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    ブロークバックマウンテンの名シーンの数々です。

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2007年9月の記事

2007年9月30日 (日)

猫のしっぺがえし

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聞くところによると 鶴は恩返しをするそうだが猫は しっぺがえしをする(きっぱり)

いやしかし,かつてのジブリの映画で「猫の恩返し」というのもあったから,世の中には性格のよい律儀な猫もいるのかもしれないが,うちの猫は飼い主に似て性格が悪いから「恩返し」なんて夢にも思わないらしい。

嫌いな餌しか残ってなくて 仕方なくそれを与えた日には,いつもなら絶対にしないのに,食卓上を荒らしまくっていた。

「態度が悪い」と心を鬼にして叱った日には,飼い主の部屋の入り口に脱糞していた(あやうく踏みそうになった)

忙しくてほとんどかまってやれなかった日には,キッチンペーパーをずたずたに裂いて部屋中に・・・。
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「数え上げたらきりがない」というほどではないが,何せタイミングが合いすぎる・・・・
あれは絶対 しかえしに違いない。

ストレスを与えないようにすりゃいいのかも知れないが,もうすでに甘やかしすぎのような気もするのに,これ以上 機嫌なんて取れまへん。

ベティ・ブルー インテグラル リニューアル完全版

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初めて観たのは もう10数年も前か。そのときは確かすごい衝撃を受けて涙さえ出ず,再見したいとは思わなかったこのベティ・ブルーを,つい先日レンタルショップで観て懐かしさのあまり,借りてしまった。いつのまにか「リニューアル完全版」になっていて,3時間余りもの長さになっていたから,最後まで鑑賞できるか不安だったけど,心配は杞憂に終わった。

ベティとゾルグの物語が始まると同時に,まるで彼らと同じ空気を傍らで呼吸しているかのように ,すっかり物語に引き込まれ ラストまで集中力は途切れることがなかった。そして,初見時と同じように今回もまた,なぜか涙は一滴も出なかったけれど,初めて観た時には感じなかった様々な思いが 怒濤のごとく溢れてきたのだ。

前に観た時は,ベティの激しさにばかり目がいっていたけれど,今回は「そんなベティを愛したゾルグの物語」として観ることができたのだ。

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ベティという女性は,喜怒哀楽の感情を普通の人間の何倍もの強さで感じ,それをコントロールできない先天的な要素をもっていると思う。彼女のヒステリックな奇行は,「純粋」とか「一途」とか「激しすぎる愛」とか,そんな言葉だけで説明しきれるものではなく,精神を病む兆候は,初めから彼女の中に顕在していたのではないか。社会への適応を困難にした要因は,ゾルグとの愛ではなく,最初から彼女の中に息づいていたのではないか。

それでも,自分でも操縦出来ないほどの激しすぎるゾルグへの愛は,彼女が壊れていく大きなきっかけになったのは事実だとは思うけれど。

ベティを演じたベアトリス・ダルは,ナタリー・ポートマンと,ヒラリー・スワンクを足して2で割ったような,コケティッシュな顔をしている。彼女のファッションは,どれも奇抜でキュートなものだったが,素肌にエプロンを巻いたドレス姿が,(これが似合ってしまうところが凄い)特に心に残っている。   

そしてゾルグを演じたングラート。この人の他の出演作は,王妃マルゴ二キータしか観ていないが,強い女性に振り回される優しい男の役を,とても魅力的に演じることのできる人だ。

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ベティと出会い、激しく愛し合い,そして彼自身が手を下して彼女の息の根を止めるまでの,嵐の中で翻弄されるような日々を,どうしてあんなにもベティに献身的に尽くすことができたのか。なぜ疲労困憊して,彼女のもとを逃げ出してしまわなかったのか。激しすぎる彼女の愛は,彼にとって重荷ではなかったのか。

・・・初見時はそこのところがよく消化できず,その愛の壮絶な終わり方だけに圧倒され,観賞後はどっと疲れてしまったものだけれど。今回観たリニューアル版では 尺が長くなった分だけゾルグの出演シーンが増え,幸せな愛の生活のスタートからベティが壊れてゆくまでを,とても丁寧に綴ってくれているのでゾルグの気持ちが推し量りやすかった。

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ベティと出逢う前のゾルグには,人生の目的がなかったこと。
嵐の日々と同じくらい,彼らにも平穏で幸せな日々があったこと。
ベティだけがゾルグの作家としての才能を信じていたこと。
ベティが他人に対して狂気じみた怒りを爆発させたのは
いつもゾルグが侮辱されたり,不当に扱われた時だったこと。
そして,彼女の狂気が内へと向かっていったのは,
ゾルグとの子供を身ごもっていないと判ってからだったこと・・・。


たとえ病的な激しさを持っていても ベティの愛は100%混じりけのない,限りなくピュアで濃いものであり,それはゾルグにとっても,必要だったのだ。と今はそう思える。自分がついてやらなきゃ,という責任感や義務感からではなく ゾルグもまた,ベティなしでは生きられないほど,彼女を愛していたのだ。壊れていくベティの子供のような寝姿を見守る彼の顔は,何とかして彼女を救いたいという思いの他に,彼女を失うのではないかという恐れが浮かんでいたように思う。
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自傷行為が
エスカレートしたベティには,もはや薬づけの未来しかないことを知り,ゾルグは彼女を生から解放する決心をする。その決断と実行の痛々しさは,とても正視することができなかった。

この二人は出逢ってはいけなかったのか。

しかしこの二人はたとえもう一度生まれ変わっても
同じように出逢い,同じように愛し合ったのではないか・・・。そんな思いに,繰り返し揺さぶられ,打ちのめされた。

これは普遍的な愛の物語ではない。むしろ特異な状況の中での愛を描いたものであり,彼らの物語を 完全に理解することは,今の私には無理なのだけど,それでも,何という 激しく強い輝きを放つ愛の物語だろう。見返すたびに,自分の生きてきた人生とも重ね合わせて,感じ方がこれからも変わってくるような気がする。
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何年か後にまた鑑賞してみたい。そのときはまた,別の見方ができるようになっているだろうか・・・・。

2007年9月28日 (金)

300(スリー・ハンドレッド)

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劇場で観れなくて,ずっと心残りだった超話題作を,やっとDVDで観れた。さてさて,その感想はというと・・・・。
いやぁ,これ,劇場で観たかったよ〜!(激悔)
DVDでも十分に伝わる未曾有の迫力と息を飲む映像美!これを大スクリーンでご覧になった方々が 誠に羨ましい限りでございます。

えーと,物語はそんなにヒネリがあるわけではない。
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スパルタの王レオニダスが,征服をたくらむペルシアのクセルクセス王に,,たった300人の兵士を率いて敢然と立ち向かう・・・といった,ギリシア版特攻隊のようなお話。300(スリー・ハンドレッド)ってお題は,この兵士の数から来てるのね。戦士の国で名高いスパルタなのに,なぜに少人数での闘いになったかというと,当時は何よりも(王よりも)権力を持っていた「神のお告げ」とやらがペルシアとの戦いを禁じたからだそうで。…ふうん。

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それでもジェラルド・バトラー扮するレオニダス王は,スパルタ人の自由と尊厳のために,討ち死覚悟で,300人の兵士と共に一歩も引かずに戦い,ネタばれ覚悟で言えば,やっぱり討ち死にしちゃう訳だけど,彼らの偉業と精神は,その後も受け継がれた・・・
とこう書くと,結構シンプルなお話である。が,しかしこの作品,ストーリー以外の見所がとにかく満載で,見事なエンタメ作品である。

まず特筆すべきはその映像。
それも全編にわたって,色遣いが独特だ。グレーとセピアを基調にした画面は,時にいぶし銀のような輝きを放って,浮世離れした崇高な美しさ。ストップモーションやスローモーションを効果的に使った戦闘シーンは,今まで観たスペクタクル映画の戦闘シーンの中では 群を抜いて美しい。首がばっさり落とされたり,槍が体を貫いたりと,残酷描写てんこもりの戦闘シーンなのに,その色調と動きがとても芸術的なので,思わず見とれてしまうほど。

そして,今回目を見張ったのが,ジェラルドを初めとする戦士たちの,筋肉りゅうりゅうとした肉体の見事さだ。鍛えぬかれた人間の体の躍動は、かくも美しいものか。この映画のために、彼らは涙ぐましい程のトレーニングを積んで,あのカブトガニの腹を思い起こさせる見事な腹筋を手に入れたのだろう。

ジェラルド・バトラー様は,ドラキュリアで初めてお逢いした時,思わず「誰っ?この男前は!」と叫んでしまったものだが(恥)今作のレオニダス王役は ことのほか男くさく,フェロモン全開だった。毅然とした強さの中にも,人間としてのあたたかさを演じることができるのは,この人ならではだろう。

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そしてもう一人印象的だったのが,クセルクセス王を演じた方。(名前知りません,ごめんなさい)自らを神と名乗る彼は,傲慢で残虐で,ややヒステリックな役柄だったが,素顔はとても美しい俳優さんだそうで。(要チェック)

男は強くなければいけない
なんて,今まで思ったことはなかったが(ナイーブなタイプが好みなので)この映画を観て,少し考えが変わりそうだ。もちろん,肉体だけでなく,精神的な強さも含めてね。

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2007年9月27日 (木)

暗い日曜日

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曲を聴きながら自殺する人が続出・・・第二次世界大戦前夜「自殺の聖歌」と呼ばれ,発禁処分になった曲があった。その曲の名こそ「暗い日曜日」。この映画は,この曲が誕生したいきさつと曲の伝える妖しくも哀しいメッセージを,その時代に生きた三人の男女の恋愛模様とからめて描いた,芸術の香り高い物語である。

舞台はハンガリーのブタペスト。登場する三人の男女は・・・。レストラン・サボーのオーナーであるユダヤ人のラズロとその恋人イロナ。そしてその店の雇われピアニストであるアンドラーシュ。

彼ら三人が築いた,美しいイロナを中心とした三角関係。優しくおだやかで包容力に溢れたラズロと,繊細な情熱を秘めた若々しいアンドラーシュ。イロナはどちらの男にも 愛を感じる自分を偽ることができず,男たちもまた,イロナを失うよりは,危うい均衡を保った三人の関係を続けることの方を選ぶ。Cap004 「暗い日曜日」はアンドラーシュがイロナのために作った曲。ラズロの店で演奏されるやいなや,たちまち評判になり,またたく間にヨーロッパ全土に大流行してゆき,その妖しく美しい旋律は,何故か多くの人を死へと誘うことになる。

「この曲は何かのメッセージを伝えようとしているんだ。」と,悩むアンドラーシュ。おりしもナチス・ドイツの台頭は,彼らの住むブタペストにも,次第に 不穏な影を落とし始めていた・・・。
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ラズロを演じたヨアヒム・クロールは,ドイツ映画ではよくお顔を見かけるが,この作品でも,円熟した深みのある演技を見せてくれていた。ユダヤ人であるラズロ。人生を伊達には生きてこなかった人の持つ,よい意味でのしたたかさや冷静さ。愛するイロナを,若いアンドラーシュと共有することは,彼にとって大きな痛手には違いないが,まるで父親のような寛容さと献身的な愛で,彼はイロナを包み込む。
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アンドラーシュを演じるステファノ・ディオニジは,映画カストラートで少年の時の去勢により,驚異的な音域を持つに至った伝説の歌手(カストラート)であるフェリネッリを演じた人だ。今作では,ラズロとは対照的な,傷つきやすい心を持った,陰鬱な青年を好演していた。

そして何と言っても特筆すべきは,イロナを演じたエリカ・マロジャーンの,崇高なまでの美しさ。 もう,なんと言ったらいいのか。顔立ちだけでなく,立ち居振る舞いまでもが,神々しいまでに美しくて,男性なら誰でも目を奪われずにはいられないだろう。
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二人(ハンスも入れて三人)の男性を虜にしたのも,彼女なら納得の美しさだ。

そして,もう一つ忘れてならないのが,この作品の真の主役かもしれない「暗い日曜日」の旋律。映画「シンドラーのリスト」でも,冒頭で,シンドラーが身支度をするシーンで,ラジオからこの曲が流れていたのを思い出す。この曲の妖しいまでの哀愁を帯びた旋律は,まるで誰かが悲しみにむせび泣いているように私には聞こえた。

劇中でハンスが,この曲のことを「不思議な曲だ。まるで
聞きたくないことを耳元で言われているような気がする」と言っていたが、この曲の持つ,人の心の奥底に眠っている痛みや悲しみを否応なしに引き出してしまう魔力が,あの暗い絶望的な時代に多くの自殺者を生んだのかもしれない。
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物語は,この曲に関するミステリーの他にも,ナチの将校ハンスとラズロの間の友情と裏切り,悲劇と復讐などが程よく盛り込まれ,飽きないストーリー展開となっている。ラストには,ちょっとした小粋などんでん返し風のオチも用意されており,いきなりサスペンスタッチになって幕を閉じるのもなかなかオシャレな作品だった。

1999年の映画ではあり,レンタルショップでも見かけないかもしれないが,とてもよい作品。ヨーロッパ映画のお好きな方,音楽のお好きな方には強くお勧めしたい。

2007年9月25日 (火)

ブロークバックマウンテン(10)

まどろみの抱擁
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この映画の中でも,最も美しく,そして切ないシーンの一つであるジャックとイニスのまどろみの抱擁。それは,あの最期の逢瀬の 哀しい諍いの後,苦渋に満ちた表情でイニスを見送る ジャックの胸に去来した美しい宝石のような思い出だ。

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あの遠い夏の日,ブロークバックマウンテンで,たき火のそばにたたずむジャックを,背後からそっと優しく抱き寄せるイニス。やわらかなイニスの表情と,彼の口からこぼれる,まるで愛撫するような,この上なくやさしい子守歌。ジャックの上着の襟をなでている,親指の慈しむような動き。

ジャックはゆるやかにうつむいて,自分の肩越しに回されていたイニスの手に頬を寄せてゆく。目を伏せたジャックの美しい顔は,まどろみながらも満ち足りた喜びに陶酔し,イニスの心臓の鼓動に耳をすませる。

プルーの原作の中でも特に,このシーンの描写の
なんと美しいこと。


「・・・時間が音をたてて過ぎていった。イニスのポケットの中で,丸い懐中時計がチクタクいい,枝が火の中でパチパチとはぜ,やがて澳になった。たき火の上空に熱い空気の層が波打ち,それに穴を穿って,星の光が降り注いできた。イニスの呼吸がゆっくりと静かになり,気づくとイニスは,パチパチとはじける光の中で鼻歌を歌い,軽く体を揺すっていた。ジャックはイニスの規則正しい心臓の鼓動に背をもたれさせた。鼻歌の振動が,まるで微弱な電流のようにジャックの体の中を伝わった。そして立ったままジャックは眠り込んだ。いや,眠りではなく,何か別の,ぼうっとした忘我の状態だった。」(原文引用)

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プルーの文章は,おおむね男性っぽく,荒削りで,ごつごつしているのだが,自然の描写などに,時折きらめくような繊細な感性がちりばめられていると思う。特にこの「まどろみの抱擁」の場面の描写は,映画の映像も非常によかったが,やはり原作の持つ美しさにはかなわない。

まるで時間が止まったかのような静かな抱擁。
いつもの二人の抱擁は,性行為を伴った荒々しいものだったり,親しみをこめた男同士のじゃれあいのようなものだったと思う。そのどちらでもない,背後からの包むような優しい抱擁は,二人の心の奥底の性とは別の渇きを癒した,とある。
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それはきっと愛に対する渇きだったのだ。

それまで苦労や我慢の多い潤いのない生活を送ってきた二人の貧しい若者が,肉体だけでなく魂までも寄り添わせた瞬間。それが,あの抱擁だった。この抱擁の記憶は,ジャックの記憶にしっかりと根をおろし以来20年間,彼の心をイニスに結びつける断ちがたい絆となる。

肉体の欲望とは無関係に ただ寄り添って,互いのぬくもりを感じるだけで,至福の安らぎを感じることができるのは,心から愛し合っている二人だけだ。ジャックはイニスから抱きしめられたこの時,はっきりとイニスの愛を感じたのかもしれない。

たとえイニスがそれを認めたくなくて,正面から彼を抱こうとしなかったことに気づいていても,ジャックはイニスの愛を感じただけで満足したのだろう。


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どんなに報われなくても,たとえ困難が予想されても,ジャックがイニスとの関係をどうしても 断ち切れなかったのは,この時の「愛の記憶」のせいだったのか。

ジャックにとって,精神的な愛の安らぎを与えてくれたのは,その生涯でイニスただ一人だったからこそ,ジャックにとって彼は,万難を排しても愛する相手になったのかもしれない。

 

  

ブロークバックマウンテン(9)

裁かれた愛のかたち
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ジャックの突然の死の真相は 映画の中では,イニスの想像の中で フォビアたちからの殺害であると匂わされている。原作の中ではもっと確信に近いようなものを イニスは抱いたとされている。

・・・「そうではない」と 「本当にラリーンの言ったとおり事故だった」と信じたいのはやまやまだが,やはりジャックは,フォビアたちからリンチされて死んだのだ。

Cap116
それはイニスが最も 恐れていたこと
幼少より刷り込まれて,片時も脳裏から離れなかった恐怖。この恐怖ゆえに,彼は二人の生活を諦めたのに,あろうことかジャックの上に,惨劇はふりかかってしまった。

農場経営を持ちかけていたランドールとの関係が,このような事態を招いたのか。それとも無防備なジャックは,前々からフォビアたちに目をつけられていたのか。・・・本当のことは語られていないけれど はっきりしているのは,彼がゲイゆえに無惨にもなぶり殺されたという事実。そして,遺族たちは彼の死の真相を公言できず 犯人たちはお咎めなしという,信じられないくらい許し難い事実だ。

Cap021
日本ではあまり考えられないことだけど,同性愛者に対する迫害が,現在でも根強い国や,地域は存在する。アメリカでは 数年前にワイオミングで,ゲイの若者が,集団リンチによって命を落としている。イスラムの国では 同性愛者は死罪に定められているらしい。

ジャックとイニスの物語から 40年がたった今でも,同性愛者が自らの愛に忠実に生きようとすることは,場合によっては,命がけの覚悟がいるときもあるのだ。

旧約聖書のレビ記には,イスラエルの民にあてた神からの掟が記されているが,その中に「女と寝るように男と寝てはいけない」とある。しかし,神が同性しか愛せない人間を造ったのもまた事実だとしたら,同性愛を禁じるのは矛盾してはいないだろうか。それは
天より翼を与えられた鳥に対して
「飛ぶな」と命じているようなものではないのか。

Cap605
アイルランドが舞台の映画,
「司祭」を観た時も同じような疑問を感じたけれど,イニスとジャックの物語を知ってから,その疑問は私の中でますます強くなり,未だに答えは出ていない。それに,レビ記の掟よりももっと大切なモーセの十戒の中に「殺してはいけない」とあるのを,忘れてはいけない。ジャックの命を奪った男たちの罪が,断罪されないことに激しい怒りを覚える。

ジャックのしたことは,死に値するようなことなのか。
報いとして,あんなに無惨に痛めつけられて,
道ばたにうち捨てられるような
どんな罪を彼が犯したというのか。

ただ イニスと一緒に生きたかっただけ・・・。Cap004
彼の望みはそれだけだったのに。
望んだものは何一つ手にはいらないまま
孤独と血の海の中で,息を引き取る間際にジャックの胸中に去来したものは,いったい何だったのだろう。

2007年9月24日 (月)

ミス・ポター

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ピーターラビット。
それはおそらく世界一有名で愛されているウサギだろう。とくにマニアでなくとも,家中を探してみれば,たとえば進物の食器とかタオルとか,どこかには彼の愛らしい姿を見つけることができると思う。

これはそんな誰もが知っているピーターラビットの生みの親,ビアトリクス・ポターのお話。生みの親は,「英国の女性」ということしか知らなかったし,レニー・ゼルウィガー主演聞いて興味津々で鑑賞。今から100年も前の英国では女性は結婚以外の道は用意されてはなかったんだなあ,とつくづく実感。

そんな時代に,しかも上流階級に属しながら,親の勧める縁談をことごとく断り「私はこれがやりたいの!」と,自分で道を切り開いていったビアトリクスは,確かに当時としてはとても進歩的な女性だったと思う。彼女の母は典型的なこの時代の女性で,娘の気持ちを理解してくれなかったけど,父親は彼女の夢を尊重し,彼女の生き方を誇りに思ってくれた。この父の精神的なサポートがなかったら,もしかしたらピーターラビットは世に出てなかったかもしれないな。

当時の英国の上流階級のしきたりも,なかなか興味深かった。30歳過ぎても独身のビアトリクスには,外出先もどこにでも「お目付役」のような老女(かつての乳母?)が影のようにお供をする。「世話をする」というよりは,「一人にさせてくれない」と言う感じ。・・・なるほどこれじゃ,女性の自立なんて,無理な相談だね。しかしながらこのお付きのお婆さんを演じる女優さんが,またなんとも哀愁のある,それでいて温かいいい味を出していた。
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レニー・ゼルウィガーは,彼女の持ち味である可愛らしさや気丈さを存分に生かした余裕の演技で,はまり役だ。彼女は「ブリジット・ジョーンズ」のヒロインに抜擢されてからというもの太ったり痩せたりを繰り返すことを運命づけられているが,今作の彼女は,ちょっとぽっちゃりしていたかな。

彼女の婚約者ノーマンを演じたユアン・マクレガー。ぴったり撫でつけた髪型とお髭で登場し,「誰よ,コレ?」と最初は思ったが,彼が演じるノーマンは 不器用で誠実で善良で,ビアトリクスとの恋も「がんばれ!」とつい応援したくなった。(結局,応援の甲斐はなかったが。)彼が彼女にプロポーズする時に,オルゴールに合わせて歌うシーン。「ムーラン・ルージュ」で聴かせてくれたあの甘い歌声にうっとりした。

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そしてこの物語のもう一人の主役とも言える,ピーターラビットをはじめとする可愛いキャラクターたち。ベアトリクスの想像の中で彼らが生き生きと躍動するさまは何とも愛らしく,ついつい劇場で「かっわいい~」と叫びたくなって困った。

全体的に見て,ややパンチに欠ける印象は受けるが,何とも,優しくかわいらしい 素敵な映画でしたね。でも女性の自立うんぬんというよりは,私は際だった才能は,どんなことをしても道を切り開いてゆくものだなぁという,ちょっと変わった感想をも抱きました。

2007年9月23日 (日)

王の男

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2006年に封切られるや,韓国では1300万人が観たという「王の男」。そのタイトルと,妖艶なイ・ジュンギのポスターを見て,てっきり宮中で王の男妾として権力を操った美少年の物語かと思っていたのだが。予想と違って,イ・ジュンギ扮する「王の男」コンギルは,旅芸人の一座で女形を演じる青年だった。

16世紀初頭の朝鮮王朝。この時代のこの国では社会の最下層に属していた旅芸人たち。カム・ウソン演じるチャンセンは,綱渡りの名手である。
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この役を演じるためにカム・ウソンは,実際に綱渡りの特訓をしたらしい。・・・すごい,役者魂と,運動神経だ。

彼の幼なじみで,同じ一座で女形をつとめるコンギルの美しさ。しなやかな腰つきと,陶器のような肌,なまめかしい仕草は,とても男性とは思えない妖艶さだ。彼ら二人はある晩,コンギルに迫る領主に刃向かったことをきっかけに,一座を逃げ出して,一路,漢陽の都へと向かう。国一番の芸人になるという夢を抱いて。

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漢陽の都で,ひょんなことから国王ヨン・サングンの前で,宮廷を風刺する劇を演じることになり,それは「笑わぬ王」の笑いを誘い,宮中に住むことを赦されるチャンセンたち。そして,美しいコンギルが,王の目に止まるまで,さほど時間はかからなかった。

ヨン・サングンは,韓国史上最大の暴君と呼ばれ,凶暴な独裁政治の果てにクーデターにより失脚した王である。
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しかし この映画では彼を単なる残虐な人間とは見ておらず,幼少時のトラウマによって歪んだ人格形成がなされた不幸な人としても描いている。

王の寝所に呼ばれ,人形劇や影絵で王を慰めるコンギル。コンギルは美しさだけではなく,その従順な優しさ,王の哀しみや愛に飢えた心を癒した。一方,チャンセンは,そんなコンギルを見て心穏やかではいられない。

彼は王の元に行くコンギルを責め,王に激しく嫉妬する。・・・で,おそらくこの映画の最大のテーマなのだと私は思うけど

チャンセンとコンギルの関係は
同性愛だったの?

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韓国映画では,これまで同性愛を声高に掲げたものがなかったから,この作品でも,「同性愛」の描写は思慮深くオブラートにくるまれているが,二人の関係は,明らかに友情の域を超えていると思った。
それがプラトニックなものなのか,それ以上のものなのかは,映像では語られていないから 想像するしかないけれど,彼ら二人の堅い絆の本質は,友情ではなく「愛」そのものに見えた。

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それらしい映像はなくとも,二人の俳優さんのまなざしや仕草の演技から,その関係は十分に感じ取れたから,おそらく監督さんも,実は「同性愛」として描いているとしか思えないけど,お国の事情でそうはっきりと「同性愛映画です」とは言えなかったのだろうか。・・・そこらへんがやや消化不良な感もある。

しかし,物語が進んで,コンギルたちが王の愛妾の奸計によって罪を被せられそうになった時,二人が互いをかばい合うあの姿は,どう見ても夫婦のそれだったなぁ。

そりゃ,それを目の当たりにしたサングン王が,嫉妬にブチキレて,チャンセンに目つぶしの刑を与えた気もわかろうと言うもの。しかし,考えてみればコンギルって,気が優しすぎてどんな運命も逆らわずに受け入れたあげくいつのまにか周りの人を不幸にしてしまっている。

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自覚こそしてないけど,立派に
「魔性の女(男?)」だよね,この人。

それでも,優柔不断に見えたコンギルが 本当に心から望んでいたことはただ,チャンセンと生きる人生だったのだと,わかるラストシーン。どんなに虐げられても芸人としての誇りを失わず,コンギルを奪った王に,命を賭けて逆らったチャンセン。彼に向かって「生まれ変わってもまた芸人になる」と誓うコンギル。なんて切なく,激しい,最上の愛の告白だろう。

そして二人は飛翔する。
眼下の修羅場を後にして,どこまでも晴れ渡った空のちょうど真ん中で,彼らの魂は一つになる。・・・美しく心に残るラストシーンである。(その後の付け足しは蛇足)
Cap073

韓国映画と,侮るなかれ。
同性愛映画と,毛嫌いするなかれ。
これは まことに見事な美しい人間ドラマだったと思う。

 

2007年9月22日 (土)

ナイロビの蜂

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この映画はブラッド・ダイヤモンド記事はこちら)や、ホテル・ルワンダのように、虐げられたアフリカの問題に鋭くメスを入れた作品ではあるが,,それにもまして心に強く残ったのは,やはり何と言っても切なく美しい夫婦の愛だった。                   

レイチェル・ワイズが演じる
テッサは,少女のように無邪気な笑顔と,熱い正義感と行動力を持った まるで火の玉のような女性。レイフ・ファインズが演じるジャスティンは,ガーデニングが趣味の,心優しい外交官。彼は どんなときも冷静で思慮深い。そう,まるで さざなみ一つたたない水面のように,どこまでも穏やかだ。

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違いすぎる二人が出逢い,おそらく自分とは正反対の相手の魅力に惹かれあって結ばれたのだけれど。
テッサは自分が関わっている,あまりにも重すぎる秘密を,夫のジャスティンにだけは隠し続けた・・・。

もしも二人が同じような性格と,同じような思想をもっていたら,妻は夫に隠し事をせず,共に正義のために闘うことができただろう。しかし,テッサにとって,ジャスティンは「別世界のひと」。
争いを好まぬ優しい彼が,自分の思想や行動を理解できるとは思えない。
Cap028
「もし飢えた暴徒に襲われたら,あなたは暴徒に食料を与え,そして静かに秩序の回復を待つわ。・・・でも,そんなあなたが大好きなの」
自分なら暴徒と共に立ち上がりかねない 革命家の魂を持つテッサが彼に言ったこの台詞は 
彼女が夫を深く理解し,愛していたことを物語っている。

・・・夫への深い愛ゆえに,テッサは一言も,自分の置かれた状況や窮地を告げることがなかったのか。「巻き込みたくない」 「あなたを守りたい」・・・彼女は自分が直面していた 凄惨で醜悪な世界を見せることで,夫の平穏な世界を壊したくなかったのかもしれない。

夫婦が互いの仕事に深い理解を持ち,価値観が似ている場合,二人の間には確かに打てば響くような心地よさがあると思うけれど,テッサの場合,何も知らない優しいジャスティンは,闘いに疲れた心を癒してくれる存在だったと思う。

ジャスティンが感じていたようにテッサもまた
ジャスティンを「家」だと感じていたのではないか。
 

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テッサの命が突然断たれた後,事実をたどる過酷な旅に出たジャスティンは,それまで自分が知らなかった妻の姿を知ることになる。憑かれたようにテッサの足取りを辿るうちに,彼は,狂おしいほどの哀しみの中で,妻を死に追いやった製薬会社の陰謀に対する怒りをふくらませてゆく。


「テッサ,やっと君が理解できたよ」

慟哭する彼の脳裏に,在りし日の妻の笑顔が浮かぶ。

ラストに彼が選んだ,巨悪に対する報復の方法はあまりに哀しいが,どのみち彼はもうあれ以上 生きられなかったと思う。哀しみのために。最期を覚悟した彼の口から 吐息とともに絞り出された「テッサ・・・」というつぶやき。

Cap029
レイチェル・ワイズの
輝くような笑顔と,限りない優しさに満ちたレイフ・ファインズの瞳が,当分忘れられそうもない。

2007年9月18日 (火)

オールドボーイ

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どんでん返しの衝撃度とストーリーの斬新さは超弩級。役者の演技は超一流。しかし。人にお勧めするのをためらう映画ナンバーワンだ。なぜなら,後味の悪さが半端じゃないから。

観賞後は人によっては,再起不能なほど落ち込んだり,吐き気をもよおしたりするかもしれない。うっかり勧めたら恨まれそうだ。・・・では,人に決して勧めたくない映画かというと,そうとも言い切れない。これを高く評価される方(タランティーノとか)もかなりいらっしゃると推察される。

個人の価値観や映画に何を求めるかで
,映画通の間でも激しく好みが分かれる作品ではないかと思う。つまり・・・・・「大好き」か「大嫌い」かにまっぷたつに分かれる。 

大好きと感じる方には勧めてあげたい。しかし,これを好むかどうかは,ひとえに どんでん返しのオチをどう感じるかにかかってくるので,あらかじめ「こんなオチ,どう?平気?」なんて聞いて勧めるわけにはいかない。だから私にとっては「人に勧めるのをためらう映画」なのだ。

ちなみに私は,これをたいそうな傑作だと思っている。それでも「大好き」というと,「あのオチが好きなのか」と思われそうなので(それはちょっと抵抗が)「好き」と公言はできない。「映画としての完成度が非常に高い」事に対する高評価。それに,私はどんな内容であれ 「激しく感情を揺り動かされた」映画には,無条件で脱帽することにしているので,その意味からいうと,この映画は私の映画鑑賞歴の中では,確かに群を抜いていた。

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物語は,オ・デスという一人の平凡なサラリーマンが,ある雨の晩,帰宅途中に突如として何者かに拉致され,問答無用で一室に監禁されるところから始まる。監禁期間は何と,それから15年間。

主人公の,「なぜ」「誰によって」監禁されたのか?という狂おしい疑問は,そっくりそのまま観客の我々の疑問となり,冒頭からストーリーに釘付けになる。

監禁された時と同じく,ある日唐突に何の説明もなく解放された主人公は,自分の15年間と愛する家族を奪った監禁犯への復讐を決意し,まるで生まれ変わったように,精悍に執念深く犯人捜しを開始するのだが・・・。

Cap062
執念の捜査の結果,彼がたどり着いた相手は,何と高校時代の同窓生イ・ウジン。デスがすっかり忘れていたある出来事が,ウジンの姉を死に追いやっていたのだ。そしてデスは,目が眩むほどの驚愕とともにあの監禁が,ウジンが仕組んだ「自分への復讐計画の一部」であったことを知ることになる。

・・・その復讐の手段と内容が,
ものすごく衝撃的で,
おぞましい。

文字通り,あいた口がふさがらず,真相を知らされたオ・デス同様,魂まで戦慄するようなショックを受けた。衝撃のあまり,批判とか,生理的な嫌悪感とか,そんなことをあれこれ立ち止まって考える余裕が見事にふっとんでしまって,アタマの中が真っ白になったまま,それでも最後まで画面に釘付け。

・・・
そしてエンドロールと共に,やりきれないほどの切なさと,類を見ないほどの後味の悪さが訪れ,物語は,腰を抜かした私を置き去りにして,静かに幕を閉じた。

Cap055
監督は韓国の鬼才パク・チャヌク。
「復讐者に憐れみを」「親切なクムジャさん」と本作の三本は、彼の「復讐三部作」と言われ,本作はその中でも最高傑作との評を得ている。三作品とも,根底には,
人間の業とも言える切ないテーマがあるように思える。
人が人に復讐することは赦されるのか?
復讐者は復讐によって救われるのか?

計画通り,オ・デスを奈落の底に突き落とすことに成功したウジンが,「・・・これから俺は何を生き甲斐にすればいい?」と虚ろな表情でつぶやく台詞が心に残る。自分と同じ,いやそれ以上の生き地獄を,デスに見せた後もなお,彼の哀しみは少しも癒されたようには見えない。

Cap056
しかし韓国の俳優さんたちって,どうしてこうも,喜怒哀楽を演じるのが半端でなくうまいのだろう。我々と同じアジア民族なのに,大陸の騎馬民族を祖先にもつ彼らの感情には,すごく濃いものを感じる。どんなに破天荒で,ありえないくらいつっこみどころ満載のストーリーも,彼らの渾身の演技の持つ説得力で,なぜか納得してしまう。韓国映画の特徴は,良くも悪くも,その濃い味付けだと思っているが,彼らの演技力の凄さは,その味を非常にコクのある,重厚で豊かなものにしていると思う。 

オ・デスを演じたチェ・ミンシク
ウジンを演じたユ・ジテ
ミドを演じたカン・ヘジョン
三人とも,まことに鬼気迫る名演だった。  

2007年9月17日 (月)

ブロークバックマウンテン記事索引

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(1)マイ・ベストシネマの予感

(2)あの山へと向かう想い
(3)原作者アニー・プルーの訴えたかったこと
(4)出逢ってしまったソウルメイトの物語
(5)彼らの愛を阻むもの
(6)それぞれの妻たち
(7)ジャックの両親
(8)イニスが涙を流すとき
(9)裁かれた愛のかたち
(10)まどろみの抱擁
(11)イニスの誓い
(12)ヒースとジェイク
(13)テントでの出来事は
(14)四年目の再会
(15)歌謡曲に見るBBMの世界
(16)腐れ縁を呼ぶ男
(17)I,m  sorry
(18)ジャックの優しさ
(19)尽きせぬ魅力
(20)最終章 ~二人への手紙~

ゲイネスって?/ブロークバックマウンテン番外編1
ヒースを悼んで/ブロークバックマウンテン番外編2
愛する人を亡くす/ブロークバックマウンテン番外編3
久々の放心状態/ブロークバックマウンテン番外編4
七夕に想うBBM/ブロークバックマウンテン番外編5
いま,再びイニス/ブロークバックマウンテン番外編6
懐かしのジェイク/ブロークバックマウンテン番外編7

ブロークバックマウンテン(8)

イニスが涙を流すとき
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20年間守ってきた二人の関係が,図らずも幕を閉じることになった,あの最後の逢瀬と,翌朝のいさかい。押さえに押さえてきた気持ちを,初めてイニスに向かって,激しい口調でたたきつけたジャックに,「もう耐えられない・・・」と,哀れにも慟哭したイニス。

まるでよくある男女の痴話げんかのように売り言葉に買い言葉の雰囲気もあるが,このとき思い出したのは,あかあかと燃えるたき火の傍で,かつてジャックとイニスが交わした会話だ。

Cap546
「どうしようもないんだったら,我慢するしかないんだ。」
「・・・いつまで我慢すればいい?」
・・・耐えられる限り。終わりはないんだ。」 


一緒に暮らすことをいつだって,夢見てきたジャックと,そんなつもりは毛頭無かったけど,ジャックを失うことはできなくて,関係を必死で続けてきたイニス。そのイニスの口から,ついに「もう耐えられない」という言葉が,涙とともにこぼれ落ちてしまった哀しい瞬間。

でもこの時のイニスは,たぶん取り乱していただけで,本気で「ジャックと別れたい」なんて訴えたつもりはなかったと思う。

ただ彼は,ショックだったんだろう。

今までひたすら優しかったジャックが,無理を言ったことがなかったジャックが,まるで挑戦するかのように メキシコ行きを認め,堰を切ったように投げつけて来た言葉の数々が痛いくらい核心をついていたから。そして,いつもイニスの顔を正面からまっすぐ見つめて話すジャックが,このときだけは,イニスに背を向けてつぶやいた言葉。
「いっそ,別れられたら・・・」

原語を直訳すると,「お前と別れる方法を,俺は知りたい」となる。つまり
別れたいけど別れられないという想いがそこには込められているのに,イニスは,ジャックの口からquit(諦める,捨てる)という言葉が出たというだけで,逆上してしまったのではないか。メキシコ行きを肯定されたばかりだったし,

(お前は俺を捨てるのか?他に男がいるのか?)
イニスの心の声は,そう叫んでいたのではないか。

Cap569
しかし,実際に彼の口をついて出たのは,「じゃあ,別れたらいいだろ!・・・俺はお前のせいでこんな男になっちまったんだ」という,捨て台詞のような言葉。しかしそれも聞きようによっては,「お前なしには生きられない,お前しかいない,他には何もない」(行き場も,何もかも見失った)という悲痛な叫びにも取れる。

イニスは自分でも気づかずに,この時ジャックに
I love you so much と告白していたのか。

もちろん彼自身にも自覚ができていない告白は,ジャックに伝わるはずもなく,この時のイニスの涙は,かえってジャックに哀しい決意をさせてしまったかもしれない。

Cap593
不器用で,男らしくあれと教え込まれてきたイニスが耐えきれずに泣くとき,それはいつも ジャックへの愛が自分の意思とは無関係にほとばしる時ではなかったか。一度目は,ジャックとの初めて別れた後,物陰で号泣したとき。二度目はこの最後の逢瀬で。そして三度目は二枚重ねのシャツを前に,ジャックへの永遠の愛を誓う時。

イニスの涙はいつだって,ジャックへの愛のために
流されたというのに

ジャックが生きている間に,そのことを伝えてやれなかった。ジャックの耳に残る最後のイニスの言葉が「もう耐えられない・・・」だったなんてあまりにも・・・。後で気づいたイニス自身もきっと,胸がつぶれる想いをしただろう。

2007年9月16日 (日)

HERO

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映画は観るけどドラマは殆ど観ない私は,実はこのHEROのドラマ版は未見だ。だから,まっさらな状態で,検事久利生公平や,その仲間たちと,今回スクリーンで出逢った。

法曹界のことも詳しくはない。検事は,被疑者を告発する側で,弁護士は被疑者を弁護する側。陪審員制のない我が国では,被告を罪に定めるかどうかは,検事と弁護士の法廷での一騎打ちになるんだなあと,あらためて感じ入りながら鑑賞した。木村拓哉が演じる久利生公平は,東京地検城西支部に6年ぶりに帰ってきたという設定だが

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この「城西支部」の仲間の検事たちが,皆それぞれに個性的で,なかなかいい味を出していた。お堅いはずの地検なのに,何か気のあった仲間のサークルのような,気さくで心地良い雰囲気があって,その中でも特に久利生公平は,全く検事らしくない今風のラフなファッションで自由奔放に動き回りまるで一人だけバイトの学生が間違って混じり込んでいるような不思議な感じだったが,今回彼が担当する難事件の法廷シーンが佳境に入った頃は,すっかり息をつめて 彼の一挙一動に見入ってしまった。

格好いいぞ!久利生公平!

思わず劇場で叫びそうになった。(叫ばなかったけどね)彼のルックスじゃなく(ルックスもいいけど)その心意気がもの凄く格好よかった。 
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彼が担当した障害致死事件。
無実を主張する被告のアリバイ崩しは,とある大物政治家の収賄容疑の件とも,深く関わっていて,普通なら,政治家の悪を暴くことの方に意識が向いて,目の前の障害致死事件などは,ちっぽけに感じてしまいがちなのに,久利生検事が自分の全エネルギーをこの事件につぎこんだ理由は命を落とした被害者と,残された婚約者の無念さを晴らすためだ。彼は決してそこのところを見失わなかった。

どんな仕事でも,慣れてくるとマンネリ化したり 処世術を身につけたりして,出世にたいする欲や打算なんかも出てきて,初心を忘れることもある。

なんのためにこの仕事をやっているのか。
自分の使命は何なのか。

・・・そこをちゃんとわかっていて,どんな障害が立ちふさがろうと絶対に妥協しない彼の姿勢はなるほど,HEROと呼ばれるにふさわしい。木村拓哉のアウトロー的でやんちゃな雰囲気と,ある時は熱く ある時は繊細な輝きを帯びる美しい目。ドラマでヒットしたのも納得。

豪華なおまけのように,イ・ビョンホンが出てきたのが嬉しかった。友情出演のようにちょこっとだが,すごい存在感とオーラはさすが。アクションシーンもちょっとあったし,ビョン様,楽しんで演じているみたいだった。深みのある彼の声が大好きなので電話で彼の声が聞けてよかったな。

劇場からの帰り道,いつのまにか背筋をしゃきっと伸ばしている自分に気づいた。初心にかえって,全力で仕事しようっと。・・・明日からね。

 

2007年9月14日 (金)

コーラス

Cap022
音楽の持つ力を信じる全ての人に観て,聴いて,感じて欲しい極上の一品。・・・それがこの「コーラス」だと思っている。

Cap002
物語は1949年のフランス。
片田舎の,半分感化院みたいな,寄宿学校「池の底」(何という名!)で親元を離れて暮らす少年たち。彼らはそれぞれ問題を抱えて,哀しい目と,反抗に満ちた心を持てあまし,愛情に飢えていた。・・・・その中でも「顔は天使,心は悪魔」とまで言われた,札付きの問題児ピエール・モランジュ。

ある日この学校に舎監として赴任してきた,風采のあがらない,落ちこぼれの音楽教師マチュー先生。悪童たちに「ハゲ頭!」とからかわれながらも,彼は合唱を教えることによって,少しずつ少年たちの心を開かせてゆく。
Cap006 

合唱を体験したことのある方なら お分かりになると思うけど,一人一人の声が一つになってハーモニーが生まれるときのあの一体感は,心がふるえるような恍惚とした喜びを感じさせてくれるものだ。ばらばらだった少年たちの心が,マチュー先生を中心に一つにまとまっていったのも無理はない。

一番手強かった 頑ななモランジュの中に「奇跡の声」の才能を見いだしたマチュー先生は 彼に「歌う喜び」を教える。次第に自信と生き甲斐を持ち始めるモランジュ。

Cap016_2
ある人にとっては,人生を変えてしまうほどの大切な出逢い。
マチュー先生と出逢わなかったら,モランジュの人生はどんなものになっていただろう。

モランジュを演じたジャン・バティスト・モニエ少年。実際に聖歌隊でソリストをつとめる彼の声を,何と表現したらいいのだろう。どこまでも清らかに澄み切っていて,まるで魂が天高く飛翔するような思わず涙したくなるほどの美しさだ。
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出演した少年たちの殆どは演技に関しては初心者で,特典映像に納められていた撮影風景では,まるで合宿のように生き生きと,どの子の笑顔も輝いていた。

その中でもひときわ愛らしく,存在感が大だったのが,ペピノを演じたマクサンス・ペラン
ジャック・ペランの息子らしく 幼いのに天性の演技力を感じる。彼とマチュー先生との心あたたまるラストシーンは,この物語に この上なく優しい余韻を残してくれた。

奏でられる音楽の数々と モニエ君の天使の声と あたたかい人の心。その全てが美しい 珠玉のような作品だった。
Cap047

2007年9月12日 (水)

真珠の耳飾りの少女

Cap151この映画,セクシーなスカーレット・ヨハンソン主演だから,単純におじさんとの禁断のエロい映画かと思っていた。(無知)パッケージのデザインもそんな感じだったし。
いやはや,
これほど芸術性の高い作品だったとは!


あのスカーレットが,よもや「初々しさ」とか「無垢」だとか「透明感」だとかを体現できる女優さんだとは,失礼ながら思っていなかった。彼女は,殆ど色をのせない素顔に近いメイクで,とてもみずみずしく,清らかに見えた。

いやぁ,お見それいたしました。(土下座)

こんな美しさも表現できるのですね,彼女は。
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フェルメールの絵はもともと好きだった。自然の光を生かした彼の作品は,どれも静謐な美しさをたたえていて。その中でもこの「青いターバンの少女」は,一度見たら忘れられないほどの不思議な美しさを持っていると思う。 暗い室内を背景に,浮かび上がる清純な少女の顔。はっとするほど鮮やかな美しい青いターバンの色と,その耳たぶを飾る,大粒のシンプルなパールのつややかな輝き。こちらを見つめる少女の瞳は,何かを訴えているようで,観る者の心をとらえて離さないミステリアスな魔力がある。
Cap158
この映画は,この絵のモデルとなった グリートという下働きの少女と,画家のフェルメールの間の淡い恋物語を描いたものである(フィクションだが)。
フェルメールとグリートが互いに惹かれ合ったのは,二人とも「芸術を愛し,理解する心」を持っていたいわば同類だったからだろう。あの時代,たぶん芸術は,男性の専売特許であり 女性,それも貧しい下働きの少女の中に自分と同じ魂を見いだしたフェルメールが驚愕しつつも,彼女に惹きつけられ,いとおしく思うようになるのは,ごく自然なことに思えた。

そこで雇い主の特権を濫用し,彼女に手を出したりせずに,まるで純情な青年のように,ひたすらプラトニックに徹する,いじらしくもストイックなフェルメールを,コリン・ファースが,押さえた演技で見事に演じていた。グリートへの想いを言葉にする台詞はないので,彼はまなざしや仕草で,自分の感情を雄弁に語っていた。
Cap147
しかし,この映画,観終わってからしみじみと「やはりエロい映画だ・・・」と思った。最初の予想とは全く別の意味で。フェルメールとグリートは,完全なプラトニック・ラブであるのに二人が交わすまなざしや,外すまなざし。触れ合わなくても十分すぎるほどの,緊迫したエロスが漂っていたのはなぜなのか。

二人きりの作業場で,手がちょっと触れそうになる時とか,フェルメールが羽織っていた上着をふわりと脱ぐシーン。そんじょそこらのラブシーンよりドキドキした。

結局,二人が結ばれるはずもなく 物語は終わるが,「あの絵」を描いているその最中に,押さえきれない燃える想いを,フェルメールは絵筆に託しグリートはまなざしに託した・・・。だからこそ,完成した絵の持つ「愛というメッセージ」フェルメールの妻を嫉妬で激怒させ,そして同時に,時代を超えて,絵を鑑賞する私たちを魅了するのだろう。

それにしても,映像の美しさは他に類を見ない。どのシーンを切り取っても,フェルメールの絵画が立ち上がってきたかのよう。色調もまた素晴らしい。
Cap146
天窓から光が差し込むアトリエの透明感あふれる乳白色。
夜の宴会のシーンのきらめく蝋燭の暖かい黄金色の輝き。
グリートがまとうターバンの深海のように冴えざえとした青。

 
いやあ,美しいものを見せてもらいました。

2007年9月10日 (月)

ヴェニスの商人

Cap139
文豪シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のストーリーは,はるか(?)昔の小学校時代,道徳の時間に紙芝居で見た記憶がある。・・・このストーリーのどこが道徳的なのか今思い返しても おおいにだ。欲を出すとひどい目に遭いますよと言いたかったのかな?まさかねぇ。担任の先生が不在の時だったように記憶しているから,留守番を任された先生が,時間つぶしに適当に選んだのかもしれない。

とにかく,その紙芝居では, 悪徳高利貸しのシャイロックがとことん悪者に描かれていて,アントニオの危機を救ったポーシャに拍手喝采してハッピーエンド,というふうな終わり方だったので,いたいけな(?)小学生の私は,その勧善懲悪ぶりに素直に感動したのであった・・・・。
Cap119
そして月日は巡り・・・・(かなり巡ったぞ)その間,キリスト教とユダヤ教の確執や,ユダヤ人への迫害の歴史を知り,自分自身も,さまざまな経験を通して,人生を一面からだけでなく,縦から横から斜めから,はたまた裏返したり,透かしたりして見ることができるようになった今,この映画を観てみると。

なんと,最初の印象とまったく違った物語だった。
これは監督の解釈によるところが大きいのだろうけれど,この映画では,キリスト教徒のユダヤ人への差別や,冷遇の数々もまた,強く浮き彫りにされていた。シャイロックも,単なる強欲な人でなしとは描かれておらず,アル・パチーノの名演により,彼の怒りや悲しみの方に共感できたのだ。

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もちろん日頃の侮辱への仕返しとして,法の力を楯に取り,「公衆の面前で平然と相手の肉を切り取る行為」を正しいと言うつもりはないが,シャイロックにとっては,それまでの人生で,キリスト教徒から受けた積年のうらみつらみが,一気に集結したのではないかとも考えられる。

まるで大岡裁きのような,法廷でのポーシャの逆転劇は鮮やかだが,アントニオの命を救っただけで終わればよいものを,今度はポーシャたちの側が,シャイロックに仕返しをしかける。(としか思えない)借金をチャラにさせただけでなく,財産没収までするのは行き過ぎだ。パチーノの演技に惹きつけられて,シャイロックに肩入れしてしまうと,どうしてもみんながよってたかって,彼をハメたように思えてくるから不思議だ。
Cap118
シャイロックに財産を残す条件として,アントニオが言い出した,キリスト教への改宗も,一見慈悲深い提案のように見えるが,実はユダヤ人にとっては,きっとすごく残酷なことなのだ。ユダヤ教とキリスト教とは,大昔から仇敵なんだから。

泣く泣く条件を呑んだシャイロックが,哀れにもユダヤの教会から閉め出されて,途方に暮れるシーン。・・・ひどいじゃないか!annoy 彼は精神的には殺されたも同じ。改宗したからといって,キリスト教徒が彼を温かく迎え入れるとも思えない。

・・・と,このように,シャイロック以外の人物がみーんな悪役に見えてしまったのには驚いた。・・・・恐るべし,アル・パチーノの名演技!

で,もひとつ「あらら?」と思ったことは・・・。紙芝居を観たときには,純粋に感動したアントニオの犠牲的精神。親友のバッサーニオのために命を担保にするのも厭わないなんて,まるで「走れメロス」の世界。と思っていたが,この映画のアントニオ(ジェレミー・アイアンズ)を観ていると,どーも純粋な友情だけではないよーな。( ̄ー ̄)ニヤリ 

Cap127
バッサーニオ(ジョゼフ・ファインズ)を見つめるアントニオの目がねぇ・・・なんともうるうる切なくて「もーしかしたら,もーしかして?heart04なんて思ってたら,特典映像のインタビューで,ジェレミー自身が,「アントニオとバッサーニオとポーシャは三角関係とも言える」なんて おっしゃってた。・・・・やっぱり。

法廷でアントニオが今まさにシャイロックから肉を切り取られようとするとき,「君のために死ぬのは本望だ!heart02」「アントニオ!君を助けるためなら妻なんかcryingと,愁嘆場を繰り広げる二人を,ジトーッとした目(-_-X)で見つめるポーシャ。Cap133
彼女は感づいたんじゃないかなあ。
だから,夫の愛を試すために,指輪うんぬんのお芝居を打ってみせ,一件落着の暁には,わざわざアントニオの前で,あらためて夫に愛を誓わせたのかな。

もしそうだとしたら,やはり賢い女性だ。
そんな彼女が,どうしてあんなへなちょこバッサーニオに惹かれたのか,これもまた謎だが,バッサーニオはこれで一生,妻に頭が上がらないだろうな。(ざまーみろ,なんちゃって)

おそらくシェイクスピアは,原作をそんなつもりで書いてはないと思うが,この映画は,私にとっては,リアルな人間ドラマが感じられて,たいそう面白かった。あ,もちろん,美しい衣装や,映像や,弦楽器やリコーダーをふんだんに使った素晴らしい音楽も,堪能いたしましたよ。

 

 

2007年9月 9日 (日)

ブロークバックマウンテン(7)

ジャックの両親
Cap618

ジャックの訃報を聞いて,イニスが訪れたジャックの生家は,だだっぴろい平原のなかに ぽつりと立ちすくむ さびれた農場。まるでイニスの訪れを予期していたかのようにひっそりと玄関先に立つジャックの母。

招じられた食堂でイニスと対峙したのは,生前ジャックとは折り合いが悪かったといういかにも一徹そうなジャックの父。

Cap357
お茶とケーキをすすめる母親は,夫の側ではなく,イニスのかたわらに,まるで寄り添うように立つ。イニスの辛い気持ちを察して,無言で励ますかのように。

彼女にはわかっていたのだろう。イニスが誰であるか。息子にとって,イニスがどんな存在だったのか。イニスの顔に刻まれた痛ましい喪失の哀しみを一目見たときから,母親の直感でそれを見抜いたのだ。

Cap005
裕福ではないけれど,清潔できちんとしたこの家で育った一人っ子のジャック。ジャックが生前両親に何度も言っていた言葉は,「いつかイニスを連れてきて,一緒に牧場をやるんだ」。平穏な結婚生活を捨ててまで,イニスという男との暮らしを夢見る息子を,両親はどんな思いで見ていたのだろう。

そしてまさに そのイニス・デルマーという男が,ジャックの死後,実体をもって出現した時,父親はイニスに辛辣な言葉を投げつける。「息子はいつも、あんたと牧場をやると言っていた。ところが,最近になって,別の男の話に変わった」・・・と。

Cap630
別の男の存在を知ったイニスは深く傷つく。
父はあえてそのことを,イニスに知らせたかったのか。ジャックの夢を実現しなかったイニスを,遠回しに責めるかのように。生前はジャックを認めず,おそらく同性愛をも嫌悪していた父の,息子への精一杯の愛が,イニスに対してそう言わせたのだろうか。

うちひしがれたイニスの肩に,絶妙のタイミングで置かれた,母親の節くれ立った あたたかい手。「もしよかったら,あの子の部屋を見てやって。あの子もきっと喜ぶわ。」もしかしたら母は,例のシャツの存在を既に知っていて,イニスにそれを見つけてほしいと,祈るような思いで見送ったのかも知れない。

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イニスは 母親の期待を裏切らなかった。二階から降りてきた彼の目は 泣きはらして真っ赤だったが,その手には大切そうに あの二枚のシャツが握られていた。

そのシャツに無言で視線を当てる父。顔からは先刻までのとげとげしさが消え,今は哀しみだけが宿っているように見えた。父もまた,イニスを責めたことで,彼なりに気が済んだのだろうか。

黙ってシャツを差し出すイニスに目だけでうなずいてみせて 紙袋を手にする母。逝ってしまった息子をいとおしみ,別れを告げるかのように彼女は一瞬手を止めて,シャツをそっと握りしめてから袋に入れる。イニスの心は,きっとこのとき,張り裂ける寸前だったろう。

喪った愛の重さに気づいたばかりのイニスに,息子を喪った母親がすがるように声をかける。ねえ、あなた。また 私たちに会いにきてね。敬虔なクリスチャンの彼女は,ジャックが同性愛がもとで命を落としたことに,言いしれぬ痛みを覚えていたはずだ。

しかし,訪ねてきたイニスの表情や態度を見た母親は,彼らの愛が真摯なものであったことを感じ取り,そのことから深い慰めを得たに違いない。


Cap221_2
「息子が心から愛していたこの人もまた 息子を愛してくれていて
「生きているとき、あの子は確かに幸せな時もあったのだ」 そう思えることは,傷ついた彼女の心の痛みを少なからず癒したにちがいない。

遺灰はブロークバックマウンテンにまいてほしいと願ったジャック。そこは彼にとって イニスとの思い出の聖地であり,彼らが何の恐れもなく一緒にいられた唯一の場所。死後の自分の魂が,そこへ還ることを,ジャックは願っていたのだろう。父親の拒絶によって,その望みは叶わなかったけれど,かわりにイニスはジャックの魂を 山ではなく 自分のもとへと連れ帰る。思い出のシャツという形に変えて。 

 

2007年9月 8日 (土)

かげろう

Cap093_3 ハンニバル・ライジングのレクター役記事はこちらで,日本でもブレイクしたギャスパー・ウリエルが,3年前に出演した作品。当時レンタルで観たときは,ヒロインのエマニュエル・ベアールを目当てに観たのだが,最近ギャスパーのにわかファンになったので,もう一度観てみた。今度は彼の演技に焦点を当てて。そしたら。

・・・・すんごい切ない物語だった,これ。
Cap107_3
第二次世界大戦中のフランス。二人の子供を連れて,戦火のただ中のパリから田舎に逃れてきた,美しい未亡人のオディール(ベアール)は,ドイツ機の爆撃を受けて逃げまどううちに,
イヴァン(ギャスパー)と名乗る青年と出会う。

住人が立ち退いた後の大きな屋敷に,事もなげに侵入するイヴァン。彼の犯罪とも言える行動を,胡散臭く感じて,強い警戒の心を抱きながらも,子供たちとのねぐらを確保するために,その家で生活を始めるオディール。最初の頃こそ,ぎくしゃくした行き違いもあったが,ウサギや鶏を持ち帰ってくれるイヴァンの存在は頼もしく,二人の子供も彼になつき,まるで「疑似家族」のような不思議な共同生活が始まる。Cap097
「親の話はしたくない」と,過去を語りたがらず,戦争が始まる前の生活も,詳しく言いたがらないイヴァン。オディールは,立ったまま鍋から直に食事をしようとする彼に,食卓を整えてやり,読み書きができない彼に,字を教えようとする。そんな彼女に,唐突に「妻になってくれ」と切り出すイヴァン。「何を言うの」と面食らいながらも,彼女の心は次第にイヴァンに惹かれてゆき・・・。

それが恋と呼べるものかは,どちらにも確信はなかったと思うけれど,互いに惹かれ合うままに愛を交わした翌朝,晴天の霹靂のように憲兵によって明らかにされるイヴァンの秘密。
Cap105
内心の動揺を押し隠して,平静を装うオディールと,ひとことも発せずに連行されていくイヴァン。心を通わせた昨夜のひとときは,あたかも夢のように消え去り,オディールはそれを誰にも知られないよう,心の奥深くしまいこんだ。

後になって彼女は,イヴァンの本名と,彼の哀しすぎる死を知る。遺体を一目見ることもかなわず,葬られた場所さえわからない。女としてより,母としてこれからも生き続けなければならない彼女は,たとえ哀しみに打ちのめされたとしても,声を出して泣くことすらできなかった。

親子ほどの年齢差や,おそらく天と地ほどの違いがある,生活や教養のレベル。もし「戦争」という非常事態がなかったら,決して交錯することはなかった二人の人生。

かげろうとは・・・・。
春、晴れた日に砂浜や野原に見える色のないゆらめき。大気や地面が熱せられて空気密度が不均一になり、それを通過する光が不規則に屈折するために見られる現象で,はかないもの」のたとえに用いる。「戦争」はまた,イヴァンを辛い現実から解き放ち,オディールの家族と過ごした あの穏やかな夏の日々に彼はどのような「ひとときの夢」を見たのだろう。

Cap111

ギャスパーは,粗野で不器用で,デリケートな心を持つ青年を非常にうまく演じていた。ハンニバルの時の,知性やインテリジェンスは封印されていたが,危険な香りを漂わせるのは,やはり上手だ。(もしかして素か?)どっちにしても,ハッピーな役どころはあまり似合わないキャラである。そこがいいのだが。それにしても,手足の長い俳優さんだなあと,改めて感じた。

2007年9月 6日 (木)

猫は「寝子」?

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猫というものはどこの猫も
こんなに一日中寝てばかりいるものだろうか?

猫科の動物は狩りをするから,
獲物を捕らえるときの瞬発力を蓄えるために
あんなに多くの睡眠を必要とする・・・らしい。

そら,野生の猫の話やろ?
三食(いや十食くらいか?)とも
上げ膳 据え膳のうちの猫が,
獲物捕獲のために瞬発力を蓄える必要がどこにある?

朝は朝寝 昼はお昼寝。
猫は夜行性だから,その分,夜は起きてるのかと思いきや
何のことはない。飼い主より,ずっとはやばやと ご就寝。
夜中に何度が起きて餌だけしっかり食べてまた就寝。

Facc_038 ・・・だから 太るんだよ。

旧約聖書の箴言にこんな記述がある。

 「なまけ者よ。いつまで寝ているのか。
  いつ目をさまして起きるのか。
  しばらく眠り,しばらくまどろみ
  しばらく手をこまねいて また休む。」

ここを読むたびに,
うちの猫の幸せそうな寝顔が目に浮かぶ。

ちなみにうちの猫は,私にもらわれる前は,
とある山の中に捨てられていた。
骨と皮だけにやせ細って,山の小学校にたどり着き
猫好きの校長先生や教頭先生のおかげで
1週間ばかり,学校で飼われていたことがある。

おりしも季節は夏休み前の暑い時期。
暑い中,子どもたちは期末テストやらで なかなか過酷な毎日。
教室の片隅につながれていたうちの猫は
奮闘する子どもたちを尻目に 授業時間の殆どを爆睡して過ごし
子どもたちのやる気を著しく低下させたそうな。

とは言っても,眠っている猫のゆるんだ腹をさわるのは
なかなか心地良い 至福の時なんだ,これが。

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2007年9月 5日 (水)

リバティーン

Cap063諸君は私を好きになるまい・・・。
冒頭のモノクロ画面で,ジョニー・デップ演ずる
ジョン・ウォルモット卿は,まるで挑発するかのように,こちらをひたと見据えながら,不敵な台詞を吐く。

リバティーンは放蕩者,背徳者という意味
その呼び名が示す通り,17世紀の天才放蕩詩人ウォルモット卿の放埒で壮絶な半生を描いた物語。ジョニー・デップが,「脚本の冒頭3行を読んで,出演を即決した」というだけあって,全編にわたってスクリーンから溢れ出す,ジョニーの役者としての底知れぬ才能に圧倒された作品。

鬼気迫る・・・と言ったらいいのか。
当時の道徳観や宗教観に,わざと反旗を翻してみせるかのような不遜さ。 その瞳は時に悪魔的な光すら漂わせる。燦然と輝く栄光と,惨めな転落。人々が彼に差し出した賞賛と蔑み。実は脆く傷つきやすい,愛に飢えた心。

目を覆いたくなるよう無惨な死に至るまでの怒濤のような彼の人生を通して,魂が透けて見えるほどの迫真の演技をジョニー・デップは見せてくれた。
この役は絶対に彼にしかできなかったろう。

ジョニーの作品を観るたびに,私はいつも,彼の演技に打ちのめされる。その美しさに酔いしれる時もあれば,切なさに胸がいっぱいになる時もある。奇天烈な面白さに目を見張り,極上の楽しい時間を過ごすこともあれば,颯爽とした格好よさに痺れる時もある。

演じる役によって,発するオーラを自由自在に操っている。
まるで神業的な職人芸を見ているようだ。

しかし,この映画は残念なことにジョニー・デップの演技の凄さだけが印象に残った作品だった。ジョニーをはじめとする出演陣の演技は申し分ないのに,脚本が練られてないのか,監督の見せ方がまずいのか,それぞれの人物がとった行動の理由や,心の動きが強く伝わってこなかった。

ウォルモット卿と国王との 友情と確執や,愛人のリジーとの なれそめや別れも,もっと深く掘り下げて見せてくれたら,感動することができたろうに。
しかし どのような条件のもとでも,ジョニーは強烈な輝きを放つことができることを,私は改めて知ることができた。

Cap086_2  ラストシーンは冒頭と同じくジョニーの独白で終わる。

「これでも私を好きか?」と。その一瞬泣きそうになる表情と,どこまでも清らかなキリエ・エレイソンの調べ。

このジョニーの表情を見るだけでも 
この作品を観てよかったと思った。

  

 

2007年9月 2日 (日)

ブロークバックマウンテン(6)

それぞれの妻たち
Cap017

考えてみれば,ブロークバックマウンテンは イニスとジャックだけでなく,主要登場人物の大半が,辛い思いをする物語だ。安易な救いは誰にも用意されていない。だからこそ
この物語からは深いリアリズムを感じるのかもしれない。そう,まるで彼らが,実際に存在していたかのように。

この映画は,登場人物のそれぞれの感情のこまやかな動きが,すごく丁寧に描かれているので,主役以外の人物にも,深く感情移入できるつくりになっている。そして,観客が誰に感情移入するかで,この物語の印象は大きく変わってくるはずだ。

彼ら二人の妻の立場に立ってみれば,イニスとジャックの愛は到底許されるものではないのだから。徹頭徹尾,イニスたちの立場にたって鑑賞した私でさえも,彼女たちの苦悩や哀しみの大きさには,胸が痛んだ。

Cap447
イニスの妻のアルマ
夫とジャックの抱擁を目撃した時の衝撃は,どれほど大きかったことか。まるで足下の地面が, ガラガラと音たてて崩れ去るくらいショックだったろう。それから何年間もの間, いそいそとジャックに逢いに出かける夫を見送るたびに,ため込んだ怒りは,アルマの心を浸食していった。

後にイニスに見切りをつけた彼女は,スーパーの店主と再婚し,裕福な生活を手に入れるが,感謝祭のディナーの後で,ついに積年の恨みつらみをイニスに激しくぶちまける。そうせずにはおれないほど,彼女の心の傷は深く,癒えることはなかったのだろう。

Cap237
ジャックの妻のラリーン
彼女はいったい,真実をどれくらい知っていたのだろう。あえて夫に問いただすことは,彼女のプライドが許さなかったのかもしれない。それでも彼女は気づいていたはずだ。おとなしく優しい夫の心の中には,妻の自分が決して入ることができない秘密の場所があることを。そして年月を重ねるごとに,ジャック夫婦の間には,たとえ諍いはなくても,冷え冷えとしたものが漂いはじめる。

少なくともラリーンはジャックをずっと愛していたと思うジャックの方は,イニスさえ同意すれば家庭を捨てる覚悟をしていたのに。ラリーンの髪型や化粧がどんどん派手になっていったのは,夫に振り向いてもらえない寂しさの表れのように思えた。

ジャックの訃報を電話でイニスに告げた時,ラリーンは,かつて夫から聞かされていた彼にとっての桃源郷「ブロークバックマウンテン」が実在し,受話器の向こうの相手こそが夫が長年秘めてきた恋人であることを知る。

Cap345_3
気丈な彼女の瞳に一瞬さっと浮かんだ涙。彼女は夫をこのとき初めて,完全に理解したのだろう。涙の意味は,怒りなのか,哀しみなのか。私には,ジャックに対する憐れみのようにも感じられた。

誰も悪くないのに。
みな,それぞれささやかな幸せを願って
精一杯生きてきたのに。

イニスとジャックが結婚したことが悪い,という意見もあるだろうけれど。あの時代,いつまでも独りでいることは,世間から奇異の目でみられ,それもまたホモフォビアからの攻撃のターゲットになっていただろうから,彼らが生きるためには,他に方法がなかったと思う。時代や環境が生んだ,避けることのできない悲劇とはわかっていても,傷つけあってしまった彼らの運命は本当に切ない。

2007年9月 1日 (土)

武士の一分

Cap054_2
山田洋次監督で,木村拓哉が時代劇に初主演ということで,邦画をめったに観ない私が,いそいそと劇場で鑑賞した作品。演技をする木村拓哉は,「ロングバケーション」の頃から好きだった。・・・しかし,彼が時代劇のそれも大作を,うまく演じられるのかどうか,一抹の不安がなかったと言えば嘘になる。

世は幕末。冒頭の「毒味役」の説明のくだりから,すでに興味シンシン状態。毒味役の存在もさることながら,彼らが大まじめに一列に並んでお役目を粛々と果たしている姿に「この時代って・・・なに?」と思わず絶句。

木村拓哉が演じる三村新之丞は,三十石の平侍で,お役目はこの「毒味役」。決して豊かではないが,美しくしとやかな妻の加代と,彼に忠誠を尽くす木訥な中間の徳平とのつつましい暮らしは,平穏で ささやかな幸せに包まれていた。しかし,毒味をした貝の中毒がもとで 失明の憂き目にあってからというもの,新之丞夫婦は,悲劇のただ中に投げ込まれてしまう。

・・・労災なんかないんだよね?
妻は夫だけを頼りに生きている時代だし。親族たちはいざというときには,まったく頼りにならないし。そんな中でひたむきに彼を愛し,支えてきた妻の加代は,夫を救いたいばかりに,悪番頭の奸計におちてしまう。一度は妻を離縁せざるを得なかった新之丞。しかし,彼は譲れない「武士の一分」を賭けて,妻を汚した番頭に,捨て身の果たし合いを挑むのだった・・・。

と,こうストーリーを書いてみると,かなりベタな話なんだけど,こういう「いかにも」の話には なかなか感動しないひねくれものの私が,不覚にも加代が涙ながらに夫をかき口説くシーンでは胸がいっぱいになってしまった。
Cap032

何より俳優陣の
健闘ぶりが素晴らしい。

加代役の壇れいさんの しっとりとした声や,身のこなしの隅々からは,かつての日本女性が持っていた,奥ゆかしさや凛とした芯の強さがまるで手に触れるように感じられた。

そして,徳平を演じた 笹野高史さん。この人は,初めてお目にかかるけど,いったい何者?控えめな演技ながら,その圧倒的な存在感に唸ってしまった。あるじに誠心誠意仕える忠義心を持ち,不器用で泣きたくなるほど人情に溢れた人柄の徳平は,笹野さんにしか演じられなかっただろう。・・・・名優である。
Cap042
そして今回一番気になっていた木村拓哉の新之丞は。・・・始まってすぐのシーンでは,台詞まわしや声音に従来のキムタクっぽさが見え隠れして,「んん・・・?」とか思ったりもしたけれど。

盲目になってからの彼の迫真の演技は鳥肌ものだった。彼の目は本当に光を失っているように感じられたし,その虚ろな目から 痛ましい涙がこぼれる時は,私もまた 加代といっしょに泣きたくなった。

そして山田監督が私たちに届けてくれた極上の日本情緒の数々。現代の文明社会の喧噪にまみれた私たちの耳には,もはや聴くことが叶わなくなった 風の音。虫の声。木々の囁き。三村家のつつましやかな庭の中で 鮮やかに移り変わる四季の美しさ。春の木蓮。 夏の蛍。秋には色づいて散りゆく木の葉。

日本はこんなにも美しい国で,人々はその自然と共に生活してきたのだと,しみじみと嬉しくなった。
そして,あの時代の人々の心には,確かに息づいていた 死を賭してまで守るべき信念や,己を無にしてまでも 夫や主に仕える心意気のすがすがしさ。
時代は変わっても,私たちの心の奥底に存在しているに違いない日本人としてのDNAを,程よく そして心地良く刺激してくれた作品だった。

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