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2007年10月の記事

2007年10月31日 (水)

ブロークバックマウンテン(15)

歌謡曲に見るBBMの世界
Cap105
すいません。最初シリアスな記事ばかりが続いたこの連載も、
最近はふまじめ…いやカジュアル路線が続いてますが
いったんこちらの路線に逸れると,
なかなかシリアス界に戻れないですな。
・・・・居心地がよくて。

そんなわけで今回のテーマは
歌謡曲に見るBBMの世界です。
歌謡曲と言うのは
切ない愛や叶わぬ愛をテーマにすることが多いので
BBMの世界と共通するものが 結構あるのですよ。
残念ながらワタクシは最近の曲はあまり知らないので
少し古くさい曲ばかりが 浮かんでまいりました。
Cap084_2_3
まずはジャックのテーマソングから。
生前のジャックが,イニスを思い続ける健気さと執念は
あみんの「待つわ」を彷彿とさせますね。
(若い人知らないでしょ,こんな曲)
歌詞が長いので いかにもな箇所だけ引用すると

Cap069
♪可愛いふりしてあの子 わりとやるもんだねと
 言われつづけたあの頃  生きるのが辛かった

ジャックも世間からは,軽く見られてたふしがありますよね。
・・・・・まあ生きるのが辛かったってほどではないだろうけど。
いつかどこかで結ばれるってことは 永遠の夢~

そうそう、その通りです。なんて絶望的なんざんしょ。
♪私待~つわ、いつまでも待~つわ,
たとえあなたが振り向いてくれなくても~

20年間、ジャックはわずかな幸せの記憶を
心の拠り所にして待ったんですよね。
この曲の歌詞は,ややストーカーが入ってる感じがするけど
一途な思いはジャックのソレと同じってことで。
♪待つーわ~ いつまでも待~つわ
他の誰かにあなたが振られる日まで

アルマに振られてもイニスはジャックと暮らしてくれず,
待った甲斐がなかったのが哀しい・・・・。
Cap015_2
そして,死後のジャックのテーマソングは もちろん
今や国民的哀悼歌となった あの曲,
そう千の風になってでしょう。

あまりにも有名になった この曲の歌詞を
あらためて紹介する必要はないですが,この曲を聴くと
ワイオミングの自然の全ての中に宿って
イニスをいつも優しく見守っている 
ジャックの魂を連想してしまいます。
Takibi_2
さてさてお次はイニスのテーマソング。イニスというと私は
美空ひばりの(古っ!)悲しい酒が浮かびます。

♪ ひとり酒場で飲む酒は 別れ涙の味がする
  飲んで捨てたい面影が 飲めばグラスにまた浮かぶ

  ひとりぼっちが 好きだよと 言った心の裏で泣く
  好きで添えない人の世を 泣いて恨んで夜が更ける♪

   悲しい酒・・・じゃなくて悲しいアップルパイ
Cap127
歌詞の心情はジャックにも当てはまるのだけど
全編を流れる孤独感や泥臭さは,やはり無骨なイニス風。
演歌似合いすぎ。
特に「好きで添えない」っていう所は,ジャックの提案に
「NO WAY」って言ったイニスを思い出しました。

そして,「千の風~」に答える イニスからの応答の歌は
やはり涙そうそうかも。
「古いアルバムめくり」を「古いシャツを抱きしめて」に変えたら,
完璧にイニスの歌になります!
特に大好きな2番からの歌詞を引用して,
本日のテーマ終了といたします。
・・・他にぴったりの曲があれば教えてね。
♪ 一番星に祈る  それが私の癖になり  
   夕暮れに見上げる空 心いっぱい あなた探す
   哀しみにも喜びにも 想うあの笑顔
   あなたの場所から 私が見えたら
   いつかきっと 逢えると信じ 生きてゆく


   晴れわたる日も 雨の日も  浮かぶ あの笑顔
   思い出遠く あせても  さみしくて 恋しくて  
   君への想い 涙そうそう 

 逢いたくて 逢いたくて・・・・
 君への想い 涙そうそう

       

 
        
     

    

2007年10月29日 (月)

スパイダーマン3

Spidey3busside_2 劇場では観れなくて、ようやくDVDにて めでたく鑑賞。ただ強いだけでなく、ヒーローになってからも 悩んだりへこんだりするナイーブなピーターが好ましくて、このシリーズは1も2も大好き。

今回の敵は、親友ハリーが変身したニュー・ゴブリンと、伯父の仇の脱走犯が変身した巨大な砂男 サンドマン、ライバルカメラマンのエディーが,謎の黒い液体物質によって悪の権化と化したヴェノムと盛り沢山。しかし,なんと言っても一番の敵は,液体物質のせいで増幅されたピーター自身の中の奢りや憎しみなどの悪だろう。Cap098 ジェームス・フランコは,「トリスタンとイゾルテ」では美しい騎士だったのに,今作では復讐に燃えるあまり 凄い形相と化したニュー・ゴブリンを演じている。記憶を失っている時は,ひたすらお人好しスマイルのあんちゃんだし,後半は顔面に火傷を負わされたりして,せっかくの美男子がちょっと気の毒。

スパイダーマンが父を殺したという誤解は,「実は私が全て真相を知っております」と言う執事の言葉で解けるのだが、「知っているならもっと早く言ってやれよ!(怒)」と思ったね。
Cap112
今回初登場のサンドマンは,立ち現れる時はすごい迫力だけど,なんせ素材が砂だから「こいつに殴られても痛くなさそう」と思ってしまった。あ,でも砂が目に入ったら痛いよね。サンドマンのシーンで必ず流れる やや不気味で重厚な音楽を聴くと,中学生の時,学校でよく聴いたムソルグスキーの禿げ山の一夜をなぜか思い出したりして。

そしてなんと言っても見所は,ブラックスパイダーマンに変身した時に180度変わるピーターの表情や雰囲気。トビーの悪役顔は初めて見るが・・・これは見事だった。黒ずくめの服装で,クールに踊ってみせたりして。(これがまた巧い!バーのシーンは思わずスロー再生した)

悪玉ピーター   案外かっこいいかも?
Cap100

こっちは善玉。  やっぱりこうでなくちゃ
Cap108
叔父を殺したサンドマンに対する憎しみや,ハリーに対する怒りなどの醜い感情をMAXで表出する時 彼は「いい気持ちだ」とうっとりする。悪がもたらす陶酔感は,麻薬のように人を蝕む。それが自分を見失わせる毒となることに気づいてから,ピーターにとって激しい自分との闘いが始まった。渾身の力を振り絞って、悪のスーツを取り除くことに成功するピーターだが、エディーの方は「悪人の方がいい」と言って自滅する。
E0549_main_2
ま、エディーのような選択をする場合も,悲しいけど確かにあるんだよね。一度悪に支配されちゃうと、そこから立ち戻る方がずっと難しい。特に 一度野放しにした復讐心なんてものを,葬り去るのは至難の業かもしれない。Cap111

そして毎回お馴染みのMJ。キルスティンは、このシリーズではブサイクだという評もあったが(ファンの方ごめんなさい)今回はなかなか可愛かった。ピーターを愛しているのに、すれ違いを重ねてゆく彼女の辛さが伝わってきた。

それにしても スーパーヒーローの彼女って結構大変。毎回,囮にされるために,命の危険にさらされるし。彼女は劇中で必ず一度は,空中に吊されて黄色い悲鳴をあげるのがお約束。

個人的には、やはりピーターがクモの能力に目覚めていく1作目が一番好きだが、この3も,とても面白かった。映像は回を重ねるごとによくなっているような気がする。今回は,特に,闘いが繰り広げられる背景の夜景がすごく美しかった。・・・それにしても トビーは顔が太ったかしら?

2007年10月28日 (日)

THE LAST DAY

Cap051 ギャスパー・ウリエルの幻の恋愛映画。2004年度製作。・・・すいません,今個人的にギャスパー祭りをやってますんで,彼の出演作の記事が続きます。きっとこれはマイナーな作品で,映画の出来からいうと,そんなに傑作とは言えないかも知れないけど,この作品のギャスパーは,また一段と美しいから,ファンの方は必見。

Cap052
作品ごとに雰囲気を変えることのできるギャスパー。かげろうの坊主頭のイヴァンや,ハンニバル・ライジングでのオールバックの彼に比べると,この作品で彼が演じたシモンは、容貌の点では,一番彼の素顔の美しさに近いのではないかと思う。

物語は・・・うーん,シリアスで切ない物語だけど,多少無理がある。主人公のシモンは,写真家を目指す18歳の青年。彼はクリスマス前の休暇を過ごすために,実家に帰る途中の列車内で,ルイーズという少女と知り合う。

このルイーズが何とも摩訶不思議な少女で,そのまま彼の実家についてきて,何と居候しちゃうのだが,シモンと同じベッドに寝ながらも関係はなし。

Cap053 ここらへんで,私の頭の中はカルチャーショック???で一杯に。シモンの家族も,いきなり何の紹介もなく現れた彼女を,違和感なく,まるで家族のように扱うし,ルイーズもシモンの前で平気で着替えをしたり,互いのこともよく知らず一緒に寝たりして,それで何も起こらない。

「これって,普通か?この国では」とあきれつつもルイーズってあつかまし~とちょっとむかついたりもしたが,彼女がなぜシモンに近づき,何の目的で彼の家に来たかが後でわかると,彼女がシモンに親密な態度を取りながらも,そんな関係にはならなかったのも、「なるほど,そうかいな」と納得した。
Cap058_2
シモンの家族はぎくしゃくしている。
シモンと仲がいいのは,彼の母親だけで,姉と父は彼を愛しているよりはむしろ,憎んでさえいるように思える。シモンの方もそれを察して,一家の中に温かい団欒の気配はない。
Cap065
シモンには親友のマチューという灯台守の青年がいて,三人で時を過ごすうちに,ルイーズはやがてマチューと恋に落ちる。 ルイーズとマチューの関係を,シモンはもちろん素直に喜べず,取り残される悲しさで苦悩するが,どうも彼はルイーズよりもマチューに恋しているような雰囲気だ。ルイーズをマチューに取られるのが辛いのではなく,マチューをルイーズに取られるのが辛いようにも見える。・・・・ようわからん。シモンはとても内気で複雑な青年らしい。
Cap069
そうこうするうちに,ルイーズはマチューとともにパリに去り,落ち込むシモンをさらに傷つける衝撃的な事実が母から明かされる。きっと出生の秘密だろうなあと,あらかた予想はついてたが,やはりそうだった。(脚本があまりよくないのか,先が読めるわりには共感しにくい。)

とにかく,この物語のギャスパーは,とことん可哀想で浮かばれない役柄だった。前半は,ルイーズに翻弄され,マチューとの三角関係に悩む彼を観て,こちらも けっこうストレス溜まりまくり。後半は後半で「そんなむごいこと知らせるな!そっとしといてやれ!」と母親に叫びたくなった。
Cap071
この作品のギャスパーは,いかにも繊細で孤独な青年。感情を外に出さず,ひたすら内へ内へと哀しみをこもらせてゆく。それはそれで彼の端麗な容貌にしっくりとはまっていたが,あんまり可哀想なので,これを観た後は口直しにハンニバル・ライジングを観て,不敵な笑みをたたえつつ,鮮やかに敵を倒す彼の姿にすかっとした。

Cap091_3 別人!
彼のナイーブな美しさを堪能するにはお勧めの一本だ。フランスの港町の荒涼とした風景と,彼の切なげな美貌が心に残る。

2007年10月25日 (木)

パリ・ジュテーム

Cap049 これは,18人の旬の監督たちの手によるパリを舞台にした恋愛短篇集のような映画だ。一話が5分という短さだし,一番最初の物語が私的には?だったのでギャスパーの出るマレ区だけ観ようかと一瞬思ったが,(おいおい)?な物語も,5分後には終了して 別の物語が始まっているので,ついおしまいまで 途切れることなく観てしまった。そしてエンドロールの歌を聴いていると,何故か じんわりとした涙が浮かんできた。
Cap040
パリという場所を限定して紡がれる どれもささやかな愛の物語。愛には まこといろいろな形があり,その始まりも終わりも千差万別なんだなあと,あらためて思う。

恋人との愛 親子の愛 夫婦の愛。 
運命的な愛 行きずりの愛 叶わぬ愛 癒しの愛。
性別を超えた愛  終焉を迎える愛、

共鳴する愛 そして色褪せない愛。.Cap024 ギャスパー・ウリエルが登場するのは マレ地区の物語。今回の彼は、顧客を印刷屋に案内してくる芸術家っぽい青年だ。彼は印刷屋の若者をひと目見てなぜか心ひかれ、彼に話し掛ける。

前にどこかで君と逢ったことがあるよね?
自分の片割れの存在を信じるかい?
君ともっと知り合いたい。連絡をくれないか。


そして相手の青年に自分の電話番号のメモを渡す。相手の青年は実はフランス語がわからなくて,ギャスパーの言ったことが理解できてなかったのだけど…。ソウルメイトや 前世での関係の存在を暗示するようなお話だ。Cap030 でも、いくらなんでも初対面でそんなインスピレーションを相手に感じることが実際にあるのだろうか?信じがたいお話だが、愛の持つ不可解さや、底知れない神秘性を考えれば、ありえないことではないかもと思えてくる。

言葉のメッセージが伝わらなくても、衝動に突き動かされてギャスパーを追い掛けてパリの街並を疾走する青年。その後の彼らの物語は、どう展開してゆくのだろう。ギャスパーは、しなやかな体に白いタンクトップと黒いレザージャケットを無造作に纏い、うっすらと不精髭なんか生やして、またまた,これまで観たどの作品とも異なるセクシーさを漂わせていた。    

爽やかなお話、ほろ苦いお話。切ないお話、あったかいお話。いぶし銀のような粋さを感じさせるお話、やや滑稽なお話と,どれも味わいが異なるから,18話の中には,誰もがお気に入りの物語を見つけるはず。

出演する俳優さんは、どの物語も名優ばかりが目白押し。確かに5分という凝縮された時間の中で,伝えたいことをきっちり伝えるためには、名優さんたちの 演技力やオーラは不可欠かもしれない。そしてどの俳優さんも,とても美しく輝いていた。

それぞれ形は違っても、人は生きているかぎり、いくつになっても、どんな状況でも愛を求めるものなのかもしれない。そう思うと、人生そのものをいとおしく感じることができて、
観おわったあとのしみじみとした感動が呼び起こされたのかな。

2007年10月23日 (火)

ブロークバックマウンテン(14)

四年目の再会
Cap747

BBMの中で お気に入りのシーンを三つあげろと言われたら,皆さんどのシーンを選びます?私の場合、ベスト3
①四年目の再会
②二晩目のテントシーン
③最後の諍いのシーン

なんか,私はイニスの感情がジャックに向けて爆発する場面が好きみたい。
Cap438_2_2
ちなみに、私的 ワースト3
①ジャックがリンチされるシーン
②面会日にジャックが追い返されるシーン
③キャシーの登場するシーン全て

考えてみれば,これは全部,,ジャックが辛い思いをするシーンなんだよね。キャシーはジャックのライバルだし。(いや,ジャックはキャシーを歯牙にもかけてなかったとは思うけど,私にとって彼女のキャラは目障りってことで・・・。)はは・・・よくよくジャック贔屓だなあと思います,自分。

四年目の再会は,何度みてもじーんとする。二人が愛を再確認し,そしてジャックが イニスの情熱に有頂天になるシーン。

Cap029_2
イニスが,ジャックを待つ時の,そわそわと落ち着かない顔。一張羅のシャツを着込んで,貧乏揺すりなんかしちゃって,ね。そして,ジャックの到着に喜びを隠し切れず,階段を飛ぶように駆け下りてゆく姿は,まるでお祭りの日の子供のようで。二人が,ひしと抱き合う場面は,原作の文も見事。ちょい長いけど,ちょこっと引用すると・・・・。
Cap058
「二人は互いに肩をつかみ,がっしりと抱き合い,絞り出すような声でこの野郎,この野郎と言い合った。そして自然にまるで正しい鍵が鍵穴のシリンダーとかみ合うほど自然に,二人は口をくっつけた,力いっぱい。・・・(中略)・・・それでも二人は抱擁を続け,胸と鼠けい部と太腿と脛を押し付け合い,互いの爪先を踏んづけ,やがて二人は離れて息を整え,愛情表現が苦手なイニスとしては,自分の馬と娘にしかかけない言葉を口にした。「よしよし,可愛いやつ(ダーリン)・・・・(中略)・・・・イニスの胸はまだ波打っていた。ジャックの臭いがした。あの懐かしい,タバコと麝香のような汗の臭い,草に似たかすかな甘い臭い,そして山の凛とした冷気の臭いだ。」(原文より)
Cap299
二人がその後にたどった運命の悲しさを思うと,この時の再会は無かった方がよかったんじゃないか?ジャックはイニスに葉書を出さなきゃよかったんじゃないか?イニスもジャックに返事をしなければよかったんじゃないか?そしてイニスがあんな風にジャックを情熱的に迎えなければよかったんじゃないか?・・・・なんていろいろ考えた時もあるけれど。

Cap062
確かに,この再会がなければ,その後の悲劇(特にジャックの)は起こってないかもしれない。しかしこの再会がなかったら,彼らの人生は,どれほどか空虚なものになっていただろう。

最初の別れのとき,嘔吐するほどの痛みを感じたイニス。
イニスのいない人生は,半分死んでいるも同然のジャック。

ブロークバックの山を降りてもなお逢い続け,関係を続けることを,この時彼らは選び取るわけだけど,その選択によって多くのものを失い,苦しみや哀しみを味わうことになる。それでもなお,年に何度かの逢瀬が,二人にとって どんなにか心の支えになっていたことかと思うとき,やはりこの再会は間違っていなかったと思う。

・・・・なんて,また泣きたくなっちゃった。

太陽と月に背いて

Cap003_2 この映画、詩人のランボーヴェルレーヌの自伝的な物語なのだそうだけど,ランボーを演じている若き日のレオナルド・ディカプリオすごく美しいらしいので,観てみた。(理由はそれだけなんだけどね)。最近やや堅肥りになり 眉間の縦じわもめだってきたレオ様の、(失礼)まぎれもなく美青年だった頃を懐かしんで・・・。
Cap022_2
おお〜!
確かに輝くばかりの  匂い立つような若さと美しさ!タイタニックのレオより美しく,魅力的ではないか。スレンダーで,初々しくて。まるで子鹿のようにしなやかで。物語は,一口に言えば,彼らの間に繰り広げられた,破天荒で破壊的な愛憎劇史実に基づいているらしいけど,本当にランボーってこんな男だったのだろうか?

彼の詩がどんなものか,読んだことはないけれど,この物語のランボーは,際だった才能を持ち,傲慢で,不遜で,他人の思惑など一片も顧みない,まことに鼻持ちならない人物に思えた。同時に,彼の天真爛漫で,どんなときにも物事に捕らわれない自由な生き方は,確かに麻薬のような魅力があると言えなくもない。
Cap019
お相手のヴェルレーヌは,全くもってどうしようもなく情けない男として描かれている。美しい妻の体を愛しながらも,ランボーの才能や魂にメロメロになり,彼との逃避行に踏み切るが,妻との関係も断ち切れない。(まあ,最後はあいそをつかされて離婚されちゃうのだが)おまけにアルコール中毒ときた。

優れた才能を持った芸術家は,
平穏で凡庸な恋愛とは,やはり縁がないのだろう。

新しいものを創り出す才能を持って生まれた彼らは,同時に容赦無く破壊する習性もまた持っているのかも知れない。彼らの間の愛は 常軌を逸脱した激しさと危うさを持ち,互いに深く傷つけ合いながら、痛ましい終焉へと進んでゆく。
Cap016
ランボーは、ヴェルレーヌの手のひらをナイフで刺し貫くが,ヴェルレーヌもまた、自分から去ろうとした ランボーの手のひらを,拳銃で撃ち抜いてしまう。(まるでキリストの磔刑の傷のようだ) 二人の愛憎劇は,恐れ知らずのランボーの方が,気弱なヴェルレーヌを振り回しているようにも見えた。

どっかで似たようなお話を観た覚えがあると考えてみたら,究極の腐れ縁という点で,ブエノスアイレスに似ているような気もした。もっとも,この「太陽と月~」は,主人公二人が詩人という芸術家だから,「ブエノ〜」よりもっと彼らの心情を理解するのが,凡人には不可解かもだ。
Cap020_2
彼らの間に存在したものは,愛だったのか,それとも肉欲だったのか,はたまた打算にすぎなかったのか。
晩年のヴェルレーヌが,ランボーとの怒濤のような日々を回想した時,脳裏に浮かんだのは,ナイフで掌を刺し貫く代わりに優しく接吻を返す ランボーの面影だった。

彼らの間に、常人の理解は超えていても、確かに愛は存在したのだと思う。あの二人,特にランボーは,あのような愛し方しかできなかったのかもしれない。たとえ自分と似た魂をもった相手に 巡り会えたとしても,相手に与えるよりも,奪うことしかできず,傷つけることで愛を確かめるようなサディスティックな愛し方。

この作品のレオは,勿論光り輝くばかりに美しいが,かなり難しい役であるにもかかわらず,確かな演技力も見せてくれている。ランボーの持つ,並はずれた知性の煌めきや、狂気と見紛うほどの激情や、幼い子供のような純粋さ。

万人受けする内容でないので,未見の方も多いと思うが,レオが好きなら必見。

2007年10月21日 (日)

トランスアメリカ

Cap020 トランスアメリカとは,アメリカ大陸横断のこと。これは、トランスジェンダーブリーと、彼の息子トビーの二人の魂の旅路の物語だ。

念願の性転換手術を目前にしたブリーの前に突然,警察からの問い合わせという形で 出現したトビー。彼は、ブリーがスタンリーという名の,男性だった時に,一度だけ関係を持った女性,エマとの間にできた息子だった。手術を受けるLAへと向かう途中,トビーを、養父に送り届ようと決心するブリー。彼はトビーには,自分が父親であることを隠し,教会から派遣された女性だと偽って,二人の旅は始まるのだが・・・。

トランスジェンダーのブリーを見る周囲の目は,決して好意的なものではない。Img2_1154099350奇異な目で見られたり,まるで疾患のように治癒を期待されたり,揶揄の対象になったりする。性転換の同意を頼まれた医師は「性同一性障害は,深刻な精神疾患です」と言ってたけど,それって,絶対間違ってるよ,アンタと言いたくなった。

劇中で語られる台詞の中で,いくつか心を打たれたものがあった。トランスジェンダーの男性(もとは女性?)がトビーに言う「僕たちは選ばれた者なんだ。男性と女性,どちらも経験したから,両方のことがよくわかる」という言葉。また,ブリーが母に「トランスジェンダーは生まれる前から決まってたのよ」と訴える台詞。「息子が恋しいわ」と嘆く母に,「息子はもともといなかったのよ,ママ。一度もね。」と答える台詞。傷つく言葉を投げつけられた時は 独特の皮肉やジョークで切り返し,自分らしく生きたいと,健気に背筋を伸ばして闘うブリー。

Cap027 ブリーを演じたフェリシティ・ハフマン,実はとても美しい女性だ。インタビュー映像の彼女と,スクリーンの中のブリーが同一人物だなんて到底思えない。ブリーはメイク,表情,仕草,ファッションすべてが,どう見ても女装した男性にしかみえないのである
それにあの声!出演前は必ず時間をかけて声を低くしていたという。実際の彼女はやや甲高い声なのだから,全くもって驚きである。

自分の子供が晴天の霹靂のごとく,いきなり降って湧いて出現した場合,特に生まない性である男性の場合,親心というものは,すぐに芽生えるものだろうか。
最初は戸惑い,途方に暮れ,責任感や義務感から,トビーを庇護する立場に立ったブリーだったが,彼の言葉遣いを注意してみたり,将来の生き方が気になってみたりと,やはり 親ならではの気遣いがすぐに出てきたのが興味深かった。旅を続けるうちに,次第にうち解け合うようになり,ブリーは,トビーが養父から受けた仕打ちを知って,胸を痛める。Cap024 母親から「トビーをどうする気?」と聞かれたときに,「彼に知って欲しいの。私が彼を応援し,尊重し,それどころか・・・」と口ごもるブリーの台詞の,言えなかったその先は「それどころか,愛しているということを」だったのではないだろうか。「あなたさえよければ,いっしょに暮らしてもいいのよ。」とトビーに言う台詞は,最初は決して望んではいなかった親になりたいという願いが,ブリーの中で次第にはっきりとした形をもって現れてきた証拠だろう。

Cap021 それにしても,わずか1週間の間の旅で,2度も天地がひっくりかえるような衝撃的な思いを味わったトビーの心境やいかに?
1度目は,「敬虔な信者でおせっかいなおばさん」としか認識してなかったブリーが,実は女装した男性であると知ったとき。

そして2度目は,いつのまにかその生き方に心惹かれるようになったブリーが実は自分の父親であると知ったとき。まだ見ぬ父に,自分なりのイメージを思い描いていたトビーにとって,2度目の衝撃は痛すぎて,大きすぎて,最初は到底赦すことができなかったのも頷ける。

それでも時が流れ,ポルノとはいえ一応俳優としての仕事にありついた彼が,おずおずとブリーのもとを訪ねたのは,やはり,親に認めて欲しいという子供の心からだろう。ぶっきらぼうに映画のチラシを手渡すトビーと,優しく,でも毅然として彼のお行儀を,親らしく諭すブリー。
Cap033 「女性」としてのブリーの人生のスタートから 少し遅れて,不器用なこの親子の生まれたばかりの絆も,ここから新たにスタートするのだと思った。

2007年10月19日 (金)

親切なクムジャさん

B000e41nik_01__sclzzzzzzz_ パク・チャヌク監督の復讐三部作のラストを飾る作品。今作で復讐するのは,「チャングム・・・」で,日本でもすっかりおなじみの清純派女優イ・ヨンエ。そして今回も復讐されるのは,「オールドボーイ」でもあんな酷い目にあったチェ・ミンシク

今回 彼が演じるペク先生は、血も涙もない極悪非道な連続幼児誘拐殺人犯人で、復讐されても当然だけど。自分の娘を人質に取られたクムジャさんは、彼の殺人の罪を被り、殺人犯として13年の刑に服する。

受刑中の彼女は、まるで聖女のように清らかで心やさしく、皆から親切なクムジャさんと呼ばれる。しかし、彼女のこの殊勝な行いの数々は、すべて後の復讐のための準備だったのだ。

刑務所の塀の外に一歩出た瞬間から、彼女の天使のような表情はがらりと一変する。やさしい微笑みを封印し、目蓋を赤いアイシャドーで染め、自分を恩人と仰ぐ元女囚たちの力を借りて、彼女はペク先生への壮絶な復讐劇を開始するのである。
Cap002
この物語中、最も異彩を放ち、かつ観客の心に強烈な印象を焼き付けたのは、クムジャさんがお膳立てした 被害者の遺族たちによるペク先生への私的な処刑シーンだろう。

複数の遺族たちが犯人に制裁を加える点では、アガサ・クリスティのオリエント急行を思い出すが、この作品は舞台が荒れ果てた廃校だったり、クムジャさんから,わが子の殺害シーンのビデオを見せられた遺族たちが、私的な処刑を実行するかどうか,審議したりするシーンがあったりして、オリエント急行とは比べものにならないくらい、おどろおどろしい緊迫感があふれていた。
Cap007 遺族たちが、血飛沫よけのレインコートを羽織って、廃校の暗い廊下に一列に座って順番を待っている光景の異様さは、この物語の中でも一番忘れられない。もし自分が、愛児を無残に殺された遺族たちの一人としてあの場にいて、クムジャさんから決断を迫られたら、どうするだろうと思わずにはいられなかった。

心臓が悪いにもかかわらず、気弱な夫に替わって気丈に決行を果たしたウォンモの母。おそらく本来は温厚な人柄に違いない彼女の口から、「一気に殺すのは生ぬるい」という過激な台詞が出たのを聞いたとき、ああやはり,わが子を殺された母の言葉だなあと思った。凶器として、斧を用意してきた遺族もいた。

一番圧巻だったのは、最後に手を下したウンジュの祖母。孫の死によって嫁は自殺、息子も死んで一人残された彼女は、泣き叫ぶ孫が殺されるビデオを観た時は失神しかけた。しかし いざ自分が手を下す番が来たとき彼女は,遺族の中でも最も冷静に 落ち着き払って,眉ひとつ動かさずに孫の形見の工作バサミを,ペク先生の首筋に深々と突き立てる。力を込めないと抜けないほど,深く差し込まれたハサミからしたたるペクの血に,ウンジュの祖母のペクへの怨念の深さを見たような気がした。

クムジャさんの親切は、どれも実は人の心を利用して自分の目的を達成するためのものだったと思う。刑務所内での天使のような親切は、恩を売って復讐の手助けをさせるため。遺族たちのために,ペク先生の私的制裁の膳立てをしたのは、ペクの極悪非道な罪に見合った贖罪をさせるためでもあったが、実はクムジャさん自身の贖罪のためでもあったと思う。

自分が身代わりになったために 真犯人のペクは野放しになりその後も次々と 犯行を重ねていったことを知ったとき、クムジャさんは,殺された4人の子供たちの遺族に対し重い責任を感じ,彼らの復讐をお膳立てすることで,自らの罪が償えると思ったのではないか。

最初観た時は,クムジャさんが,自分の復讐に他の遺族たちを巻き込んだだけのようにも見えたけれど,見返してみるとやはりあれは,クムジャさんなりの,遺族への贖罪だったのだと思えてきた。
Cap015

はたして彼女の心は
罪の重荷から解放されたのか?

ペク先生の遺骸を葬った後で彼女の見せた般若のような泣き笑い。罪を償えると思ったけれど,やはりそれは叶わぬ夢に過ぎないと悟ったかのような 痛ましくも怖ろしい表情だった。

ラストシーンで,せめて無垢な娘には「雪のように清らかに生きて」と純白のケーキを差し出すクムジャさん。そのケーキの中に顔をうずめて,彼女は罪赦された母に戻ることができたのか。それとも,また新たな罪を背負ってしまったのか。

この物語のテーマは「復讐」ではなくて,「贖罪」だと私には思えたので,確かに怖ろしく残酷な物語ではあるけれど,見終わった後は,哀しみと同時に,なにかやさしく心に沁みてくるものも感じた。

2007年10月17日 (水)

ブロークバックマウンテン(13)

テントでの出来事は
Cap028

BBMの日本版の劇場用の広告の中で,私が??と思ったキャッチコピーは、始まりは、純粋な友情だったというやつ。
・・・始まりは純粋なゆーじょーだったぁー?

そりゃ確かに イニスはそうでしょうとも。でも、ジャックの方はどうみても,友情以上の感情をイニスに抱いていましたね、それも最初から。              
Cap001_3
ほら,あの 初対面のときの
品定めするような目付きとか。
イニスの怪我の手当てをするときの,
眼差しのあやしさとか。
イニスが傍らで体を拭いてるときの
こっそり唾を飲む仕草とか。

Cap036
ええ、ええ、もうそれは
画面からも,はっきり伝わってきましたとも。そして,始まりは確かに友情だったはずのイニスだってなんでいきなりテントでああいう行動を取ったのか実のところ、今でもようわからん・・・・。

あのシーン、初見時は,思い切りのけぞってしまった。いや、行為そのものがどーこーと言うのではなく、あまりにも唐突だったので、こちらも心の準備がねぇ、いきなり当然のように迫っていったジャックにも驚いたけど,その後のイニスの反応には,もっとぶっとんだ。

「ちょ、ちょっと、あんたたち!」
と叫びそうになり、(もちろん、止めるつもりはなかったけど。止めたらお話が進まなくなるから)その後、場面が切り替わっても,一体今のは何だったんだ?と何度も巻き戻して観てしまったわ。(画面暗くてようわからんし)
Cap092_2
それまではゲイっ気が皆無で,ジャックの誘いにも,反射的にびびりまくったイニスが,何で次の瞬間には,自分からジャックに挑みかかるのか。原作を読んでも,「イニスは何でも徹底的にやる性格だった」(何や、それ)としかなくて。たとえ,スクリーンの中のイニスをつかまえて,あの時の心境について問い質したとしても,あのボソボソ声で,頭なんか掻きながら目をそらして,「わっかんねーよ、俺もなんであの時 あんな事しちまったか。」とか言いそうだな,イニス。

生まれて初めてできた親友に,世間から隔離された空間で迫られ、おまけに こちらも酔っ払っていれば,たとえ相手が同性でも,誰でもイニスみたいな行動を取ってしまう…わけはない。
やはりイニスは、もともとゲイの素質もあったし、このころにはジャックに対して、友情を超える愛情が 既に芽生えていたと見るのが妥当かもしれない。
Cap047
イニスのセクシャリティは,ゲイなのか,バイなのか。本人にさえ長いこと自覚がなかった問題は,ノンケの女性の私には,なおさら想像できないけど,ゲイはゲイでも,イニスは相手がジャックに限定されたゲイなのかもしれない,とも思う。・・・・違うかな?(自信なし)

2007年10月16日 (火)

四月の雪

Takuto78ホ・ジノ監督の作品は,八月のクリスマスといい,春の日は過ぎゆくといい,韓国映画というよりは,まるでフランス映画のような,繊細で静謐な雰囲気があるが,この四月の雪も,そんな静かで深いラブストーリーだった。
Cap026 何よりも,そのストーリーの設定に惹きつけられた。許されぬ恋におちてゆく二人の男女,インスソヨン。二人が出会うきっかけになったのは,何と互いの配偶者同士の不倫中の事故だった。夫や妻の裏切りを知ったときの彼らの衝撃と苦悩。昏睡する妻の枕元で「いっそ死ねばよかったのに」とつぶやくインス。

インスと共に被害者を弔問に行った帰り,道端で耐えきれずに声をあげて慟哭するソヨン。 最初はよそよそしく、かすかな敵対心さえただよっていた二人の間に、やがて少しずつ うちとけた穏やかな空気が生まれる 。

Cap031
凍てついた冬がいつのまにか去り、雪解けとともに春がそっと訪れるように,二人の間には、ためらいながらも,ひそやかな愛が芽生えてゆく。


「仕返しに浮気をしましょうか?」という冗談めかした提案が,ごく自然な形で実現してしまってから 「これは愛なのか、それとも単なる腹いせなのか」という問いは、繰り返し二人の心に浮かんできたにちがいない。 はたして二人は、単に共通の被害者意識だけで結び付いたのだろうか。

いいや、たぶん別の出会い方をしたとしても,彼らはきっと,互いを選びとっていたのではないかと思う。
Cap029_2
インスとソヨンは、持っているやさしい雰囲気が、まるで兄妹のようによく似ている。きっと魂にも共鳴するものがあるに違いない。もっと早く出会えていたら・・・・愛し合った後に,インスの口からこぼれる言葉が哀しい。           

Cap030
微笑みの貴公子ペ・ヨンジュンは、この物語の中ではほとんど笑わない。厳選された台詞、そして言葉以上に雄弁に気持ちを語る,まなざしや仕草。物語は,じれったくなるほどゆっくりと丁寧に,二人の間に揺れる思いを,美しい映像で綴ってゆく。

まるで寄せては返す波のように 
近づいたり離れたりする切ない関係。

しかしソヨンの夫の死と、インスの妻の回復によって,二人の関係は,否応なしに現実に引き戻されてしまう。

あのような出会いから始まった愛は
しょせん淡雪のように消えてゆく運命なのだろうか。

Cap039 四月の雪に覆われた美しいラストシーン。二人の愛は終わるのではなく,これからどこかへ向かうのかもしれない・・・,それを暗示しているような,余韻の持たせ方が嬉しかった。しみじみと心にしみいる美しい物語だったと思う。

2007年10月15日 (月)

猫の老化現象

Fan2_015 猫も年を取る…って、今回はちと辛い話題だニャ。うちの猫は拾ったので、正確な年令は定かでないが,たぶん10年以上は生きていると思う。

猫の平均寿命って,20年未満だよね?15年くらいかな?あといくつの季節をいっしょに過ごせるのかなあ・・・そう思うと,今から別れが辛くなる。
きっと猫が昇天した日からしばらくは,家中が喪に服すると思う。

006 誰が一番泣くかな~なんて半分冗談みたいに言ってるけど,家族の全員が,きっとそれは自分だと心ひそかに思っているふしがある。

あまり現実を見ないようにしているけど,正面から見たら以前とかわらぬ愛らしいお顔の猫。しかし,その歩く姿を後ろから見ると「うわ,いつのまにこんなによぼよぼと歩くようになったんだ」と,愕然とするときもあったりして。

父がある時,「おい,ななの毛が何となく白っぽくなったぞ。白髪だろうか。」と言ったことがある。

爺さん,またまた何をたわごとを!猫が白髪になるんだったら,年取った猫はぜーんぶ白猫になるわけかい?

鳩の翼

4988102521516_2 10年も前の古い映画で恐縮だが・・・。これは文豪ヘンリー・ジェイムズが原作の,英国の美しい文芸作品で,私の大のお気に入りの作品。

物語の舞台は20世紀初頭のエドワード朝のロンドンと,陽光溢れるロマンティックな古都ヴェニス。そこで織りなされる,三人の男女の複雑に絡み合う愛の物語だ。

ヒロインのケイトは,落ちぶれた中産階級の娘。後見してもらっている裕福でスノッブな叔母からは,貧しいジャーナリストのマートンとの交際を禁じられる。ケイトの友人となるミリーは,アメリカの大富豪の孤児。ケイトの恋人だとは知らずにマートンに心惹かれる彼女は,実は不治の病で余命はいくばくもない。

Cap023_4
そのことを知ったケイトは,ミリーの遺産を目当てに,彼女のマートンへの愛を利用した,
ある暗い計画を思いつくのだが・・・。愛のために手段を選ばない情熱的なケイトを演じたのはヘレナ・B・カーター。ミリーを欺き,利用することへの良心の呵責や逡巡。マートンの愛の行方に対する不安と,どうしようもなく沸き上がる,理不尽な嫉妬。そんな複雑な揺れる心情を,見事に演じきってさまざまな賞を手にした。
Cap004
二人の女性の間で戸惑いながらも,ケイトの計画に荷担するマートン役の
ライナス・ローチはいかにも英国のインテリ青年らしい,上品さと知性を纏った俳優さんで,その洗練されたデリケートな演技からは,ケイトを深く愛しながらも,ミリーの優しさにも次第に惹かれてゆく様子が静かに伝わってきた。

そして今作で,一番心に残ったのが,ミリーを演じたアリソン・エリオット
Cap010 あたかもイタリアの絵画から抜け出してきたかのように優美なミリー。
自分に与えられた時間が,わずかしかないことを知っていて,残された時間,まるで人生の善いものだけを見つめるかのように,ひたむきに愛を求め,マートンとケイトにも限りない慈愛を注ぐミリー。真実を知ってもなお,二人を赦した彼女の寛容さはこの映画の中で最も美しく,また哀しく私の心に残った。

そして,思い通りにミリーの遺産を手にしたケイトの瞳の暗さ計画の成功と引き替えに,彼女はマートンの心を失ってしまったのか。ミリーの死後,マートンの部屋で結婚を誓い,愛を交わす二人の姿からは,愛し合う恋人たちの持つ喜びや輝きは微塵も感じられず,痛々しさだけが際だっていた。

タイトルの鳩の翼とは,英国では「無垢」の象徴であり限りある時を生き,大空への飛翔を望んだミリーを現しているという。
Cap011自由に飛翔できる鳩の翼が必要だったのはミリーだけではなく,マートンやケイトもまた,因習やしがらみに捕らわれずに,本来の姿で,のびのびと愛し合えたらどんなによかっただろう。

ラスト,思い出のヴェニスの岸辺に一人降り立つマートンの姿。傍らに寄り添うケイトの姿はない。彼の心に今もなお,ミリーのやさしい面影は生き続けているのだろうか。

2007年10月13日 (土)

マッチポイント

324444_003 人生の勝ち負けは
運のよしあしで決まる。
 

なんてシンプルで
人のやる気を削ぐ
メッセージだろうか。

しかし悔しいけど、ある意味人生の真実をついているのかもしれないと,このマッチポイントを観た後、しばし憮然として考え込んでしまった。お洒落で洗練された英国の上流社会を舞台に繰り広げられる,一見火曜サスペンスドラマのような物語なのだが,ラストにさり気なく込められた毒に、ウッディ・アレン監督らしいとため息。まあ、何を基準にして人生の勝ち負けを決めるのか,人それぞれ違うだろうけれど。
Cap136_3
この物語の主人公のクリスにとって,人生の勝ち負けを決める重要なポイントは,家柄や裕福な生活だったらしい。彼は職業のテニスのコーチがきっかけで,上流階級のトムの一家と懇意になり,トムの妹クロエとの結婚にこぎつける。

彼女の両親にも気に入られ,舅の経営する一流会社で,有能なスタッフとして活躍する場を手に入れる。野心あふれるクリスには,まさに願ったり叶ったりの人生が展開してゆくわけだが,トムの婚約者でセクシーなノラと密かに情事を持つようになってから,彼の人生は破滅の危機が訪れそうになり…。

クリスを演じるジョナサン・リース・マイヤーズは,ハンサムなんだけど,どことなく影を感じさせる飄々としたたたずまいの俳優さんで,これまでの出演作では、ややアクのある役柄が多かった。(今回もアクがないわけではない)
その幸福とは言えない生い立ちゆえか,折に触れて暗くかげるまなざしは,クリス役にぴったりはまっていたようだ。
Cap122
クリスの情事の相手の妖艶なノラ役に,今が旬の女優スカーレット・ヨハンソン。真珠の耳飾りの少女とはまたうってかわって,男心を虜にせずにはおかないような ファム・ファタールの役で,これぞ彼女の本領発揮。

しかし、この物語の彼女は,中盤まではクリスに対し,ヒステリックに離婚を迫ったりして振り回すが,最終的には彼に騙されて,殺されてしまうという お人よしで哀れな役まわりになってしまっているのが妙に新鮮だった。

ひとたび手にした成功の座を,一人の女との情事と引き替えにはできないと,悶々としたクリスが下した決断と,その実行。まさに三面記事に載りそうな,ありがちな物語である。
Cap139
しかしこの物語が決してありきたりでないのは,ひとえにラストの意外性。いかにもウッディ・アレンらしいあのラスト。運さえ良ければ,たとえ犯罪を犯しても見逃されるという,倫理もへったくれもない展開。

私は正直,開いた口がふさがらなかった。

たしかに,このラストのおかげで,この作品はとてもインパクトの強いものとなったけれど,こんな寒々しいことの主張のために,監督はこの映画を撮ったのだろうか?しかし,このラストは,それまでフィクションに思えたこのラブ・サスペンスを,急に一転して生々しく現実味を帯びたリアルな物語に変えた。

クリスのようなケースって,世間に明るみに出てないだけで,
実は結構存在してるんじゃないかと思えてきたのだ。つまり,運がよければ犯罪者も捕まらないこともあり,運が悪ければ,被害者が浮かばれないことだってある。正しい行いをすれば必ずしも報われるわけではなく,悪いことをしても必ずしも罰せられるわけではない。

Cap128_3_2
「運命」などという重厚なものじゃない。
「運」というのはサイコロの一振りのような,
もっと軽い感じだ。

人生の吉兆を決めるのは,その人の行いでなく,人知の預かり知らぬところで振られるサイコロの目だとしたら,誠実とか正義とか,愛や希望さえも,何と虚しい砂上の楼閣と化すことだろう。しかし,エンドロール直前のクリスの底知れぬ暗いまなざしの中に,私は一抹の救いを見たような気がした。

・・・人間には良心というものがある。


たとえ今は運のよさで断罪を免れたとしても,彼はこの先,絶え間ない良心の呵責と,罪の発覚に苦しむのではないか。所詮,人生の勝ち負けを決めるのは,当人がどう感じるかにかかってくるわけだから。彼は人生の勝ち組に入れたわけではなかったのかもしれない。何も知らない妻のクロエや,生まれたばかりの息子もまたしかり。
Cap143_3
それにしても,ただの火サスに思わせておいて,観賞後は,観客を哲学的な思索の深淵に引きずり込むなんぞ,やはりアレン監督らしい,緻密に考えられた人の悪い作品である。

2007年10月 9日 (火)

ブロークバックマウンテン(12)

ヒースとジェイク
Cap112
イニスを演じたヒース・レジャーは、本当は(あ、変な言い方)とーっても かっこよくて華のある美しい男性である。

私は彼のファンとまではいかないが,パトリオットでメル・ギブソンの息子を演じた時から、「うわー、素敵な人!」と彼の出演作をチェックしてきた。足が長くて姿勢がよくて,運動神経が抜群で・・・ロック・ユー!などの中世の騎士役なんぞ,ピタリとハマっていたように思う。
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私の中でのそれまでのヒースは,その容姿の端麗さにばかり目を奪われて彼の演技力には,そんなに注意をはらったことがなかった。しかし今回このBBMを観て初めて彼の演技力の高さに目を見張った。

イニスは抑制された激しい感情を,少ない台詞で表現する難しい役どころなのに,彼は,まるで自分がイニスその人であるかのように彼の屈折した複雑な心境を,手で触れることができる程鮮やかに演じて見せた。

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このBBMの収録の後は,カサノバの撮影に入り,それまでの地味なイニスとはうって変わった華麗な色事師を演じた。・・・さすがプロだ。気持ちの切り替えは完璧だ。BBMの後に このカサノバを観た私の方は,まだまだイニスをどっぷり引きずっていて,ジャックが死んだのに,アンタ何をそこで女を口説いてるのよ!などどスクリーンに向かって口走ってしまったっけ。(ヒース,ごめん)

ジャックを演じた ジェイク・ジレンホール。
Cap098_2
私は実はこの人を 正統派の美形とは思っていないけれど,濃いまつげに縁取られた 表情の豊かな大きな青い瞳とキュートな口元がとても好きだ。そしてこのBBMでは,なんといじらしく繊細なジャックを見せてくれたことだろう。

あんな切ないまなざしで 見つめられたら,そして あんな輝くような無防備な笑みを向けられたら
誰でも彼を愛さずにはいられなくなるのではないか。彼は他の作品でも「思い詰める」役柄が多いのだが,私としては何となく ,女性を愛するジェイクはあまり観たくない。

やはり私はいつまでもジェイクの中に
イニスを愛する男」としての
ジャックを見ていたいのかもしれない。

Cap084_2_2
ミシェル(=アルマ)と結婚したヒースも,彼女とは破局を迎えたというし,(映画みたいになっちゃったね)ヒース(=イニス)は
ジェイク(=ジャック)のもとに帰るのかななんて,(←オイオイ,この二人はもともとくっついてないでしょ!)またまた現実とBBMを 未だに混同している,お馬鹿な私である。

2007年10月 8日 (月)

麦の穂をゆらす風

Cap050
アイルランドの抗争の歴史にあまり詳しくはないけれど、この国が,長年イギリスの圧政に苦しんで来たこと,自治を勝ち取ってからも,条約批准賛成と反対を巡って,内戦が勃発したこと,IRAというテロ組織の存在。・・・・その程度はうすうす知っていた。

アイルランド問題を扱った映画
は,その貧困偏狭な宗教観による悲劇,そして今作のような この国の悲史を描いたものなどたくさん観てきたが,この作品が一番心に痛かった。 

Cap045_2
この「麦の穂~」は,
アイルランドの抗争について,マイケル・コリンズのような英雄の目線からでなく,徹底的に庶民の目線から描いている。どこにでもいる,傷つきやすい柔らかな心をもった青年たちが,最初は同じ思想のもとに独立のために立ち上がり,後に路線対立を起こして,内部抗争の悲劇に否応なく突入していく様子を,美しい映像ながらも,ドキュメンタリーのような押さえたタッチで,淡々と綴っている。

1920年,アイルランド南部のコーク。
主人公は,医者を目指す秀才ミアン。彼が幼いときから,尊敬し,慕っていた兄のテディは,義勇軍のリーダー。医者の勉強のために,抗争に背を向けてロンドンに旅立つ予定だった彼は,駅で英軍の暴挙に敢然と立ち向かう運転手のダンの姿に心を動かされ,義勇軍に入隊。以後は祖国の自由と独立のために,血で血を洗うような苛酷な戦いに,,身も心も捧げることになる。
Cap041_2 やがて多くの犠牲と苦しみが実を結び,一応英国との講和条約が結ばれる事になったが,その条約の批准を受け入れるか,それとも完全な独立を目指すかで,かつて共に闘ってきた同胞たちは,激しい論争を繰り広げ,今度はアイルランド自由国軍と共和派とに敵対して,新たな武力抗争がスタートする

観ている最中ずっと,息もできないくらい辛かった。過剰な演出もないのに,涙と嘆息と苦悩のうめきが全編にあふれていて,心が安まるシーンは一つもなかったような気がする。それでも,スクリーンから目をそらすことができなかった。

Cap048_4
キリアン・マーフィ
の美しいセルリアンブルーの瞳。抗争前は,医者を志す若者として,知的で穏やかな表情をたたえていた彼の瞳が,革命家として活動するうちに,次第に剛胆で冷静な輝きを帯びるようになる。

幼なじみのクリスを,裏切り者として処刑するときの,彼の身を裂かれるような苦悩の表情。そして 内部抗争で敵になってしまった兄テディの尋問のシーンで, 「仲間は売れない」と静かに宣言したときの死を覚悟したあの静謐なまなざし。

Cap065
血をわけた兄弟の絆さえも,後回しにさせてしまう思想や,憎んでいない相手と,殺し合わなくてはいけない国って,いったい何なのだろう。


初めは本意でなかった抗争に身を投じ,その青春を血なまぐさい戦いに捧げて,兄の命により処刑されるデミアンと,弟の遺体を前に泣き崩れるテディ。

処刑を命じた兄も,それを拒むことをしなかったキリアンも,ともに哀れでならない。彼らの壮絶な生き様や悲しみを目の当たりにして,そのあまりの痛々しさに涙すら出なかった。

Cap077
彼らが流した,数え切れないほど多くの血と涙のすべてを,静かに見守ってきた美しいアイルランドの緑の大地。草の葉を揺らして,音たてて吹き抜けてゆく風の音と,哀しみにみちたあの老婆の歌声がいつまでも心から離れない。

追記;キリアン・マーフィ,「プルートで朝食を」のキトゥンとは全く別人で,ひっくり返るほど驚いた。(「プルート~」を先に観たものだから余計に)

2007年10月 7日 (日)

猫の闘病生活

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猫の闘病生活は 本人(猫?)も飼い主も大変だ。

うちの猫は体が丈夫というか,同類の友だちがいない(←性格悪いから?)ので,病気をもらってくることはない。

一度だけ病院通いをしたが,それはしっぽの怪我だった。「なめてりゃ治るだろ。猫は何でもなめて治すらしいし」と,のんきに構えていたら,だんだん化膿がひどくなったので,病院へ。両親に頼もうかとも思ったが,どうも年寄りふたりではパニクった猫を 取り逃がす恐れが十分にあったので,私が連れていこうと,職場に時間休願いを出した。

「あの~,家の者を病院に連れていくので2時間ほどお休みを・・・」 じゃないでしょ?・・・そりゃ家の者が人間でないことは黙ってたけど。

014_2 病院では「かなりいけませんね。ばい菌入るから傷は絶対になめさせないように(えっ?)」と言われて抗生剤を打たれエリザベスカラーをつけられた。

ほら,エリザベスカラーって,あの,犬や猫が傷口をなめないように首周りにつけるプラスチックのメガホンみたいなやつ。

うちの猫はこのカラーになかなか慣れず,ぶつかったり転んだり,最初のうちはひとりでトイレにも入れず,飼い主がよっこらしょっとトイレに抱き入れてやる始末。

ラッパ猫
の身の回りのお世話に,いつも誰かが家にいてやった。猫も落ち込むし,ラッパは2週間もつけなきゃいけないし,可哀想だったけど,全快してからしばらくは,猫が悪さをするたびに,エリザベスカラーをみせて「つけてやるぞ~」と脅して遊んだっけ。 (鬼)

猫語り索引

017
 うちのななちゃん
 猫の気持ち
 猫のダイエット
 猫は狩りをする
 猫は邪魔もする
 猫は「寝子」?
 猫のしっぺ返し
 猫の闘病生活
 猫の老化現象
 猫は寒さに弱い
 猫の好物
 猫は電話が嫌い
 猫と大掃除
 猫の寝正月
 猫の好きなミントティー
 猫のあだ名
 猫のお留守番
 猫のおねしょ
 猫の昼下がり
 猫の色鉛筆画
 猫の全快祝
 猫と洗濯物
 猫の春
 猫のツボ
 猫の夏バテ
 猫とぬいぐるみ
 猫の認知症?
 猫の百面相

 虹の橋を渡りました

 再びの春に

                          
      

 

 

    
  

   

ツォツィ

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2006年度アフリカ映画としては初のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した,南アフリカのヨハネスブルグが舞台の究極の不良少年更正物語。

予告編で,そのストーリーのシンプルさは予想できたので,「退屈しないかな」とやや危惧しながらの鑑賞だったが,冒頭,スラム地区から「いざ出陣」とばかりに,仲間を引き連れ,肩をいからせて歩く主人公のツォツィの眼光の鋭さと,躍動感と野生味に溢れたアップテンポのゾラのBGMに釘付けになる。
Cap028_2 アパルトヘイトの爪痕の残る,南アフリカの貧富の差の悲惨さは,映像にして見せられると言葉を失う程だ。そんなヨハネスブルクでも,最下層のスラムに生きる主人公の少年。親から名付けられた名を捨て,酷い過去を封印して,自らをツォツィ(不良)と名乗り,仲間を率いて窃盗やカージャックに明け暮れる毎日。そんな彼が,ある晩カージャックした車の中に一人の赤ん坊を見つけ・・・。

無駄のないシーン,程よいテンポで語られる物語を,魂の底から湧き上がるような力強い音楽が効果的に彩る。(クワイトという,南アフリカで生まれたゲットー・ミュージックらしい)拳銃を握るその手に小さな命が委ねられた時から,ツォツィの心には,戸惑いと,葛藤が生まれる。社会や他の人間に対して,怒りや憎しみしか宿さなかった彼の瞳に,まるで氷が溶けるかのように,憧憬,哀しみ,悔い感情が表れるようになる。

Cap039最初は脅されたからだったが,おおよその事情を察した上でもなお,ツォツィの子育てに手を差し伸べる,強く優しい聖母のようなミリアム。彼女の存在もまた,ツォツィの心の闇を照らす一条の光となったと思う。

ツォツィを演じたプレスリー・チュエニヤハエも,この国のスラムの出身だという。今作が映画デビューだという彼は,なんという情熱的な演技を見せてくれたことか。ツォツィの心情の変化を言葉で語る台詞はほとんどなく,かわりに彼は瞳で語った。

ある時は獰猛な獣のように、ある時は傷ついた幼子のように。かつて愛に傷つき,愛に飢え,Cap031_2 そして愛をとっくに忘れていた彼が,再び愛する対象を見いだしたとき他の人間らしい感情もまた,少しずつ取り戻したのか。ミリアムの親切に礼を言い,傷つけた相手に謝罪するツォツィ。ラストシーン,彼の頬を伝う滂沱の涙を見て, 
ああ,もう大丈夫だ。
彼はきっとこれからの人生を
生き直すことができる。
と思った。

人は 苛酷な体験により堕落する弱さを持っているが,同時にどんな地点からでも,心に響くきっかけがあれば,立ち直る強さもまた持っているんだと,この物語を観て人間の可能性はすばらしい思った。それは,南アフリカのような国においては,暗闇の中のささやかな灯火かもしれないが,それでも,かけがえのない希望の光には違いないと。

この映画は日本では「R-15」指定だった。確かに中学生には刺激が強いかもしれないが,多感な彼らがこの物語から,人として生きる上で,重要なメッセージを感じ取ることは,有意義な点の方が多いように,私は思う。

2007年10月 6日 (土)

甘い人生

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イ・ビョンホン
さんの大ファンではないのだけど,,何年も前に劇場で観た甘い人生は,彼の演じるソヌのキャラクターや,スタイリッシュな映像,美しくクールな音楽,鮮やかなアクションシーンなど,いろんな意味で,韓国映画の中でも,とてもお気に入りの一作だ。

ビョンホン演じるキム・ソヌ。彼は,裏社会の大物カン氏の片腕として,彼の経営するホテルの総マネージャーを勤める,冷徹でどこまでもクールな男。眉の毛一つ動かさずに,刃向かう相手を容赦なく叩きのめすことのできる人を愛したことも 愛されたこともない男。

Cap024
ある日彼は、カンの愛人ヒスの監視を依頼される。「もし浮気の 現場を押さえたら,出張先の自分に電話するか,カタをつけろ」と言うカン。 ヒスを監視しているうちに,彼女に対して,今まで感じたことのない,微妙な感情を芽生えさせるソヌ。

やがてソヌは彼女の裏切りの現場を押さえたのだか、自分でも思いがけない気の迷いから,ボスの命令に背いて報告を思い止まり、ヒスの命を救う。しかし この一瞬の判断が,順風満帆だったソヌの人生を,一転して修羅場に変えてしまうのだ…。
Cap002_2
イ・ビョンホンは、いつもの無邪気なキラー・スマイルを完全に封印し, スリムな黒いスーツにぴしりと身を包み、愛を知らない痛々しいほど孤独な男を壮絶に演じ切った。冒頭の,やくざ者をホテルから追い払うアクションシーンの,目にもとまらぬ回し蹴りのなんとまあ鮮やかなこと。(思わず拍手)まるでジャガーのようにしなやかで,冷ややかで,背筋がぞくぞくするほどカッコいい。

それにしても,暴力シーンの凄まじさ。特にカンが命令に背いたソヌに 与える制裁の シーンは目を覆うばかり。ちょっと命令に背いたからって,それまで忠実に尽くしてきたソヌに何であそこまでする必要がある?

生き埋めのシーン
では,思わず劇場を出たくなる衝動を抑えるのに苦労した。他にも残虐なシーンはてんこ盛りで いかにも韓国映画らしい徹底ぶりだが,そこはさらりと流して,泣けるシーンでたっぷり感情移入するのが,私流の韓国映画の楽しみ方だから,気にしない。
Cap010 美しき手負いの獣のようなソヌ。

物語が進むにつれて,ますます満身創痍になってゆく。
着ていた白いワイシャツが血で朱赤に染まるほどに。あまりに痛々しすぎて,「早く楽になって」と祈ったくらいだ。
彼の身の破滅を招いた
一瞬のあの選択

あの時 彼の心を揺らしたのは
一体何だったのか。

この7年間カン氏の下で犬のように働いて その腕を認められ,やっとホテルの総マネージャーにまでなったのに。築き上げてきた成功の座から脱落するつもりは,彼には微塵もなかっただろうに。彼がヒスに抱いた淡い思いは愛と呼べるほどのものだったのか。

あふれ出る血を止血しながら,洗面所の鏡に向かって,
「なぜ,こうなった・・・?」と放心したようにつぶやくソヌ自身にも,それは わからなかっただろう。彼女に抱いたあの感情は 何だったのか。
Cap025_2
ただ,これだけは言える。ヒスのまっすぐで物怖じしない瞳や,彼女の奏でるチェロの心に沁み入る音色は,彼の意識の奥深くに眠っていた何か・・・それまでの人生で,彼が感じたことも,求めたこともなかった何かを目覚めさせるきっかけになったかも知れないと。

ラストの,ホテルでの壮絶な銃撃戦のあと,薄れゆく意識の中で,ソヌが最後に聞きたかったのは やはりヒスの声。走馬燈のように脳裏に浮かぶのは,やはりヒスの微笑みとチェロの音色。あの思いは やはり愛というものだったのかも知れないと,死の間際,ソヌはやっと思い当たり,自分の人生を振り返って「むごすぎる・・・・」とつぶやいたのではないか。

この作品のイ・ビョンホンは,とにかくめちゃくちゃカッコいいので,ファンでなくても一見の価値はあると思う。ただし人がゴミのように死ぬのや,韓国映画独特の,ありえないくらい極端なストーリーに抵抗を感じる方にはお勧めしません。

2007年10月 4日 (木)

ブラック・ブック

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ヨーロッパ映画と戦争物,加えてサスペンスが大好きなので,DVDになってからだが,とても期待して観た一作。ナチス・ドイツを扱っているので,重い社会派の作品を予想したがこれは思ったよりも軽くあっさり味で,テンポの速いエンタメ色の強い,上質のサスペンスに仕上がっていた。

食後にずっしりと胃にたまる,味付けの濃いお料理を
期待して注文したら,色どり鮮やかで 軽やかな味付けのデザートがめまぐるしく出てきて,それはそれで別の意味でそこそこ満足できた・・・・みたいな感じ。

物語の舞台は,ナチス・ドイツ占領下のオランダ。主要登場人物は,ユダヤ人であるヒロインのエリスとナチス諜報部のムンツェと,レジスタンスのリーダーのハンス。ヨーロッパの俳優さんは,お顔をあまり存じ上げないのでハリウッドのよく知ってる俳優さんの誰々に似てる・・・という覚え方をしてしまう

で,エリスを演じたカリス・ファン・ハウテン。私には,モニカ・ベルッチから豊満さを取って,ちょい地味にしたように見えた。

ムンツェを演じたのは、あの「善き人のためのソナタ」(記事はこちら)でドライマンを演じて日本でも知名度が上がった,セバスチャン・コッホ。この人はバンデラスとセガールを足して2で割って,そこからワイルドさを差し引いたような感じ。「善き人〜」 でもそうだったが,根っからの善人面なので,ナチスの上層部の役なのに,一番まっとうな人間にみえてしまった。

レジスタンスのリーダーを演じたのはトム・ホフマン。この人は,ラッセル・クロウに面差しが似て,苦み走ったいい男。そしてめちゃくちゃ強い。なぜどんな時もあんなに鮮やかに相手を倒せるのか?と,つっこみながら観たが,ラスト近くになって,と驚かされた。

ストーリーは、家族をナチに皆殺しにされたユダヤ女性のラヘルが、レジスタンス運動に加わり、エリスと名を変えて,ナチの将校ムンツェに接近し、諜報部に潜入するというもの。これ以上の説明はネタばらしになるので言えない。第一、急展開のストーリーを、自分の中でも,細かいところまで整理できてないのだ。

とにかく話の展開の速いこと,はやいこと。


愛の芽生えも,裏切りの発覚も,主人公たちが捕まるのも,助け出されるのも,回り灯籠のように くるくるとめまぐるしく二転三転しながら進んでいくので,退屈する暇もないが,感情移入する余裕もない。主役以外の脇役の俳優さんたちは,名前を知らないこともあって,見分けがつかない(泣)
20070603224019
シンドラーのリストや戦場のピアニストのように、ホロコーストの非道さを,世に知らしめようというような,重いテーマで作られたものではない。

ユダヤ女性のエリスも、宿敵であるナチの将校を本気で愛してしまうし、レジスタンスの側の人間も実は…なんてことになるし、裏切りに次ぐ裏切り、偽りに次ぐ偽りを見せられて、「おお、お前もか!」「本当の黒幕はいったい…?」などと心の中で叫ぶことしきり。

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そして終盤、少々飽きてきたころにまた新たな急展開があったりして、最後まで目が離せなかった。それにしてもヒロインのエリスは,素人なのに訓練を受けた女スパイなみに,肝っ玉が座っていて、同性から見ても,胸がすくような格好よさだった。

うーん、深みがあるとは言えないけど、そこそこ楽しめる、見て損はない作品でした、私にとっては。

2007年10月 2日 (火)

ブロークバックマウンテン(11)

イニスの誓い
Cap130 おそらくこの映画の中でも、もっとも観客の涙を誘ったと思われる、イニスが「Jack, I swear…」と、涙ぐんで誓うあのラストシーン。

クローゼットの中の二人のシャツは、ジャックの部屋で見つけた時とは,重ね方が逆になっていて、イニスのシャツが,ジャックのそれを抱くような形になっている。この重ね方を変えるアイデアは、イニスを演じたヒースから出たそうだ。彼が,どれだけ深くイニスの心を理解していたかを物語る素敵なエピソード。     
Cap679
どんなに思いを馳せてみても,
逝ってしまったジャックは,
二度と彼の元へ帰ってこない。


「ジャック、誓うよ・・・」
途切れた言葉のこの後,イニスは何を言いたかったのか。もうお前への愛を 恥じたりはしない。そう誓いたかったのか。ジャックへの愛を認めることは、自分のありのままの姿をまるごと受け入れること。それまでの不器用な人生を通して,真実から目を背け、偽りつづけてきたイニスはやっと本来の自己を肯定し,心を解き放つことができたのだ。

Cap339
愛を告げてやることなく,逝かせてしまった相手を 想い続ける切なさは,時には身を切られる程辛いことだろう。その痛みに耐えながら,イニスはジャックの魂を抱きしめて,これからの長い歳月を,たった一人で生きてゆくのだろう。出逢ってから20数年間の 苛酷とも言える歳月を経て,ジャックとイニスは,初めてお互いのものとなったのだ。
  
彼らの間に確かに存在した愛の記憶。

Cap129
あの遠い夏の日,ブロークバックマウンテンで紡いだ,きらめくような思い出の数々。気の遠くなるような回り道のあげくにたどり着いた真実の愛は,決して色あせることなく,これからも深く静かに燃え続け,

・・・いつかイニスがこの世を去るその日まで,
彼の心に鮮やかに生き続けるに違いない。 



Cap677_2
イニスの侘住まいのトレーラーハウスを包み込むように、風が音を立てて吹きすぎる。イニスの誓いに くり返し,くり返し,優しく答えるかのように。

ロング・エンゲージメント(ギャスパーのみに注目編)

Cap067 にわかギャスパー・ウリエルファンの私としては,この作品,今回はギャスパーのみに注目して感想を書くことに決めたので,偏っているとは思うけれど,お許しを。

このロング・エンゲージメントは、セバスチャン・ジャプリゾ原作の,どちらかというとサスペンス色の強い戦争小説の映画化。舞台は第一次世界大戦中のフランス。足の不自由なヒロイン,マチルドが,戦犯として処刑されたという許婚の生存を信じ、愛と執念で事実を調査し,彼の消息を探し続けるという物語である。

ヒロインの少女マチルドオドレイ・トトゥ。そして彼女の婚約者の青年マネクを演じたのが,我らが(我らって誰だ?)ギャスパー・ウリエル
Cap077_2
マネクは、マチルドとは幼なじみで,足の不自由な彼女をおぶって灯台のてっぺんに登ったりと,まことに素朴でピュアな青年だ。なんか,マネクはほとんど台詞はなくて,いかにも「アメリ」の監督の作らしい,やたらナレーションが多く,おとぎ話のような 不思議な世界観のなかで,ギャスパーはひたすら優しく 誠実に微笑んでいた。

私は,この映画の前に 「かげろう」 記事はこちら を観ていたが,「かげろう」の,感化院から脱走してきた危険な香りのする青年イヴァンと,このいかにも純朴なマネクを同一人物が演じているとは,最後まで気づかなかった。
Cap070_3
見終わって,DVDも返却してだいぶたってから「あれ?あのマネクって,もしかしてイヴァン?」と気がついて,わざわざレンタルショップで,「かげろう」とこの作品のキャスト名を確かめた。へ〜,やっぱり同じヒトが演じてたんだー。
雰囲気ぜんぜん違うじゃん。

目の表情がね,全然別人なの。
イヴァンの時の,突き刺すような鋭さが全く無くて,マネクの時には,何とも柔らかい,優しい無垢なまなざしなの。ほほう,この青年,若いのにしっかりした演技力があるなあ・・・と感心し,私のお気に入り名簿に登録させていただいたのが数年前。
そして今年,ハンニバル・ライジング記事はこちらの彼の演技を観て,またまた〜」と唸ることしきり。一作ごとに別人になれるなんて,このヒト,ただものじゃないわ。
Cap082
この作品のマネクは,結構可哀想な役で,過酷な塹壕戦をメインとした
第一次大戦で,目の前の戦友が爆撃で吹き飛ばされるのを体験したショックで,一時的に精神に異常をきたし,兵役免除の目的で,自分で自分の指を撃つ。そしてそれがばれて,同じような試みをした兵士と共に,戦犯として処刑されることになる。

その処刑の方法が残酷で卑怯だ。

つまり,軍は彼らを中間地帯と呼ばれる 敵の攻撃にさらされる場所にわざと置き去りにするのである。 敵に射撃されるか,飢え死するか凍えて死ぬか。どちらにしても彼らは,死の恐怖にさらされる時間が長引けば長引くほど,想像を絶する苦痛を味わうだろう。その恐怖はマネクから記憶を奪い,マチルドが長い長い旅路の果てにやっと彼を捜し当てた時は,彼は記憶を失っていた。

台詞の少ない彼が最も多くしゃべったのが ラストのマチルドとの再会シーン。何もかも忘れたマネクにとって,マチルドは初対面のはずなのに,不思議な懐かしさと心地よさを感じたのか,マチルダのふいの出現を訝しがることもなく,マネクは彼女におだやかに微笑みかける。

静寂と陽光に満たされた美しい庭でマチルドとマネクは,ここからまた新たなスタートが始まるのだという,あたたかな予感をも感じさせてくれる素敵なラストだった。そして私もまた,マチルドと同じように,マネクをずっと見つめ続けていたかった・・・。
Cap086
それにしても オドレイの演じたマチルドの愛に対する一途さや頑固さは,相手がこのマネクだったからこそと十分感じさせてくれるほど,ギャスパーの演技は 印象的で,存在感があった。

かげろうのイヴァンの痛々しいほどのワイルドな魅力。この作品のマネクのガラスのような繊細さ。そして,ハンニバル・ライジングでのあの激しくも美しい狂気。その美しい顔の下にいくつもの顔を持っているかのようなギャスパー。

・・・次回作では,果たしてどんな顔を見せてくれるのだろう。
待ち遠しい。

Cap075
なんかギャスパー君の紹介記事みたくなっちゃったけど,この「ロング・エンゲージメント」いろんな意味でも傑作なので,未見の方はぜひ観て頂きたいです。(取ってつけたようだなー)

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