麦の穂をゆらす風
アイルランドの抗争の歴史にあまり詳しくはないけれど、この国が,長年イギリスの圧政に苦しんで来たこと,自治を勝ち取ってからも,条約批准賛成と反対を巡って,内戦が勃発したこと,IRAというテロ組織の存在。・・・・その程度はうすうす知っていた。
アイルランド問題を扱った映画は,その貧困や偏狭な宗教観による悲劇,そして今作のような この国の悲史を描いたものなどたくさん観てきたが,この作品が一番心に痛かった。
この「麦の穂~」は,アイルランドの抗争について,マイケル・コリンズのような英雄の目線からでなく,徹底的に庶民の目線から描いている。どこにでもいる,傷つきやすい柔らかな心をもった青年たちが,最初は同じ思想のもとに独立のために立ち上がり,後に路線対立を起こして,内部抗争の悲劇に否応なく突入していく様子を,美しい映像ながらも,ドキュメンタリーのような押さえたタッチで,淡々と綴っている。
1920年,アイルランド南部のコーク。
主人公は,医者を目指す秀才デミアン。彼が幼いときから,尊敬し,慕っていた兄のテディは,義勇軍のリーダー。医者の勉強のために,抗争に背を向けてロンドンに旅立つ予定だった彼は,駅で英軍の暴挙に敢然と立ち向かう運転手のダンの姿に心を動かされ,義勇軍に入隊。以後は祖国の自由と独立のために,血で血を洗うような苛酷な戦いに,,身も心も捧げることになる。 やがて多くの犠牲と苦しみが実を結び,一応英国との講和条約が結ばれる事になったが,その条約の批准を受け入れるか,それとも完全な独立を目指すかで,かつて共に闘ってきた同胞たちは,激しい論争を繰り広げ,今度はアイルランド自由国軍と共和派とに敵対して,新たな武力抗争がスタートする。
観ている最中ずっと,息もできないくらい辛かった。過剰な演出もないのに,涙と嘆息と苦悩のうめきが全編にあふれていて,心が安まるシーンは一つもなかったような気がする。それでも,スクリーンから目をそらすことができなかった。
キリアン・マーフィの美しいセルリアンブルーの瞳。抗争前は,医者を志す若者として,知的で穏やかな表情をたたえていた彼の瞳が,革命家として活動するうちに,次第に剛胆で冷静な輝きを帯びるようになる。
幼なじみのクリスを,裏切り者として処刑するときの,彼の身を裂かれるような苦悩の表情。そして 内部抗争で敵になってしまった兄テディの尋問のシーンで, 「仲間は売れない」と静かに宣言したときの死を覚悟したあの静謐なまなざし。
血をわけた兄弟の絆さえも,後回しにさせてしまう思想や,憎んでいない相手と,殺し合わなくてはいけない国って,いったい何なのだろう。
初めは本意でなかった抗争に身を投じ,その青春を血なまぐさい戦いに捧げて,兄の命により処刑されるデミアンと,弟の遺体を前に泣き崩れるテディ。
処刑を命じた兄も,それを拒むことをしなかったキリアンも,ともに哀れでならない。彼らの壮絶な生き様や悲しみを目の当たりにして,そのあまりの痛々しさに涙すら出なかった。
彼らが流した,数え切れないほど多くの血と涙のすべてを,静かに見守ってきた美しいアイルランドの緑の大地。草の葉を揺らして,音たてて吹き抜けてゆく風の音と,哀しみにみちたあの老婆の歌声がいつまでも心から離れない。
追記;キリアン・マーフィ,「プルートで朝食を」のキトゥンとは全く別人で,ひっくり返るほど驚いた。(「プルート~」を先に観たものだから余計に)
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1920年。長くイギリスの支配を受けてきたアイルランド。人々に独立の気運が高まっていた。
南部の町コークでは、医師を志していた青年デミアン(キリアン・マーフィ)が、その道を捨て、
兄テディ(ポードリック・ディレーニー)と共にアイルランド独立を目指す戦いに身を投じる
決心をする。イギリス軍との激しい戦いの末、イギリスとアイルランド両国の間で講和条約が
締結された。しかし完全な独立からは程遠い内容に、条約へ... [続きを読む]
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原題:The Wind that Shakes the Barley
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麦の穂をゆらす風というロマンチックな題名から受ける印象、そのとおりなの... [続きを読む]
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1920年、アイルランド。700年に及ぶイギリスの弾圧に耐えかね、独立運動に
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「プルートで朝食を」で美しい女性?を演じきったキリアン・マーフィーの別の姿を見せてもらいました。悲しくも意志の強い青年を上手に演じておりアッパレでした!しかし・・・辛い・・・。後味がかなり落ち込む内容でした・... [続きを読む]
トラ・コメどうもです。
あまりよく知らないアイルランドの歴史ものでしたが・・・
あまりに悲しい・・・いや虚しいラストでした。
それにしても、主演のキリアン・マーフィー・・・
「プルート~」とはうって変わって、マジでしたね。
投稿: ひらりん | 2007年10月 9日 (火) 02時44分
ひらりんさん いらっしゃいませ
本当に 救いようのないラストで それだけに
まるでドキュメンタリーのようでした。
キリアン・マーフィー,確かに「プルート」とは
声から仕草から,表情から走り方まで 全く別人でしたねー。
しなやかなウエストだけが同じでしたよ。(笑)
投稿: なな | 2007年10月 9日 (火) 06時44分
おっしゃる通り、過剰な演出はなかったのに
(なかったから?!)胸に迫るものがたくさんあって
胸が痛くなる映画でしたよね~・・。
こういう歴史をたどっての今の一応平和と言う状態が
やってきたわけで、まだ近い過去なので、いまだに
いろいろな思いがあるでしょうね。
キリアンの演技は本当に素晴らしかったです♪
私も彼の目から目が離せませんでした。
力強かったり、哀しみに満ちていたり、苦悩に満ちていたり・・
本当に上手いな、と思いました。
あ、そうですね、↑でななさんが書いてらっしゃるように
しなやかなウエストは「プルート・・」と同じでしたね^^
TB,どうもありがとうございましたm(_ _)m
こちらからもさせていただきました♪
投稿: メル | 2007年10月 9日 (火) 08時16分
なんだかTBが反映されないようです(^^;;)
また後でトライしますね~♪もしも重複してたら削除してくださいm(_ _)m
投稿: メル | 2007年10月 9日 (火) 08時17分
メルさん ご訪問ありがとうございます。
TBは、承認制にしたので、すぐには反映されなくて申し訳ありません。
二つ届いていたので一つ削除させていただきますね。
アイルランドの抗争の傷跡はまだまだ癒えず、
人々の記憶はまだ生々しいのかもしれませんね。
今だに争いは尾を引いていると思います。
詳しくは知らないけど…。
キリちゃんのお顔は、私はさほど好みではないのですが、
演技には ほんと毎回ホレボレします。
鳥打帽とベストの英国風のファッションって、
かっこいいんだなあと、あらためて感心しました。
彼の目の色、吸い込まれそうで好きです。
忘れな草のブルーですね。
投稿: なな | 2007年10月 9日 (火) 12時04分
ななさま、こんにちは。拙記事にコメント&TBありがとうございました。
この映画は観ている間中辛くて涙が止まりませんでした。
映画館を出て、駅まで歩く間もずっと泣いていた記憶があります。
キリアンは大熱演でしたね。彼は本当に素晴らしい役者さんだと思います。
これほど心に残る映画もそうないのではないでしょうか。
「傑作」とはこの作品のためにある言葉だと思います。
こちらからもTBさせていただきますね。ではでは!
投稿: 真紅 | 2007年10月 9日 (火) 17時01分
真紅さま TBとコメントありがとうございます。
私は一度目は泣けなくて,ひたすら言葉を失った感じでした。
デミアンが処刑されたシーンでは,全身の力が抜けてしまって・・・。
二度目に観たときには,同じ処刑シーンで,
テディの苦悩する姿に,涙が溢れて止まらなくなりました。
自らが大義と信じるもののためには,相手が弟であっても
例外を認めて見逃すわけにはいかなかったテディの断腸の思いや
裏切り者の同胞を処刑した過去を持つデミアンが,どんなことがあっても
同胞を裏切るわけにはいかなかったことなど・・・。
彼ら,特にデミアンは,本当はごく普通の善良な若者で,
もともとは突出して英雄的な気質を持っていたわけでは無いと思うのに
こんな悲惨な戦いに巻き込まれ,いつのまにかその中心に置かれていた,
私にはそんな風にも感じられて,なおさら彼が哀れでなりませんでした。
アイルランドの人々は,なんという理不尽な哀しみを味わってきたのでしょうね。
初めて観たときは,辛すぎて二度と観れないかも,と思っていましたが
今では何度も観て考えたい作品の一つになりました。
投稿: なな | 2007年10月 9日 (火) 20時36分
ななさん、こんばんはー
沢山の写真を見て、この映画のこと、色々思い出されます・・・。
どれも素敵なショットですね。
ななさんが、厳選されて貼られたんだろうな~と推察です^^
いや~~。ほんと、この映画・・・。辛すぎます。
アイルランドとイギリスの確執、こんな過去があったのなら、
簡単には水に流すことは出来ないでしょうね・・・。
投稿: latifa | 2007年10月 9日 (火) 21時18分
latifaさん こんばんわ TBもありがとうございました。
キリアンの,綺麗な瞳の画像をぜひ貼りたかったのですよ,わかります?
>アイルランドとイギリスの確執、こんな過去があったのなら、
簡単には水に流すことは出来ないでしょうね・・・。
私たちから見たら,どちらも同じ英国人だと思っていましたが
侵略,圧政の歴史を経て同じ国家になったのですから,
その確執はいかばかりかと思いますね。
デミアンが処刑前夜に,恋人にあてて書いた遺書の中の自虐的な台詞
「僕らアイルランド国民は本当に不思議な国民です」
という言葉が今も耳に残っています。
投稿: なな | 2007年10月10日 (水) 00時23分
こんにちは!
感想をupしました~♪
今日は『パンズラビリンス』を観て感想を書こうと思ったのですが・・・何と!!上映されていませんでした!!
オッチョコチョイなので、別の劇場のスケジュールを見たらしく・・・(汗)
私の住んでいる地域での上映はないようです(涙)
ところで、この映画はズッシリきました。
涙も出ずに、何というか・・・自分の体からちょっとズレた感覚で鑑賞しました。意味が伝わり難いですね(汗)
とても直視できずに呆然とするばかりだったんです。
キリアンは凄いですね~
キトゥンと同じ人物とは思えません。
こちらでは、歴史の波に翻弄され、どこまでが信念で、どこまでが無謀なのか・・・わからぬままに散っていった若者を好演していましたね。
投稿: 由香 | 2007年10月10日 (水) 13時58分
パンズラビリンス、うちの近くでも上映予定はないようです。
またDVDを待たなきゃ(泣)
TBありがとうございました。
そうですね、最後の方は信念というよりは無謀のような
はたまた意地のような…。
それだけに哀しいというか虚しいというか。
英雄でも何でもなく、闘いに巻き込まれていった名もない人たちって、
おそらく彼らのような引くに引けない状況もあったのかもしれませんね。
今日から金曜まで出張で家を離れているので、帰ったらまたお伺いしますね。
投稿: なな | 2007年10月10日 (水) 15時11分
こんばんは。いつもTBとコメントありがとうございます。
自国を他国に700年も支配されたことがない日本人にとって、
イングランドに対して徹底抗戦して、
完全な独立を願うアイルランドの方々の本当の心情は
完全に理解できないだろうと思いながらも、
それでも十二分に伝わる、若者たちの思いと切なる願いに、
胸を締め付けられ続ける2時間でした。
昨年劇場で観た時も、最近WOWOWで再見した時も、
もし、その場に自分がアイルランド国民として存在していたら、
わたしはどちらの道を選ぼうとしただろうと自問自答しましたが、
確固とした答えが出せませんでした。
キリアン・マーフィー、本当に巧い人ですねぇ。
出演する数だけ、違う顔を見せてくれて、
今後も絶対目を離せないと思わせてくれます。
投稿: 悠雅 | 2007年10月10日 (水) 21時02分
悠雅さん いらっしゃいませ。TBもありがとうございます。
もし自分があの国にいたら、
テディのように現状維持の自由国軍に加担するのか、
それともデミアンのような完全独立を目指す共和派に加担するのか、
きっと私はただおろおろと家族や恋人が傷つくのを見ているだけのような気がします。
700年も他国に支配されてきたなんて酷すぎますね。
キリアンは、演じるために生まれてきたと言ってもよいくらい、
まさに天才肌の役者さんですね。
投稿: なな | 2007年10月10日 (水) 21時22分
祖国の独立と内戦の勃発、秤に掛けるべきことではないのでしょうけれど
難しい問題ですね。
イギリスからの完全独立をめざして、一枚岩で戦っていれば、
仲間同士の血を血で洗う悲惨な戦いや今日まで残る「北アイルランド紛争」も
回避できたかもしれないなどと思ったりします。けど、それは机上の空論ですね。
投稿: マーちゃん | 2007年10月12日 (金) 23時02分
あの不合理な講和条約は,内戦勃発をもくろんだ英国の罠だったかもしれませんねえ。やはり強国にはいろんな面で歯がたたなかったのかと思うと,アイルランド国民でもないのに悔しい思いもします。
北アイルランドはプロテスタント,南はカトリックと,国内でももともと紛争の種も抱えていたかもしれませんし。
いずれにしても,哀しく虚しい闘いには違い有りませんね。
投稿: なな | 2007年10月13日 (土) 09時14分