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2007年11月の記事

2007年11月30日 (金)

インファナル・アフェア

Cap344 第79回アカデミー受賞作品ディパーテッドオリジナル。ディパーテッドを先に観てから,これを御覧になった方もいることだろう。私は公開当時にこれを観て、そのあまりの完成度の高さに驚愕した。ハリウッドリメイク版ディパーテッドは,アメリカらしい味付けで,レオもマットも大健闘していたが,やはりオリジナルの方が私は好きだ。ディパーテッドを観た後に,最近またこちらを鑑賞してみたが,やはり,見事としか言いようのない最高傑作だった。
Cap346 練りに練られた脚本は一分の隙もない。アジアが誇る名優たちの演技は,大胆かつ繊細で,彼らの人間としての苦悩や葛藤が,ひしひしと伝わってきて息苦しくなるほど。

マフィアに潜入した捜査官ヤン(トニー・レオン)と,警察に潜入したマフィアの青年ラウ(アンディ・ラウ) この二人が,互いの存在に気づいてから繰り広げる 白熱の頭脳戦は,触れるとピシッ!と音をたてそうなくらい,緊張感に満ちて,思わず身を乗り出し,固唾を飲んで物語の行方を追うことに夢中になる。非常にテンポよく進む物語。一つも無駄なシーンやカットがない。
Cap348
しなやかな体にぴしりと黒いスーツをまとい,見るからに切れ者のラウは,良心の呵責と,保身との間で激しく煩悶する。「善人として生きたい」という願いを叶えるためには,しょせん,罪を重ねるしか道のない哀れなラウ。
Cap347
一方,長年の潜入捜査から来る,緊張と孤独に疲れ果てたヤン。自分のアイデンティティーを知るたった一人の上司ウォン警視の死を前にしても,マフィアの一味として行動せねばならないヤンの,瞳に浮かぶ 哀しく苦しげな表情が切ない。(しかし,ブエノスアイレスでも書いたが,トニーは哀しい顔がほんとによく似合う)

善人であるのに,悪人の肩書きをまとわねばならないヤンと
悪人であるのに,善人の肩書きを手放したくないラウと。

・・・どちらの男も壮絶なくらい孤独だ。
相手を倒さねば自分が倒されるという,宿敵の二人だったが,潜入の苦しみを体験した者同士だからか,二人の間には何か奇妙に 心が通じ合うものも感じられ,それがまた切なかったりした。

・・・・それにしても,もう若くないアジアの男優ふたりのなんとまあ,渋くてセクシーで素敵なこと。この役はこの二人以外考えられない。
Cap334_2 抜けるような青空をバックにした,ビルの屋上での対決シーン
どちらの側にも共感している自分がいた
どちらかが倒れるまで,闘いは終わらないということは判っていたけど,ヤンの潜入捜査官の苦しみも早く終わらせてあげたいし,「見逃してくれ」と懇願するラウにも,どうしても感情移入してしまって。

結局思いがけない一発の銃弾が けりをつけることになる。職務に身を捧げ,報われることのなかったヤンの人生は確かに悲劇。しかし罪を背負って生きてゆくラウを,待っているのは無間地獄の闇生きている限り,どこまでも続いてゆく果てしのない苦しみの道だ。
Cap339_2
この極めて東洋的で,仏教的な無常観こそが,この作品の大きなテーマであり,魅力でもあるから,ハリウッドのリメイクは,この点をどうするのかなあ,と懸念していたら,案の定,そういうテイストは,あっさりばっさりカットしていた。まあ,無理して表現されるよりは,潔くていい。

デラックスDVDボックスを買ったら,無間道という歌の入ったスペシャルディスクがついていた。なんかトニーとアンディが歌ってるのだけど,どっちがどっちの声かしら?歌もお上手なのね,お二人さん。歌詞は深いけど,メロディーは明るいノリだった。(←賑やかな演歌って感じ)その中での歌詞の一節が,ラウの気持ちをよく表していたなぁ・・・。

選んだ道を歩み続けても,夢見る彼岸にはなぜ辿りつけぬのか。
この世は絶え間なく続く道。どうすれば地獄から抜け出せる
苦しみを忘れ去りたいのに,極楽への道はあまりにも遠い
道の果てがやっと見えたときふと気づく,そこは再び出発点。

なんとまあ すご~く悲惨な歌ですね~♪ 
Cap311
これをトニーとアンディが絶唱しております(なんか かわいい)

2007年11月28日 (水)

オリバー・ツイスト

Cap278
19世紀の英国の文学や歴史が好きな私は、ポランスキーが「オリバー・ツイスト」を映画化すると聞いたときは、観る前から既に勝手に満点評価をつけていたような気がする。オープニングで大写しになったイギリスの田園風景を描いた銅板画と,♪ソッソソッラ シッシシラソーという曲が流れたときから もうワクワク。(鉄道唱歌に出だしが似てる)Cap301
チェコのプラハに作った19世紀のロンドンの町並み。
華やかな喧騒の溢れるキングス・ストリートや
不気味な悪の巣窟,ジェイコブス・アイランド。
夜霧の中に 神秘的に浮かび上がるロンドン橋。
薄暗い室内を暖かく照らす蜂蜜色のろうそくの光と陰。

小説で読み,頭の中にだけ思い描いていた,文豪ディケンズの世界が,実体を持って目の前に立ち現れてくるのを観るのは,まことに嬉しかった。
Cap274
オリバーを演じたバーニー・クラーク君は,上品ではかなげな風情の お人形のように整った顔立ち。哀愁漂う無垢な感じは,「天使がいじめられたら,こんな顔をしそう・・・」と思った。彼が,また巧いんだな,涙を流したり,気絶したりする演技が。青白い頬を涙でぬらして,震える声で懇願する姿は,いかにも哀れを誘う。あの顔で「もっとお粥を」と乞われて,それを拒絶する輩は鬼にちがいない。
それにしても、この時代の英国の貧しい人々の惨めさと言ったら!ことに幼い子供たちか餓死したり,犯罪に手を染めて生きる様子は,痛々しいとしか言いようがない。
Cap276
子供がのたれ死にしようが、酷使されようが,意にも介さない大人たちの姿に,「なんてひどい時代!」と思わずため息。(ディケンズだから,そこに風刺が込められているのだが)
そして作中、最もオーラを放っていたのが,
フェイギンを演じたベン・キングスレー
少年窃盗団の元締めだが,サーの称号まで持つキングスレーが,ぼろのガウンを纏い、乱杭歯をヤニで汚く染めて腰を曲げ,不気味で小汚い爺さんを,完璧に演じきっていた。
Cap297
ディケンズ作品は、悪人はとことん悪人という描き方が多いように思うが,このフェイギンは,善と悪の両面を併せ持つ人間として描かれていて,演じるのは相当難しかったと思うのだが、キングスレーの表情は、時に人情味の片鱗を覗かせるかと思うと,次の瞬間には,また狡猾そうな悪党の顔に逆戻りしたりして、まさに変幻自在。Cap288
温厚な紳士,ブラウンロー氏を演じたエドワード・ハードウィックも,悪の権化ビル・サイクスを演じたジェイミー・フォアマンも,マグダラのマリアみたいなナンシーを演じたリアン・ロウも,そして子供ながらセクシーな早業ドジャーを演じたハリー・イーデンも,みながぴったりと役にはまっていて,演技もすばらしかった。

一つだけ,不満な点を挙げると,原作の重要な箇所の省略だ。その重要な箇所はつまり  オリバーの出生の秘密

原作では,オリバーは,実はブラウンロー氏の親友の遺児であり,そのことが判明するシーンは,物語の一つのヤマ場となっていて,たしかオリバーの母の妹(つまり叔母)も登場する。つまり原作のオリバーは,映画のように善良さのおかげで,悪の巣窟から脱出できたのではなく,もともと上流階級の生まれだったから,本来の自分の居場所に戻れたのである。
Cap289
小学生の時,初めて児童文学全集で「オリバー・ツイスト」を読んだとき,この「オリバーの出生の秘密」が一番心に残り,面白かった。韓ドラにもよく取り入れられる,物語の醍醐味「明かされる出生の秘密を,監督はなんと「ややこしくなるから」とカットしたそうな。

これを無いことにしたものだから,オリバーに肩入れする ブラウンロー氏の心境の説明がつかず,「この子の中の何かが私の心を打つ」などと,説得力に欠ける台詞が登場していた。
映画のオリバー少年は,何の努力もなく,ただ美しく無垢な顔立ちだけで幸福をつかんだようにも見えて,感動が薄まったのじゃないかなあ・・・。
Cap295
善良であれば,いつかは幸せになれる
というテーマは,世の中を長年見てきた者からすれば「嘘つけぇコラ」となりかねないが,出生の秘密が明るみにされて幸せを取り戻す物語なら,「めでたし,めでたし」と,素直にカタルシスを感じることが出来ると思う。

・・・まあ,これも,裏返せば,氏素性によって幸せが決まるっていう癪にさわる理屈になる恐れもあるのだけどね。

こんな小難しいことばかり考えずに,ディケンズの世界と,バーニー君やベン・キングスレーの演技を素直に堪能した方がよさそうだ。バーニー君は,成長したら,正統派の英国美男子になりそうですなぁ。

2007年11月26日 (月)

マイティ・ハート/愛と絆

010 2002年にパキスタンで実際に起こった,テロリストによるアメリカ人のジャーナリスト誘拐,殺害の事件の映画化。夫を誘拐される妻,マリアンヌ・パールを,アンジーが演じると聞いてとても楽しみに劇場に行ったのだけど・・・。

ごめんなさぁぁい
・・・寝てしまいました。途中の一部分。
でも,これは映画が退屈だったのではなく,きっと私の体調のせいだ。風邪気味,微熱あり,おまけに仕事帰りの夜の鑑賞だったから(←馬鹿),夫の捜索が開始されてからの展開が やや平坦に感じられて,気がついたら 時々意識が薄れていって・・・・

夫の死を知ったアンジーの号泣(←ほとんど咆吼)ではっと我に返り,再度ウトウトしかかった時に,出産シーンの絶叫で またもや我に返った私。002 ウィンターボトム監督,ドキュメンタリー風に撮っていて,音楽もほとんど使ってないからまるで実際の記録映画を観ているような,生々しさと緊迫感があった。(←だったら寝るな!)

アンジーの演技は,絶賛されていただけあって,素晴らしかったと思う。色を使わず,ほとんど素顔に近いメイクの彼女は夫への深い愛や,今にも崩れ落ちそうな精神状態でいながらも,気丈に夫を待ち続ける妻の役を,完璧に演じていたと思う。夫の死を告げられるシーンの演技は,確かに圧巻だった。
012
ただ,一つ不満に思ったのが,彼女の心境の変化の描写。あれだけの苦しみを乗り越えて,冷静かつ公平なコメントを発言できるなんて嘘っぽいとまでは言わないけど,そこに至るまでは,相当な葛藤や,苦悩があったはず。

夫をあのように殺されて,犯人を憎まない妻なんていないでしょ!立ち直るまで,しばらくかかりますよね。それが自然よー。憎しみや悲しみをどうやって克服できたのか,そこんところを,もっと丁寧に描いてほしかった。(実はそこが一番知りたかったもんで)

・・・なんて,やや辛口になってしまいましたが,DVDになったら,もう一度体調を整えてじっくり鑑賞してみたいです。確かに,この時代にマッチしたタイムリーな作品ではありますね。

ブロークバックマウンテン(19)

尽きせぬ魅力
42 思いつくままに開始した このBBM連載。まさかこんなに回を重ねるとは,思ってもいなかったです。ただ イニスとジャックに対して溢れる思いを,映像と共に残しておきたくて,始めた記事でした。

それでも,回を重ねるうちに訪問してくださる方や,共感してくださる方も出てきて,それはとても励みになりました。さすがに少々息切れもしてきたので,キリのいい数字でもある次回の(20)で,一旦終了させていただく予定です。Cap269_2
前置きが長くなりましたが、今回のテーマはBBMの魅力について。この物語が好きなわけや,感動する理由は,観る人によって,それぞれ微妙に違うと思います。それはきっと、その人の価値観や人生観,体験などが反映されるから。

BBMのファンはみんな,大なり小なり,イニスたちの物語を辿りながら,自分の人生を振り返って考えることを迫られるような気がします。そこがこの物語のすごいところであり,奥深いところなのでしょう。
・同性愛と,それに制裁を与える社会や時代。
・報われなくても,愛さずにはいられない愛の絶対的な力。
・人生の選択と,選び取ったものに対する責任。
・伝えられなかった愛が引き起こす慚愧の思い。
・ソウルメイトの存在
・自分らしく生きることの大切さと、それができない場合の悲哀
08
私の場合は,ソウルメイトの存在について一番考えさせられました。どんなに長い歳月も,遠く離れた距離も,決して壊すことがてきなかったイニスとジャックの愛。それは、歓喜だけでなく、激しい痛みをも彼らに与える愛であり,逃れることができない,宿命的な愛だったと思います。彼ら自身も,自分の意志ではどうすることもできず,圧倒的な愛の力に 引きずられていたのかもしれません。 
Cap272 私は,こんな激しく切ない愛があるのかと感動し,それと同時に,自分の今までの人生,そしてこれからの人生のことを思って何とも寂しい気持ちになりました。・・・・なぜなら私は、彼らのように全身全霊で誰かに恋い焦がれた経験がないから。(ありきたりの恋は体験したことがあるけど,障害があれば,すぐに消え去るほどの恋でしたね,今思えば)

魂が共鳴しあうソウルメイトに,今後出会えるとも思えません。それに,本音を言うと,私は彼らのように,苦しみと背中合わせの愛を,体験するだけの勇気はないと思います。だからこそ彼らの愛は,手の届かない美しい星のように煌めいて思え,彼らを思うときはいつも,あきらめの混じった切ない憧れの感情に襲われます。
Normal_088s 
BBMは不思議な映画です
観る人の心の一番奥にまで届き、そこに納められている,それぞれの愛の記憶や,大切にしている感情を揺り動かすのです。時には遠い昔に封印して、忘れ去っていたものさえも鮮やかに思い出させる力があるような気がします。

十人いれば,十通りの感動がきっとあるのでしょう。

ウィスキーを酌み交わしながら(ワインでもいいけど)この物語を愛する人たちと,BBMの魅力について語り合えば,きっと夜が更けるのも忘れるくらい,盛り上がることと思います。

2007年11月25日 (日)

エリザベス

Cap257 1998年公開のこの映画は,エリザベスを演じたケイト・ブランシェットが大女優への一歩を踏み出した 記念すべき作品である。
舞台女優出身だけあって,よく通る発声と,堂々とした立ち姿。一人の少女が,いかにして大英帝国の黄金時代を築く女王へと成長していったかを,彼女は圧倒的な演技力で見せてくれた。それにしても,この「エリザベス」改めて観ても,俳優陣の超豪華なこと!
Cap245_4_2 参謀ウォルシンガムにジェフリー・ラッシュ。そう,あの「パイレーツ・シリーズ」で,バルボッサを演じているあのお方。そこにいるだけで,もの凄いオーラを放つ存在感はさすがだ。彼は,一筋縄ではいかない知性と胆力でエリザベスの片腕となって暗躍する。  
Cap237_2 恋人,レスター伯にジョゼフ・ファインズ。このお方は,「ヴェニスの商人」とか,「恋に落ちたシェイクスピア」などでも,時代劇の優男を演じている。長身に時代物のきらびやかなコスチュームがよく似合って,ややヘタレなキャラも,はまり役だ。
Cap255_2 女官カット役にエミリー・モーティマー。DEARフランキーの,お母さん役や,マッチポイントのクロエ役が記憶に新しいが,この作品では,聡明で清楚な魅力を漂わせていた。
Cap236_2 極めつけが,刺客を演じたダニエル・クレイグ。この頃は,まだ無名だった・・・・。顔もまだ若い。(今より丸顔だ。)知性と野性が混ざり合ったような雰囲気は同じ。彼が後にニュー・ボンドになるとは,これを観たときは想像もできなかったが,なぜか印象的で,私は彼をこの作品で覚えた。

その他にも,ヴァンサン・カッセル,ファニー・アルダン,リチャード・アッテンボローと
実に蒼々たる面々。彼らの豪華競演を堪能するだけでも一見の価値あり,だ。
また,衣装も音楽も.素晴らしく,とても絢爛で重厚な作品となっている。
Cap244 あの時代の英国およびヨーロッパの王室について,また宗教の紛争について,多少の予備知識があった方がもちろん楽しめるが,あやふやな知識しかなくても,退屈することもなく楽しく鑑賞できる。

とにかく,ケイトが演じるエリザベスの男前な性格が格好いい!彼女の失脚を願う敵は,国内,国外を問わず,掃いて捨てるほど存在する。誰も信用できない,孤独な状況を果敢に受け入れ,血の粛清をも,必要とあれば,ひるむことなく決行するエリザベス。ラストのシーンで「私は英国と結婚します」と厳かに断言する彼女の姿は,神々しいほどのオーラを放っていた。
大英帝国の黄金時代の幕開けである。
Cap262 まさに,エリザベスを演じるために生まれてきたかのようなケイト。続編『Elizabeth:The Golden Age』も,当然ケイト主演で,日本での封切りが今からとても,楽しみである。(劇場で観たい~!)

2007年11月24日 (土)

アポカリプト

Cap231 いや~凄かった
2時間,食い入るように観てしまった。
途中,時々手で顔を隠して,指の隙間からこわごわ覗き見するシーンもあったし,「なにもそこまで・・・」という場面もあったけど,中盤に入ると,密林で繰り広げられる地獄の障害物レースに釘付け。

物語の舞台は,マヤ文明崩壊前夜の中央アメリカ,ユカタン半島(←ってどこよ?)。森の狩猟民族のジャガー・パウ(ルディー・ヤングブラッド)は,一族と共に 愛する妻子と平和に暮らしていたが,そこへ襲撃してきたマヤ帝国の兵士たちによって,村は焼き討ちに会い,ジャガーたち住人は捕虜として都へと連れ去られる。儀式の生け贄として殺されかけたジャガーだが,脱出に成功し,深手を負いながらも,妻子の待つ故郷の村へと向かう・・・・。
Cap220 冒頭から,マヤ時代の狩猟民族の 狩りや生活の様子や,彼らの外見,服装,話される言葉(マヤ語!)の持つ摩訶不思議な世界に引きこまれてしまった。男女とも半裸に近い衣装(男はふんどしみたいな)で,やたら顔のあちこちに穴をあけて(痛そう)装身具をつけ,体には入れ墨。どの人の顔も,精悍さと素朴さに満ち,肉体には躍動感あふれる美しさがある。

彼らがまだ平和に暮らしているときも,狩りで仕留めた獲物をかっさばいて,素手で臓器を取り出すなど,目を覆いたくなる場面があるが,村が襲撃されてからは,これでもか,これでもかというくらいに残酷描写の嵐,怒濤のノンストップ状態である。

スクリーンから直に血や汗が飛び散りそうな迫力満点の肉弾戦。生け贄シーンでえぐり出される心臓や,石段のはるか下まで投げ落とされる首。相手をなぶり殺して楽しむかのような,人間狩りのゲーム。本物のジャガーが人の顔を食らう・・・などというシーンまである。


残酷描写は割と平気な私だが,「この監督の残酷描写は怖い・・・」と思った。映像自体に,並々ならぬパワーがあるから,余計にそう感じる。
マヤ文明の崩壊を描いているというから,社会的なメッセージの入った,ドキュメンタリータッチの作品かなあと思っていたら,とんでもない!ギブソンは,苛烈なサバイバルアクションと,残酷描写が描きたかったのかと思われるような内容だった。(パッションも残酷だったけど,まだ宗教的なメッセージがあった。)
Cap228_2 残酷描写も,ここまで道を究めてよいものか・・・とも思うけれど,メル・ギブソン監督の半端じゃない気合いと情熱には,有無を言わさず観る者を圧倒する力がある。

「撮りたい題材を,撮りたい方法で徹底的に撮るんだ!それが何か?」と,堂々と胸を張るギブソン監督の顔が目に見えるようだ。(いやー,別に異議はございません。多少個人的な趣味に走ろうとも,ほとんど監督の自腹で作ったんだし,)
Cap235 主演のルディー・ヤングブラッドの 躍動感あふれる走りと,美しい瞳を駆使した 表情豊かな演技は素晴らしい。慣れ親しんだ森に逃げ込んでからは,狩りの技術を総動員して敵をやっつけるところは,ランボーみたいでシビれます。・・・・しかし,残酷描写が苦手なかたは絶対に観てはいけませんよ。

2007年11月21日 (水)

ダイ・ハード4.0

Cap204これも実は劇場で観たのだけど,なぜ記事を書いてないんだろうと思ったら,ブログを開設したばかりの頃だったので,慌ただしかったんだわ。で、遅ればせながら今頃失礼します。DVDも出たことだし。

帰ってきたウルトラマン!じゃなくてジョン・マクレーンさま!別に期待して待っていたわけじゃなかったけど(ブランクの期間,長すぎたからねぇ)やはりあなたに逢えるのはどきどきしちゃいます。この何十年間か,世間には出なくても,お元気で勤務されてたようですね。
Cap215 50過ぎで「ダイ・ハード」(死ぬほどキツイ)を演じられるのかブルース?っていろいろ心配していましたが,全くの取り越し苦労でございました。むしろ,むかしより貫禄のついた体格でのアクションは,若かりし頃のアクションより 余裕,余裕のノリでした。

ダイ・ハード1は不滅の大傑作ですが,あのころのマクレーンさまは,満身創痍になられた時,いかにも痛そうで,それでも歯を食いしばって頑張っているお姿が等身大のヒーローとして新鮮だったわけですが。今回のマクレーン様は余裕たっぷりでアクションを楽しんでおられる様子が,なにやらスティーブン・セガールを観ているような気に・・・。まあ、その分安心して観ていられましたが。
Cap187 しかし,何ですね,時代が変わればアクション映画のスケールもどんどん大きくなっていくわけで,今回はサイバーテロによる国家の危機!たった一人でアメリカ合衆国を救うだなんて,なんてまあグレードアップ!1作目の ビル内に限定されたテロが懐かしゅうございます。

従ってストーリーは どうしても無理はありますが,そこは目をつぶります。公共物破壊しすぎだろとか,絶対今の攻撃でアンタ死んでるはずじゃんなんてつっこみません。いや,つっこむ暇ないくらい,怒濤の展開が面白かったです。

今回の相棒が,これまでとタイプが違って,息子のような年のハッカー小僧マシュー(ジャスティン・ロング)というのも絶妙な取り合わせ。二人のやり取りも,掛け合い漫才みたいでよかったです。また,それでいて,やるときゃやるんですよね,互いに得意分野をフルに生かして助け合う。

窮地に陥っても,マクレーンさまのジョークは今回も炸裂。「俺は確かにアナログな人間だが,まだ生きてるぜ」と敵に言う台詞とか,「救出作戦は?」とビビる相棒に「娘を助けて後は殺す」といたって単純明快に答える台詞にしびれました。あー,私もあなたのようにシンプルに力強く生きてみたい〜!

今回の敵役は,異様な感じはしたけど,そんなに怖くなかったです。(私的には,1のアラン・リックマンが一番不気味でした。)
Cap219それよりもマギー・Qのアクション,すごかった。この人はかっこいいですね〜。あんな美女を,悪態つきながら,ためらいもなく
ボコボコにやっつけるマクレーン様、あなたもまた凄い。愛娘もまた,普段はマクレーン様に反発していても,いざというときはやっぱり「この父にしてこの娘あり」の気概を見せてくれましたね。

劇場で観てよかったです!私にとっては1の次におすすめのダイ・ハードです。しかし,今回で「マクレーン健在!」の証明をしたこのシリーズ。もし5を作るとしたら,救出する相手は孫かしら?そして地球の危機を救うためにエイリアンと一人で戦う・・・とか?
Cap209

そこまで来ると,もはやホラ話の域ですわねぇ。

ブロークバックマウンテン(18)

ジャックの優しさ
Cap020_2 今回はジャックの人柄や行動について(言いたいことはたくさんある(^O^) (16)でイニスのことは 腐れ縁を呼ぶ男だなどと 表現しておきながら,ジャックは優しいだなんて言うと ちと不公平な気もするけど。

でもジャックも 繊細なだけのキャラじゃなく,(この繊細さは,ジャックというより 演じたジェイクの持ち味かな)いい加減で 勝手なところもありますよ。(けなしてるんじゃないよ)
あの有名?な「羊食べよ」発言とか,ラリーンとの離婚計画とか聞いてると「何や、こいつ〜ええ加減な」とか思うもの。
Cap032
でも、でも、よく考えてみたら,彼はロデオ乗りなんだよね。ああいうスリリングな競技を好むジャックの行動パターンは刹那的で 結果オーライなところも,そりゃあるはず。石橋を叩きまくって,結局渡らないイニスと違って,ジャックは,まず行動を起こす

恋を仕掛けたのも,4年目の再会のお膳立てをしたのも,そして片道14時間かけて,イニスの元へ駆けつけるのも,全部ジャックの方。

時には「お気楽」としか受け取ってもらえない発言(テキサスに住めば?とか)もあり,あまり屈託がない性格のように 思われがちなジャックだけど何てナイーブで優しいんだろう・・・と思う場面もたくさんあって,そしてイニスもまた,自分でも意識しないで,心の中ではジャックの行き届いた優しさに甘えていたんじゃないかと思う。

私がジャックの優しさをいじらしく感じた一番のシーンは,あの再会の後の山でのたき火の場面。「一緒に牧場をやらないか?」というジャックの提案に,「あり得ない」と答え,封印してきた自分のトラウマを語るイニス。
Cap002_2
・・・・我慢するしかない。耐えられる限り。
これを聞いたジャックは,一言もイニスを責めることなく,深い悲しみのこもったまなざしで,イニスをじっと見つめながら,彼の横顔に手を伸ばして,優しく小突くように撫でる。自分の提案を退けたイニスに,もどかしく辛い思いを抱きながらも,イニスのどうすることもできない気持ちを 思いやるかのように。

最後の日のあの諍いでも,堰を切ったように長年の思いをぶちまけたけれどイニスが泣き崩れると,たまらなくなって駆け寄ってしまうジャック。このときの I’m sorry はジェイクのアドリブ。(ジェイクはテントのシーンといい,アドリブでI’m sorryと謝ってばかりいる。彼もまた,優しい・・・。)何だろう,この母のような懐の広さ,包容力
Cap030_2_2
自分の感情に正直に生きる,直情的なところもあるのに,愛する相手のためには自分の感情を殺してまで,相手を思いやることができるジャック。愛に不器用なイニスに比べると,その点では彼の方がずっとオトナだったかもしれない。

それにきっと,ジャックはどんな我慢をしても,イニスとの関係を失いたくなかっんだろうな。イニスもまた,そんなジャックを,どんなにか愛していたことか。(・・・・彼が死んでから気づいたけど) ああ,やっぱり切ない。このお話,どこを切り取っても,誰の視点で見ても,切なさがあふれてる。まるで切なさの宝庫のような物語だなあ。(涙)

2007年11月20日 (火)

タイタニック

Cap050これもまた太陽と月に背いて記事はこちら)と同様に美しかったレオ様を偲ぶ作品(今のレオも男らしくて別の意味で好きだけど)

私がこれまで観たレオの作品で,好きな順は(彼の若い頃のばかり)タイタニック>仮面の男>太陽と月に背いて>キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン>ギルバート・グレイプ。このチョイス,レオが美しいかどうかという基準で選んでるかも。(汗)
Cap025
さて このタイタニック,キャメロン監督がこだわりまくって作った大作だけに,見どころは山ほど。たとえば・・・・・当時はまだ 今ほど一般的でなかったCGの大胆な使用。迫力溢れる映像で,忠実に再現してみせてくれたタイタニック沈没の全貌。そして 胸を打つジャックと ローズの悲恋。
Cap013
意に添わない婚約をした上流階級の少女が,身分違いの少年と恋に落ち,片方が死ぬ
という筋書き自体は,別に目新しいものではなく,日常の世界を背景に描かれていたら,いくらレオが主演でも凡庸なものになっていたかもしれない。

しかし,タイタニック沈没という世にも悲劇的で有名な事件を背景に持ってきたからこそ,二人の恋はかくも激しく,観る者の心を揺さぶったのではないだろうか。客船の中という限定された空間と,沈没までのタイムリミット。結ばれた次の瞬間から,甘い余韻に浸る間もなく,過酷なサバイバルゲームの渦中に投げ込まれる恋人たち。

Cap097 生死にかかわる非常事態の中に咲いた悲恋の花は,その背景が修羅場であるからこそ、美しさが際立つような気がする

それにしても,レオが演じたジャック・ドーソンというキャラの 何と魅力的なこと。容姿ももちろんだけど,その生きる姿勢に引き付けられる。何より自由で,誇り高く,勇敢であるところに。

Cap142 金持ち連中との晩餐会でも,少しも臆するところなく,「どんなカードが配られても,それもまた人生」と胸を張るジャック。そして,惨劇が起こり,どんなに絶望と思われた時も,ローズへの愛と,生きる希望を絶対に放棄しなかったジャック。

・・・・これは,ローズでなくても惚れるでしょ~。

Cap090_2
観ている間,ローズ同様に彼に恋をした人も多かったはず。彼とだったら,私だって,地獄の底までご一緒したくなりますよ。ジャックは,レオの持ち味が最も活かされ,彼が一番まぶしく輝いた役かもしれない。しかしジャックがローズを愛した理由は,いまいち説得力がないかな?

一目惚れ?ローズの美しさに惹かれたのかな?確かにローズは,体型はともかくとして,フランス人形のように綺麗だけど。ジャック・ドーソンのような個性的なキャラが,命を賭けて愛する理由としては,ちと弱いような気がする。彼は,ローズの内面の自由な精神に,自分と似たものを感じて惹かれたのかもしれない。

一番好きなシーンはやはり,あの肖像画を描く場面。ケイト・ウィンスレットのクラシカルな美しさにも目を奪われるけど,彼女を見つめるレオのまなざし(セクシー♪)に,こちらまでドキドキ。

Cap056
ジャック・ドーソン。ほんとうに彼はまるで天から舞い降りてきたような,抗いがたい魅力があった

だから、彼が死んだ時は,本当に絶望的に悲しかった。穏やかに目を閉じたジャックの身体が,凍てついた海の底に沈んでいく映像は,何度見ても「嘘でしょ〜,死ぬなんて」と叫びたくなる。これがもし連続ドラマなら,TV局に助命嘆願書を出す,絶対。そして私がローズなら後を追うかも。でも、ローズは彼の遺言に従って,生きる道を選ぶ。

Cap126 あんなに愛した人を,その後何十年も,誰にも言わずに心の奥に秘め続けたローズは,やはり強い女性だなあと思った。(←したたかと言うべきか?)

音楽がまたすばらしく,主題歌を耳にする度に,あの日 タイタニック号と共に沈んでいった大勢の人々の,それぞれの物語と,ジャックとローズの愛に思いを馳せてしまう。

・・・・間違いなく,映画史上に燦然と輝く名作だ。
Cap148_2
劇場で観たとき,エンドロールが完全に終了するまで,観客は 誰ひとりとして席を立つことができず,圧倒的な余韻に浸っていたことを,昨日のことのように覚えている。

2007年11月18日 (日)

ボーン・アルティメイタム

009 やった~! 今日観てきた。観れないとほとんど諦めてたのにたまたま,上映時間に合わせて,それも劇場の近くで時間が空いた。ラッキー!

結論から言うと いやー面白かった~!これ。3作の中で一番好きかも。しかし、人間兵器ジェイソン・ボーンの無敵っぷりは回を重ねるごとにグレードアップしている。あんまり強すぎて、敵を倒す手口が鮮やかすぎて,見ていてあまりハラハラしなかったほど。

今回のボーンの目的は,一連の事件のそもそもの発端となったトレッドストーン作戦の秘密を探り,失った記憶を取り戻して自分の原点に帰ろうとするもの。遂に最強のスパイ,ジェイソン・ボーン誕生の秘密が明かされるのだ。
008 今だに断片的な記憶のフラッシュバックに襲われ,愛するマリーを殺された心の傷も癒えていないボーンの,何かに取り憑かれたような眼に冒頭からひきつけられる。「予習しとかなきゃ」と,昨夜「スプレマシー」を見直してから臨んだのだけど,やはり時々,ストーリーについていけなくなる瞬間もあってそこはどこ?アナタは誰?状態に陥ることもあったが,息もつかせぬ アクションシーンの連続に手に汗を握るうちに物語は気持ち良く終了。誠に極上のエンタメ作品に仕上がっていた。

ウォータールー駅の雑踏の中での追跡劇。モロッコの街では,家の窓から窓へとサーカスのように飛び移り,あげくの果てには,殺し屋と室内で繰り広げる死闘。(人の家なのに~)

毎回 臨場感を増すカーチェイスは,自分も乗っているような錯覚が起こり,思わず座席の上で 体を左右に動かしている自分に赤面。アクションのテンポも,量も,質も,3作の中では最高ではないだろうか。

それにしてもボーンは強いだけでなく、なんて頭がいいんだろう。待ち伏せする敵を素早く見抜き,瞬時に的確な判断を下すところはほんとうに見事。どんな訓練を積んだらあんな力がつくのかなあ。最初の頃に出てきた新聞記者が,恐怖のあまりボーンを指示を聞かずに行動して、案の定,敵に射殺されたシーンでは「あーあ、だから言うとおりすればよかったのにー。」と思ってしまった。
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CIAに背いてまでボーンを助けるニッキーは、彼を愛しているんだろうな。彼女が潜伏先で,髪を染めてカットするシーンは、一作目でボーンがマリーの髪をカットするシーンを思い出して「もしかしたら~?」とその後の展開を期待しちゃったが,そんなに安易にはいかなかった。・・・・まあ,それはそれでいいんだけど。

2作目では,ボーンを追いつめる役だったパメラジョアン・アレン)が,今作では今度はボーンの理解者,協力者となって,最後には,胸のすくようなことまでしてくれる。(かっこいい!)
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殺人兵器となった自分の宿命に,やりきれない怒りや悲しみを覚える人間ボーンの苦悩も描かれていて,「おお,こんな感動も用意されていたのか!」と嬉しくなったりして。ラストもヒネリが効いていて,続編を予想させる終わり方にも思えた。

マットは,ちょっと老けたかな~とも思ったけど,あのアクションは凄い!がんばれるうちは,まだまだ続編作ってほしい・・・。

2007年11月17日 (土)

フリーダム・ライターズ

Cap088 エリンヒラリー・スワンク)は人種間の暴動に明け暮れるロサンゼルスのウィルソン公立高校に赴任した新任の国語教師。理想に燃える彼女とは対照的に,クラスには不穏な空気が満ちていた。人種別に結成されたグループの間には,一触即発の険悪なムードが漂い,授業中でも,きっかけさえあれば,生徒間で暴力沙汰が起こる。彼らもまた、親たちと同じように,この街の暴力と憎悪の連鎖の中から,抜け出せないでいた。

支配階級である白人のエリンに向けられる,生徒たちの不信と敵意のこもった冷ややかな目。まだ15歳だというのに,抗争に巻き込まれて命を落とす危険にさらされ,「闘う」こと,「憎む」こと,そして「仲間のために死ぬ」ことにしか,意義を見いだせない彼らのすさんだ人生観。

そんな中でもエリンはひるむことなく,彼らに生き甲斐や誇りを持たせようと,さまざまな取り組みを始める・・・・。

予告を読んだとき、小学生じゃあるまいし,そこまですさんだ生徒たちの心が日記を書かせるくらいで,そんなにうまく変わるものか?と半信半疑だった。しかし、物語を追っていくうちに,納得できた。なぜ,エリンは,彼らを「変える」ことに成功したのか。
彼女の情熱と愛の力は言うまでもないが,それに加えて,なにより教師としての資質がすごく優れているのだ,彼女は。
Cap097 生徒の状態に合わせた柔軟な対応やアイデア。型にはまらない授業形態と教材選び。最初の頃の取り組みのライン・ゲームに感心した。エリンの質問に,自分が当てはまると判断した生徒は,教室の真ん中に引かれたラインまで進み出るというシンプルなゲーム。最初は他愛のない質問から始まったが,次第にシリアスな質問に移り,「友達が殺された人は?」という質問では大多数の生徒がラインに進み出る。今まで反目しあっていた彼らが,ラインを隔てて近く向き合った時,自分たちが,実は同じ痛みを経験した者同士だということに初めて気づく。

そして開始される一人一冊の日記。それまで抱え込んできた痛みや苦しみを書き表すことは,すなわち心の解放であり,癒しの効果がある。彼らはまず,自分の内面をエリンに伝えることからスタートし,後にはクラスの仲間の間でも,気持ちを伝え合えるようになってゆく。

生きることに自暴自棄になっていた彼らに,命の大切さを教えるために,エリンはホロコーストに教材のテーマを見いだし,自腹を切って彼らを博物館の見学に連れ出す。アンネ・フランクをかくまった老婦人に感想を送る取り組みでは,生徒から出た「彼女を招待して話を聞きたい!」というアイデアを,万難を排して実現させた,エリンの行動力と情熱に脱帽した。(考えてみれば,総合的な学習よね,これ)
Cap103 たとえ自分たちを取り巻く世界の実情は変わらなくても,彼らは変わることができた。教育の力で,エリンとの出逢いで。

教育現場を舞台にした感動作は「ミュージック・オブ・ハート」とか,「コーラス」とか,優れたものがたくさんあるけど,この物語ほどパワーに満ちたものはないように思う。

仲間と心が繋がり,生き甲斐を見いだすにつれて,
輝きを増してゆく,彼ら一人ひとりの顔がまぶしかった。直球の感動ではあるけれど,実話というのがやはり,何とも嬉しくなる物語だった。

追;エリンの夫・・・ショーン・ペンをソフトにしたような優しい人だけど・・・妻に構ってもらえなくて離婚したくなる気持ちもわかるけど・・・やっぱり,アンタ 甘えんじゃないわよ!命がけで生きている生徒たちの事情や,エリンの苦労も知らずに,「生徒と結婚生活と,どちらを選ぶんだ?」なんて聞くな!

2007年11月14日 (水)

ブロークバックマウンテン(17)

I'm sorry・・・
Cap042 私も,おそらく皆さんの大多数も大好きな(と思う)初夜(←言っていいのか、こんな表現)の次の晩のラブシーン

前夜の行為を「あれは一度限りだ(大嘘)」とジャックに宣言したイニス。ジャックに言ったつもりだけど,実は自分に言い聞かせたのかもね。

その晩、夕食が済んでも 羊のところに帰らず,いつまでも焚き火の傍でぐずぐずしているイニスと,寒さにもかかわらず,なぜかイニスの視野に入るように(と,私には見えた)
テントの中で上半身裸になるジャック。これって見ようによっては 二人とも魂胆見え見えで 可笑しい。いや、本人達にしてみれば 心臓ドキドキの緊張しまくりのシーンなんだけど。特にイニスの心の中は、葛藤の嵐 だったと思う。

やっと意を決して腰をあげ,
そろそろとジャックのテントに向かうイニス。    
Cap120_3 
この時のイニスの表情。特に おずおずと視線がさまようところが,いじらしい。ジャックのリアクションがまたよくて,素早く反応しながらも,包み込むような優しさで,彼をリラックスさせようとする。まるで最後の砦のようにイニスが体の前に抱きしめていたカウボーイ・ハットをジャックがそっと脇に押しやって,イニスの頬に優しく手を伸ばして引き寄せる仕草がすごく好き。

この時のジャックの顔は,イニスに対する切ない情熱と,彼のすべてを受け入れようとする優しさに満ちて,まるで後光が差しているみたいに私には見えたのだけど。    

そして、初めてのためらいがちなキスの後、聞こえてくるかすかな囁き。…I'm sorry.… んん?どっちが言ってんの?あまりにも小さく、まるで吐息みたいなかすかな声。二人の唇も殆ど動いていない。(腹話術か?)その後のIt's all right.(いいんだ)は、ジャックが言ってると はっきりわかるけど。
Cap132_2
このシーンは、イヤホンして、何十回も観た。それこそ,息を詰めて,耳を懲らして,目を皿のようにして。I'm sorry.は、二回連続してあり、最初はジャックの唇が動いているように見え,二度目のI'm sorry.は,イニスの口から 息がかすかに漏れていた。

そしてジャックはそれを聞いて,一瞬,イニスの顔を凝視した後,何度もうなずきながら It's all right.と囁き返したように思えたけど,どうなのかしら?なんで聞き取れないような声で台詞を言うのよ~と,文句の一つも言いたくなったが,脚本(←一応持ってる)をチェックしてみるとIt's all rightはジャックの台詞としてあるけど,I'm sorry書かれてないので,どうもアドリブらしい。
Cap048_4_3
演じているうちに,二人の口から自然に出た台詞なのかな。

ジャック 「・・・ごめん,こんなことして」   
イニス  「いや・・・俺の方こそ すまん」
ジャック 「ううん,これでいいんだよ。」 ・・・て感じ?
イニスは母親に縋りつく幼子のようにジャックに身を任せて(私にはそう見えた)ジャックはそんな彼を優しくリードして*$☆∇◇¢∞♂・・・(←意味不明) 

この二晩目のラブシーンは,原作にはない。映画のために,新たに挿入されたシーンだが,これがあるのとないのとでは大違いだ。衝動的に結ばれた前夜と違って,この時から二人は愛し合うことを始めたのだということが伝わってくる。

前夜のラブシーン(あれはラブシーンとは言えないかも)には度肝を抜かれたが,この二晩目のラブシーンは,私にはこれまで見たどんな男女のラブシーンよりも美しく切なく思えた。

猫は寒さに弱い

Irasuto2004_618 今年は夏が長かった。永遠に続くかと思われた残暑が終わると,いきなり秋をすっ飛ばして冬がやってきた感じ。

ばたばたと慌ただしく冬物を出したりしたが,炬燵はまだ出してなかったところ… 

Facc_038_4猫が怒った!

数日前に一日陽がささず寒い日があったが,家族の話ではその日は朝から晩まで鳴きわめいたらしい。

「何をしてほしいの?」と尋ねても言ってることがわからんし。(当たり前) 夜になって帰宅したら、家族が猫に振り回されてぐったり。猫は炬燵とストーブを出させて、やっと機嫌を直したそうな。

10_005_2 それにしても猫が寒がりなのは,祖先がエジプトとかの出身のせい?確かに猫科の動物は温かい国に生息するけどあの毛皮は,防寒に関しては見かけ倒しらしい。

猫を飼っていると、暖房費がかさむかも。まあ、こちらも真冬になったら、寝る時は,猫を抱いて暖を取っているから、お互い様だけど。

2007年11月13日 (火)

セブン

Cap006
フィンチャー監督
のあまりにも有名なサイコ・サスペンスの傑作。思い起こせば10年以上も前に封切られたとき、劇場まで見に行ったが、「うわー、こんな殺され方二度と観れない」という場面が結構たくさんあって、(スパゲッティを無理矢理大食させて胃を破裂させるとか、自分で自分の肉を切り取らせるとか)それ以来 ビデオ化されても一度もレンタルしたことなく,自分の中では,この10年間封印させてもらっていた作品である。当時の私は残酷描写に対する免疫が今ほどついていなかったのだろう。そんなウブな時代もあったのね。

あれから年月が流れ、どんな残酷描写も,ポテチなんか食べながら,「ふ〜ん、…それだけ?( -_-)」と観れる程に 免疫がついたので久々に再見。
Cap013 しかしこのセブンは、ストーリー、俳優、映像、演出どれをとっても、このジャンルの作品の中では、やっぱり桁外れの傑作だと改めて思う。そして何度観ても、どうなるかわかっていても、衝撃的なラストシーンにはやはり愕然とし、強烈な後味の悪さを感じた。       

ダンテの神曲にある七つの大罪 
大食、強欲、怠惰、色欲、高慢、嫉妬、憤怒。

神に代わって断罪するかのように,綿密な計画のもと,想像を絶する残虐な方法で殺人を行う犯人を演じた,ケビン・スペイシー何とも不気味な存在感は,今見ても鳥肌ものだ。そしてまた,退職間際の老練な刑事(モーガン・フリーマン)と,感情で突っ走る若いミルズ刑事(ブラッド・ピット)のコンビが対照的。

7つの事件が つぎつぎと明るみに出される1週間の間,街はまるで雨季が訪れたかのように,土砂降りの雨に閉ざされ,人々のやりきれない心情を投影するかのように、スクリーンには 終始暗く,陰鬱なムードが立ちこめていた。
Cap017_2
実際に殺人が行われるシーンの映像はないが,遺体の有様を見るだけで,犯人の異常ともいえる緻密さと,残虐さが手に取るように観る側に伝わり、心臓に氷を押しつけられたような恐怖が,否応なしに押し寄せてくる。

ゾディアック
でも感じたが,フィンチャー監督は,派手な血しぶきや絶叫シーンなどに頼らず,観客の想像をかきたてながら,恐怖心をあおるのが非常にうまいような気がする。
Cap031
殺人の現場には,計算しつくされた手がかりが残され,犯人も,わりと早い時期にわかる仕掛けになっているが,この物語のテーマは,「犯人捜し」ではない。そんな単純なものではなく,もっともっと暗くて絶望的なテーマが,この物語では,あたかも突き放すように描かれている。

そのテーマとはきっと,人間の心の闇や邪悪さ,逃れることができない「罪というものについてだろう。

7つの大罪(大食、強欲、怠惰、色欲、高慢、嫉妬、憤怒)はどれを取っても,誰もが生まれつき,心の中に,大なり小なり持ち合わせているものだと思う。それが人を傷つけたり,法に触れるほどの行為となるとき,初めて誰の目にもわかるとして認識されるけれど,もし行為だけでなく,心の有り様まで 厳密に裁かれるとしたら,この世の中には,罪の裁きから逃れられる人間などいないのではないか。
Cap027
人はみな罪人であって,条件が揃えば,殺人のような罪を犯す可能性は,誰でも持っている。
犯人のジョン・ドゥは,それを証明してみせるために,ミルズを罠にかけた。彼は,ミルズ刑事の性格や行動パターンを,ちゃんと計算に入れていたのだ。罪を犯すのは特別な人間だと思っていた,純粋で傲慢なミルズ。あの衝撃的なラストが示唆するものが,もしこういうことであったとしたら,なんと救いのないテーマだろう

なぜならこれは性悪説の極みであり、悪の完全な勝利であり,人間の存在そのものを,絶望的で救いがないものと捉えるものだからだ。「人はみな罪人」というのは,キリスト教の考えと同じだが,十字架のあがないによる救いがあるキリスト教と異なり,この物語の結末には,何の救いも用意されていない。

「人はみな罪人」だという主張は,この物語の場合,神の救済の必要を説く,本来の目的で使われるのではなく,悪魔からの嘲笑のメッセージとして使われているように思える。

ラストシーン、ミルズが味わう 深い絶望の闇の中から,どうやって光を見いだすのか答えは各人でどうぞと言われたみたいな気がした。
Cap047 ・・・・と考えながら気分が果てしなく落ち込んできた。おそらく,私が長い間,これを再見する勇気がなかったのは,実は残酷シーンがいやだったのではなく,このテーマを直視するのが怖ろしかったのかもしれない。できれば,あまり考えたくない真実。のぞき込みたくない深淵だもの。ゾディアックもまた,謎解きがテーマではなく,連鎖してゆく心の闇を描くのが目的の作品だった。

ううむ,フィンチャー監督の世界・・・・やはりどこまでもダークである。(そこが好きだけど)

2007年11月11日 (日)

リプリー

Cap015 言わずと知れたあの名作太陽がいっぱいのハリウッドリメイク版。グッド・シェパードを観て、マット・デイモンの作品が観たくなり,これを思い出した。

秘密を抱えた,裏のある男を演じさせたら右に出るもののないマット。彼の作品の中でも、私はこれが一番好きかもしれない。アラン・ドロンが演じた,悪の香り漂う美しいトム・リプリーの印象が強烈すぎて,地味顔のマット・デイモンはミスキャストだと言われもした作品である。

しかし,「太陽がいっぱい」のトムと、この「リプリー」のトムとでは,人物像がまるで違うしテーマも違う別物となっているので,比較しないで観る方がいいのかも。Cap005_2 これは,貧しい青年トム・リプリーが,いかにして犯罪者になったかという,哀しく救いのない物語だ。ドロンの演じたトムが,富豪の息子ディッキーを殺したのは,激しい嫉妬や歪んだ野望のためだった。しかしマットの演じたトムは,もっと繊細で,複雑な人物として描かれている。

ディッキーとの出逢い

これがすべての始まりだった。

Cap006
金持ちの御曹司のディッキーは,まばゆいばかりの美しさと,どんな人をも 一瞬で虜にするほどの,明るく生き生きとした太陽のような魅力を持つ人間だった。

ディッキー役のジュード・ロウは,この作品では ことに美しく,金持ち人間特有の,華麗で,やや傲慢な魅力をふんだんに漂わせている。突然目の前に現れたトムを,まるで旧知の親友のように大切にするディッキー。ディッキーの魅力と,上流社会の華やかな生活に酔うトム。彼は,ディッキーの好意が,金持ち特有の一時の気まぐれであり,飽きると途端に冷めてしまうものだと知りもせずに,有頂天になる。

ディッキーに対して友情を超えた憧れを抱き,彼とともに生きる人生までを夢見るトム。このときの彼は,ディッキーのことを,紛れもなく愛していたのであって,傷つけたいとか,殺したいなどとは,夢にも思っていなかったろう。
Cap027 しかし,アメリカから,傍若無人の友人フレディが現れてからは,トムに飽き始めたディッキーは,次第に彼を疎ましがるようになり・・・・。
君は退屈だ。まるで寄生虫だ。もううんざりなんだよ。

愛を拒絶され,侮辱されて,我を忘れたトムは,思わずディッキーにオールを振り上げる。その後,ディッキーの反撃を過剰防衛するような形で,第一の殺人が起こる。茫然自失状態で,ディッキーの亡骸を抱きしめるトム。
Cap023 この殺人の原因が,憎しみではないところが,オリジナルと大きく異なる。これは拒絶された愛が引き起こした悲劇に他ならないのだ。

しかし,その後の彼の行動は,紛れもなく犯罪の様相を帯びてくる。ディッキーになりすまし,彼の財産を使って優雅な暮らしを始めるトム。これも,オリジナルと違って,最初から意図していた行動ではなく,ホテルのフロントマンが,彼をディッキーと間違えたことが,きっかけになる。

ここで,彼のその後の犯罪行動を決定づけたのが,タイトルにもなっているリプリーの才能。その才能とはつまり,人真似,サインの偽造,嘘をつくこと。・・・こんな呪われた才能を持ってなければ,その後の犯罪は起こらなかったろう。不幸なことに,彼にはその才能があり,運もまた,彼にことごとく味方した。

トム・リプリー。彼はなぜ,ディッキーになりたいと思ったのだろう。一度垣間見た,裕福な暮らしの味が,忘れがたかったのか。・・・・もちろんそれもあっただろうけれど。

彼は自分のアイデンティティーを
変えたかったのではないか。


トム・リプリーとしての自分を受け入れ,肯定することができなかったのだ。トムの歩んできた道は,孤独で惨めな,まるで影のような人生。一方ディッキーのそれは,燦々と輝く光のような人生だ。トムはどんな代価をはらっても,光になり代わりたいと切望した影だったのか。

Cap039_2
第二の殺人は,第一の殺人の発覚を防ぐために行い,こうしてトムは,つぎつぎと嘘と犯罪を重ねてゆく。もはや後戻りはできないと悟ったときに,思いがけず彼に訪れた本当の愛彼をトム・リプリーとして愛してくれる,ピーターとの心癒される関係。

過去を消したい。秘密を隠した地下室の鍵を誰かに預けたい・・・。ピーターの優しさに触れたトムは,いつしか叶うことのない望みを抱く。これまでの二度の殺人は,彼にとって幸運なことに発覚せず,ディッキーの自殺偽装も成功したトムは,今度こそトム・リプリーとしてピーターと生きる決心をしたその矢先に・・・・。

第三の殺人が一番痛ましかった。
まるで運命の裁きのように,彼は再び,自分の犯罪隠匿のために,ピーターを手にかける道を選ぶのだ。決行する前に,ピーターに尋ねるトム。「トム・リプリーのいい所を言ってくれないか?」トムの様子に戸惑いながらも,ピーターは驚くほど沢山のトムの長所を挙げてゆく。「トムは才能豊かだ,トムは優しい,トムは美しい。」・・・・。そして彼は言葉を続ける。「悪夢にうなされるトムが可哀想だ。秘密をうちあけてほしい」と。

何という,哀しい皮肉だろう。ピーターのように,ありのままのトムを愛してくれた人は今までいなかった。もし,ディッキーより先に,ピーターと出逢っていたら,トムの人生は,全く別のものになっていたかもしれない。むせび泣きながらピーターの首を絞めるトムが,あまりにも哀れだった。
Cap045トム・リプリー。
何と愚かな,そして何と哀しい人間だろう。
たった一人で船室に座るラストシーンの彼の瞳の暗さ。その姿は,秘密を封印した地下室の中で 悪魔と二人きりで,底知れぬ闇を見つめているかのようだった。
Cap048
彼がピアノで奏でていた哀愁ただよう曲は「カインのための子守歌」。カインは,旧約聖書の創世記に登場する,人類初の殺人犯である。彼は,自分の捧げものが,神に受け入れられなかったという理由で,神に受け入れられた弟アベルを,妬みから打ち殺してしまう。そのためにカインはその地を追われ,呪われた放浪の旅を科せられる。トムもまた,その生涯を,呪われた孤独な犯罪者として生きていくのだろうな。

オリジナルの「太陽がいっぱい」は,紛れもなく傑作なのであるが,私はこの「リプリー」の方が好きだ。そしてまた,「ボーン・シリーズ」のマットもよいが,私にとっては,やはり一番心を揺り動かされるのは,このトムを演じたマットである。

2007年11月10日 (土)

グッド・シェパード

001 タイトルは,よいシェパード(犬?)かと思ったら,よき羊飼いという意味だった。新約聖書のヨハネによる福音書10章11節のキリストの言った聖句 「わたしは良い牧者(羊飼い)です。良い牧者は,羊のために命を捨てます」からの引用だが,

普通,この箇所は,聖職者が信徒を導く心得として使われる。しかし,この物語で良い羊飼いに例えられるのは,CIAに一生を捧げた男エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)

いやー,なんせ私はCIAも,FBIも,KGBも,YKK(←違うって)もみーんなごっちゃ人間なので,ネタばらししたくても,ストーリーの細かいところがよくわからん。しかし,にもかかわらず,退屈せずに3時間近く観れたのだから,この作品のパワーはすごい!(途中で3秒くらい寝たところはあったけど・・・後半は退屈する間もなかった
070705_goodshepard_sub1 まず,冒頭から引きこまれたのが,マットの表情と雰囲気。ただ者でない知性のひらめきを漂わせた,全く物に動じない静かな眼。まるで,いつもどこかが痛んでいるみたいな,暗ーい石のような表情。そして,身体の周辺に,「寄るな,さわるな,話しかけるな」という目に見えないバリヤーを張ってるみたいな,何とも近づきにくい雰囲気。「オーシャンズ」や「ボーン・シリーズ」や「ディパーテッド」のマットとは,まったく別人の,鉄のような意志を持った筋金入りの諜報部のリーダーの姿。

この世界に入る前のエドワードは,もっと明るい,普通の青年だった。イエール大学の学園祭(?)での女装(なぜに女装?そこで)と裏声がキモ可愛かった。このイエール大学のエリート白人青年たちの秘密結社スカル&ボーンズが、後のCIAを誕生の元にもなったところは,「へえー」と興味深かった。秘密結社っていうと,どうしても,「フロム・ヘル」なんかに出てきたフリーメイソンとかを連想してしまうが,彼らの上流意識,特権意識が,「この国を守るのは我々だ」という使命感へと彼らを駆り立てたのだろうか。327032view002 エドワードがこの道を選んだのは,愛国心を疑われて死んだ父の 汚名返上もあったかも知れないが,彼自身も,正義感と愛国心が,人一倍強い人間だったのだろう。並々ならぬ自制心や,強靱な精神力があって,いつも平常心を保てる彼は,やはり,この仕事に向いていると思った。

抱えこんだ秘密の重さや,誰も信用できないストレス
は,想像を絶するものがあったろう。(そりゃ,あんな顔にもなるわな) 全編を通じて,ほとんど心からの笑顔を見せない彼が,昔の恋人ローラにだけは,屈託のない柔らかな笑みを見せていたが, 彼は,できちゃった婚の妻よりも,ローラと結婚していた方が,幸せな人生を送れたことだろう。

愛してもいないクローバーと,責任を取って結婚するところが,いかにもきまじめな彼らしいのだが,結局,この結婚生活は,潤いのない,殺伐としたものとなる。夫婦の間には,愛も共感も生まれず,何とか歩み寄ろうとしても,虚しいすれ違いが繰り返されるばかりだ。

それにしても,妻を演じたアンジー姐さんは,なんか,この作品では無駄にセクシーでナイスバディだったような気が・・・。そりゃ,セクシーだったからこそ,エドワードもつい出来心を起こしたのだが,破綻した結婚生活に耐える妻が,いつまでもナイスバディでセレブの香りが漂うのは ちと違和感があったような。

しとやかで落ち着いていて,じっと耐える上品な奥様
を演じていたが、夫が元カノのローラと逢ったことを知った彼女がパーティ会場で 夫につかみかかるシーンの形相は,Mrsスミスを彷彿とさせ,今にもマットを撃ち殺しそうな勢いだった。(←と,思ったのは私だけ?)
Goodshepherd0息子がまたいじらしい。とっつきにくく,秘密の多い父親に戸惑いながらも,「こっち向いてパパ」というメッセージを控えめに発信し続けている,彼の幼少時代にじーんとした。仕事面では凄腕でも,家族に愛を示すのは不器用なエドワードが,職務と息子への愛の狭間で苦悩する姿も,痛々しかった。

CIA誕生の裏には,こんなにも孤独で,苛酷な闘いをしてきた男の物語があったんだね。脇を固めた蒼々たる面々の演技は見応え十分。丁寧で重厚な作りの,素晴らしい作品だったと思う。

2007年11月 8日 (木)

ブロークバックマウンテン(16)

腐れ縁を呼ぶ男

Cap418_2 凄いタイトルですね。腐れ縁を呼ぶ男って、誰のこと?ジャック?いいえ、これは実はイニスのことです。イニスとジャックの あの切ない愛を、腐れ縁などと呼ぶのは自分でもけしからんとは思うのですが、別れたいと思っても別れられない関係という意味で、敢えて腐れ縁と 今回だけ呼ばせていただきますね。

さて、なぜイニスが腐れ縁を呼ぶ男かと言うと,ジャックが,どうしても彼と別れられなかったのは、ある意味 イニスの態度や行動にも原因があったからです。
Cap506
イニスはね、ファンの皆様ならもうご周知のように、普段は無愛想で煮え切らない態度なのですが、周期的に激しく感情を爆発させるタイプなんですね。常々押さえ付けていたものが、自分でも予測不可能に放出されるみたいで。特にジャックへの思いは屈折したものがありましたから,彼の中では。

そしてまたイニスは,時折,無自覚のまま,
信じられないような熱い事をジャックにやらかす
んです。
Cap037_2
お山での後ろからの優しい抱擁とか
再会の時の熱烈なキスとか
どう取られるかよく考えもせずに
離婚の通知をジャックに出す
とか。

・・・常に感情を抑えてて  死んだふりやってるみたいなイニスは,こうして時たま,火山の噴火のように,ラブラブ感情が爆発してしまうのかもしれません。その後はすぐさま鎮静し,再び死んだふりに戻るのがいつものパターンです。

しかし,ジャックの側からすれば,冷静で何考えてるのかわからないイニスがイキナリ激しい情熱を見せてくれるとき,やっぱり愛されてるんだ!と,舞い上がらずにはいられなかったでしょう。
Cap328
イニスと出逢ってから20年間,ジャックはイニスとの関係においては,希望失望絶望の繰り返しだったと思うのですが,その合間に,一瞬でも,有頂天(イニスが情熱を見せた時)なんてのが混じるから,かえって始末が悪いです。

Cap498
ジャックを天にも昇る心地にしておいて,その後容赦なく突き放す。
(熱烈な再会キスの数時間後には,モーテルで「どうにもならない」と弱音をはいてみたり)「もうつきあいきれない」とジャックから三行半をつきつければ,とたんに取り乱して泣いたりして・・・・。

でもイニスはぜーんぶ,わざとやってるんじゃないんですね。イニスはそういう気質の人間なのでしょう。あくまでも不器用です。(わざとやってるとしたら,すごいけ引きのテクニシャンです。 ・・・カリスマホストになれるかも。)

その,はっきりしない相手まかせの態度と,
忘れた頃にやってくる,なりふり構わない情熱の暴走。

これには誰だって振り回されてしまいます。

Cap593
かくしてジャックの愛は,ますます燃え上がり,見切りをつける時期を失い,過去の情熱の思い出を胸に,じっと待ち続けることになります。あの最後の日に,やっと哀しい決意をして,イニスを見送る時までの20年間もの間

とこう書くと,いかにもイニスが悪者みたいですが,イニスはあれでも精一杯頑張ったんだと思います。彼は,生まれつきの恋愛下手なんですね。恋愛どころか人づきあい自体が下手。・・・だのに腐れ縁はしっかり呼んでしまうあ,恋愛上手な人なら腐れ縁とは無縁だから,当たり前か?

イニスはまことに不思議な,しかし魅力のあるキャラと言えるかも知れません。ジャックに比べると,彼は私にとっては,まだまだ謎です。
Cap014

 

2007年11月 6日 (火)

あるスキャンダルの覚え書き

Cap053 思い切りネタバレしてます。
ジュディ・デンの演じる女教師バーバラから発せられる異様な雰囲気と,彼女が毎日綴る日記の独白に、冒頭から釘づけ。「いったいどんな人物なんだろう?」と、彼女の一挙一動から目が離せない。相手の心を見透かすような冷たいまなざしと、堅く引き結ばれた唇は,いかにも厳格で頑固そうだ。
Cap059_3 彼女は退職間際の歴史の教師。(こんな先生が担任だと こわいよ。)そして バーバラの学校に赴任してきた,美しい美術教師シーバケイト・ブランシェット)。バーバラは,何故かシーバに尋常でない程の興味を抱く。シーバは、すらりとしたしなやかなスタイルと,自由で魅力的な雰囲気を身に纏っている女性。バーバラは彼女の容貌やファッション、行動などをつぶさに観察し,毎日の日記に書き留めてゆく。           

バーバラがシーバに関心を持つ理由や目的が、最初は謎だった。嫉妬心やあら探しの気持ちかと思ったが(バーバラの表情が怖すぎるので)バーバラが授業中のシーバの危機を救う事件があってから,彼女はシーバに近づきたかったのだということが,観客にもわかってくる。

Cap060シーバの家にランチに招待されて,いそいそと美容院にまで足を運び,その日の日記には金星をつけるバーバラ。驚くほど無邪気に,無防備に,自分の内面をさらけ出す,屈託のない少女のようなシーバ 。

女二人の間に友情が芽生えたかのように見え,バーバラの顔には,それまではなかった,愛情に飢え,相手の反応をじっと伺うような,気弱とも言える表情が浮かぶようになる。
しかしある時,彼女はシーバと,彼女の教え子の15歳の少年との,衝撃的な場面を目撃してしまう。

・・・この少年が,無垢な感じの子なら,シーバに同情もするのだが,彼は何ともイヤな目つきの,オトナ顔負けの狡猾な女たらしの素質を持っていて,年上の女教師の気をひくために嘘も平気でつくし,スキャンダルになると,さっさとシーバを傷つける言葉を吐いて逃げ出すような,何とも憎たらしい少年で,「私も快楽を味わいたかったの・・・」などど言って,どうしても彼との関係を自分からは清算できなかったシーバのことを「愚かだなあ,この人」と思ってしまった。純粋すぎるのか,正直なのか。

一方,バーバラがシーバの秘密を握った時から,彼女たちの友情には明確な力関係が生じる。「彼女を完全に支配できる」日記に綴られたバーバラの独白。

はあ?支配ー?

純粋な友情じゃなかったのか?・・・・・怖ろしい。それから物語は,どんどん緊迫した方向に向かっていく。自分の愛猫が死んだ時に,傍にいてくれなかったと,まるで夜叉のような顔でシーバを責めるバーバラ。弱みを握られているために,何とかバーバラの機嫌を取ろうとするシーバ。しかしバーバラの怒りは解けず,腹いせに彼女が取った「ある行動」は・・・・・。

Cap073 確かに,大勢と広く浅く付き合うのを苦手とし,親友だけで満足したいタイプはいるものだと思う。しかし,バーバラのシーバに対する執着は,あきらかに常軌を逸している。

彼女の全てを独占し、支配したいという願望。シーバが、夫や子供より自分との人生を選ぶだろうという勝手な思い込み。密かにレズビアン願望も持っていたかもしれない。
実はバーバラはかつての親友ジェニファーに行ったストーカー行為のため,なんと接近禁止命令を出されたことも,あったのだ。

バーバラを観ていると,確かに哀れを感じる面もある。家族もなく,同僚からは敬遠され,シーバの夫や子供たちからも「疫病神」などと言われる彼女の孤独。

しかし,やはり彼女に見込まれたシーバのような女こそ,いい迷惑だ。「あんたなんか,本当に人を愛したことがない!独りぼっちは当然よ!」と激しくバーバラに食ってかかるシーバ。

  こうして彼女たちの友情は  最悪の形で破綻を迎え、傷ついたシーバは家族の元に帰るが,バーバラの方は,仕切り直しとばかりに,新しい日記帳を買い求め,次のターゲットに,にこやかに声を掛ける。

その姿を見て、少し背筋が寒くなった。また繰り返すのか,この人は。こういう生き方しかできない彼女も哀れだが,いつか刃傷沙汰にならなきゃいいが

しかし,ジュディ・デンチとケイト・ブランシェット。二人の大女優が,スクリーン上で繰り広げる白熱の演技合戦。彼女たちの繊細かつ大胆な演技は,とにかく見応え十分だった。

2007年11月 5日 (月)

ブレイブ ワン

Poster1_2 今日珍しく平日にも関わらず仕事が休みだったので、劇場で観てきた。一口に言うと、これはリベンジもののジャンルに入る物語なのだけど,リベンジものにありがちな痛快さはかけらもなく,とにかく痛々しさが心に残った

劇場を出てみれば、いつのまにか外は冷たい雨が降りしきっていた。帰宅途中、雨の中を車を運転しながらずっと,ヒロインのエリカの選択は許せるのかどうか考え込んでしまった。

エリカ(ジョディ・フォスター)は,ラジオのパーソナリティー。結婚を間近にして,幸福の絶頂にあった彼女と,婚約者のディビットは,ある夜,セントラルパークで数人の暴漢に襲われる。因縁をつけ,財布を奪い,エリカとディビットに殴る、蹴るの暴行を加え,それを笑いながら携帯の動画に撮影する犯人たち。ディビットは殺され,エリカも3週間も意識不明になるほどの重傷を負う
Pic6big
ようやく退院したエリカの心の傷は深く,彼女は外出もままならないくらい激しい恐怖感にさいなまれる。口先ばかりで親身になってくれない警察。彼女は自分を守るために,違法な手段で一丁の銃を手に入れる。

彼女が初めてその銃を撃ったのは,正当防衛だった。しかし2度目からは,自分の命を守るためではなく,次第に悪漢たちを制裁する目的になってゆく。最終的にはディビットを殺した犯人たちにたどり着くのだが,それまでエリカは,何人もの自分とは無縁の悪党を,その手で始末する。

彼女の行動や選択を
私は許せるのだろうか?

もし私的制裁を許したら,この世界はたちまち無法地帯の修羅場となる。エリカの場合だけが例外として認められるわけはなく,どんな悪党も,絶対に更正不可能だと,人間には断定できまい。だから,・・・・

許すべきではない。許してはいけない
そう,頭では判っている。だけど,果たして本当にそうなのか,私には答えは出なかった。なぜなら,私は,彼女の体験したような,想像を絶するむごい目に遭っていないから。
010_2
もし,愛する人が目の前で,無惨になぶり殺されたら?
そして警察は全くあてにならず,犯人は今も野放し状態だとしたら?もし,見慣れた街の全てのものが,耐え難いほどの恐怖となって,いつも自分を怯えさせるとしたら?

エリカの心の傷がどんなに深かったか,
一体誰にわかるというのだろう。


彼女の蒼白な顔は頬がこけ,目は落ちくぼみ,正視できないほど痛ましかった。恐怖と哀しみの中で,絶望感を味わっていたときに彼女が手にしたのは一丁の銃であり,たまたま悪漢を倒す機会が与えられた

エリカが,自分とは関わりのない悪党をも制裁したのは,世の中をよくしたいとか,悪者に復讐したいとか,そんな理由ではなく,ただ,自分の恐怖心を克服したかったためではないのか。
008
どんな方法でもいいから,彼女は立ち直りたいと願っていただろう。そうでないと,このまま生ける屍となってしまう。銃を手にして相手を倒す方法を身につけ,苛酷なトラウマを克服したかったのだ。同じアパートの黒人女性がエリカに向かって「死ぬ方法はいくらでもあるわ。生きる方法を見つけなさい。」と言うが,あの時のエリカは,処刑人の役を演じることで,なんとか
生きる方法を見つけていたのかもしれない。

とはいえ,彼女の選んだ道は,もちろん許されることではなく,いずれは彼女自身をも破滅に追い込む道だから,
もっと他の道はなかったのか,と暗澹とした気持ちになる。 エリカのしたことを「許される」と言うつもりはないが,私は少なくとも,彼女を責めることはできない。あのときはああしなければ,彼女はきっと壊れていたのではないかと思えるから。

そしてラストのあのシーン,エリカをずっと見守って来たマーサー刑事のとった驚愕の行動と,エリカの究極の選択は,これまた許されるのか?というものだが,私は最早そんなことを考える余裕はなく,ただただ涙がこみ上げてきた。
001闘う女戦士の役柄がピタリとはまるジョディだが,この作品の彼女は,今まで観た中で一番美しく,素晴らしかったと思う。

  

2007年11月 3日 (土)

ゾディアック再見(ジェイク編)

Cap019
ジェイク・ジレンホールが好き。
フィンチャー監督のダークな世界観が好き。
連続殺人犯の物語が好き。・・・
こんな私にとって,ゾディアックは,まことに三拍子揃ったツボにはまる作品で,もちろんこれは万難を排して劇場で観たが,DVDになったら,ぜひ再見してもう一度じっくり観たいと思っていた。劇場で観た後の感想は,本ブログで簡単に触れているので(記事はこちら)今回はジェイクに焦点を絞って感想を書いてみた。

いやー しかし,DVDで観ても,3時間は長いよ~。残念ながら,時間と体調に余裕のあるときしか 鑑賞できない作品かも。しかし,今回は,劇場ではあまり気がつかなかったジェイクの細かい演技まで,ゆっくりと堪能できた気がする。なんせ,劇場では,人間関係を整理したりするのに結構忙しくてジェイクの顔をゆっくり味わう暇がなかったから。
Cap049
この物語の主人公は,謎解きでも,犯人のゾディアックもない。むしろ,犯人を追う男たちに取り憑いて,彼らの人生を狂わせていく狂気が主役であると思う。その中でも一番長く執拗に,ゾディアックを追跡することをやめなかったのが,ジェイクが演じた漫画家のロバート・グレイスミスだった。・・・つまり彼は,ゾディアックおたくなのであるが,ゾディアックに取り憑かれる前から,生まれつき,おたく人間だった。このおたく人間のキャラを,ジェイクが 実に上手に演じていることに 今回気づいた。Cap017 登場するシーンからして すでに「ちょっと変わってる?」オーラが,そこはかとなく漂う,ジェイクことグレイスミス離婚歴のあるシングルファーザーの彼は,幼い息子を男手一つで育てている優しい父親の顔も見せてはくれるが,やや暗めのその視線は,いつも思い詰めたように一点を見つめることが多く,何かの考えに取り憑かれたら,いきなり目的に向かって走り出したり,相棒の敏腕記者のダウニー・Jrに「至近距離まで近づくんじゃない!」と怒られたりする 変わり者。

・・・きっと,好きなことに対して全身全霊でのめり込み,周囲が全く見えなくなるタイプなのだろう。「こんなことがお前の何の得になる?」と聞くポールに「得って?」と不思議そうに聞き返すグレイスミスの価値観は,常人とはかけ離れていて,それだからこそ彼一人だけが,社会から葬り去られることも,諦めて挫折することもなく,長い年月を(そしておそらく今も)ゾディアックを追い続けることができたのだろう。(彼も,妻に三行半を突きつけられるという挫折も一応はあるが)Cap038 かわゆいジェイクが,あのうるうる目で演じているからまだ許せるが,グレイスミスのような雰囲気や性格の男性って,恋人や夫としては,きっと願い下げだろうなあ。初デートの時に,他のことで気もそぞろのオトコなんて,私なら絶対つきあわんぞ。(きっぱり)Cap020 ダウニー・Jrこと,エイブリー記者との凹凸コンビもよかったね。正反対のタイプなんだけど,事件を追う執念と熱意は,互いに通い合うものがあったんだね。グレイスミスの仇名のことで,とぼけた会話をするくだりや,グレイスミスお勧めのブルーのお酒に,エイブリーもハマるバーのシーンは,押さえたユーモアが感じられて,とても微笑ましい。(ジェイクはやはり男性と並んでいてほしい・・・)
Cap047
なんか全編ジェイクが出ずっぱりで,ジェイクの思い詰めた瞳が,これでもかと言うくらい堪能できたのは,もちろん嬉しかったけど,たとえジェイクが出てなくても,私の中では評価の高い,重厚で見応えのある好みの作品だった。

人間の心の闇は,感染し,増幅するものなのかも知れない。ジェイクの瞳が,年月がたつに従って,だんだんと狂気を帯びてゆくのが怖い。Cap042_2
結局彼はこの事件に人生を捧げてしまったね。それを満足と感じていたかどうかは,彼にしかわからないことだろうけれど。好きな道を究めたと言えなくもない。けれど,人間の心に潜む闇を,長い間追い求めたことによる弊害は必ずあったはず。・・・彼にしかできなかったことだし,彼だからこそできたことなんだけど。

2007年11月 2日 (金)

サン・ジャックへの道

Cap015 サン・ジャックへの道,それはフランスからスペインまでの巡礼路のこと。ル・ピュイから,サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの遍路道は,ピレネー山脈やカスティーリャ平原を越えて1500㎞も続く。日本では,お遍路仲間というと,信心深い善男善女の集いのように思うけれど,この物語の巡礼仲間はひと味違う。 

まず,主要な登場人物は,仲の超悪い三人兄妹。長男のピエールは会社社長で裕福だが,アルコール依存症の妻を持ち,彼自身も,薬に頼り切った生活をしている。長女のクララは,公立高校の教師。失業中の夫と子供を抱え,男顔負けの毒舌とパワーを持つ猛女である。次男のクロードは,万年無職で酒浸りの いい加減な男。

とにかくこんなに仲の悪い兄妹見たことない。
不満たらたらのピエール。何かにつけて好戦的なクララ。飄々としているが,やることはかなり自分勝手で無計画なピエール。いつから仲違いしたのかは知らないが,三人が三人とも幸せそうには見えず,寄るとさわると,互いを当てこする台詞をぶつけ合う,何ともトホホな関係の兄妹なのである。

こんな三人が,なぜ2ヶ月もいっしょに投宿する徒歩巡礼に参加したかというと,彼らの母親が「そうしなければ遺産はやらん」という,世にも珍妙な遺言を残して世を去ったから。

一緒に旅をするのは彼らの他に,気軽なハイキングのつもりで参加した女の子ふたりとアラブ青年二人。加えてなにか訳ありに見える美しい熟年女性のマチルドと,彼らを率いるガイドのギイの,総勢9人。何かというと口論の絶えないピエール兄妹に辟易しながらも,一行はギイに導かれて,石ころだらけの険しい山道や,どこまでも続く黄金色の平原を進んでゆく。
Cap002 ガイドのギイがいい
こんなにハードで不便な旅。おまけに気心の知れない集団を,宥めたりすかしたりしながら,目的地まで責任を持ってガイドする。家には,病気の子供と浮気な妻を持ち,家族への心配で,気もそぞろの時もあるだろうに,生活のために 弱音を吐かずに頑張っている。

「家に帰りたい!」と泣き言を言うピエールに,「私だって帰りたいけど我慢してる!」と言ったギイの言葉は心に沁みた。

2ヶ月もの間の文明社会から隔離された不便な旅は,否応なしに,互いの心を近づけずにはおれないだろう。・・・だって文字通り同じ釜の飯を食べるんだし。

人生も下り坂にさしかかった男女は,皆それぞれが何らかの悩みや痛みを抱えている
わけで,はじめはぎくしゃくしていた見知らぬ他人同士でも,同じ空気を吸い,同じ苦労を分かち合ううちに,少しずつ自分のことを語り始め,相手のことも理解しようと,互いに歩み寄るようになる。・・・それが旅の効果というものだ。

Cap009_2 なかでも心温まるエピソードは,失読症の青年ラムジィにクララが読み書きを教える場面。ラムジィの母親思いの心にほろりとさせられると同時に,クララの教育者としての熱意や彼女の中に眠っていた優しさや包容力が,ラムジィの純粋さによって目覚めていくのを目にして,心がほんわかとなった。

2ヶ月という長い長い巡礼の時を経て,彼らの心はゆっくりと変わってゆく。劇的な和解や,号泣を伴う感激があったわけではなくそんな,わざとらしい激変でないところがまたいい。不満と愚痴の中で生きていたピエールが得た達成感や,仲間を思う気持ち。母を亡くしたラムジィに対し,親身な感情を抱くクララ。おそらく最も仲が悪かったと思われる,この二人の心の距離は,旅の終わりには,ごく自然と 前よりは近づいていたことだろう。Cap014
選び抜かれた台詞が秀逸だ。時に笑わせ,時にじーんとさせてくれる。人生のささやかな喜怒哀楽が,過不足なくごく自然にちりばめられている。そんな爽やかな後味の残る,とても素敵な作品だった。

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