文豪シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のストーリーは,はるか(?)昔の小学校時代,道徳の時間に紙芝居で見た記憶がある。・・・このストーリーのどこが道徳的なのか今思い返しても おおいに謎だ。欲を出すとひどい目に遭いますよと言いたかったのかな?まさかねぇ。担任の先生が不在の時だったように記憶しているから,留守番を任された先生が,時間つぶしに適当に選んだのかもしれない。
とにかく,その紙芝居では, 悪徳高利貸しのシャイロックがとことん悪者に描かれていて,アントニオの危機を救ったポーシャに拍手喝采してハッピーエンド,というふうな終わり方だったので,いたいけな(?)小学生の私は,その勧善懲悪ぶりに素直に感動したのであった・・・・。
そして月日は巡り・・・・(かなり巡ったぞ)その間,キリスト教とユダヤ教の確執や,ユダヤ人への迫害の歴史を知り,自分自身も,さまざまな経験を通して,人生を一面からだけでなく,縦から横から斜めから,はたまた裏返したり,透かしたりして見ることができるようになった今,この映画を観てみると。
なんと,最初の印象とまったく違った物語だった。
これは監督の解釈によるところが大きいのだろうけれど,この映画では,キリスト教徒のユダヤ人への差別や,冷遇の数々もまた,強く浮き彫りにされていた。シャイロックも,単なる強欲な人でなしとは描かれておらず,アル・パチーノの名演により,彼の怒りや悲しみの方に共感できたのだ。
もちろん日頃の侮辱への仕返しとして,法の力を楯に取り,「公衆の面前で平然と相手の肉を切り取る行為」を正しいと言うつもりはないが,シャイロックにとっては,それまでの人生で,キリスト教徒から受けた積年のうらみつらみが,一気に集結したのではないかとも考えられる。
まるで大岡裁きのような,法廷でのポーシャの逆転劇は鮮やかだが,アントニオの命を救っただけで終わればよいものを,今度はポーシャたちの側が,シャイロックに仕返しをしかける。(としか思えない)借金をチャラにさせただけでなく,財産没収までするのは行き過ぎだ。パチーノの演技に惹きつけられて,シャイロックに肩入れしてしまうと,どうしてもみんながよってたかって,彼をハメたように思えてくるから不思議だ。
シャイロックに財産を残す条件として,アントニオが言い出した,キリスト教への改宗も,一見慈悲深い提案のように見えるが,実はユダヤ人にとっては,きっとすごく残酷なことなのだ。ユダヤ教とキリスト教とは,大昔から仇敵なんだから。
泣く泣く条件を呑んだシャイロックが,哀れにもユダヤの教会から閉め出されて,途方に暮れるシーン。・・・ひどいじゃないか!
彼は精神的には殺されたも同じ。改宗したからといって,キリスト教徒が彼を温かく迎え入れるとも思えない。
・・・と,このように,シャイロック以外の人物がみーんな悪役に見えてしまったのには驚いた。・・・・恐るべし,アル・パチーノの名演技!
で,もひとつ「あらら?」と思ったことは・・・。紙芝居を観たときには,純粋に感動したアントニオの犠牲的精神。親友のバッサーニオのために命を担保にするのも厭わないなんて,まるで「走れメロス」の世界。と思っていたが,この映画のアントニオ(ジェレミー・アイアンズ)を観ていると,どーも純粋な友情だけではないよーな。( ̄ー ̄)ニヤリ
バッサーニオ(ジョゼフ・ファインズ)を見つめるアントニオの目がねぇ・・・なんともうるうる切なくて「もーしかしたら,もーしかして?
」なんて思ってたら,特典映像のインタビューで,ジェレミー自身が,「アントニオとバッサーニオとポーシャは三角関係とも言える」なんて おっしゃってた。・・・・やっぱり。
法廷でアントニオが今まさにシャイロックから肉を切り取られようとするとき,「君のために死ぬのは本望だ!
」「アントニオ!君を助けるためなら妻なんか
」と,愁嘆場を繰り広げる二人を,ジトーッとした目(-_-X)で見つめるポーシャ。
彼女は感づいたんじゃないかなあ。
だから,夫の愛を試すために,指輪うんぬんのお芝居を打ってみせ,一件落着の暁には,わざわざアントニオの前で,あらためて夫に愛を誓わせたのかな。
もしそうだとしたら,やはり賢い女性だ。
そんな彼女が,どうしてあんなへなちょこバッサーニオに惹かれたのか,これもまた謎だが,バッサーニオはこれで一生,妻に頭が上がらないだろうな。(ざまーみろ,なんちゃって)
おそらくシェイクスピアは,原作をそんなつもりで書いてはないと思うが,この映画は,私にとっては,リアルな人間ドラマが感じられて,たいそう面白かった。あ,もちろん,美しい衣装や,映像や,弦楽器やリコーダーをふんだんに使った素晴らしい音楽も,堪能いたしましたよ。
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