァイ監督の花様年華」「2046」へと続く,60年代3部作への序章となる作品。

 

もう今では決して実現しないだろう超豪華な出演陣。
主人公のヨディにレスリー・チャン
彼に翻弄される二人の女性にマギー・チャンカリーナ・ラウ
彼女たちに恋する青年にアンディ・ラウと,ジャッキー・チュン
ラストシーンだけに登場するギャンブラーにトニー・レオン
まあ,よくもこれだけ揃ったもんだ。
Cap063
青春群像劇,と言っても,この作品のDVDのジャケットのデザインのように,皆で一堂に会して,ワイワイガヤガヤとストーリーが進行するわけではない。5人の青年達の物語は,それぞれが1対1で進行し,誰もが叶わぬ思いを相手に対して抱いている。

核となるのはレスリーが演じたヨディの物語。
その頽廃的で妖しい魅力と気障な台詞で,女性の心を虜にするヨディ。しかし彼は,養子という生い立ちゆえか,傷つきやすい心を内に秘め,相手と真剣な愛情関係を結ぶことができない。彼を愛した女性たち・・・サッカースタジアムで働く堅実なスー(マギー・チャン)と,奔放な踊り子のミミ(カリーナ・ラウ)は,少し関係が深まると彼から捨てられる羽目になる。
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ヨディは女性の立場から見れば,ほんとに薄情でとんでもない色男なんだけど,レスリーが演じるこのヨディの魅力ときたら・・・・!
けだるく横柄な雰囲気とは裏腹に,哀しみや寂しさを滲ませたまなざし。そして,女心をわしづかみにする殺し文句の数々・・・・。彼の魅力,というか魔力に逆らえる女性なんていないのではないか?

ランニングにトランクス姿で,チャチャチャを踊る彼の,まあ色っぽいこと。レスリーの踊りは,ブエノスアイレスのしなやかなタンゴや,さらばわが愛の華麗な京劇でも見惚れてしまったが,この「トランクスでチャチャチャ」も,とってもキュートだった。

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ヨディを愛するスーとミミ。
彼女たちは捨てられても,なかなかヨディを思いきることができない。しかし,ヨディは,誰に愛を返すこともなく,自分を捨てた生母を探し求めている。・・・・そしてスーに恋心を抱く警官のタイド(アンディ・ラウ)と,ミミに焦がれているサブ(ジャッキー・チュン)。彼らの一方通行の想いもまた,相手に届くことはない。

 

劇中の誰もが,誰かに恋い焦がれていながら,その愛はみんな片思いで,報われることがない,というのがじれったく,切ない。生母を捜し当てたヨディもまた,彼女に会ってもらえない。傷ついた心を隠して,振り返ることなく歩いてゆくヨディの背中に漂う怒りと哀しみがやるせない。
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スーに恋する警官タイドを演じたアンディ・ラウ。
ヨディとは正反対のようなストイックなキャラで,夜の街を警らする彼は,傷心のスーに控えめに優しく手を差し伸べる。「話したくなったら,この時間に公衆電話に電話して」とスーに言うタイド。・・・・しかしスーが彼に電話をしたとき,タイドは警官をやめて船乗りになっていた。・・・ここでもまたすれ違い,ああ・・・。

 

制服姿のアンディは,帽子の影になって顔の下半分しか見えないことが多かった。彼の唇の形が完璧だってこと,改めて気づいた。(口角の上がり具合を見よ!)そしてその声が意外に甘くてきれいなことも。
船乗りになった彼は,フィリピンで偶然ヨディを助ける羽目になり,行きがかり上,彼の死をも見届ける。ヨディに振り回されながらも,さりげなく彼の生き方をいさめるようなことも言い,それでも最後まで彼を見捨てずに傍にとどまるのである。(涙が出るほどいい人だ・・・このタイド)

 

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しかし・・・愛し,愛されることって,なんて難しいんだろう・・・・。どうして,愛しても甲斐のない相手に,惹かれてしまうんだろう・・・。ひとは,結びつくよりも,すれ違い,傷つけあうことの方が多いのだろうか。

 

生母に捨てられた,というトラウマから,愛に臆病になっていたヨディが好んで話す,のない鳥の話。その生涯を通して飛び続け,疲れたら風の中で眠り,地上に降りるのは死ぬときだけ」という鳥の話は,ヨディ自身の,安らぎのない人生を象徴しているようで哀しい。彼が汽車の中で撃たれて息を引き取るときの,「鳥は最初から死んでいたんだ・・・」という言葉は,何を表わしていたのだろう。

 

それまで,おそらく大勢の人を傷つけて生きてきただろうヨディ。それでも憎み切ることができない,不思議な哀れさと魅力を持つヨディ。彼がたったひとりで逝くことなく,その臨終の場に,誠実なタイドがいてくれたことが,せめてもの救いのように,私には思えた。
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そして,なぜか最後のシーンに
唐突に登場するトニー・レオン。

身を屈めないと頭が天井につきそうな部屋のなかで,宵闇の中,出勤前の身支度をする彼。何の台詞も説明もないのだが,彼のさりげない仕草の全てが,なんだかやけに格好いい。 最後に,窓の外にポイと無造作に煙草を投げ捨てて部屋の灯りを消す仕草までが,惚れぼれするくらい,キマっていた。
これは続編へつなぐつもりだったのか・・・意味深なシーンである。たったこれだけの登場で,意味不明であるにも関わらず,仕上げに極上のひと筆が加筆されたような感じを与えるのは,さすがトニー・レオンのオーラのなせるわざだろうか。

 

全編を通して,香港の,そしてフィリピンの,むせかえるような湿度を感じる映画だ。登場人物の汗や吐息や,土砂降りの雨や,黒々と濡れた夜の舗道・・・・。ラテン・ミュージックの哀切な調べ・・・・。

そしてそれぞれに孤独を抱えた若者たちの危うさ・・・・。彼らの誰もが魅力的で,いとおしく思えてならなかった。

 

評判通りの傑作・・・たまらなく心に焼きつく作品である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008年10月10日 (金)

王妃の紋章

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なんだかんだ言いつつ,チャン・イーモウ監督作品は,ヒューマンもの,エンタメものに関係なく,けっこう漏れなく観ているなぁ・・・・。今回は久々に,かつてのイーモウ・ミューズであるコン・リーが主演ということで,期待していた。・・・・結局劇場で見逃して,DVD待ちになったけれど。

Cap116
イーモウ監督にしては,中国古代王朝を舞台にした,
豪華絢爛なB級昼メロだったような気もするが・・・・。

見どころは,今回のテーマカラー「黄金」を「これでもかっ!!!」と使い倒した,目がくらむような超豪華な色彩美。CGなんだか実際のエキストラなんだか知らないが,とにかく,あり得ないほどの兵士や女官たちの大群。・・・・中国という国のスケールの大きさ,皇帝の力の強大さを,最初から最後まで見せつけるような映像が,まさに溢れていた。

・・・それにしても,ストーリーの不毛なこと
登場人物の多くが・・・とんでもないキャラである。仰天はしても,感動できるような類のストーリーではなかった。ま,感動させるよりは,仰天させることの方が監督の狙いだったかも。

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皇帝(チョウ・ユンファ)と王妃(コン・リー)・・・・
互いに相手を謀殺しようとたくらんでいる,オソロシイ夫婦である。年を重ねてゾクゾクするくらいの妖艶さを増した,凄みのあるコン・リーの美しさ。チョウ・ユンファ演じる,冷徹で無慈悲な皇帝の,地獄の閻魔もかなうまいと思うほどの恐ろしさ。この二人の,交わすまなざしだけで,ビシバシと火花の散る演技合戦は,なかなかのもの。

・・・彼らの三人の王子たちがまた・・・
全員が悲惨な運命をたどるのだが,それもこれも親のせい・・・と言えなくもない。

Cap142
長男・祥王子(リィウ・イエ)
おおお~~,山の郵便配達の彼だ~!藍宇の彼だ~!と喜んだのもつかの間,今回は,なんとも情けない役だった。・・・それをとっても上手く演じてはいたけど。
彼は継母であるコン・リーと不倫関係を持ち,彼女とチョウ・ユンファの板挟みになって,死ぬほど怯えている気弱そのものキャラなのである(ああ,可哀想)
Cap150
彼の生母にまつわる悲しいエピソードとか,いい仲になった薬師の娘と彼は,実は・・・●●ヾ(.;.;゚Д゚)ノだった!とかいうくだりも,自殺未遂までしちゃうところも,愚かではあるけど悲劇のひと,という感じがする。あ~あ,こんな王家に生まれて,あんな強い父を持ち,コン・リーみたいな継母と出会っちゃって,なんて不遇な・・・とついひいき目で見てしまった。うろたえたり,おびえたりする表情ばかりの役だったけど,その割には武術には長けているのね~と目を見張るシーンもあり。

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次男・傑王子(ジェイ・チョウ)
この俳優さん・・・とても人気のあるひとで,エンドロールの歌(歌声も素敵です)も,この人が歌ってるらしい。初めて見た人だけど。この次男の王子が実は一番の悲劇の主人公,かつ両親の血みどろの夫婦喧嘩の犠牲者かも。母から「父に殺されそう」と訴えられ,父に刃を向けることになるも失敗し,最後は父から究極のむごい決断を迫られて自刃・・・。正義感と勇気のあるこの王子が皇帝になった方が,よほど民は幸福になったと思うが。

Cap155
三男・成王子(チン・ジュンジエ)
冒頭では,あどけない邪気のない表情をふりまいていたかのように見えた末っ子の王子。しかし,実は屈折した10代は,キレた時にとんでもないことをやらかす・・・・。(屈折の原因はやはり両親に責任もあるが)それにしても,激昂した父王の制裁によって彼もまた・・・。

Cap161_2
物語のクライマックスである「 重陽の節句」の壮麗な儀式。豪奢な衣装をまとっていても,いつものように胸の谷間はしっかり見せているコン・リーと,深手を負っているのに重い衣装をつけて儀式に参列させられてるリィウ・イエが,なんだか可笑しくて・・・いや,笑う場面ではないのだけどね。これからクーデターなのだから。

あんな惨劇があった後も,何事もなかったかのように血を洗い流し,広場をもとのように夥しい菊の花で埋め,(予備があったのか!)花火を打ち上げて祝典を開く皇帝・・・いやはやその心に血は通っているのだろうか。・・・一晩で三人の息子を失ったというのにだよ。

結局,何が言いたかったのか,テーマは王家の華麗な愛憎劇,というだけのものかもしれないが,最後まで面白かったし,ちょっとやりすぎにも思える映像美の豪華さも,私は十分堪能した。・・・実際にあれだけキンキラキンの宮殿の中では,気が散って落ち着かないとは思うけど。

2008年10月 6日 (月)

ペネロピ

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これのジェームス・マカヴォイがいい!と聞いて鑑賞。
とっても可愛い,愛のおとぎ話だった。
・・・・人間の価値は外見じゃない,自分の幸せは自分でつかむ・・・というテーマらしいが,そういった深いテーマに感動するより,素直にこの作品のキュートさを楽しんだかなぁ,私の場合は。

呪いのために,豚の鼻を持って生まれたペネロピ。女性の顔の鼻だけ豚というのはどんな感じになるのかな〜と思ったが,意外にキュートだった。
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クリスティーナ・リッチの,どちらかというと扁平なファニーフェイスには,この鼻はしっくり収まっていた。輪郭が面長な女優さんなら,こうはいかないだろう。それでも,まぎれもなく豚の鼻には違いないので,求婚者はギョッ!としたとは思うが。

両親,特に彼女の母は,ペネロピの鼻を嘆き,「今のあなたは,本当のあなたじゃない」と,呪いを解こうと躍起になるが,当のペネロピ自身は,そんな母親をどこか冷めた目で見ている。・・・・鼻は豚だが,そして幼い時から幽閉同然の生活を送ってきたのだが,彼女が個性豊かで,魅力的な精神を持った少女であることは,そのファッションや部屋の小物の数々からもうかがえる。(彼女のファッションが最高に可愛いのだ!)

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そして,彼女の呪いを解くことができる(はずの)名家の生まれのマックスを演じた,われらがマカヴォイ君・・・・。
も~ね~~((w´ω`w))
ほんとうに素敵だった!
この作品の彼!

何がって・・・・が。 
顔がすごく綺麗。(←そこかよ~)
ヘアスタイルも,無造作なボサボサヘアなんだけど,今までの中で,一番似合ってる。前髪の具合なんか,最高!!!「つぐない」ではやつれてたし,「ラストキング・オブ・スコットランド」ではニヤけてたし,「ウォンテッド」ではマッチョに傾いてた彼の美貌が,この作品では無キズの状態で楽しめる感じだ。

役柄はいつものような「ヘタレ」っぽいキャラで,
たしかに「落ちこぼれ」て「やさぐれ」てる。・・・・

何かの対談記事で読んだけど,自分でも「殴られ役」がけっこう気に入ってるという彼・・・・この作品では残念ながら,別に誰にも殴られはしないが,情けないキャラであることは間違いない。(でも,そこが母性本能をくすぐる点は,いつもと同じだわ。)
彼は,はじめは不純な動機でペネロピに近づくけど,彼女を本気で愛してしまう。

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青いのか,緑なんだか・・・・・,
きらめく瞳が超ラブリー~~
この作品では,歌も披露していて,歌声もなかなか素敵。
なんだろうね~~,気弱で,悪癖もいっぱい持ってそうだけど,とにかく愛さずにはいられない男性を演じさせるとピカイチの彼・・・・きっとご本人はしっかりした方なんでしょうけど。

あと,家出したペネロピを保護する,ちょっとハジけた女友達アニーに,リース・ウィザースプーンが扮していた。彼女は製作もしていて,作品には思い入れが強いらしい。

・・・・個人的には,ジェイクの彼女,ということで,ついついリースのことは「ひがみ目線」で見てしまいがちだけど,久々に彼女の演技を見てみると,やっぱりうまいし,オーラが違う。奇天烈なファッションや蓮っ葉な口調がとっても可愛くて,作品の中でいいスパイス的な役割を果たしていた。
Cap092

ペネロピの呪いが解けたのは,結婚による他力本願によってではなく,「ありのままの自分を受け入れる」という自力本願によってだった・・・・。ここで急に道徳的,あるいは教訓的な雰囲気が出てくるけど,そういえば,おとぎ話って,たいがいは教訓がこめられてるものだ。・・・・

だから自分も自力で前向きに困難を乗り切ろう・・・とまで深い感銘は受けなかったけど,鑑賞後は,ほんわか~とハッピーでさわやかな気分。とにかく,マカヴォイ君の魅力が満載の作品だ。小品だけど,マカヴォイに関して言えば,ウォンテッドより好きかも。

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2008年10月 4日 (土)

スルース

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この作品,高評価の素晴らしいオリジナル(1972年)があるそうだが・・・そっちは未見なので,このリメイク版はまっさらな気持ちで鑑賞。

ワイクの屋敷を舞台に繰り広げられる,マイケル・ケインジュード・ロウ完全な二人芝居。「これって,もしかして登場人物はこの二人だけかい?」と思っていたら,やっと3人目(警察の男)が登場・・・・ところが彼の正体も実は・・・ヾ(.;.;゚Д゚)ノ (この,変装を取るところがとっても面白かった!)

Cap060 
妻を寝取られた老作家ワイクと,
寝取った愛人ティンドルの化かし合い。
老獪で無慈悲な老作家と,セクシーで野卑な愛人の対決。

ほとんど言葉による心理戦とも言える闘いは,時には相手を猫なで声で懐柔し,また時にはきわどい言葉で挑発したり,威嚇したりしながら,丁々発止と進んでゆく。もともとが舞台劇というだけあって,台詞の量が半端でないが,二人のやり取りのどの台詞も,重要な「裏」が隠されていそうで,一言も聞き洩らせないので緊張の連続だ。(・・・疲れた(^-^;))

真上から俯瞰する撮り方などの凝ったカメラワークや,ハイテク機器で統一されたスタイリッシュなインテリアや,ブルーを基調とした映像や,ピアノで奏でられるスリリングなテーマ曲は,なんだかとっても粋である。・・・ここらへんは,監督のケネス・ブラナーの持ち味だろう。

Cap050
ワイクもティンドルも,両方ともアクが強いキャラなので,どちらかを応援したい気には,とてもなれないまま,主導権がくるくると変わる緊迫したゲームを,ただ息を殺して見守っていた。どちらも,相手の誇りをズタズタに傷つけて貶めたいと願っている。

第1ラウンドは,ワイクの勝ち。
・・・・まあ,あんな胡散臭い話に乗ったティンドルって浅はかだよね~。
第2ラウンドは,一転してティンドルの猛烈な逆襲。・・・・いやはやティンドル,やっぱ役者だね!おみごと!と言うシーンが・・・。
そして最終の第3ラウンドは・・・・・。
あれ?あれれれれ???どして,そっちの方向へ話がいっちゃうの?と目が点になった。あんたたち,女性を取り合いしてたんじゃなかったっけ?
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この第3ラウンドはオリジナルとは変えてあるそうで,蛇足だという感想が多いけど,オリジナルを知らないので何とも言えないが,う~ん,確かにここでいきなり物語が失速し,なんだか消化不良のオチになってしまったかも。

で,結局,どっちが勝ったんですか?この勝負。
・・・・わからん。
精神的な面ではティンドルが勝ったような気がする。でも,ああいうことになったのでは,「勝った」とは言えまいし。引き分けか,どちらも負けたのかも知れない。結局,最後まで画面には登場しなかった「贅沢好き」の妻が,一番得をしたかも。

マイケル・ケインは,ダークナイトの時とは 大違いの「尊大で,狡猾でまことに厭らしい」キャラを完璧に演じていて,間の取り方や,瞬時に変わる表情など,やはり見事だ。

そしてそれにも増して見事だと思えたのが,ジュード・ロウ!ちょいワル・セクシー男の崩れた妖しい魅力にくらくらした。舞台出身だけあって,彼のセリフまわしや,立ち回りは,(ややオーバーアクション気味に演じていたが,計算だろう),見惚れるくらい華麗だ。
Cap052
この作品,た~っぷりと彼のアップが拝めるけど,彼って,鼻とか顎とか目とか輪郭とか,造型がほんと完璧なんだな~,と改めて感心した。
そう,ギリシャ彫像のように,完璧だ,まさに
・・・・・生え際以外は。

ほんと,美しい男だね。・・・死体になっても。
リプリーの彼も好きだけど,この「スルース」はジュードの代表作になるんじゃないかな?

2008年10月 1日 (水)

山の郵便配達

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藍宇リィウ・イエの,映画初出演の作品ということで鑑賞。
1999年に中国金鶏賞を取った,地味だけど静かな感動の余韻がいつまでも後を引く作品だ。 原題は,「あの山 あの人 あの犬」だそうだが,確かに深く険しい山峡の風景と,そこに生きる素朴な郵便配達の父子,そして彼らの愛犬の,三者が主役の物語だった。

舞台は,80年初頭の中国・湖南省西部の山間地帯。

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引退する父の仕事を受け継ぐ息子の,初仕事につきそう父。一度の配達に,なんと二泊三日を要する過酷な道中,ずっと留守がちだった父に,それまでよそよそしい思いを抱いていた息子は,次第に父の寡黙で真実味あふれる生き方や,仕事への思い,家族への思いを感じ取るようになる・・・・。

この映画って,キャストの役名がない。「父」「息子」「母」・・・という具合だ。犬だけは「次男坊」という名前をもらってるけど。ストーリーもシンプルそのもので,彼ら父子の,二泊三日の郵便配達の様子を,淡々と映し出す・・ただそれだけだ。
・・・・それだけなのに,なぜ,こんなにも,
何でもないシーンまでが
しみじみと心に響くのだろうか。

父役のトン・ルゥジョンは,
素朴でいかにも普通の枯れた父親,という感じ。
Cap031_2 
息子と初めて二人きりの旅に出た
彼の様々な思い。


知らぬ間にたくましく成長した息子の姿に感慨を深め,かつて自分が肩車した息子に,今度は自分が背負われて川を渡る時,その背でこっそりと涙を流す父。・・・そして,生涯かけて自分が全うしてきた仕事を,心残すことなく,確かに息子に伝えたい,という思い。
折にふれて息子に注がれる,父のまなざしの静かな優しさ。
家族に対しても,仕事に対しても,深い愛情を抱いてきたことが感じられる。

Cap011
そして息子役のリィウ・イエこれがデビュー作だという彼は,このときはまだ,中央演劇学院の学生だったそうで。

彼の演じた「息子」は,藍宇(ランユー)とはまったく別人の,いかにも純朴な,土臭さと瑞々しさが共存してるような青年なのだけれど,はにかんだような笑顔の可愛らしさは,やはりこのひとの最大のチャームポイント。黙っていると憂い顔ともいえる彼が,ぱっと屈託なく笑う時,その顔に陽がさしたかのような明るさが広がる。

それに藍宇のときは,相方の胡軍(フー・ジュン)さんも背が高かったからそんなに気付かなかったけど,この作品で小柄な「父親」と並ぶと,その背の高さが際立つ。(東洋人ばなれした足の長さだ・・・いや中国の男性は足が長いのか???)

親には孝を尽くす・・・というお国柄のせいか,それとも,もともと優しい気立てのせいなのか,父に親しみは抱いてなくても,従順に従い,時折気遣いも見せる息子。しかし父の愛を確信したことがなかった彼は,これまで一度も「父さん」と呼んだことはなかった。

その彼が,自分が誕生した時のエピソードを父から聞かされ(このエピソードがまた心に沁みる)ごく自然に「父さん・・・」と呼ぶようになる。

Cap027
そして,ある意味,主役級の存在感のある犬の「次男坊」

もう,この犬がめちゃくちゃ・・・いい!
なんとも健気で,お利口で・・・(この役を演じた犬も演技派だ)
一人っ子政策のせいだろうか,犬に「次男坊」と名付けるのも,飼い主の家族のお茶目さと,犬への深い愛情が感じられる。

父の仕事の完璧な相棒として,郵便配達には欠かせぬ存在になっていた次男坊。息子が一人で初仕事に出かけようとした朝,次男坊は息子についてゆこうとしなかった。まだ,彼を一人前の郵便配達と認めてなかったのだ。それで父が仕方なく息子と一緒に行くことになったのだけど。

Cap034
しかし,父子の「引き継ぎ」の旅をしっかり見届けた次男坊は,次回からは一人で仕事に行く息子についてゆく。
このときの犬の演技(?)が素晴らしい。
今度こそ見送りにまわった父親に向かって,一度は名残惜しげに駆け戻ってくる次男坊。しかし父に背を押され,意を決したかのように,遠ざかる息子を追って一目散に走ってゆく。・・・・これからは息子の道中を助けるために。

父の思いを受け止めて,しっかりした足取りで出発する息子。
そのお伴をする次男坊と,その後ろ姿をいつまでも見送る父。
父の気持ち,息子の気持ち,犬の気持ち・・・・
そのどれに思いをはせても,切ないような優しいような,
なんとも言えない思いがこみあげてきたラストだった。

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