追悼ヒース・レジャー/チョコレート
これは恋愛が主題の物語ではない。
これは,それまで愛を表現するすべを知らなかったひとりの男が,大きな痛みを経て生まれ変わる物語。そして,深く傷ついたふたつの魂が,常識を乗り越えて互いに癒し合う物語だった。
ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)は、人種差別の激しい、南部ジョージア州の刑務所の看守。彼の父も看守だったし、ひとり息子のソニー(ヒース・レジャー)も彼の後を継ごうとしていた。ある日、死刑執行の任務を満足に果たせなかったことで、ハンクに激しくなじられたソニーは、祖父と父の前で自殺してしまう。ショックで看守を辞めたハンクが出会ったのは、レティシア(ハル・ベリー)という黒人女性。自分と同様、息子を亡くしたばかりの彼女にハンクは惹かれるが、実は彼女は、ハンクが処刑執行を行った死刑囚の未亡人だった・・・。
冒頭に登場するハンクの,まるで感情が感じられない冷たく乾いた表情に,まず驚かされる。彼の家庭は,老いた父と息子のソニーの3人暮らし。殺伐とした男所帯で,父もハンクも,妻には逃げられたような雰囲気がある。ハンクの父親は,いかにも頑固で傲慢そうな老人で,ハンクの冷淡さは,すべて父からの影響と思われる。
たとえば,敷地に入ってきた黒人の少年たちを銃で追い払うほどの強い差別意識とか,女性を物のようにしか扱えないところとか,息子に対して愛情のある言葉を決してかけないところとか。
そのように父親に育てられたから,ハンクもまた,息子に冷たく接することしかできないのだろう。息子に決して笑顔や褒め言葉を与えず,プレッシャーだけを投げつけ、「女の腐ったような奴」「母親そっくりだ」と罵倒する。
ソニーは心の優しい青年で,黒人少年とも親しくつきあい,繊細すぎて,看守という仕事には向いていない。父親に愛されたいと願いながらも,愛されるどころか,、疎まれているという実感しかないソニーの切なく寂しげな表情。彼は父や祖父の考えや生き方を押しつけられ,頑張ってもひとことも褒めてもらえない。
そんなソニーを演じたヒースの演技は,すばらしかった。台詞はあまりないが,彼の傷ついた目の表情は,ソニーの心の痛みや悲しみを雄弁に物語り,哀れさに胸がしめつけられた。
「父さん,俺を愛してないだろ?」という問いに「ああ,愛してない。昔から」と答えたハンク。「俺は父さんを愛してた」と言って,自分の心臓に拳銃の弾を撃ち込んだソニー。
何てことを息子に言うのだ,この親父は!とこのシーンはハンクに怒りを覚えたが,考えてみれば,あのとき,あの場には祖父もいて,一部始終を観ていた。冷酷な祖父の手前,ハンクはソニーに「愛している」と素直にいえなかったのではないか。
彼は息子を愛していたはずだ。
その証拠に,その後彼は「息もできないくらいの苦しみ」を味わい,看守もやめてしまう。自分も父親に愛された経験のないハンクは,ソニーに対して愛情の示し方を知らなかったのだろう。「自分の殻を破りたくてもできないんだ」と,レティシアに告白するハンクの台詞が切ない。
ソニーの死後,レティシアと出会ってからは、ハンクはまるでつきものが落ちたかのように,哀しげで静かな表情になる。父親から受け継いできた「愛せない」という呪縛から、解き放たれることを願い始めたのかも知れない。
人種差別主義者だった彼が,黒人女性の彼女と結ばれる・・・・。最初のそれは多少は酔った勢いだったかもしれない。しかし,彼も彼女も,大きすぎる心の空隙を埋めるために互いのぬくもりを必要としていたのだろう。
同じような痛みを体験したものでないと理解できない苦しみがある。彼らは互いに,ことばの慰めでは得られない癒しを,与えあうことができる。
どんなに悔やんでも,,取り返しのつかない息子の死。その衝撃は,ハンクのこれまでの生き方を変えた。仕事を変え,呪縛となっていた父親と決別し,「愛する人を大切にする」生き方をしたいと願うようになったのだろう。一方、苛酷な人生に疲れはて、最愛の息子を亡くしたばかりのレティシアは、息子の代わりに誰かの温もりを必要とし、「大切にされたい」という思いを持っていた。
彼ら二人は互いを満たし合い,癒し合える条件を備えていた。ただ,彼が彼女の夫の処刑執行を行ったという事実にどう向き合うか・・・
ハンクは早い時期にそれを知り,それでも彼女を愛する道を選択するが,レティシアがそれを知ったのはラスト近くだ。激しいショックを受けた彼女だけど,チョコアイスを買って戻ってきたハンクを迎える彼女は,彼に対して何も言わない。
入り口の階段に並んで腰掛け,アイスを食べながら,「俺たちきっとうまくいくよ・・・」とほほえむハンクをじっと見やって,レティシアもまた,うっすらと微笑する。
彼女はこのとき,
いったいどんな心境だったのだろう。
物語はそこで終わり,彼女が真実を知った後も,彼を受け入れたのかどうか,説明する台詞は何もない。観客のそれぞれの解釈に委ねられているかのようだ。
このラストの余韻は強烈で,私は彼女の心境をいろいろ想像して,昨夜はなかなか寝付けなかった。私が彼女なら,どう感じるだろう・・・・?ハンクの愛を,良心の呵責から来る憐れみの一種と思って,素直に受け入れられないかもしれない。
しかし,微笑む前の彼女の視線が,庭に立てられた三つの墓石に向かうのを思い出したとき,やはり彼女は,ハンクを受け入れることにしたのだろう,と思った。
レティシアの夫と,息子と,ハンクの息子ソニー。三人の死を悼みながら,悲しみを克服して生きるためには,彼らはやはり,お互いを必要としているのだから。過去の因縁も,人種の壁も関係なく,寄り添って生きる道を選んだのではないだろうか・・・・と,私は思う。
追記: ヒースが劇中で自殺してしまう作品。それがこのチョコレート。今,これを観るのは確かにかなり辛いものがあったけど,私は初見時に彼の演技をじっくり観てなかったので,出番は少ないけど,絶賛されたという,この作品での彼を再見してみた。そして,やはりソニーが死ぬ場面では泣けてしまったのだけど,こんな複雑でデリケートな役ができるヒースは,やっぱり凄い!と思った・・・。
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こんばんわ
僕も最初にこの映画を見た時はヒースの記憶がなかったんですが、BBM鑑賞後に再見したらヒースはとても繊細でかつ愛情に飢えた(だから黒人の少年たちと自分を同列に考えてたのか、彼らには優しかった)僕は愛に飢えてるところはBBMのイニスと共通するところがあると思います。
また受賞スピーチでヒースをべた褒めしてたD・D・ルイスは『「チョコレート」でレジャーは、息子役を演じ、父親、自分自身、人生、観客全てから一歩身を引く未熟な人間を作り上げた。我々は、その人物に恐怖を感じながら惹かれていた、非常に独特な演技だった』と評してます。深い洞察力ですね。確かに独特な雰囲気だったけど。
感想は僕もななさんの記事に納得です。B・ボブソーントン(この人「バーバー」でもこんな感じの演技でした)とH・ベリーの演技も素晴らしかった、ハンクはきっとソニーを愛していて、やはり大事な人を失った悲しみに苛まれたのでしょうね、それまでの彼とは全く変わったし、ソニーと仲良しだった黒人の少年たちにも声をかけたり、それにしても人種差別の激しいじいさん(祖父)でしたね、それに比べソニーの優しさといったら・・・
ヒースってこんな繊細な演技も出来る一方で「ロック・ユー」や「ケリー・ザ・ギャング」のようなワイルドな感じも出せるし、そして「TDK」のような狂気も演じられてやはり素晴らしい俳優です。
投稿: イニスJr | 2008年2月 1日 (金) 22時47分
イニスJrさん
おや,イニスJrさんも,この作品を初見したときは,ヒースの印象が薄かったのですね。
ヒース,前半3分の1でもうスクリーンから退場しちゃいますものね。
でも,ハンクの人生を変えたのはソニーの死だったことを考えると,ヒースは出番は少ないけどとっても重要な役でしたね,再見してみると。
私はBBMを観るまでヒースは華やかなイメージが(パトリオットとかロック・ユーとかで)あったので,イニス役で初めて,繊細な演技をする彼を目にしたわけですが,実はBBMの前から,こんなナイーブな役を演じていたのですね。
そうそう,おっしゃるとおり,ソニーは愛に飢えてましたね。彼の母はどうなったのか?とか,普段の彼の生活はどうなのか?とかほとんど劇中で語られてないのにもかかわらず,ソニーの抱えている孤独感や満たされない思いは,ヒースの表情の演技から,ひしひしと伝わってきて,彼が唐突に自殺したときも,説得力がありました。ああ,死にたくもなるよねって。
あれだけの台詞で,それを感じさせたヒースの演技って,やっぱり凄いですね。
「ケリー・ザ・ギャング」今度観ます。これはまだ未見ですね。レンタルしてこようっと。また違うヒースの魅力に出会えそうです。
投稿: なな | 2008年2月 1日 (金) 23時53分
ななさん こんにちは♪
ヒースの追悼をされているのですね。
本当に彼の突然の不幸には驚きました。
意外と、私は、彼と言えば今作が思い浮かぶのです。
彼の作品はこれと『ブロークバック~』しか観ていないのですが。
短い登場シーンにもかかわらず、強烈な印象を残した俳優さんだったと思いましたねぇ。
残念ですが彼はこれで"永遠の人"となりましたね。
投稿: なぎさ | 2008年2月 2日 (土) 16時38分
なぎささんへ
おお,なぎささんは,ヒースといえばこの作品が浮かぶのですか!
確かに,彼がバリバリの主役の,「ロック・ユー」や「カサノバ」などより,
この出番の少ないソニー役の方がずっと難役だったと思います。
ソニーの人物像をよくつかんで,演じてますね,ヒース。
役者としての才能に,本当に恵まれた人でした。
もう28歳から彼は年を取ることもないのだと思うと,哀しいですね。
投稿: なな | 2008年2月 2日 (土) 20時24分
ななさん、いつもコメントありがとうございます。
TBの件、いつもながらにごめんなさい。
『チョコレート』と聞くと、この作品のヒースの表情が鮮やかに甦ります。
息子が父親の心を、命と引き換えに救ったような物語は、いつまでも心に残り続けるでしょう。
この難しい役を、強烈な印象を残すほどに演じた若いヒース…
彼の作品選びの目を信じさせてくれる1作でした。
わたし個人は、画像を観ても胸が詰まるくらいなので、
もし映像を観たら、「もっと生きててほしかったぁぁぁ~」と、もう叶わない願いを連ねそうで、
当分、封印していなければ普通の生活ができなさそうな気がしますが、
ヒースはこの作品のソニーのように、その存在がこの世から消えても、
多くの方の心に残り続ける存在になることでしょう。
投稿: 悠雅 | 2008年2月 3日 (日) 09時31分
悠雅さん
TBはもう,わたしは あきらめモードですけど・・・(うう)
それでも,悠雅さんのところにはお邪魔したいので
これからも,URLの中に記事を入れてお伺いしますね♪
このチョコレートのヒースは,涙なくては観れませんでした。
>息子が父親の心を、命と引き換えに救ったような物語~
・・・まさにそのとおりで,そうしないと救われなかったストーリーだということが
とても切なかったのですが。
ヒースだからこそできた,素晴らしい演技でした。
悠雅さんは,まだまだ映像をご覧になるだけの
心の整理がついておられないのに
なんだか,思い出させてしまったみたいですみません・・・。
はやく心の痛手が癒されますように・・・。
投稿: なな | 2008年2月 3日 (日) 23時17分
ななさん♪
TB&コメントありがとうございました。
ヒースの不幸なニュースは本当にショックでした。
あまりに唐突で、事実として受け入れるには、まだ実感がないくらいです。
『チョコレート』は出演シーンが少ないながらも
忘れられない印象を残す作品になっていましたが、
今となってはあまりに実生活と重なって、観るのには辛い作品になりました。
でも、いつまでも忘れられない存在としてヒースを、
そして彼の出演作を語り合っていきたいですね。
投稿: ひらで~ | 2008年2月 4日 (月) 10時14分
ひらで~さん こんばんは
ヒース・・・ほんとうに,今でも死んだなんて思えないです。・・・思いたくないです。
>『チョコレート』は出演シーンが少ないながらも,忘れられない印象を残す作品になっていましたが・・・
そうですね。彼が,父親に罵倒されたときの,涙をこらえる表情が,心に焼き付いています。台詞もあまりなく,出番も少ないのに,あれだけ,孤独感や心の痛みを体現してみせたのは,ほんとうに素晴らしかったです。これだけの演技ができるヒース。BBMでのあのイニスとしての演技も,彼ならできて当然だったという気がします。
>今となってはあまりに実生活と重なって、観るのには辛い作品になりました。
・・・そういう意味では,22日にリリースされる「キャンディ」も,観るのが辛い作品ですよね。でも,私はあれを劇場で観てないので,DVDでしっかり観ようと思います。きっと涙なしには観れないと思いますけど。
彼の作品,追悼の意味で,放映されますけど,たくさんの方に見ていただいて,彼の素晴らしさをあらためて知っていただきたいと思いますね。
また,よろしくお願いいたします。
投稿: なな | 2008年2月 4日 (月) 22時17分
ななさん、こちらにも☆
今日はこの映画を、gyaoで見てしまいました。
普通gyaoとかだと、途中でCMが入ったりして、なかなかぶっつづけで入り込んだまま全部見終わるってのが難しかったりするんだけど、この映画は違ってました。
凄くなんて言うか、ツボに来る映画だったというか・・・。
良かったです。想像や期待以上のものがありました。
で、ヒース、凄く良かったじゃないですか~~。
私はこういう繊細で優しい男の子って好きだなあ。上手に演じてましたよね。そして、あのピストルのシーンは、衝撃でした。最近見た映画の中で、これほどガツーン!と来るシーンって他に無かったかも・・・。
ラストシーン、気になりますよね・・・。私も今晩色々考えちゃいそうです。見終わった直後は良い方に解釈したけど、でもどうかなあ・・・ほんと難しいですね・・・。
投稿: latifa | 2009年1月15日 (木) 14時24分
latifaさん こちらにもありがとう!
gyaoで放映されたのですね~
監督さんがあの「君のためなら千回でも」の方ですよね。
人間の残酷さと同時に優しさをも描く監督さんだと思います。
深い映画ですよね~。
これのヒースは,そんなに出番は多くなかったけど素晴らしかったですね。
アン・リー監督がこの作品を観て,彼をBBMのイニス役に・・・と思ったとか。
>私はこういう繊細で優しい男の子って好きだなあ。
私もです。だから余計にあのピストルのシーンは可哀想でした。
ラストシーンはいろいろ考えさせられますね。
結論を観客に委ねたような終わり方でしたが
この監督さんはいつも傷を抱えた人間の再生の物語を描くので
きっとよい結末だったのだと思います。
TB,「無極」の方だけ届いて,こちらはダメだったみたい~,ごめんね~。
投稿: なな | 2009年1月16日 (金) 22時09分