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  • 自分の中の感情に・・・
    ブロークバックマウンテンの名シーンの数々です。

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2007年8月の記事

2007年8月30日 (木)

猫は邪魔もする

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たとえば,部屋いっぱいの山のような洗濯物をたたんでいるとき。あるいは,お習字で 特に条幅と呼ばれるサイズの半紙を床に広げているとき・・・・・そしてまた,一張羅の和服を慎重にたたもうとしている時・・・。

どこからともなく,アイツがやってくる。

ほら 来た!

そう,アイツだ。呼んだ覚えもないのに邪魔してほしくない時に限って100パーセントの確率で現れる・・・・うちの猫。                               019 なんか文句ある?

そして必ず,広げた洗濯物の上や習字の半紙の上や,はたまた皺にならないように細心の注意をはらってたたみかけた着物の上に,おもむろに座るのだ。何度追い払っても,それをしつこく繰り返す。もはやそれは執念とも呼べるほどの素晴らしいしつこさだ。

おまえ、もしかして
喧嘩売ってんのかああ

怒り狂う飼い主に,
フッと鼻息を吹きかけて横を向く猫

・・・これは,いずれ近いうちに 
はっきりと話をつけねばなるまい。

2007年8月29日 (水)

パフュームある人殺しの物語

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パトリック・ジュースキントの原作は,荒唐無稽,奇想天外,そして前代未聞の物語。しかし他に類をみない魔力でベストセラーになった。スピルバークやスコセッシなどの大物監督が,その映画化権を奪い合い,最終的には「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァ監督が映画化を実現。

18世紀の初頭,パリの悪臭漂う魚市場で,産み落とされた主人公のグルヌイユ。母親は出産後すぐに彼を殺そうとしたところを,彼の産声に告発されて死刑。託児所で育てられた彼は,そんなわけで,生まれつき愛とは無縁の人生を送るよう運命づけられていた。しかし,彼には類い希な才能が備わっていた。それは・・・何キロも先の臭いをも嗅ぎ分けられる 超人的な嗅覚。やがて調香師バルディーニのもとで修行する身となるが,ある夜,パリの街角で出会った,赤毛の少女の香りに取り憑かれてからは・・・・。

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劇場で観て,エンドロール中も場内が水を打ったように静まりかえり,誰も身動きしなかったのが印象に残っている。とにかく鑑賞中は「凄い・・・」と心の中でため息のつきっぱなし。あの破天荒な物語を,こうも見事に,耽美的に映像化してくれて,監督ありがとうという気持ちだった。

「におい」が主役ともいえるこの物語。
映像でにおいを表現するのは至難の技だと思われるのに・・・。嘗めるように対象を凝視するカメラアングル。臭いの快,不快を五感に訴える圧倒的な音楽の数々。それらは,さまざまな香りをみごとに表現していた。

主人公のグルヌイユを演じたベン・ウイショー。その哀切で思い詰めた瞳は,まるで捨て犬のそれのよう。彼は全身全霊で,「どんな心も」演じることのできる稀有な俳優ではないだろうか。

目的のためなら,何のためらいもなく殺人を繰り返すグルヌイユ。彼の罪深さは,決して許されるものではないが,同時に感じたのは,「自らの狂気と才能に操られて生きるしかなかった怪物」の悲劇

ラスト,完成した究極の香水は,どんな邪悪な罪も忘れさせるほどの力をもつと知って戦慄したし,神も仏もない世界だなあ,と嫌気がさしたが,グルヌイユがそれに味を占めて,世界制覇なんかを実行しなかったのでまだ救われた。(もしそうしていたら最悪の物語だ)

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彼は香水の力を目の当たりにしたときに初めて,自分の中にある「愛されたい」という人間らしい心に目覚めたのか。それは,体臭のない彼にとって,香水の力なしでは,到底 叶えることのできない切ない願い。グルヌイユの脳裏に,初めて自分の胸をときめかせた,あの名も知らぬ赤毛の少女の幻影が浮かび,彼の頬を涙がつたう。

グルヌイユが本当に欲していたのは,彼女の「香り」ではなく
彼女の「愛」だったのか。


彼の衝撃的な最後は,
香水といっしょに自滅する道を
選んだように思えてならない。

2007年8月27日 (月)

ハンニバル・ライジング

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「羊たちの沈黙」「レッド・ドラゴン」「ハンニバル」
でおなじみの,トマス・ハリス原作のハンニバル・レクター博士のシリーズ最新作。やっとレンタルで観れた。世間では,いまいちの評判のこの作品だが,人喰いハンニバルの誕生物語であり,ギャスパー・ウリエル(好み)がヤング・ハンニバルを演じるとなれば,スルーするわけにはいくまい・・・。

レクター博士=アンソニー・ホプキンスのイメージが強すぎて,ヴィジュアル的には,彼の若い頃がギャスパーというのは,かなり,どころかほとんど無茶苦茶である。

しかし,物語が進み,彼が殺人に手を染めるあたりから,私はギャスパーの表情や身のこなしに釘付けになってしまった。ギャスパーが犠牲者に語りかける時の口調や,知性と狂気をはらんだ不気味な表情が,ホプキンズが演じた,あのレクター博士を彷彿とさせるのだ。彼はホプキンスとは似ても似つかない顔なのに,その奥から,紛れもなく「レクター博士の精神」が覗いているとでも表現したらいいのか。
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・・・・くわぁっ!


彼の顔は,上半分が端麗なのに,口元がややゆがんでいるので,ニタッと不遜な笑みを浮かべると,まじ怖い。それと,左の頬にくっきりと刻まれたえぐったような傷跡。確かに間違いなく麗人なのだが,なんかすごくワケありの麗人のような,一筋縄ではいかない,独特の魅力をもつ人だ。

レディ・ムラサキ(この名前からして???だが)を演じるコン・リー。この人はまったく年を取らない。・・・うらやましい。日本の女優さんに演じて欲しかったのはやまやまだが,日本の女優さんでは,やはり貫禄不足だろう。敵役のリーダーを演じたリス・エヴァンス。「ノッティング・ヒルの恋人」で,ヒューのおとぼけ同居人スパイクを演じたヒトだよね?・・・・嘘みたい。キャラ違いすぎ。名優だなあ。映像がやけに美しいと思ったら「真珠の耳飾りの少女」(記事はこちら)の監督さんだったのね。Cap028_2
と、この作品,キャストも映像もよかったけれど,肝心のものが描ききれてない気がして ちょっと不満だった。それは
ハンニバルが
なぜ人喰いになったか?
という点。

・・・妹を殺されて食べられちゃったからでしょ?
いや,それで復讐鬼になるのはわかるけど。
復讐鬼は誰もが人喰いになるか?
・・・ならんだろう?

それと知らずに自分も妹を食べてしまったから?

・・・それがトラウマなら,かえって自己嫌悪から,絶対 人喰いにはならないような気もするぞ。むしろ自殺でもする方が自然だ。復讐のあとで。

それより何より,最初に魚屋を日本刀でかっさばくシーンから,彼は「殺人そのもの」を楽しんでいるように見えてしょうがなかったのだが。
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美しく,冷酷に,楽しみながら,
まるで芸術作品を仕上げるように
殺す。
「我,いかにしてレクターになりしか」
・・・って,それは後天的な要因のせいではなく,生まれつきのように見えたけど。もしかしてそうじゃなくて,後天的なものだったとしても,映画を見る限りでは,そうと感じられなかったのが残念。ミーシャの事件がなくても,遅かれ早かれ,ハンニバルは人喰いになってたんじゃないかなあ(乱暴な意見だけど)

苦しみの中で,葛藤して悪魔に変貌してゆく
若きレクターを見たかった。

・・・だってそれこそが,この物語の山場になるべきじゃない?単なる復讐劇なら,他の映画で十分。これは,あの「レクター博士の物語」なのだから心の闇の部分をきっちり描いてほしかった。

いきなり怖くなりすぎ。いきなり強くなりすぎ。やはり,生まれつきの怪物だったのね。まそれはそれでいいんだけどさ・・・。

ギャスパーくんは,今後もいろいろ幅のひろい活躍をしてくれそうで,私にとって目の離せない俳優さんの一人になった。・・・ドラキュラ伯爵とかも似合いそう。(またそっち系かい)
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・・・・キレイよね。

                                        

パッション

Cja13 十字架刑。別名「磔刑」とも言う。世界のいろんな国で,かつて採用(?)されていた処刑法だ。地面に刺した木に十文字に人を縛り付けて刺し殺したり(これは日本にもあったと思う)焼き殺したり。

単なる死刑ではなく,「見せしめ」の意味の強い処刑に使われることが多かったように思う。国家に謀反や一揆を起こした囚人とか。

その中でも,ローマ帝国が異邦人専用に行っていた「十字架刑」の残酷さは,筆舌に尽くせぬすさまじいものであったと聞く。

あまりに残酷なので,ローマの市民権を持つ人間には適用されず,ローマが支配していた外国の犯罪者に対してのみ科せられていた極刑なのである。

十字架刑にかけられた囚人は,エルサレムのゴルゴダの丘まで,群衆の野次やそしりを受けながら,十字架の横木を背負って行かなければならない。処刑現場につくと,両手,両足を釘で打ち付けられて,十字架上に放置される。そして彼らの心臓の鼓動が止まるまで,なんと一日以上かかることもあったのだ

傷の痛みや出血で死ぬのではない。そんなにひと思いに死ねないところが実は十字架刑の最も残酷な点である。自分の体の重みで肺が圧迫され,呼吸困難に陥るので,囚人は想像を絶する傷の痛みに耐えながら,自分で体を引き上げなければならない。その繰り返しが何時間も延々と続くのだ!最後に,弱り切って,もはや体を自力では引き上げることもできなくなって初めて,ようやく死が訪れる。事情があって囚人の死を早めたい時は,囚人のすねの骨を叩き折る。(映画でも両脇の囚人が,されていた。)そうすると,もう体を引き上げられなくなった囚人はすぐ窒息するからである。

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つまり,十字架刑とは,囚人をじわじわと拷問しながら窒息死に追い込む世にもむごたらしい死刑法なのである。

メル・ギブソン監督は,決して大袈裟に描いたのではない。キリストの磔刑とは,まさにあのように残虐きわまるものであり,彼はそれを全く史実に基づいて忠実に再現してみせたのだ。

キリスト教徒になるには,実は難しい教義を理解する必要はなく「自分は罪人で,イエス・キリストがその罪の身代わりになって死んでくださった」ということを信じて受け入れるだけでいい。この点なくしてキリスト教は存在せず,逆に言えば,この点さえ押さえれば救われるとも言える。

だから,イエスの十字架の死(とよみがえり)は,キリスト教の神髄なのだ。メルは一番大切なことを,どうしてもピンポイントで伝えたかったのだろう。

キリスト教の浸透していない日本では,絶対理解されない映画
である。それでも、イエスが苦しみの中で「神よ,彼らをおゆるし下さい。何をしているのかわからないのです。」と祈った台詞に強く心を打たれた人は多かっただろう。

 追記;受難週が近づくと,教会でDVDを上映したりするが,信者でも「辛すぎて二度と見れない」という人もいます。

 

2007年8月25日 (土)

猫は狩りをする

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猫によって専門の獲物は違うようだが・・・猫は狩りをする。
本能の赴くままに。うちの猫も例外ではない。うちの猫が捕ってくるのは,もっぱらすずめだ。

なんでうちの猫のようなどんくさいコが,あのような素早い生き物をしとめることができるのか・・・・?飼い主にとっては永遠の謎である。捕っているところを見たわけではないので,落ちているのを拾ってくるのではないだろうか。(落ちてないか,そんなもん)

あれは忘れもしない10年前の昼下がり。機嫌良くお昼寝をしていた私のもとへ猫は初めての獲物をもって見せにきた。すずめをくわえてやってきたはいいものの,飼い主はお昼寝中で気づいてくれない。業を煮やした猫は 「にゃー」と一声。口を開けたとたんにすずめに逃げられた。

・・・また別のある日のこと。003 うちの猫はどこからか,子すずめを捕ってきた。さすがに今回は飼い主に見せずに食べたらしい。(前回の苦い経験から学んだのね)

翌日。猫が家から外に出る度に,屋根の上に止まっていたすずめたちが,何といっせいに騒がしく鳴き始めたのだ。そのうるさいこと,うるさいこと!まるで

「あいつだ!あいつだぁ!」と告発しているように聞こえた。(子すずめを食べたのがバレてる・・・?)

・・・・真剣に聞き耳ずきんが欲しいと思ったね。

それからうちの猫は3日間,家を一歩も出なかった。これ,ホント。

ブロークバックマウンテン(5)

彼らの愛を阻むもの
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前回は,ジャックとイニスが「ソウルメイト」だったことについて書いたけれど。この二人についてあらためて思い返してみると,相思相愛で,肉体的なつながりもあったくせに,彼らは実に20年もの間 本当の意味では,「互いに胸のうちをさらけ出せなかった」 恋人たちだったことに気がついた。

あの最後の逢瀬でのいさかい。
もしかしたら あの時はじめて二人が,というよりジャックが,長い間胸の中に溜めていた本音を,やっと吐き出せたのだろう。「一度しか言わないからよく聞け 」ジャックの口から絞り出される血を吐くような叫び。

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お前はわかっちゃいない。俺がどんなに辛いか。
お前が拒んだから,
俺たちにはブロークバックマウンテンしかない。

・・・冬に間欠泉から噴出する蒸気が巨大な雲を作るように,この歳月の間に言わずにいて,今も口に出せないことが,二人の周囲にもくもくとわき上がった。告白すること,態度をはっきりさせること,いたたまれない気持ち,罪悪感,恐怖。 (原作より)

このシーンは何度観ても,胸がつぶれる思いがする。愛し合う者どうしの本能で,多くを語り合わなくても,彼らは相手を理解していたかもしれない。そして自分にはない相手の個性を,互いに慈しみ,慕っていただろう。

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しかしそれでも,男どうしが愛し合うことに関して彼らがそれぞれに抱いていた価値観は,最初から大きくずれていて,その温度差はジャックがこの世を去るまで,縮まることはなかったのだ。

荒々しいのに繊細で,歯がゆくなるくらい臆病で,無愛想なくせに,芯にあたたかさを秘めていて,時には,驚くほど激しく感情を爆発させる自己矛盾の固まりのようなイニス。愛するということがどんなものか,それまで考えたこともなかったイニス。

そんなイニスが,生まれて初めてジャックを愛した時,自分がどのような感情に襲われ,どのような行動をとってしまうか,イニス本人にもきっと予測がつかなかっただろう。刷り込まれたホモフォビアの考えと,どうしようもなくジャックを求める気持ちに哀れにも 引き裂かれつづけた心。

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それに対して,イニスに比べると,その時代には珍しく,自分の気持ちに正直に生きたいという望みをもっていたジャック。彼の中にももちろん,本能的な保身の考えはあって,アギーレの発覚を知ったときは,彼なりにおびえただろうし,世間の目をくらますための結婚も,あっさりやってのけたけれど,イニスの決心さえつけばいつだって,全てを捨てて彼と生きる覚悟を決めていたはずだ。

だからこそ,彼はイニスの離婚の知らせを聞いて,まるで飛び立つ鳥のように喜び勇んで駆けつけたのだ。このときのすれ違いはほんとうに痛々しい。通り過ぎる車の影にもおびえるイニスを見て,ジャックはこの時,イニスが抱えているトラウマの大きさを思い知らされ,自分の夢がこの先も実現しそうもないという予感に絶望する。

この二人の間に20年間立ちはだかり続けたのは,同性愛を断罪する狭量な社会だけではないのだろう。ジャックとイニスを隔てるものは,彼らの外だけに存在したのではなく,彼ら自身の心の中にも存在したのだ。
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彼ら二人の,価値観の決定的な違い


それは,互いににうすうす気づいていながらも,あえて議論することを避け,できるだけ目をそらしてきた,愛し合うことへの罪の意識の違い。

イニスへの愛を苦しみつつも肯定していたジャックと,ジャックへの愛を自分の中で認めることができなかったイニス。二人にとって一緒に生きることがどれほど必要で大切であるかちゃんとわかっていたジャックと,ジャックを愛しながらもそんな自分を負け犬であると自己嫌悪にさいなまれていたイニス。

自分が何を本当に求めているか 何が一番必要なものなのかイニスが長い間見失っていたものの重さと,見失わせる原因となったものについて繰り返し 繰り返し 考えずにはいられない。 

 

2007年8月23日 (木)

ブラッド・ダイヤモンド

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また一つ,アフリカ大陸の底知れぬ暗黒面と,人間の醜さを見せつけられた作品。ホテル・ルワンダナイロビの蜂記事はこちら)を観た後に感じたのと同じやり場のない怒りと,己の無力感に打ちのめされる。
ほんとうに,こんなことが,
今現在も起こっているのだろうか?

シエラレオネの内戦は,そこに住んでいた人々の生活を根こそぎ破壊し,過酷きわまりない強制労働へと駆り立てる。武器を調達する資金としてダイヤモンドを採掘するために。

親元からさらわれ,洗脳されて,兵士へと教育される子供たち。かけがえのない家族の絆,人間としての尊厳や,自由。それらの大切なものが容赦なく奪われて,心さえも凍りつかせていく現実に戦慄した。

紛争ダイヤモンドと呼ばれるものの,ここまで血塗られた背景を,「知らなかった」ではすまされない。そしていったん知ったならば,決して忘れることができないほどの,重すぎる現実を,この映画は私たちにつきつけてくる。

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人の命がこんなにも
軽々しく扱われていいはずがない

観ている間じゅう,心の中で叫んでいた。

ディカプリオが演じた密売人のダニーは血も涙もない,野獣のような男。自分が生き残るためなら,そして目的のものを手に入れるためならどんな手段も辞さない,徹底したエゴイスト。スクリーンに登場した時から,彼の眼の奥に宿る氷のように冷酷で,稲妻のようにひらめく凶暴な光に,しばし我が眼を疑った。こんなディカプリオ,見たことない・・・。圧倒される。彼が演じたダニーは,まさしくそれまでは「悪人」だった。しかし・・・。

物語がピンクダイヤを巡って怒濤のように動き出した時から,彼の心の奥で,次第に何かが変わってゆく。彼に影響を与えたのはジャーナリストのマディーと息子を取り戻す闘いに挑む,父親ソロモンだった。

最初は二人を利用して,ダイヤを横取りすることしか念頭になかったダニー。過酷な生い立ちゆえに,とうに失っていた人間らしい心。しかし,彼らの真摯で勇気ある行動や考え方に触れるうちに,ダニーの顔には,時に傷ついた子供のような表情が浮かぶようになる。「善人かどうかは,その人のした行動で決まる」たどりついた孤児たちの学校の校長先生の言った言葉。

物語が佳境に入り,ダイヤを追うものと追われるものとの攻防戦が白熱してくると,ダニーの鋭い眼には,突如として気弱そうな色が浮かんだかと思うと,次の瞬間には再び凶暴な光に逆戻りしたりして,彼の心の中では,善と悪が激しく葛藤しているかのようだった。

そして,最後にダニーは,自らを犠牲にしてソロモン親子を助け,善人として」生を終える道を選び取る。敵に囲まれた山頂で,雄大なアフリカの景色を眼にしながら,死を前にしてマディーに電話するダニーの表情は,これまで見たことがないほど,清々しく,満ち足りていたように思えた。

目を覆いたくなるような現実の世界の中で,それでも人間の愛や勇気や良心は,人の心を動かし,たとえわずかでも,光を見いだす力となれるのだ。

この映画をみてよかったと,つくづく思う。これは単なるエンタメ作品じゃない。知られざるアフリカ大陸の惨状を世界に発信すると同時に,そんな中でも全力を振り絞り,なおも人間らしく生きようと闘っている人々の,魂の叫びをも感じさせてくれた作品である。

ディカプリオもまた,単なるアイドル俳優じゃない。
アカデミー賞候補も納得の見事な演技だった。

 

 

 

ブエノスアイレス

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トニー・レオンとレスリー・チャンが,祖国香港のちょうど裏側の,南米の街ブエノスアイレスで紡ぐ愛と喪失の物語。と書くと聞こえはいいが,ひとことで言うと,これはゲイのカップルの痴話喧嘩と腐れ縁のお話。(と書くと,これまた恐ろしくミもフタもないが・・・。)

しかし,公開当時,多くの人を衝撃とともに圧倒的に魅了し,カンヌ映画祭でも「最も愛され,最も熱狂を集めた」映画として,ウォン・カーウァイは最優秀監督賞を受賞した。そして私も,この映画の持つ不思議な魅力に,なぜか取り憑かれてしまった一人である。

クリストファー・ドイルの,まるで異次元世界のような,めくるめく映像マジック。ピアソラやザッパの異国情緒あふれる情熱的な音楽。そして トニーとレスリーの持つ,はかり知れない魅力。

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主人公の青年ファイ(トニー)は,口数すくなく,誠実な男性。恋人のウィンと暮らすためには,親元からお金を持ち出しさえしたのに,自由奔放でわがままなウィンに,いつも振り回されている損な役まわりだ。

トニー・レオンは本当にどの映画でも,輝きを放つ俳優さんだけど,ウォン・カーウァイ監督の作品の彼は,切なくなるくらいセクシーだ。彼ほど,可哀想な役が似合う俳優はいない。眉間に皺をよせた困惑顔や,苦渋にみちた表情が なぜかとても様になる。
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対する恋人役のウィン(レスリー)
猫のようにしなやかな身ごなし。駄々っ子のような我が儘と,倦怠感ただようエロス。それらは抗いがたい魅力となって,ファイを惹きつける。身勝手で好き放題のことをしても,傷つき,疲れ果てた時は必ずファイのもとへ帰ってくるウィン。過去の裏切りやいさかいは,すべてウィンの「やり直そう」という一言でチャラにされる。

同じ事の繰り返しとわかってはいても,ファイはいつしかウィンのペースにまきこまれ,かいがいしくウィンの世話を焼き,彼を独占できる喜びをひそかに噛みしめてしまう。


この映画のレスリー・チャンの美しいこと。はかなくて,もろくて,繊細で,危うくて。そして,その中にかすかに混じる酷薄さや,メランコリーな雰囲気

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この役は,レスリーが演じたからこそ,あれほどのオーラを放つことができたと思う。どんなに振り回されても,傷つけられても,愛さずにはいられない魅力的なキャラを,レスリーは,まるで素のままで演じているように見えた。

そして,限りない包容力と保護欲に溢れたファイ。再びウィンが自分のもとに帰ってきてくれてからは,それまでのモノクロ映像が,まるでファイの心を現しているかのように,にわかに暖かく色づいてくる。・・・だけど。

一緒にいるときも 絶えずウィンの心変わりを恐れ,「また出て行ってしまうのではないか」と危惧するファイ。相手を独占できずに苛立つファイと 束縛を何よりも嫌う奔放なウィンは結局 いつものような口論と激しい諍いへとたどり着く。

「出て行け」「出て行くさ」・・・その繰り返し。愛し合っているのに傷つけ合わずにはおれない恋人同士。
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・・・別に二人をゲイに設定する必要は,あまり感じないけど,この映画の魅力は,この二人が醸し出すケミストリーに負うところも大きいから,やはりトニーとレスリーのカップルでなくてはいけなかったのだろう。

ピアソラの哀切で情熱的なタンゴの調べ。
二人が抱き合ってしなやかに踊るシーンが瞼に焼き付いている。「ブエノスアイレス摂氏零度」の中に,タンゴの練習風景が収録されていたが,慣れないダンスを習得するのに,やや必死な感のあるトニーに比べて,レスリーは練習の時も余裕たっぷりに,トニーをリードしていた。そのすっと伸びた背筋の美しさと艶めかしさに息を飲んだ。

そして物語は進んでゆくのだが,常に満たされることのない渇きを抱えて,出会いと別れを繰り返すたびに,彼らは至福と痛みをかわるがわる味わうことになる。
どちらが先に見切りをつけるか・・・。

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やはり,そうしなければいけないのは,ファイの方だった。どんなに愛していても このままでは自分の心が,いつかずたずたにされてしまう・・・。心のどこかではわかっていたのだ。ただ,目を背けて,見ないようにしてきただけ・・・。

最後にようやくファイはウィンと別れる決心をつけて,一人故郷へと向かう。アパートの部屋に一人残されたウィンが かつては「束縛の証」として,諍いのもとになった大量の煙草のパッケージをファイがやってくれたように 並べるシーンがいじらしい。毛布を顔に押し当てファイを思って全身で切なく慟哭する姿は,あまりにも哀しい。たとえ自業自得とわかっていても。

どんなに愚かしいものだろうと,不毛なものだろうと,
やはり愛は愛なのだ。

愛がそこに存在する限り,人は支配され,引きずられるものなのだろう。ラストにウィンがむせび泣く姿は,その数年後に自ら命を絶った 俳優レスリーの哀しみと,どうしても重なって見えてしまう。
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混沌としたブエノスアイレスの けだるい夜の街を,レスリーが今も恋人を待ちながら 独りぼっちでさまよっている。・・・・そんな気がしてならない時がある。

2007年8月21日 (火)

猫のダイエット

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見よ!この腹!決して妊娠しているわけではありません。ななちゃん,食べ過ぎとお昼寝のしすぎで,立派なメタボ症候群です。なんとかダイエットさせたいんですが・・・・。いい方法ないですよね。

その1 食事療法
ダイエット用のえさを試してみました。味が薄いのが気に入らず,一日中「違うのをくれ~!」と鳴きっぱなし。根負けした飼い主はあっさり断念。庭に廃棄したダイエットフードは,痩せる必要のないスリムな野良猫が喜んで食べてくれました。(涙)

その2 運動   
おもちゃでじゃらしてみたり,追っかけてみたりしました。子猫の頃はそれなりに機敏に反応したのですが。今じゃ身が重くなって面倒くさいのか,下半身は文鎮のように固定したまま,前足だけでじゃれようとする始末。あまりのバカバカしさにこれも断念。

要は本人(本猫?)に全くやる気がないのが問題かと。猫のブートキャンプ,どこかでやってませんかね?

                

2007年8月20日 (月)

プルートで朝食を

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前々からレビューを書きたかった,大,大好きな作品。だけど,素晴らしすぎて,かえって考えがまとまらず,なかなか書き始めることができなかった。

この映画って一見,あまーい砂糖菓子のような,ラブリーでキュートな雰囲気満載なのだけどアイルランドが舞台の物語らしく,実はシリアスで,ずしんと重いテーマも描かれていてそれらの相反する要素の混ざり具合が,なんとも絶妙なさじ加減。主人公のキトゥンと一緒に泣いたり,笑ったり,怒ったり,はらはらしたり,切なくなったり,ほのぼのとした幸せを感じたりしながら,観終わった後は,なんとも爽やかで優しい気持ちになれる・・・。そんな映画だった。

キリアン・マーフィ演じた,主人公のキトゥン。どんな逆境や試練にもめげることなく,いつだって飄々と明るく可愛く,前向きに生きていくトランスジェンダーの青年。しかし,彼の生い立ちや,試練の数々をじっくり立ち止まって考えると,決して笑ってやり過ごせるようなものではなく,むしろ過酷とも呼べるような人生なのだ。

生まれ落ちてすぐに母に捨てられ,女装の趣味を養子先の家族から「化け物」とののしられ自分を捨てた母を探す旅に出るキトゥン。自分を愛し,受け入れてくれる相手を常に求めながら愛され、裏切られ,利用され,命を脅かすほどの危険にも巻き込まれる。トランスジェンダーに対する根強い偏見やIRAの紛争による親友の死,テロリストのぬれぎぬを着せられての投獄。
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普通ならまいってしまうような人生の旅路なのに,キトゥンの強さと明るさは,いったいどこからくるのだろう。笑顔の下に涙を隠して,流れる水のように柔軟に,運命に逆らうこともなく,風に吹かれる葦のようにしなやかに,嵐の中で倒されてはしても,決して折れることはない。こんな苦難の切り抜け方もあるのなだと思った。

誰を責めることもなく,運命を呪うこともなく,どうしても辛いときは「・・・人生なんて 物語だと思わなければ辛すぎるわ」とそっとつぶやくキトゥン。

母親探しの旅は,自分の居場所を探す旅でもあったのか。ありのままの自分を受け入れ,愛してくれる母を探すことは,彼にとって「愛を探す旅」だったのかもしれない。

キトゥンのもとに勇を鼓して訪ねてきた父が言った台詞。「・・・(お前を)愛していたのに伝えることができなかった」「どうして?とても簡単なことなのに。」震えるキトゥンの声からは,彼がどれほど愛に飢えていたかが伝わってきた。

母の元にはたどり着けなかったけれど,代わりに父を取り戻したキトゥン。人生の荒波を,彼流のやり方でくぐりぬけていくたびに,どんどん洗練され美しくなっていく。周囲の人々にまで光を分け与えながら。

2339420519 それにしても,キリアン・マーフィの俳優としての実力はただ者ではない。彼のキトゥンとしての仕草,声音,まなざしすべてに,えもいわれぬ魅力が詰まっていた。
後に「麦の穂をゆらす風」のキリアンを観て,またその変幻自在ぶりに舌を巻いた。

2007年8月18日 (土)

ブロークバックマウンテン(4)

出逢ってしまったソウルメイトの物語
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「ヘドウィク・アンド・アグリーインチ」
という映画の中で,主人公の青年が歌っていた歌の歌詞が,今も頭に残っている。(うろ覚えだけど)それは,引き裂かれた「半身」についての詩だった。(曲名は忘れた)

遙か昔,もともと二人で一体だった人間たちが,
神の怒りの稲妻で,それぞれ二つに引き裂かれた。
それ以来,人間たちは,失われた片割れを探し続け
その旅路が「愛」と呼ばれるものである。

・・・こんな内容だったと思う。

ならばもし,一体だった時の二人が,同性どうしだったなら,やはり同性しか愛せない人生を送るのかもしれない。そして出逢いを果たした半身たちが愛し合う時,二人は遠い昔に失った完璧な一体感を,再び取り戻すことができるのだろう。そんなことを思いながら,この歌を聴いた。
Cap034
しかし,人がその人生で,喪われた半身と出逢える確率って,実際はとても低いように思える。おそらく,大勢の人が,「運命的な半身」に出逢うことなく一生を過ごし,そこそこ愛する相手と結ばれて,それでも互いに満足して,幸せで平穏な人生を送るのではないだろうか。

運良く出逢うことができ,しかもその相手が異性であって,おまけに出逢ったときはお互い独身どうしで,みんなから祝福されて結ばれる恋人たちって,稀有であり,この上なく幸せなケースなのだろう。
Cap165
そしてイニスとジャック。
二人の運命的な絆を思うとき,これこそ,「出逢ってしまった半身(ソウルメイト)の物語」なんだろうな、と思った。

ただし,決して結ばれることは叶わないのに,出逢ってしまったソウルメイトの物語だ。この苦しさは,耐えられないだろうな,と思う。なぜなら,自分にとって唯一無二の相手が存在することをいったん知ってしまったら,他の誰かで満足することは,到底できないだろうから。

二人とも互いの肉体だけでなく,存在全てを愛し,求め合っていたんだろう。自分の意思ではどうすることもできないほど,制御不能な力に引きずられて。ちょうど磁石の対極が引き合うのを止めることができないように。そういえばイニスを演じたヒースが,インタビューで「これは出逢ってしまった魂の物語だ」と語っていた。納得。
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しかし,二人は確かにソウルメイトだとは思うけれど,その割に以心伝心が苦手なシーンも結構あったのが不思議だった。まあイニスは,どんな場合も,相手の言葉に適切なコメントを返すようなキャラではなかったが・・・。それでも,結構重要な場面で,(たとえばイニスの離婚の意味をジャックが早合点とか,関係がばれたかと心配するイニスに対するジャックのお気楽発言とか)二人の心は何度もすれ違っていたように思う。

たぶんこれは,二人の持っていたそれぞれの価値観(特に同性愛についての)の違いが原因ではないかと思う。出逢ったときから,ジャックの死に至るまで,この点に関して二人の温度差は縮まることがなかったように思える。
・・・・そのことについてはまた次回に書きたい。

2007年8月17日 (金)

善き人のためのソナタ

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張りつめた糸のような,緊張感を全編に漂わせながらも,ひそやかな静けさが満ちている物語だった。物語の背景は暗く,重く,絶望的で,暴力的でさえあるのに,決してそれを声高に主張することなく,淡々と進んでゆくストーリーをたどってゆくと・・・・・。

ラストシーンで,思いがけなく,
ふいに涙が溢れた。


エンドロールの間中,絶え間なく涙がこみあげてきて,止まらなかった。物語の舞台は,ベルリンの壁の崩壊前夜の1984年の東ドイツ。今からわずか20年ほど前の出来事なのに,とてもそうは見えなかった。

知らなかった。社会主義の国家で生きる,ということが,こんなにも殺伐で暗澹とした生活を強いられるものだったとは。国家保安省シュタージは,個人の生活をガラス張りにし,反体制であると目をつけられたら最後,プライバシーは微塵も存在しなくなる。常に監視と脅迫まがいの牽制にさらされる生活。人々は常に国家の思惑を伺って,息をひそめて生きるしかない。ちょうどそのころ,バブル絶頂期で浮かれていた私たちには,想像を絶する世界だ。
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主人公はそんなシュタージの高官であるヴィースラー。人生の多くを,国家に捧げて来た寡黙で孤独な男である。冒頭,彼が尋問の心得を後輩に講義するシーンからは,何ものにも揺るがされない,シュタージとしてのプロ意識と,冷徹さが感じ取れた。だのに・・・。

彼の心の中で,何かが少しずつ変わり始めた
のは ,劇作家のドライマンの私生活を盗聴する任務についてからだった。芸術家たちにとって,半分死んでいるも同然の状態を強いる国家体制の中で,それでも懸命に誠実に生きようとするドライマン。彼と同棲している美しい女優のクリスタ

ある晩,盗聴器から流れてきたのは,ドライマンの奏でる美しいピアノの調べだった。体制の圧力に屈して自殺した友イェルスカが,ドライマンに残した「善き人のためのソナタ」・・・・じっと聞き入るヴィースラーの頬に,やがて一筋の涙が伝う・・・。

そして彼はその後,冷徹なシュタージの任務を無感情に遂行することができなくなる。彼の取った言動は,結果としてドライマンの命を救うが,自らは左遷され,屈辱的な閑職へと追いやられてしまう。
23sonata01_2 劇中に流れたソナタは,ほんの短いフレーズだけで,ヴィースラーの心情の変化も,時間をかけて描かれていないため,彼の感動や涙が唐突に感じられ,その理由もわかりにくいかもしれない。しかし,監督はあえて,時間をかけた過剰な説明的な演出を避けたように思う。

観客が想像するしかないのだろう。このときの彼の心境。そして私はじっくりと考えれば考えるほど,切なさが増してきて困った。
あの曲を聴いた時に彼に訪れた感動は,
決して彼にとって,唐突なものではなかったと思うから。


ドライマン監視の任務についてから,彼が目にしたり耳にしたりした,様々なこと。それは,氷のような国家体制の中で,彼を初めとする大多数の人々が失ってしまったもの。愛し合い信頼できることの喜び,自由へのあこがれ,そして良心の大切さ。それらが,彼の心の一番奥深いところを,日ごとにそっと揺り動かし続けていたのではないか。彼自身も気がつかないほどそっと密やかに。そして,あの曲を聴いたときに,封印していた心が一気に堰を切って溢れだしたのではないか。

ヴィースラーはいったいそれまでどんな人生を辿ってきたのだろう。友も,家族もいない人生。国家体制の僕として,彼はどんな感情を封印して生きてきたのだろうか。映画では何も語られていないが,曲を聴いて涙する彼の姿に,それまでの彼の人生の語られなかった哀しみの大きさ見たような気がした。

この物語でもう一つ感動したことは,ヴィースラーがドライマンの命を救った後の彼の生き方と,後に真実を知ったドライマンがヴィースラーに伝えた感謝のかたち。

ヴィースラーは,共産主義が崩壊した後,ドライマンに命の恩人として名乗りをあげ,見返りを期待するようなことはしなかった。彼のそれまでの性格や行動パターンからしても,そんなことはできない人柄だったとは思うけど,彼の場合は,「彼を救ったのはこの私」という自意識すらなかったのではないか。いやむしろ,ドライマンのおかげで,密かに人間性を取り戻せたことを思うと,「恩を売る」なんて到底なれなかったのかもしれない。

ドライマンもまた。
せっかく命の恩人が誰かを突き止めたのに,落ちぶれたヴィースラーの姿を物陰から見守るだけで,声をかけることはできない。ヴィースラーの姿から発せられる「何か」が彼をためらわせたのかもしれない。その代わりに,ドライマンは,「善き人のためのソナタ」という本を,ヴィースラーのために書く。見開きには彼にしか分からない感謝の言葉を記し,いつの日かヴィースラーその人が手に取ってくれることを祈りながら。

見返りを求めない善き行いと,
祈りにも似た感謝のかたち

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どんなときも感情を表に出さないヴィースラーが,ドライマンの感謝を受け取ったとき,「これは私の本だ」と一瞬輝くような笑みを見せる。イントロのように静かに,あの「ソナタ」が蘇り,ここでも監督は多くを語りすぎずに,さっとカメラは動きを止めた。その余韻の持たせ方がすばらしかったと思う。

猫の気持ち

猫を飼っておられる方ならおわかりでしょうが,猫って,頑固ですよ ねー?こだわり。偏食。しつこい。気まま。

まあ,もともと人間の言うことを聞くつもりで彼らは同居しているんじゃないから,仕方ないかも。「一緒に暮らしてあげる」くらいにしか思ってないんじゃないかと。

うちの024_3猫も,なかなか勝手なコです。朝から晩まで,家族をこき使います。やれ,戸を開けろ(自分で開けれるのに)だの,えさを補給しておけ(入れたのを確認するだけですぐ食べない)だの,暑いの寒いのとうるさいこと。私は勤めに行っているので,親が昼間は猫に仕えています。

猫も年取ってきたら,こらえ性がなくなるんでしょうかね?若いころより(猫がね)よく怒るようになりました。すぐに要求をきいてくれないと,怒る、怒る。相手をしてくれないとまた怒る。家人の長電話は特に嫌います。横でニャーニャー悪態らしきものをついています。
「何て言ってるのか猫語がわかるといいねぇ。」と母。
「知らない方が腹がたたなくていいのでは?」と私。

・・・・そんな勝手な猫ですが「その勝手なところがまた可愛い」と思えるのが,猫好きの因果なところなんですよねえ。男女の間でも,つれない相手にたまに優しくされると嬉しいもんですし・・・。って、ちょっと違う?

    

    

2007年8月16日 (木)

ブロークバックマウンテン(3)

原作者アニー・プルーの訴えたかったこと
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映画の原作者の
アニー・プルーが,この物語を書いたきっかけ。

それは,とあるバーで,一人の老いたカウボーイが,見知らぬ若いカウボーイを,過ぎ去った切ない憧憬の思いをこめて見つめていたのを目にしてからだという。いろいろと調査してみると,ワイオミングには,結婚せず,一人で孤独に牧場を経営している老いたカウボーイがたくさんいて,彼らは一様にして口数が少なく,一種の非常に静かな諦念とも言うべきものをたたえていた。そしてまた,プルーは言う。「ワイオミングは,年老いた独身のカウボーイの自殺者がとても多い州でもある。」と。

プルーがバーで見かけたあの「老いたカウボーイ」が,青春時代を生きた1960年代のワイオミングは,今よりも,もっともっとすさまじいゲイ・バッシングの嵐が吹き荒れていただろう。プルーは「あの時代の激しいゲイ・バッシングのために,愛し合いながらも,結局何事もなしえることができなかった男たちについて書きたかった」と言ったそうである。

多くのカウボーイに「これは自分たちの物語だ」と言わしめた,ブロークバックマウンテン。単なるラブストーリーではなく,非常に重い,社会的なメッセージが内包された物語なのかもしれない。
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ワイオミングには,60年代に,イニスとジャックのように,愛し合いながらも,共に生きることを諦めざるを得なかった哀しい恋人たちがどれほどいたことだろうか。荒涼とした僻地のワイオミングで,ただそこに生まれ育ったというだけで,土地の風土や価値観に一生縛られ,逃げ出すことも,開き直って生きることもできなかった男たち。彼らは,今現在も,叶えられることがなかった夢と,選び取ることができなかった人生を,どんな想いで振り返っていることだろうか。

人は誰でも,
本来の自分らしく生きてゆく権利があるはず。


誰を愛するか
という問題で,他人を裁く権利は,人間にはないのではないか。「自分たちと異なる」ものを排除しないと気がすまない人間の愚かさは,どうしようもないものなのか。・・・そう考えてみると,センチメンタリズムに浸ってばかりはいられない,やりきれない怒りと哀しみをあらためて感じてしまった。

  

2007年8月15日 (水)

ゾディアック

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1968年からほぼ10年にわたって,アメリカ全土を震撼させた,劇場型連続殺人犯ゾディアック。これは,未だに解決していないこの事件の映画化である。

監督はデビッド・フィンチャー。
連続殺人をテーマにしたときくと,あの「セブン」のような作品を期待してしまうが,これはまったくテイストが違った。セブンはフィクションであるから,犯人もその目的も明かされるが,これは現実の未解決事件。ラストまで犯人はわからないまま物語は幕を閉じる。だから,どうしても消化不良の感がぬぐえない。韓国映画の傑作「殺人の追憶」を思い出した。

しかし,この映画は,その「消化不良の居心地の悪さと,不気味さ」を,あえて観客に感じさせるように作られた映画かもしれない。観客を2時間半も謎解きに引っ張り回したあげくに,一番怪しいと思われる人物もDNA鑑定の結果,証拠不十分だと判断されて,ジ・エンドである。
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そこには,何のカタルシスも爽快感もない
このような殺人を犯すことに快楽を覚えるような人間の素顔を,誰も暴くことができなかったという事実だけが,観賞後にじわじわと静かな恐怖となって心に沁みてきた。

BBMを観てからファンになったジェイク・ジレンホールが主役をすると聞いたとき,早合点な私は,てっきり犯人役をするのだと思っていた時がある。(まさかね~)

ドニー・ダーコグッドガールで,たしかに,ちょっとサイコっぽくも見える役を,見事に演じたこともあるジェイクだが,さすがに連続殺人犯はヤだなと心配していたが,蓋を開けてみると,犯人をまるで憑かれたように追い続ける究極のオタク男の役だった。(ほっ( ̄◆ ̄;) 彼は思い詰めたような,一途な役がやはりよく似合う。

彼が演じたロバート・グレイスミスは,事件にのめり込むあまり,妻に愛想をつかされてしまうが,シングルファーザーの時の息子に対する優しさや,かつての戦友とも言える記者(ロバート・ダウニー・Jr)に対する心遣いなどを観る限りでは,思いやりのある温かい人柄だったとも思う。しかし,ゾディアックの件となると人が違ったようになり,周りが見えなくなるほど のめり込んでしまう様子は,家族としては実に迷惑だろうなあと思った。
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この作品は,サスペンスというより,ヒューマンドラマに近い。謎解きがテーマの作品ではないと思う。姿の見えない殺人犯と,彼に取り憑かれて共に人生を狂わせていった男たちを通して,人間の心の闇や,連鎖していく負のパワーをを描いているのではないだろうか。とても重厚で,ダークな作品である。

バベル

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始まってすぐ,先の全く読めない展開に,息を詰めて画面を見続けた。ラストまでずっと。物語は,モロッコ,メキシコ,日本と,交互に切り替わる。その中で,登場する人物たちが,皆,それぞれに,問題や悲しみを抱えていて,「今に何か悪いことがおこる」という予感がして目が離せない。

旧約聖書に登場するバベルの塔は,もともと人間たちが「神よりも偉いことの証明として」天にも届けとばかりに,作り始めたものだ。しかし,神は人間の傲慢さを懲らしめるために,彼らの言葉を混乱させ,作業中止に追い込んだ。互いにコミュニケーションが取れなくなった人間たちは,世界の各地に散っていった。つまり,バベルという言葉の持つ意味は,「意思の疎通」の他にも「人間の傲慢さ」や「愚かさ」もあるのだと思う。

銃の腕比べから意地をはり,バスを狙撃するという暴挙に出てしまったモロッコの兄弟。息子の婚礼に出席したいばかりに,預かっていた子供を異国まで連れていったアメリア。彼らは悪人ではなく,ごくふつうの善良な人たちに違いないのに,ほんのちょっとした愚かさが,兄の死や,祖国への強制送還という,悲惨な結果を招くことになる。
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意思の疎通というのも,時には人を痛めつける凶器になる。アメリカ人の妻を演じたケイト と,夫を演じたブラピに襲いかかった災難は,言葉も通じない異国での出来事だったゆえ,何十倍も耐え難く感じられたに違いない。日本での物語に登場した,聴覚障害を持つチエコの悲しみは,母を喪ってから,孤独を誰にも伝えることができなかったからだろう。

三つの物語のつながりには,多少無理も感じたけれど,人間の弱さや,愚かさが哀しいくらい深く描かれていたように感じた。そして,それだからこそ,人は互いに心を通わさなければいけないというメッセージをも感じた。たとえ同じ言葉が使えなくても,心が通じ合うこともある。そして,伝え続ける努力をしなければ,何も始まらないのだろう。
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最後にひとこと。日本の描写,特に聴覚障害をもった若者たちの描写は,やはり行き過ぎに感じた。それだけが,残念。

2007年8月13日 (月)

ブロークバックマウンテン(2)

あの山へと向かう想い
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確かにこれは同性愛,ゲイのお話。でも,イニスとジャックが20年もの長きに渡って,2000キロもの距離をものともせず,命の危険さえ顧みずに互いを思い続けたことを考えると,愛というものの持つ不可解で絶対的な力に,一種の畏れを感じずにはおれない。

いったい二人はどうすればよかったのか。

いろいろ 考えてみても,この世ではやはり解決策はなかったと思う。逢えない辛さに疲れきって,道ばたで一人孤独に息を引き取ったジャック。ジャック亡き後,彼のシャツを抱きしめて初めて愛に気づくイニス。彼らのたどった運命が可哀想すぎて,私の思いはいつも,二人が最も幸せだった,あのブロークバックマウンテンへと帰って行く。

あのまま,二人が山を降りずにすんだなら,
どんなに良かったかと・・・・・。

考えてもしかたないことを繰り返し思ってしまうのだ。

寡黙な中にも,ジャックへの不器用で激しい愛を体現してみせたヒース・レジャーの演技は見事。ジェイク・ジレンホールの演じたジャックの繊細な愛情深さもまた,心に焼き付いて離れない。

彼ら二人の若手演技派俳優の醸し出す奇跡のケミストリー。かわす台詞やまなざし,仕草の一つ一つが,決して大げさではないけれども、二人が互いをどれほど「好き」か美しく,重く,観るものの心に訴えかけてくる。

Brokeback_0413_3絶望的で,残酷で救いのない愛の物語なのだけど,なにか途方もなく「美しいもの」を見せられた気持ちになってしまった。

イニスの,そしてジャックのそれぞれの喜びと悲しみ。それはどちらも最大級で,純粋なもののように私には思える。そしてそれが誰もが持っている心の一番奥深いところにある琴線に触れるから,深く切ない共感を呼び起こすのだと思う。

ショーシャンクの空に

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この映画の中の,アンディ・デュフレーンの人柄に魅せられた。

彼のおだやかなたたずまいの中に 秘められた思慮深さ。決してあきらめない不撓不屈の精神。緻密な計画を実行するだけの,知性と胆力。人間も,法律も,神も,彼を閉じこめている地獄から決して救い出してはくれなかったから,彼は自分でそれをやり遂げたのだ

気の遠くなるような歳月を,屈辱と暴力と絶望の中で過ごして,ふつうならとっくにあきらめてしまっている。しかし,彼のたぐいまれな資質は,こんな風にすさまじい逆境の中でこそ,フルに発揮される機会を得たのだろう。平凡な銀行員として一生を終えていたら,誰も彼のすごさに気がつかなかったかもしれない。そう,アンディ自身さえも。
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「静かな淵は深い・・・」

アンディのためにあるような言葉だ。

アンディが刑務所で過ごした歳月の間に,彼が仲間たちに与えた,うるおいと希望の数々。あのような環境を考えると,それらはまさに奇跡。

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ラストは親友のレッドにまでちゃんと救いを用意して。青い大海原をバックに,再会する二人のシーンは,どの映画よりも感動的なカタルシスを感じさせてくれる。そのシーンに かぶさるように,人生を謳歌するような,雄大で美しいテーマソングが流れるエンドロール。思わず立ち上がって拍手喝采したくなる。

人間も捨てたもんじゃない。
一番美しいもの,
すばらしいものは人の心の中にある・・・。


そんな気持ちにさせてくれる物語だ。S・キングの原作「刑務所の中のリタ・ヘイワース」もすごくいいので一読をお勧めします。

ブロークバックマウンテン(1)

 マイ・ベストシネマの予感

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初めて観たのはもう1年も前。私の住んでいる地域は田舎なので,劇場公開されなかった。(うう・・・)だから評判を聞いて遅ればせながらDVDにて鑑賞。

衝撃だった。
こんな物語,生まれて初めてだった。
観終わった後,じわじわじわじわ切ない余韻がいつまでも,後を引いて心から離れなかった。1ヶ月もの間,毎日毎日,仕事が手につかないほど,ジャックとイニスについて考えつづけた。

原作は,「シッピング・ニュース」でもおなじみの,アニー・プルー。舞台は1960年代のアメリカ、ワイオミング州。二人のカウボーイたちの間で,20年もの歳月をかけて紡がれる哀しい愛の物語だ。

この映画に関してだけは,あまりにも語りたいことが多すぎて,一度には言い尽くせそうにもないので,ナンバーをふりながら少しずつ語っていきたいと思う。

うちのななちゃん

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うちの猫ななちゃんです。

我が家に来て
もう10年はたつので,
結構年寄りかもしれません。
女の子です。

まぐろのとろと,お昼寝が大好き。
飼い主には,強気ですが,
実は虫にもおびえる気弱な内弁慶です。
よろしくにゃん!

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